ヤマハの新鋭「CFX」

ついにヤマハが高級ピアノの勝負に打って出たのですね。

長らくヤマハのコンサートグランドのモデル名であったCFがシリーズ名となり、頂点には従来のCFlllSのさらに上に位置するモデルとしてCFXというモデルを発売するようです。というか、もしかするとこのモデルが発売された時点でCFlllSはカタログからは落ちるのでしょうか。
ほかに同シリーズ小型モデルとしてCF4/CF6という二種を従えてCFシリーズは計3モデルの布陣となり、価格もCFXではスタインウェイと全く同額!という、いかにも勝負をかけてきたという印象ですね。
これまでフルコン以外ではヤマハのプレミアムピアノであったSシリーズなど、同サイズで一気に2.5倍以上(レギュラーモデルならほとんど5倍!)というかけ離れたプライスのプレミアムモデルの登場に、いったいどういう位置づけになるのやら。
マロニエ君の経験から見ても、同じメーカー/ブランド名のピアノで、ここまで強烈な価格差があるラインナップ展開というのはちょっと他に思い当たりません。ただただ驚くばかり。

それにしてもCFをシリーズ名にするなんて、特別モデルだけの名称だったカレラをシリーズ名にしてしまったポルシェみたいですね。

写真を見るとディテールに新しいデザインが施され、とくに足やペダル回りのデザインはシンプルなものになっているようです。またひときわ目を引いたのは支柱の形状およびフレームの形状が共にスタインウェイ風の放射状のものになっている点で、これには驚きとともにもう少し独自のものはなかったのかと思いました。
足はシンプルといえばシンプルでしょうが、見ようによっては却って安っぽくなっているようで、まるで靴下はかないで靴を履いているみたいでした。

ボディの内側に張る化粧盤にまで拘りを見せるあたり、ライバルもどこかが連想できるようですが、足や鍵盤の両サイドの形状、フレームに所狭しと大きく開いた丸い穴など、ウィーンのメーカーからもかなりの影響があるように感じました。

「響板の素材には厳選されたヨーロッパスプルースを採用」とあり、写真で見るとかなり白い響板なので、これも今のトレンドのようでもあり、なんとなくその音の方向が見えてくるようです。

イタリアの新興メーカーの台頭もあり、フランスの老舗もバイエルンの名門もコンサートグランドを出しましたし、ここらで「ヤマハここにあり!」という意気込みを見せつける時が来たということなのでしょうか。
マロニエ君の部屋で「CFlllSはピアノのレクサス」と評したばかりでしたが、ますますその傾向が押し進められたようです。
だったらいっそ、サイドのロゴと音叉のマークを組み合わせた、あのダサいデザインも一新したら良かったのにと思いました。音叉マークは外してロゴだけを大きくしたほうがずっと素敵だと思うのですが。

発売は7月1日とのこと。はやく実際の音を聴いてみたいものです。
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新たなプロジェクト

過日、あるホールで弾く機会を得たピアノの調整があまりにも素晴らしかった(というかマロニエ君好みだった)ので、そこのピアノを管理しておられる技術者の方を後日ホールを通じてご紹介いただき、我が家のピアノを診ていただきたいとお願いしていたところ、今日いよいよその方に来ていただくことができました。

大ホールでS社のピアノの管理をなさるほどの方ですから、それなりの自負と誇りがおありの筈ですが、お会いしてみるとちっとも偉ぶったところのない大変きさくで、謙虚な心をお持ちの方でした。

普通ピアノ技術者というのは、初めて仕事をしていただく場合は、ピアノはどこから買ったのか、調律には誰が来ているか、製造番号は・・と立て続けな質問がまるで通過儀礼のごとくで、中には直接仕事とは関係のないような点にまで根掘り葉掘りと聞かれる場合もあり、もちろんこちらも必要なことにお答えするのはやぶさかではないものの、明らかに興味本位が透けて見える場合は少々抵抗を感じる事もあるのですが、この方にはそのようなことは皆無であるばかりか、その手の人達とは対極の場所におられる方でした。

静かに必要なことにだけ神経を集中され、やがて下された現時点での見立ては(具体的な内容は省略しますが)、マロニエ君としてもじゅうぶん納得のいく説得力のある内容で、さすがだと思いました。
今日はとりあえず一時間強ほどピアノを見て触ることで現状把握につとめられたようで、実際の作業は日を改めてお願いすることになりました。

これまでの作業でも成し得なかった新たな領域に踏み込んでいくようで、結果が楽しみです。
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ブフビンダーの皇帝

