稼ぐか芸術か

少し前のこと、民放の音楽長寿番組で、立て続けに現代日本を代表する世代のピアニストたちが様々出演されました。
どの方の演奏も指さばきは安定し、なにかが決定的に悪いわけではないけれど、良いとも思わない、いつものスタイルでした。

年齢も経歴も必ずしも同じではないのに、不思議なほど肌触りやあとに残る印象が似ているあたり、まさに大同小異という言葉を思い起こします。

楽譜通りにそつなく弾けているけれど、耳を凝らすと、それぞれに肝心な点でおかしなことをやっている。
わかりやすく云うと、ツボにハマらず、ピントはずれ、歌うべきところで歌うことなく、素通りするかと思うと、思わぬところで意味不明な間をとったり。

指は確かだから、さも完成されているように見えても、作品と演奏者が特別親密な関係になったときだけに発酵する濃密さみたいなものはなく、その場だけ笑顔をかわして会話しているような、ひどく他人行儀なウソっぽさを感じます。
現代人がお得意の、良好な関係の演技をしているだけといった印象。

よって、そつのない演奏に終始し、魅力的な演奏で酔わせてくれることもない。

これが演奏における現代様式なのかとおもうと、気分が自分の中のどこの引き出しに収まることができずに彷徨い、慢性的な倦怠感のようなものに包まれます。

たとえば、いまやモーツァルトの世界的名手のように言われる人などもおいでのようだけれど、何度聴いてみても私にはとてもそのような価値ある演奏とは思えず、そもそも芸術性というものが感じられません。

指もよく動くし、譜読みも早く何でも弾けるのだろうから、むかしならさしずめナクソスレーベル御用達のピアニストぐらいで?

聴く側が演奏に触れるときに期待するものは、作品そのものの世界に浸ってみたいということの他に、演奏者ごとの表現や問いかけに接してみたい、美しさにハッとさせられたい、慰めと悦びで満たされたい、あるいは激しく打ちのめされ翻弄されたいというような思いがあるのですが、この世代の演奏からはほとんど受け取った覚えがない。

なるほど天才なのかもしれないけれど、どれも一様に軽く、小動物の戯れのようで有難味がなく、作品が生きあがってくるとは言い難い。
モーツァルトならやっぱり内田光子のほうが断然好きだなぁと思ったり。

モーツァルトといえば、別の、話題の多い二人のピアニストが出演して、2台のピアノのためのソナタの第3楽章を弾かれましたが、これにもまたかなり唖然とさせられました。

最終楽章というのは、大半はテンポも速く生き生きとして、それまで旅してきた各楽章の意味を引き継いで、まとめるようでもあるし祝祭的でもあるし後片付け的な意味もあるもので、この曲もまさにそういう作りです。

ところが、楽しく浮き立つような要素は私の耳には皆無であったばかりか、ふてぶてしいまでに落ち着き払い、まるで別の曲の第一楽章を聞いているようでした。

もうすこし踏み込んで言うと、作品に対して気持ちが入っていないことが見えてしまっており、曲の表情付けから何からすべてが外形的作為的、ただ人気に慢心し、聴衆を軽く見て、番組の予定をこなしている不誠実なタレントのように見えました。
もしかしたら、ろくに練習もせず、間に合わせ的に本番で弾いたといわれても驚きませんし、この人達ならそれも可能なのでしょう。

終わったら楽屋で着替えて、お付や関係者と次の事務連絡をして、出待ちのファンに対応することもなく、待ち受けるハイヤーにサッと乗ってホールを後にするんだろうなという光景が目に浮かぶようでした。

昔の演奏家は、根を詰めて作品と対峙し、納得した時だけステージに上げるというようなことをやっていましたから、好みはあるにせよ、いちおうは聴く価値のあるものでした。

でも、今そんなことをしていたら、ライバルにどんどん仕事を取られるし、極限まで突き詰めた演奏をしてもしなくても、大半の人にはどうせわからない、芸術家として苦しみに喘ぎながらごく一部の理解者に賞賛されることより、演奏タレントと割りきって忙しく飛び回り、拍手とギャラにまみれるほうが、楽しいし時代の価値にも合っているんでしょうね。

