ビデオの録画がたまるとハードディスクの容量がなくなるため、ときどき整理して大掃除します。
その折に見たひとつが、「題名のない音楽会」からブルース・リウがスタジオに招かれた回でした。
MCとの雑談や質問などを交えつつ弾いたのは3曲、ショパンの幻想即興曲、チャイコフスキーの四季から「舟歌」と「松雪草」。
演奏はショパン・コンクールの時の記憶そのままで、それに驚いたというのも変な言い方ですが…。
というのも、むかしの印象というのは勘違いや誤解をしていることもあるし、コンクールという縛りが外れてその人本来の音楽表現が放たれたり、ステージ経験を積むことで磨きがかかったり、良くも悪くも素顔が出たり、変化していることも少なくないからです。
ところがこの時の演奏は、曲は違うけれど印象として3年前のワルシャワとほとんどなにも変わっていないものでした。
恵まれた大きな手の持ち主だし、なにしろショパン・コンクールの覇者なのだから、好き嫌いにかかわらず、場所を移してあらためて聴いてみれば、その栄冠にふさわしいものがあるだろうと予想しました。
しかし、聞こえてくる演奏は、ピアノとピアニストと曲がもうひとつ融け合っていないのか、こんな小品でもなにか表現がはっきりせず、コンクール本選の協奏曲でも、思わず滑稽に感じるところなどもありましたが、すべてがそのままという印象。
ひとつ具体的にいうと、彼のアーティキュレーションは迷い気味でメリハリがなく、おまけにパッパッとスタッカートのように切る癖があったり。
本人の話すところでは、コンクール後は世界中を巡り、空港とホテルと会場の3ヶ所を回る生活に明け暮れているそうで、ピアニストとして充分に忙しい日々を送っているようだから、下世話な言い方をすると「じゅうぶん稼いで喰って行けてる」らしく、社会的には成立しているわけで、だから多くがこの方向を目指すらしいこともわかるけれど、やはり納得はできません。
ただ、ピアノではあまり評価できなかったけれど、人間的にはとても真っ当で、落ち着きのある好青年でした。
ほどよい礼節と笑顔とやさしみがあり、人として魅力的だった点は思いがけず好感をもちました。
ことに日本人は、どこか陰気なくせに文化人ぶって、その振る舞いも言葉も演技くさいのを見慣れていることもあって、彼の柔和で、いかにも自然体なところが、とても新鮮に映りました。
…なのですが、やはり彼はピアニストなのだから、肝心なことはピアノを弾いてこそであって、そこのところがもうひとつ評価できにくいのは、なんとも残念でした。
ピアノ以外ではレースや手品が好きだそうで、その手品というのをやってくれましたが、トランプを使ったもので、見ていてそのタネはわかったように思えたのですが、まぁそこに触れるのは無粋というものだから書かないでおきます。
それと、これはブルース・リウ氏の責任ではなく、番組についての苦言ですが、冒頭、彼を紹介する際に使われた言葉に何度も「エッ!?」となりました。
ショパン・コンクールの覇者ということだからか、「世界最高峰」「世界一のピアニスト!」「それでは世界一の演奏を」と何度も断言的に言ったし、画面上の文字にもされたのです。
記録や数値で評価されるアスリートと間違えているのか、世界一と決めつける根拠はなんですか?
では、彼以外のピアニストは、すくなくとも世界二位以下なのですか?
メディアによるこういう不見識も、コンクール至上主義を後押しする力となっているのだと思うと、情けないばかり。
しかも「題名のない音楽会」は音楽に特化した長寿番組なのだから、その不注意には唖然とするばかり。
ついでにいうと、スタジオはいつも昭和風のお花まみれのセットで、そのダサいことといったら見ているだけで恥ずかしく、あんなところで弾かされるのでは出演者が気の毒です。
MCの質問もあまりにわざとらしい幼稚でくだらないもので、そこまでレベルを下げるのはゲストと視聴者の両方が馬鹿されているようで、少し考えて欲しい気がしました。