先日のN響アワーで放映されたブフビンダーの皇帝を、今朝の衛星放送でまたやっていました。
これはN響の定期公演を収録したものでベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」という、まるで絵にかいたような名曲揃い踏みのプログラムで、調性も共に変ホ長調。
封建時代でいうと女性立ち入り禁止みたいなプログラムでした。

ブフビンダーは、ヨーロッパでは日本人が考える以上の支持があるようですが、作品解釈および演奏という点ではとても正統的で、なによりもその流れの自然さがこの人の持ち味だと思いました。
おしなべてウィーンのピアニストというのは、作品に忠実なタイプが多いものの、同時にいまひとつのインパクト性に欠ける面もあるような気がしなくもありません。(もちろん中にはグルダのような暴れん坊もいますけれど。)
演奏ももちろん立派なものではありましたが、ヨーロッパとくにウィーンでは古典作品をレパートリーの中心に置く演奏家は、尊敬の対象になりやすい伝統があるような気もしますが、どうでしょうか。

終始曲は快適なテンポで進行し、妙に恣意的もしくは学術的に捻りまわしたようなところも一切なく、安心して聴いていられるものでした。欲を言えば、いささか雑な一面もなくもなく、もう少し明瞭な歌いこみやメリハリのきいた丁寧な美しさが欲しい気もしました。
しかし、このマーチン・シーンのような顔をしたピアニストはステージマナーもたいへんエレガントで、今の若手演奏家がどこか学生のような軽い印象を払拭できない人が多い中で、いかにも大人の存在感とグランドマナーの魅力がありました。

マロニエ君的には唯一惜しいというか奇異な気がしたのは、かなり高めに設定された椅子でした。
もちろん皇帝のような力強い曲を弾くためには必要なことだったのでしょうが、高すぎる椅子というのは特に男性ピアニストの場合、あまり見てくれのいいものではありません。
引退したブレンデルもそうでしたが、あの長身で椅子を盛大に高くするものだから、足はいつも鍵盤裏につっかえてましたし、見ていてなにか収まりが悪くて気になります。

N響は昔のような重量感はなくなりましたが、アンサンブルの上手さはさすがだと思いました。
ブロムシュテットの振る英雄は、テンポも早めで軽く、なんだかそわそわした感じが目立ちました。
マエストロにすればこれがN響の長所に適った演奏だということなのでしょうか。
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補足

シュトイデ・ヴァイオリン・リサイタルの補足

会場のピアノは10年ほど前、納入を記念したピアノ開きのリサイタルに行った時は、とくにどうということもないただの軽い感じのピアノという印象しかありませんでしたが、その後の管理や技術者がよほどいいのか、なかなかの状態になっていたのは意外な驚きでした。
響きにどっしりとした深みが増し、それでいてひじょうにまろやかで温かい音色を持つ、悠然とした風格のただようピアノに成長していました。ああいうスタインウェイはとくに近年ではなかなかお目にかかれません。

もちろんピアニストの弾き方、とりわけ音色のコントロールも良かったのでしょう。
聞けば当日弾いた三輪郁さんが選定したピアノということでしたから、彼女はこのホール(そぴあしんぐう)とはなにか特別なご縁があるのだろうと思われますが。

終演後、せっかくなのでロビーでCDを購入しました。
大半の人がシュトイデ氏のCDを買い求める中、私ひとり三輪郁さんのソロアルバムであるバルトークのピアノ小品集を購入して彼女にサインを求めたところ、自分のソロを買う人はないと諦めていたのか、意外な喜びようでした。「やわらかな音がとても美しかった」と伝えました。

この演奏会の成功の大半は、このお二人の優れた演奏にあることは間違いないとしても、マロニエ君としてはもうひとつ見逃せないことがあります。それはこのホールがいわゆる音楽専用ホールでない分、響きが過剰になり過ぎず、ちょうど優秀なCDを聴いているような節度ある響きからくる快適感があったことでした。
適度な残響に支えらてれ、二つの名器のありのままの美しさが際立ち、響きがとても自然なのです。
本来コンサートの音とはこうでなくてはならないと改めて思いました。

ちなみにこの日のヴァイオリンは1718年のストラディヴァリウスでオーストリアの国立銀行からシュトイデ氏に貸与されたもの、ピアノはホール所有の10歳ぐらいのスタインウェイのD型でした。
やはり普通の人の素直な耳は、豪華な建物や装飾がなくても、こういうホールで聴く音楽が一番心に残るものだと思いました。
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正統派の音楽

