オピッツのベートーヴェン

ゲルハルト・オピッツのピアノリサイタルに行きました。
オール・ベートーヴェン・プロで第15番「田園」、第18番、第26番「告別」、第21番「ワルトシュタイン」の4曲でしたが、前半と後半では印象が大きく異なるコンサートでした。

前半の第15番「田園」と第18番はいずれも非常によく弾き込まれており、ベートーヴェンの語法をよくわきまえた理性的で誠実さのあふれた演奏でした。しかし、後半の告別とワルトシュタインでは躍動と迫真の大いなる欠如をもって、こちらはあれっと思うほどパッとしないものでした。
前半はどちらかというとリリックな作品なので、それがオピッツの演奏に向いているのでしょう。

彼はとても真面目な演奏家だと思いますが、全体に抑制感のある小振りなベートーヴェンで、喩えて言うならフルオーケストラではなく、小編成の室内オーケストラのような重量感の乏しい演奏でしたから、まずもってベートーヴェンを聴いたという実感があまり得られませんでした。

後半、告別の第一楽章の時点からちょっと変だなという印象が芽生えたのですが、どうもこういう曲はあまりお得意ではないようです。しかし、ブレンデルが引退した現在、中堅で数少ない「ベートーヴェン弾き」で鳴らしたオピッツですから、お得意でないでは済まされないものを感じました。
ワルトシュタインのような壮大な曲でも、なぜか小さく小さく弾いてしまうので一向にドラマティックではなく、却ってストレスが溜まってしまいました。

とくにワルトシュタインは今年買ったバックハウスのベルリンライブの鬼気迫る演奏に魅せられて、すっかりその虜になっていたこともあり、そのあまりな落差に呆然とするばかりで、ドイツ人がこんなにもベートーヴェンを矮小化したような弾き方をするのはちょっと納得がいきませんでした。

一曲だけだったアンコールには悲愴の第2楽章が演奏されましたが、これがなかなかの好演で、今夜一番の出来ではなかろうかと思ったほどでした。このあまりにも聴き慣れた、ほとんど新鮮味さえ失いかねない曲から、何か強く訴えるものが立ちのぼり、その素晴らしさに思いがけない感銘を受けました。

マロニエ君の知り合いが言うには、一夜のコンサートで一曲でもハッとするものがあれば、それでよしとすべきなんだそうですから、まあ前半にもところどころにいいものがあったし、これで良しとすべきでしょう。

会場であるアクロス福岡シンフォニーホールにピアノを聴きに行ったのは、10月のブレハッチ以来のことでしたが、この会場にあるスタインウェイは現在、きわめて素晴らしい状態にあると前回に続いて思いました。
うるさい技術者の人に言わせるとどうだかわかりませんけれども、マロニエ君の好みとしては、普通のホールのピアノとしてはほぼ理想に近いものを感じます。

音色は、最近のスタインウェイとも違う密度感があり、それでいて甘く透明。すでに15年ほどを経過した楽器ですが、こういうピアノを自分の地元で聴ける現在を非常に嬉しく思います。
これが2台あるうちのどちらかはわかりませんが、ともかく今のうちに素晴らしいピアニストにいろいろと弾いて欲しいものです。
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偽造楽器

マロニエ君の友人にはフルートが好きで、いまだ独身であるのをいいことに、何本ものフルートを収拾している馬鹿者がいます。
それもありきたりのフルートではなく、パウエル、ヘインズ、ハンミッヒ、ルイロット、ムラマツといった世界に冠たるメーカー品ばかりです。

ところがフルートのような小さな楽器というのは、価値の高いとされる昔の名工の作品など、いわゆるヴィンテージ楽器になるとニセモノをつかまされるという危険性が付きまといます。
完全な模造品もあれば、中にはニセモノではないものの、いくつかの本物の楽器のセクションをつなぎ合わせただけといったいかがわしいものなど、なにかしら疑念の残るものがあったり、あるいは何人ものオーナーの手を経るうちに勝手な改造がほどこされていたりと、このあたりになると実に怪しい、人間不信になるようなダーティな世界に突入してしまいます。

さらに恐ろしさもケタが違うのはヴァイオリンなどの弦楽器で、よほど出所やルーツが確かなものでないと、うっかりニセモノに天文学的大金を支払って購入するなんてこともあるわけです。
現実にストラディヴァリウスやグァルネリといった名を語る精巧なコピー楽器も出回っているとかで、どうかすると鳴りも本物並みのものさえあったりするとかで、虚実入り交じる、まったく恐ろしい世界のようです。一挺が途方もない金額の世界ですから、さぞやニセモノ作りにも熱が入るということでしょう。

その点では、ピアノ好きは自分の楽器が持ち運びできないという決定的なハンディがある反面、まさかピアノのニセモノなどというのはないから、その点ではずいぶんと健全な世界だと思っていました。
恐いのはせいぜい好い加減な修理をされたブランド楽器が、本来の能力を発揮できないような出鱈目な状態で、高値で販売されるというぐらいのもので、楽器本体がニセモノなんていうのは見たことも聞いたこともありませんでした。

ところが、つい最近聞いたのですが、ある技術者の方の話によると、スタインウェイの模造品というのがあって、現にその方がそれを一度買ってしまい、手許に届いてニセモノとわかり大騒ぎになったことがあるという話でした。これにはさすがのマロニエ君も、まさかそんな事があるのかと驚いてしまいました。
それは楽器に無知な人の仲介によってアメリカから輸入されたピアノだったそうなのですが、鍵盤蓋のロゴマークはもちろんのこと、フレームにまでちゃんとそれらしい立体的な文字まであるという手の込んだものだったそうです。

仲介者も含めて騙されたということが判明し、なにがなんでもその人が責任をとろうとしたらしいのですが、悪意でないことは明白だったので、結局双方で痛み分けということになり、そのピアノはそれを承知の上で購入した人があったとか。
可笑しいのは、その偽スタインウェイが、そう悪くはないそれなりのピアノだったということでした。

こんな話を聞いてしまうと、そのうち、ご近所の大国あたりからこういう冗談みたいなピアノが出てくることも、可能性としてはじゅうぶんあり得そうな話ですね。現に冒頭の友人のフルートコレクションの中には、ヘルムート・ハンミッヒのスタイルを真似ただけの、例の国の粗悪品もあるということです。
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島村楽器

天神に出たついでに、久しく行っていなかった島村楽器を覗いてみました。
このビルの同じフロアには以前、銀座山野楽器が入っていて、マロニエ君もずいぶんCDを買ったものですが、すでに撤退して久しく、いまはその面影もありません。

山野が出店していた場所のすぐ近くに島村楽器ができたのはいつごろのことだったでしょうか。
そのころはポピュラー音楽系の楽器などがメインでしたが、その後売り場を拡大してピアノなどを置くようになりました。

ずいぶん久しぶりでしたが、その理由のひとつは商業施設ビルの5階にあるためわざわざそこへ上がらねばならず、通りすがりにちょっと立ち寄る感じというわけにはいかないためです。
知らぬ間に売り場面積はいよいよ拡大したようで、とりわけギター関連の商品の充実は著しく、まさしくぎっしりと並べられていて、これは以前に書いたパルコに出店している何とかいう楽器店の向こうを張った処置だろうかと思われました。

そのすぐ隣がピアノと電子ピアノと、あとはヴァイオリンやフルート、楽譜など、片方のポピュラー系に対してこちらがクラシック系というような感じになっています。
マロニエ君は元来こちらにしか興味がないものの、しかしギター関連の品数もただ事ではない数なので、思わず店内を一巡してみましたが、いやはや色とりどりのさまざまなギターなどが立錐の余地もないほど展示されている様は壮観でした。

ピアノ関連の売り場とは壁一枚隔てており、いちおうの区別がしてあります。
こちらのほうがとくに売り場面積が増えているようで、平面には実にさまざまな電子ピアノがズラリと置かれており、本物のいわゆる生ピアノは何台あったか詳しくはわかりませんが、少なくともグランドは2台ありました。

一台はプレンバーガーの新品で、もう一台はスタインウェイのS(奥行き155cmの最小グランド)が展示してあり、これはシリアル番号から察するに実に70年ほどの前のピアノですが、見たところ完全なオーバーホールがされていて、塗装もなにもかもがピカピカで、何も知らない人が見れば新品と思うような美しい仕上がりでした(もちろんこれは見た限りの話です)。
タッチや音は弾いてみないとわかりませんが、店のちょっと奥には店員が3〜4人じっと待ちかまえているのがわかったので、とてもそんなことをする勇気はありません。

とくにピアノ関連の売り場というのはお客さんが少ないので、一人でも入店するとたちまち注目の的になってしまいますが、できることならもう少しだけ自由に商品を見られる雰囲気を与えてくれたらと思います。あまりにも「待ちかまえている」といった格好なので、あれではよほど気の強い人か図太い神経の持ち主、あるいは買う気満々の人でなければ、ゆっくり見て回って、ましてや音を出してみるなんて事はできませんから、もしマロニエ君が経営者ならちょっとスタンスを変えてみるかもしれません。

まあ、そうはいっても、こっちは見るだけなので、よけいにそこのところが痛切に感じられてしまうのかもしれませんが…。それでもそのスタインウェイのSがあまりにきれいな仕上がりだったので、ちょっと感心してジロジロみていると、店員の中から一人の女性が、まるで意を決したナンパ師のように決然とこちらに歩み寄ってくるのがわかりました。
「グランドピアノをお探しですか?」と声をかけられてしまいました。

「ちょっと見せていただいているだけです」と答えたら、どうぞ!と笑顔で少し距離を置いてくれました。
でも結局は話しかけられたお陰でザウター(南ドイツのピアノメーカー)のオールカラーの分厚くて立派なカタログをもらってしまいましたので、結果的にはラッキーでした。

この島村楽器は関東ではかなり輸入物のピアノ販売にも力の入った会社なので、できることならせめてグランドを5〜6台は置いてほしいところです。というのは、いくら店構えが大きくてもグランドが2台ではいわゆる専門店というイメージには至らず、たんに主力の電子ピアノの脇に本物の高級品もいちおう置いてますよという印象しか抱けません。
それが一定数まとまればお客側にもインパクトとなり、専門店としての認識も得られ、ひとつの勢力にもなるような気がしますが…そのためには天神の一等地では難しいかもしれませんね。
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ピアニストは世襲?

最新号のクラシック音楽関連の雑誌は、どれもほとんどショパンコンクールを巻頭で特集しています。
どれか一冊は買おうと思って見くらべてみた結果、その名にかけて力の入った特集を組んだと見えて、雑誌ショパンの12月号が最も読み応えがありそうなので、これを買いました。

音楽の友はややおざなりな感じがするし、先月のスタインウェイ特集で印象を良くしていたモーストリー・クラシックは、予想に反して先月ほど充実した特集とは思えなかったので、いずれも立ち読みだけにしました。

ショパンコンクールの結果についてはいまさらどうこう言うつもりはありませんが、ファイナリストのひとりひとりへのインタビューを読んでいると、ちょっと気になる発言がありました。
今回は2位が2人いるのですが、そのうちのひとり、ロシアのルーカス・ゲニューシャスの発言です。

『いろいろな演奏会のお話もいただけて、自分の求めていたものが得られました。僕はこのコンクールに1位をとるためにきたわけでも、膨大な演奏会契約が欲しくてきたわけでもありませんから。それに「2位」のほうが、もしかしたら音楽業界ではより魅力的な位置かもしれない。』

──???
3つの発言はすべてが矛盾しているように感じますし、それなら自分の求めているものとはなんなのでしょう? しかも2位という結果が出たあとから「1位をとるためにきたわけではない」というようなことを未練がましく言うあたりが、こちらからすればいかにも見苦しい。
「膨大な演奏会契約が欲しくてきたわけでもありません」と言ったかと思うと、「2位のほうが、もしかしたら音楽業界ではより魅力的な位置かも」などと、次々に妙なことを言う青年です。

現代では、個々の演奏家が自らの修行とか音楽芸術に没頭することより、わずか20歳の若さで、こういう建前&業界人のようなことを平然と口にすることも珍しくはないのかもしれません。氾濫する情報をもとに手堅いプランを練り、したたかに自分の進む道を計算しているみたいで、あまりいい気はしませんでした。
すでに今後の自分を音楽ビジネスのタレントとして捉えているのか、若いのになんとも抜け目ないというか、こういう言葉を聞くと、すでにこの人のピアノを聴いてみたいという気が起きなくなってしまいます。

実はこの人、かのヴェラ・ゴルノスターエヴァ(モスクワ音楽院の有名な教授)の孫なのだそうで、本人曰く『僕がピアノをはじめたのは、本当に自然の流れでした。親類縁者、過去までさかのぼって見まわして、家族の90%が音楽家です。たぶん、音楽家でないのは今は2人しかいないかな。この状況になると、音楽家にならないほうが難しい。』と自信満々に言っていますが、サーカスの一座じゃあるまいし、マロニエ君は過去の経験から、こういうたぐいの出身の人というのをあまり信用していません。
代々音楽一家というようなところから出てきた人というのは、一見いかにもサラブレットのようですが、実は意外に大した人はいないものです。

これは政治家や俳優でも二世三世というのがもうひとつダメなのと同じ事のような気がします。
たしかに環境の力によって、人よりも優れた教育を早期に効率的に受けるチャンスも多いので、才能があればそこそこには育つのですが、本物の音楽家や天才というのは(ようするに芸術家は)、どこから出てくるかわからない、いってみれば存在そのものが奇跡的なものなのです。
つまり、とくだんの理由や必然性もないところから突然変異のようにして姿を現す本物の才能というのは、やはりそのスケールがまるで違うというのがマロニエ君の見解です。
音楽一家だの政治家一家だのというのは、ほとんど場合、親を追い越すこともできません。

まあそれが通用するのはせいぜい梨園ぐらいなものでしょうが、こちらもいま騒がしいようですね。
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NHKドラマより

ピアノが出てくるという予告に反応して、NHKの『心の糸』というドラマを録画していました。
ところが、内容はてんでマロニエ君の好みではなく、実はまだ最後まで見通してもいません。

主人公の男の子は母親と二人暮らしですが、ピアノが上手く、もっか芸大を目指す高校生で、狭い借家にグランドピアノを置いて練習に励んでいます。
母親はろうあ者で、聞くことも話すこともできないのですが、息子の練習中、床にそっと手を当てて、その振動で息子の弾くピアノを感じ取っています。

母親は息子を立派なピアニストに育てるという一念で、障害者であるにもかかわらず、必死に海産物の工場で身を粉にして働いており、暮らしは決して恵まれてはいません。

そんな中、主人公がピアノのレッスンに行った折、いかにもというツンツンした感じの女の先生が自分のリサイタルのチケットを強制的に買わせるため、各生徒に振り分けているのですが、彼には「(事情を配慮して)普通よりも少なくしてあるから安心して…」といいながら、一枚4000円のチケットをそれでも15枚!渡されます。

主人公はチケット代6万円を先生に払わなくてはならなくなって困り果て、ただでさえ苦労の絶えない母親にそのことを言い出せず、ついアルバイトの募集広告などにも目が止まります。
ところが次の週、主人公がレッスンを休んだために、生徒の身を案じてではなく渡したチケットの件がどうなったかが気になって彼の自宅へ問い合わせのファックスを送り付けます。
それがもとでチケット代が必要なこともレッスンをサボってしまったことも、いっぺんに母親にバレてしまうというシーンがありました。

マロニエ君には、ピアノの先生の悪い面というのが、世間一般でこういうふうに捉えられ、ドラマであるぶん多少の誇張をもって描かれているように思いました。
まあ、これはいささか極端だとは思いますし、リサイタルをするほど「弾ける先生」もめったにいないものですが、それでもある種の核心は突いているように思えました。

