デュカスから牧神の午後へ

デュカスのピアノソナタつながりでもうひとつ書き忘れていましたが、彼の数少ないピアノのための小品の一つに『はるかに聞こえる牧神の嘆き』という美しい曲がありますが、この牧神とは無論『牧神の午後への前奏曲』のことであり、つまりドビュッシーの死を悼んで書かれたものです。牧神の午後の、あのフルートで開始されるたゆたうごとくの動機が主要モティーフとなっていて、彼への親愛の情がにじみ出ている作品です。

ラヴェルが「自分が死んだときに演奏してほしい曲」として名指ししたのも、この『牧神の午後への前奏曲』で、「あれは完全な音楽だから」という言葉を添えたのは有名ですが、やはりこの曲は19世紀後半~20世紀初頭のフランスの音楽史の中でもひとつの中核をなす記念碑的な作品ということでしょうね。

マラルメの詩に触発されたことがドビュッシーの作曲動機となり、このころにはフランスに限らず音楽と文学の結びつきもいよいよ濃密なものになりつつあったようです。さらにそれは舞台芸術にも波及し『牧神の午後』はディアギレフ・バレエの看板ダンサー、ニジンスキーによってバレエ作品としても創り上げられてセンセーションを巻き起こします。

美術の世界でも歴史に名を残す大芸術家がぞくぞくとこの時期に登場し、こんなとてつもない時代があったということ自体が、現在の我々から見ると信じがたい絵空事のようにしか思えませんね。

『牧神の午後への前奏曲』は作曲者自身による2台のピアノのための編曲もあり、その点ではラヴェルの『ラ・ヴァルス』なども同様です。
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ソナタの心得

きのうデュカスのピアノソナタのことを書いたついでにちょっと調べていると、なかなか面白いことがわかりました。

彼はパリ音楽院の先生もしていましたが、作曲の講義でソナタについて、次のようなことを述べていました。
『この形式に近づく上で困難なことといえば、衒学的なソナタに陥らないこと、もったいぶった断片や、それだけがピアノから飛び出してきて、これぞテーマだと声高に告げるようなテーマを書かないことだ。けれどもある種のスタイルは持ち続け、さらに胡散臭い断片にはまらないのが重要でさる。そこがむずかしい。退屈させず、それでいて安易で投げやりなところのないこと。』

これは、演奏する側にも十分あてはまり、初心者や学習者は別としても、奏者が高度な演奏を心がければ心がけるほど、上記の説はとくに留意すべき点だと思います。
つまりやり過ぎは逆効果、バランスこそが肝要ということです。
わざとらしい様式感の誇張や、テーマや断片を執拗に追い回すような演奏は、本人は専ら高尚で深みのある芸術的演奏をしているつもりでも、聴いている側には説教じみた、音楽の全容の俯瞰や流動性を欠いたものに陥りやすいものです。そういう批評家から点がもらえることを前提にした欠陥演奏に対する警鐘のような気がします。

往年の巨匠達の奔放で大胆な自己表出はすっかり否定され、分析的なアカデミックな演奏が今日の主流をなしていますが、こういう流れをデュカスは100年前に予見していたように感じます。
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フランスのピアノソナタ

相変わらず厳しい気候が続きます。
今日は仕事の用事で、ある施設に行きましたが、すでに暖房は入っておらず、妙な底冷えの中で一時間弱を過ごす羽目になりました。なんとも難しい季節です。

このところエネスコのソナタに触発されて、最近はデュカスのピアノソナタを聴いていますが、これがなんともおもしろい作品です。
デュカスはご存じの通りフランスの作曲家で、ドビュッシーやラヴェルと同世代の大音楽家ですが、作品は少なく、一般的には管弦楽曲の『魔法使いの弟子』ぐらいしか知られていません。
彼はピアノソナタを一曲しか書きませんでしたが、考えてみるとフランスの作曲家によるピアノソナタというのはほとんどこのデュカス以外には思い当たりません。
もちろん探せば何かあるかもしれませんが、一般的にはゼロに等しいといっていいでしょう。

ピアノソナタ自体がそもそもドイツ的なものですから、その厳格な様式がフランスという風土や作風には馴染まないものだったといえばそれまでですが、それにしても、あれだけ多くのピアノのための傑作を生み出したフランスで、これというソナタがないというのは特筆すべきことです。

フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、サンサーンスなど、いずれもヴァイオリンやチェロのためのソナタはあるのに、皆申し合わせたように、まるで何かを避けるかのように、ピアノソナタだけは書いていません。これも驚くべきことですね。

デュカスのソナタは全4楽章、演奏時間40分に及ぶ大作で、フランス人の書いた作品でありながらも、ドイツ寄りな精神を感じさせ、さらにはリストを想起させるところのある無国籍な手触りのする作品といえるかもしれません。
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春の激しさ

桜の季節もようやく終息に向かっているようです。
春は寒さが緩み、花が咲き、命と明るさの象徴のごとくで、巷間良いことばかりのように言われますが、マロニエ君にとっては一年を通じて最も苦手な季節です。
そもそも春は、決してぽかぽかするばかりの穏やかな優しい季節ではなく、天候は毎日が目まぐるしく変化し、激しい風雨を伴う嵐のような日も実際多く、イメージよりはずっと気性の激しい荒々しい季節だと思います。