クラコヴィアク

BSのクラシック倶楽部録画から『歴史的楽器が奏でるショパンの調べ〜名ピアニストたちと18世紀オーケストラ〜』を視聴。
2024年3月11日、東京オペラシティ・コンサートホール、ピアノは川口成彦/トマシュ・リッテル。

ショパンはオーケストラ付きの作品として、2つの協奏曲以外には、ラ・チ・ダレム変奏曲op.2、ポーランド民謡による幻想曲op.13、クラコヴィアクop.14、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズop.22があるのみ。
いずれも初期の作品で、20歳前に書かれていますが、すでにショパンの作風は見事に確立されているのは信じ難いほどで、歴史に残る天才とは恐ろしいものだと思います。

現在は、残念なことに協奏曲以外はめったなことでは演奏機会がありません。
op.22はピアノソロとして演奏されるし、op.2はやはりソロでブルース・リウがショパンコンクールで弾いたのが記憶に新しいところですが、op.13とop.14は演奏機会はめったにありません。

録音も少なく、私のイチオシはクラウディオ・アラウのもので、生演奏では未だ聴く機会に恵まれていません。
op.13とop.14は演奏時間もほぼ同じで、作品内容としても個人的には双璧だと思うのですが、それでもなんとなくop.14のほうが一段高い評価であるような印象。
随所に美しいノクターン的な要素があるop.13より、活気あるロンド形式のop.14のほうが演奏映えするのかもしれませんが、いずれも非常にショパンらしい魅力的な作品だと思います。

今回はop.13を川口さん、op.14をトマシュ・リッテルさんが演奏されましたが、リッテルさんによるクラコヴィアクが大変素晴らしかったことが印象的で感銘を受けました。
ピアノはタイトルが示すようにフォルテピアノが使われ、現代のパワフルかつ洗練されたピアノに慣らされている耳には、どうしてもやや頼りなく感じることがあるのも正直なところですが、リッテルさんの演奏はそのようなことをすっかり忘れさせるほど濃密で、躍動し、新しい発見がありました。
さらにいうなら、ショパンへの敬意と注意深さも終始途絶えることがなく、作品と演奏が一体のものとなり、聴く悦びを堪能させてくれるものでした。

あらためて感じたことですが、良い演奏というのは作品に対する表現のピントが合っており、すべてが意味をもった言葉となって、こちらの全身へ流れ込んでくるような心地よさがある。

もちろん事前にしっかりと準備されているだろうし、細部も細かく検討されたものでしょうが、さらに本番では霊感を失わず、今そこで音楽が生まれてくるような反応があり、それがさらに次の反応へと繋がって、まるで音符が自分の意志で動き出しているかのように感じました。
聴衆をこの状態に引っ張りこむことができるかどうか、それが演奏家の真の実力ではないかと思います。

最近は、クリアで正確だけど感動できない演奏が主流となっているので、若い世代にも稀にこういう人がいるのかと、久しぶりの満足を得た思いでした。

残り時間は18世紀オーケストラによるモーツァルトの40番でしたが、古楽オーケストラの活き活きした軽快な演奏はわかるのですが、私個人としては昔から抵抗を感じるのは、そこここでしばしば繰り返される強烈なクレッシェンドやアクセントで、あれがどうにも脅迫的で、当時は本当にそういう演奏だったのかなぁ?と思ってしまいます。

同曲異奏

BSのクラシック倶楽部では、内容がしばしば再放送となることがあります。
CDならば繰り返し聴くけれど、録画のほとんどは消してしまうので、この再放送はちょうどよい感じの「もう一度視聴してみる機会」となっています。

過日は、小林愛実さんとリシャール=アムランさんのショパンが立て続けに再放送されました。
両者ともにショパン・コンクールの上位入賞者ですが、今回は偶然なのか2日連続でおふたりの24のプレリュードを聴けたのは興味深い比較となりました。