しょうもないリサイタルをするような人は、普段だいたい先生をしていて、慢性的に不満を抱え、自己愛と自己顕示欲が強く、人の気持ちも、物事の道理も、社会常識もろくにわからない人物が珍しくなく、発想は常に一方的で、物事を「お互い様」という力学で判断することのできない自己中人間が多いわけです。
リサイタルをするとなれば、自分と関わりのある人間は当然来るものと算段し、そこには基本的に感謝の気持ちも申し訳ないという心遣いもありません。

ピアノが弾けて、生徒の先生で、リサイタルをするのだからエライというわけでしょう。

自分は極力お金は使わず人の為に何かをするということがないのに、他人が自分のためにお金を出したりタダ働きするのは当然という感覚。
そういう社会性の欠落した人物が他人に容赦なく迷惑をかけるという役どころとして、ピアノの先生が起用されたところにプロデューサーの的を得た思惑が感じられ、思わず笑ってしまいました。
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天才と家族

昨年のクライバーンコンクールに優勝して以来、辻井伸行さんの人気はますます上がり、彼を取り扱ったドキュメンタリー番組など、もう何本見たことか、その数さえはっきり覚えられないほどです。
最近に限っても、NHKの番組でショパンの軌跡を辿ってマヨルカ島に行くものや、民放ではクライバーンコンクールの優勝者としてアメリカに再上陸し、コンサートに明け暮れる彼の様子などが放映されました。

マロニエ君も辻井伸行と聞くとつい見てしまうわけですが、その一番の理由は彼のあの衒いのない、その名の通りのびのびと我が道を歩み、心底から湧き出てくる希有な音楽の作り手だからだと思います。
すこしも見せつけてやろうという邪心がなく、いきいきと輝く清純そのもののような音楽を耳にできることは、ピアニスト辻井伸行を聴く上で最大の魅力だと思います。

人間的魅力にもあふれ、全盲という大変なハンディがあるにも関わらず、むしろ健常者よりも明るく快活で、良い意味で前向きなところは、むしろこちらのほうが反省させられてしまうことしばしばです。
会話の端々にも彼の人柄のすばらしさが表れ、そしてなによりとてもカワイイ人だと思います。
また彼は、ピアノはもちろんのこと、話す日本語も、非常にまともな美しい日本語である点も、彼の話を聞くときの心地よさになっているように思います。
間違いだらけの日本語が大手を振って氾濫する中で、こういう若い人の口から発せられる、正しい美しい日本語を聞くと、失いかけたものがまだ残っていいるというかすかな希望の念と、一時的にせよホッとする気分になるものです。

その点では彼のお母さんは大変苦労されたとは思いますが、やはり出自が元アナウンサーということもあり、この世界の人達に共通する独特な調子のトークで、いつでも人に聞かせるよう鮮やかに話をされるのが、彼の作り出す音楽の世界とは、ちょっと雰囲気が違うような気もします。

また彼が演奏家として独り立ちしつつある現在、お母さんの付き添いを辞退し、そこには長年自分に付きっきりだったお母さんにはこれまでになかった自分の時間を持ってもらいたいとの気持ちがあるのだそうで、なんとも彼らしい麗しいことだと思っていました。
ところが、やはり今風だなあと思ってしまったのは、息子の付添の手が離れたぶん、ゆっくりと自分の時間を楽しんでいらっしゃるのかと思いきや、今度は自分が主役となって子育てなどをテーマとする講演活動のため演壇に立ち、東奔西走しているという事実にはちょっと戸惑いを感じてしまいます。

元アナウンサーの母上殿にしてみれば、マイクを前に大勢の人に向かって話しをするのは、いわば本能なのかもしれませんし、あるいはよほど仕事がお好きなのかもしれません。
すでにこのお母さんの執筆による本もマロニエ君の知る限りでも2冊出版されていますし、その手際の良さには感心するばかりです。

ちょっとでもチャンスがあれば、それを逞しくビジネスに繋ぐのが現代では最善の価値なのだろうかと思います。
辻井伸行のあの明るい人柄と、その音楽的天分、そしてなによりも彼が紡ぎ出し、歌い上げる輝く音楽のために、身内としてなすべきことはなんだろうかと、つい考えてしまうのはマロニエ君だけでしょうか。
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青蓮院のブリュートナー

友人が新聞の切り抜きをくれました。
マロニエ君がピアノ好きであることを知って、ときどきこういうことをしてくれるのでありがたいことです。

それによると京都の青蓮院(天台宗の寺院)で今月10日、ブリュートナーのグランドピアノを使ったフジコ・ヘミングによる奉納演奏が行われたそうです。
そのブリュートナーは1932年製のもので、青蓮院にこのようなピアノがあるのは先代門主の東伏見慈洽(今年満100歳)がピアノを嗜んだという思いがけない理由があるからのようです。

この東伏見慈洽は久邇宮邦彦王の三男で、香淳皇后(久邇宮良子女王)の弟にあたります。
大叔父である東伏見宮依仁親王に子がなかったために、曲折の末に東伏見宮を継承することになり、戦後の臣籍降下を経て、仏門に入り青蓮院の門主となったようですが、ピアノは昭和7年(22歳のとき)に近衛秀麿指揮の新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でハイドンの協奏曲のピアノの録音演奏を行うほどの腕前で、それはCDにも復刻されているとか。
ちなみにこれは、ハイドンのピアノ協奏曲の世界初の録音となったそうです。

慈洽氏(猊下と言うべきか…)は仏門に入ってからもピアノを弾いておられたようで、子息で現門主の慈晃氏によると、ベートーヴェンのワルトシュタインなどの譜めくり役で演奏に随行したこともあるとか。

ところが、このピアノはあるころから経年による疲労が見え始め、いつしか内部はカビが生え、鍵盤を押しても鳴らない音があったり、鍵盤そのものが最初から下がりっぱなしのものがあるなど、ここ20年ぐらいは弾かれない状態になっていたといいます。
それでも慈洽氏がこのピアノを手放さなかったらしく、終戦の直前などは居所を転々として財産をあれこれ処分する中にあっても、このピアノだけは慈洽氏の手元を離れることは決してなかったということです。

そのピアノが製造から80年近く経って、ついに修復を受けることになり、青蓮院の書院からクレーンでつられて搬出され、1年がかりで全面的な修理を受けたというものでした。費用は新品のグランドが一台買えそうな金額になったとか。

それにしても皇族でこのようなピアノの名手がこの時代に存在したということも驚きでした。
しかし思えば、今上天皇はチェロをお弾きになり、東宮殿下もヴィオラを弾かれるのは有名ですから、西洋音楽に対する造詣も深いという一面は日本の皇族の隠れた伝統なのかもしれません。

記事にはマッチ箱ほどの大きさの写真がありましたが、それから察するにこのブリュートナーはコンサートグランドのようで、このピアノ一台で購入当時は小さな家が4軒建ったといわれていたそうです。

以前も岡山かどこかで見事に修復されたグロトリアン・シュタインヴェークをルース・スレンチェンスカ女史を招いてお披露目するという番組をやっていましたが、最近は日本でも高度なピアノ修復の技術が珍しくないものになってきたようですから、こういう由緒あるピアノがあちこちで息を吹き返していくのは嬉しい限りです。
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ショパンの手形

今年の夏ごろのこと、東京にいる音楽好きの友人によると、彼の知り合いが今年のショパンコンクールに行くというので、ショパンの有名な手形を買ってきてくれるように頼んだという話を聞いて、それなら申し訳ないがぜひもう一つと言ったところ、すでにマロニエ君の分まで頼んでくれていました。

ご当人が帰国されてずいぶん経ちますが、なかなか会う機会がなかったというので、先日ついにその手形が送られてきました。

わかってはいても、実物を見るまではまさにドキドキものでした。
果たしてそれは実物大のショパンの左手の立体モデルで、知る限りではブロンズ(金属)と石膏の二種類があるようです。
もちろんどちらでもよかったのですが、受け取ったのはブロンズのほうでした。

マロニエ君はショパンコンクールの会場にでも行けば、こういうものはたくさん売っているのかと勝手に思っていたのですが、全くそうではないらしく、こんなお願いをしたばっかりにその人はワルシャワ市内をあちこち探し回ってくれて、苦心の末にやっとあるところで見つけて買ってきてくれたという事を聞き、感謝感謝です。

ショパンが小さな手をしていたことはつとに有名です。
むかし東京のショパン展でガラス越しに見た手形の記憶でも、えらく小さいという印象だけが残っていましたが、ついにその実物が我が家に届き、じっくりみてみると、なるほどショパンらしい繊細な細長い指ですが、全体の大きさは、どちらかといえばやや小柄な女性の手ぐらいといったところです。
マロニエ君も身長に較べると手は大きい方ではないので、ピアノを弾くにはあまり恵まれていないと思っていましたが、それでもショパンの手とくらべるとまるで大きさが違います。
よくぞこんな小さな手で数々の演奏会を開き、そしてあんなにも複雑で指の届かないような曲を書いたものだと、ショパンの傑出した天才には驚きを新にさせられます。

むかしこれと同じ物の石膏の手形に、アルトゥール・ルービンシュタインがサインをしてほしいと求められたところ、「ショパンの手に私がサインなどできない」と言って、代わりに小さなハートを書き込んでいるところの写真があるのを思い出しました。
いかにも彼らしい気の利いた振る舞いですね。

知人に聴いたところでは、北九州市立美術館の分館で行われている「ポーランドの至宝・レンブラントと珠玉の王室コレクション」でも同じ物が展示されていたといいますから、それが我が家にあるのだと思うと妙に嬉しくなりました。
もしやネットオークションあたりでは買えるのだろうかと思い、あれこれ検索してみましたが、かすりもしませんから、やはり日本ではまだまだ貴重なもののようです。

さて、どこに置くかをずいぶん悩みましたが、やはりピアノの上しかありません。
その手を置いたピアノでショパンを弾くのは、なんだか厳粛な気分になってしまいます。

皆さんにも見ていただくべく、表紙の写真のひとつをこの手形に差し替えました。
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続・プレイエルに呼ばれて

昨日のプレイエルの余談です。

実は、この古民家に着いたときから薄々感じていたことがあるのですが、それは昔、母や叔母達がこのあたりを車で通るときに戦時中祖母達が疎開した家がまだあると話していたことでした。
とはいっても、ずいぶん昔のことで、走っている車の窓ごしに見ただけですから、具体的にどの家ということまではマロニエ君には正確にはわからないままでした。

カーナビの命じるままに走ってきていよいよ目的地に近づくと、明らかにそのエリアであることがわかったので、おやっと意外な気がしていたわけです。この気分は帰宅するまでずっとつきまといました。

家に帰るなりさっそく母に話をしたところ、なんとその古民家は戦時中、マロニエ君の曾祖母ら数人が戦禍を逃れて一足先に疎開をしていた家そのもの!であることが判明し、まだ子供だった母達も当時たびたび博多からそこを訪れたということで、家の姿形まで正確に覚えているのにはびっくりしました。

そして、そこへまた70年近い時を経てマロニエ君がこうしてピアノを見るためにそこを訪れることになろうとは、なにかの因縁めいたものを感じました。

その築180年という古民家もたいへん大きく立派なもので、なんと母の記憶によれば現在の喫茶店部分に当たるところが曾祖母達が疎開で一時期暮らした部屋があった場所であることもわかり、まるで曾祖母がマロニエ君を行かせてくれたような気さえしてしまいます。

今度コンサートで演奏される方もその家のご子息で、こんな偶然があるのかと深い感慨を覚えました。

あたりは文字通り一面の緑で、建物のすぐ脇には小さな山の斜面が迫り、その頂上近くには写真でしか見たことがないような巨大な桜の木があり、まるで屏風絵のようなその威容は思わず息をのむような存在感で、その桜の巨木がこの一帯の主のごとくで圧巻でした。

ピアノに関しての補足ですが、昔のモデルの復刻ということで、ルノワールの絵に『ピアノに寄る娘達』という有名な作品がありますが、これは同じモティーフの作品が3点存在し、それぞれオルセー美術館、メトロポリタン美術館、オランジュリー美術館に所蔵されている誰もが一度は目にしたことのある名画ですが、そこに描かれたピアノがこれだということでした。
まあ、昔のピアノには燭台がついているし猫足も木目の外装も珍しくないので、確実にそれが同型のプレイエルかどうかはマロニエ君としては確証は持てませんでしたが、少なくともそういうエピソードもあるようです。

そのプレイエルはこの家の立派なお座敷の床の間横に、響板を縁側に向けて置かれていましたが、この純日本式の空間にクラシックな木目のプレイエルが不思議に調和しているのが印象的でした。
次はぜひコンサートでその音色を聴いてみたいものです。
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プレイエルに呼ばれて

一週間ほど前の新聞紙上で、前原市の奥にひろがる田園地帯に佇む築180年という古民家で、プレイエルピアノ(歴史あるプランスのピアノメーカー)を使った小さなコンサートがあることを知りました。

プレイエルと聴くと思わず反応してしまうマロニエ君なので、詳細もわからないまま聴いてみたくなり翌日電話をしたところ、すでに定員の50名のチケットは売り切れていました。
しかし来年も同じような企画があるらしく、そのときは案内を出すので、まずは一度来てみられませんか?ピアノにも触ってもらっていいですしというお話をいただいて、ドライブを兼ねてともかく行ってみることにしました。

古民家の敷地内の駐車場に車を止めて外に出ると、いきなりピアノの音が聞こえてきて、どうやら調律の真っ最中のようでした。

すぐにオーナーの女性が出迎えてくださり、まずはこの建物の一角にある喫茶店に入りました。
あれこれと雑談など交わしているうちに、洩れてくる調律の音はしだいに高音部に差しかかり、終盤をむかえているようでしたが、すでに3時間以上やっているとのことでした。
その調律師の方はプレイエルの経験のある方ということで、わざわざ来られたとか。

コーヒーを飲み終わった絶妙のタイミングで調律が終わり、オーナーが店の裏にあるピアノのほうへ案内してくださいました。

するとなんと、またしても顔見知りの調律師さんがそこにおられ、数年ぶりにお会いできて、思いがけないところでお話ができました。
いまさらのようですが、つくづくとこの世界の人の繋がりの不思議さを感じずにはいられません。
ウワサなんてあっという間でしょうから、いやあ悪いことはできませんね!

