藤田さんのモーツァルト

2021年のヴェルビエ音楽祭から、藤田真央さんによるモーツァルトのリサイタルの様子が2回にわたって放送されました。
これまで、藤田さんの演奏は積極的とまではいえないまでも、メディア等では折あるごとに注目はしてきました。

とても大きな手の持ち主で、風変わりなテンションにいささか戸惑いつつ、ピアノに向かえば相当に上手い人だというのは言うまでもありません。
その藤田さんの演奏の中でも、モーツァルトはとくに高評価だそうですが、これまでテレビ出演などで部分的に見てきた限りにおいては、どちらかといえばペタッと平坦で、そんなに素晴らしいかなぁ?というぐらいでしかなく、自分の中ではとくに付箋を貼っておきたい対象とまではなりませんでした。

そういう前提があったところで、今回はじめて彼のモーツァルトをまとめて2時間近く聴いてみることになったわけですが、これまでと同様の部分もあるものの、その素晴らしさに納得させられる点も大いにあって、多少印象を書き換えることになりました。
やはり、本番の演奏をまとめて聴くというのは大切で、藤田さん自身もテレビ番組でのおしゃべりの傍らでちょっと弾いてみせるのと、ヴェルビエ音楽祭のソロステージとでは、気合の入り方も違って当然というもの。

結論からいうと、これは藤田さんにしか弾けない、特別な光を放つ演奏に違いないと思ったし、大いに感銘を受ける場面も随所にちらばっていました。

ただし、本質的に感じたことは、とにかく「技巧の人」だということ。
その技巧というのが、派手派手しい、ヒーロー的なものではなく、繊細で緻密、弱音領域でのこまやかな指回りで真価を発揮するタイプの稀有な技巧で、この点で大変なものがありました。

ピアノを弾く人なら、弱音の音を揃えて正確に弾くことがいかに困難であるかは、だれでも知っていることです。
その点で、藤田さんのまったく軸のぶれない正確かつ目もくらむばかりの技巧には並大抵ではないものがあり、さらに息の長い持続力まで兼ね備えて、それじたいがすでに「天才の技」だろうと思います。
これは、どれだけ練習を積んでも得られない、まさに天性のもの。

人間の指の動きというより、むしろリスのような小動物が高所などを躊躇なく自在に駆けまわる四肢の動きのようで、信じられないスピードで縦横に、いかなる危険領域でも喜々として軽やかに駆けまわる指さばきは、モーツァルトという対象を得て遺憾なく発揮され、これは一聴する値するものでした。
とりわけプロのピアニストがこれを目にしたら、狼狽するような見事さ。

モーツァルトのソナタは、ピアニストの指の技術を丸裸にしてしまうところがあって、そのわりにさほど演奏効果の上がるものではないためか、ここに敢えて踏み込んでいくピアニストはそう多くはありません。

そんな中、難解なパズルを楽しそうにサラサラと解くような演奏は、まさにモーツァルト固有の難しさにピッタリと嵌ったのでしょう。

純粋に音楽的にいうなら、正直なところ、とくだん傑出したものだとは思わなかったけれど、なにしろあれだけの特殊な技巧を備えていれば、モーツァルトといえども如何ようにも仕上げられるだろう思われました。
音の多いパッセージなどでは、それらが無数の眩い輝きとなって流れ出すため、光の帯が降り注いでくるようで、他ではちょっと得難いような爽快感がありました。

テンポは全体に早めで、できればもう少し落ち着いて聴かせて欲しいところですが、藤田さんの才能と演奏の魅力を結晶化するには、おそらくこの速度が必要なのかもしれません。
そのかわり、そんなスピードでもまったく乱れを知らないその指は、世界を驚かすにも充分で、それを体験するところにこのピアニストの値打ちがあるのだろうと思いました。

世の中は、一つ覚えのように「技術より音楽性」「芸術表現のためのテクニック」などと、分かり切ったお題目を唱えて、それが逆転することを否としますが、技術そのものも、ある段階を突破すると、それそのものが魅力と存在感を示す場合もあるし、同時に「技術それ自体が芸術的領域に達する」ということもあるわけで、このような技巧で弾かれる藤田さんのモーツァルトが高い評価を得たということは、至極尤もなことだったと納得できました。

我は巨匠なり

プレトニョフのピアニストとしての動画をいくつか見た感想…。

最近は指揮活動に一区切りついたのか、ピアニストとしての活動がお盛んなようです。

演奏そのものが若いころとはずいぶん様変わりしていることは以前にも書いた記憶がありますが、あらためて見てみて、とりわけ目につくのはステージ上での所作などの様子でした。

どこか不自然なほど、悠然と歩を進めて登場し…かたちだけ聴衆へお辞儀をして…ゆったり椅子に座り…やがて弾き始める、その一連の動作があまりにも大物風に過ぎ「自ら巨匠を気取っている」ように見えて仕方がありません。
そこらの若造と一緒にされちゃ困るよ、格が違うんだよということを、彼自身の態度によって前置きされているようで、少なくとも私個人はあまり好ましい印象とはなりません。

とくに協奏曲では、一同が待ち受けるステージへ、指揮者とともに現れますが、ソロではないぶんいよいよ大物風な気配を漂わせるのか、まったくのマイペースであたりを支配し、悠然自若とした様子を振りまくのがあまりに演技的で、可笑しささえ覚えてしまいます。

これまで、アンドラーシュ・シフのステージマナーにほんの少しその気配を感じていましたが、それどころではない。
今後、初老期を迎えたピアニストたちは、こういう風なハッタリをきかせて自分の生きる道を守っていくのか?と思ってしまって、まるで企業秘密の手の内を見てしまった感じです。

中でも驚いたのは、ベートーヴェンの第3番協奏曲で、約4分ほどのオーケストラの序奏の後に、決然と、両手のハ短調スケールでピアノが始まる、あそこで、ただでさえ芝居がかっている感じがある中、そこでみせた彼の仕草はアッと驚くものでした。

その直前まで、プレトニョフはまるで自分が指揮者であるかのように体ごとオケの方を向いており、なかば自分の出番を忘れたかのようにしています。
いよいよピアノの出番が近づき、オケのド、ド、ドーーーッ…というのが終わっても、一瞬そのままで、「エッ、、、何???」と思ったら、やおらゆっくりピアノの方を向いて、破綻寸前のところでかろうじてピアノを弾き始めます。
いやしくも本番の舞台で、これはいくらなんでも過ぎたパフォーマンスだと思いました。

プレトニョフの演奏は、すでに技術の問題はとうに超越した、高い次元に達しているよというメッセージが、どんなシロウトにもわかる調子で、ことさら一切力まず、淡々と、まるで凡人界へ大事なものを教えてやっているという色の強いものでした。

おかげで、このベートーヴェンらしい野趣も含んだ3番が、どうかすると4番のようなやわらかな音楽に聞こえたことは、ひとつの発見ではあったし、それはそれでひとつの演奏と言えなくはないでしょうが、あまりに計算された自己主張で押し通す様子は、もうちょっと自然であったなら演奏の方向としては必ずしも否定はできないもののようにも思うだけに残念です。
個人的には、演奏者には無心さがほしいのです。

別の動画では、モーツァルトの第24番もあって、こちらもハ短調であることもあって、きわめて似た感じの曲に聞こえてしまい、これがいいことなのかどうなのかは私にはよくわかりませんが。

これらの演奏を聴いていると、なぜプレトニョフがSKを選ぶのかがわかるような気がします。
もっと積極的な演奏で成果を出すスタインウェイでは、なかなかこのようにはいかないのだろうと思うと、たしかに自分に合った楽器選びは大切なことだと思います。
ところ構わずピアノを準備しなくちゃいけないカワイも大変だろうなぁと思います。

シューベルティアーデ

BSのプレミアムシアターでピレシュを中心とした、『シューベルティアーデ』の様子が放映されました。
会場はパリのフィルハーモニー・ド・パリ。

ステージのやや左にピアノが置かれ、その傍らには、テーブルを囲んで椅子に腰掛けた男女パフォーマー達が訳ありげな様子に佇み、聴く楽しみにほどよい視覚の楽しみを加えた、なかなか面白いアイデアだと思いました。

クラシックのコンサートは(わけてもソロの演奏では)、ステージ上にソリストがポツンと居てひたすら演奏に打ち込み、それを身じろぎもせず聴くというのが当たり前で、これはちょっとした加減で一転、耐え難い苦行にもなるスタイルです。
演奏者以外に見るものがなく、時に集中力が切れたり、魅力的な音楽がかえって損ねられたり、変な違和感に襲われたりといったことがしばしばあるのも告白しなければなりません。

同じ曲でも、たとえば映画の中で効果的に用いられたりすると、その感動たるや何倍にも膨れ上がって鳥肌が立ち、ひとつのパッセージが心の内に深く迫ってくることがあります。
素晴らしい作品を、素晴らしい演奏によって披露されても、どうも虚しい退嬰的な時間のように感じることが私はないといえばウソになり、そもそも音楽はもう少しほぐれた雰囲気の中で聴けたらというのは、しばしば思うところだったのですが、この時の試みは、そのひとつの回答のような気がしたのです。

そのパフォーマーたちの動きは、まるでお能のように、その動きは極めてスローな最低限の動きで、決して音楽を邪魔するようなものでなかったことも好感が持てました。

個人的にコラボなどに代表される表層的な合体行為あまり好まないけれど、あくまで音楽を聴くことに主軸が置かれ、しかし音楽一辺倒の退屈さをガス抜きできる手立てとしての、こういうスタイルはなかなかいいなぁと感心しました。

印象に残ったのは、冬の旅からの二曲、弦楽四重奏曲の「死と乙女」──これは圧巻の演奏でした──、最後のピアノ・ソナタD.960のあの絶望の淵に落とし込まれる第二楽章で、上半身裸体の男性が金属の翼をつけた扮装で、ピアニストの背後まで迫ってくるのは、まるで天使か死神かわからないけれども息をのむ演出でした。

出演は、ピレシュの他に、イグナシ・カンブラ/トーマス・エンコ(ピアノ)、トーマス・ハンフリーズ(バリトン)、エルメス四重奏団。

ピレシュは、いかにも良心的な音楽作りで、とくにピアノソナタはかなり弾き込んでいると思われ、見事な演奏ではあったけれど、やはり気になるのは、どこか清貧的で、みずみずしさの要素は不足気味に感じます。
かと思うと、それにしてはドラマティックな表現は随所にあって、その際には他に見られるような抑制感がなく、ちょっと大げさな芝居っ気のある節回しは過大に聞こえることがしばしば。

気になるといえば、ピレシュ独特のタッチも何度聴いても気にかかり、注意深く丁寧に奏してほしい箇所でも、手を上げて、上からタッタッタッタッという、音色の配慮を欠いた雑な音が頻繁に出てくるのは、ほかが素晴らしいだけに目立つ気がします。

ほかの二人のピアニストも、おそらくはピレシュの弟子と思われ、それはこのタッタッタッタッという音や、手首から先全体を使う独特な奏法が、ピレシュのそれとそっくりで、そこまで師匠の奏法を踏襲する必要があるのか?は疑問。
まず第一に、ピレシュの奏法は小柄な体格と小さな手のサイズをカバーするために編み出されたものと考えられるので、普通の手のサイズをもった男性ピアニストまで同じ弾き方をして、わざわざ叩くような音を出すのは、なぜだかわからない。

ピレシュは何年か前に引退宣言をしたけれど、相変わらずステージに立っていて、私の印象だけかもしれませんが、ご贔屓だったヤマハを弾く姿は目にすることがなくなり、専らスタインウェイばかり弾いているようです。

ガジェヴ

このところ、BSのクラシック倶楽部その他で、立て続けにアレクサンダー・ガジェヴの演奏に接しました。
日本では前回ショパンコンクールで、反田さんと2位を分け合ったピアニストというほうがわかりやすいかもしれません。

東京音大を訪ねて学生たちとの対話をしたり、主には同校ホールでの演奏会の様子が収録され、放送は2回に及ぶものでした。
プログラムもずいぶんと狙いのあるもののような雰囲気で、意欲を示した取り組みだったと思われますが、何をどう聴いたらいいのかもうひとつ掴めなかった…というのが個人的に正直なところ。

リスト編曲のベートーヴェン交響曲第7番の第二楽章とか、リストの葬送、スクリャービンのエチュードや黒ミサ、コリリャーノのオスティナートによる幻想曲、ベートーヴェンのエロイカ変奏曲、さらにはショパンのプレリュードから数曲を通常とは逆方向に並べて弾くなど、あれこれと風変わりなものでした。
全体にほの暗い、死の気配を滲ませたようなものだったのかもしれません。

ただ曲を弾くだけのピアニストではないんだぞという、アーティストとしての思索やテーマ性が込められているようでしたが、鈍感な私には音楽的に何をどのように言いたかったのかよくわからなかったし、学生さんたちとの会話も、こう言っては申し訳ないけれどごくありきたりなものにしか思えませんでした。
これとは別に、N響との共演で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番も聴きました。

ガジェヴの演奏については、全体に曲のフォルムがすっきりしており、一定のセンスのある人だとは思うけれど、どれを聴いても一様に彫りの深さが感じられず、もっぱら軽いテイストのピアニストという印象です。
今どきの基準でいうと、とりたてて技巧的というわけでもないし、そうかといって個性的とか、深いオリジナリティや芸術性で勝負しているわけでもなく、要するにこの人でないと、という印象が残らないのは惜しい気がします。
イタリア人で風貌の点からしても、いかにも深沈型の哲学者のような感じに見えますが、おもいのほかあっさりしていて、あえて云うなら軽い水彩画のような演奏のようにも思います。

とくに気にかかる点としては、音楽では随所に存在する転調や和声や表情が切り替わるポイントというか、部位の取扱いで、明暗や景色を変えるなど、曲中の場面転換に対しての注意深さがあまりなく、いつもそのままススッと通過してしまうところに、どうにも物足りないものを覚えます。
こういう要所は音楽を聴く上での大事なツボであるのに、それがとくにマーキングされないままあっけなく通過してしまうのが、信号のない交差点を速度を落とさず走り去るみたいで、これはどの曲を聞いている場合にも共通して感じるところでした。

また、折々にかなり情熱的な弾き方をすることもあるにもかかわらず、終わってみると、さほど情熱的な演奏に接したような気分が残らず、むしろ淡白な印象だけになってしまうあたりは、なんとも不思議でなりません。
どんなに熱っぽく弾いても、結果的にそういうものしか残らないというのは、要するにこの人の本質が淡白な良さにあるということかもしれません。
本当におしゃれな人は、どんなに泥臭くふるまっても、どこかおしゃれなところが顔を覗かせてしまうように。

ガジェヴは、2015年に浜松コンクールで優勝しており、その時からのご縁なのかどうかしらないけれど、ショパン・コンクールのときも私の記憶違いでなければシゲルカワイを弾いていて、その後来日してTVなどに出演した折にもスタジオでSKを弾いていたけれど、今回はいずれもスタインウェイでした。
ほかならぬSKの祖国である日本であるだけに、なんだか不思議でしたが、宗旨変えしたのか、たまたまなのか、はたまた別な事情があるのか…。

最近のBechstein

腰の加減がまだ思わしくなく、すっかり更新ができていません。

はなはだ不確かながら、ここ最近では、ベヒシュタインの新しいグランドの音がかなり変わってきたように思っていますが、いつ頃からはさらに曖昧で、この一二年のことではないかと思っています。

その対象となるのは、少なくとも戦後からこちら今に続くグランドについてで、とりわけ入念に確認したのは公式動画サイトに相当数アップされている、コンサートグランドであることをまずお断りしておきます。

戦前のベヒシュタインにくらべると、戦後のグランドは(私の乏しい経験によれば)やや武骨な、ドイツ的体臭の強いピアノというイメージがあり、同様の印象をお持ちの方も少なくないだろうと思われます。

もちろんそこが魅力的でもあるわけですが、時代に沿った洗練という面ではやや取り残された観がありました。
戦前の同社グランドの気品ある透明な音色に比べると、いささか朴訥で、ワイマール時代の華麗なベルリンというより、ジゼルに出てくる森の男のような印象がありました。

ベヒシュタインといえば、一つ覚えのようにドビュッシーの有名な言葉が語られ、折々にこの人の作品が演奏されることも少なくありませんが、率直なところ赤ひげのドイツ人がフランス語を話しているような印象が、私にはありました。

低音域など独特な板床を叩くような響きがあるし、全体にも頭が大きく減衰のはかない音(これを「立ち上がりが良い」と表現される)こそがベヒシュタインの特徴とされていたこともあって、そういうものだろう…と思い込んでいました。

ところが、あるとき、はじめてベヒシュタイン・アップライトの最高峰である「コンサート8」に触れたとき「世の中にはこんなにも素晴らしいアップライトがあるのか!」という強い衝撃を受けることとなり、それは今も忘れられません。
品格、繊細さ、深み等々…どれをとっても極上で、さらにはカシミアのようなまろやかなタッチなど、およそケチのつけようのないものでした。

それがきっかけで、ベヒシュタインではむしろアップライトに興味をもつに至ったのですが、どのモデルもコンサート8の流れを汲む端正な音色をもっていて、グランドに感じていたドイツの野暮ったさは皆無でした。
同時に同じメーカーであるのに、グランドとアップライトでこうも音の性質が違うものかと、ますます疑問が募り、ついにはアップライトで実現されているような、清純で色彩的な、澄んだ音のグランドを作ったらいいのに…というようなことを空想するようになりました。

まさかその一念が通じたわけもありませんが、ここ最近のベヒシュタインのグランドは、どうも以前とは様子が違うらしい気がしてきているのです。
といっても、YouTube動画による印象でしかないのは実証性にとぼしく甚だ心もとないところですが、それでもどうやら「変わった」ようで、少なくともこのブログに文章として書いてみようという気になるぐらいの違いを感じるに至りました。
ベヒシュタインらしさを残しつつ、時代が求める要素の見直し作業が行われたのか、以前のような強すぎるドイツ訛りがかなりなくなっています。

これなら、ショパンやドビュッシーでも、違和感なく聴ける気がします。
わかりやすい識別点でいうと、ここ数年で、ベヒシュタインに使われるフェルトの色は、伝統的なモスグリーンから、鮮やかな紺色に変更されいるのが一目瞭然で、新しいグランドに至っては、ついに腕木の伝統的な形状もわずかながら変化しているようです。

今のところ、変化の代償なのか熟成が足りないのか、すこしカジュアルに聴こえる気がしないでもないけれど、これにやがて深みが加わってくるようなら、相当に魅力的な選択肢のひとつになるような気がします。

ご興味のある方は、YouTubeで[C.Bechstein]と検索すると、同名のチャンネルが出てきます。

本場の宝探し

ヨーロッパにお住まいの方から、面白い情報を寄せていただきました。

今どきはどこの国にも売買サイトがあるのは当たり前でしょうが、そこに出品されているピアノはというと、日本とはまるで異なるものが次から次へと出てきて、面白いといったらありません。

その中に、ドイツの伝統ある有名メーカーのグランドで、「ピンも弦も交換されているのに数ヶ月経っても売れない」のがあるらしいとのことで、私もさっそく直に見せていただきました。

お値段は日本円で80万円くらいと、望外の価格でもあるため、あまり細かいことを言い立てるのもどうかとは思いつつ、率直にいうと、一枚目の写真から早くも怪しい気配が漂っているようでした。
ロゴやフレーム、ピン板、譜面台、外装にいたるものまで、多くの部分は違和感にあふれ、本当にそのメーカーのピアノかどうかも疑わしい感じを受けたのです。