それというのも季節の変わり目は体調の管理が難しく、この季節はもっとも健康管理にも気を遣いますから、却って冬の真っただ中のほうが楽だったりします。

ヒーターを入れるかどうか迷うような時期はなにやらとても落ち着かず、体かどうしていいのかわからずに困っているのが自分でもよくわかります。
春が終わると次は梅雨の到来で、湿度が高いこの時期は喘息などの症状が出やすくなります。
これから梅雨が終わるまでは、心して過ごさねばならないと思うとうんざりします。

以前、恩師の一人である先生にこのことを話したら、「あなたはチェンバロのような人ね!」と言われました。
その先生は見るも美しいチェンバロをお持ちなので、その繊細で難しい管理経験から面白がってそう言われたようですが、チェンバロのような美しい音でも出せるわけでもなし、ただ単にこの体質には困るばかりです。

ピアノの管理には温湿度管理が大切と言われますが、とりわけ湿度はピアノのため以前に、まず自分の健康管理にもつながっているので、マロニエ君はこれを怠ることはなく、それがピアノにもちょうど良い環境をもたらしている点はなんとも皮肉な感じがします。
でも実際、ピアノに望ましい温湿度の環境は、そのまま人間にとっても快適なものですね。
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エネスコのピアノソナタ

かねてよりエネスコのピアノソナタを現代の演奏家で聴いてみたいと思っていたのですが、藤原亜美というピアニストが弾いたCDがありました。
現存する2つのソナタ(第1番/第3番)やリパッティの作品を収めたアルバムでしたが、日本人の演奏でジャケットの雰囲気などずいぶん迷ったあげく、購入に踏み切りました。

そうしたらこれが大当たりでした。
すっかり感激してさっそくマロニエ君の部屋に書きましたので、よろしかったらお読みください。

ル―マニアといえば普通思いつくのはコマネチやチャウシェスクの劇的な失脚劇ぐらいですが、音楽の世界ではエネスコはじめリパッティ、ハスキル、ルプー、ボベスコ、シルヴェストーリ、チェリビダッケなど錚錚たる顔ぶれが容易に思い出されるほど優れた音楽家を輩出した国なんですね。

そうそう、吸血鬼ドラキュラのモデルの貴族とその山城もたしかルーマニアが舞台で、現在もその戦慄の城が山深く存在しており、近づくものを断固拒絶する不思議な力があるといいます。
いまさらですがヨーロッパ奥深さには感嘆するばかりです。
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バルトークの誕生パーティ

知人のバルトーク研究家が開催するバルトークの誕生パーティに招かれて行ってきました。
本来の誕生日は1881年の3月25日なので、二日遅れではありますが参加者の都合を考慮しての土曜開催ということになったようです。
こじんまりとしていながらも素晴らしいメンバーが集い、主催者のお人柄を感じさせる楽しくも質の高い一夜でした。
バルトークについてあれこれと語り合い、簡単なレクチャーや演奏もあり、まさにバルトーク一色でしたが、決してアカデミックな臭みのあるものではなく、あくまでも偉大な一人の音楽家に敬愛の念を示しながら一同楽しく食事と音楽とおしゃべりを満喫しました。

遠くは熊本からわざわざ駆けつけられた方がおられましたが、この方がまたなんとも優雅な老齢の紳士で、美しいバラの花束を持っての登場でしたが、こういうことをしてちっとも嫌味でない上品な方でした。
おしゃべりをしていてもなんとも自然で心地よく、こういう歳の取り方がしたいものです。

驚いたのはマロニエ君のご町内ともいえる、我が家とは目と鼻の先の距離にお住まいの方が二人もおられ、さらには先日の音楽院でお見かけした先生などもいらしており、やはり世間は狭いものですね。
むろんお二人とも車でお送りしました。

次回が楽しみです。9月26日が命日なんですがどうされるんでしょう?
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練習会

今日は知り合い3人で練習会みたいなことがありました。
そのうちのお一人はこのところ大変熱心に練習に身を入れられており、ひたすらピアノに向われる背中には感心するばかりです。
ピアノはまず、何をおいても練習ですから、それが楽しいことは強みですね。

もう一人はとても美しいドビュッシーを弾かれ、これがまた同じピアノなのにぜんぜん違う音色が出てくるのに感心させられました。
最近感じるのですが、ピアノは自分で弾くより、そばで聞いているほうがその音色の美しさに感銘を受けます。
やはり自分が弾くと、音だけを楽しむという余裕がないのでしょうし、自分が弾く時とはまた違った位置で聴くために耳に届く響きも変わってくるのだろうと思います。

今日の会場にあったピアノはカワイのグランドで、かなり弾きこまれたピアノでした。
タッチが重いのでずいぶん勝手が違いましたが、おそらくはシュワンダ―式という昔のアクションをもったピアノだと思われました。
シュワンダ―は敏捷性こそ現在のものには及びませんが、そのぶんしっとりとしたタッチ感があり、これをうまく調整すると軽くもなり、同時にしっとり感も出てかなりいい感じにもなるもので、技術者の中にもこちらを好む人もいらっしゃいます。