ピアノは新しいものでしたが、左右両側に燭台のある昔のモデルの復刻ということでした。
プレイエルではすでにアップライトの生産は終了していますので、このピアノはおそらく最後期に生産された貴重なモデルだろうと思われます。(今後アップライトを作らないというのはグランドに特化した高級メーカーにシフトするという事でしょうから、大変思い切った方針のように思えます。ちなみにイタリアのファツィオリもグランドのみ。)

どうぞ弾いてくださいといわれても、まさか調律したてのよそ様のピアノをマロニエ君がまっ先に弾くのも憚られるので、ほんのちょっとだけ軽く音を出させていただきましたが、プレイエルらしい甘い音色が特徴的で、タッチは非常になめらかでしっとりしているし、ラウドペダルの感触やタイミングなども独特で、やはり日本のピアノとは根本的に異なる生まれだということを感じました。
ピアノの状態はまだ限りなく新品に近い状態で、もう少し経つと独特な味と落ち着きが出てくるだろうと思われ、今後の熟成が楽しみです。

オーナーのご厚意で大変貴重な経験ができました。
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自己流準備運動

「水に入る前は必ず準備運動をする」というのは小学校のプールの時間などでは当然のこととされ、はやる気持ちを抑えながらしぶしぶ実行させられていたものです。

その必要性が、いまごろになってなってピアノでわかっていたような気がします。
むかしレッスンに通っていたころは、ハノンのような純粋の指運動からはじまり、ツェルニーなどの練習曲を経由して、最後になんらかの曲を弾くというのがパターンでした。

しかしレッスンに行かなくなってからというものは、そんな義務的な順序など守るはずもなく、いつもいきなり好き勝手に曲を弾いていましたが、だんだんとそういうやり方はよくないのでは?と(今さらあまりに遅いですが)感じるようになりました。

そもそもマロニエ君が下手くそということもあるのですが、いきなり曲に入るとなかなか指が思うように動いてくれません。しかし、たまに長時間弾き続けた時などは、途中からいやでも指がほぐれて、自分なりに指がよく動くようになるのを感じることがあるものです。この状態を人工的に短時間で作り出せないものかと考えるようになったわけです。

そこで、この一年ほどある連続運動を要する曲を、通常のテンポの2倍ぐらい遅いスピードで2回ほど丹念に通して弾くような習慣をつけてみると、これがはっきりと効果を上げたのは我ながら驚きました。
さらにごく最近は、弾きはじめる前に、5分ぐらいかけて両手を使ってお互いの指の間を縦横にゆっくりと押し広げるようにほぐす、あるいは左右互いの手で力一杯握ってみるなどすると、さらに効果があることがわかりました。

いきなり水に飛び込むのではなく、プールサイドでじっとガマンの準備運動というわけです。

これはゆっくり弾くからこそ効果があるようで、それを普通のテンポでやるとまるで効果がないことも経験的にわかり、これまたひとつの発見でした。
ちなみにマロニエ君がこの準備運動に使っている曲はショパンのエチュードop.25-1「エオリアンハープ」ですが、このめっぽう音数の多いアルペジオ地獄みたいな作品を、ゆっくりと老人のようなスピードで一定して弾いてみるのはそれなりに大変で、すべての音をきちんと出してあくまでも丁寧に弾くにはかなりのきつさがあり、一回弾き終えただけでも相当の運動になるものです。そして2回目は心もちスピードを上げます。

たとえばトントンと普通に降りられる階段を、敢えて3倍のスピードをかけてスローモーションのようにゆっくり降りろと言われたら、見た目は静かでも、これは筋肉を非常に使うきつい運動になるのと似ているような気がするのです。
ピアノには指を早く動かす訓練だけでなく、こういうスローな訓練も関節や筋肉のためには意外と役に立つように感じているのですが、実践しているという話はあまり聞いたことはありません。
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アジアの台頭

現在、世界には正確な数さえ掴めないほどの夥しい数のピアノコンクールがあるそうですが、そんな中でも最上級のというか最難関といえる名の通った権威あるコンクールは、せいぜい両手の数ぐらいではないでしょうか。

この国際コンクール。ある時期から日本人の参加者が猛烈な勢いで増加して、主催者はじめ周辺を驚かせているという時期があったのはマロニエ君も覚えがあって、ブーニンが優勝した1985年のショパンコンクールあたりから明瞭に耳にするようになった記憶があります。
当時審査員だった園田高広氏は、その日本人参加者の団体を引き連れてくる親分のように審査員仲間から言われたというような意味のことを、帰国後ご本人がしゃべっているのをテレビで観たほどです。

チャイコフスキーコンクールなども同様で、どこも名だたるコンクールのステージには日本人が大挙して参加し、客席はそれを応援する日本人聴衆で溢れかえり、使われるピアノも日本製があるなど、名だたるコンクールは今や日本人大会と思っていて間違いないなどと嫌悪的に言われた時期がありました。

その後は中国と韓国の台頭が目覚ましくなり、今ではこの二国が世界の主要コンクールの中心を占めるようになり、同時に日本人の参加者は減少傾向にあるようです。これらは一つには、ピアノに対する東洋勢のパワーというのもある反面、欧米のピアノ学習者の数が減少しているという二つの現象が合わさったでもあるのです。

あるピアノのコンクールに関する本を読んでいると、興味深い記述が目に止まりました。
欧米人の参加者が減少していったのは、ピアニストというものが幼少時から厳しい訓練と努力を課せられ、いわば青春時代までのほとんどすべてをピアノのために捧げて育つようなものですが、そうまで一途に励んでも、先がどうなるかはまったくの未知数という、いうなればあまりにリスクの高いピアニストへの道をもはや目指さなくなり、同じ人生をもっと効率よく確実に豊かに生きていこうという計算をするようになり、音楽は趣味が一番という考え方に変わったきているということでした。

まさにむべなるかなで、努力対効果という点でピアニストへの道ほど効率の悪い、理不尽なまでに報われない世界はこの世にないような気がします。
例えば、ショパンコンクールに出場し、さらに一次に受かるような力があれば、これはひとつのジャンルにおいて世界の中の若手40人ほどの精鋭に選ばれたことになるわけですから、他のジャンルでそれに匹敵する実力をつけて職業にすれば、おそらく確実にエリートであり、輝くような地位と報酬が約束されるのはおそらく間違いないでしょう。

ところが、ピアノに限っては、そんな程度ではなんということはありません。
ましてやコンサートピアニストとして認められ、演奏のみを職業として一生涯を送るとなると、桁外れの才能とよほどの幸運が味方しなければまず巡ってくることなどないでしょう。
現に著名コンクールに上位入賞しておきながら、そのあとがどうにも立ち行かなくなり、とうとうコンピューターのプログラマーに転身したというような人もいるとか。

マロニエ君も思いますが、ピアニストになる修行なんて、少しでも冷静に先が見えてしまっならできることじゃなく、まして親ならそんな報われない道へ我が子を進ませようとは思わないでしょう。
たとえ愚かであっても、いつの日か自分や我が子が晴れやかなステージで活躍し喝采を受けるシーンを想像して奮闘できなければ、あんなべらぼうな努力と苦しみの日々なんて耐えられるわけがありませんからね。
その本によれば、音楽の本場であるはずの欧米人(そろそろ日本人も?)はある時期から皆舞台を降りて、客席へと自分達の居場所を変えつつあるのだそうです。
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ホールでの雑感

先日は知人からの急な誘いで、とあるホールのピアノを弾かせてもらいに行きました。
ここはすでに何度か足を運んだことのある会場で、新旧二台のピアノを弾くことができました。

古い方のピアノは50年近く経過したピアノですが、管理がいいことと、このホールの主治医(保守点検をする技術者)の腕が優れているために、非常に素晴らしい状態が保たれています。
それだけでなく、この世界の名器の持つ強靱な生命力にもあらためて感嘆させられました。

とりわけ今回感じたことは、そんな歳のピアノなのに、タッチが非常に瑞々しくてコントローラブルな点です。
タッチはピアノの中でもとりわけ機械的物理的要素の強い部分だけに、古いピアノではまっ先にガタなどがでるものですが、それがこれだけ良好な状態を保っていること自体、驚きに値することです。

もちろん50年近い時間経過の中でどのような経過を辿ってきたかは知る由もありませんから、専ら今現在のことしかわかりませんが、どう考えてみたところで、結局はピアノの素性の良さ、手入れの良さ、それに主治医の優秀さ以外には思い当たりません。

唯一残念なのは音の張りと伸びがやや劣ることで、これはマロニエ君の素人判断では、ずいぶん長いこと弦交換がなされていないためだと思われました。弦やハンマーはいわゆる消耗部品ですから、その点だけは技術者の日ごろの管理だけではどうにもならないものがあり、交換するにはかなりのコストも要することからホール側、あるいは行政側の担当者の意向に大きく左右されることでしょう。
これが関係者の間で実行されるような判断が働けばいいのにと、部外者のマロニエ君は切に思うばかりです。

いまさらですがホールという空間は実に不思議な、魔法のような空間だと思いました。
それはピアノの周辺ではピアノの音は自宅で聞くそれよりも一見パワーがないように感じるものですが、少し離れて客席に移動すると状況は一変し、朗々とした力強い響きが解き放たれるようにあたりを満たしていることがわかります。さらにホールの中央から最後部へと場所を移しても、音源からの距離の違いがもたらす響きの違いはあるにしても、ピアノの音のボリューム自体はほとんど変わらないかのように聞こえるのは、あらためてすごいもんだと思います。

よく雑誌の企画などで、「あなたの理想のピアノの音とはなんですか?」といったたぐいの質問に、判で押したように「ホールの隅々まで行きわたるような音」という意味の答えをするピアニストが多く見受けられるものですが、ホールでこういうチェックをしてみると、それはピアノというよりは、ホールのほうに寄せるべき心配だと思われましたし、よほど時代遅れな音響設計のホールでなければ、多少の差異はあるにせよもうそれでじゅうぶんでしょう。

そんなに音が隅々まで行きわたってほしいなら、それに値する質の高い演奏、人の心にしみわたり、魂を揺さぶるような音楽を聴衆に提供することに専念してほしいものです。
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行商ピアニスト

現在読んでいる様々なピアニストの事が書かれた本の中に、日本人で国際的に活躍する女性ピアニストのある時期のスケジュールに関する記述があって驚きました。

まあ敢えてピアニストの名前は伏せておきますが、たとえばこんな具合です。
イギリスから北欧に移動し、レコーディングでドビュッシーの12の練習曲他を録音してすぐに帰国、ただちに数箇所でリサイタル、それが済むと別の場所で今度はジャズピニストと共演、再びイギリスに戻りさる夏期講習の講師を務め、さらに友人ピニストと2台のピアノのコンサートに出演、そして再び帰国。翌日ただちに夜遅くまで軽井沢の音楽祭のリハーサル、さらに翌日の本番ではリストのロ短調ソナタを弾いて、終演早々に東京に戻り、翌日再びヨーロッパへ。今度は北欧のオーケストラとラヴェルのコンチェルトを弾く──といったものでした。

本人曰く、イギリスと日本との往復が激しく、だいたい一年のうち一ヶ月は飛行機の中で過ごしているんじゃないかということです(これって自慢なのか?とつい思いましたが)。
ともかく、たった一人で年中旅に明け暮れ、ホテルとホールを往復して、終わればまた別の場所に向かうことの繰り返し。
日本人で国際コンクールに上位入賞しても、こういう生活に耐えられない人はヨーロッパに留まって活動はしていないということでしたが、それが普通でしょうね。

これを可能にするにはピアノの才能は当然としても、体力、精神力、孤独に対する強さなど、まるで音楽家というより軍人のような資質が求められるようです。
体も健康で、神経も強靱で図太く、こまかいことにいちいち一喜一憂するようではとても間に合いません。

しかし、マロニエ君はこれが最先端で活躍する政治家やビジネスマンならともかくも、ピアニストという点が非常にひっかかりました。こういう苛酷な生活を可能にするような逞しき神経の持ち主が、はたして、もろく儚い音楽を感動的に人に聴かせることができるのか、繊細の極致とも呼ぶべき音楽作品を鋭敏な感受性を通して音に変換し、演奏として満足のいくものに達成できるのかどうか。

実はこのピアニストはずいぶん前に私的な演奏会があってたまたま招かれたので、たいへんな至近距離で聴いたことがありますが、それはもうまったくマロニエ君の好みとは懸け離れた、ラフでときに攻撃的な演奏で、小さな会場ですら聴き手とのコミュニケートがとれず、ひとり浮いたようにガンガン弾き進むだけの演奏でした。
演奏の合間のトークも手慣れたもので、なんだか日ごろから演奏とか音楽に対して抱いている、あるいは期待しているイメージとは程遠いものを感じて、そういう意味でとても印象に残っていましたので、この本を読んでこの人のことが書かれているところには妙に納得してしまいました。
但し文章の論調はこの女性を褒めているのですが、そこはまあ本人に取材して書いているのでやむを得ないことなのでしょう。

こういう事実を突きつけられると、ホロヴィッツ、ミケランジェリ、グールドのような傷つきやすい繊弱な神経をもった真の芸術家がコンサートを忌避してしまう心情のほうがよほど理解に易く、しかも困ったことに聴きたいのはこういう人達の演奏なのですから皮肉です。
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ご同慶の至り

日曜は大変お目出度いことがありました。
かねてよりピアノ購入を検討していたマロニエ君の知人が、ついに決断したのです。

その人とは何カ所かのピアノ店を回りましたし、その他の場所でも共に弾いて楽しむ趣味のピアノの仲間です。
ピアノと音楽が好きという点では大いに共通していますが、彼はとりわけ古典派の作品を嗜み、一人の作曲家なり一つの作品にキチンと真面目に打ち込むタイプで、その点ではあれこれと節操なく弾きかじっては一箇所に落ち着けないで、中途半端な仕上がりばかりを増やすマロニエ君とは大違いです。

購入機種の候補としては国産のピアノにも気になるものがあり、あれこれと考えていたようですが、なにしろ現在の住まいがグランドピアノを置けない環境らしいので、ピアノ購入はいずれどこかへ引っ越してからの事とゆったり構えていたところへ、マロニエ君の知る技術者からの話が飛び込んできて、その人が取引をしている海外のブローカーからの情報がもたらされました。

今はまだその時期ではなかろうと思いつつ、「いい話だから伝えるだけは伝えてみて欲しい」と言われ、ひとまずダメモトで言ってみたのが事のはじまりだったのですが、それが結局は購入へと実を結んだわけです。
考えてみれば、ピアノに限らず、自分が一番好きなことに関する情報は、そうそう軽く聞き流して打ち捨てることは人はできないものかもしれませんし、逆に行動を起こすきっかけになるのかもしれません。

はじめ2台だったものにもう1台加わり、計3台のピアノ情報が寄せられたのですが、なにしろピアノは遠く異国の地にあり、写真を見る以外は、触れることも音を聴くこともできません。
写真は要求するたびに数を増し、しまいには響板の裏から撮った写真まで送られてきましたが、こんなときネットの力はやっぱりすごいもんだと思いました。

本当は現地へひとっ飛びしてくるのが一番良いのですが、遠い外国ともなるとそう簡単にもいきません。
結局写真と情報だけで決断せざるを得ず、本来ならこんなピアノの買い方は決して正しいとは言えず、マロニエ君としても現物確認できないことが人ごとだけによけいに気にかかりました。
しかし、そのかわりにはいろいろと都合のいい事情が絡んだことと、折からの円高で、価格は国内で買うよりも有利ということもあり、万が一気に入らなくても決して損になるような買い物ではないという判断も働いて、ついに購入の決断に至ったというものです。

写真によると、ピアノは美しいギャラリーの一角に置かれていただけのようで、製造後10年足らずであまり弾かれておらず、非常に程度がよさそうなピアノであることが窺えたのも決め手だったようです。あとの2台はすでに60年前後経過しているピアノで、これはこれで魅力だったのですが、今回はできるだけリスクを避けて新しめのピアノになりました。

本当はこんな隔靴掻痒な書き方はせず、もっと具体的にダイレクトに書きたいところですが、まあ浮き世にはいろいろと障りもあるかもしれず、なにぶん自分のことではないので、今のところこんな表現しかできないことを申し訳なく思います。

そのピアノがいつごろ遠路はるばる日本へやって来るのかはまだわかりませんが、今どきの発達したトランスポートシステムと、間に立っているのがその道のプロということも考えれば、そう遠いことではないと思われ、非常に楽しみです。
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ピアノを買うこと

一昨日書いたロート製薬のスタインウェイとピアノ同好会が紹介された同じページには、もう一つの微笑ましい文章が記されていました。
音大を出たわけでもない、ピアノがさして上手いわけでもない普通のサラリーマンが、友人がグランドピアノを買って喜んでいる姿を見てどうにも羨ましくなり、酒もタバコもやらないその人は、ついにS社のA型を買ったというのです。

果たしてピアノが来てからというもの、家に帰るのが楽しくなり、購入から2年後には結婚されたもののピアノはもちろん一緒で、いまは奥さんが昼間弾いているのが「ちょっとずるいな」という気がするという、ほのぼのとしたいかにも幸福感にあふれた話でした。

実はマロニエ君もこのところ、ピアノ購入を検討している知人の話を聞きながら、ピアノを買うということには、たとえ人の事であってもなんともいえない楽しさと華やぎがあり、そこから漏れてくる空気をクンクンと犬みたいに嗅いでは楽しませてもらっているところです。

ピアノが購入者のもとにやってくるということは、昔の嫁入り行列ではないですが、なんともお目出度い人生上の慶事のように思います。
これがもしヴァイオリンやフルートだったらどうなんだろうと想像してみますが、なんとなく少しニュアンスが違うように感じてしまうのは、マロニエ君がピアノ好きという理由だけではないようにも思うのですが。
ピアノを買うというのは生活の質までも変えてしまうような、きわめて情緒的な要素が強くこもっていて、なにか特別な事のような気がします。

例えば新しい立派なホールが落成しても、そこにピアノが納入されてはじめて、ホールに命が吹き込まれ、魂が込められるような気がするのはマロニエ君だけでしょうか?