久々に充実したコンサートに行けました。
ウィーンフィルのコンサートマスター(4人の中の一人)である、フォルクハルド・シュトイデのヴァイオリン・リサイタルで、ピアノは三輪郁。はじめのベートーヴェンのロマンスが鳴り出したとたん、あっと思ったのは、そのヴァイオリンの音でした。
ウィーンフィルの音色は特殊で、しばしばベルリンフィルはじめさまざまなオーケストラと比較されますが、「衣擦れの音」と喩えられるあの独特な弦の音が、たった一丁のヴァイオリンにも明確に息づいていて驚きました。

ロマンスではバックがピアノというのはいささか物足りないものがありましたが、しかしこの時点でシュトイデ氏が只者ではないことはわかりました。音の張りや息使いがありきたりのものではなく、続く「クロイツェル」では本領を発揮。聴きごたえのあるがっちりした構成感のある非常に見事な演奏でした。しかし後半のR.シュトラウスのヴァイオリンソナタこそがこの日一番の聴きものだったと思います。
19世紀後半のウィーンの、傾きかけた黄金の輝きの中に突如咲き乱れる豪奢と混沌と耽美が織りなす、とめどもない絢爛の世界に会場は一気に包まれました。聴く者は圧倒され、決して満席ではない会場はまさに拍手の嵐でした。

シュトイデの演奏は正統的でメリハリがあって力強く、音楽的にも隅々まで神経が行き渡り、とても信頼感にあふれるまさにウィーンのそれでした。また、地方公演だからといって一切手を抜かないその真摯な演奏姿勢にも、本物の音楽家としての良心を感じ、深い満足を覚えました。

とりわけ巧みな弓さばきによって、聴く者の前に音楽が大きく聳え立ってくる様は圧巻で、それと対等に渡り合うべきピアノにも相応のものが求められてしかるべきですが、そういう相性という観点では、どちらかというと小ぶりな演奏をする今日のピアニストはちょっとミスマッチな感じも否めませんでした。
彼にはもっとスケール感のある男性ピアニストが向いているような気がしました。

ウィーンフィルのコンサートマスターという普段の立場ゆえか、ときに律義すぎる一面もあり、強いて望むならソロ・ヴァイオリンにはいまひとつの魔性と自在な楽節のデフォルメがあればと思いました。

しかし、あれだけの力量を持った一流の演奏に接したのは久しぶりで、欲を言っちゃいけません。
不満タラタラで帰るのが普通になっていましたが、心地よい満足を胸に家路に就きました。
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ヴォロドスはビジュアル系?

先週のNHK芸術劇場は嬉しいことにピアノの日でした。
はじめ3/4はアルカディ・ヴォロドスのウィーンのリサイタルの模様と、のこる1/4はフセイン・セルメットの展覧会の絵が放映されました。
ヴォロドスのウィーン演奏会の様子はすでにCDやDVDでも発売されているものですが、解説によるとヴォロドスの演奏の映像はこれまでにあまりなく、非常に珍しいというようなことでした。
マロニエ君はこの人のCDはチャイコフスキーの1番とプロコフィエフの3番を小沢/ベルリンフィルと弾いたものと、もう一枚(内容は忘れました)を持っていましたが、やや大味であまり好みのタイプではないので、それ以降もあまり関心を寄せてはいませんでした。

彼の音楽的内容はともかくとして、この映像はかなり面白いものでした。
まずはその見事な巨漢ぶり。大きなコンサートグランドが小さく見えるようで、現在この人に並ぶ人は、鍵盤にお腹がつっかえそうなブロンフマンぐらいでは。
オスカー・ワイルドはじめ、巨漢の芸術家というのは、すでにそれだけでなにやら一種独特な熱気をまき散らします。
正面からのショットでもほとんど首らしい部分はなく、その両側にあまったお肉が左右に張り出して迫力満点、まるでどこぞの外国人力士がピアノを弾いているようでした。

また、いきなり目に付いたのが、椅子が普通のコンサートベンチではなく、子供のお稽古や中村紘子女史がよく使う背もたれつきのピアノ椅子でもなく、なんとそのへんの会議室の隅にでも積み重ねてあるような安っぽい感じの椅子でした。
演奏中はその薄い背もたれに巨大な上半身を後ろに倒れんばかりに寄りかからせることしばしばですが、いつ椅子がボキッと壊れるのかとひやひやするような珍妙な光景でした。