100年以上経過しているとはいえ、メジャーブランドのグランドがこんな値段で売られていること自体、どこかおかしいような気もしましたが、その方も興味本位とのことで、とくに購入を検討されているわけではないらしく、あまり真剣に観察する必要もないため却って面白いくらいでした。
ついでにほかも見渡してみると、さすがは本場だけあって多種多様の珍しいピアノがひしめき、音楽文化の歴史と裾野の広さとが如実に窺えました。

これを時間をかけ丁寧にウォッチすれば、中には掘り出し物といえるものもありそうですが、玉石混交であることも否めず、購入となればかなりの眼力が必要だろうと思います。
とくに古いピアノの場合、素人判断で安易に購入してしまうのはかなりの危険を伴うと思っておいたほうがよさそうですが、同時にヒリヒリするようなスリルもありそうで、つい引き寄せられていくのも正直なところ。
もし私みたいな人間がそんな地にいたらどんな目に遭うやら、考えただけでも恐ろしくなります。

日本の中古ピアノ市場といえば、大半がヤマハとカワイで一向におもしろ味がないのに対し、当たり前ですがヨーロッパの土台が違うというか、見ているだけでもわくわくで、それこそため息の出るような美しいピアノから粗大ごみのようなものまで、まさに宝探し気分です。

なんといっても楽しいのは、日本では絶対にあり得ないようなブランドのピアノがかなり意外なお値段ででていたりしますが、同時にかなり危なそうな雰囲気のものもあったりで、免疫のないマニアにとってはかなりの危険地帯でもあると思います。
日本と違って、騙されるときも思いっきりスッパリやられそうです。

腰の加減で、もっかほんの短時間しか椅子に座れないこともあり、ブログの更新もおぼつきませんが、快復したときじっくり見るのが楽しみです。

マイ・バッハ

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』という2017年ブラジル製作の映画を見ました。
以前からお気に入りに入れてはいたものの、「マイバッハ」というのが車の名前みたいであまりそそられず、ずっとそのままにしていたもの。
ようやく見てみたところ、思ったよりも見応えのある作品でした。

個人的に見るのに時間がかかったのは専らタイトルのせいで、原題を調べるとぜんぜん違うようでした。この映画に限ったことではないけれど、どうしてこんな邦題になるのか?と首をひねることが少なくありません。

以前もアルゲリッチのドキュメント映画で『私こそ音楽!』という、なんとも幼稚で知恵のかけらもない邦題に驚いたものです。
映画にとって、タイトルは非常に重要なものであることはいうまでもなく、邦題をつけるにあたりもう少しセンスのある人はいないのか?と思います。
…いや、センス以前というか、映画の内容を理解しているのか?そもそも映画を見たのか?とさえ勘ぐりたくようなものが少なくありません。

さて『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』はブラジルのジョアン・カルロス・マルティンス(1940年生)というピアニストの半生を描いた作品でしたが、あろうことか私はこの人のことをほとんどなにも知りませんでした。

才能あふれるピアニストとして頭角をあらわし、ニューヨークに移り住んで、さあこれから世界に打って出ようとしていた矢先、たまたま目にした有名なサッカーチームの練習に吸い寄せられるように近づき、そこで走り回っているうちに手に大怪我を負ってしまいピアニストの活躍にとんでもない急ブレーキが掛かります。
それでもなんとかリハビリを重ね、徐々に演奏活動も軌道に乗り、名声も復活したかに見えますが、45歳のときに暴漢に襲われ鉄パイプで殴られ、再び大怪我を負うという不運に見舞われ、そんな境涯を果敢に生き続ける姿が描かれています。

映画として面白いかどう以前に、才能あふれるピアニストの身にそのような不幸が襲いかかるという現実は、あまりに残酷で見ちゃいられないものでした。

それにしても、1940年代の南米といえば、アルゲリッチ、バレンボイム、ゲルバー、フレイレなど、とてつもないピアニストが続々と登場してきたのはどういうわけだろうと思います。
さらに世代の枠を外せば、アラウやボレット、フリッター、モンテーロ、作曲家でもヴィラ=ロボスやナザレーなど、挙げていたらキリがないほどで、ひょっとすると北米より音楽の大物は多いのかもしれません。

映画に戻ると、使われるピアノもよく時代考証されており、ずいぶんたくさんの古いピアノが出てきたのは、楽器を楽しむ側面からいっても見どころの多い映画でした。
戦前のベヒシュタインや、いかにもマルティンスが若いころのニューヨーク・スタインウェイなど、ピアノのチョイスもほとんど違和感なく楽しめるものだったことは見事だったと思います。
ほかにもフッペルや名前のわからないピアノがあれこれ出てきて、これだけ多くの珍しいピアノが出てくるという点においても貴重な映画だろうと思います。

「ほとんど」と書いたのは、一度だけ、時代もモデルもおかしなタイミングでヤマハが出てきたのは、ほかが見事だっただけに残念でした。
それにしても「マイ・バッハ」ってどういう意図のタイトルなんだか、いまだにわかりません。

おもいで

このところまた腰が痛みだし、パソコンの前に座る時間がを減らさざるを得ず、書き込みが少なくなりました。

安静にしようと、ある随筆を読んでいると、半ば詩のようにやわらかに語られる言葉の中から、昔の情景が自然と目の前に広がってくることが何度かあり、そのたびに遠い昔に連れ戻されるようでした。
幼いころの光景がふわふわとよみがえるのは、なつかしさもあるけれど、どこかもの悲しいのはなぜでしょう…。

生まれてはじめてピアノの先生のところに行った頃のこと。
いわゆる街の先生で、親がなぜその先生につけたのかなど幼稚園の私にはまったくわかりませんでしたが、とくにピアノをさせようというような意思があったとは思えないし、子供の足でも歩いて10分ほどのところにあるというぐらいの、ごく単純な理由だったに違いありません。

先生宅は古い木造の2階建てで、ギィギィときしむ階段を登ると、グランドピアノが二階の板敷きの二間をまたいで前後の足をかけるように置かれていて、後ろ足のほうの床は階段部分にかぶっており、子供心にも不安を覚えたものです。

女の先生で、使われた教本のタイトルは思い出せないけれど、子供の目にもやたらと子供向けの、1ページに音符が一つか二つ大きく書いてあり、ページが進むごとに音符の数が少しずつ増えていくようなもので、これがもう救いようがないほどおもしろくなくて、おそらく1〜2ヶ月通ったあたりで我慢の限界。

私がいやがると、ことさら自由な感性で生きていた父は「いやならやめればいい」と言い出し、母もすんなり「そうね」と同調し、あっけなく止めてしまいました。
それでも誰から強制されるでもなく危なっかしい手つきでレコードを回してはよく聞いていたし、自己流で鍵盤に触れることはやっていたのはピアノは嫌いじゃなかったからだと思います。
自己流で少しずつあれこれ弾くマネごとのようなことをしながら、めちゃくちゃな指使いでエリーゼのためにぐらいを弾けるようになったことは我ながら笑ってしまいます。

コンサートにもよく連れられていったこともあってか、ついに自分から「ピアノを習いたい」と志願したのです。
しかし、それはすでに小学校5年生ぐらいのことで、これがいかにも遅すぎました。

ならばと連れて行かれたのが、泣く子も黙る、超スパルタ音楽院でした。
といっても、あえて厳しいところに入れようというような教育熱からではなく、院長先生と我が家とはちょっとした御縁があったし、ほかにあてもなかったからで、なにごともそんな程度の理由で物事が片付いていく時代でした。

当時、日本のピアノ教育会は井口基成氏がいわば天下人で、他には安川、永井等々いろいろとあったようですが、なにしろ井口先生にはカリスマ性があり、夫人や妹さんまでピアノ教育者として名を馳せた一族で、さらには桐朋の音楽科設立にも寄与した事もあって、当時は他を寄せ付けぬ威光がありました。

…でもそれは東京の話でしょ?と思いがちですが、福岡の院長は基成氏の直弟子たる猛女(先生)で、ご主人が実業家であったこともありそのための音楽院まで作って、飛行機が高名な先生たちをどんどん輸送しました。
まるでドラえもんのどこでもドアのように、そこはまさに井口系のピアノ道場だったのです。

というわけで、そんな環境は私に向いているわけがありません。
それでろくに練習もせず、あれこれと策を弄して逃げまわる数年間を送ったことは過去にも書いたことですが、身近に接する芸大/芸高/桐朋などを受験する生徒の腕前は大したものだったし、発表会ではなんと九州交響楽団が共演することもあり、いま思えば貴重な経験になったとは思っています。

ピアノ受難

パリ・オリンピックが閉幕しました。

パリ大会の開会式・閉会式では、ピアノが様々に登場したようですが、その使われ方には疑問の残るものが多かったように思います。

開会式での激しい雨にさらされてびしょ濡れのピアノが複数あったことはすでに書きましたが、閉会式では、今度はピアノとピアニストが宙吊りにされ、垂直のまま演奏するという驚きの光景を見せられることに。
以前も、フランスでは空中でピアノを弾くという奇想天外なパフォーマンスを動画を見た覚えがありましたが、もともとフランスという国はそういうイカれたことが好きなのか?!?

さらに驚いたことには、今回のオリンピックではピアノを燃やしてしまうパフォーマンスもあったのだそうで、もうそこに至っては見たくもないので動画を探してもいません。
中には「カッコいい」という意見もあるようですが、非難の声も相当あがっているようです。

「開会式では雨に濡れ燃やされたピアノ、閉会式では吊り下げられたり、ピアノの使い方がおかしい」
「ピアノに対して恨みでもあるんか?」
「ひどい」「ピアノがかわいそう」といった意見もネット上にちらほら出ていました。

ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の場面を揶揄したり、マリー・アントワネットの首が出たりと、かなり過激な試みも恐れることなく挑戦するという意欲は買うとしても、いささかやり過ぎでは?と思う面が多すぎたののかもしれません。

そもそも、芸術の都として名高いパリで、ピアノという楽器に対してあのような非文化的な扱いをすること自体が、個人的にはその見識のほどを疑ってしまうものがありました。
これが、文化の何たるかもまるで解さないような、成金の野蛮国の所業ならともかく、なにしろパリですからね。
パリにはピアノに関する歴史でもプレイエルがあり、ショパンやドビュッシーが住み暮らし、ロンやコルトーやフランソワがいた街であったことを考えると、やはり今回の振る舞いは納得がいきません。

最後の吊り上げ演奏では、単純な疑問も残ります。グランドピアノの構造は水平であってはじめて機能するもの。
これを縦に吊るした(しかも鍵盤が下)というのは、少しでもグランドのアクションの構造を知る人なら、演奏するのは常識では不可能なはず。

ということは、音源は別にあって、空中で弾いているマネだけしていることも大いにありそうで、これを口パクというのかアテレコというのか適確な言葉はわからないけれど、あまりに意表をつくハデな演出ばかりでは虚しいです。

フランスに限ったことではないけれど、とにかくハデなことをやって注目を集めさえすれば、それが正義という価値観があまりに中心になりすぎていて、まさに炎上商法ですね。
そんなことをしなくても、パリの輝きは世界中が知っていると思いますけどね。

競技や審判に関することでも非難される事柄がずいぶんと多かったようで、今どきのスポーツが純粋公正でさわやかなものとはもとより思っていないけれど、それにしえもマイナス面も数多かったように感じました。

ちなみに宙吊りにされたピアノはヤマハでしたね。

家族の一員

少し前のこと、民放TVで都市部から遥か遠い、隔絶した山中などで生活する人たちを訪ねて、その生活に密着するという番組があり、あまりのすごさにびっくりして、つい最後まで見てしまいました。
ほかに『ポツンと…』という番組もあるようですが、それとは違う3時間ほどの特集番組でした。

いずれも、自然の中の隔絶された自然の中で暮らす人たちで、中には、山深い集落もない文字通りの一軒家で、小さな子供が何人もいつ一家であったり、高齢でも一人暮らしをする人まで、その逞しさときたら想像を絶するものばかりです。
中には代々の家を守るためという方もおられたけれど、都会生活を投げうって、あえてそんな場所での暮らしを意義あるものとし、自ら選択した人たちの何組か紹介されました。

共通しているのは、どの方もやせ我慢や演技でなく活き活きして、日々の生活のために体を動かし汗をかきながら充実した暮らしを送っておられるように見えました。
電気や水(山の湧き水であったり)はあるけれど、食べ物(とくに野菜)は基本的に大半が自給自足で、みなさん土を耕し、種を蒔き、多種多様な野菜を育てておられ、鶏や牛や山羊などもいれば、同時に子育てまでこなすという忙しさ。

朝から絶え間なく体を動かし、薪をおこして食事を作り、風呂を沸かし、日が落ちれば眠りにつくというもので、とうてい真似のできるものではないけれど、生きるということの本源のようなものに触れた気がしたことも事実でした。
それに、なんとはなしに心地よかったのが、ここではスマホもネットもSNSもなく、俗世の瑣末なことや競争社会のストレスなどの要素がまったくないので、それだけでも不思議な安堵みたいなものを感じてしまいました。

私は自他ともに認める「田舎の生活は無理派」で、運動嫌いで、夜行性で、虫が嫌いで、エアコン依存症で、そういう要素満載なのですが、それでも田舎の生活の魅力というものも、できる人にとっては一理あるんだな…と思わせられました。
なにかにつけて、現代人が当たり前だと思っている便利とは真逆の世界だけれども、旬の野菜だのなんだのと、身近にあるものはどれも新鮮で、大量で、ある種贅沢で、勝手な部分だけはやけに羨ましく感じました。

みなさんいずれも心が広く、自然な笑顔が耐えず、こせこせしたところがなく、わざとらしさのない普通の優しみや安心感があって、考えさせられるところが非常に多かったことは、まったく意外なことでした。

最後に紹介されたのは関東から大分県南部の山の中へやってきたという一家。
山の中腹に佇むまさに一軒家で、その家を自力で修繕しながら生活を始めてようやく一ヶ月というところでした。

家の中は作業のための廃材やらなにやらでごった返していましたが、なんとその片隅の床の上には茶色の杢目のグランドピアノが、後ろ向きに置かれていて、まさかピアノがあるなんて思いもしなかったこともあり、「おお!」っと目を奪われたのはいうまでもありません。

これから床をどうする、お味噌を仕込む、畑に行くなど、あれこれの説明のところどころに、チラチラとそのピアノの一部が写り込むのですが、どういうピアノかはまったくわからずにじりじりしました。
ただ、そこにはどことなく日本のピアノではない気配を感じ、ますます気になって仕方がありません。

ピアノのフォルムが全体にとても細身というか華奢で、枯れた感じさえあり、どちらかというとメタボ体型の日本のピアノではない気もするから、輸入物か、あるいは過去のメーカーのピアノか、もう番組そっちのけでピアノにばかり意識が向きました。

後半、ついに!ピアノが紹介される場面となり、それによれば、ご主人の趣味のためここまで運んできたものだそうで、ついに蓋が開いて演奏が始まりました。
自作の曲で、2歳に満たない一人娘のために作ったという曲を弾かれましたが、ついに最後まで鍵盤蓋のロゴは一切わかりませんでした。

もしやブリュートナー?とも思っていたけれど、腕木の形状が違うし、あれこれの記憶の断片をつなぎあわせた末、おそらくあれはザウターではないか?というのが私の結論でした。確証はありませんが、たぶん。

都会での生活はすべて捨て去ったとのことですが、ピアノは捨てられなかったようで、そーだろうねーと思いました。

…だからなに?といわれたら二の句が告げられませんが、ただそれだけです、ハイ。

オリンピック

パリ五輪が始まりました。

開会式当日はすでに曇天で、やがて晴れてくるのかなぁと思ったらとんでもない、ほどなくして無情にも雨粒が落ちはじめ、さらに時間が経つほどにそれは強く激しいものとなってしまいました。

そんな状況にもめげることなく、ダンスをはじめ渾身のパフォーマンスに打ち込む大勢の人たちが気の毒なほどの猛烈な雨足。
この雨のせいかどうかはわからないけれど、選手たちの乗る船もときに心配になるほど大きく上下に揺れるのがあったり、いやはや、これは大変なことになったようだと思いました。

ダンスや動きがキレッキレで激しいだけに、いつ転倒するのかとハラハラしましたが、ほとんどそういうこともなく、みなさん大したものだなあと感心させられました。

こんな場合にもついつい目が行くのはピアノで、はじめの頃(雨が降り出す直前)、レディー・ガガが歌って弾いていたのはスタインウェイのBかCで、閉めた大屋根の上に譜面台が置かれていましたが、サイドのロゴは黒いテープのようなもので隠されていました。
だれもが知っている、ルイ・ヴィトンのケースなどはあんなに露わに映しても、ピアノのロゴは隠すんだ…と思いました。

この日のピアノネタで最大のものは、フランス人ピアニストのアレクサンドル・カントロフ(2019年のチャイコフスキーで優勝)のソロでした。
ピアノは激しい雨が叩きつける場所に置かれ、大屋根は閉じられているものの、その上部には大粒の水たまりが無数のアメーバのように広がり、カントロフ自身も後には引けないと覚悟を決めているようで雨を浴びながら弾いており、曲はまさかのラヴェルの「水の戯れ」。戯れどころかずぶ濡れで、これにはもう笑うに笑えず、身を捩るような気持ちになりました。

音はしっかり出ていたけれど、普通サイズのグランドで、あれだけ強い雨の中、しかも大屋根を閉じた状態で、あんなにまともな音がでているとはとても思えず、おそらく音源は別にあったのだろうと思いました。
これだけのピアニストに弾かせておいて、手元は一切映らなかったのも不自然で、やはりいろいろ事情がありそうでした。

ちなみに、これほどの大雨でびしょびしょにされたピアノはどこのメーカーかとずいぶん観察しましたが、残念ながらそれを突き止めることはできませんでした。
細部からも特定には至らず、まさかのダミーでは?などと勘ぐったり。

翌日からはさっそく競技が本格化したようですが、はじめに目にしたのは柔道で、選手であれ審判であれ一人の日本人もいないのに「はじめ!」とか「まて!」とかいうのは、なんだか奇妙な感じがするものですね。
フランスでの柔道人気は昔から根強いものがあるらしく、なんと日本よりも競技人口が多いというのは驚きですし、柔道人気はフランスだけでなく世界的で、あのプーチン大統領も黒帯の有段者というのですから、どこがそんなにいいのやら…。

かく言いつつ、我が身を振り返ればヘンなフランス車に30年も乗っているし、フランスの文物もロシア音楽も大好きなので、そこはお互い様というところでしょうか?