ましてや一般人でピアノを購入するというのは一大イベントです。
とりわけ最近は電子ピアノという便利な機械が普及しているので、その前段階を踏み越えてついに本物のピアノを手にするというのは、まるで一人家族が増えるのにも似た心の高ぶりがあっても不思議ではないように思います。

これから共に過ごす長い年月、音楽という何物にも代え難い喜びを一緒に楽しむいわば伴侶も同然ですから、さまざまな予想を巡らせつつあれこれと検討してみるだけで心躍ような気持になるはずです。
それにつられて、マロニエ君も無性にピアノが買いたくなって困ってしまいます。
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ロート製薬

先に紹介したモーストリークラシックのスタインウェイ特集を見ていると、目薬などで有名なロート製薬の会長(といっても若い方でしたが)がピアノが好きで、大阪の本社には800人収容のホールがあるそうなのですが、そこに今年スタインウェイのコンサートグランドが入れられたとありました。

親しい楽器店から購入したというそれは、1962年のD型といいますからすでに50年近く経ったピアノです。
一説には、戦後のハンブルクスタインウェイでは1963年前後のピアノがひとつの頂点だと見る向きもあるようで、まさにその時期の楽器というわけでしょう。

この若い会長は小さい頃、いやいやながらもピアノを習った経験を生かして現在では練習を再開し、家にもヴィンテージのスタインウェイA型があるとか。
こうくると、その親しい楽器店というのもおおよその察しがつくようです。

驚いたことにはロート製薬の中にクレッシェンドという名の20名ほどのピアノ同好会があり、この自前のホールとピアノで演奏を楽しんでいらっしゃるそうで、なんとも粋な会社じゃないかと思いました。

20名というのがまたジャストサイズで、ピアノに限らずサークルやクラブのたぐいは会社や政党と違って、大きくなれば良いというものではなく、一定人数を超えるとどうしても会はばらけ、情熱や意欲がなくなり、互いの親密度は薄れ、参加意識も責任意識も失われていくものです。これに伴い人同士の交流も表面的なものに陥るばかり。
ここに天才級の坂本龍馬のようなまとめ役でもいれば話は別でしょうが、一般的にはこの法則から逃れることはできません。
マロニエ君もピアノではないものの、趣味のクラブを通じてそのことは身に滲みていますし、現にそれを知悉して人数の制限をすることで密度の高い活動を維持しているピアノサークルもあるようですが、これは実に賢いやり方だと思います。

それにしても、わずか20名が「自前のホールとスタインウェイ」で例会を楽しむというのは、ピアノサークルにとってまさに理想の姿ように思われます。
マロニエ君が所属するピアノサークルでも、リーダーの頭を常に悩ませるのは定例会の場所探しの問題のようです。

安くてピアノがあって、しかも気兼ねなく使える独立した空間というのは今どきそうそうあるものではありません。
ホールならそこらに余るほどごろごろあるので、それをポンと借りられたら世話なしですが、いかんせん高い使用料がそれを阻みます。

ロート製薬のピアノ同好会は場所や料金の心配なしに、専ら活動にのみ打ち込めるのは、あまたあるサークルの中でもまさに例外中の例外だといえるようです。
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シャネルとストラヴィンスキー

またしても音楽が関係する映画を観ることができました。
ヤン・クーネン監督の『シャネルとストラヴィンスキー』2009年・フランス映画です。

冒頭で、いきなりパリ・シャトレ座での有名な「春の祭典」の初演の騒ぎの様子が克明に描かれており、開始早々とても見応えのあるシーンでした。はじめは大人しくしていた観客は、あの野卑なリズムの刻みと不協和音、そして舞台上で繰り広げられるあまりにも型破りなバレエに拒絶反応を示し、喧噪と大ブーイングの嵐となり、ついには鎮圧に警察まで出てくるという衝撃的なシーンです。
バレエといえば白鳥の湖やジゼルと思っていた聴衆でしょうから、さしもの新しいもの好きのパリっこ達もぶったまげたのでしょうね。

楽屋裏でのバレエ出演者が、みな風変わりなおもちゃの人形のような扮装をしているので、てっきり演目はペトルーシュカだろうと思っていたら、始まってみると音楽が春の祭典だったので意外でしたが、よく考えてみると、あの大勢の男女の裸体に近い全身タイツ姿で繰り広げられるモダンでエロティックな春の祭典が定着したのは、戦後、ベジャールによる新演出によるものだということを思い出しました。あれ以外の春の祭典を知らなかったので、当時はこんな舞台だったのかと思いました。

さて、この様子を観てストラヴィンスキーに惚れ込んだシャネルが、パリ郊外の邸宅にストラヴィンスキー一家を住まわせ、自由な仕事の場を提供するのですが、シャネルとストラヴィンスキーは次第に惹かれ合い、ついには濃厚な男女の関係に発展します。同じ邸宅内にいる病気の妻や子ども達にもいつしかそれは悟られ、妻子は家を出ていってしまうのですが…。

それにしても、少なくともマロニエ君はシャネルとストラヴィンスキーの関係など聞いたことがないので、どこまでが本当かはわかりませんが、それをわざわざ調べてみようという意欲もなく、映画としてじゅうぶん以上に楽しめる作品だったのでそれで満足しています。

シャネルというのはマロニエ君の中では申し訳ないが成り上がり女性というイメージで、追い打ちをかけるように現代のブランドの捉えられ方に抵抗があって好きではなかったのですが、この映画の随所に表されたシャネルの、あの黒を基調とした美意識の数々は、服装にしろ家の内装にしろ、見るに値する美しいもので思いがけなく感嘆を覚えました。

シャネル役のアナ・ムグラリスは長身痩躯を活かして、次々に斬新な衣装を颯爽と身に纏いサマになっていましたし、ストラヴィンスキー役のマッツ・ミケルセンはいささか逞しく立派すぎるような気もしましたが、ピアノを弾く姿も自然で、もしかしたらピアノの心得があるのかもしれません。
ちょこちょこ登場するおそらくは興行師のディアギレフとおぼしき人物が、これまた実によくできていました。

ストラヴィンスキーに与えられた仕事場にはグランドピアノがあり、場所もパリ郊外だからプレイエルやエラールだったらストラヴィンスキーの音楽にはミスマッチではなかろうかと思っていたところ、果たして戦前のスタインウェイでしたので、そのあたりの細かい考察もじゅうぶん尽くされているのだなあと感心しました。
折々に挿入されるストラヴィンスキーの音楽は、知的な精神が野生的なリズムや和声の中に迷い込み、躍動、衝突、融合を繰り返すような類のない芸術作品で、いまさらながら感銘を受け、彼の作品をもっとあれこれと聴いてみたくなりました。
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スタインウェイの特集

メジャー音楽雑誌のひとつであるモーストリー・クラシックの最新号(12月号)は「ピアノの王者 スタインウェイ」と銘打つ巻頭特集で、全180ページのうち実に65ページまでがこの特集に充てられています。

別の音楽雑誌でも、今年の夏頃、楽器としてのピアノの特集が数号にわたって連載されましたが、いかにもカタチだけの深みのない特集で、立ち読みでじゅうぶんという印象でした。

それに対して、モーストリー・クラシックのスタインウェイ特集は量/質ともにじゅうぶんな読み応えのあるもので、こちらはむろん迷うことなく購入しました。
巻頭言はなんとドナルド・キーンによる「ピアノの思い出」と題する文章で、若い頃にラフマニノフはじめマイラ・ヘスやグールドの演奏会に行ったことなどが書かれており、また自身が幼少のころピアノの練習を止めてしまったことが今でも悔やまれるのだそうで、それほどの音楽好きとは驚かされました。
これまで見たことがなかったような、ニューヨーク・スタインウェイの前に端然と座るラフマニノフの鮮明な写真にも感動を覚えます。

他の内容としてはニューヨーク工場の探訪記や、スタインウェイの音の秘密などがかなり詳細に紹介されているほか、日本に於けるスタインウェイの輸入史ともいえる松尾楽器時代の営業や技術の人の話や様々なエピソード。
ボストンやエセックスなどを擁する現在のビジネスの状況や、ピアノの市民社会における発達史、さらにはスタインウェイとともにあった往年の大ピアニストの紹介、文筆家&ピアニストの青柳いづみこ女史による110年前のスタインウェイを弾いての文章。名調律師フランツ・モアの思い出話、ラファウ・ブレハッチ、小川典子などのインタビュー等々いちいち書いていたらキリがないようなズッシリとした内容でした。

この特集とは別に20世紀後半を担ったピアニストとしてアルゲリッチとポリーニが4ページにわたって論ぜられていたり、巨匠名盤列伝でケンプのレコードの紹介があったりと、ずいぶんサービス満点な内容でした。

ところで、思わず苦笑してしまったのはヤマハの店頭でした。
このモーストリー・クラシックの表紙には、嫌でも目に入るような黄色の大文字で「ピアノの王者 スタインウェイ」とバカでかく書かれているのですが、折しもショパンコンクールでは史上初めてヤマハを弾いた人が優勝したので、こんな最高の宣伝材料はなく、まさにこれから賑々しい広告活動に取りかかろうという矢先、実に間の悪いタイミングでこんな最新号がでたものだから、もしかしたら全国の店舗にお達しが出たのかもしれません。

普段なら各メジャー雑誌は表紙を表にして平積みされており、このモーストリー・クラシックもそのひとつだったのですが、今回ばかりは他のマイナー誌と一緒にされて、細い背表紙だけをこちらに向けて目立たない奥の棚に並べられていました。あんなにたくさん立てて並べるほどの雑誌が手前に置かれないこと自体、いかにも何かの意志が働いたようでみるからに不自然で笑えました。
気持はわからないではありませんが、なんだかあまりに単純で幼稚。せっかく良いピアノを作って栄冠も勝ち得た堂々たるメーカーなのに懐が狭いなあと思いましたが、企業魂とはそういうものなのでしょうか?
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スター消滅

ショパンコンクールがついに終わったようですね。
パソコン画面で毎晩夜中に音楽に際限なく集中するのはとても疲れるので、あまり見ないようにはしていたのですが、それでも一日一回、チラチラ程度には見ていました。
実は二次の途中あたりからだったか、大雑把な印象として、こりゃあどうやら大物がいないなあという気がしてきていました。

むしろはじめの頃のほうが、みんな上手いもんだと感心していたのですが、日が進むに連れてだんだんと興味がなくなったといったら言い過ぎですが、わずかでも実体みたいなものが掴めてきて、惹きつけられるものは自分の中ではっきりと減退していきました。

結果については、マロニエ君は率直に言って納得できませんが、まあそれでも結果は結果ということなのでしょう。
優勝したロシアの女性は演奏もさることながら、優勝者に相応しいオーラというものがまるでなく、新たなスターが誕生したという感慨は得られません。
音楽的にも特段のなにかは感じないし、コンチェルトでもえらくたくさんミスタッチがあって、首を傾げるばかりです。

もちろん音楽はミスタッチ云々ではないと思いますし、そういうことをとやかく言うほうが愚かなことだと日ごろから思っていますが、しかしショパンコンクールの優勝を争うような人ともなれば、そのへんも当然問われるべき要素だと思います。

それから、今回はアジア勢がまったくふるわなかったのも不思議な気がします。
また、優勝者の使用ピアノがヤマハというのも史上初で、CFXはたしかに素晴らしいピアノとは思いますが、これもまたなにかちょっとよくわからないものを感じます。
この先、広告宣伝にこの事がこれでもかと濫用されるかと思うと、ああもう…今からうんざりします。

いずれにしろ、世の中は「大物不在の時代」を迎え、政治家を筆頭に、圧倒的な存在感を放つような超弩級の存在がなくなり、それはピアニストの世界も例外ではないということでしょう。

本来の純粋な審査結果からすれば、一位無しということが妥当だったのかもしれませんが、あるときからコンクールとしては何が何でも優勝者を出さなくてはいけないという認識に変わったらしく、たしかその第一号がユンディ・リだったと記憶しています。
ピアニスト全体の平均点は上がっているようですが、芸術界がほんとうに欲しいのは、平均点とは真逆の、一握りの光り輝く宝石のような数人だけなんですけどね。
…でもまあ、これが時勢というものなのでしょう。
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世間は狭い

スタインウェイ・システムピアノ説明会というのが地元特約店で開催されたので参加しました。
輸入元の方がさまざまな角度からスタインウェイの特徴や長所を説明され、わずか1時間ほどではありましたが、たいへん勉強になる会で、もっといろいろとその奥まで聞いていたいようなお話でした。
システムピアノというのはボディに塗装をしない状態で仕上げられたピアノで、通常は黒く塗られたスタインウェイピアノが実はどのような木材を場所ごとにどのように配して使われ、いかに確かな根拠に基づいて緻密に製造されているかを視覚的にわかるようにしたいわば教材のようなものでしょう。
それ以外は通常となんらかわることのないピアノで、今回準備されたのはB型(211cm)がベースでした。

このB型は断じて一般売りはしないとのお話でしたが、マロニエ君はもうずいぶん前ですが、東京の松尾楽器で同じ状態のD型とアップライトの同型にも触れたことがありましたが、そのD型はその後、さる高名なピアニストの自宅へ収められたようですから、役目が終わればこのB型もいずれ内々に売却されるのかもしれません。

東京で見た当時から抱いていた印象ですが、実はこの塗装をされない状態もなかなかどうして美しいのです。
やわらかで品の良い、それでいてカジュアルな感じのピアノになっているので、このままカタログモデルにしてもいいような佇まいがあり、今回も見ていてやはり同様の印象を持ちました。
厳選された木材というのは、それだけですでに美しいものなんですね。

昨日は20人余りの催しでしたが、ピアノというわりには男性の参加者がとても多く、調律師の方々もたくさん来られているようでした。思いがけず何人もの知り合いの調律師の方に、こんなにいっぺんにお会いすることができたのは初めての不思議な経験でした。やはり世間はとてもとても狭いのですね。
中には本当に久しぶりにお会いできた方もいらっしゃり、なつかしい話もできました。
またこのぴあのピアのホームページを見てくださっているという御方からも思いがけなくお声をかけていただき、いろいろとお話しをさせていただくことができるなど、大変嬉しい充実したひとときを過ごすことができました。