顔の表情の変化がまたすごい。大きな目や眉や口が曲想に応じて苦痛や陶酔をくるくると作り出し、まるでビックリ映像のようでした。彼に匹敵する顔の表情パフォーマーは内田光子かランランぐらいでしょうか。
ランランといえば彼は欧米化されたのか、最近は表情がおとなしくなってつまらなくなりましたね。むかしデュトワ/N響とやったラフマニノフの3番はもはや伝説です。

会場だったウィーンの学友協会ホールは通称「金のホール」と呼ばれる、文字通り金色づくしのまさに豪華絢爛ホールですが、マロニエ君にはニューイヤーコンサートなどの印象が強烈で、ピアノリサイタルにはちょっと違和感を覚えましたが、地元では普通なのでしょうか?
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ピアノな三連休

連休最後の三日間は、はからずもピアノがらみの毎日でした。

2010.05.03
午後から知り合いのピアノ弾き兼先生が我が家に遊びにきてくれました。
おみやげといって「ロシア五人組集」という立派な楽譜をいただき感激ですが、さてどれか一つでも弾けるかどうか。
この方は楽譜の校訂者である高名なピアニストのお弟子さんでもあられ、同氏の楽譜出版のお手伝いなどもされています。
CDを聴いたり食事をしたり、普段お忙しい方ですがこの日ばかりはゆっくりしていただきました。
一緒にピアノを弾いたりもしましたが、大半はおしゃべりに費やされました。

2010.05.04
ちょっと思いついて、音楽情報誌を発行していた頃から親しくお付き合いさせてもらっている「ぱすとらーれ」に遊びに行きました。
遅い昼食を、ホール隣に併設された「ぱすとりーの」でいただきました。
ここの食事はほとんどが自製のものばかりで、鶏の燻製をメインとしたヘルシーでとても美味しい料理です。
掛け値なしに満腹でき、これで700円とは驚きです。近くなら頻繁に食べに行きたいところですが。
ここのオーナーはホール管理、コンサートのサポート、食事作り、自らもピアノ演奏と先生、その他もろもろあらゆることをたった一人で淡々とこなすスーパーウーマンです。
以前よりも木製家具が増えていると思ったら、旦那さんが木工技術をお持ちだそうで、自然な木の姿を活かした椅子やテーブルを自作されていて、注文にも格安で応じてくださるとのこと。
なにかひとつお願いしたくなりました。

2010.05.05
たまたま知り合いを通じてのチャンスがあり、さる施設の所有するスタインウェイを弾かせてもらいました。
20年以上経ったD型でしたが、これがとても素晴らしいピアノで、会場の音響も抜群で貴重な経験ができました。
とりわけタッチが秀逸で、マロニエ君がこれまでに弾いた同型の中でも最高の部類のタッチであったと思います。
新品でもああいう繊細かつ軽やかなタッチ感はありません。
親しい調律師さんで、スタインウェイのタッチに以前から疑問を抱いておられる方がおられ、たしかにその方の言うことも一理あるのですが、彼にこのピアノを弾かせたら、さてなんというだろうかと思えるほど素晴らしいタッチでした。
技術者が「偽術者」でない、あっぱれな仕事を見た気分で、顔も知らない技術者に敬意を払うばかりです。

ああ、今日からまた普段の生活に戻りました。
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新発見

昨日のコンサートで新発見をひとつ。

通常、2台のピアノのコンサートの場合、第1ピアノ(通常の向き。鍵盤左、大屋根付き)に対して、第2ピアノ(第1の逆向き。鍵盤右、大屋根なし)のほうが分が悪いとよく言われます。
理由は簡単、フタのついたほうのピアノは音が客席側に向ってくるのに対して、フタを取り去ったほうのピアノは音が四方に散ってしまい、そのぶんパワーが弱くなるからです。

それはわかっているのですが、昨日は第1ピアノの豊かで深みのある音に対して、第2ピアノはわずかながら安っぽい平坦な音に聞こえていました。で、マロニエ君は良いほうのピアノが第1ピアノに選ばれたのだろうと、ごくごく単純に思っていました。

ところがです。後半のブラームスのトリオを控えて、第1ピアノはフタを閉じて舞台の隅に押しやられ、第2ピアノが方向転換して舞台中央に据えられ、同時に外されていたフタが取り付けられました。
するとどうでしょう、さっきとはまったく別のピアノのような、腰の据わった威厳のある音が鳴りはじめ、これにはちょっと面喰いました。
同じピアノがフタの有無と向きだけで、単なる音量以上の、音の質までまったく別物のように変わってしまうということです。