音もカワイ独特の華やかさがあり、ヤマハとはずいぶん違いました。
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福岡パルコ

天神に出たついでにオープン間もない福岡パルコを覗いてみました。
平日にもかかわらず大変な人出で、中に入るにも、エスカレーターに乗るにも人で渋滞です。

全体をざっと回りましたが、基本的な印象としてはどこにでもある女性ファッション中心の店舗ビルで、マロニエ君のようにあまり関心のない者からすると、どこがどう新しいのかよくわかりませんでした。
ここは築70年を越す昔の岩田屋で、マロニエ君が子供の時分にはもっともなじみ深い建物でしたが、内装をいかに改装しようともその骨格はいかんともしがたく、狭くて天井の低い旧岩田屋のイメージの名残ばかりが感じられ、昔のイメージ払拭にも限界を感じました。
ありふれたピアノにどんな手の込んだ特別の改造や調整を施しても、うわべは変わっても、生まれ持った基本は覆らないのと同じようなものですね。

最上階にイシバシ楽器というのがあったから覗いてみました。
ここは「バンドユーザーの全て叶える内外のブランドギターの大量品揃え」とあるように、店内は徹底してバンド関連の楽器や商品で埋め尽くされており、クラシックに関するものは本一冊、小物ひとつもないという見事なまでの徹底ぶりでした。
楽器店を名乗りながら、これほど特定のジャンルに特化するというのも潔いものを感じます。

残念ながらマロニエ君にはこの先も用のない店ですが、そのぶんヤマハの存在感などが際立ってくるような印象を受けました。逆にこのジャンルが好きな人には大いに歓迎される嬉しいショップだろうと思われます。
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なつかしさ

マロニエ君の母校である福岡音楽学院の発表演奏会には毎年ご招待いただくので今年も行ってきました。
会場の末永文化センターホールは、かつての院長であられた末永博子先生のご主人が立てられたもので、普段は九州交響楽団のホームグラウンドにもなっています。
博子先生は本当に怖かったけれど、とても可愛がっていただいた記憶が残っています。

演奏会は付属幼稚園児の合奏で幕を開け、連弾あり弦楽合奏あり、最後は現院長によるソロで幕を閉じました。
とくに素晴らしかったのは現役ピアニストのラフマニノフの2台のピアノのための組曲第2番で、なかなかに聴きごたえのある演奏で堪能できました。

老先生はお年を召して、もはや会場にはお出向きにはなりませんし、関係者の大半の顔触れは昔とは変わってしまっていますが、それでも学院のもつ雰囲気は不思議に残っていて、なつかしいものを感じます。

このホールに行くといつも思うのは、豪快なピアノの数です。
スタインウェイを筆頭に4台ものコンサートグランドが左右にごろごろ置かれていて、これを一気に使うことはあるだろうかということです。
思いつく曲ではバッハの4台のピアノのための協奏曲やストラヴィンスキーの「結婚」ぐらいですが、それとて九響のプログラムにのるのはそう滅多にあることではないでしょうね。
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芸術家は絶滅寸前

今年はショパンの生誕200年という節目が商業主義の格好の餌食になっているようです。
ヤマハで音楽雑誌をパラパラめくっていたら、さる日本人ピアニストがこの関連イベントで途方もないことをするらしいことを知って驚愕しました。

なんと、ショパンのソロ全曲を一日16時間かけて演奏するというまさに曲芸師さながらの企画で、ギネス記録への挑戦も兼ねているとは、あいた口がふさがりません。
ショパンの芸術はそういうこととは真逆の極みにあるもので、そんなことをしてまでとにかく人の注目を集めようとする関係者の思惑だけが生々しく感じられます。

芸術家が芸術の質を勝負にして生きられない時代の、浅薄な価値観が世の中を支配している責任もあるとは思いつつ、だからといってこのようなばかげた挑戦に自らの才能を浪費するのは、なんともいたたまれない気分になります。
いかに指さばきと暗譜とスタミナにかけては天才であろうとも、こういうことをする人をマロニエ君は決して芸術家とは思いません。
さらには、それを英雄視し快挙として素直に尊敬し憧れる価値観の人たちがいると思うと気持のやり場がなくなります。
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嶮しい道

今日は思いがけない来客がありました。
この方がむかし父のアトリエのお弟子さんだったのは、マロニエ君が子供の頃でした。
お弟子さんたちの中でもちょっと異色の存在で、非常に厳格でストイックなところがあり、父の周辺を我が事のように取り仕切っている趣がありました。みんなから怖れられる存在で、マロニエ君もたびたび叱られた思い出があります。
数年後、彼女は一大決心のもと、別の道を志すとしてアトリエを辞めていきましたが、それは文学と歴史研究の道に身を投じるためでした。
とりわけ地元の歴史研究に没入し、野村望東尼の研究では第一人者の地位を確立して、すでに西日本新聞社から数冊の著作が刊行されていますが、先ごろ福岡市文学賞を受賞され、我が家に報告の挨拶に来てくれました。