唯一残念だったのは、ちょっと違和感のある一部の人達が説明会終了後、店主の「どうぞ弾いてください」という言葉を免罪符にして、その場の空気も読めずにガツガツと貪るように弾き散らしていたことでした。
うるさくて、やむなく外に出られた方も多くいらっしゃったようです。
どのような場合でも、身の程をわきまえるということは非常に大切ですね。
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見学と欲求

昨日は所属するピアノサークルの定例会がありました。
定例会では各人が進み出てピアノを弾くわけですが、すでに何度も書いているようにマロニエ君は人前での演奏というのがなによりも苦手という、なんとも困った性分の持ち主です。
ときに、笑い事では済まされない精神的負担にまで達するので、今回は演奏参加はせず、見学者として定例会に出席しました。

いつもはピアノサークルの定例会の日は家を出るときからぐったりと気が重く、会場に入ると自分の順番が来るまで悲愴な思いで時を過ごし、いよいよその時が来ればその重圧は頂点に達し、そんな尋常ならざる状態の中で上手くもないピアノをべろべろと弾き、終わればドッと疲れがこみ上げました。

演奏と親睦を目的としたピアノサークルに入会してほぼ一年、嫌でも我慢して続けていればそのうち少しは慣れるかもしれないというかすかな見通しを立てていましたが、現実はそう甘いものではありませんでした。
何度場数を踏んでも、人前での演奏に「慣れ」というものがマロニエ君のもとには到来することは、どうやらこの先もないようです。

そういうわけで昨日ははじめから見学と決めていましたから、いつもよりは格段に気楽に家を出て、気楽に会場に入ることができ、人が弾いているのも気楽に聴くことができました。
定例会は滞りなく進み、3時間にわたる演奏は終了。それに引き続いて食事と懇親会となり、実に8時間以上をサークルの人達と楽しく過ごすことができたのは、いつもながらたいへん嬉しいことです。

新たな発見は、やはりピアノを弾く人をずっと見ていると、だんだんと自分も弾きたい欲求が湧き起こってくることでした。まあ、これは別段不思議なことでもなく、やはり元来ピアノが好きなので、ずっと人が弾いている場面を見ていると自分も弾きたいという本能が刺激されるのは自然なことだろうと思います。
だったらフリータイムというのがあり、そこでは誰でも自由に弾いていいわけですから、マロニエ君も弾いてみればいいのでしょうが、それはやはりできません。

思うに、人から至近距離でじっと見られるというのがどうしてもダメで、もしピアノの前にカーテンの一枚でもあればだいぶ違うだろうと思いますが、まさかそんなことはできるはずもありません。
そういうわけで、家に帰ったのが10時過ぎでしたが、それから約1時間ほど、定例会で聴いた曲などを自分の手で弾いてみると、ようやく気分も落ち着くことができました。

サークルには、人前で楽しく弾くことのできる人がたくさんいらっしゃいますが、うらやましいばかりです。
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ショパンコンクール

ショパンコンクールが始まり、すでに二次に突入しているようですが、ネットで各コンテスタントの演奏とその映像が見られるようになったのは、さすがに時代の力というべきですね。

昔はコンクールが終わり、徐々に報道などから優勝者はじめ上位入賞者の名前が伝わり、その演奏を耳にするのは更に後のことでしたが、今は世界のどこにいてもネットで逐一その様子を見聞きすることができるようになり、マロニエ君も辻井さんが参加したクライバーンコンクールの時からネットで観るようになりました。

それにしても、ショパンコンクールのような第一級のコンクールともなると、まさに世界中から選りすぐりの腕自慢達が結集し、どの人もそれぞれに見事な演奏をしているのはさすがというべきです。
プロの演奏家でも、あれほど念入りな準備を整え、まさに一曲一曲に全身全霊を傾ける演奏というのはそうざらにあるものではないので、それだけでも聴くに値するものだと思います。

まだすべてを見たわけではありませんが、今年からピアノもファツィオリが加わり、ヤマハも当然ながら新鋭CFXを投入していますね。
各人の使用ピアノをざっと見たところでは、やはり圧倒的にスタインウェイで、ヤマハ、カワイがそれなりに続くのに対して、ファツィオリを弾く人はまだわずかしか見ていません。
スピーカーに繋いで音を聴いてみたら、それなりに聴き映えのする音だとは思いましたが、これほど弾く人が少ないのはなにか理由があるのか、あるいは真剣勝負の場では敢えて新しいものは避けようとしているのか、そのへんのことはよくはわかりませんが…。

ざっとした印象では、良くも悪くも華麗なスタインウェイやファツィオリに対して、日本のピアノどうしても性格が大人しく、デリケートな表現は得意な反面、もうひとつ華がなく、いわゆる大舞台向きではない感じです。
シゲルカワイは、今回はいくらか甘味のある柔らかな音を出すようになったようで、ショパン向きとは思いますが、聴くたびにピアノの特性が異なるような気がするのはちょっと定見がないようにも思えます。

その点、スタインウェイは言うに及ばず、ヤマハもあまりぶれて迷走はしていないように感じます。
ネットでコンクールを観ていると、ついつい長時間に及んで、かなり疲れてしまいますので自己管理が難しいのが玉にキズですが。
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逢い引き

NHKの衛星映画で放映された『逢い引き』を録画していたので見てみました。
1945年製作のイギリス映画で、いわゆるコテコテの恋愛映画の古典的名作のひとつです。

ふとした偶然のいたずらから出会ってしまった、ごくありふれた中年の男女。互いに家庭がありながらも一気に深い恋に落ちてしまうというもので、それぞれが築いてきた家庭と、この降って湧いたような真剣な恋の板挟みで、愛し合うほどに苦しみから逃れることができないという、この手の作品の草分け的な存在だろうと思います。

この悲恋を描いた映画には、全編にわたってラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が効果的に使われていて、あるいはそれで有名になった映画といえるかもしれません。
互いに惹かれ合う気持ちを押しとどめることができず、真剣になればなるほどその喜びは深い苦悩に変貌し、どうにもならない現実が二人の前に立ちはだかりますが、その純粋な恋心と絶望をいやが上にもラフマニノフの音楽が後押ししてきます。

というか、もともとこのコンチェルト自体がどこか甘ったるい映画音楽のような趣もあるので、こういう使われ方をするのもいかにも自然なことのように思えますが。

それにしてもすでに65年も前の映画ですから、当然モノクロで、時代背景から倫理観にいたるまで、なにもかもがとてつもなく旧式なのですが、音楽にも時代を感じさせる点がいろいろありました。

演奏は全般的に衒いなく直情的で、現代のようにアカデミックで説明的で、それでいてピアニスティックに聴かせるということが微塵もありません。とくにオーケストラの各パートは、フレーズの波を非常に熱っぽく歌い上げるような演奏しているのが印象的で、それ故に音楽の一節一節が人の心にぐっと染み込んでくるような生々しさがありました。
こういう演奏を聴くと、現代の演奏は緻密でクオリティは高いけれど、音楽が本来内在している情感の温度は低く、無機質でどこか白けていると思ってしまいます。

またピアノの音色がいわゆる昔のピアノ特有の、いかにも厳選された材質を惜しみなく投じて作ることのできた時代のピアノの音で、まことに気品のある豊饒な響きをもった音でした。
決して表面的なパワーや華やかさで鳴っているのではなく、純度の高い美音が深いところから太く柔らかく鳴り響いてくるあたりは、思わず聞き惚れてしまい、それを聴くだけでも価値がありました。
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ブリュートナー

以前、ニュウニュウの弾くショパンのエチュードで使用されたピアノがどうも変なので、てっきり中国製のピアノかと思っていたところ、読者の方からブリュートナーであることを教えていただきました。
日本向けのジャケット写真では、ピアノのメーカーの文字が消されてしまっているようで、同じ写真を使用した中国版のジャケットでは、ブリュートナーの文字がくっきりと写っていることもわかりました。

なぜそのようなことをしたのかはわかりませんが、あまりにも音が良くないのでメーカーからクレームが来たのかもしれないとも思いますが、これはあくまでもマロニエ君の勝手な想像で、真相はわかりません。

こういうことにはめっぽう詳しい、四国のピアノ技術者の方にも問い合わせをしていたところ、話はブリュートナーの輸入元の方の耳にも達して、本来のブリュートナーの音を聞くに値するCDを教えていただきました。そういえばプレトニョフもモーツァルトのソナタやベートーヴェンのピアノ協奏曲全集ではブリュートナーを使っているようですし、故園田高広氏も新旧のブリュートナーで録音したCDもありました。

教えられたCDは、アルトゥール・ピッツァーロといういかにもイタリア人らしい名前のピアニストが奏するシリーズで、ともかくそのうちのひとつを購入しました。
リストのハンガリー狂詩曲全集ですが、ここに聴くブリュートナーはそれはもうニュウニュウのショパンで使われたピアノとはまったく別物というべき、なるほど優れたピアノでした。

無意識のうちにスタインウェイの音に慣れきっている耳には、新鮮な魅力さえ感じました。
ベヒシュタインほどの骨太さや剛直さはないかわりに、つややかでふくよかな美音が鳴り響き、それでいて根っこのところではガチッとした鳴り方をするあたりは、さすがはドイツピアノの血筋だと思わせられます。

とりわけリストのハンガリー狂詩曲との相性が良いのは思いがけない発見で、ブリュートナーのやや古典的な発音がノスタルジックでもあり、リストの中でもとくに荒々しい民族性の溢れるハンガリー狂詩曲ですが、ブリュートナーの音色が作品の生臭さを抑え、作品の核心だけをうまく取り出して聴こえてくるようです。
もちろんピッツァーロ氏の演奏の妙によるところもありますが、決してそれだけではない、ブリュートナーの持って生まれたピアノとしての潜在力と、調整の素晴らしさ、録音の良さと相まって、ピアノの音を聴くためだけにも、何度も聴きたくなるCDに仕上がっているように感じました。
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映画でのピアノ演奏

『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(2008年ドイツ、フランス、ハンガリー合作)という映画を観ました。

クララ・シューマン役はマルティナ・ケデックで、『マーサの幸せレシピ』以来二度目に見ましたが、危なげのない美貌と、長身の体格からくるしっかりとした存在感は相変わらずでした。

シューマンを題材にした映画では、昔はなんと言ってもキャサリン・ヘップバーンの『愛の調べ』が有名でしたが、たしか80年代にも『哀愁のトロイメライ』というのがあって、この映画にはなんとギドン・クレーメルがパガニーニの役でわずかですが出演して、実際にヴァイオリンを弾くシーンがありました。
これらはいずれもロベルトとクララの結婚に至る一連の騒動を中心に描いたものですが、今回の映画はシューマン夫妻のもとにブラームスが現れて、その後シューマンが亡くなるまでを描いた映画でした。

冒頭、シューマンのピアノ協奏曲ではじまり、最後はブラームスのピアノ協奏曲第1番で終わるというところに、クララの愛の対象の移ろいが象徴されているようです。

新しい試みだと思ったのは、通常、俳優がピアノを弾くときは上半身のみを写し、手のアップではピアニストのそれに入れ換えるという手法が、映画のピアノ演奏シーンの半ば常識でしたが、今回の作品では、クララ役のマルティナ・ケデックが弾いているように、すべて上半身と手先を切り離さない映像になっていました。
それはいいのですが、その指先の動きがかなり滅茶苦茶で、よほどピアノに縁がないような人なら違和感なく見られるのかもしれませんが、ちょっとでもわかる人なら、あれは却って逆効果のような気もしました。

それも、カメラが顔から入って手先へ移動するという撮り方などを何度もしているため、ただ鍵盤の上でぐしゃぐしゃと指を動かしているだけの手をアップにされても、見ているほうは興ざめしてしまいます。
ピアノの弾けない俳優の動きというのは、どんな名優でも音楽と身体の動きが一致せず、いかにも取って付けたようになり、このあたりが音楽映画のむずかしいところだと改めて思います。

ピアノが弾ける俳優に、ピアノを弾く役をやってほしいものです。
そういえば、つい先日最終回を迎えた『ゲゲゲの女房』の主役の松下奈緒さんは、東京音大出身のピアニストでもあるそうでびっくりしました。
残念ながらゲゲゲでピアノを弾くシーンはありませんでしたが。
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再放送

日曜日の午後、NHKアーカイブスでショパンコンクールのドキュメント番組が再放送されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
これはユンディ・リが優勝した10年前の記録による「若きピアニストたちの挑戦」という70分の番組で、マロニエ君は途中から見たのですが、今年がショパン生誕200年であり、10月には5年に一度のコンクールが開催されるというタイミングもあって放送されたのだろうと思いました。

以前も見た記憶のある番組でしたが、やはりこのクラスのコンクールに出るのは並大抵ではないことをまざまざ感じさせられます。
以前誰か日本人の女性ピアニストが言っていたことで、それが誰だったかもう忘れましたが、ショパンコンクールに(出場者として)行くと、会場に入り、ほうぼうで練習しているその音を聞いただけで、そのとてつもないレベルの高さに圧倒されて、身がすくんでしまうというようなことをいっていたのを思い出しました。

つくづくそうなんだろうと思うほど、みんな本当に上手くて見事な演奏をしていますが、それでも二次にさえ進めない人、三次で終わりの人、ましてや決勝に残るなどもはや尋常なことではない事だと思わせられます。

マロニエ君的には、決勝に残った人、残らなかった人、それぞれにどうして?と思える人があって、以前から話題の尽きない問題、すなわち審査の公正さや判定をめぐる審査員達の攻防も熾烈を極めると聞きますが、それはこういうドキュメント番組をチラッと見ただけでもふっと察せられる気がしました。
これまでに審査に不服を申し立てて席を蹴った審査員も数多く、スポーツとは違ってピアノ演奏の真の価値を審査するというのは本当に難しく、さらにそこへ汚い裏事情まで絡んでくるとなると、いやが上にも複雑化し紛糾するのは当然のことだろうと思います。

番組が終わるとスタジオの場面になり、またぞろあの有名ピアニストが鎮座していて、すでにもうなんども聞いたような解説をして自分がまるで主催者であるかのようでした。見ていると、もはや時代遅れというべきヘビー級の厚化粧で、目の周りはいろんな線やぼかしやキラキラ光る粉などが所狭しと塗られているようでした。
うしろにピアノがあるので嫌な予感がしていましたが、やはり最後にこの御大は自分を見せる時間がないと気が済まないらしく、「あたくしが、ショパンコンクールでも弾いた黒鍵のエチュード」が披露されました。
演奏に関してはノーコメント。
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バッハだけの世界

いまさら言うまでもないことですが、バッハの作品ほど楽器の特性を超越したところで作曲された音楽というのは類がないと痛感しました。

例えば、多くの鍵盤楽器の作品が、チェンバロから現代のモダンピアノまですべてを楽々と受け容れて演奏されるのは当然としても、ゴルトベルク変奏曲が弦楽合奏で演奏されても、何の違和感もなく音楽をして快適に聴き進むことができるのは多くの人が知るところでしょう。

未完の大作である「フーガの技法」もチェンバロ、オルガン、ピアノと楽器を選ばないところにこの孤高の作品は位置しているように思われます。
また昔はプレイバッハなるジャズバージョンも流行したことも忘れるわけにはいきません。

さて、最近珍しいCDを手に入れました。
ブランデンブルク協奏曲(全曲)をマックス・レーガーの編曲でピアノ連弾によって演奏しているものです。
ネットで見つけて、どんなものか面白そうなので買ったのですが、鳴らしてみると、面白いというよりはうんとまともというか、非常にすんなりと音楽が耳に入ってくるのに驚きました。