小林さんは先のショパン・コンクールでもこの作品を弾かれていますが、今回の演奏はコンクール直前に日本で収録されたもので、ほぼ同じような演奏だと感じました。

隅々までよく仕上げられていることは痛いほど伝わりますが、それは「磨き上げられた」というよりは「徹底したコンクール対策」というほうが強く前に出た印象でした。
チリひとつなく、張りつめたような緊張感、すべてがコントロールされているのはすごいなとは思うものの、聴いている側も息がつまってクタクタに疲れます。
なんとしても上位入賞を果たすという強烈な意気込みというか、日本的な精神芸を見せられるようでした。

コンクール終了後の総括として、優れていた演奏のひとつに彼女のプレリュードが入っていたことは驚きで、こういう演奏が今のショパン・コンクールでは評価されるのか?と驚いたし、反田氏も「彼女のプレリュードは素晴らしかったと思う」とわざわざ言っていたことなど、個人的には目を白黒させられるばかり。

翌日のリシャール=アムランは、見事なまでにすべてが違っていました。
全体にも、細部にも、ほどよい情感とバランス感覚がなめらかに行き渡っており、とにかく自然で安定感があるし、それでいて注意深くショパンの世界は尊重され守られいるのは、さすがでした。
ピアニストが作品を通じて呼吸しているとき、演奏は心地よい音楽となり聞くものを悦びに誘われます。

私見ですが、このop.28は各曲が独立したかたちにはなっているけれど、全体を一つの作品としてとらえることが通例化し、多くのピアニストがそういうアプローチをしているよう感じます。
各曲は見えない糸で繋がった、ショパンの音の回廊のような作品だから、各曲とその間合いをどう取り扱うかは演奏者の任意に委ねられていると感じます。

小林さんの場合、その間合いがあまりに長いため、次の曲との関係性や呼吸感が切れてしまいます。
一曲一曲、一音一音を大切にするあまりか、息を止めんばかりの集中は、どうしても重くなり、丁寧な演奏とはこういうことなのか?と考えさせられてしまいます。

小林愛実さんという才能あふれるピアニストは、以前はもっと天真爛漫に元気よく弾かれていたように思いますが、現在のそれはまるで別人の振る舞いのように感じることがあります。
ご本人の成長と円熟によるものかもしれないけれど、どこか演出され制御された感じが拭えず、私は音楽はもうすこし本音で語ってほしいなと思うタイプなので、建前はもう結構ですから「ぶっちゃけ」でしゃべってくださいと言いたくなります。

何度も聴きたいか

最近はいろいろコメントを頂いて、ありがたいやら嬉しいやら。

少し前、近ごろのピアニストついて「指がよく回って、上手だなとは思いますが、何度も聴きたいとは思わない」という意味のことを仰っていました。
これはおおいに共感するところがあり、どれほど見事な指さばきであっても、それだけでは感動的な演奏とはならず、感動の不在は演奏家として、これこそ最大の、そして「決定的に残念」なところだと思うのです。

何度も聴きたい演奏は、聴いた人の心になにか深いものを残していくもの。
聴くことで、何かが呼び起こされたり、慰められたり、悦びになったり、なんらかの精神と結び合うところに音楽を聞く意味があるように思います。

楽器用語ふうに言うと「心が共振する演奏」ということになるのでしょうか?
一度聴いたら、それで終わってしまう演奏は、強いていうなら「消費」であり、どれほど体裁は整っていても人の感覚を揺り動かすパワーはありません。

フォーレ四重奏団という素晴らしく魅力的なピアノ四重奏団がありますが、その演奏を聴いたアルゲリッチは「何度も聴きたくなる演奏」と言ったそうで、これこそが演奏家に最も求められることであり、つまり最高の賛辞なんだと思いました。