ブッフビンダー

先日のEテレ、クラシック音楽館は前半がブラームスのピアノ協奏曲第1番でした。
ピアノはルドルフ・ブッフビンダー、指揮はファビオ・ルイージ/NHK交響楽団。

ブッフビンダーはウィーンを拠点とするピアニストで現在70代の後半。
ドイツ系音楽のスペシャリストとして数えられる人ですが、個人的には特に強い印象をもった記憶はあまりなく、いわゆる「中堅」という言葉がこれほどピッタリくる人はないイメージです。

際立った魅力も感じないがイヤミもないというところで、ウィーン系のピアニストというと、ティル・フェルナーとか近いところではヴンダーといった名前が浮かびますが、いずれも自身の個性表出より音楽への奉仕に重きをおくタイプの人で、そこがウィーン流なのか?とも思います。

とくにフェルナーの細部に至るまで神経のかよった端正な演奏は舌を巻くところで、様式感を重んじつつ、そこにあふれる清潔な美しさは印象的。

ブッフビンダーはウィーン系でもまた趣が異なりますし、そもそもウィーン系なのかどうかもわからない。
CDなど何枚かは持っているけれど購入当時に幾度か聴いただけで、自分にとってさほど重要な存在にならないまま、以降は手に取ることもほとんどなくなってしまいました。

氏のプロフィールや得意なレパートリーから期待するような、構造感とか折り目正しさというわけでもないし、その音楽には感覚重視の印象もあり、どこか線の細さを感じます。

よって、やはり「中堅」としか思えないのだけれど、最近ではお歳も重ねられたこともあるのか、いつしか「巨匠」へと格上げされているようです。

今回のブラームスでは、テンポが速めで、そうすることでこの長大な作品をまとまりよく聴かせられるということもあるのかもしれないけれど、もう少ししっとりじっくり聴きたい派には、いささか性急で肌理の粗さが目立ちました。

この作品は長いだけでなく結構な技巧を要するところへ、このテンポ設定も重なったのか、あまり上質な演奏とは思えないものになってしまったのはとても残念でした。
キズのない演奏が大事などとは思いませんが、そういう不備を補って余りある何か大事なものが聴こえてこなかった…というのが私の印象。

さらに追い打ちをかけたのが、最近の機能性抜群のN響の乱れのない演奏で、ピアノとオケがとりわけ対等密接な関係性をもつこの作品においては、ソリストの弱点が否応なく暴かれてしまうようで皮肉な対照でもありました。

そういうことをしばし忘れて楽しめたのは第2楽章。
夢見るような美しい世界の広がりは陶酔的で、そういう趣味の良い叙情美はブラームスの独壇場となるのもしばしば。
この緩徐楽章ではさしものブッフビンダーもほぼ適正なテンポで弾いてくれましたし、時おり特定のバスを深く響かせてくるあたりは、この作品をよく知っているらしいことを感じさせるところではありました。

そして、第2楽章が終わって第3楽章に入る間の取り方は、この曲を聴くときにいつも注目してしまうポイントですが、ほんの一息間を置くだけで、その集中と余韻を切れさせぬところで、決然とピアノのソロが鳴り出したのはホッとさせられました。

ここで、本当の休息をとってしまって、客席からゴホゴホ咳払いなどが出てくるのは、この作品においては適当とは思われませんから。

生産国の曖昧

3月2日にアップした拙文「共通化-追記」の終わりに、「いつの日か、スタインウェイもどこ製か伏せらてわからなくなる日がくるのかも?といった想像さえしてしまうこの頃です。」と書いたばかりですが、その杞憂はすでに到来しているのでは?…という疑念に駆られる事がありました。

YouTubeでスタインウェイ&サンズ東京を訪ねる動画は複数いろいろ存在しますが、その中に「…ん?」と思うシルエットが映りました。
これまでは、ニューヨーク製(NY)とハンブルク製(HB)を見分けるのはわけもないことで、特殊モデルは別として、近代のレギュラーモデルではそれを見誤ることはありませんでした。

ところが、最近の共通化によって、従来の違いはほぼなくなり、HBスタイルに覆い尽くされてしまいました。
かろうじて残るいくつかの違いのひとつが、大屋根を開けた時のシルエットですが、これは前屋根を開ける(折り曲げる)位置と面積の違いによるもので、その結果はNYのほうが狭くスマートなのが特徴でした。
ちなみにヤマハのコンサートグランドが、ステージ上で鈍重に見えるのも、ほぼ同じ理由からです。

言葉だけではわかりにくいので、図を作ってみました。

AとB、実は奥行きも形状もまったく同じですが、違いは前屋根部分をどこで切り分けているか、それによるカタチと面積のみ。
前屋根の面積が狭いのがA、広いのがBで、たったこれだけのことでピアノのフォルムは大きく違って見えるのです。
感じ方は人それぞれだと思いますが、私はAのほうがスマートで美しく、Bはややボテッとした重い印象となり、ファッションでいうなら、手足が長く見える着こなしと、そうではない場合の、2つの例のように見えませんか?
繰り返しますが、両方とも原形はまったく同じ寸法・形状です。

前置きが長くなりましたが、動画の店舗に並ぶピアノは、手前右のBから大きさ順に並んでいて、奥にあるのがOもしくはMだと思われますが、その大屋根の形がNYの比率のように見えたのです。
しかも上記のように、現在はNYもHB仕様のルックスになっているので、パッと見だけではわかりません。

動画出演者は店員さんと会話をしながらあれこれのモデルを試しますが、なぜかそのピアノには行き当たらないあたり、偶然かもしれないけれど、それがよけい疑念を膨らます要因の一つになりました。
実際には、購入を検討するお客さんには生産国は告知されるのかもしれないから、ここでなにかを断定することはできませんが、以前よりもずっと曖昧になっていることは間違いないような気配です。

いずれにしろ、スタインウェイ級の新品ピアノを買う人にとって、その生産国がドイツかアメリカかは、「どうでもいいこと…ではないだろう」と思うのです。
ジャーナリズム的にいうなら「知る権利の問題」というところでしょうか?

現代のピアノ生産においては、多くのメーカーで生産国の問題はかなりグレーな領域のようで、それはますます加速していくようですが、「iPhoneは中国製です、それが何か?」みたいに開き直りもピアノではできないのでしょうね。

クラコヴィアク

BSのクラシック倶楽部録画から『歴史的楽器が奏でるショパンの調べ〜名ピアニストたちと18世紀オーケストラ〜』を視聴。
2024年3月11日、東京オペラシティ・コンサートホール、ピアノは川口成彦/トマシュ・リッテル。

ショパンはオーケストラ付きの作品として、2つの協奏曲以外には、ラ・チ・ダレム変奏曲op.2、ポーランド民謡による幻想曲op.13、クラコヴィアクop.14、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズop.22があるのみ。
いずれも初期の作品で、20歳前に書かれていますが、すでにショパンの作風は見事に確立されているのは信じ難いほどで、歴史に残る天才とは恐ろしいものだと思います。

現在は、残念なことに協奏曲以外はめったなことでは演奏機会がありません。
op.22はピアノソロとして演奏されるし、op.2はやはりソロでブルース・リウがショパンコンクールで弾いたのが記憶に新しいところですが、op.13とop.14は演奏機会はめったにありません。

録音も少なく、私のイチオシはクラウディオ・アラウのもので、生演奏では未だ聴く機会に恵まれていません。
op.13とop.14は演奏時間もほぼ同じで、作品内容としても個人的には双璧だと思うのですが、それでもなんとなくop.14のほうが一段高い評価であるような印象。
随所に美しいノクターン的な要素があるop.13より、活気あるロンド形式のop.14のほうが演奏映えするのかもしれませんが、いずれも非常にショパンらしい魅力的な作品だと思います。

今回はop.13を川口さん、op.14をトマシュ・リッテルさんが演奏されましたが、リッテルさんによるクラコヴィアクが大変素晴らしかったことが印象的で感銘を受けました。
ピアノはタイトルが示すようにフォルテピアノが使われ、現代のパワフルかつ洗練されたピアノに慣らされている耳には、どうしてもやや頼りなく感じることがあるのも正直なところですが、リッテルさんの演奏はそのようなことをすっかり忘れさせるほど濃密で、躍動し、新しい発見がありました。
さらにいうなら、ショパンへの敬意と注意深さも終始途絶えることがなく、作品と演奏が一体のものとなり、聴く悦びを堪能させてくれるものでした。

あらためて感じたことですが、良い演奏というのは作品に対する表現のピントが合っており、すべてが意味をもった言葉となって、こちらの全身へ流れ込んでくるような心地よさがある。

もちろん事前にしっかりと準備されているだろうし、細部も細かく検討されたものでしょうが、さらに本番では霊感を失わず、今そこで音楽が生まれてくるような反応があり、それがさらに次の反応へと繋がって、まるで音符が自分の意志で動き出しているかのように感じました。
聴衆をこの状態に引っ張りこむことができるかどうか、それが演奏家の真の実力ではないかと思います。

最近は、クリアで正確だけど感動できない演奏が主流となっているので、若い世代にも稀にこういう人がいるのかと、久しぶりの満足を得た思いでした。

残り時間は18世紀オーケストラによるモーツァルトの40番でしたが、古楽オーケストラの活き活きした軽快な演奏はわかるのですが、私個人としては昔から抵抗を感じるのは、そこここでしばしば繰り返される強烈なクレッシェンドやアクセントで、あれがどうにも脅迫的で、当時は本当にそういう演奏だったのかなぁ?と思ってしまいます。

ディアパソンUP

大屋根の磨きの最中、技術者さんのスマホにはしばしば電話が入るので、その度に作業は中断を余儀なくされますが、すぐ側なのでいやでも話し声が耳に入ります。

どうやら、電話の主は新たにピアノを買うべくお悩み中らしく、数台の候補があるようで、モデル名からそれらはディアパソンのUPのようでした。
この技術者さんはとくにディアパソンに通じておられることもあり、モデルごとの特徴などを丁寧に説明されていますが、なにぶん中古のことなので、現物を見ないではそれ以上はなんともいえないと繰り返し言われています。

話の様子ではその音源はYouTubeにあるらしいのですが、「そんなものじゃわかりません」「答えられません」「現物を見て判断されるしかありませんよ」といったことを何度も言われており、至極尤もなお話です。

サイズや色などから、精一杯の説明をされていましたが、終わりのない会話にだんだん疲れられたのか、ようやく話が済むと深い溜息をつかれました。
おおよそのことはわかったので、ちょっと話を向けてみるとまさにそのとおりでした。
「私でよかったら夜その動画見てみましょうか?」というと、それはありがたいとばかりに折り返して電話されて、電話機を渡されて私もその方と話をして、その夜さっそく見てみることになりました。

それは関西の有名なピアノ店で、なんとディアパソンのUPだけが一気に4台も紹介されているものでした。
1台は猫足の125cm、残る3台は132cmですが、ほとんど黒に見える杢目で枠飾りのついたタイプが2台と、もう一台はプレーンなスタイルのマホガニーのピアノでした。
4台とも状態も悪く無い(ように思える)ピアノで、あとは予算と見た目の好みで選ばれたらいいのでは?と思い、その旨を技術者さんに伝えました。

強いて言うなら、125cmはそれ自体のバランスはいいと思ったものの、3台の132cmに囲まれてしまうと、どうしてもひとまわりスケールの小ささがわかってしまうのは、致し方ないところがありました。
ただし、それはあくまで比較するからであって、125cmも普通にいいピアノだと思ったし、さらに132cmに共通しているのは、あきらかに余裕があり、広がりのようなものを備えているなぁと感じるところでした。

ちなみに、以前から思っていたことですが、ディアパソンのUPの中でもこの黒い杢目+角窓のモデルは、色合いスタイルともに重厚なアンティーク調でえもいわれぬ風格があり、なかなか魅力的な一台だと思っていましたが、あらためて目にして「やっぱりいいなぁ!」と思いました。
さらにこの2台、見た目はまったく同じですが、一台はアグラフ仕様でもう一台は普通のタイプというのも面白い違いでした。

音の差は、個体の差なのか、アグラフの効果なのかはわからなかったけれど、アグラフ仕様のほうが若干ですが音の腰が座っているように感じましたが…大差ではなく、なにしろ動画での判断なので、それ以上のことはいえません。
現物に触ったら印象も多少違ってくるかもしれませんが、最近ではネットで見ただけで中古ピアノを買う方も少なくないのだそうで、良し悪しの問題ではなく、そういう時代になったということのようです。

動画とはいえ、ディアパソンの中古UPを4台同時比較というのは初めてだったこともあり、とても面白い経験でした。

佳き時代の名品

磨きの作業中は、技術者さんとあれこれ雑談する機会にもなりました。

とくに印象に残った話など。
むかしは国内大手のピアノメーカーでも、会社が一丸となって「いいピアノ」を作ろうと云う気概と情熱にあふれていたころがあって、今では考えられないような良質な材料を惜しげも無く使うなど、高い理想を掲げて制作されていたとのことでした。
時代的に云うと、1960年代あたりからのようです。

技術者として、その時代のピアノに触れて感じることは、作り手の熱意が直に伝わってくるとのこと。
「三つ子の魂百までと言われるとおり、いかに志をもって制作され、丁寧に調整を施されて出荷されるまでが大事で、それがピアノの一生を決める」というものでした。

カメラなどでもそうだと聞きますが、昔の逸品には作った職人の手間ひまや息吹が感じられて、工芸としての価値や重みもある。
本物だけが持ち得るもので、価値あるものすべてに通底するようです。

時代も移ろい、あらゆることが変化したいま、ピアノづくりだけがそんなにピュアな精神を保っているはずはありませんが、少なくともそういう時代があったこと知るだけでも大事だし、自分で触れるなりして正しくその価値を評価すべきだと思いますが、ピアノはなぜか冷遇され、なかなか再評価の風が吹きません。

たとえば有名なフリマサイトなどにもピアノは多数出品されていますが、そこでは製造年の新しいものが人気で高値で取引されるのに対し、上記の時代のピアノとなると、それがどんなに贅を尽くされた最高級クラスのものであっても、古いというだけで敬遠され、驚くばかりに安く値付けされてしまい、それでもなかなか買い手がつかないのが現実のようです。

ピアノの価値基準というのはなかなか判断が難しいところがあることも否定できませんが、それにしてもそのあまりの不当評価にはやるせないものを感じます。
まるでクルマのように年式と走行距離とコンディションで…といいたいところですが、実はクルマのほうが熱心なファンが多いせいか旧き佳き時代のものは、とくに近年は価値が見直されています。
いったんその風が吹くと、「こんなものが?」と思うようなものまで連動して価格高騰しています。
古くて希少というだけで、ほとんど見るべきもののない中古車なんぞに比べたら、この時代のピアノは比較にならないほどの高い価値があると思うのですが、悲しいかな市場がまったく反応しない。

もしUPで50〜100万円ぐらいの予算があるなら、新しいというだけでペラペラの「合成ピアノ」を買うより、佳き時代の名品を買ってリニューアルして使ったほうが、どれだけ豊かで実り多いピアノライフが送れるだろう…と思います。

尤も、いまピアノを買う人は、仮に子供にピアノを習わせるというような動機だとすると、その子が成長して独り立ちすると弾く人がいなくなる、あるいは大人になって趣味でピアノを買う人も、その当人が弾かなくなったらたちまちジャマモノ扱いとなり処分されるなど、せいぜい20年ぐらいしか使われないケースが多いのかもしれず、家の中でもピアノを弾くのは特殊な存在で、なかなか生活に自然に根付く存在とはならないようです。

現実はそうだとしても、でもしかし、はじめから使う期間のおしりを切って、それに見合ったものでよいというのも、あまりに寂しい気がするし、だったらいっそピアノなんかやらなくてもいいのでは?

磨き作業に参加-2

二日目はバフ研磨で、電動工具を使うため、私はさすがに遠慮しましたが、何枚もの円形の布をバウムクーヘンのように重ねた部分が高速回転し、そこにコンパウンドの塊のようなもの(名前を失念しました)を当てながら、端から丁寧に磨いていくと、少しずつ艶らしきものが現れてきます。

バフがけは熟練を要する作業で、バフの当て方とか力の加減、動かす方向によって仕上がりを左右するので、見ているぶんには面白かったけれど、集中力を要する大変な作業で、大屋根は面積も広いため時間もかかります。

ひと通りバフ研磨が終わったところで、方々から角度を変えながら仕上がりをチェックし、少しでも磨き足りないところや、磨き目のムラなどがあるとすぐに修正が入って、そういうことが延々と繰り返されます。

これが終わるとピカピカですが、さらにここから極細コンパウンドによる鏡面磨きとなり、ここでは手作業となるため大いに手伝いました。

最後にピアノ本体に取り付けて完成ですが、2日間にわたって12時間ほどかかり、ヘトヘトに疲れましたが、そのぶん普段できない、貴重な経験をさせてもらいました。

これまで「外観だけ磨いて、中の整備はそれほどでもない」などと軽口を叩いていましたが、GPにしろUPにしろ、使用感のあるピアノの外観をきれいに変身させるまでには、実は相当な人手を経ていることが身をもってわかりました。

外観を磨くことをどこかで「ごまかし」のように思う部分もありましたが、これもれっきとした手作業の世界とわかりました。
プロと呼ばれる人たちの作業の丁寧さと、そのための集中と忍耐力には頭が下がります。

素人はワザ云々の前に、何時間でも黙々と同じことをやり続けるだけの忍耐力さえないわけで、やはりプロの仕事というのはすごいものだとあらためて知りました。

学びの多い、貴重な二日間でした。

↑バフ研磨が終わった段階。
ここからコンパウンドによる鏡面磨きと、まだまだ作業は続きます。

磨き作業に参加-1

ある技術者さんとの話の成り行きから、大屋根が傷だらけになったGPの塗装の磨きをお手伝いしてみることになりました。

中古ピアノを取り扱うお店に行くと、かなり古いピアノでも外観は新品のようにピカピカに磨き上げられているのを目にすることがありますが、これは一般人が真似できるような次元のものではないから、その磨き術には強く興味を覚えるところでした。
それをほんの一部でも垣間見る、いいチャンスが到来したわけです。

そのピアノの傷とくすみはかなりのもので、長年カバーもないまま上に物が置かれたりの繰り返しで、素人目にもコンパウンド等で磨いてどうこうなるような生やさしいものではありませんでした。

まず慎重に大屋根を外し、作業スペースに広げられたビニールシート上に移動、さらには大屋根じたいも前後バラバラにされ、小さなゴムパーツなども外しますが、これだけでもかなり手間のかかる作業で、この時点からすでに大変さを予感。

ペーパー(紙やすり)を硬いスポンジにあてがい、水や石鹸を含ませながら表面を削っていきますが、技術者さんが言われるには決して円を描いたりせず、決まった方向にだけ直線的に磨くようにとのこと。

これがいきなりの重労働で、墨汁のような黒い汁がそれらじゅうにあふれるし、準備していたビニールの使い捨て手袋など、あっけなく破れてしまってものの役にも立ちません。

さらに、ペーパーは荒いものから目の細いものへと、順次変えながらひたすらこれを続けます。
おしゃべりはできるけど、手は休められないという作業です。

途中休憩以外はこれだけで数時間を費やし、不慣れな私の疲れ具合も考慮されたのか、残りは後日に持ち越されました。

この時点で、表面はニューヨークスタインウェイのヘアライン仕上げのようになり、個人的にはこれが一番いいなあ…と思うほど雰囲気はガラリと変わってしまいました。

─続く─

ヤマハの価値-追記

一部の高級機のことはわからないけれど、ヤマハピアノの中核をなすのは世界の頂点に君臨する量産ピアノで、その高い信頼性や工作精度の確かさはもはや世界の認識。
ヤマハはピアノ界のトヨタといって間違いありません。

とりわけアクションの精度の高さは、他の追随を許さぬものがあり、一説によれば「二位がないほど世界一」なんだとか。
そのためヤマハのアクションを使っているヨーロッパメーカーも存在するらしく、到底かなわないものは、それ自体を使ったほうが得策だという発想でしょう。

ヤマハのアクション技術の高さについては、多くの技術者さんが口をそろえて言われるところで、これについては批判の声を聞いたことがありません。
しかもそれは大量生産品であるとなると二重の驚きでもありますが、よくよく考えてみれば、その高いクオリティは最高級の機械による大量生産だからこそ成し遂げられたことかもしれない…とも思うことがあります。

手作り手作業が価値をもつピアノの世界ですが、手作業なら何でも良いというものでもなく、精度がものをいうパーツなど、高度な機械から生み出されるほうが好ましい部分も確実にある筈で、ヤマハのアクションはまさにその賜物だろうと思います。
その意味で、ヤマハはピアノ生産の新たな地平を切り拓いた偉大なメーカーと思います。

ただ、個人的な好みで云うと、このピアノも他で弾いたGPも同様ですが、アクションという複雑な構造をおよそ感じさせない軽やかなタッチは「弾きやす過ぎて、弾きにくい」とへんな言葉ですが、そう感じるのも事実です。
個人的にはもう少ししっとりした抵抗(重いという意味ではなく)や、弾いている実感が伴うがほうが好みではあります。

良心的な価格、高い品質、パワー、信頼感という点においては、これに勝るピアノはないのではないかと思いました。
しかもそれは西洋音楽の歴史もない、東洋のメーカーから生み出されたのですから、ヤマハの出現はピアノ界にとっては黒船だったことでしょう。

ショパン・コンクールの公式ピアノになったときも「はじめは我々も懐疑的だった」といっていましたが、カワイともどもよくぞそれを突破したものだと思います。

ヤマハの価値

ヤマハのUPピアノを落ち着いて弾く機会がありました。
1996年製のUX300で、X支柱、アグラフ仕様、サイズは131cm、トーンエスケープという譜面台を手前に引き出すタイプで、その両端には縦に木目があしわれた、現在もYUS5として続いているおなじみのスタイル。

ヤマハは子供の頃から20年以上お世話になったので、私の体の深いところにはその経験が残っているようで、眠っていたものがよみがえって懐かしく感じるところが多々ありました。
どのメーカーにも言えることですが、サイズや形状(GPかUPか)や製造年が違っても、ブランドの個性は綿々と引き継がれるものらしく、これは考えてみればきわめて不思議な事だなぁと思います。
いわばピアノのDNAみたいなものでしょうか?