しかし書籍出版にも音楽CDと変わりない苦労があるようで、一定量は作家買取の義務を負わされるらしく、数が望めるジャンルでないだけに文化研究の道の嶮しさも大変なようです。
それでも自分の努力が報われて書籍という形態に結実するのは何物にも代えがたい喜びがあるようです。

聞けば一冊の本を出すには、文字通り山と積まれた資料の谷間で気の遠くなるような調査と勉強の連続だそうで、やはり一つのことを成し遂げるのは生半可なことではない不屈の精神とひたむきな情熱が欠かせないようです。
道を究めるというのは損得も寝食も忘れて、自分の人生をひとつのことにあてがえるかどうかなのかもしれません。
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パン屋のチェロ

今日は休みで、とあるパン屋にパンを買いに行ったところ、一足先に大きなチェロケースを抱えた男性が店に入っていくのが目に入りました。するとその人、店の奥の飲食スペースに腰を下ろすなりチェロを取り出し、まわりにお客さんがいるのもお構いなしに、いきなり音を出し始めました。それも遠慮のない力でぐいぐい楽器を鳴らし、ただ練習のようなことをやり出しました。

営業中の店内で、あれだけ周囲に憚りなく音を出すからには、おそらくお店のほうは承知のことかもしれませんが、この異様な光景にはいささかびっくりでした。
もしかするとプロのチェリストで、あとでイベントのようなことをするのかもしれませんが、あれはちょっといただけませんでした。

思いがけないところで耳にするチェロの、その朗々とした音はたしかに美しいものでしたが、いかにも自信満々なその行動は、むしろ周囲から注目される快感をひとり楽しんでいるようで、まるでその人のアクの強いメッセージを聞かされたようでした。

生のチェロの音を聞けたのに、帰りはちっともいい気分ではありませんでした。
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バッハのトッカータ

少し前にバッハの好きな知人から、トッカータのオススメCDはありますか?と聞かれて、はたと困りました。
この見事な作品(BWV910-916)をピアノで録音している人は、実はとても少ないのです。
手持ちのCDを思い浮かべても全7曲となるとグールドぐらいしか思い当たりません。
アンジェラ・ヒューイット(カナダの閨秀ピアニスト)がそのCDを出していることは知っていましたが、ベートーヴェンなどでは表現が単純でややうるさい演奏をするのであまり好きになれず、トッカータも持っていなかったのですが、そうなると妙に聴いてみたくなってつい買ってしまいました。
結果は予想したよりも好ましい演奏でちょっと意外でした。

この人は近年ではファツィオリを使うピアニストとしても有名なので、ピアノはてっきりそうだと思い込み、録音でバッハなどを弾くにはまあそれなりの音ではあるなあと感じつつ聴いていたら、ライナーノートをよくよく見てみるとスタインウェイであることがわかり、これにはちょっとびっくりでした。
それは、近頃のスタインウェイにはあまり見られない濃厚な色彩を放つ音がしていたからで、そのあたりはファツィオリのお得意のところだろうと思っていたのですが、スタインウェイにもこういう音を求めて実現させているところをみると、これが彼女の求めるピアノの音なのだということがわかりました。

なんにしろ、明確な音の好みと要求をもった人というのは一貫性があり、その点ではたいへん立派だと思いました。

あらためてボリュームを大きくして耳を澄ませて聴いてみると、響きの特徴やなにかが紛れもないスタインウェイであることがすぐわかりましたが、やはり予断を持つということはとても危険だと思いました。
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わああ!

今日は外食ということになり目的地まで車で市内を走っていたら、思いがけないところでかなりの渋滞となりました。
待つことしばし、少しずつ車列が進むと、前方では右車線にいた車が一台ずつゆっくりと左車線に入っているようで、そこに渋滞の原因があることが直感的にわかりました。

ついにその現場に近づくと、なんと赤いフェラーリと黒いミニバンらしき車がくっついています。両車向き合う形でロシア人の挨拶のようにほっぺたを付け合うように、両方のフェンダーがべちゃっと接触していました。
大変な注目で、そこを過ぎると道はスイスイ。対向車線は大渋滞。
こっちは見物通過して終わりですが、当事者は大変でしょうね。
フェラーリはフロントエンジン12気筒の456GTでした。
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曲がり角

昨日はピアノサークルの例会がありました。
開き直ってほとんど練習もせずに参加したことも悪いのですが、前回に引き続き狭い空間に人がびっしりすし詰で、ただでさえ人前で弾くことに病的な苦痛を感じるマロニエ君としては、まさに窒息寸前でした。

サークル自体も私が入会したころに比べて会がうんと大きくなり、それだけサークルが隆盛になっていくのはいいことなのかもしれませんが、回を重ねるごとに参加者も増大し、名前を覚えるのもついけいけません。
とりわけプログラムにも記載されていない新しい人達がかなりおられたのも驚きでした。