今日のコンサート現場では、まずなによりもチケットが完売になることが評価の尺度でしょう。
どれほど芸術的な素晴らしい演奏をしても、人が集まらなければ意味がないというのも、きわめて現実的な問題ということは否定しません。

だからといって、コンクールに出て、武功を上げて、メディアに数多く露出して、なにより「売れる」ことに目的が絞られ、肝心の演奏は全体の一部のようになっているのを見ていると、やはり辛いものがあります。

演奏家も有名になったらなったで、世渡りというか人気商売の海を泳がされ、俗世のことに目配りができなければ置いて行かれるし、しかも演奏もしなくちゃいけないとなると大変だろうとは思います。
真の芸術家を目指すことより、まずは自分のマネージメントや有効な企画を打っていくことが大事で、それに長けた人や組織に付いて、指示通りに動くだけでも一苦労でしょう。

そうなると、ある種ナイーブな演奏とは似て非なるものになってしまうのも、やむなきところもあるだろうことは、世情に沿って考えたらわかるような気がしました。
そりゃあ、みなさん小粒にもなりますよ。

日常の中にあるもの

頂戴するコメントの中に、フジコさんの音の美しさに関して、御母上(大月投網子さん)から受け継がれたブリュートナーのことに触れられていたのは、大いに頷けるところでした。

感性の基礎を形成する幼少期から、自宅にそのようなピアノがあったということは、かなりの影響があっただろうと思われます(いつから大月家にあったものか、正確なところはわかりませんが)。

海外の優れたピアノは、とりわけ戦前のものは音そのものが美しいだけでなく、繊細なタッチや音楽性を知らず知らずのうちに引き出してくれるから、さほど意識せずとも美しいものを慈しむ習慣が身につくだろうと思います。
演奏者のタッチや気分の変化に、ピアノが敏感に音として反応してくるのは、弦楽器のボウイングにも通じるものがあるかもしれません。

一般的に雑なタッチで弾く人は、その人が育ってきた教育環境とか、使われた楽器も無関係ではない気がします。
誰がどんな弾き方をしても、それなりに鳴ってしまうピアノを「普通のピアノ」と思ってしまうと、音色への感覚が薄れ、ひいては音楽に対するスタンスまで変わってくるはず。

昔は、多少叩くような弾き方をしてでも、難曲大曲をバンバン演奏できることが正義で、そこに秀でることに価値がありましたが、そうなってしまった原因のひとつに、使われた楽器の性質にも責任の一端があったかもしれません。

全体として、日本のピアノがとても素晴らしいことは誰もが認めるところですが、強いて弱点を挙げるとするなら、音色変化や歌心というか…表情が乏しく、曲になった時の収束感が薄い気がします。

ちなみに、戦前のブリュートナーの中には、フレームも厳かで絢爛たる装飾にあふれたモデルがあり、日々そういうピアノと接するだけでも、感性を刺激するところ大だと思います。
そんな幼少期から、波乱に満ちた数々の人生経験、孤独や絶望、そして晩年になって光が差し込んだフジコさん、だからその演奏には耳を傾けてみる値打ちがあったのだと思います。

写真は海外のサイトより一部を拝借しました

理由さまざま

フジコさんについての投稿にいくつものコメントをいただきましたが、やはりあの方には一時的な現象だけでは収まらない、継続的な人気が維持できるだけの魅力があったことを感じさせられました。

ブレーク早々、ラ・カンパネラが代表曲となり、そのCDもクラシックとしては桁違いの売れ行きであったことも話題でしたが、同業者はじめ少なくない層からの反感を買うことにもなり、言い方は不適当かもしれませんが「面白い現象だった」と思います。

コンサートでも、少なくともフジコさん登場以前に比べたら、あきらかにラ・カンパネラが多く弾かれるようになったと感じました。
もちろん、聴衆が好む曲だからという素直な動機もあったと思いますが、あきらかに「フジコのラ・カンパネラ」を意識して、ことさらにハイスピードで技巧的に弾いてみせるところに「これが本当のラ・カンパネラですよ!」というブームへの批判が透けて見えるようでした。