以前、有名ショップでスタインウェイのUPを触らせてもらったとき、あまりにもスタインウェイの音だったことは想像以上で、かなり衝撃的だった記憶があります。

ヤマハに戻ると、やはりGPでもUPでも、そこに通底するものは同じ肌触りであることをまざまざと感じます。
もちろん、各モデルや個々の状態で違いがあるのは当然ですが、ここで言いたいことは、そこに吹きこまれたメーカー独特の世界や手触り、スピリットが同じだということでしょうか。
こういうことをひっくるめて「ブランド」というかもしれません。

ヤマハでなによりも感じるのは、健康な骨格に恵まれたアスリートのような頼もしさと、全音域にわたるヤマハらしいバランスでしょうか。
どの音域も互いの連携がとれており、中音以上での華やかな輝き、低音の太い迫力などいずれもぬかりなく、さらによく出来たアクションに支えられてタッチも軽快、どこをみても死角のない製品で素直に大したものだと思います。

音にはガツっとくる迫力があり、労せずしてよく鳴ってくれますが、あまりに奏者に向けて音が盛大に向けられてくるあたり、これは慣れないと少し戸惑いました。
逆にこれが普通になってしまうと、他のピアノでは物足りなさを感じてしまうのではないか?と心配になるほど。
人間の感覚は、かなりの部分が相対的だから、濃い味付けに慣れている人が薄味の料理を食すと、食べた気がしないようなものかもしれません。

いずれにしても、量産ピアノでこれだけ活気があって、バラつきのない高品質が維持され、耐久力にも整備性にも優れる(らしい)というのは驚くほかはなく、ヤマハが世界を制したのも納得です。

同曲異奏

BSのクラシック倶楽部では、内容がしばしば再放送となることがあります。
CDならば繰り返し聴くけれど、録画のほとんどは消してしまうので、この再放送はちょうどよい感じの「もう一度視聴してみる機会」となっています。

過日は、小林愛実さんとリシャール=アムランさんのショパンが立て続けに再放送されました。
両者ともにショパン・コンクールの上位入賞者ですが、今回は偶然なのか2日連続でおふたりの24のプレリュードを聴けたのは興味深い比較となりました。

小林さんは先のショパン・コンクールでもこの作品を弾かれていますが、今回の演奏はコンクール直前に日本で収録されたもので、ほぼ同じような演奏だと感じました。

隅々までよく仕上げられていることは痛いほど伝わりますが、それは「磨き上げられた」というよりは「徹底したコンクール対策」というほうが強く前に出た印象でした。
チリひとつなく、張りつめたような緊張感、すべてがコントロールされているのはすごいなとは思うものの、聴いている側も息がつまってクタクタに疲れます。
なんとしても上位入賞を果たすという強烈な意気込みというか、日本的な精神芸を見せられるようでした。

コンクール終了後の総括として、優れていた演奏のひとつに彼女のプレリュードが入っていたことは驚きで、こういう演奏が今のショパン・コンクールでは評価されるのか?と驚いたし、反田氏も「彼女のプレリュードは素晴らしかったと思う」とわざわざ言っていたことなど、個人的には目を白黒させられるばかり。

翌日のリシャール=アムランは、見事なまでにすべてが違っていました。
全体にも、細部にも、ほどよい情感とバランス感覚がなめらかに行き渡っており、とにかく自然で安定感があるし、それでいて注意深くショパンの世界は尊重され守られいるのは、さすがでした。
ピアニストが作品を通じて呼吸しているとき、演奏は心地よい音楽となり聞くものを悦びに誘われます。

私見ですが、このop.28は各曲が独立したかたちにはなっているけれど、全体を一つの作品としてとらえることが通例化し、多くのピアニストがそういうアプローチをしているよう感じます。
各曲は見えない糸で繋がった、ショパンの音の回廊のような作品だから、各曲とその間合いをどう取り扱うかは演奏者の任意に委ねられていると感じます。

小林さんの場合、その間合いがあまりに長いため、次の曲との関係性や呼吸感が切れてしまいます。
一曲一曲、一音一音を大切にするあまりか、息を止めんばかりの集中は、どうしても重くなり、丁寧な演奏とはこういうことなのか?と考えさせられてしまいます。

小林愛実さんという才能あふれるピアニストは、以前はもっと天真爛漫に元気よく弾かれていたように思いますが、現在のそれはまるで別人の振る舞いのように感じることがあります。
ご本人の成長と円熟によるものかもしれないけれど、どこか演出され制御された感じが拭えず、私は音楽はもうすこし本音で語ってほしいなと思うタイプなので、建前はもう結構ですから「ぶっちゃけ」でしゃべってくださいと言いたくなります。

ピンの根元

チューニングピンを磨いてみたら、意外にきれいになったことで味をしめ「だったらここも…」と欲が出て、その下のフレーム部分のホコリなどをもう少しきれいにしたくなりました。

しかし、ピンの付け根付近は「掃除不可」といわんばかりに弦が整然と張られており、そのわずか数ミリ下をかいくぐるようにして積もったホコリを取り除くのは相当な難題です。
おまけにフレームと弦の間は数ミリと非常に狭く、道具類を差し込む余地がないから、見れば見るほど心が折れそうになります。

除去したい汚れやホコリはすぐ目の前だというのに、弦が立ちはだかって手出しができないのは、もどかしいと言ったらありません。

その難易度はピン磨きどころではないし、無理をして万が一にも弦に損傷を与えるわけにもゆかず、古典的な方法ではあるけれど、綿棒を使ってみることに。

さっそくダイソーに行って、「普通サイズ」とさらに細い「赤ちゃん用」という二種類を購入。

作業をはじめたものの、思った以上に現場は複雑ではかどらず、作業は遅々として進みません。
進まない理由のひとつは、綿棒は思ったよりも先端の接地面積が小さく、なかなか面として広がらないから細いサインペンをコチョコチョ動かしているようなもの。

あたかもファイリングされたハンマーのようで、先はごくわずかしか当たらず、こんなことをやっていても埒があかないし、仕上がりも好ましいものにはなりそうにない。
そこで、包丁用の砥石に綿棒の先端を当ててこすって、先端をほぐし、細字から太字ぐらいに拡大したらいくらかマシになりました。

しかも弦の下は普通の綿棒では入らないので、ここでは細い赤ちゃん用がずいぶん役立ちました。

あまり根を詰めると腰や肩がやられそうで、少しずつ数日にわけての作業となりました。
とくに満足というほどでもなく、別の方法も考えみようと思っていましたが、良いアイデアも浮かばないし、日が経つとだんだん面倒くさくなりました。

いやはや…ピアノの内部掃除は大変です。

ロゴ

以前、May4569さんからいただいたコメントの中に、ピアノメーカーのロゴと音の関係に触れておられましたが、たしかにそうだな…と思いました。
人は「名前のような人間になる」というのをむかし聞いた覚えがありますが、ピアノもそうかもしれません。

たしかにスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、ヤマハ、ブリュートナーなど、多くのピアノではロゴがなんとはなしにその音や楽器の性格まで表しているように感じます。

中には、伝統的な美しいロゴが変更されて、味気ないものになったりすることもあり、非常に残念に思うことも。

昔のグロトリアンは、ほれぼれするほど美しいロゴだったものが、諸事情から変更になったことは仕方ないにしても、それがただ活字を並べただけの無味乾燥なものになっているのは、ピアノが素晴らしいだけに理解できないものがあります。

ブリュートナーも伝統の流麗な筆記体のものがあると思えば、ただの平凡なフォントのものもあるのは、いったいどういう区別なのやら、これまたよくわかりません。

スタイリッシュで目を引くと仰せのファツィオリは、まさにグッドデザインでさすがはイタリアだと思いますが、音とロゴが一致しているか?となると、私にはどこかしっくりこないものが残ります。
このあたりは各人の感じ方にもよりますが、個人的にはもっとあのロゴのような音であってほしいのです。

時代を反映して個性を出さないよう配慮されているようで、まさに今どきのコンテスタントの演奏のように、だれからも幅広く受け容れられて、アンチを生まないための用心深さを感じてしまうところがもどかしく残念です。
今どきはビジネスのことまで周到かつ分析的に考えるから、まさにコンクールと同じで、まんべんなく加点が得られるよう中庸に躾られているのでしょう。
イタリア的な奔放と豪奢を期待していると、やや肩透かしを喰らうようです。

シゲルカワイはピアノの素晴らしさに対して、ロゴはどうなんでしょう。
とくにスタインウェイのライラマークの位置に、ピアノの形をした枠の中にSKの文字が嵌めこまれたアレは何なのか、まるでわからないし、それが鍵盤蓋やサイドはもちろん、なんと突上棒の途中とか、椅子、譜面台にまで入っているのは…??

ベヒシュタインは、以前は笑わないドイツ人みたいな四角四面なゴチック体で、それが一回転して個性のようになっていましたが、最近のロゴは少し細身になり、ちょっとだけ今風になったというか、頑固なお父さんより息子のほうがフレンドリーになったような感じでしょうか。

ヤマハはまさにヤマハであって、海外に行った人が帰りの空港で鶴のマークを見ると安心するそうですが、同様にあのロゴの前に座ると心が落ち着く人も多いのかもしれません。

ピアノにとってのロゴはまさに顔のようなものだから、非常に大切なものだと思います。

廉価ピアノ

このままピアノ価格が値上げを繰り返して、手に入れることが難しくなればなるほど、中古や廉価なピアノが注目される可能性は高いでしょう。

ただ、始めからロープライス目的で作られるピアノに一抹の不安を覚える人は少なくない気がして、かくいう私もその一人なのですが、その不安は中古ピアノの比ではない予感がします(あくまで予感です)。

中古ピアノは根本が良いものであれば「直す」という道があるのに対し、材質や作りそれ自体に問題がある場合、打つ手がないからです。

今や有名ブランドの高級機種でも、部分的に木材以外の素材が使われていることは周知の事実として囁かれていることです。

それは天然資源の枯渇だなんだと表向きはいわれますが、個人的にはもっぱらコストではないかと考えています。

いま、木以外の素材が使われている部分というのは、いちおう直接音には影響しない、もしくは影響の少ない部分なのだろうとは信じたいところですが、その一線が守られているかさえ確かなことはわかりません。

譜面台や足やペダルユニットが天然木でなくてもいいとなれば、生産する側は都合がいいはずです。

当節、天然資源の枯渇だ地球環境だと言えばだれも反論できないし、いかにも納得の得られやすい話のように聞こえますが、建築資材や木を必要とするあまたの製品など、そのとてつもない消費規模に比べたら、たいした数でもないピアノのパーツが作れないほど、この世の木材が枯渇しているなどとは、私にはとても思えないのです。

ただ、天然木はピアノのパーツにするまでには水分除去から木工作業など、多くの手間ひまがかかるわけで、それを別の素材でガッチャンと型にはめて作って済むのなら、比較にならないほど低コスト、しかも製品として安定したものがいくらでもできるでしょう。

では直接音に関わる部分とはなにかといえば、響板、駒、フレーム、ボディ、フェルトや弦などということになりますが、躯体部分が透明な樹脂製のピアノがあるように、要は何を使ってもいちおうピアノにはなるし、セオリー通りの構造につくればそれなりのピアノの音は「出る」わけで、欧州では化学素材の響板の試作などもされているようです。
それをおもしろいと見る向きもあるかもしれませんが、真っ当なピアノがほしいと願う人にとっては疑心暗鬼が広がって怖い話でもあります。

また、粗悪なピアノ中には、ベニア合版の上に白っぽいいかにもな杢目のシールを貼って響板として使ったピアノもあるようで、裏を返せばそれでも音や音階はいちおう出るわけだから、闇は深いといいますか…ほとんどホラーですよね。

遠くなるピアノ

ネットを何気なく見ていると、思いがけない記事に出くわすことがありますが、読むなり気分が曇っていくようなものを目にしてしまいました。

ピアノの価格に関するもので、国内産のピアノは(すべてかどうかはともかく)毎年10%!もの値上げを繰り返しているという記述があり、まったく知らなかったので、単純に、素朴に、驚きました。
GDPの成長率も思うよう伸びないのに、毎年10%アップとはおだやかではない話です。

値上げの理由はいろいろあるようですが、需要の減少、熟練工の不足、天然資材の枯渇、物価上昇、賃金の値上がり、さらには長引く円安なども絡んでいるようで、もしかすると中国市場の極端な低迷なども影響しているかもしれません。
しかも、この「毎年値上げの方針」は、当分収まる気配がないというのですから深刻です。

以前であれば、日本人にとってピアノは国内メーカーのおかげもあり、その気になればなんとか手に入れられるものでしたが、それらも近ごろではずいぶんと立派なプライスとなり、さらにこの先そのような値上げが続いたら、時が経つほど縁遠い存在になる。

もし毎年10%の値上がりが続くと、5年後には手ごろなグランドでも400〜500万円、プレミアムモデルではその遥か上を行く価格となり、10年後には1000万円を越えるものも珍しくなくなるだろうとの予測までされており、開いた口がふさがりませんでした。

フェイクが横行するネットの世界、はじめは「まさか!」と思いつつ、K社の価格改定をみると確かに全機種がほぼそうになっているし、Y社も時期や値上げ幅にはばらつきはあるものの値上げ方向であることに変わりなく、この先、ピアノは文字通り高嶺の花になってしまうのか?
将来ピアノを買う(買い換える)という目標があっても、年々ピアノのほうが空高く離れていくようで、なんたることか!と思いました。

そこにあったアドバイスのひとつは、欲しい人は一日も早く購入すべき!というもの。
長期ローンを組んだとしても、毎年10%の値上がりよりはbetterというもので、反論できないシンプルな理屈でした。
個人的には新品に未練はないけれど、中古ピアノも新品と価格連動するから相場全体が上がっていくだろうし、なんとも息苦しい時代に突入したものです。

試しに電卓を打ってみたら、毎年10%ずつ高くなると5年後には1.6倍、10年後には2.6倍で、100万円は260万円に、300万円は780万円になるとわかり、クラクラしました。

日常の中にあるもの

頂戴するコメントの中に、フジコさんの音の美しさに関して、御母上(大月投網子さん)から受け継がれたブリュートナーのことに触れられていたのは、大いに頷けるところでした。

感性の基礎を形成する幼少期から、自宅にそのようなピアノがあったということは、かなりの影響があっただろうと思われます(いつから大月家にあったものか、正確なところはわかりませんが)。

海外の優れたピアノは、とりわけ戦前のものは音そのものが美しいだけでなく、繊細なタッチや音楽性を知らず知らずのうちに引き出してくれるから、さほど意識せずとも美しいものを慈しむ習慣が身につくだろうと思います。
演奏者のタッチや気分の変化に、ピアノが敏感に音として反応してくるのは、弦楽器のボウイングにも通じるものがあるかもしれません。

一般的に雑なタッチで弾く人は、その人が育ってきた教育環境とか、使われた楽器も無関係ではない気がします。
誰がどんな弾き方をしても、それなりに鳴ってしまうピアノを「普通のピアノ」と思ってしまうと、音色への感覚が薄れ、ひいては音楽に対するスタンスまで変わってくるはず。

昔は、多少叩くような弾き方をしてでも、難曲大曲をバンバン演奏できることが正義で、そこに秀でることに価値がありましたが、そうなってしまった原因のひとつに、使われた楽器の性質にも責任の一端があったかもしれません。

全体として、日本のピアノがとても素晴らしいことは誰もが認めるところですが、強いて弱点を挙げるとするなら、音色変化や歌心というか…表情が乏しく、曲になった時の収束感が薄い気がします。

ちなみに、戦前のブリュートナーの中には、フレームも厳かで絢爛たる装飾にあふれたモデルがあり、日々そういうピアノと接するだけでも、感性を刺激するところ大だと思います。
そんな幼少期から、波乱に満ちた数々の人生経験、孤独や絶望、そして晩年になって光が差し込んだフジコさん、だからその演奏には耳を傾けてみる値打ちがあったのだと思います。

写真は海外のサイトより一部を拝借しました

新品とは?