個人差があると思いますが、マロニエ君にはだんだん苦手なものになって来たような気がします。
いったいあのままで膨張したら、どうなっていくのだろうと管理者のかたのご苦労が気になります。

個人的に、ピアノや音楽は自分のこだわりが強いジャンルであるだけに、長時間いろんな演奏を聴かされ続けるのは楽しい半面、相当の忍耐力が必要で、やはり心身の消耗は否めません。
もちろん、素敵なみなさんとお会いできるのがなによりの楽しみなのですが。

私見ですがサークルといったものにも最適のサイズというのがあるような気がします。
「ぴあのピア」はまだ本格始動していませんが、考えさせられるところだと思いました。
まあ、こちらはそんなに人が集まることもないでしょうから、そんな心配にも及びませんが。

とにかく今、本当の音楽というものが分かる人とだけ、忌憚なく大声で話がしたいという猛烈な欲求にかられています。
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働く姿

ピアノサークルの知り合いが近所の薬局でお仕事をしていらっしゃると聞いていましたので、ちょうどマロニエ君が頼りにしている風邪薬が切れていたこともあり、買い物の帰りにそのお店に寄ってみました。
店に入るとちょうど接客中でしたが、やはりお仕事中はサークルでお会いするときより幾分感じが違いました。

一区切りついたところを見計らって挨拶するとすぐに気付いてくれましたが、なんかこうして知り合いと会うのはおもしろいもんですね。
今日はちょうどポイント5倍の日で、試供品などもいただきました。
でも、やっぱりいつもよりしゃっきり感があって、なかなかサマになっていました。

そんな感心もつかの間、もうすぐ明後日は例会だというのに、練習はまだまだです。
最後の追い込みと言いたいところですが、どうせやっても同じという諦め癖がいつものように顔を出しています。

ありがとうございました。
また寄らせていただきます。
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疲れます

これというはっきりしたルールではないことだからこそ、相手の人柄や良心に依存し期待していることということがありますが、それが知らない場所であっさり裏切られているのは、とても嫌な気がします。
面と向かって文句が言えることでない微妙な問題である分その思いは募ります。

だいたいこういうことを平然としでかす人って、逆に普段から人一倍感じが良く、誠実で善人ぶっていますが、要は八方美人なんです。
結局、目的があるからできることなんですね。要は自己利益中心主義ということ。

厳しい世の中、ビジネスのために直接間接努力するのはわかりますが、それを超えた部分でいかにもの好印象や信頼をプレーボーイのように巧みに取り付け、ひいては仕事にも繋ごうというしたたかな意図が見えると、もうすっかり冷めてしまいます。
それはそれでその人の能力・テクニックだと言ってしまえばそれまでですが。

本当に実力のある人というのは、たとえ必要でもそういうことはできないし、やったところで下手なもの。そんなことが上手いと、却って本業の実力を疑いたくなります。

少なくともマロニエ君は多少の短所はあっても、人間的に信頼のおける人を好みます。

なんのことだかわかりませんよね。わかる人にだけばわかってもらえばいいのです。
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2010年2月25日 (木) ピアノマラソン?

今日は平日だったにもかかわらず、ピアノを弾く知人がふたり、仕事の都合をくぐり抜けて、マロニエ君の家に遊びに来てくれました。正味3時間半もの間、3人によるピアノの弾きまくりとなり、ほとんど休みらしい休みもないままピアノは終始鳴りっぱなしでした。
気がつくと向かい合わせの2台が別の曲を弾いていたりと、かなり自由奔放な状態で、まるで音大の練習室前の廊下か、楽器フェアの会場のような有様になる瞬間もありました。

発表会形式の人前演奏は苦手でも、少人数でのこのようなお遊びは、マロニエ君の性にあっており、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
月並みですが、熱中できる好きなことがあり、それを共有できる人がいるというのは素晴らしいことですね。
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2010年2月21日 (日) シゲルカワイ

たまたま通りがかったので、迷いましたがカワイのショールームを覗いてみました。
ピアノ店巡りはできるだけ慎むよう心がけていたので、久しぶりですが、ちょっとだけのつもりで入りました。

来意を伝えると快く応じていただき、主にSKシリーズを3台弾かせてもらいました。
どちらかというと繊細さはあまりないものの、密度感のあるいいピアノで、とりわけ値段を分母に置けば、コストパフォーマンスの高いピアノだと思いました。

でも、根底にある音の根本はうちにあるカワイと同じDNAがあることがわかり、なんだか妙に納得してしまいました。
詳しいことはマロニエ君の部屋に書きます。
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2010年2月20日 (土) 小さなリサイタル

田舎にある百年前の百姓屋を改装した、珍しい会場でのピアノリサイタルに行ってきました。
独特の雰囲気があたりを包み込み、とても素敵な空間でした。

ただ、この場所固有の音場のせいか、ピアノが不思議なほど鳴らないのが最後の最後まで気になりました。
見上げると、建物の中央に大きな梁のようなものがあったので、それが音の拡散を妨げているのか、あるいはピアノそのものの問題なのか、人が多くて席をかわることができず、その原因をよく突き止められないまま終わりました。
ただし、トイレに行く際にピアノをチラッと見た限りでは、フレームの形状からしても、それほど古いくたびれたピアノとも思えませんでしたが。