むろん、そんなことで怯むようなフジコさんではありませんでしたが。

フジコさんのピアノの特徴のひとつが、聴くものを誘う美しい音色だったと思います。
ご自身が語っていたところでは、「アタシの音がきれいだって言われるのは、指がこんなに太いでしょ、だからいい音がするのよ!」と両手をかざしながら言われていましたが、ただそれだけではない気がします。

フジコさんは聴覚にご不自由があったようで、そのことと関係があるのでは?と思うのです。
本能的か無意識かはわからないけれど、少しでも自分の出す音を捉えようとすることが、結果的に、通りのよい澄んだ音を生み出す誘因となったのではないか?という気がするのです…あくまで想像の域を出ませんが。

…それにしても、ラ・カンパネラがどうしてああも好まれるのか?
パガニーニによるキャッチーなメロディもあるだろうし、「ラ・カンパネラ」といういかにも華やいだ響きの名前とも無関係ではないかもしれません。
「ため息」もいいけれど、一般ウケするには「ラ・カンパネラ」のハレな感じには及ばないのでしょう。
ショパンの「幻想即興曲」も名前の力はあるはずで、即興曲第4番「幻想」ではダメだったのでは?

※写真は前回と併せて著作権フリーの画像からお借りしています。

フジコ・ヘミング

2024年4月21日、フジコ・ヘミングさんが亡くなられました。
生前、年齢は公表されなかったけれど、92歳だったと知って驚きました。

このピアニストについては、擁護派と批判派が真っ二つであったことが印象的で、日本の音楽界で好みがこれほど分かれたピアニストは珍しいでしょう。
フジコさんは、ピアノだけでなく、生き様のすべてを自分の感性で染め上げた方でしたが、ツッコミどころも満載でした。

批判派の言い分もわかるところはあるけれど、普段あまり自分の意見を示さないような人まで、フジコとなると気色ばんで容赦ない口調となるのはいささか面食らったものです。
好みや感じ方だからそれも自由ですが、ならば他のピアニストに対しても、それぐらいはっきり自分の感想や意見を持ってほしいと思ったり。

なぜそんなに好みが分かれたのか。
第一には演奏のテクニック(主には指のメカニック)のことが大きいようで、ピアニストとしてステージで演奏するような腕ではないというのが主な言い分のようでした。

たったひとつのドキュメント番組によって、突如世間の注目を集めるところとなり、いらいCDもコンサートも売上は記録破りで、その人気ぶりは、一部の人達には容認できないものだったようです。

もちろんプロのピアニストにとっての技術は不可欠で、それなくしては成り立たないものですが、フジコさんのピアノはそれを承知でも聴いてみる価値があったと思うし、美しい音、とろみのある表現、さらにそこからフジコさんお好みの文化の世界が切れ目なく広がっていることを、感じる人は感じたに違いなく、私もその一人でした。

好みが分かれたもうひとつは、世間の基準に従わず、おもねらず、びくつくことなく、誰がなんと言おうと自分流を貫いて平然としているその様子が、ある種の人達には快く映らなかったのでは?

きっかけはたしかにNHKのドキュメント番組でしたが、私の見るところ、それ以降はご本人の実力でしょう。
ピアノはもとより、絵画、服飾、動物愛など、稀有な芸術家としての総合力で立ち位置を得た方だと思います。

フジコさんの手から紡がれるスローで孤独なピアノには人の体温があり、なにか心に届いてくる不思議な魅力があって、それが多くの人達に受け入れられたのだと思います。

実際の演奏会にも行ったことがありますが、たしかに技術の弱さでハラハラすることもあったけれど、同時に「美しいなぁ〜」「ピアノっていいなぁ〜」と思う部分がいくつもあり、これはなかなか得難いことだし、結果的にそんなに悪い印象は持っていません。