少し前に書いた、「試弾は使用になる?」という疑問は自分の中にぼんやりあったのですが、大元になる経験を「そうだ、あれだった!」と突然思い出しました。

たしか5〜6年前のこと、ある輸入物の小型アップライトピアノを試弾したくて、やがてそれは岡山から東京まで広がりましたが、これという結論も出せずにいた時のことです。

ネットに関東のあるピアノ店で、同型の在庫をもっているところがありました。
そのピアノはすでに数年が経過しているらしく、その間にフェルトの色が新色に変わるなど、厳密には旧型といえるものでした。

数年間という短くはない期間、店舗に置かれていたということは、大事にされていたにしても、試弾も繰り返しされただろうし、お店の小さなコンサートなどでも使われることがあったようでした。
つまり楽器としての価値云々ではなく、商品としてみれば「旧型で長期在庫品」という事実を背負ったもので、こちらからみれば「新古品」というぐらいのイメージでした。

そういうことを踏まえて、価格などをごく普通に質問してみたつもりでしたが、返ってきたメールはえらく憤慨の様子で、およそ以下の様な主張を頂戴することに。
「そのピアノは発売された当初、自分が惚れ込んで仕入れたもので、一度も販売していない新品です!」
「入荷いらい、極めて大切に管理しており、しっかり整備もしている」
「今入ってきたものよりも熟成しており、最高の状態にあるにもかかわらず、そのようなことを聞かれたのは心外であり驚いた」
「このピアノの価値を理解される方に販売したいと考えています」というようなものでした。

驚いたのはこちらのほうで、「お気持ちを傷つけたのならお詫びします」と返信して、連絡を絶ちました。

人気のモデルで、中古も出たらすぐに売れてしまうのに、何年も買い手がつかないのはそういう訳かと苦笑いでした。
しかし、このことは結構なインパクトがあって、新品ピアノに対する定義を考えさせられるきっかけとなったのです。

入荷して一度も販売されていなければ、たとえ何年経過しても新品といえるのか?…と。

ピン磨き

新しいピアノ、あるいは弦を交換したピアノで目を引くものに、キラキラと眩しいチューニングピンがあります。
銀色に輝くピンの森は、目にも心地よいもの。

しかし、このピン周りのエリアは掃除がやっかい(というか不可能に近い)で、無数の弦が邪魔をしてなかなか手がつけられないため、どうしても汚れとホコリが年々堆積してしまいます。
そんな汚れなど、ピアノの音や本質には関係ないと言われてしまえばそうかもしれませんが、それでも、やはりきれいであることに越したことはありません。

我が家のグランドは30年ほど前のものですが、チューニングピンのキラキラする輝きはもはや失われ、全体にうっすらくすんでおり、新しいピアノのピンを見ると「わぁ…」となっていました。
そこはもうあきらめていた筈なのに、ボディをきれいにすると、どうしてもそのあたりが気になってくる。
いまさらですが、なんとかしたいという思いがついに抑えられなくなり、少しずつでも挑戦してみようという気になりました。

とはいえ、場所が場所だけにあまりヘンなことをするわけにもいきません。
クルマ磨きの経験から考えたのは、化学雑巾に某クリーナー(ココナッツオイル由来の天然成分による)をほんの少量ですが繊維にうすく染み込ませてからおそるおそる一本ずつ磨いてみることに…。

ところがピン同士の間隔が狭いため、周囲のピンがつねに指先に接触するのが邪魔だし痛いしで、作業がやりにくいといったらありません。
おまけに数が多いから(約230本?)、結構時間もかかってかなり疲れるので、休憩を挟みつつ数回に分けて磨き作業を続けたところ意外ときれいになりました。

サビや変質であればこうはいかないと思いますが、比較的順調に汚れが取り除けたということは、単純な汚れの蓄積だったのだろうと思います。
こんなことならもっと早くやればよかったと思いつつ、やり出すと、次なるターゲットが出てきてまた頭を悩ませます。

フジコ・ヘミング

2024年4月21日、フジコ・ヘミングさんが亡くなられました。
生前、年齢は公表されなかったけれど、92歳だったと知って驚きました。

このピアニストについては、擁護派と批判派が真っ二つであったことが印象的で、日本の音楽界で好みがこれほど分かれたピアニストは珍しいでしょう。
フジコさんは、ピアノだけでなく、生き様のすべてを自分の感性で染め上げた方でしたが、ツッコミどころも満載でした。

批判派の言い分もわかるところはあるけれど、普段あまり自分の意見を示さないような人まで、フジコとなると気色ばんで容赦ない口調となるのはいささか面食らったものです。
好みや感じ方だからそれも自由ですが、ならば他のピアニストに対しても、それぐらいはっきり自分の感想や意見を持ってほしいと思ったり。

なぜそんなに好みが分かれたのか。
第一には演奏のテクニック(主には指のメカニック)のことが大きいようで、ピアニストとしてステージで演奏するような腕ではないというのが主な言い分のようでした。

たったひとつのドキュメント番組によって、突如世間の注目を集めるところとなり、いらいCDもコンサートも売上は記録破りで、その人気ぶりは、一部の人達には容認できないものだったようです。

もちろんプロのピアニストにとっての技術は不可欠で、それなくしては成り立たないものですが、フジコさんのピアノはそれを承知でも聴いてみる価値があったと思うし、美しい音、とろみのある表現、さらにそこからフジコさんお好みの文化の世界が切れ目なく広がっていることを、感じる人は感じたに違いなく、私もその一人でした。

好みが分かれたもうひとつは、世間の基準に従わず、おもねらず、びくつくことなく、誰がなんと言おうと自分流を貫いて平然としているその様子が、ある種の人達には快く映らなかったのでは?

きっかけはたしかにNHKのドキュメント番組でしたが、私の見るところ、それ以降はご本人の実力でしょう。
ピアノはもとより、絵画、服飾、動物愛など、稀有な芸術家としての総合力で立ち位置を得た方だと思います。

フジコさんの手から紡がれるスローで孤独なピアノには人の体温があり、なにか心に届いてくる不思議な魅力があって、それが多くの人達に受け入れられたのだと思います。

実際の演奏会にも行ったことがありますが、たしかに技術の弱さでハラハラすることもあったけれど、同時に「美しいなぁ〜」「ピアノっていいなぁ〜」と思う部分がいくつもあり、これはなかなか得難いことだし、結果的にそんなに悪い印象は持っていません。

難曲をことも無げに弾くばかりが正義じゃないと、技術偏重の世界に一石を投じたような意義は「あった」と私は思っています。

調律の力

我が家のグランドは、これまで少々遠方から調律師の方に来ていただいていましたが、このところお呼びする暇もなく、さらにあまり弾かないことも重なって、つい間隔が空いてしまいました。
先日、気になっていた調律をようやく終えることができました。

今回は「試しに」といったら語弊があるけれど、比較的近くにお住まいのとても誠実な調律師さんがおられるので、その方にお願いすることに。
女性の方で、現在は女性のピアノ技術者さんも珍しい存在ではなくなりましたが、そうなる以前に修行を積まれた方です。

その方の師匠は地元ではかなりその名が轟いた方で、ご当人の真面目なお人柄とあいまって、しっかりと技術を積み上げておられ、これまでにも幾度かお願いしていました。
技術的にも奇抜なワザなどは一切使われない、ごまかしのない仕事をされ、まさに正攻法の調律を信条とされているようです。

その結果、今回は思わぬ発見がありました。
今回は時間の関係で整音はされず、ほとんどを丁寧な調律に費やされたのですが、その結果、ピアノは美しく整っただけでなく、予想以上に派手できらびやかな音になり、大げさにいうとホールのピアノみたいで、すっかり恐れをなしてしまうほどでした。

ということは、調律すれば、ピッチが上がって全体が整い、音の印象が明るくなるだけでなく、かなり華やかにもなるということを体験できたのかもしれません。
ある程度はわかっていたつもりでしたが、そこには想像をこえた効果があり、あらためて調律というものの効果というか、威力に驚ろかされることになりました。

これまでは、調律と併せて多少の整音作業が行われるので、音の角が丸められることで調律効果による華やかさはかなり抑えられ、ずいぶん相殺されていたんだということが、はっきりわかりました。

技術者の方にしてみれば、アナタ、いまごろそんなことで驚いているんですか?と一笑に付されるかもしれませんが、素人ですから、そうなんです。

ハノンが嫌いな理由

ピアノを楽器マニア的な側面からとらえると、通常の人にはないであろうバカバカしい、しかし大真面目な悩みなどが出てくるものです。
楽器と名のつくものは弾かれることで、さらによく鳴るように育っていくということは常識ですが、マニアはその一面ばかりを喜んでいるわけにもいかなかったりします。

弾けば弾いただけ、消耗品は文字通り消耗することも事実で、これはクルマが走るだけタイヤは減り、ダンパーやブッシュ類はヘタり、機械も傷んでいくのと同じです。
さらにその消耗はというと、常に全音域にわたって好ましく使いこなせるならともかく、いいとこ中級者レベルの弾き手では、低音域と高音域は弾かれる機会はかなり少ないのが現実。
つまり中音域の4〜5オクターブのあたりばかりが常用され、両端の音域は音を出すこともめったになく、そのぶんハンマーの摩耗にも偏りが現れます。

数少ない楽器好きな知人は、いちおう自身の練習もしてはいるものの「ハノンなどやりたくない」と言いますが、その理由が普通とはかなり異なっています。
ハノンが嫌われる一般的な理由は、退屈で、機械的な指訓練に辟易するというようなものですが、この人の場合は「ハノンは特定の音域の、しかも白鍵ばかり使うからハンマーの消耗が(とくに黒鍵と)均等ではなくなるのが気になってイヤだ」というわけで、実は私もまったく同感なのです。
だからといって、ハノンを全音域で、しかも半音階でやっていくわけにもいきません。

楽器マニアというのは、ピアノを道具として割り切ることができないから、ピアニストの弾き方ひとつでもピアノが傷みそうな演奏をする人は、それだけで体質的に好きになれないものがあります。
曲も同様で、シューベルトの魔王などは曲の好みはさておいて、あの終始続く激しいオクターブ連打が気になって仕方ないのです。

いつだったか、NHKの日本人作曲家によるピアノ特集のような番組の中で、2台ピアノとオーケストラの作品が採り上げられ、作曲者名などすっかり忘れましたが、なんと二人のピアニストは開始早々から特定の音だけを執拗に連打し続けるというものでした。
こういうものを見せられると拒絶反応ばかり湧き上がって、作品や演奏を楽しむどころではなく、楽器を傷めているようで、それに使われた2台のスタインウェイが気になって仕方ありませんでした。
仮にお店のショールームでこんな弾き方をしたら、間違いなく追い出されてしまうでしょう。

まあこれは極端としても、自分のピアノが他者に弾かれる場合も演奏の巧拙ではなく、ハンマーに過度な負担のかかるようなタッチを平気でする人には、口には出さないまでも「やめてー!」と心のなかで思ったりしています。

試弾は使用になる?

ピアノの劣化、あるいはパーツの消耗という点でいうと、クルマや電気製品などに比べたら、そのスピードは(使用頻度による差もある)はるかにゆるやかとは思いますが、それでも弾けば確実に消耗することも事実でしょう。

ピアノ店では、展示されているピアノは、お店の許可を得れば基本的にどれも試弾可能で、仮に一台の新品ピアノが数ヶ月から年単位で展示されたとしたら、その間にどれだけの人がどんな弾き方で試弾するのかわかりません。

どこかのタイミングでもし買い手が現れたとき、よほどの長期在庫品でもない限り、それは「新品」として扱われ、販売され、買う側もとくにその点を気にすることはないようです…今のところ。

しかしこれは、ピアノなど一部の商品に限った話で、クルマなどはひとたび試乗車として下ろしたら、その瞬間から「中古車」となり、価格もそれに見合ったものになるのが当たり前です。
もっとすごいのは家電などで、プラグを一度でもコンセントに差し込んで通電してしまうと、お店はもう新品として販売できなくなるのだそうで、新品というものはかくも厳しい条件を課されているのか!と驚いたものです。
これに比べたらピアノの新品の条件はゆるゆるです。

新品好きな日本人はとりわけ厳しいものがあるようで、どうかすると外箱のダンボールの傷みさえ嫌ったりしますが、そんな日本人でさえ、ピアノに関してはずいぶんと鷹揚だなあと思います。
ピアノにもし、クルマや家電のような新品の基準があったたなら、新品はほとんど存在しなくなるかもしれません。

クルマにはオドメーターがあるので、製造時から何キロ走行したかは一目瞭然です。
もし500kmでも走ったクルマを新車として販売しようものなら、それは裁判沙汰になるような事ですが、ピアノで同等の使用があってもまったく問題とはならない。
これは実用の点からもまったく問題ではないことが一番大きいし、そもそもどれだけ弾かれたなんて確かめようもないからでしょう。

仮にピアノの88鍵にそれぞれカウンターがあり、受けた全入力を記録することができるなら、人はそれを気にするようになり、弾かれた量が少ないほうが好まれるという実勢がうまれるかも。

幸い、今はまだそんなことにはなっていませんが、こんなくだらないことを考えるのも、時代の急激な変化によって、従来当たり前とされていたことが、ある日を境に許されない行為になったりすることが多いので、ついあれこれ想像を巡らせてしまいます。
ピアノという楽器の性質上、新品の試弾が全面禁止ということはないとしても、きわめて限られた時間とか、店側の監視つきとか、あれこれの条件がついて、少なくともお気の済むまでというわけには行かない制限は、今どきの新しい価値観に直面したとき、起こっても不思議じゃない気がします。

晩年のポリーニ

1990年頃をすぎたあたりからか、向かうところ敵なし、鉄壁の歩みを続けていたポリーニの演奏に、少しずつ小さな傷や乱れが入るようになり、21世紀になるとそれはより顕著になったように思います。

はじめに「あれ?」と思ったのは、アバドの指揮で二度目のベートヴェンのピアノ協奏曲全曲が出たときで、それまでのポリーニには当たり前だった、張りつめた集中力や攻め込みのようなものが薄くなり、全体にひとまわり筋肉が落ちたような印象をもったときからでした。
人間ですから肉体的に衰えるのは当然ですが、それに代わる内的円熟の兆しのようなものが見当たらないことが、よけいそれを際立たせた気がします。

年を追うごとに焦るような咳き込むようなところが目立ちはじめ、お得意の構造感は少しずつ形が崩れていきました。
30〜40代で見せたあの孤高の完成度と、それを支える信じ難いピアニズムの融合を知る者にとって、それは口に出すのも憚られるような深刻さがありました。
巷の論評には、円熟期に入ったポリーニの新しい境地であるというような修辞も見受けられたけれど、私にはかなり苦しいこじつけのようにしか思えなかった。

晩年はショパンのノクターンのような作品においても、かつてのように一音たりとも忽せにはしない冷徹に統御された演奏ではなく、思いがけないところで意味不明のフォルテが飛び出したり、あるいは急にテンポが変わるような弾き方になるなど、かなりの戸惑いもありました。

先日、Eテレのクラシック音楽館で放映された特集でも、2002年のバルトーク1番(ブーレーズ指揮)などはその徴候がすこし出ているし、最後に置かれたベートーヴェン、2019年お気に入りのヘラクレスザールで演奏したop.111の第2楽章などは、曲のもつ深遠なものと演奏がまるで噛み合っていないようにしか思えませんでした。
ふと思い出したのが19歳のポリーニで、数十年にわたる栄光の旅の果てに、そこへ戻ってきたのかもしれません。

ポリーニの演奏の変化を「視覚」として捉えることができたのは椅子の高さでした。
若いころは、普通のコンサートベンチでも座面が高すぎ、彼が使う椅子はいつも足が数センチ切り落とされた、異様なほど低いものでしたが、年月とともにその座面が上がっていきました。
後年は必ずと言っていいほどピアノはファブリーニのスタインウェイ、椅子はランザーニ社の赤いラインの入ったベンチでしたが、その座面はパンタグラフの骨組みが露出するほど高く上げて弾くようになってしまったのは、見ていて悲しくなる変化でした。

とはいえ、ポリーニがとてつもない空前のピアニストであったことは誰がなんと言おうと間違いありません。
コンサートでは毎回熱狂の渦で、なかなかアンコールには応じないものの、やむを得ず、ついにピアノの前に座ったら、いきなりショパンのバラードの第1番だったりと、帰り道は全身から湯気が立つような、そんな経験をさせてくれる特別なピアニストでした。

「時代の寵児」という言葉がありますが、ポリーニは自ら時代を作った人だったと思います。
その黄金期は思ったよりは短かったけれど。

初期のポリーニ

ポリーニの死去を機に、NHKでは1976年の来日公演からブラームスの協奏曲第一番がまず放送され、続いてクラシック音楽館の後半では初来日からの近年までの特集などが組まれました。
またYouTubeでも、これまで見なかった動画や音源が増えている気がします。

ポリーニといえば1960年のショパンコンクール優勝と、そこからさらなる研鑽のため約10年間公の場から遠ざかっていたことが必ずと言っていいほど語られますが、以前、何かでポリーニ自身の言葉として読んだことがあり、10年間公開演奏をしなかったというのは間違いとのことでした。
ピアノ以外のことも学びながら、それなりの演奏会(協奏曲を含む)はやっていたそうで「巷間伝わっているような10年間ではなかった」とはっきり語っていたのを覚えています。

私の手許にも、この時期に演奏した海賊版CDが数枚あるので、本人の言うとおりなのだろうと思います。
コンクール優勝時は19歳という年齢でもあり、少なくとも学業はじめ様々な学びの期間がしばらく続いていたことも事実でしょうから、そのような時を通常より長めに過ごしたのち、いよいよ国際舞台に出てきたんだろうと思います。

ショパンコンクール出場時のポリーニの演奏音源は、彼の名声のわりにこれまで少なく、ポロネーズの5番などは後年のポリーニとはかなり違っていて、まだ青い果実のようでした。
その他の演奏が(彼の死と関係があるのかどうかわからないけれど)かなりまとまった量ネットに出ていましたが、テクニックは際立っているものの、その音楽表現は19歳相応の学生っぽい感じが残っており、オファーのあるままに忙しくステージを駆け回っていたとしたら、果たしてあれほどの名声が得られたかどうか少し疑問に感じたりもしました。

なにしろ音楽の世界は早熟で、十代の中頃にして老成した演奏を聴かせる天才がいることを考えると、その面で19歳のポリーニはさほど天才的とは言い難いような印象でした。
そのことは本人も自覚していたのか、あるいは周りの賢明な判断だったのかはわかりませんが、この期間あってこそポリーニは若者から成熟した大人へと変貌を遂げ、そこからが私達がよく知るあのポリーニなんだろう…という気がします。

ダイヤは磨きとカットが命、ピアノは入念な出荷調整がその後を決定すると言われるように、19歳のポリーニはまだ磨かれる前の原石であったのかもしれません。

その研磨作業が完了したとき、満を持してペトルーシュカやショパンのエチュードがリリースされて世界は驚愕し、以降泣く子も黙るポリーニの快進撃となったことを考えると、ポリーニの魅力には幼さはあってはならないもので、だから彼が大人になるまで待つ必要があった10年間だったとも言えそうです。

ポリーニ思い出

2024年3月23日、ポリーニが亡くなったそうです。
20世紀後半、間違いなく、ピアニスト史に新たな水準を切り拓いた大ピアニストでした。

初来日のリサイタルは福岡でも行われましたが、当時ポリーニはまだ無名に近く、今のように海外の情報がリアルタイムで飛び交う時代でもないから、会場が明治生命ホールという小さなホールだったことは、その後の彼の輝かしいキャリアからすれば信じられない気がします。

シューベルトのさすらい人や、ショパンの24の前奏曲を弾きましたが、その圧倒的な演奏は子供だった私でさえ度肝を向かれるもので、それまでの大ピアニスト達の存在が一気に霞んでいくかのようでした。
当時のポリーニを初めて聴いた人の中には「食事が喉を通らなかった」「しばらくピアノに触れることもいやになった」といわしめるほどの強烈なもので、人生上の忘れがたい衝撃体験となってしまったのです。

その信じ難いテクニックと完成度の高い仕上がり、筋肉的なフォルテ、シルクのようなピアニッシモ、それでいて音色の美しさと全体にみなぎる格調高さなど、幾つもの要件を兼ね備えたポリーニは、たちまち既存のピアノ演奏の水準を書き換えました。
その後も、東京大阪など幾度となくポリーニの演奏会には行きましたが、ピアノはこれ以上ないほど充実して鳴り響き、まさに世界記録保持者の演奏現場に立ち会っているような、そんな独特な興奮を伴うものでした。

初来日は1974年だったと思いますが、それからのおよそ十数年間の演奏こそ、私はポリーニの絶頂期だったように思います。

もちろんリリースされるレコードはすべて買って、かたっぱしから聴き入りました。
ポリーニには事あるごとに「完璧」という言葉が使われましたが、その演奏はまさに建築か美術作品のようで、ピアノという枠には収まりきれないような強烈で圧倒的なものを撒き散らしていたように思います。
少なくともステージに居る限り、ポリーニはピアニストというより戦いに勝利するダビデのようでした。

ネットで調べると、初来日のリサイタルは東京・大阪・福岡の3ヶ所、福岡ではプログラム2でシューマンのクライスレリアーナを含むものになっていますが、実際にはさすらい人を弾いて、曲中なんども現れる下降するピアニシモのスケールに驚いたことを鮮明に覚えているので、おそらくは変更になったのだと思われます。

余談ですが、この時、最も恐れる先生から当日お達しがあって、客席から花束を渡してほしいとのこと。
この先生の言葉は、当時は断ることなど許されない事実上の命令であったので、我が家はあわてて花束を準備し、ショパンのプレリュードが終わって、いったん袖に下がったポリーニが再びステージに現れたとき、意を決して座席を立ってステージへ近づいて渡しました。