ブランデンブルク協奏曲は、すでに合奏協奏曲での演奏で耳にタコができるほど聞き込んでいる名曲中の名曲ですが、それが今はじめてピアノで鳴っているというのに、何の違和感もなく曲がすらすらと現れて流れるのには驚きました。
まるで、もともとピアノ曲であったかのように自然で、いつしかオリジナルが合奏協奏曲であったことをつい忘れさせるほどです。

こういうことは、しかしバッハだけのものであって、たとえばリストがソロピアノに編曲したベートーヴェンの交響曲(一時期カツァリスがよく取り上げていました)や、2台のピアノで演奏されるブラームスの交響曲などは、聴いていて意外性やそれなりのおもしろさは感じても、しだいに飽きてきて、最後にはどうしてもオーケストラの演奏を聴かずにはいられない欲求に駆られるものです。

ところがこのピアノ連弾によるブランデンブルク協奏曲はそういう不満感がまるで起きないのです。
演奏ももちろん見事で、ピアノも100年以上前のスタインウェイを使って演奏されていますが、そんなことよりもバッハの超越的な作品の凄さというものをひしひしと感じさせられるCDでした。
やはりバッハは時代や楽器を超えた、孤高の作曲家ですね。
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気骨あるピアニスト

昨日、ブログに書いた「ピアノの本」ですが、処分する前にパラパラとめくってみると、ちょっとした文言が目にとまりました。

ピアニストの小川典子さんによる文章で、英国のマレー・マクラハランというピアニストを紹介しているものでしたが、注目すべきはマクラハランが恩師に言われたという言葉でした。
「気骨あるピアニストを目指すなら、コンクールには一切出場しないことだ。」
なるほど!と思いました。
彼はその教えを忠実に守り、地道な努力によって骨太なピアニストに成長したらしく、いまや世界で活躍しながら、地元の音楽学院の教授をつとめ、CDもすでに40タイトル以上に達しているようです。

現代ではピアニストを志すものがコンクールに出場するのはごく当たり前であって、それに値する実力がありながら、一切出場しない正道を進むのは、よほどの勇気と決断の要る事だろうと思います。
率直に言うなら、コンクールは一攫千金的な側面があって、世界の有名コンクールともなれば、優勝すれば一夜にして有名人になることができる上、ステージチャンスは舞い込み、経歴としても単純・明快・確実だから、コンサートピアニストを目指すほどの人は当然のように出場するのだと思います。

中にはコンクール中毒のような人までいて、世界各地のコンクールにとにかく出場することが生き甲斐みたいな人までいるのです。
どんなに指は達者でも、こういう人は決して本物のピアニストにはなれないでしょうね。

いっぽう、コンクール経験なしでピアニストを目指すのは生半可ことではありませんが、でもそれが可能なら、もちろんそのほうが演奏家として本物だとマロニエ君も理屈抜きに、直感的に思います。
コンクール歴がなければ、自分を飾る肩書きもなく、より純粋に優れた演奏だけが勝負であり、その蓄積によって遠い道のりを一歩一歩前進するしかありませんからね。ここが「気骨」だろうと思いますが。
真っ先に思い浮かぶのはエフゲーニ・キーシンで、彼はこれといったコンクール歴のないまま、現代最高のピアニストの一人に数えられるまでに上りつめた希有な一人でしょう。

コンクール歴のない人の演奏は、どこか昔の巨匠にも通じる、一種の人間くささ、誠実さ、魂の純潔、芸術家として必要なストイシズムをもっていて、そういうところからぎゅっと搾りとるように汲み出された音楽が、我々聴く者の心を打つのだろうと思います。
その点、コンクール出身者は、素晴らしい人もありますが、おおむね難しい受験に合格した勝利者という印象です。
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バレンボイム

【いただいたコメント】
名前:福岡から タイトル: 今年聴いたショパン-No.19〜24

今年聴いたショパン-No.19〜24を拝読しました。読み応えのあるシリーズでした。最近は恵まれていて、あまり聞いたことがないピアニストも右クリックで動画検索に入り瞬時に数曲効けるという王侯貴族でも不可だったことがモバイル環境で可能ですね。

私の良く聞くピアニストについては賛同できる面が多々ありますが、やはりバレンボイムについては、彼しか引き受ける人間がいなかったのだと思います。彼は今の年齢66才でもベートーベンソナタ全曲ライブとか破天荒な試みを成功させておりますし、ショパンもかなり古くからレコードがあります。

彼のアコーギクなりルバートには鼻につく面がありますが、それなりに全曲大きな破綻なく収めるベテランが、若手のキーシンに対していなかった(引き受けてくれる人が)ということではないかと拝察します。

個人的には完成度はともかくバレンボイムのように何でも弾けるといいなあ、と思う毎日です。普通の人にとって人生はショパンにせよベートーベンにせよ全曲弾くにはあまり短すぎるものですから、その観点でバレンボイムを評価している一人としてペンをとりました。今後のエッセイも期待しています。

【マロニエ君より】
コメントをいただきありがとうございました。
最近のバレンボイムはせっかくの才能を乱費しているようで残念です。指揮をする量が増え、壮年期に入ったあたりから仕事の質が次第に落ちたと思います。子供の頃はモーツァルトの再来のように言われた神童だった聞きますが、歳をとり、世間の垢にまみれ、ついには大手スーパー並の演奏商売をはじめた観があります。

たしかに彼のように何でも弾けるのは羨ましいですが、アシュケナージもそうであったように、あまりにも無闇に広範なレパートリーを手中にしようとするピアニストは、どうしても仕事が粗く、音楽に霊感が無く、いつしか音楽の土台までがこわれていくような気がします。

おっしゃるようにピアノのレパートリーはあまりにも膨大で、人の一生では時間が足りないというのは同感です。
ところが、現代ではいつの間にかベートーヴェンを弾くなら全曲演奏は当たり前というような風潮で、誰もが音楽と言うより記録作りのたぐいにばかりに精力をさいて無意味な挑戦するのは危機感を覚えます。
いつもながらお粗末な文章をお読みいただき恐縮ですが、今後ともよろしくお願い致します。
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練習の迷い

日本で最も有名な女性ピアニストがよく使う言葉に『練習は決して貴方を裏切りません!』という格言めいたものがありますが、マロニエ君にしてみれば必ずしもそうではない場合もあるのだということがわかりました。

昨日はピアノサークルの定例会があったのですが、そこで演奏するための曲を、最近ときどき練習をしていたのですが、これまでそれなりに弾いてきたつもりの曲というのは、あらためてきちんと練習し直してみると、いろんなところが気になりはじめたり、これまでちょっとした思い違いをしていたことがわかったり、とかくいろんなチェック項目が出てくるものです。

これがぽつぽつ出てくると、当然それらを考慮し修正しての練習──厳密にいうなら新たな練習になりますが、そのせいで普通に弾けていたところまで壊れてくる事が往々にしてあり、結局、練習前よりも全体がガタガタになっていってしまいます。
より滑らかに、より確かに、より美しく弾くための練習のはずだったものが、かえって寝た子を起こしてしまうような結果となり、混乱しはじめると、もうとめどがありません。
単純に言うと、練習すればするほど自信がなくなっていくわけです。
自信が無くなるということは、弾けていた部分を弾くことにも新たな不安がつきまといはじめるわけで、こうなると何のための練習かといった感じで、ただもう気持ばかりが焦ります。

それはひとつにはこういうことだろうと思います。
もともとの練習がキッチリ正確に出来ていないまま、それで何となく仕上がっていたものが、新たにちょっと真面目に練習することで、未解決の問題点などが洗い出されてしまい、その修正作業にエネルギーを費やすことになるのでしょう。

いや、しかし、そればかりではありません。
練習って、やっているとだんだん上達して自信がつくその裏に、だんだん自信をなくすという逆の一面が潜んでいるのだと思います。
抽象化され感覚化されていたものが、練習によって再び具体化され分解されてしまうとも言えるような気がします。
さらには、音楽はこれで終わりというものがない世界だから、たとえ下手な素人でも音楽的に精査して踏み込んでいくと問題は次から次に出てくるわけです。
はああ、とりあえず定例会が終わってやれやれというところです。
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コメント紹介

【「東京から」さんからのコメント】
ピアノはカワイはもちろんのことスタンウェイでもヤマハでも出荷のままでは半完成品ですね。
どうしても湿気でスティックする安全率を見込むので環境によっては重りもバネもおもすぎです。
とくにリラの天秤のバネはヤマハで二山カワイだと三山カットしないと子供はひけないですね。
スタインウェイの場合はこれにソステヌートがからみます。
結構アクションの調子は気にするのですがペダルまで配慮がとどかない調律師が多いです

とくにピアノが弾けない調律しなんか論外ですね。さいていでもソナチネ程度が弾けないなら調律師は廃業すべきかもしれません。

【マロニエ君】
コメントをいただきありがとうございます。
おっしゃるように、ピアノはいずれも出荷段階では完成品とはいえないようですね。
以前耳にした話では、国産ピアノも以前より出荷調整が手薄になり、そのぶん末端の技術者の方の手間と苦労が増えているという話は聞いたことがあります。

ペダルはつくづくと重要だと思いました。
これが意志通りに機能しないと、いくらアクションの調整に精魂込められていても、結局のところ全体の弾き心地が崩れてしまうのがよくわかりました。

調律師も多少はピアノが弾けた方が最後の仕上がりが違うと私も思います。
運転の出来ない自動車整備士なんてあり得ないのと同じことですが、ピアノを弾くのは車の運転のように簡単ではないので、そう簡単なことではないと思いますが。
でも、それでもちょっとでも演奏フィールが理解できる程度には弾けて欲しいと思いますし、それは結果的に大きな差になってあらわれように思います。
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精密の均衡

先週、我が家のメインのピアノの再調整をやっていただきました。
これまでにもいろいろと気になるところがあり、具体的なことを言うのは微妙で難しいのですが、要するにあまり弾きやすいとは言えないところのあるピアノでした。

これまでに何度か調整を重ね、その都度、良い方向には向かっていたとは思いますが、いつもなにか課題を残した感じがつきまといました。

今年になり、打弦距離の調整などを重ねながら調整を進めていましたが、なんというか…途中である種の限界を感じていたことも事実です。
それはピアノの機構的な限界というより、もっと別のものでした。

その後の5月頃だったか、あるホールのピアノを弾いたところ、そのピアノの調整がとても好ましいものですっかり驚いてしまいました。
そこで、後日ホールに電話して、技術者の方をご紹介願って、うちに来ていただくようにお願いしました。
果たして快く応じていただき、すでにその方による来宅も三回目を数えるまでになりました。

今回は、とりあえず最後に残っていた課題である、主にペダルとダンパーの調整に3時間を費やしましたが、これを境にピアノは見違えるように良い方向を向き始め、ようやくにしてひと心地つけた気分です。

そこでマロニエ君なりのひとつの発見がありました。
要するに奏者にとっての弾きやすいピアノというのは、それを理解した技術者によって、こまかい専門的な作業や微妙な調整の、有機的な積み重ねの上にはじめて達成される精密の境地であり、そのどれが欠けても全体の調和は崩れ、したがって弾き易さには繋がらないということです。
この方のお陰で、何年来の雲がようやく晴れて、久々に青空を見たような気分でした。
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猿芝居の効果

最近また新たに、有名ピアニストによる、大人のためのレッスン番組が始まったんですね。
つい先日、偶然見ましたが、あれは一体なんですか。

このピアニスト、いろんなウワサも多いようですが、メディアへの露出欲も旺盛なようで、きっとタレント性も十二分にあるものと相当に自覚しているんでしょう。
しかし最近の高性能な撮影機材とデジタル放送は、この人のすでにトウの立ったお顔を鮮明に映し出します。

それでもあくまでもカワイイぶった、しどけない物言いは却って気持ち悪くなりますね。

ピアノがぜんぜん弾けないという中年俳優を生徒役にひっぱってきて、そのピアニストがコケットリーな物言いや仕草を交えながら、いい大人を相手に、3才の童子をあやすようにねっとりと指導らしきことをしていました。
ふたりともわざとらしい演技の連発で、役者が芝居や映画で演技をするのは当たり前としても、ああいう両人のやりとりは、なんだかとってもやりきれない気分になりました。

音楽歴史上のピアノの代表的な作曲者の作品を、ゆびの動かない、楽譜も読めない初心者にもかならず弾けるよう、平易な音符に強引に編曲して、それで「本物気分」を味わわせようという、まことに浅ましき企画のようです。

そしてこの手の番組のお約束で、レッスンの合間合間には先生ピアニストの演奏風景が織り込まれますが、演奏中、必要以上にいちいち陶酔的な表情をしてみせるこの人は、見ているだけでむず痒くなってきます。
日本にも本当に力のある、本物のピアニストが何人もいるのに、メディアへ出てきて有名になるのは、結局こういう人なんですね。

何でも世事に詳しい知人いわく、「テレビの影響ってすごいから、あれを観てピアノを始める人が増える、すると楽譜や楽器が売れる」のだそうです。
ということは、あのピアニストのコンサートの動員力も増すというとこなんでしょうね。

今の世の中、すべてがこの仕組みで動いているようですね。
…うんざりです。
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趣味道

知人の家に久しぶりにお邪魔しました。
この方もピアノがお好きで、趣味でスタインウェイをお持ちです。
以前はニューヨーク製のM型をお持ちで何度か弾かせていただいたことがありましたが、その後ハンブルクの0型に替えられたと聞いていました。
昨日、上手い具合についでができて、お宅に寄ってはじめてハンブルクを見せていただきました。

このピアノはいわゆるヴェンテージ・スタインウェイと呼ぶべきピアノで、製造年はなんと1918年!だそうです。
単純計算しても実に92年前のピアノということですが、キーにちょっとだけ触れてみても、とても元気の良いピアノという印象でした。
ケースの形状とかディテールのデザインが現在のものとはやや異なり、このピアノが90年以上も生きてきた時間の重みをじさせられました。
「どうぞ弾いてください」と言われても、なかなかよそのお宅でピアノを弾かせていただく勇気はありませんが、たぶんとても素敵な音楽を奏でるピアノだろうと思いました。

このお宅にはもう一台グランドピアノがあり、ほかにも電子ピアノが数台あるという凝りようです。

さらには、部屋には黒い大きな冷蔵庫みたいなものあがあって、なにかと思ったらワインセラーだそうで、ドアをあけてもらうと、上から下まで隙間なくびっしりと無数のワインが並んでおり、その壮観な眺めにはただもう驚きました。

そういえばこの方は、最近は模型飛行機にもハマっているとのことで、いやはや、趣味というのは実におかしな、大変なものだと思いました。
マロニエ君も人のことを言えた義理ではありませんが、それでも他者の趣味道を覗き見ると、自分のことは棚に上げて呆れかえってしまいます。

しかしながら、マニアという生き物は、門外漢からみれば実にばかばかしいことに熱中しているところに一番の意義と純粋さと、大げさにいえば生きる喜びみたいなものがあるのかもしれません。
こう結論づけて、自分自身をも肯定しようとしているのかもしれませんが。
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眠れるピアノ

本屋でピアニストの神谷郁代さんの著書を立ち読みしていたら、楽器のことに言及しているところがありました。細かい文章は忘れましたが大意はおおよそ次のようなものでした。

コンサートで全国をまわっていると、各ホールにはどこも素晴らしいピアノが備え付けてあるけれども、その多くがほとんど弾かれることなく、大事にしまい込まれているだけの状態なので、どれも鳴らないピアノになっているというのです。

コンサートの直前に調律師が数時間かけて、あれこれやっているうちにピアノはどうにか目覚めてはくるそうですが、それでも本番には間に合わないらしく、とくにコンチェルトなどでは、どんなに力んで弾いても音が埋没してしまうことしばしばだそうです。
せっかく素晴らしい楽器を購入しても、これでは本来の能力が発揮できずに、非常に残念。もっと普段から弾かれるようになればいいのにというような意味の事が書いてありました。

マロニエ君も以前、あるピアニストの手伝いで、録音会場探しのために福岡市近郊のホールを下見して廻ったことがありますが、多くのホールがスタインウェイとヤマハというような組み合わせで、いずれも立派なピアノ庫を備えて湿度管理までやっていますが、なにしろピアノ自体が使われていないので、弾いてみるとほとんど眠ったような音しか出さなかったり、それなりには弾けても、とてもこの楽器の本来の力ではないな…というようなピアノを何台か触って、考えさせられたことがありました。

いえいえ、これはホールばかりの話ではありません。
我が家のピアノも、いつも練習に使う片方だけを弾いているので、もう一台は年中ほとんど寝ている状態です。やはり楽器は生き物ですから、適当に鳴らしてやらなくてはいけないということを、この神谷郁代さんの本を読んで、思わず自分に向けて警告されたようにドキッとしてしまいました。

調整が未完なので敬遠している面もありましたが、今日は調整がもう一度入るので、そうしたら少し弾いてみようと思います。やはり健康維持のための適度な運動はピアノにも必要なようですね。
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続・どうしてこのピアノを?