難曲をことも無げに弾くばかりが正義じゃないと、技術偏重の世界に一石を投じたような意義は「あった」と私は思っています。

晩年のポリーニ

1990年頃をすぎたあたりからか、向かうところ敵なし、鉄壁の歩みを続けていたポリーニの演奏に、少しずつ小さな傷や乱れが入るようになり、21世紀になるとそれはより顕著になったように思います。

はじめに「あれ?」と思ったのは、アバドの指揮で二度目のベートヴェンのピアノ協奏曲全曲が出たときで、それまでのポリーニには当たり前だった、張りつめた集中力や攻め込みのようなものが薄くなり、全体にひとまわり筋肉が落ちたような印象をもったときからでした。
人間ですから肉体的に衰えるのは当然ですが、それに代わる内的円熟の兆しのようなものが見当たらないことが、よけいそれを際立たせた気がします。

年を追うごとに焦るような咳き込むようなところが目立ちはじめ、お得意の構造感は少しずつ形が崩れていきました。
30〜40代で見せたあの孤高の完成度と、それを支える信じ難いピアニズムの融合を知る者にとって、それは口に出すのも憚られるような深刻さがありました。
巷の論評には、円熟期に入ったポリーニの新しい境地であるというような修辞も見受けられたけれど、私にはかなり苦しいこじつけのようにしか思えなかった。

晩年はショパンのノクターンのような作品においても、かつてのように一音たりとも忽せにはしない冷徹に統御された演奏ではなく、思いがけないところで意味不明のフォルテが飛び出したり、あるいは急にテンポが変わるような弾き方になるなど、かなりの戸惑いもありました。

先日、Eテレのクラシック音楽館で放映された特集でも、2002年のバルトーク1番(ブーレーズ指揮)などはその徴候がすこし出ているし、最後に置かれたベートーヴェン、2019年お気に入りのヘラクレスザールで演奏したop.111の第2楽章などは、曲のもつ深遠なものと演奏がまるで噛み合っていないようにしか思えませんでした。
ふと思い出したのが19歳のポリーニで、数十年にわたる栄光の旅の果てに、そこへ戻ってきたのかもしれません。

ポリーニの演奏の変化を「視覚」として捉えることができたのは椅子の高さでした。
若いころは、普通のコンサートベンチでも座面が高すぎ、彼が使う椅子はいつも足が数センチ切り落とされた、異様なほど低いものでしたが、年月とともにその座面が上がっていきました。
後年は必ずと言っていいほどピアノはファブリーニのスタインウェイ、椅子はランザーニ社の赤いラインの入ったベンチでしたが、その座面はパンタグラフの骨組みが露出するほど高く上げて弾くようになってしまったのは、見ていて悲しくなる変化でした。

とはいえ、ポリーニがとてつもない空前のピアニストであったことは誰がなんと言おうと間違いありません。
コンサートでは毎回熱狂の渦で、なかなかアンコールには応じないものの、やむを得ず、ついにピアノの前に座ったら、いきなりショパンのバラードの第1番だったりと、帰り道は全身から湯気が立つような、そんな経験をさせてくれる特別なピアニストでした。

「時代の寵児」という言葉がありますが、ポリーニは自ら時代を作った人だったと思います。
その黄金期は思ったよりは短かったけれど。

初期のポリーニ

ポリーニの死去を機に、NHKでは1976年の来日公演からブラームスの協奏曲第一番がまず放送され、続いてクラシック音楽館の後半では初来日からの近年までの特集などが組まれました。
またYouTubeでも、これまで見なかった動画や音源が増えている気がします。

ポリーニといえば1960年のショパンコンクール優勝と、そこからさらなる研鑽のため約10年間公の場から遠ざかっていたことが必ずと言っていいほど語られますが、以前、何かでポリーニ自身の言葉として読んだことがあり、10年間公開演奏をしなかったというのは間違いとのことでした。
ピアノ以外のことも学びながら、それなりの演奏会(協奏曲を含む)はやっていたそうで「巷間伝わっているような10年間ではなかった」とはっきり語っていたのを覚えています。