汗だくで無表情なポリーニが、ほのかな笑顔のようなそうでもないような感じで受け取ってくれましたが、握手は決してこちらから求めてはならないと母から言われていたので、それはナシで終わりましたが、今となってはいい思い出です。
翌日、空港まで見送りに行かれた先生が、ポリーニ夫妻は貴方が渡した花束を飛行機に乗る時も持っていたと仰って、後日その写真をくださいました。

ホロデンコとファツィオリ

クラシック倶楽部で、ヴァディム・ホロデンコの指揮とピアノによる演奏会の様子を視聴。
2023年12月、紀尾井ホール、東京21世紀管弦楽団で曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。

この方はウクライナ人だそうで、この2年というものウクライナと聞くだけで暗い気持ちになりますが、こうして外国で音楽活動ができている一面があるというだけでも、一瞬ホッとさせられます。
2013年のクライバーン・コンクールの覇者だけあって、確かな腕の持ち主のようで、まったくの危なげない弾きっぷり。

ただ、個人的には「弾き振り」というのは、昔からどうもあまり好きなスタイルではありません。
ピアノを弾きながら、その合間には間髪を入れず指揮のパフォーマンスに充てられるこの一人二役は、誰の場合でもせわしなく、見ていて落ち着けないものがあるのです。

ホロデンコは今回が初めての弾き振りだったようで、それだけ気合が入っていたのかもしれないけれど、演奏中ほんの僅かな隙間にも両手(あるいは片手)は宙を舞い、指揮者としての身振りとなり、それがあまりに熱が入っていることもあって、そこまでしなくちゃいけないものか?と思ってしまいます。
極端なことをいうと、ピアニストがそんなにまでしなくても、小編成のオーケストラはとくに問題もなく演奏できるはずです。

個人的には、事前に音楽的な面でしっかり打ち合わせをしておくことが「弾き振り」の大きな意味ではないのか?と思うし、本番ではピアニストはより演奏に打ち込んでもらったほうがいいのでは?と思うのです。

どのみちピアノパートがあるところでは指揮はしていないわけで、オケの団員にとって、ピアニストの指揮はどれくらい意味があるのだろう?と思うのですが、こんなことを考えるのは私だけでしょうか。

さて、この日のピアノはファツィオリで、しかも3mオーバーの最大モデルが使われていました。
弾き振りなので、オケの中にピアノを縦に突っ込み、大屋根を取り外したスタイルですが、いまさらですがこのピアノの魅力がうまく捉え切れませんでした。

私なりのファツィオリの印象としては、音色そのものに目をみはるものがあるというより、比較的ソフトな音を上質な響板によって分厚く聞かせるといったイメージでした。
馥郁とした音が、太字のペン書きのように聞こえてくるとき、少しずつこのピアノの魅力や美点を捉えている気がしたものでしたが、今回はまったく印象が異なり、それは必ずしも弾き方の問題とも思えなかったので、またも印象は迷走状態に…。

個体の問題なのか、技術者の意図による結果なのか、音は硬めでやや荒々しく、生臭い木の音がしてくるようでした。
聞くところでは、ファツィオリは常に研究や改良を怠らない会社だそうだから、これまでとはまた違った仕様の楽器だったのか、そのあたりの事情は知る由もありませんが、かなり意外な感じを受けました。

出張料?

なにかとお気の毒に感じる事が多いピアノ技術者さんですが、疑問に感じるところがないわけではありません。
それは、調律料金に「出張料」というものが加算される場合があり、私自身も数回経験したことがあり、知人からも同様の話を聞いた覚えがあります。

ただし、これはあくまで一部であって、多くの方は請求されない場合のほうが多く、その違いがどこにあるのかと思います。
印象としては、メーカーや販売店がらみの調律で出張料の別途請求が多いような印象ですが、未確認です。

出張料は、文字通り人に出向いてもらう際に生じる料金ということでしょうが、私見ですが、ユーザー自身がその気になれば依頼する対象物を相手側に持ち込むことができるけれど、それを選択的に技術側に来てもらう場合などに発生する料金ではないのか?〜と思うのです。
しかし、ピアノは使い手が技術者のところへ持ち込むなど到底不可能だから、依頼者側にその点での選択肢は絶無です。
ここが、ケースに入れて持ち運びできる楽器と、決定的に、かつ宿命的に違うところ。

よってピアノ技術者さんのお仕事は、ピアノのある場所へ移動することが当たり前で、それをひっくるめての仕事だと思うのです。

もちろんお気に入りの技術者さんを、自分のこだわりで遠方から呼ぶ場合などは、応分の交通費などを負担するのはその限りではありませんが、普通に移動できるエリア内にもかかわらず、一律に出張料を上乗せするのは納得しかねるところ。
金額の問題もさることながら、気分的に納得感が得られず、あとにも疑問が残ります。

要するに、調律依頼とは技術者さんの移動なしにははじまらないもので、そこへ出張料を別途請求するのはセンスとしても考え方としても同意しかねるのです。
考えてみれば家の修理でも、庭木の手入れでも、WiFiの工事でも、そこにいちいち出張費用などという慣習はありませんよね。
もしかすると一部あるのかもしれませんが、少なくとも私は経験したことがない。

むろん移動距離の限度というものはあるだろうから、それは一定の基準を設ければいいことですが、少なくとも距離に関係なく、訪問=出張料発生では、それだけで首を傾げ、またお願いしようという親密感も生まれにくい。

要は事実上の値上げだろうとも思われるので、例えば15,000円の調律料だとすると、消費税込みで16,500円、それに出張料3,000円というようになるなら、いっそシンプルに20,000円と云われたほうが、私はまだサッパリします。

ただし、フリーでやっておられる技術者さんなどの多くは、従来通りのスタイルが多数派で、出張料などと言われることはありませんので、この点は念のため付け加えておきます。

無知と悪習

他の楽器はともかく、ピアノに「メンテ」という言葉はあまり馴染みがありません。
「調律」という言葉がそれに代わるものとして、あいまいな概念として通用しているだけです。

そもそも、ピアノは楽器というより、音階の出る大型装置のように捉えられているフシがないでしょうか?
数人がかりでないとちょっと動かすこともできないサイズと重量があり、このあたりも手入れを必要とする繊細な楽器という意識が抱きにくいのかもしれず、それはイメージとしてわからないではありません。

しかし、少しでも、ピアノのことを深く知ろうとすれば、それが間違いであることは明らかで、音色やタッチは僅かな感興の変化でも変わってくるし、それを知ることはそう難しいことではありません。
しかし、ピアノに限っては、そういう部分が見過ごされ、理解されないまま放置されるのが一般的。

音楽に限らず、何かを学び始める際、使う道具の手入れも同時に学んでいくの通常は当たり前ですが、なぜかピアノにそれはなく、私が知るかぎりでも、ピアノを弾くことはかなり好きな方でも、楽器にはほとんど注意を払わず、無関心に近いものを感じます。
せいぜいメーカー名と、アップライトかグランドかという違いぐらい。

音楽する人間は、楽器の健康にも敏感であることが不可欠であるのに、ピアノの場合、まず先生といわれる人達が使いっぱなしの代表格で、教室のピアノの酷さときたら、ピアノにうるさくない人の口からも不満が聞こえてくるほど。
これでは、生徒が楽器を慈しむような心が育つはずもありません。

とくに悪質なのは、お弟子さんをたくさん抱える有名な先生などになると、生徒のピアノ購入などにもかかわったりするためか楽器店が頭が上がらないのをいいことに、中には自分のピアノに関することはすべてサービス扱いが当たり前のように思っている先生もおられる由で、ある修理が終わって請求書をわたそうとしたところ、「えっ、私に請求するの?」と真顔で云われた…というようなウソみたいな話があったりします。
こうなると「請求を取り下げる」か「出入り禁止になるか」のどちらかでしょう。

さらには楽器店の人材は、発表会やコンサートになると、土日などがお構いなしに準備から片づけまでフルに駆り出されるのは普通で、私はこういう光景を目にするだけでも内心では憤慨します。
今風にいえばパワハラかイジメの類だろうと思いますが、こういう悪習は脈々と受け継がれて、なかなか正されません。

近年はやれ人の権利やブラックな環境が厳しく問題にされる時代ですから、こういうことも昔からの慣習とも決別し、毅然として相応の対価を求めるべきでは?
大手の楽器メーカーが共同戦線を張れば、可能だと思うのですが…。

メンテ料

ピアノユーザーが技術者さんに依頼するピアノの主たるメンテは、一般に「調律」のことであり、この言葉にすべてが集約されている印象です。

しかし、実際に必要なことは調律・整調・整音という基本的な作業項目があり、それ以外の調整や修理なども必要に応じて行う必要が大いにありますが、ピアノという楽器固有の不思議というか、慣習なのか何なのか、概して調律さえやっていればいいというのが一般認識のようです。

さらに不思議なことは、上記の3つの中で、まともに料金として請求できるのは調律だけで、整調・整音は調律の際のついでのサービス作業が当然のように捉えられており、まるで車の整備に出した際に洗車してもらうようなもので?
よって、これを単独で料金請求しようものなら、お客さんはぼったくられたかの如くに感じてしまうかもしれません。

私が思うところでは、家庭のピアノで最も大事というか、技術者さんに来ていただいたからには、なにより集中的に取り組んで欲しいと思うところは整調で、ちょっと極端な言い方をすれば、その仕上げに調律もやってもらうというぐらいな感覚です。
弾きやすいタッチ、思いのまま手になじむタッチは、日ごろ接するピアノはなにより重要と思うからです。

技術者は専門的な修行を積んで、その技術によって対価を得る技術のプロであり、整調であれ整音であれ、いずれもれっきと仕事であるし、整調を徹底的になるとなると、これが最も時間を要することでですが、それらの重要性はほとんど無視されているのが現実でしょう。
結局は調律をして、それ以外のことは手早く済ませて切り上げる、あるいは調律以外は露骨に何もしないという人もおいでだとか。
技術者としてそういうスタンスはどうかという意見もあろうかと思いますが、対価を得られない仕事をそうそうやってられるか!という言い分もあるわけで、やはり技術に見合った、正当な料金体系というものが必要だろうと思います。
すでに固定化したユーザーの「調律」への認識を変えていくのは難しいでしょうが。
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脱技巧派?

いつだったか、TVの番組表を見ていると、30分の有名番組で、いま頭角を現しつつある若いピアニストが採り上げられるようで、とりあえず録画予約しました。
近年はきわめて高い技術をもった若いピアニストが続々と出てくるため、顔と名前を覚えるだけでも追いつかないことがしばしばです。

そんな中のひとりが今回の主役で、すでにコンクール歴も輝かしいものがあり、現在は海外在住の修行中でありながら、演奏活動も活発にこなしている由で、今はこういう人は普通になり、もう驚かなくなりました。
今どき名が出た人なら例外なく見事に弾けるし、演奏スタイルはいずれも標準体型のサッパリ系と決まっているから個性など皆無で、演奏から何かが深く心に刻みつけられることもありません。
私の耳が凡庸なことも否定できませんが、ともかく似たりよったりにしか聞こえないので、AKBナンチャラではないけれど、いつしかピアニスト集団のように見えてしまったり。

今回番組で登場する方も技巧派として、すでに評価を得た超絶技巧の使い手だそうで、クラシック倶楽部などで見たような気はするものの、印象に残っているものは残念ながらありませんでした。
番組内のインタビューで、ご本人は「いつまでも超絶技巧ばかり弾いてないで(略)ピアニストとしての幅をもっと広げたい」ということで、最近ではより音楽なもので聞かせる方向を目指そうと、集中的にショパンに取り組んでいるとのこと。

過去の映像でペトルーシュカなどをバンバン弾いているのは圧巻で、この人の本分はこのあたりにあると思われますが、これから別の演奏領域を取り込もうというのは意外に簡単ではないだろうという気がします。
お堅い難しい文章ばかり書いていた人が、繊細な心をそっと映し出すような精妙な詩を書くことはできるのか?

「僕が全力で気持よく弾くと、ショパンのキャパシティをオーバーする」「今はまだショパンが見つかっていない状態」などと言っていましたが、それをどうするのかこちらが心配になりました。
「ショパンの語法というのがある…」というようなことを言っていたけれど、それは単なるスタイルでしかなく、そこへ弾き手の感性が自然に重なってくることで初めて生きた音楽になる筈です。
そのショパンはというと、もちろん今日要求される仕上がりにはなっているから外面的には整っているけれど、どこかよそよそしく、無理しているなぁという印象。

もちろん、試験ならじゅうぶん合格点の取れるものだろうけれど、プロの演奏としてもっと聴きたくなるような魅力的なものだったか?ショパンが聞こえてくるか?といえば、まだまだ疑問が残るものでした。

その人が師事しているという日本人ピアニストによると、楽譜を「顕微鏡で見るように」というご指導で、これにもいささか違和感を覚えました。
むろん楽譜に書かれたものは、漏らさず丁寧に拾い上げ、細心の注意をはらって検討し、注意深く演奏に反映させなくてはならないことは当然ですが、でも、そこに顕微鏡(比喩としても)が必要か?ということになると、私は疑問で、せいぜいルーペぐらいでいいのではと思います。
細かな点検や検討も、やり過ぎると却って全体が空虚になったり、各部の照応とか、作品の必然的な流れや高揚感が失われたりと、音楽のもっとも大事なところが空洞化するのではないかと危惧してしまうし、聞く側がそれで真の音楽的感銘を得られるとは思えないのです。

耳を凝らして演奏を点数化するコンクールでは有効かもしれませんが、私に云わせるならそれは解析され蓄積されたデータに基づく再生作業であって、それが生きた音楽だとは思えません。
全体にも情に乏しく、覇気がなく、とりわけ即興性とダイナミズムがないことは、現代の演奏に接していつも感じるところです。

作品が求める要素と、演奏者の個性が、高い次元で結びついた時、最高の演奏になると思うのですが、どうも最近の人は情報だらけの時代に生きているせいか、最高のものを寄せ集めた中庸に満足し、異論の出ない防衛ラインを守っていくことに汲々としているように思えます。
技巧派を脱したいなら、もっと正直に本音で勝負をかけたら?とおもうのですが、そんな考え自体が古いのかもしれません。
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初期のCF

クラシック倶楽部、アン・セット・シス・ピアノ・デュオ(山中惇史/高橋優介)。
2022年6月、北海道の北見市民会館での収録から。

ピアノは2台とも旧型のヤマハでした。
とくに第一ピアノはかなり年季の入ったピアノで、足もとはダブルキャスターでもなく、腕木の形状が後年とは若干異なる点から、おそらく1970年代頃の初期のCFだろうと思われ、それが逆に興味を掻き立てられました。

CFはその後CF2、CF3、CF3Sといった具合に改良が重ねられ、CFXへと繋がっていくわけですが、その過程ですべてが良くなったのか?というと、そこは素人には軽々な断定はできません。
ただ聴く立場でいうと功罪両面ありそうな印象もあって、個人的には初期のころのCFに、無骨だがつくり手の真っ直ぐな意気込みや謙虚さみたいなものを感じるところがあり、そんな実直なCFが嫌いではありません。

華やかさや洗練という点では降年のモデルのほうが分があるとしても、楽器としての深みやポテンシャル、さらに性能をギリギリまで使い切らない余裕という点では、この初期型CFのほうが上を行って(いるような気がする)し、化学調味料を使わない基本に忠実な料理のホッとする味のようなところにも好感を覚えます。

今回の2台ピアノでも、より古いCFのほうが低音などは迫力があり、ブォッと震えんばかりの厚みのある鳴り方をするのがわかる瞬間がありました。
低音がただパワフルに鳴ればいいという単純な話でもありませんが、そこに楽器の基礎体力のようなものを感じることも事実です。
低音のパワーでいうと、スタインウェイでさえ時代とともにだんだんに痩せてきて、よりクリアでヴィヴィッドな、効率的な音作りに向いていったように思います。

初代CFは、リヒテルがヤマハを愛用するようになって脚光を浴び、多くのコンサートや録音に最も使われた時代のピアノでもあります。しかしホロヴィッツが決して新しいスタインウェイを弾かなかったように、リヒテルも現代のCFXだったら喜んで弾くだろうか?…そんなことを考えてしまいます。

往々にして言えることは、昔のピアノ(の丁寧に作られたもの)は深いところから鳴るけれど、それでいて必要以上にピアノが前に出てくることはなく、あくまでもピアニストが主役、ピアノは一歩控えることを忘れません。楽器としてのわきまえというか慎みみたいなものがあったように思いますが、そういう奥まった価値は、なんでも表面的な効果が求められる時代にはもはや意味を成さない気もします。

本当に強い人間は、その強さをひけらかすことはしないけれど、そうでもない人に限ってやけに自己主張が強かったりするのと似ているかもしれません。

今回のヤマハで感じたことは、2台に共通して音の立ち上がりがよく明快で、そこが魅力のひとつだろうと思いましたが、少し残念なのは全体に音がベチャッとつぶれて聞こえ、ともするとカオスになってしまうところでしょうか?