小さな会場でのサロン的なコンサートそのものは賛成ですが、これらの会場に共通する欠点として、椅子がかなり簡略なものとなり、この手の椅子に延べ3時間、声も立てずにじっと座っているということは、それだけでかなりの体力と忍耐を必要とします。これは忙しく動き回っておられるスタッフの皆さんには意外とわからない苦痛かもしれません。

素晴らしかったのは、建物の外のあちこちにおしゃれな蝋燭の炎がものしずかにゆらめき、これがまたやわらかでヒューマンな雰囲気作りに大きく貢献していました。
逆に屋内は、演奏がはじまるとピアノのまわり以外は、まるでお化け屋敷のように真っ暗になってしまいましたが、マロニエ君が目が疲れやすいこともありこれはきつかったですし、同様の方はかなり多かっただろうと思います。目の疲れもさることながら、万一の安全上の配慮からも、演奏中といえども全体に最小限の照明は必須ではないかと思いました。

しかし休憩時間にふるまわれるコーヒーなどのサービスは(主催者の配慮あってのことですが)、この手の小さなコンサートならではの温かみで、ホッとさせられますね。
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2010年2月17日 (水) シュベスター

みなさんはエスピー楽器という会社をご存じでしょうか。
シュベスターピアノという、知る人ぞ知る隠れた名器を手作りで製造しているメーカーです。

今日、この会社からメールを頂戴したのですが、現在日本に存在するピアノメーカーはわずかに5社で、実際に製造しているのはヤマハ、カワイ、アポロ、そしてこのシュベスターの4社ということでした。
ブランド自体はこれ以上の数があるのですが、いずれも上記4社に生産委託しているらしく、さらに手作りという点ではシュベスターが唯一のメーカーになるとのことでした。

ピアノ業界にとって誠に厳しい世相であることの証明でしょうが、なんとももの寂しい話です。
今日偶然にも初めてさらってみたサティのグノシェンヌ第4番の悲痛な二短調の旋律が意味を帯びて胸に迫ってくるようです。
この話もいずれマロニエ君の部屋で取り上げてみるつもりです。
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2010年2月13日 (土) 練習2

考えてみたら自分の練習方法がまずいこともわかりました。
マロニエ君は昔から一つの曲を集中的に根気よくさらうということができないのです。
しばらく一つの曲をさらっていると、だんだん集中できなくなってくる。
よほど興が乗ってきたら熱中することもゼロではないが、大体において曲はあっちとびこっちとび。
常に4~5曲が練習中という状態におかれ、それがどれも中途半端になっているだけで、ようするに節操がないというか、根気がないわけです。

さらに思いつきであれこれと違う曲にも触ってみる。
こんな調子だからいつまでも練習中の曲が仕上がらないのも当然でしょうね。

でも、自己弁護するわけではないけれど、そもそも一つの曲ばかり来る日も来る日も練習するなんて、そんなことマロニエ君にはできるわけがないことです。
そんなことをしていたらその曲に飽きてしまうし、音楽的な感興も続くわけありません。
でも、普通レッスンに通う人などは同じ曲を仕上がるまでさらい続けるのでしょうね。
それだけでも尊敬しますが、でも、自分はそういう風にはなりたくないわけです。

ということは、反省していて実は反省していないという、どうしようもない自分がどうしようもないわけです。
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2010年2月11日 (木) 練習

柄にもなくピアノサークルなんぞに入ってしまったために、ろくな腕前もないのに人前でピアノを弾くことを余儀なくされ、さらにそのために練習をしなくてはならない羽目になっているこの頃です。
3月上旬にはまた例会があり、そこで何を弾くかをそろそろ考えなくてはいけない時期になってきました。
いや、すでにちょっと遅いのですが、怠け者は常にこういう巡り合わせになるのはやむを得ませんね。

さて、我が家は幸いにもピアノを弾くために、隣近所にそれほど配慮をしなくてもいい環境なので、状況次第では夜の12時過ぎでもよほどガンガンでなければ弾くことはできる点は恵まれているほうでしょう。しかし実は家の中に問題があり、生活の場所にピアノがあるために、家人の様子を見ながらの練習となります。
見たいテレビがあるときなどはこちらが遠慮することになり、ほかにも何かをわざわざ遮ってまで練習をするほどのこともないので、折よく時間的隙間を見つけたら弾くことになりますが、それでも自分が弾きたくないときもあったりで、なかなか時間の確保が難しいものです。

今更のように感じるが、ピアノの練習というのは思ったより時間を食うのということです。
ちょっと弾いても30分はすぐ経つし、少し練習のようなことをしていると1時間はすぐ経つ。
たまにだがちょっと真面目に練習なんぞしていようものなら2時間ぐらいはあっという間で、気がついたときには家人が終わるのを待っていたような気配を感じて驚いてしまいます。
わああ、すいません。

というわけで、練習時間の確保もなかなか難しいものだと思うこの頃です。
やはり自分の部屋に電子ピアノがあればいいのかもしれないですが。
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2010年2月6日 (土) ベヒシュタイン

