過日、あるピアノリサイタルでのトークで聞いた話を少々。
この日のプログラムは主にロマン派のピアノ曲がひとつの主題のもとに配され、当時のいろいろな音楽事情やそれに絡む作曲家の恋愛話などが興味深く語られました。
マロニエ君は基本的にトーク付きのコンサートというのは好きではなく、できることなら演奏者は演奏のみに専念してもらいたいところですが、これも時代の風潮というべきか、旧来のスタイルは今どきの人にとっては甚だ無愛想でつまらないものと感じられるのかもしれません。
トークといってもいろいろで、それこそ人によって様々です。
演奏を補佐するようにトークをほどよく織り込みながら、お話と演奏をバランスよく進めていかれる方もなくはないものの、大半は内心「こんなトークを聞くために、今ここに座っているわけではないんだけど…」と、ついため息が出るような、紋切り型の話をくどくどされる方も少なくありません。きっとご本人もトークをするのが不本意なんだろうと思いますが、そういう人の話は聞いているほうも楽しめないのは当然です。
逆に、本業は演奏家であるのに、妙にトークずれしてしまって、変に笑いを取ろうとするような人などもあり、そんなときは聞かされているこっちの方がなにかいたたまれない気持になるものです。
前置きが長くなりましたが、この時のトークは珍しく楽しいもので、演奏家のトークというものは演奏以上にその人が出てしまうものだとも思います。
さて、リストの話題になったときのこと、思いもかけない言葉がピアニストの口から出てきて、おやと思いました。
若い頃のリストはまさに超人気ピアニストで、それは彼の美貌と圧倒的な当時随一の超絶技巧による華麗なピアノ演奏にありました。まさにスーパースターです。
そのリストのリサイタル会場には常時2〜3台のピアノが置かれていて、それはリストの激しい演奏に楽器が耐えられず、演奏中にピアノが壊れてしまうので、そのために数台のピアノがいつも準備されていたようです。
この日のピアニストが言われるには、そんなリストの激しい演奏にも持ちこたえる頑丈なピアノを作ったのがあのベーゼンドルファーだったということでした。(このことは、9月半ばのこのブログにも書きました)
いまでこそベーゼンドルファーは、貴族的なウィンナトーンをもつ繊細優雅なピアノとされており、スタインウェイやヤマハとは生まれも目指すところもまったく違いますよという高貴なイメージになっていますが、歴史を紐解けばどうもそういうことばかりでもないようです。
このピアニストが言われることに説得力があったのは、リストの時代には頑丈さこそが身上だったベーゼンドルファーは、他のピアノに比べてフレームなどもとりわけ強固で頑健に作られている由で、それは今日のモデルにも受け継がれているので、皆さんも機会があったらぜひ中を覗いて見てくださいと言われるのです。
通常ベーゼンドルファーは、楽器としての素晴らしさもさることながら、工芸品としての仕上げのクオリティでも見せるピアノでもあるので、ついそっちにばかりに目が向いてしまいますが、実際はずいぶん頑丈そうなフレームをしていて、ブリッジも縦横に伸びていますし、太いネジなどもバンバン打ち込まれています。エクステリアデザインも、頑丈さから来たピアノといえば確かにそうだと思われます(例外は今はなき優美なModel275)。
ベーゼンドルファー=ウィーンの伝統に根差した気品あふれるピアノという強いイメージが刷り込まれているので、そういう固定観念をもって見ていた自分にハタと気がつきました。
それとは別に近年感じていたことは、ベーゼンといえば「やわらかな木の音がするピアノ」というイメージが長らく定着していますが、そちらのほうは最近は少しずつ印象が変化してきているところではありました。
というのも、ベーゼンで多く耳にするのは意外にも鋭い金属的な音のするピアノが多く、個体によっては音がつき刺さってくるようで耳が疲れることがあるように感じます。
ウィンナトーンなどと云われると、ウィーンフィルやムジークフェライン、シェーンブルン宮殿などをつい連想して、それだけでもうなにやらありがたくて評価の対象ではないような気になってしまっています。
そんなウィンナトーンのピアノの筆頭であるベーゼンで耳が疲れるなど、こっちの耳がおかしいのだろう…ぐらいに思ってもみたのですが、でもやっぱり感じるものは感じるわけで、あまり硬質な、きつい感じの音がすると、んー…という印象をもってしまいます。
伝統あるものに敬意を払い尊重することは大切ですが、同時に自分の感性に対しては常に正直でなくてはいけないと思います。
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