それでも、古いCFにはヤマハのまっすぐな魅力も詰まっていると感じたことは事実です。
この文章を書いていて突然思い出したのですが、もうずいぶん前のこと、当時交流のあったピアニストがリサイタルをするにあたり、訳あって普段クラシックのコンサートではまず使われることのないホールでの開催となりましたが、そこにこの時代のCFがあって、状態も必ずしも好ましいとは言い難いピアノのようでした。
それをコンサートがお得意の技術者さんが、前日から入って短期集中的に調整したところ、望外の好ましいピアノとなり、力強い演奏にもまったく破綻を見せない、骨太のしっかり感があふれていました。

現代の機能性の高いピアノもすばらしいけれど、その逆の、古き良さにも捨てがたいものがあります。
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共通化-追記

蛇足ながら…

従来のニューヨーク・スタインウェイの外観デザインは、時代をさかのぼるほど繊細で装飾的なラインが重ねられた独特な味わいと風格があり、まさにニューヨークの歴史的な建築や景観にも通じる美しさがありました。

勝手な連想かもしれませんが、フランク・ロイド・ライトの世界にも通じるような、気品に満ちたアメリカの(しかも繊細な)造形美を感じないではいられないもの。
それが今回の変更にあたって完全消去され、ピアノにおけるニューヨーク流の意匠や様式を失ったことは甚だ残念で、時代と割り切るしかないのでしょうが、なかなか簡単には割り切れません。

複数の技術者さんから伺った話では、このところスタインウェイをとりまく状況もずいぶんと変化があり、わけても修理をする側にとってはかなり深刻な事態に陥っていると、口をそろえてみなさん言われます。
特筆すべきは、消耗品や中古補修のための純正パーツ類の入手が極めて困難となっているそうで、これは古いピアノが蘇る修理をさせないようメーカーがパーツ供給の元栓を閉めたという意味でしょう。
どうしても入手したい場合は、しかるべきルートを通じ、手続きに則って言い値で入手するしかないとか。

メーカーには以前から『スタインウェイ最大のライバルは、他社ではなく、中古スタインウェイである』という認識があり、これはわからなくはありませんが、だからといって古い個体を生きながらえさせるためのパーツの供給を断つことは、ビジネス理論としては正論だとしても、楽器メーカーのやり方としては疑問を感じます。
古いピアノにはそんな冷淡な態度をとりながら、一方で新品価格は容赦なく値上げされている現実にも、ヒリヒリするような厳しさを感じます。

では新品の品質はそれだけ素晴らしいのか?といえば、大いに疑問ありで、そもそも米独共通化の目指すものはコストダウンという面もあるように思われます。

聞いた話でついで言うと、近年最大のマーケットであり、一時はあちらで製造までされているのでは?というようなウワサまであった中国ですが、現在は状況が一変のようです。
人々がピアノから一斉に離れてしまい、当然ピアノビジネスは直撃を受け、パッタリ売れなくなってしまったのだそうで、そのあまりの急激な変化には、ただただ驚かされます。

ネットニュースによれば、政府指導部の決定で、芸術分野優秀者への進学に関する優遇措置が、小中高大学において段階的に廃止されたらしく、それで蜘蛛の子を散らしたように人々がピアノから離れてしまうという、いかにもあの国らしい現象。
まさに鶴の一声で世の中がひっくり返るお国なんだということがはっきりわかります。
一時は飛ぶように売れていた日本の人気ブランドでさえ、現在は値下げしても見向きもされないようで、本当に予測のつかない高リスクのマーケットのようです。

スタインウェイにおけるニューヨーク/ハンブルクの共通化には、そんな事情も絡んでいるのかいないのか、そのあたりはわかりませんが、どうしても関連付けて考えてしまいます。
ちなみに、ドイツもGDPで日本を抜いたというニュースが駆け巡っていますが、実際は極右政党が出てくるほど景気の不安が広がり、その一因が主要輸出品目である自動車などの中国市場での大幅な販売減だとも言われており、まだまだ当分はあの国によって世界は振り回されるのでしょうね。

自動車といえば、こちらはかなり前から世界各地に生産拠点が分散され、ドイツの☓☓☓といっても、生産国は南アフリカだった!などということは珍しくなく、割り振られた番号や記号などから、ようやく生産国を知ることができるようになっています。
製品には生産国の表示義務があると聞きますが、クルマの場合どこにもMade in ☓☓☓といった表記はないし、日本車もわざわざ「日本製」とは書いていませんよね(たぶん)。

ベヒシュタインはドイツ製を謳っていますが、近年はチェコとの国境近くに工場があって、一部か全員かはしらないけれど、多くのチェコの労働者が作業しているというような話を聞いたこともあり、ベヒシュタインの廉価ブランドのホフマンがペトロフで作られているということからしても、なるほどなぁ…と思ったり。
いつの日か、スタインウェイもどこ製か伏せらてわからなくなる日がくるのかも?といった想像さえしてしまうこの頃です。
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米独共通化

何年何月ということははっきりしないものの、近年スタインウェイの外観の細部が変更されたことを知ったとき、内心小さくない衝撃が走りました。
衝撃なのは、それが、個人的に必ずしも好ましい方向だとは思えないと直感したからです。

ハンブルクの場合、ステージ上のコンサートグランドで最も顕著な変化は足の形状と太さが変わり(やや細くなった)、わずかながら造形上の調和が損なわれ、その印象は時が経過しても変わりません。
さらに大屋根を支える突き上げ棒も見るからに華奢で頼りないものとなり、側板のカーヴのところにあったL字のフックと、それを回す丸い取っ手も廃されました(ニューヨークにはもともと無い)。
譜面台もよりシンプルな形状になり、全体としてはコストダウンされたように見えますが、実際のお値段は容赦なく値上がりを続け、もはや絶望的なまでの高値になっているのはため息が出るばかり。

共通化ということらしいけれど、それに伴う変更は、最近になってあれこれの動画等から確認できたところでは、ニューヨークのほうが甚だしいことがわかり、その驚きは倍増しました。
ニューヨークの新品は普段目にすることはまずないし、まして日本でその最新型を見る機会は皆無でしょう。
結論からいうと、新しいニューヨーク・スタインウェイは、その道のプロか我々のような好事家がよほど目を凝らして見ない限りはわからないところまでハンブルクと瓜二つの外観になってしまいました。

以下、写真や動画などからわかるニューヨーク製における、見た目の具体的な変更点。

▲塗装は伝統のやわらかなヘアライン仕上げではなく、一般的な艶出し仕上げに(これは以前から徐々に見かけるようになっていました)。塗装は音にも影響があり、艶出し仕上げは固めの音になると云われます。
▲大屋根を開けたときに見える側板の内側には、ハンブルク同様の木目の化粧板が貼られて高級感を強調? ニューヨークは伝統的に内側も黒のままでやや素っ気ない印象もありましたが、廉価シリーズのボストンでさえ側板内側には木目が貼られていることから見れば、本家がそうでないことがむしろ奇妙ではありましたが。
▲大屋根を支える突き上げ棒は、簡素な新デザインとして共通化(そのためハンブルクは3段から2段に)。
▲最大の驚きは、最も象徴的な外観上の違いであった鍵盤両脇の腕木の角が直角であったものが、ハンブルクとまったく同じ形状のラウンド形状になっていること!
▲Model-Dでは大屋根の内側に4本あった補強棒(名称は不明)のようなものが、4本から2本に(ハンブルクは従来より2本)。
▲譜面台。ニューヨークのそれは両脇(左右の平らな部分)の出っ張りがあり、手前から奥へ起して立てるスタイルでしたが、一般的な奥から手前へ起こして角度の調整ができるものになっているようで、両者は共通化されたと推察されます。

こうなると、外観からニューヨークとハンブルクを見分ける手立てはほとんどなくなったも同然です。
では、まったく同じかというと、細かい点でそうでない部分もないわけではありません。

▲一番わかりやすいのはペダル部分で、ニューヨーク製は伝統的にハウジング前面に金属プレートが貼られており(靴先による傷へのプロテクター?)、これは残されており形状もハンブルクとは微妙に異なります。
▲ニューヨーク製の各モデルでは、大屋根の前部の、前屋根(閉じたとき譜面台の真上にあたる部分)が折れ曲がって開く面積が、鍵盤側から見るとハンブルクより若干狭いという特徴がありましたが、これはそのまま引き継がれており、よって大屋根を開けたときのフォルムがわずかに異なります。しかし、これを並べて見比べることなく、単独で見破るのは至難の業。
※日本のピアノでは、SK-EXは狭く、CFXは広いのが特徴(そのためCFXはバランス上鈍重に見える)。
▲さらに細かい点では、鍵盤蓋にあるおなじみのSTEINWAY&SONSのロゴとライラマークは、ハンブルクに対してニューヨーク製では若干低めの位置にあるようです。おそらく従来のニューヨーク製は鍵盤蓋の上端が下に折り曲げる仕様だったため、それに合わせて位置決めされたものと思われます。
※ちなみにヤマハのグランドは全機種、書体もサイズも同じですが、見落とされがちな点として、CFシリーズとそれ以外ではロゴの付けられる高さがかなり違います(CFシリーズのみ高い位置で、高級感の演出?)。
▲さらにさらに細かい点では、Model-Dでは大屋根の開閉を支える3つの蝶番が、ハンブルクでは中央がやや前寄りに取り付けられるのに対し、ニューヨーク製では等間隔になっているようです。

フレーム後方には、MADE IN GERMANY HAMBURGもしくはMADE IN USA NEWYORKという小さなエンボス文字があることはありますが、かなり目立たない場所で、要するに普通に見ただけではほとんど区別がつかないようになりました。
いろいろと事情はあるのでしょうが、かなり思い切ったことが断行されたことは間違いないようです。

音色/外観、それぞれに特徴があった米独二国で製造されるスタインウェイが、ここまで共通化されてしまうとは、初めはかなりショックで、さらには日本ではニューヨークの最新モデルの実物を目にすることはできないため、確認にもずいぶんと時間を要しました。
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感じたこと

Eテレの「クラシック音楽館」から、尾高忠明指揮・NHK交響楽団/アンスネスのピアノによるベートーヴェンの皇帝、後半はブラームスの交響曲第3番ほかの録画を見てみました。
中堅の印象が強かったアンスネス氏もいまや円熟の世代というべきで、ちょっとした風格さえ漂っていましたから、それだけ月日が流れたということでしょう。

演奏は昔からの印象と大きく変わることはなく、クセのない中庸を重んじるものですが、それなりにしっかり聴かせてくれるところはさすがでした。
良識的に、堅実に弾き進められていくところこそこの人の魅力だろうと感じていますが、それ以上のことを期待することはできないところも昔と変わらない印象です。
必要なものを手堅く着実に表していく演奏、北欧風のルックス、エキサイティングでもマニアックでもないけれど、息の長いコンサートピアニストとしては、これはこれでひとつの道筋なんだろうと思います。

おそらく、実際の演奏会に行って生演奏に接したら、それなりの充実感を得られるのだろうと思われますが、映像やCDを何度も繰り返し観たり聴いたりしようという対象とはなりません。

この文章を書くにあたり、念のためもう一度見てみようと思ったのですが、どうやら見終わって無意識に消去してしまったらしく、残念ながら確認はできませんでしたが、まあそういうピアニストだろうとも思います。

尤も、現代の聴衆の大多数は、聞き耳を立てて一喜一憂し、気持ちを入れて繰り返し楽しむというような人はほとんどないような気もするので、だとすると、それはそれで必要条件をしっかり満たしているとも言えそうです。

アンスネスといえば、海外でもそうだったように、ピアノの大屋根をオリジナル以上の角度に開けるのがよほどお好きなようで、今回の来日公演でも、本来の突き上げ棒ではない茶色の長い棒が使われて、大屋根ははしたないばかりに開けられていました。
自分用のピアノを世界中持ち歩いているのかどうかは知りませんが、少なくとも、あの専用の突き上げ棒だけを送るか荷物として持ち歩くかしているのでしょうか?
製品として存在するものなら、それを好むピアニストもしくは音楽事務所がそれを公演先に持ち込むのか…まあ、甚だどうでもいいようなことですが、そんなくだらないことがやたら気になります。


早朝のクラシック倶楽部では、フランチェスコ・トリスターノのバッハを聴きました。
イギリス組曲を中心にしたプログラムで、55分の番組内では第2番と第6番が中心となっていましたが、歯切れよく快活で、とくにダンスの特徴が強調されているよう感じました。
いまさらながらイギリス組曲の聴き応えと、とりわけ第6番のすばらしさを再認識しました。

ピアノはヤマハCFXで、滑舌もよく華やかですが、その奥に東洋的メンタルを感じてしまう印象。
よく、YouTubeなどでヤマハとカワイの違いや特徴が語られる際、ほとんどの場合「ヤマハは明るい音色」ということが強調されますが、個人的にはヤマハの音は「派手」だとは思うけれど、「明るい」というのとは似て非なるものだというのが正直なところです。

バッハの場合、特定の音域のみの演奏になるため、そのピアノの素の音や歌心のようなものがストレートに聴こえますが、よく鳴ってパンチもあるけれど、楽器自体の歌心によって演奏が収斂されていくようには聞こえないのは不思議です。
ヤマハらしさを感じるのは基音のナチュラルな美しさというより、倍音を強く含んだミックス感のような気がしますが、専門的なことは疎いのであくまで聴いた印象での話です。
良くも悪くもそれがヤマハの魅力でもあるはずだと思いますが、ある種の静謐さとか澄んだ響きの世界ではなく、ゴージャス系の着飾った音に思えます。

そういう意味では、バッハではいささか端正さがない感じがなくもありませんでしたし、思えばグールド晩年のゴルトベルクにもそれを感じて、今でも聴いている間ずっと気にかかります。
ただ、ヤマハならではのインパクト感は満々なので、これを好む方も少なくないそうで、なるほどなぁと思います。
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肩すかし

昨日の『題名のない音楽会』は「ファイナリストが選ぶ世界最高峰のピアノ“Shigeru Kawai”の工場を訪ねる休日」というものでした。
この長寿番組は、毎回、基本的にトークと演奏によって成り立ち、場所はホールもしくはスタジオで、番組メンバーが外に出ていく、まして特定の楽器メーカーを訪ねるというのは、非常に珍しい事のように思います。

いちおう毎週録画する設定になっているので、いずれは目にしたと思いますが、今回は知人の方から事前に教えていただきましたので、心待ちにしてさっそく見てみることに。
今回はゲスト出演としてピアニストの務川慧悟さんが同行しておられました。

タイトルからして、シゲルカワイの特徴や秘密などにある程度迫る内容であろうことを期待していましたが、あれよあれよといううちに終わってしまい、正直肩すかしをくったようでした。
番組では何度も「世界最高峰」という言葉が使われましたが、それがどう最高峰なのか、どのような目標や注意を払って製造されているのかをわずかでも垣間見たかったのですが、紹介されたのは響板を人の手で削っているところぐらいで、他にはカーボン製のアクションが環境や音域に左右されずに均等なタッチを実現しているとのことでしたが、それはカワイの全モデルがそうであるし、その中でシゲルカワイというシリーズがどのように特別なのかという点は、せっかく工場まで行ったのにほとんど伝えられないままでした。

ピアノの響板にオルゴールを当てるとパッと音が大きくなるという実験は、響板がいかに音を増幅させることに貢献しているかを知る手段ではありますが、それはどのピアノでも同じこと。

ショパンコンクールでシゲルカワイを弾いて第二位になった、アレクサンダー・ガジェブ氏がVTR出演していましたが、氏によれば「音のぬくもりが、ショパンの愛したプレイエルに似ている」というようなコメントでしたが、カワイがプレイエルに似ているとは思ってもみなかったことで、少し面食らった感じでもありました。

作業着姿で工場内を案内された方々も、シゲルカワイに特化した説明はほとんどなく、EXの時代からカタログでもしばしば目にする無響室という、まったく響きのない空間で楽器の素の音をチェックしていることなどに時間を費やします。

そんな中、言葉は少なめでも最もシゲルカワイの特徴を語ったのは務川慧悟さんで、浜松駅構内のカワイブースでフランス組曲を少し弾いたあと「温かい木の響きがする」「やわらかい暖色系の音」「ただ、やわらかいだけではホールではぼやけてしまう事があるが、パスタのアルデンテのように柔らかさの中に芯がある」さらに「タッチが均一で素晴らしい」などと、彼だけが弾く立場からわずかに言及したに留まった印象。

やはり感じたのはTVの世界は、さまざまな利害や制約が絡んで、がんじがらめなのだろうと思わざるをえないこと。
とりわけ日本のメディアはなによりもクレームや責任問題を恐れて、やたら忖度しまくる体質もあるのでしょう。
カワイにしても、本来なら言いたいことは山のようにあるはずですが、そこに言及するとライバルとの兼ね合いやらなにやら、多くの事情から沈黙するのだろうし、局側も同様で、用心づくしの中をかいくぐるようにして番組制作すと、結果はこういうものになるのだろうと見る側も「忖度」しました。
現にカワイショップに行くと、シゲルカワイがいかに優れていて特別か、ゆえに世界中で支持されているかをガンガン語られ、それをいつまでも聞かされるハメになった経験もありますから。

そもそも30分番組の中で、まずCM、視聴者向けのトークの時間、ピアニストによる演奏時間を差し引くと、楽器そのものに割り当てることのできる時間は大幅に少なくなり、肝心のところが伝わらないのはやむを得ないでしょう。

個人的なイメージではシゲルカワイの主な特徴は、量産型をベースにしながら、楽器としての価値を左右するいくつかのポイントを丁寧な手作業に負っているとか、素材の品質、とりわけ響板の自然乾燥などが効いているのでは?と思いますが、それを番組内で言うとまた様々な不都合もあるからなのか、核心はあえてスルーしていく?などと想像をたくましくするばかりです。
とくに『題名のない音楽会』は民放ということもあるでしょう。

ことほどさように今の世の中とは、複雑に気を遣ってリスクを避けるなど、かなり息苦しいものだと思うしかありませんが、だからTVの情報などだけに頼っていたら、真実からどんどん遠ざかってしまうという、一種の警告みたいなものが後味に残りました。

ちなみに、無響室に置かれていたのは、マホガニーのような杢目の美しいピアノ(SK-7?)で、特注品なのか非売品なのかわかりませんが、通常なかなかお目にかかれない感じのピアノで、ついそちらに目が行ってしまいました。
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本家の修復

ネットというのは不気味なもので、レガシーピアノのことをあれこれ見たせいか、自動的に類似の動画などを手繰り寄せてくれるのですが、その中に興味深いものがありました。

山形県の県立長井高校という歴史ある学校にあるスタインウェイのおはなし。
1923年(大正12年7月11日)にハンブルクから日本へ向けて出荷したという記録があり、同校の1926年の卒業アルバムには、すでにそのスタインウェイが写っていることから、おそらくこの学校のために新品がはるばるドイツから取り寄せられたと考えられ、昔はこのような篤志家がおられたんだなぁと感心させられます。
戦前はピアノといえば必然的に高級輸入品の時代だから、主だった学校には世界の銘器がわりにあったようで、国内メーカーのピアノが学校現場にも台頭してくるのは戦後になってからでしょう。
このスタインウェイは県立長井高校で大正・昭和・平成・令和にかけて、途中、大戦をもくぐり抜けて100年生きてきたピアノだと思うと唸ってしまいます。

ところが、2002年、そのスタインウェイについに廃棄処分の話が出たとか。
しかし当時の音楽の先生が廃棄は忍びなかったようで、スタインウェイジャパンに連絡したところ、無料で引き取ることになり、住み馴れた学校を離れることになったものの、これにより廃棄処分されることは免れたようでした。

それから一年、「修復できました」との連絡が学校にもたらされたというのです。
スタインウェイジャパンによって完全修復されたとあらば商品価値も高く、市場に出せば引く手あまただったはずですが、「もし学校が引き取られるのであれば、(修復に)かかった費用だけでお譲りすることもできます」という提案だったようで、その先生は「なんとか取り戻したい」という思いから、多くの人達を巻き込んで長井高校の同窓会を中心に費用を集め、ピアノは美しく蘇った姿でめでたく長井高校に戻ってきたそうです。

響板も張り替えられ、全塗装、弦やハンマーはじめアクションその他の消耗パーツはもちろん、見た感じでは鍵盤まで新しいものになっているようで、まさに国内最高レベルの修復だったのでしょう。
スタインウェイ社のメニューに沿った作業だったと思われますが、これにかかった費用というのが450万円だそうで、むろん大金ではありますが、このところその4倍の金額を繰り返し聞いていたので、ずいぶんリーズナブルなものに思えてしまいました。
ただし、この修復が行われたのは2004年ごろで、今ならまた違ってくるとは思いますが、何倍にもなるとは考えられません。

個人的には、スタインウェイジャパンだからといってすべてが絶対だとは思っているわけではありませんが、非正規の修理を事あるごとに非難し注意喚起している発信源でもあり、いちおう信頼できる作業だっただろうとは思います。
そういう意味では、価格も定められた基準から算出されたものと考えれば、これが業界における当時の最高額と考えてよいだろうと思われます。

ちなみに長井高校のピアノは中型のB-211で数字は奥行きを表しており、コンサートグランドはD-274なので奥行きがちがいますが、修復にかかる手間というのは、大きく変わるものではありません。
違うのは弦の長さや、響板の広さなどですが、それらが多少加算される程度で、基本は大差ないのです。

ひとつだけ決定的な違いを挙げるなら、レガシーピアノは修復を機にダブルキャスター化されていたので、これは部品代だけで結構なお値段がするでしょうから、その違いはあるとしても。

その後、このスタインウェイは長井高校の歴史ある大切なピアノとして、3年に一度、ホールに運んで著名ピアニストによるコンサートを行っているようで、生徒さんたちも文化面での新しい注目点ができたことでしょう。
これほど見事に修復されたオールドスタインウェイが自分の学校にあり、在学中その音がピアニストの演奏でホールで聴けるなんて、長井高校の皆さんはなんと幸せだろうと思います。

ピアノは弦楽器とちがって所詮は消耗品!などとさも訳のわかったような顔で断じてしまう方がいらっしゃいますが、修復ピアノをみていると、良いピアノなら100年でも150年でも使い続けられるということが証明されているわけで、いっぽう長持ちするはずの弦楽器の場合、いいものは定期的に技術者に託されて非常に高度なメンテを必要とするなど、多大な手間暇やコストがかかることも見落とすべきではないと思います。
それに比べればピアノは長いこと厳しい環境に晒され、ガンガン使われ、それでも数十年に一度、本格的なオーバーホールを受ければ見事に蘇るわけで、もし弦楽器にピアノ同様の扱いをしたならたちまち崩壊してしまうにちがいありません。