フタの有無の影響は当然としても、おそらくは高音が手前、低音が奥という配置もピアノの響きの前提条件なのかもしれません。専門的なことはわかりませんが、これほどの大きな変化には驚かされました。

連弾以外では、前半からこちらのピアノを弾いていたのは、チョン・ミュンフンでした。
おそらく彼は始めからこちらのピアノが気に入っていたのでしょうね。
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チョン・ミュンフンとアルゲリッチ

マルタ・アルゲリッチ&チョン・ミュンフン室内楽の夕べに行ってきました。

演奏は改めて言うまでもない大変見事なものでしたが、若干力を抑え気味に、軽く弾いていた印象でした。
さすがというべきかこの世界最高のピアニストを聴こうと、会場は平日にもかかわらずほぼ満席で、マロニエ君の左右の人もそれぞれ門司や熊本からわざわざ来たという声が聞こえました。

前半は連弾と2台のピアノで、ドビュッシーの小組曲、ブラームスのハンガリー舞曲から3曲とハイドンの主題による変奏曲。
後半はブラームスのピアノトリオ第1番で、ピアノはチョン・ミュンフン、ヴァイオリン:キム・スーヤン、チェロ:ユンソンといずれも韓国人によるトリオでした。

アルゲリッチの演奏は前半で終了したのですが、後半の開始直前、会場の中央が少しどよめいたと思うと、なんと着替えを済ませたアルゲリッチが客席に姿を現し、あたりに小さな拍手が起こりました。
準備されていたらしいシートの一つに腰をおろして、後半のブラームスのトリオを聴衆の一人としてゆっくり楽しんでいるようでした。
一般の人の中に現れても、やはりとてつもないオーラを発していて、そこにいるだけでありがたい気分になります。

それにしてもチョン・ミュンフンはピアニストとしても、あきれるばかりの腕前を持っていることが再確認できたコンサートでした。若い二人をがっちりと支え、ひたすら音楽に奉仕するその格調高い演奏にはただただ敬服するばかりでした。
以前聞いた話では、チョン・ミュンフンのピアノに驚いたアルゲリッチが、彼のお母さんに「もっとピアノを弾くように言ってくれ」と言ったそうです。
現役の指揮者であれだけピアノの弾ける人は、他にはアシュケナージ、バレンボイム、レヴァイン、プレトニョフぐらいでしょうか。
レヴァイン以外はいずれもピアニスト出身ですから当然ですが、チョン・ミュンフンもチャイコフスキーコンクールのピアノ部門で2位に輝いた経歴の持ち主ですから、いずれにしろとてつもない才能です。

久々に本物のコンサートに行った気がしました。
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エネスコのピアノソナタ

かねてよりエネスコのピアノソナタを現代の演奏家で聴いてみたいと思っていたのですが、藤原亜美というピアニストが弾いたCDがありました。
現存する2つのソナタ(第1番/第3番)やリパッティの作品を収めたアルバムでしたが、日本人の演奏でジャケットの雰囲気などずいぶん迷ったあげく、購入に踏み切りました。

そうしたらこれが大当たりでした。
すっかり感激してさっそくマロニエ君の部屋に書きましたので、よろしかったらお読みください。

ル―マニアといえば普通思いつくのはコマネチやチャウシェスクの劇的な失脚劇ぐらいですが、音楽の世界ではエネスコはじめリパッティ、ハスキル、ルプー、ボベスコ、シルヴェストーリ、チェリビダッケなど錚錚たる顔ぶれが容易に思い出されるほど優れた音楽家を輩出した国なんですね。

そうそう、吸血鬼ドラキュラのモデルの貴族とその山城もたしかルーマニアが舞台で、現在もその戦慄の城が山深く存在しており、近づくものを断固拒絶する不思議な力があるといいます。
いまさらですがヨーロッパ奥深さには感嘆するばかりです。
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練習会

今日は知り合い3人で練習会みたいなことがありました。
そのうちのお一人はこのところ大変熱心に練習に身を入れられており、ひたすらピアノに向われる背中には感心するばかりです。
ピアノはまず、何をおいても練習ですから、それが楽しいことは強みですね。

もう一人はとても美しいドビュッシーを弾かれ、これがまた同じピアノなのにぜんぜん違う音色が出てくるのに感心させられました。
最近感じるのですが、ピアノは自分で弾くより、そばで聞いているほうがその音色の美しさに感銘を受けます。
やはり自分が弾くと、音だけを楽しむという余裕がないのでしょうし、自分が弾く時とはまた違った位置で聴くために耳に届く響きも変わってくるのだろうと思います。