私の手許にも、この時期に演奏した海賊版CDが数枚あるので、本人の言うとおりなのだろうと思います。
コンクール優勝時は19歳という年齢でもあり、少なくとも学業はじめ様々な学びの期間がしばらく続いていたことも事実でしょうから、そのような時を通常より長めに過ごしたのち、いよいよ国際舞台に出てきたんだろうと思います。

ショパンコンクール出場時のポリーニの演奏音源は、彼の名声のわりにこれまで少なく、ポロネーズの5番などは後年のポリーニとはかなり違っていて、まだ青い果実のようでした。
その他の演奏が(彼の死と関係があるのかどうかわからないけれど)かなりまとまった量ネットに出ていましたが、テクニックは際立っているものの、その音楽表現は19歳相応の学生っぽい感じが残っており、オファーのあるままに忙しくステージを駆け回っていたとしたら、果たしてあれほどの名声が得られたかどうか少し疑問に感じたりもしました。

なにしろ音楽の世界は早熟で、十代の中頃にして老成した演奏を聴かせる天才がいることを考えると、その面で19歳のポリーニはさほど天才的とは言い難いような印象でした。
そのことは本人も自覚していたのか、あるいは周りの賢明な判断だったのかはわかりませんが、この期間あってこそポリーニは若者から成熟した大人へと変貌を遂げ、そこからが私達がよく知るあのポリーニなんだろう…という気がします。

ダイヤは磨きとカットが命、ピアノは入念な出荷調整がその後を決定すると言われるように、19歳のポリーニはまだ磨かれる前の原石であったのかもしれません。

その研磨作業が完了したとき、満を持してペトルーシュカやショパンのエチュードがリリースされて世界は驚愕し、以降泣く子も黙るポリーニの快進撃となったことを考えると、ポリーニの魅力には幼さはあってはならないもので、だから彼が大人になるまで待つ必要があった10年間だったとも言えそうです。

ポリーニ思い出

2024年3月23日、ポリーニが亡くなったそうです。
20世紀後半、間違いなく、ピアニスト史に新たな水準を切り拓いた大ピアニストでした。

初来日のリサイタルは福岡でも行われましたが、当時ポリーニはまだ無名に近く、今のように海外の情報がリアルタイムで飛び交う時代でもないから、会場が明治生命ホールという小さなホールだったことは、その後の彼の輝かしいキャリアからすれば信じられない気がします。

シューベルトのさすらい人や、ショパンの24の前奏曲を弾きましたが、その圧倒的な演奏は子供だった私でさえ度肝を向かれるもので、それまでの大ピアニスト達の存在が一気に霞んでいくかのようでした。
当時のポリーニを初めて聴いた人の中には「食事が喉を通らなかった」「しばらくピアノに触れることもいやになった」といわしめるほどの強烈なもので、人生上の忘れがたい衝撃体験となってしまったのです。

その信じ難いテクニックと完成度の高い仕上がり、筋肉的なフォルテ、シルクのようなピアニッシモ、それでいて音色の美しさと全体にみなぎる格調高さなど、幾つもの要件を兼ね備えたポリーニは、たちまち既存のピアノ演奏の水準を書き換えました。
その後も、東京大阪など幾度となくポリーニの演奏会には行きましたが、ピアノはこれ以上ないほど充実して鳴り響き、まさに世界記録保持者の演奏現場に立ち会っているような、そんな独特な興奮を伴うものでした。

初来日は1974年だったと思いますが、それからのおよそ十数年間の演奏こそ、私はポリーニの絶頂期だったように思います。

もちろんリリースされるレコードはすべて買って、かたっぱしから聴き入りました。
ポリーニには事あるごとに「完璧」という言葉が使われましたが、その演奏はまさに建築か美術作品のようで、ピアノという枠には収まりきれないような強烈で圧倒的なものを撒き散らしていたように思います。
少なくともステージに居る限り、ポリーニはピアニストというより戦いに勝利するダビデのようでした。