市内のとある施設が所有するベヒシュタインを使ってのサークル発表会があったので見学に行きました。
このピアノはベヒシュタインの中でもアカデミーシリーズというもので、韓国のサミックとの協力関係によって製造されているモデルですが、それでもベヒシュタインを名乗るだけのことはあり、たしかにそれっぽい音はしていました。
中高音は率直でやわらかな歌心があるし、低音はベヒシュタインらしいギラッとした金属的な響きが加わるあたり、おお!という感じがあり、なかなか感心させられました。

響板、フレーム、アクションはドイツのパーツを使い、あとは韓国製のボディその他を合わせて組み上げるようです。最終調整は特に念入りにスペシャリストが行うというもので、一流ブランドの廉価モデルとはいえ、本家と同じブランドを名乗るだけあって、スタインウェイにおけるボストンよりも、ワンランク上質なピアノだということは聴いていてすぐにわかりました。
もちろん値段もボストンよりは高価ですから、当然と言えば当然ですが。

ただし、このピアノを真正のベヒシュタインだと信じて弾いている人がいると思うと、ちょっと複雑な気分になりました。

いずれマロニエ君の部屋に書きなおしてみたいテーマです。
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2010年1月30日 (土) ピアノサークルで演奏

ピアノサークルの例会に参加しました。
元来マロニエ君は人前でピアノを演奏するほどの腕はないし、性格的にも人前でピアノを弾くことが極度に嫌で、長いことこれを頑なに避けてきたのですが、昨年福岡に出来たピアノサークルに一念発起して入会し、いらいこの難行苦行に挑戦することになっています。

すでに3回ほどサークルでの演奏経験を積みましたが、やはりなかなか慣れるものではありません。今日もやはりドキドキでしたが、なんとか自分の番をやり過ごすことができて肩の荷が降りました。

しかし、見ていると多くの人が緊張するとは言いながら、結構人前での演奏を楽しんでいることがわかり驚かされます。
自分のことは別として、演奏というのは人柄が出るものだということが聴いていてよくわかります。大きな声では言えませんが、あまり上手でない人の中に、なかなかの味を持った人がいるのに対し、ちょっと腕に自信のある人の演奏ほど、美しい音が出ず、作品や音楽から遠退いて、まるで戦いのような演奏をする場合があって、なんとも言えない寒々しい気になります。

まあ所詮は遊びですからどうでもいいのですが、なんだか逆の現象って違和感がありますね。本来は上手い人ほど聴かせる演奏であって欲しいのですが。
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2010年1月27日 (水) ピアノの調整-2

前回の続きで、様々な調整の続きです。さらに今回は少し整音面にも手が入り、音色のムラを取り除いてもらいました。後半には調律が行われ、さらにまた調整の仕上げへと向かいます。

このように「調律」というのはピアノ調整作業の一部分にすぎず、調律=ピアノメンテというわけではありません。タッチ面等に代表される部分の調整はかなり収束されて良くなってきました。
調律はある意味ではもっとも奥の深い領域といえるもので、今回はかなり個性のちがうものになったような気がしてい
ます。

今回をもっていちおうの区切りとはしましたが、気がついた点などは引き続きお願いすることになると思います。トータルで9時間に及ぶ調整となりました。

かなり気持ちよく弾けるようになりました。
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2010年1月20日 (水) ピアノの調整-1

2台ある我が家のピアノのうちの大きいほうのタッチなど、機械面を主体とした調整のために調律師さんに来ていただきました。
今回はハンマーの接近など細かいところにいろいろと点検を兼ねた手を入れていただき、やや重めだったタッチをより理想的な状態へ持っていくというのが主な課題です。
ホールでいえば保守点検といったところでしょうか。

調律師さん曰く、理想を追い求めてやり始めたらキリがないとのことなので、今回はとりあえず2回にわけてやっていただくことになりました。午後から始めて夕方の6時半にようやく区切りをつけて今日は終わりになりましたが、結果は上々で、かなり弾きやすいタッチになっています。
弾きやすくなるということはピアノが自分に近づいてきてくれたような気になるものですね。

こうなると次週の二回目も楽しみです。ピアノは調整次第というわかり切った事実を、いまさらのように再認識しました。
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2010年1月17日 (日) カワイのNo.750

今日は知り合いの調律師さんの工房に遊びにいきました。
かねてよりオーバーホール中だったピアノが、ようやく仕上がったという連絡があったので、これを見に行ったわけです。
ピアノはカワイのNo.750という、おそらくは50年以上前のグランドで、ディテールも大量生産とは全く無縁の重厚なデザインです。
サイズはヤマハでいうC7クラスで、大きさといい造りの風格といい、かなりの迫力があります。

ボディこそ磨きのみで、再塗装はされていませんが、それ以外はフレームは上品なゴールドに塗られ、弦やハンマーを始め、ほとんどの消耗パーツは輝くような新品に交換され、当然ながら入念な調整がされています。