昨日の続きです。
「なぜこのピアノを買ったのか?」をあらためて考えてみました。

マロニエ君の愛器はカワイのGS-50という比較的大きめの中古のグランドピアノです。
このピアノに決めたのは、以前からGSシリーズの好ましい評価を耳にしていたことと、ちょうど該当するピアノがたまたま某楽器店にあったという、これもまたタイミングの力が上手く働いた結果だといえるようです。

もちろん店に行って、弾いてみて、気に入ったのはいうまでもありませんが、だからといって知人からピアノ購入の相談をされたときのような慎重さはちっともなくて、「ま、これでいいや!」ぐらいの感じでした。
自分の事って意外にそんなものかもしれません。

ただし、最初の納品先は自宅ではなく、まず懇意の工房へ運んでもらいました。
ここで一度、徹底的な調整をしてもらおうと考えたのです。
ピアノは持って生まれた器と、あとは何よりも丁寧な調整が大切だというのがマロニエ君の持論ですから、この調整には何しろたっぷり時間をかけたかったのです。技術者に家にきてもらってやれることには自ずと限界があり、運送代が嵩んでも、ピアノのほうを工房にいったん運び込むという方法を採ったわけです。

何日を要したかは忘れましたが、ともかくピアノは一度、このような入念な調整をするとしないとでは、あとが大きく違ってくるので、こうした調整によってコンディションの基礎を作ることは大切で、これはやって良かったと今でも思っています。
かくしてマロニエ君の愛器GS-50は念入りな嫁入り修行を受けた後、晴れて我が家へお輿入れの運びとなったのでした。
いらいこのピアノは元気に我が家で暮らしています。

しかし購入そのものはどちらかというと勢いの要素が強く、これってひょっとしたら結婚の動機に似ているような気がしました。既婚者は総じて結婚の理由を「勢い」だと口を揃えて言いますからね。
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どうしてこのピアノを?

ピアノのレッスンに来られた人に意外な質問を受けました。
唐突に「なぜこのピアノを買ったんですか?」と言われて、はじめは思いがけない問いに面食らいましたが、要するにマロニエ君が自分のピアノ購入に際してどういう点を評価したり、あるいは気に入ったりして、数あるピアノの中からこの一台に決したのかということを問われたようです。

この方は当ホームページをしばしば見てくださっているらしいので、マロニエ君がピアノに並々ならぬ興味を持っていることはもちろんご存じで、そんなこだわり屋が選んだピアノというからには、それなりの理由があるのだろうから、ひとつそれを聞いてやろうと思われたのでしょう。

ところがです、そんなに面と向かって聞かれてみると、咄嗟に明確な答ができるほどの理由もないことに、思わず自分でも意外な気がしました。
もちろん、気に入って、納得して買ったことには間違いありませんが、しかしそこに明瞭に人様に語ることができるほどの確乎とした理由らしい理由があるわけでもないということに、はじめて自分で気がついたわけです。

要は流れでした。
それまでサブピアノとして使っていた小型のディアパソン(170E)が、中音域のぼてっとした花びらのような音色などはとても気に入っていたものの、低音域には弦の長さに起因する克服できない限界を感じていたことが根底にありました。そこへ折良く小学生のいる知り合いの家族が、マンションなので小型グランドを探していたというタイミングに恵まれたことも大きかったと思います。

考えてみれば大きな買い物って、モノそのものの良否は当然としても、いろんな周囲の条件が整ったときに事が動くようですね。えてしてそういうものだと思います。
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ヤマハのリニューアルピアノ(追加)

「福岡の読者」さんからコメントをいただきましたが、コメントは公開しておりませんので、下記にて紹介させていただきます。
半年待たれた甲斐あって、素晴らしいピアノを手に入れられたようですね。
貴重な情報をありがとうございました。

マロニエ君
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こんにちは。いつも読んでいます。
私のヤマハグランドも実はリニューアルものです。
ピアノを買うとき最近のヤマハは出庫調整や鍵盤重さの調節が悪いといったところ、販売店がヤマハリニューアルというのがあって、程度のよいグランドを掛川工場で純正部品をつかって修理して特約販売店のみに卸している。
アップライトはいくつか協力工場で仕上げている。

グランドは出庫調整を念入りにやっていて、新品よりかなり程度がよい。築5-10年程度のものは新品より得である。
最近Cは鍵盤や筬の材質が悪く、また鍵盤棚がブッチャーというムクの組み木から合板になったので1994-2000年ころのが値段もこなれていい。
しかし、新品のピアノより安いが中古としては高くなる。それでもヤマハの保証書があるのでグランドはよく売れる。
アップライトは相場より高めなのであまり売れないが、逆に木目は相場より安いのでよく出る。
値段はおおむねそのピアノが売られたころの新品価格がめやす。

方法としては、ヤマハから特約代理店のみにリストを渡し、入札みたいにきめる。
販売店の買取なので、人気モデルにのみ入札が集中する。おおむね欲しいものが入るのには3-6ヶ月要するが人気ものは需要が多くなかなか手に入らない。
時々ヤマハの特性外装(柿の象嵌とか何周年記念品)などが流れてくる(新品価格が並みの3倍程度だったもの)。
すぐ売れるが、ヘンなもの(モダンなもの)は売れ残っている。
というわけで、我が家にも6ヶ月待ちできました。
鍵盤重さを量ると低音が50g、中高音が48gにぴったしそろっていて、なるほど新品より手が入っています。 全国的にはかなりのバックオーダーがあるようですが、そのS4はすぐ売れるような気がします。
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ヤマハのリニューアルピアノ

今日、天神のヤマハに行ったら、売り場の大々的な配置転換がされていました。昔1階にあったCD類が2階に移動したのは商品が見にくくて疑問に思っていましたが、嬉しいことにまた1階に戻っていました。
楽譜や書籍は従来通りです。

これまでとは営業方針が変わったのか、楽器販売に一段と力が入ったような印象でした。
とくに意外だったのは、美しく仕上げられた「リニューアルピアノ」と称するヤマハの保証付きの中古ピアノが随所に置かれていて、新品に較べて価格の割安感をアピールしているように感じました。

ふと思い出したのですが、営業サイドでは「スタインウェイの一番のライバルは中古のスタインウェイ」とかねてより言われていたものですが、同様にヤマハも自社製品の中古品にお客さんを奪われていたという構図があったのかもしれませんね。
だからリニューアル事業を立ち上げて、中古品もヤマハの手によって仕上げ作業を施し、ヤマハの店頭で販売しようということなのでしょうか。

思いがけないピアノとしては、高級タイプのグランドS4が展示してありましたが、新品のようにビカビカですが価格は195万ほどでした。
かつてはこのSシリーズは希少なスペシャルモデルを謳い文句に、ネットや中古店等では、なんで!?と思うような法外な価格をつけていましたが、モノが少なくて比較ができないのをいいことに強気の価格設定が可能だったのかもしれません。
しかし、一般の中古ピアノ店よりも高額になるはずの、ヤマハによる仕上げ/保証つきで、しかもヤマハの店頭に置かれてこれぐらいの値段というのは、まさに適正価格の基準になるものだと思いました。

Sシリーズはこれまでの中古価格があまりにも高すぎて違和感を覚えていたところでしたが、ヤマハ自身によるリニューアル品としての価格設定となれば、高くてもせいぜいこれぐらいが「上限」ということを自ずと意味し、感覚的にも納得できました。
それでもヤマハの人の話では「一般の中古価格より高めの設定になっています。」と、やや申し訳なさそうな話しぶりでしたから、一般の中古店の価格は推して知るべしです。

こうしてヤマハが自らリニューアルピアノを手がけるようになれば、他の業者も希少モデルや売れ筋商品に法外な値段を付けて、無知なお客さん相手に高い買い物をさせることも難しくなるでしょうから、ひとつの安全尺度ができたような気がします。
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店選びの明暗

ちょうどお盆休みで東京の友人が帰福していたので、久々に糸島のピアノ工房に行きました。
この不景気をよそに工房内にはピアノが10台以上あり、その中には納品待ちのものも数台見かけました。

まもなく購入者のもとに届けられるというヤマハのC3も、スカッとした仕上がり状態で、ここのご主人の迷いのない良心的な作業スタンスを感じます。
ほぼ完全なオーバーホールを施された状態で、主な消耗品は新品に交換されており、弦やハンマーには輸入物のパーツさえ組み込まれているのは、巷でいうところのスペシャルバージョン仕様です。
ハンマーはさりげなくレンナーを装着して、余分な響きを排した芯のある明晰な音に仕上がっていました。
残る作業は黒鍵を黒檀に交換することだそうで、まさに「スペシャルピアノ」です。

そのピアノの価格を聞いておどろかされました。
具体的な金額は書きませんが、およそこの手のリニューアルピアノの一般的な相場からは遠くかけ離れたもので、おまけに運送費まで込みの低価格には呆れるばかりでした。
こういう良質なピアノをそんな価格で手にできる人は、国内にもわずかしかいないはずで、なんともうらやましい限りです。

入荷した中古ピアノにほとんど何もせず、チョチョッとボディを軽く磨くだけで、ちゃっかり相場価格で売りさばいていく店も決して珍しくない中、ここまで手を入れた良質なピアノを提供する店もあるということは、中古ピアノほど店選びがものをいう世界もないということでしょう。
それによって購入者のその後の運命が大きく変わるといっても過言ではありません。

このC3は無論のこと、ここの非売品のカワイのセミコンも、そのタッチがまた憎らしいほど素晴らしいものでした。
ここのご主人の作り出す軽やかでしっとりしたタッチは、昔から一目置くに値するものがありましたが、このところいよいよ磨きがかかってきたらしく、奏者の快適な弾き心地というものをより深い領域まで追い込んだ観があり、改めて感銘を受けました。

ピアノの命が音であることは言うまでもないとしても、弾く者にとって理想的なタッチは、演奏という現実の物理行為においては何物にも代えがたい直接的重要性があります。
理想的なタッチは、奏者に新たなイマジネーションをもたらし、音楽の間口と可能性を押し広げるものだと言えるようです。
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クライバーン・コンクールのピアノ

書店でクライバーンコンクールの本を立ち読みしていたら、コンテスタントの使用できるピアノは三台あって、ハンブルク・スタインウェイ/ニューヨーク・スタインウェイ/そしてもう一台はクライバーン・スタインウェイといわれるピアノだそうです。
出場者はこの三台の中から、自分に合ったピアノを与えられた時間内に選び出してコンクールに挑むわけです。

クライバーン・スタインウェイはもとはニューヨーク製ですが、ニューヨーク製の流儀に反して黒の艶出し塗装された楽器で、テレビやネット動画で見ても、なかなか良い音を出すピアノだと思っていました。
ニューヨーク・スタインウェイのレギュラーの塗装は、艶消しのヘアライン仕上げというもので、この点でもハンブルク製の艶消しとは仕上がりが異なります。

外観には、三台それぞれの特徴が明確にあるので、youTubeなどで見ていても誰がどのピアノを使っているかは一目瞭然で、容易に区別がつくのがありがたいところ。
ちなみに、優勝した辻井さんは一貫してこのクライバーン・スタインウェイを使っていたようです。

それにしても「クライバーン・スタインウェイ」とは何でしょう?
単純にクライバーン個人が所有するスタインウェイということか…と思いますが、あるいはクライバーンの所有でなくても、彼が特に気に入っているピアノということかもしれませんね。

最近のニューヨーク・スタインウェイで感心しないのは、演奏中のピアニストの顔が正面から映るように、カメラがピアノ後部からのアングルで撮影した場合でも、はっきりピアノのメーカー名がわかるよう、ピアニストの顔の左下あたりの必ず画中に映り込むポイントのフレームに、「STEINWAY」という真っ黒いゴツい文字を入れたことです。
いくら宣伝第一でも、そんなことをしてまでなんになるというのか!
世界に冠たるメーカーがこの悪趣味はいただけません。
ちなみにクライバーン・スタインウェイにもそれは入っていました。

ハンブルクではまだ一度も確認できませんから、おそらくはニューヨーク製だけの特徴のように思いますが。
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ルイサダ=× CFX=◎

なんとも猛烈な暑さが続きますね。

昨日はジャン=マルク・ルイサダのリサイタルに行ってきました。
当初は行くつもりはなかったのですが、レコーディングにまでヤマハを愛用するルイサダのこと、デビュー間もない最新のコンサートグランドのCFXを使用するのでは?という予感がしたのでヤマハに問い合わせると、果たしてその通りだったために、このピアノの音を聴く目的ができたのでチケットを買いました。

ムッシュ・ルイサダは、少しは意外な良さを見せてくれてもいいのにと思うほど、マロニエ君のマイナスの予想通りの演奏をしてくださって、はああ、もう、ぐったりこってりきました。
マロニエ君は、なによりまず、プロの下手くそというのが大嫌いなんです。

ルイサダは音楽に関して、とりわけショパンのスペシャリストとしては、おしゃべりをさせれば一家言あるのでしょうが、悲しいかなテクニックがかなり劣り、それでいて高い音楽性があるかのごとく強調したいのか、表現がバラバラで、くどくて、聴いていて苦しくなりました。
お金を出して、時間を使って、せっせと出かけて行くからには、なにかしらいい気分にさせてほしいものですが、わざわざこういう不快なパフォーマンスにお付き合いさせられるのが嫌なのです。

とくに及ばないテクニックと、もっともらしい解釈の、辻褄を合せようとした不純な演奏というのは哀れを覚え、不快感が募ります。

それにひきかえ、ヤマハのCFXは予想以上にいいピアノでした。
ちょっとびっくりです。
ピアノに関しては久々に清々しい気分で満足できましたから、ヤマハのお陰で出かけて行った価値は十分にありました。

これに関しては「マロニエ君の部屋」に改めて書くつもりですので、ここではこれぐらいにしておきます。
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無名読者からのコメント

「マロニエ君の部屋」の読者の方から、ブログのコメント欄を利用してカワイのグランドピアノの変遷について、下記のようなアドバイスが寄せられました。
マロニエ君は勝手ながらブログでのコメントのやり取りはしない主義なので、このままでは返答ができませんし、大変参考になる内容ですので、原文のままご紹介します。