ドイツのスタインウェイ本拠地であるハンブルクでは、100年も前のスタインウェイを修復し、世界的ピアニストのコンサートにもたびたび提供されていたりと、ピアノの寿命というのは手を入れればとてつもなく長いものであることは間違いないようです。
それを最も認めたがらないのは、新品を一台でも多く販売して利益に繋げたいメーカー自身かもしれません。
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ピアニスト今昔

いま読んでいる本は、ひとりの巨人を軸とした20世紀の日本のピアノ史を縦断する一冊で、ページを開くたび頭の中が昔に引き戻されていくようで、その時代の日本人ピアニストの演奏を少し聞いてみたくなりました。

日本のピアノ教育は戦後の経済成長期を背景にひとつのピークを迎え、その時期に育った戦後世代の実力派が現れます。
その中でも、テクニシャンとして注目され、海外留学/有名コンクールにも上位入賞を果たした男性がおられ、帰国後のリサイタルが行われたときには、子供だった私も親に連れられて行きました。

当時の日本では、ピアノといえばまだまだ女性が多く、ドレスに身を包んだ華奢な女性が大きなピアノに向かって、決然と挑みかかるような姿にはどこか悲壮なものがあって、純粋に演奏を楽しむというのとは少し趣がちがっていたかもしれません。
そんな中、強靭な技巧をひっさげて登場したこのピアニストは、男性ならではの演奏骨格と安定感で鮮烈で、それが子供心にとても印象に残っている覚えがあります。

その後も着実な演奏活動と教育者としても輝かしい足跡も残された、日本のピアノ界の一角を築き上げたおひとりです。
残念ながらCDは持っていないので、こういう時こそネットの出番とばかりに探してみると、いくつかの音源や映像に行き当たりました。

以前、園田高弘さんの演奏で思いがけない感激があったので、単純に同様の期待をしていたところ、今回はややあてが外れてしまいました。
この方のイメージである「逞しいテクニック」には、そこにはなにか人を寄せ付けない冷たい雰囲気があり、なるほど正確に弾かれてはいるけれど、まだ日本人とピアノが完全に融け合ってはいない時代の暗さみたいなものが漂っているようでした。

これは、上に述べた女性の悲壮感と本質のところでは大差ないものかもしれず、音楽的にも知的に完成されたようでありながら、その演奏は硬直して聞こえ、自然な歌心やほほ笑みはなく、どうにも重苦しい印象が拭えません。
ピアノ版巨人の星ではないけれど、当時の過酷なレッスンの情景までもが繋がって見えてくるようで、いわば日本人ピアニストの過渡期の演奏だったと思いました。

やはり当時の本音は、まず正確にバリバリ弾けることが正義だった時代で、その寵児も時代に縛られていた面もあったことでしょう。
音楽や演奏を楽しむというより、追いつけ追い越せで初めて200km/hを超えたクルマみたいな感じで、むしろ前世代の園田氏のほうがはるかに自由があって、音楽がその人の人間性に乗って、どこかおおらかに聴こえてくる演奏だったのは意外でした。
それが戦後世代になると、受験競争にも通じる要素を帯びてくるように感じるのは私だけでしょうか?

なにやら疲れてしまって、試しに現代の日本人ピアニスト(例えば務川慧悟さんや藤田真央さんなど数名)を聴いてみると、あっと驚くばかりに無理なく楽に弾いていて、洗練されていて、ゆとりがあって、とにかくすべてが違っているのに愕然とさせられました。
これまで、さんざん現代のピアニストの問題点ばかりをあげつらってきた自分が恥ずかしくなるほど、なんと無駄なく自然にピアノに向えているのかと感激してしまい、今昔の感に堪えないものがありました。
音色の出し方ひとつでも、気負ったものがないから澄んだ美しい音が出ており、およそ「バリバリ弾く」などという気配もありません。
そもそもバリバリ弾く価値とは、技術的に未発達な環境だから成立するもので、現代は弾けるのは当たり前だから、そんな価値観自体がもはや自然消滅したのでしょう。

例外はあるにせよ、昔の日本人ピアニストの多くは、どこかしらピアノと格闘し自分と格闘しているようで、楽器が悲鳴を上げるぐらいやれれば勝利者のようで、実際そうだったのだろうとも思います。
先達が切り拓いたそういう時代を経て、ついには今日のような国際基準のピアニストが───名前を覚えるひまもないほど、次から次へと輩出される時代になったのかと思うと、旧世代はその前線で苦戦を強いられた勇敢な兵士だったような気がしました。
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二者択一

「ピアノが好き」といっても、その意味の最大派閥は自分が弾くことにつきるようです。
ピアノという楽器そのものを興味の対象とし、個々の特徴に関心を寄せて向き合う人というのは、何の影響力もない少数会派であることは間違いありません。
ごく一握りの例外を除けば、ピアノは楽器というより音階の出る機械としての役割を与えられているようです。

日本ではYK社が市場をほぼ独占、それ以外に事実上の選択肢はないという現状もありますが、もし昔のように大小さまざまのメーカーがあっても、この状況が変わることはないと思われます。
逆に、その状況があまたのピアノメーカーを消滅させた最大の要因だったかもしれません。
ピアノに限ったことではないけれど、日本人は大手の定評ある製品を手することを好み、そこに安心感を覚え、自分の五感を通して好みの一品に到達するという楽しみ方じたいがそもそもないように思えます。

それゆえ手放すときも、YK社以外のピアノは殆ど値がつかないか、下手をすれば処分代を請求されることさえあるとかで、楽器としての純粋な価値ではなく、もっぱら商品としてのブランド性しか判断されません。

環境が人や物を育てるというけれど、こうなってしまった背景には、良いピアノを正しく評価できなかった市場の責任も小さくないと思うと同時に、ピアノを家電と大差ないものにして「有名どころを一流、それ以外を二流以下」とみなす日本人のメンタリティと、それに乗じた大手の底引き網のような販売戦略もあろうかと思います。

そんな中、私の知る某さんは、まさにその逆をゆく奇跡的な存在のおひとりで、ご自宅にはシュベスターのグランドと、イースタインのアップライトの銘機とされるB型、さらにご実家にはシュベスターのアップライトをお持ちという、相当マニアックな御方です。

その方の近況なのですが、ご了解を得て書いてみることにしました。
やむなき事情から、ご自宅のピアノを一台出さなくてはならない状況となられ、どちらを残すかの決断で迷いに迷っておられるようなのです。

私はグランドということもあって、シュベスターが残るものだと思っていたし、ご家族もそれを希望しておられるとか。
ところが「シュベスターも素晴らしいものの、好みの音色は、二択で選ぶのあれば正直なところイースタインです…。上品なのに低音もしっかり迫力あって、高音もしっかり鳴り、アップライトなのに凄いなと思います。」といわれます。

グランドの優位性は今さら言うまでもなく、それはご当人も重々承知の上で、それでもこのように真剣に悩まれているということに、楽器の魅力とか価値判断というものはなんと深いものだろうかと、あらためて考えさせられます。

どこかフランスピアノのような華やぎとキレのあるシュベスターに対して、イースタインはもっと内的に包み込むような感じがあるようで、次のような表現がありましたので続けて引用させていただきます。
「シュベスターのグランドは、カラッと乾いた音で静かな音も迫力のある音も充分あり表現豊かだと思いますが、イースタインは憂いのある波紋のような深い陰影が出るような感じが、自分の性格に合ってるような気がして好きなんです…。」

これは長いことそれらのピアノと共に暮らしておられる経験者ゆえの感想だろうと唸りました。
この違いは、イースタインがたんに良質なピアノというだけでなく、設計思想や宇都宮という日本のピアノ産業としてはやや北に位置していたことにも関係があるのかもしれません。

これらは2台ともおよそ60年前ほど前の楽器で、響板は北海道の蝦夷松が使われ、温湿度管理もしっかりされています。
私も一度だけ、そのイースタインに触らせていただいたことがありますが、今日のピアノのように弾き手のほうへバンバン音が向かってくるような鬱陶しい圧がなく、どちらかというと、弾き手とピアノがじかに語り合うような親密性があり、柔らかでセンシティヴなピアノという印象だった記憶があります。

この方ご自身も「イースタインを購入するまで、その良さはわからなかった」と正直に言われており、そんな本物だけがもつデリケートな感覚の喜びは、大量生産のピアノとはかなり趣の異なるもので、一度知ってしまうとそこから抜け出すことはなかなか難しいだろうと思います。
そのぶん蒲柳の質なのか、扱いも大変なようで、ちょっとした天候や温湿度の変化によって、ならない音があったりするかと思えば、別の日には何事も無く直っていたりと、わずかな環境の変化がダイレクトに現れてしまうあたりも、困ったことではあるけれど、同時に楽器と付き合っていく面白さががあるようです。

果たしてどちらのピアノが自宅から出されるのか、いまのところ私にはまったくわかりません。
いまピアノの練習に励んでおられる方も、少しはこのようにピアノ自体のことにも興味を持たれると、その楽しさや興味の視覚は倍増する筈と思うのですが、どうしてもそうはならないようです。
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実物を見ました

レガシーピアノが福岡市美術館で公開されたので、現物を見てきました。
入り口を入ってすぐのロビー正面に据えられており、周囲にはロープが張られて「お手を触れないで…」の状態でした。

せっかく仕上がったピアノをベタベタ触られてもいけないし、まして音を出されては周辺への迷惑以外のなにものでもないので、これは妥当な処置でしょう。

その後も、YouTubeなどでレガシーピアノの事を取り上げたニュース映像の類がいくつかあって、それによると、埼玉の工房で修復作業が行われたのは、日本では数少ない響板の貼り替えができる工房ということが理由のひとつとしてあったようです。

全体はもちろんきれいになっており、子供の頃、市民会館のステージで活躍していた頃の面影もないほど、新しく生まれ変わっていたために懐かしさのようなものは少しも感じませんでした。

ただやはり、フレームとボディとの間の赤いフェルトは雰囲気を損ねているのが残念です。
興味のない人にしてみれば、重箱の隅をつつくようなものと思われるかもしれませんが、「神は細部に宿る」という言葉もあるように、細部は全体を照らすものでもあり、このあたりの考証はとても大切なところだと私は考えます。
仮に純正品がなくてもやり方はあるはずで、もし私が依頼主なら、ここらは決して容認できないところです。

legacy-steinway.jpg

ところで、PC画面で見て感じていた印象というものは意外に確かで、実はあまり裏切られたことがありません。
このピアノに限ったことではないけれど、経験的に、ネットで入手できる情報というのは思った以上に正確度が高く、細かなところや醸し出す雰囲気まで、よく伝えてくれるものだと個人的に思います。

それでいうと、やはり確認できたのは塗装でした。
この時代、スタインウェイといえば黒のマット仕上げ(つや消し)が普通で、レガシーピアノもつや消しで仕上げられていますが、映像から得た印象では、今回のプロジェクトに見合った仕上がりではないように感じたことは、やはり間違いではありませんでした。
パッと見ただけではわかりにくいかもしれませんが、マットの塗装面には本来あるはずのないムラが散見され、質感もまだらで、均一(ピアノ技術者さんが非常に大切にされる価値)な仕上がりでないことは首を傾げざるを得ません。
さらに、大屋根部分は下地の傷などが完全に取りきれていない点もあって、いかにも中途半端な印象です。

ちなみに、ピアノの塗装では知る人ぞ知る名人といわれ、技術者間でも「先生」と呼ばれる方がさる地域においでで、その方が手がけたピアノを数台見たことがありますが、それはもう非の打ち所のない見事なものでした。
一流の職人の仕事というのは、ただ美しいだけでなく凄みのようなものが宿っているものです。

前回、長めのニュース映像の中で、初めて響板貼り替え作業中の写真を目にしましたが、古い響板が外されるところで、このときボディはすでに全体にペーパー掛けされたような状態で、おそらく響板貼り替えと同じ工房で塗装されたように見えました。
塗装はピアノ技術者の作業の中でも別の分野であって、楽器面の名人級の技術者さんでも、塗装だけは専門家に委ねるというのが一般的です。
簡単な補修などはともかく、本格的な全塗装となると専門家の領域となり、これはクルマでもメカニックが請け負う領域と、板金塗装とでは、その技術も仕事内容もまったく別ものであり、それぞれ分業となるのが一般的であるのと同じです。

中には本格的な塗装の設備/技術まで備えた会社もあるようで、一箇所で全てを賄うこと自体を問題だとは思いませんが、要は仕上がり具合を自分の目で見て、あまり上等なものじゃないと感じたわけです。

誤解なきよう言っておきたいのは、このピアノはもともと福岡市が購入し、60年近くを経て地元有志が復活プロジェクトを立ち上げ、集められた支援金によって実現した修復作業で、事前に公表された高額な修復費用に対する結果として見たときに感じるところであり、それでなければ、私なんぞがとやかくいうことではないのですが…。

なんだかケナしてばかりで申し訳ないので、良いことをいいますと、今の目で見ても、つや消し仕上げのスタインウェイはやはり心惹かれるものがありました。
艶出しのピアノも悪いとは言いませんが、下手をすると図体は大きく、やたらピカピカして暑苦しい場合があるのに対し、つや消しになったとたんこれが一変、彫刻的で、気品があり、あたりに独特のオーラが漂い、まるで京都や奈良などのありがたいものにも通じるような感覚に囚われます。

純粋に音色の点でも、つや消しのほうが深くやわらかい音になるということは知られているし、立ち姿も軽やかでスリムに見えるし、ボディに変な映り込みもないぶん造形の美しさもくっきり際立つなど、ピアノ自体がアートのようでほれぼれしてしまいます。
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レガシーピアノ

1963年開館の福岡市民会館は、昭和の後半、地元におけるクラシックコンサートやバレエ公演の中心地でした。
私の幼少期、生のスタインウェイの音として耳の奥深くに刻み込まれたのは、ほとんどがこの市民会館のピアノだったということは以前に書いたとおりです。
時代はめぐって音楽専用ホールというものがポツポツ出現してくると、市民会館はメインホールとしての立ち位置をしだいに失っていきました。
ピアノも同じ運命で、いつしか別のホールに移され、近年その倉庫で眠っていたところ、フレームに市民会館時代にこのピアノを弾いた往年の巨匠たちはじめ、多くの演奏家のサインが40ほどあるということから、福岡の音楽シーンの歴史的価値を伝えるピアノとみなされ、これを修復して残すという運動が始まったようです。

それが公にされたのは昨年のことで、詳しい時期は忘れましたが、今後一年をかけて修復されるとのこと。
そして10月には古巣の福岡市民会館においてお披露目コンサートが行われ、その後は福岡市美術館の収蔵となり、美術館内でのコンサートなどに供される由。

修復費用はクラウドファンディングによって集められ、個人的にもきわめて思い出深いピアノであるため、本来ならほんの気持ちだけでも参加したいところでしたが、どうも話の具合いがしっくり来ないため、結果はなにもしませんでした。

昨年の報道によれば、修復には1800万円が必要と発表され、ピアノの修復はどれぐらいかかるのか、おおよその相場は知っているつもりだったので、まずその数字に激しく驚きました。
記憶違いでなければドイツに送って作業するらしいとも聞いた覚えがあり、優秀なピアノ技術者が多く揃っている日本で、まして現役でもないピアノにはいささか過剰ではないのか?という気持ちを抱きました。
そしてピアノは既に「埼玉に送られた」ということで、そこがドイツへ送る仲介をするのか?…たにかく、そのあたりの事情は一切語られないのでまるでわかりません。
複数の技術者さん(関東の方を含む)とも考えましたが、埼玉でそこまでする工房というのはついに思いつきませんでした。

これが個人もしくは民間の会社や団体などのピアノなら、どこでどのような修復するかの判断は所有者の自由ですが、市が購入し長く市民に親しまれてきたピアノであれば公共性が絡んでいる筈で、それなら地元(もしくは近隣)の相応しい技術者によって修復されることにも意味があり、それが本筋ではないかとも思います。
しかし、なんら経緯は明かされないまま、事後報告と支援募集のみでは、なにか釈然としないものを感じました。

それから一年余。
ようやく「レガシーピアノ」が修復を終え、再び市民会館のステージに帰ってお披露目コンサートが行われたというニュースを目にしました。

ニュース映像を見て、はじめに違和感をもったのは足の部分。
スタインウェイのC/Dのような大型モデルでも、1970年代ぐらいまでは足先には小さなキャスターが付いているだけでしたが、ホールやスタジオなど移動が多い使用には不向きなことから、後年ダブルキャスターという大径の車輪がつくようになります。
それにともない足の形状もダブルキャスターの高さに合わせて形状が修正され、例えば以前書いたNHKのクラシックTVでMCの清塚氏が使っている古いスタインウェイも、足はしっかりダブルキャスター用に付け替えられています。
いっぽう2300万円もの支援金を得て生まれ変わったレガシーピアノではダブルキャスターになっているけれど、足の交換はされておらず、古い足が大型キャスターの高さに合わせて切り落とされているのみ。
オリジナルを重視したとも言われそうですが、一般にダブルキャスター変更時に足を切って使うのはコスト上の理由以外には考えられません。

響板は張り替えられたようで白く美しいものになっており、ボディの塗装は塗り直されてきれいですが、ニュース映像で見るかぎりでは第一級のクオリティとまでは思えませんでした。
フレームは歴史的サインを残すためそのままで、これはこのピアノの存在価値を示すものだからしかたないところでしょう。

そのフレーム関連で目を引いたのは、演奏者から見てフレームの最も手前側、つまり鍵盤寄りの直線部分で、ここにはボディとフレームの間に1cmにも満たない隙間があり、この当時のスタインウェイは深い緑のフェルトがキッチリと差し込まれていて、その後1990年代中頃からは上部に黒の細長い棒がかぶせられるスタイルになっています。

ヤマハの場合、そこに赤のフェルトが使われていて、それがフレームより上まで飛び出しているので、ピアノのお尻側からピアニストの顔が映るような角度から見ると、顔の下に派手な赤の一直線が左右に走り、これだけでヤマハとひと目でわかる部分です。

ところが、このレガシーピアノでは、なんとそこが赤のフェルトになっており「わぁ、ヤマハっぽい!」という感じでした。
ほかにも気にかかる点はありますが、やめておきます。

さて、この文章を書くにあたってネット上に残っているニュース映像を再確認したところ、まだ見ていなかった長いバージョンがあり、そこにはお若い感じの技術者の姿があって、アナウンスによれば「このピアノの修復を担当した◯◯さん」といわれたのには驚きました。
この方が一年かけて作業されたのだそうで、ピアノはドイツになど行っていないということがわかり、そこで初めて工房で修復中の写真なども映し出されました。

ちなみに、福岡市美術館の公式ページからリンクするかたちで「レガシーピアノ保存プロジェクト」という別サイトがありましたが、修復作業をなぜ遠方の工房へ依頼することになったかの経緯や、修復過程の写真なども一切なく、作業に関連することが皆無であるのは、肝心のものがストンと抜け落ちているようでした。

さらに、市民会館でのお披露目コンサートは一回限りで、有名ピアニストを4人も招いて行われたにもかかわらず、知るかぎり一般公開はされず、寄付をした企業や個人だけが対象だったようです。
市民会館のピアノが修復されて古巣に戻ってきたというのであれば、入場料はあっていいから誰でも聴きに行けるものにしてほしかったし、支援者には優先的招待でよかったのでは?と思います。
支援した招待客で満席というのならやむを得ませんが、映像で見た限り、客席後方はかなりガラガラで、私も行けるものなら行きたかっただけに残念ですし、やはりこのお話はどこかしっくり来ないのです。
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