弾くと意外にも今のカワイからは想像できない、ドイツ的な渋みのある大人っぽい音色をもったピアノだったのが驚きでした。それも現代のピアノからは決して聴くことの出来ない、佳き時代のふくよかな響きを伴っていました。
タッチにも程良い抵抗とコントロールのしやすさが与えられ、隅々にまで技術者の手の入ったピアノというのは何ともいえない質感と暖かみがあるものですね。

マロニエ君は大変素晴らしい仕上がりと思い素直な感想を伝えましたが、調律師さんご当人はまだまだ不満の由でした。
ぜひプロのピアニストの演奏によってこのピアノを鳴らして欲しいものです。
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2010年1月11日 (月祝) 新年会

昨年入会したピアノサークルの新年会に行きました。

マロニエ君はアルコールは最初の一杯のお付き合いがせいぜいで、基本的に飲めません。
「類は友を呼ぶ」のかどうかは知りませんが、私の友人知人の付き合いではアルコールが出てくることはほとんどなかったのです。それがこのところサークルに入って酒の席にも何度か行くことになり、その雰囲気に圧倒されてしまいます。

今頃知ったなんて言うのもカマトトのようかもしれませんが、飲める人というのは食事量がやはり少ないんですね。食事はいわば脇役で、主にアルコールという名の液体で満腹している感があり、驚きました。
基本的に食事会に比べて食べ物が少ないというか、飲めない人にはちょっと辛い面もありますね。
飲めない人も食べるほうで楽しめるような自然な環境があればいいのですが。

体は正直で、帰宅したころには猛烈にお腹が空いている自分に驚きます。
いつもこういうときはそのへんにあるものを手当たり次第に食べてしまいます。

でも、新しい人たちと交流できることはとても楽しいし素晴らしいことだと思っています。
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2010年1月10日 (日) ホロヴィッツのCD

晩年のホロヴィッツのヨーロッパ公演での最高の出来と評される〝ベルリンコンサート〟を買ってみました。
2枚組で一枚目のメインはクライスレリアーナなどでしたが、あまりにも衰えが顕著でかなり期待はずれでした。
演奏の質というよりは、会場もこのカリスマを見に来たという雰囲気ばかりがよく出ていたように思います。
機械というものは本当の味のようなものは表現できないところもあるけれど、無残なほどありのままを記録してしまうという正直さももっていますね。
昔と違ってキャッチコピーもだんだん当てにならない気がしているこのごろです。
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2010年1月8日 (金) インドカレー

時たま車で通る道にインドカレーのお店があって、通るたびに気になっていたので、思い切って行ってみました。

マロニエ君は未知のお店に入ってみるのがあまり好きじゃありません。
せっかくの食事でがっかりしたくないからです。
だから食べ物屋さんの開拓には非常に消極的なほうだと自分で思いますが、今回は挑戦的になりました。

結果は大成功でした。
カレーも美味しいし、とりわけ印象に残ったのはフワフワで厚みのあるナンでした。
量もたっぷりあり値段もリーズナブルでまた行こうと思います。お店の人は全員がインド人男性でした。
http://www.good-job-115.info/tama’s-room/f-milan/index.html
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2010年1月4日 (月) CDの年初め

べつに大したことではないけれど、新年に最初にかけるCDを何にするかは毎年ちょっとだけ悩むところです。
たかだかCDを鳴らすぐらいのことに、お正月だからという畏まった気持などはないけれど、でもやっぱりなんとなく意識してしまいます。

で、今年はドビュッシーの「海」でスタートしました。
これが自分なりになかなかの成功でした。

第一曲が夜明けからはじまるところにわざわざ拘ったわけではないですが、久しぶりに聴くこの壮大かつ繊細な名曲にあらためて感銘を受けましたし、同じCDに収められた「牧神の午後」も、正月早々から酔いしれました。

以降、すでに毎日のように聴き続けることになってしまっています。
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2010年1月2日 (土) 新年の合奏

マロニエ君の自宅で友人と合奏しました。
曲は以前から手をつけ始めていたシューベルトのアルペジョーネ・ソナタですが、へたくそ二人ですから大変です。全曲を通すだけでも30分以上かかるし、細部を詰めながらやり直しなどしていると2時間ぐらいあっという間にかかってしまいました。

アンサンブルは一人で弾く時とは違った難しさがあると同時に、なによりも音楽の原点を感じさせる楽しさがあり、ときどきこういう遊びをやってみるのもいいものだと思いました。

そのためには練習が必要な点が怠け者のマロニエ君にはつらいところですが。
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2010年1月1日 (元旦) あけましておめでとうございます

本年からこのぴあのぴあをスタートすることになり、新年のよいきっかけとなりました。

お正月といってもとくにこれということもなく、今日は午後から家族と一緒に市内をドライブしました。ウソみたいな交通量の少なさが、かえって落ち着かないぐらいで、こんなところから正月気分を味わいました。

あすは久しぶりに帰省したフルートを吹く友人と合わせものをやることになっていますが、あまり練習らしい練習もできていません。まあ、お互い遊びですし楽しみです。

というわけで、これからよろしくお付き合いくださいますようお願いします。
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