カワイピアノの系統については
http://www.kawai.co.jp/piano/grand/rx/pdf/GP_20100112.pdf の11ページをみていただくとわかります。
オオシロにある700号はKGの前の800号と同世代で独立アリコートをもつものがあります。
その後KGは普及品としてベヒシュタインのコピーのアリコートなしといったん品質が落ちます。ディアパソンの劣化版コピーです。KGの品質はずっと問題がありました。いわばディアパソンの量産性をあげた粗製濫造の気配があります。
一方S&Sの影響を受けた手作りセミコンGS(シュワンダー)が登場、その後量産品CA(ヘルツ)となります。
フルコン800号はd174とCFの影響を受けたEX(ヘルツ)となり、途中手作りのセミコンRX-A、R-1が出現します。 KG(シュワンダー)は最終型KG-N(ヘルツ)からベヒの影響を脱出、CAと合体してアリコート付となります。
このころカワイはボストンを作ることでS&Sの秘密を握ります。 その後KG-NはRXと名前がかわりますが、フレームは角穴のまま。
1999年にRXはスケールデザインがかわり、丸穴となりピン板付近に左右を縦貫するフレームが登場しヤマハのCに似たデザインとなります。同時に高級版SKが誕生します。SKはRXより手作りが多く、寝かした材料を使って整調、整音、鍵盤ダンパー錘が一品一品に調節されたものです。
したがってお持ちのGSはシュワンダーながらセミコンの作りなのでいいピアノです。アクションはディアパソンの木製ヘルツ式のウイペンに変えることができますよ。作りのよいGSを弾かれていたので他のピアノの良し悪しが良くわかるのだと思います。
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ブリュートナー!?(補足)

ニュウニュウのショパン・エチュードのCDですが、私がメールをいただいた方の中では、未だにあんな音がブリュートナーだとは納得しておられない方もいらっしゃいます。ブリュートナーのこともご存じのその方は「ブリュートナーはもっとしなやかな音がする」と言われるのです。
マロニエ君としては音の良し悪しは別にして、ブリュートナー社が出しているCDと聴き比べてみて、音の本質は同じもののように感じたというのは昨日書い通りですが、あくまでマロニエ君の耳にはそう聞こえたというだけですから、むちろん断定はできません。

思うに、もし本当にブリュートナーは使っていたとしても、仮定ですが、中国のピアノの調整にも一因があるのではないかと思いました。
マロニエ君の部屋の「中国のピアノ」でも書いているように、中国におけるピアノの調律センスというのは、ちょっとまだ我々には信じられないぐらい遅れている面があると感じています。

もちろん中には上手い人もいるかもしれませんが、でも、しかし、土壌全体がもつレベルというのは厳然とあるわけで、ピアノ店などに行ってもそれはもう笑ってしまうようなことが多々ありました。というか、これまで行ってみたピアノ店は全部それでした。(唯一の例外は北京で行ったスタインウェイの店だけでした。)

さらに想像ですが、だからジャケットの表紙のブリュートナーの文字を消したのは、日本のブリュートナーの輸入元あたりが「あれでは困る」というわけでメーカー名を消すことになった、というようなストーリーまでつい勝手に考えてしまいました。
いずれにしても、いただけない音であることには変わりはないと思いますが。
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ブリュートナー!?

拙文マロニエ君の部屋に「今年聴いたショパン-No.6ニュウニュウ」で、どう聞いてもピアノの音が納得がいかないからきっと中国のピアノでは?と書いていたところ、ブログのコメントに名も無きお方からお知らせをいただきました。
それは中国盤のジャケット写真で、そこにはニュウニュウ君がポーズをとるピアノの蓋にブリュートナーの文字がはっきりと写っていました。
日本盤のジャケットも全く同じ写真ですが、そこは黒く塗りつぶされており、ピアノのメーカーがわからないように処理されています。なぜそのようなことをするのか不可解ですが。

さて、写真のピアノがブリュートナーとしても、それが必ずしも使用ピアノと同一とは限らないこともままあることなので、確認のためにブリュートナー社から発売されているCDを聴いてみたところ、まぎれもなくニュウニュウがショパンを弾いているピアノの音と同じ音質で、これにはさすがに呆気にとられました。

さっそくブリュートナーのホームページにアクセスして、ジャケットのいくつかの写真を手がかりに探したところ、Supreme Edition 210cm という機種であることがほぼ特定できました。
コンサートグランドではないという点だけは当たっていましたが、まさかライプチヒのピアノとは思いもよらないことでした。
言い訳のように聞こえるかもしれませんが、たしかにブリュートナーってドイツのピアノにしては線が細くてしまりのない音なので、マロニエ君はごくわずかな経験しかありませんが、あまり好みのピアノではありませんでした。あれならば日本の同サイズのピアノのほうが数段好ましく思いますし、レコーディングに使うべきピアノとは今でもとても思えません。

中国人だから中国のピアノならまだわかるのですが、なんでまたわざわざそんなピアノを使ったのか、いよいよ不可解は募るばかりですが、お陰でともかく真相が究明できてよかったです。

お知らせいただいた方は、メールをいただいたのであればお礼のメールも出せるのですが、それもできない為、とりあえずこのコメントをお礼に代えさせて頂きます。
お知らせ頂きありがとうございました。
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電子ピアノにふらり

先週末のこと、友人とイオンモールに行ったのでシマムラ楽器に立ち寄りました。
電子ピアノをいろいろ見ているうちにローランドの新製品が目に留まりました。
DP990RF http://www.roland.co.jp/PIANO/sty/dp990rf.html
という機種で、スリムなデザインである上に全身黒ずくめで、いわゆるピアノブラックという黒の艶出し塗装が、まるで高級機種のような生意気な雰囲気を持っていました。とくにフタを閉めた時のハッと息をのむようなシンプルなデザインは非常に秀逸で、インテリアとしてもなかなか素敵な雰囲気だと思えました。
これまでは電子ピアノというと、木目調のダサダサの音楽教室みたいなデザインが多かった中で、これはオッと目を引くモデルでした。

価格も20万弱と、それほど高額なものではないということで、熱心に見ていると店員がじりじりと寄ってきて購入条件などを教えてくれました。セール中という限定つきではあるものの、本体の他に椅子、ヘッドフォン、好きな楽譜一冊、配送料・組立が無料という、聞かされる側にしてみればますます引きつけられる内容でした。

友人がかなり乗り気になったものの、その日はいったん引きあげました。
それというのも、帰宅してネットで調べれば、さらに2~3万は安いものが出てくるだろうという浅ましい考えもあったからでした。ところが、いろいろ調べてみると、僅差ではあるもののネット上にさえ見当たらない好条件であったことがわかり、あらためてびっくりしました。
いまや店頭販売でもネットと真っ向勝負をする時代がきたのだということがわかり、いまさらながら商売の厳しさを痛感です。

マロニエ君もできることならああいうのが一台欲しいところですが、これまでにも買う寸前まで行って断念したことが実は2度ほどありました。その理由は複合的で一言でいうのは難しいのですが、大きな理由の一つは電子ピアノ特有のタッチでした。
あのいかにも軽くて不自然なタッチはどうにも馴染めそうにもなかったのは、今回もやはり同じように感じた点でした。

最近の機種はタッチも数段階変えられるようにはなっていますが、なにしろ基本がペタペタなので…。
その点だけでいうなら、ヤマハの同クラスのほうが本物を生産している強みなのか、しっとり感があって幾分ピアノらしく優れているような気もしましたが。
でも、詳しい人に言わせると電子ピアノの分野では、やはりローランドがいろんな意味で先頭を切っているという話でした。
あのデザインはこれからのトレンドで、カッコいいモデルがこの先ぞくぞくと出てくるのかも。

結局、見るだけ見て、弾くだけ弾いて、話を聴くだけ聞いて、ネットで調べて、その挙げ句が誰もかわなかったのですから、いやはや悪い客ですね。
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エセックスピアノ

エセックスというピアノがあります。
これはスタインウェイが展開する廉価ピアノのブランドで、設計にはスタインウェイの手が入っているらしく中国のパールリバーで委託生産されている小さなピアノです。日本のカワイ楽器で生産されるボストンが同様の位置づけだったことは周知の通りですが、エセックスはさらにそれよりも安い、いわばグループの最下部をささえるという使命を帯びたブランドというわけでしょう。

これをまとめて弾いたことがなかったので、市内のスタインウェイ特約店に行って少し弾かせてもらいました。
同サイズの小型グランドが3台ありましたが、はじめにさる有名ピアニストが最も気に行って購入すべく選んだという一台を弾かせてもらいましたが、マロニエ君にはハアそうですか…ぐらいにしか思いませんでした。もう一台も同様で、中国ピアノに共通するタッチの鈍い感じと、あまり上品でないキンキン気味の音が気になりました。もちろん値段はかなり安く、ものの価値判断は価格を前提にしながら下すべきなので、純粋に費用対効果という意味からいえばそれなりの価値があるのだろうとは思いました。
忘れてならないのは、エセックスは多くが色物ピアノなので、通常ならこれだけで2~30万アップになることを考えるならますますその割安感は説得力を持ちますし、内部のことは別とすれば、見た感じはなかなかきれいに仕上がっていると思います。

最後に一番左にあったピアノを弾くと、タッチが先の2台とは明らかに異なりました。
音もはるかに上品で、中国ピアノ特有のちょっと気に障る音がフォルテ以外ではほとんどしませんし、タッチもしっとりしているのに反応も良く、均一感もあり、これはなかなかじゃないかと思いました。店主の談によると、この一台だけが多少古い展示ピアノで、残り2台は文字通りの新品だそうです。

経験的にそんなことはないと思いつつ、多少弾き込まれた故の違いかと思っていたら、店主の方が思い出されて、やはりそのピアノだけは名のある技術者の方が以前にずいぶん手を入れられたとのことでした。
それなら納得です。
聞けば、エセックスは安い分、出荷調整なども不十分で、販売店泣かせの一面があるようです。高額商品ならどれだけでも手間暇かけて最高の状態に仕上げることも可能でしょうが、安いピアノにあまりそれをするとビジネスバランスに障りが出るようです。スタインウェイの同じサイズならこのエセックスが6台かそれ以上買えるのでしょうから、なにごともコストと利益が重要視される社会ではやむを得ないことなのでしょう。

しかし、それでもなんでも、やはり優れた技術者が手間暇をかけたピアノというのは格別な味わいがあるものですし、それがいかに大切かということを再確認させられました。
マロニエ君ならそのぶん別料金を払ってでも、入念な調整をお願いすると思います。なぜなら、それをするかしないかでピアノの価値は2倍になるか、はたまた半分で終わってしまうと思うからです。
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CFX使用のコンサート

当初は行く気のなかったルイサダのリサイタルですが、ヤマハの新鋭CFXを聴けるのならとチケットを買いました。

CFXはまだ正式発売はされていないにもかかわらず、日曜日に福岡で行われた小曽根真氏の出演するコンサートにも早々とこのピアノが登場したらしいので、ヤマハ主導のもとこれはというステージには、全国どこへでもこの最新ピアノを送り込んでいるのでしょうね。まるで政治家の遊説のようですね。
それにしても現実は足やペダルを付けたり外したりを繰り返しながらのトラック長距離移動ですから、やはり相当痛むでしょうね。
ヤマハに確認したところ、ルイサダのリサイタルでもやはりCFXを使用するとの確認が取れました。

Youtubeでもこのピアノを使った披露コンサートの様子を見ることができますので、多少の印象は持ちましたが、やはり本物に勝るものはありませんから、ぜひとも拝聴することにしました。

アクロスにチケットを買いに行ったついでにいろいろとチラシを物色していると、6月30日、佐賀市でケヴィン・ケナーのショパンリサイタルがあることを発見!
彼はアメリカのピアニストで、1990年のショパンコンクールでは一位なしの最高位に入賞した、それなりの人ですから、チケットも安いし行ってみようかと思いました。
ところが、チラシを良く見てみると「公演時間1時間15分」などとわざわざ「普通より短いですよ」という意味のことが書いてあり、いささか首をかしげました。
さらに聞き慣れない名前の会場をネットで調べてみると、名前はホールでも床が平らな、ただの広い部屋に近いというか、会議室に毛の生えたようなところで、キャパは200人強、ピアノはなにかと尋ねたら、ヤマハのS6ということで、この瞬間わざわざ佐賀くんだりまで聴きに行くことを断念しました。

以前もシゲルカワイのSK-5やヤマハのS6を使ったコンサートを聴いたことがありますが、合わせものならまだしも、ピアニストのソロともなると、いかにこれらのピアノが普及品より上級機種とは言ってみても、根本的な力不足は否めず、聴きごたえも半減でした。自宅用としては逸品だと思いますが、ソロで純粋に聴衆に聴かせるためのピアノとしてはまだまだ遠く及ばないものがあり、ピアノがそれだとわかり一気に気分は萎えました。

10月には前回ショパンコンクールの覇者であるラファウ・ブレハッチが、オールショパンプロを引っ提げてアクロスにやってくるようです。
でも、一番惜しかったのは、つい先ごろ北九州でやったダン・タイ・ソンのリサイタルにうっかり行きそびれたことでした。
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楽器は生き物

我が家のピアノの整調(アクションなど様々なピアノ内の機械部分の働き具合の調整)を、とあるホールからご紹介を受けた方にお願いしていましたが、今日がいよいよその作業日でした。

午後から始まった作業は夜の9時近くまでかかり、ピアノ技術者の方のお仕事というのは高度な専門技術のみならず、すべてにおいて根気と忍耐の世界だということを再認識させられました。
その間、休みらしい休みもなく、食事もされずになんともお気の毒でもあり、申し訳なくもあり、ありがたくもありました。

今回の作業依頼の性質上、仕上げの調律のとき以外はほとんど音らしい音も出ない、ひたすら静かな作業でした。
それにしても、あの重くて持ちにくいアクションの出し入れ(いちいち横の机に運び出す)だけでも何回されたことか!
ピアノ技術者たるもの、まずもって腰が強くなければ務まらないようです。

ほぼ丸一日をかけての作業が終わり、さあいよいよ弾いてみたときに、期待値が高すぎたためか、確かによくはなっているものの、マロニエ君の反応が思わしくないと敏感に感じとられてしまったようで、こちらの期待に添えなかったという印象を与えてしまったのは、たいへん申し訳ないことをしてしまった気分でした。
そのとき感じたことは、ホールのピアノはステージ上にある限り、床以外には遮蔽物がなく、広大な空間で朗々と鳴るのに対し、家庭ではすぐ傍の壁や天井が制限となり、本来の開放的な鳴り方ができないというデメリットがあることをあらためて感じました。響きが違うと、それは勢いタッチ感にも確実に影響があるからです。

帰られてから遅い食事を済ませ、10時過ぎぐらいからちょっと集中的に弾いてみました。
実はこのピアノは普段はほとんど使っていないので、その点では半分は眠ったようなピアノだとも言えるのですが、一時間も弾いているとだんだん鳴り始めて、二時間ほど経った頃には同じピアノとは思えないほどにパワーが上がってきたのには驚きました。
まるで花のつぼみが一気に開いていくようで、鳴りだけでなく音の色艶も次々に加算されていくようです。
すると、今日の作業の結果もそれにつれて顔を出し始め、ようやくすべてが一つの流れとして収束してきたようです。
時計も12時半を過ぎたので、いくらなんでも止めにして、もう一度明日弾き込んでみようと思いました。

やはり楽器は、ただの機械ではない、生き物なんだと痛感です。
24時間除湿機を回すだけでなく、やはり適度に弾かないことには本来の力は急には出ないようですね。
とても幼稚で単純なことですが、忘れかけていたことを再度肝に銘じました。
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