ネットで調べると、初来日のリサイタルは東京・大阪・福岡の3ヶ所、福岡ではプログラム2でシューマンのクライスレリアーナを含むものになっていますが、実際にはさすらい人を弾いて、曲中なんども現れる下降するピアニシモのスケールに驚いたことを鮮明に覚えているので、おそらくは変更になったのだと思われます。

余談ですが、この時、最も恐れる先生から当日お達しがあって、客席から花束を渡してほしいとのこと。
この先生の言葉は、当時は断ることなど許されない事実上の命令であったので、我が家はあわてて花束を準備し、ショパンのプレリュードが終わって、いったん袖に下がったポリーニが再びステージに現れたとき、意を決して座席を立ってステージへ近づいて渡しました。

汗だくで無表情なポリーニが、ほのかな笑顔のようなそうでもないような感じで受け取ってくれましたが、握手は決してこちらから求めてはならないと母から言われていたので、それはナシで終わりましたが、今となってはいい思い出です。
翌日、空港まで見送りに行かれた先生が、ポリーニ夫妻は貴方が渡した花束を飛行機に乗る時も持っていたと仰って、後日その写真をくださいました。

ホロデンコとファツィオリ

クラシック倶楽部で、ヴァディム・ホロデンコの指揮とピアノによる演奏会の様子を視聴。
2023年12月、紀尾井ホール、東京21世紀管弦楽団で曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。

この方はウクライナ人だそうで、この2年というものウクライナと聞くだけで暗い気持ちになりますが、こうして外国で音楽活動ができている一面があるというだけでも、一瞬ホッとさせられます。
2013年のクライバーン・コンクールの覇者だけあって、確かな腕の持ち主のようで、まったくの危なげない弾きっぷり。

ただ、個人的には「弾き振り」というのは、昔からどうもあまり好きなスタイルではありません。
ピアノを弾きながら、その合間には間髪を入れず指揮のパフォーマンスに充てられるこの一人二役は、誰の場合でもせわしなく、見ていて落ち着けないものがあるのです。

ホロデンコは今回が初めての弾き振りだったようで、それだけ気合が入っていたのかもしれないけれど、演奏中ほんの僅かな隙間にも両手(あるいは片手)は宙を舞い、指揮者としての身振りとなり、それがあまりに熱が入っていることもあって、そこまでしなくちゃいけないものか?と思ってしまいます。
極端なことをいうと、ピアニストがそんなにまでしなくても、小編成のオーケストラはとくに問題もなく演奏できるはずです。

個人的には、事前に音楽的な面でしっかり打ち合わせをしておくことが「弾き振り」の大きな意味ではないのか?と思うし、本番ではピアニストはより演奏に打ち込んでもらったほうがいいのでは?と思うのです。

どのみちピアノパートがあるところでは指揮はしていないわけで、オケの団員にとって、ピアニストの指揮はどれくらい意味があるのだろう?と思うのですが、こんなことを考えるのは私だけでしょうか。

さて、この日のピアノはファツィオリで、しかも3mオーバーの最大モデルが使われていました。
弾き振りなので、オケの中にピアノを縦に突っ込み、大屋根を取り外したスタイルですが、いまさらですがこのピアノの魅力がうまく捉え切れませんでした。

私なりのファツィオリの印象としては、音色そのものに目をみはるものがあるというより、比較的ソフトな音を上質な響板によって分厚く聞かせるといったイメージでした。
馥郁とした音が、太字のペン書きのように聞こえてくるとき、少しずつこのピアノの魅力や美点を捉えている気がしたものでしたが、今回はまったく印象が異なり、それは必ずしも弾き方の問題とも思えなかったので、またも印象は迷走状態に…。

個体の問題なのか、技術者の意図による結果なのか、音は硬めでやや荒々しく、生臭い木の音がしてくるようでした。
聞くところでは、ファツィオリは常に研究や改良を怠らない会社だそうだから、これまでとはまた違った仕様の楽器だったのか、そのあたりの事情は知る由もありませんが、かなり意外な感じを受けました。