今日の会場にあったピアノはカワイのグランドで、かなり弾きこまれたピアノでした。
タッチが重いのでずいぶん勝手が違いましたが、おそらくはシュワンダ―式という昔のアクションをもったピアノだと思われました。
シュワンダ―は敏捷性こそ現在のものには及びませんが、そのぶんしっとりとしたタッチ感があり、これをうまく調整すると軽くもなり、同時にしっとり感も出てかなりいい感じにもなるもので、技術者の中にもこちらを好む人もいらっしゃいます。

音もカワイ独特の華やかさがあり、ヤマハとはずいぶん違いました。
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なつかしさ

マロニエ君の母校である福岡音楽学院の発表演奏会には毎年ご招待いただくので今年も行ってきました。
会場の末永文化センターホールは、かつての院長であられた末永博子先生のご主人が立てられたもので、普段は九州交響楽団のホームグラウンドにもなっています。
博子先生は本当に怖かったけれど、とても可愛がっていただいた記憶が残っています。

演奏会は付属幼稚園児の合奏で幕を開け、連弾あり弦楽合奏あり、最後は現院長によるソロで幕を閉じました。
とくに素晴らしかったのは現役ピアニストのラフマニノフの2台のピアノのための組曲第2番で、なかなかに聴きごたえのある演奏で堪能できました。

老先生はお年を召して、もはや会場にはお出向きにはなりませんし、関係者の大半の顔触れは昔とは変わってしまっていますが、それでも学院のもつ雰囲気は不思議に残っていて、なつかしいものを感じます。

このホールに行くといつも思うのは、豪快なピアノの数です。
スタインウェイを筆頭に4台ものコンサートグランドが左右にごろごろ置かれていて、これを一気に使うことはあるだろうかということです。
思いつく曲ではバッハの4台のピアノのための協奏曲やストラヴィンスキーの「結婚」ぐらいですが、それとて九響のプログラムにのるのはそう滅多にあることではないでしょうね。
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芸術家は絶滅寸前

今年はショパンの生誕200年という節目が商業主義の格好の餌食になっているようです。
ヤマハで音楽雑誌をパラパラめくっていたら、さる日本人ピアニストがこの関連イベントで途方もないことをするらしいことを知って驚愕しました。

なんと、ショパンのソロ全曲を一日16時間かけて演奏するというまさに曲芸師さながらの企画で、ギネス記録への挑戦も兼ねているとは、あいた口がふさがりません。
ショパンの芸術はそういうこととは真逆の極みにあるもので、そんなことをしてまでとにかく人の注目を集めようとする関係者の思惑だけが生々しく感じられます。

芸術家が芸術の質を勝負にして生きられない時代の、浅薄な価値観が世の中を支配している責任もあるとは思いつつ、だからといってこのようなばかげた挑戦に自らの才能を浪費するのは、なんともいたたまれない気分になります。
いかに指さばきと暗譜とスタミナにかけては天才であろうとも、こういうことをする人をマロニエ君は決して芸術家とは思いません。
さらには、それを英雄視し快挙として素直に尊敬し憧れる価値観の人たちがいると思うと気持のやり場がなくなります。
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曲がり角

昨日はピアノサークルの例会がありました。
開き直ってほとんど練習もせずに参加したことも悪いのですが、前回に引き続き狭い空間に人がびっしりすし詰で、ただでさえ人前で弾くことに病的な苦痛を感じるマロニエ君としては、まさに窒息寸前でした。

サークル自体も私が入会したころに比べて会がうんと大きくなり、それだけサークルが隆盛になっていくのはいいことなのかもしれませんが、回を重ねるごとに参加者も増大し、名前を覚えるのもついけいけません。
とりわけプログラムにも記載されていない新しい人達がかなりおられたのも驚きでした。

個人差があると思いますが、マロニエ君にはだんだん苦手なものになって来たような気がします。
いったいあのままで膨張したら、どうなっていくのだろうと管理者のかたのご苦労が気になります。

個人的に、ピアノや音楽は自分のこだわりが強いジャンルであるだけに、長時間いろんな演奏を聴かされ続けるのは楽しい半面、相当の忍耐力が必要で、やはり心身の消耗は否めません。
もちろん、素敵なみなさんとお会いできるのがなによりの楽しみなのですが。

私見ですがサークルといったものにも最適のサイズというのがあるような気がします。
「ぴあのピア」はまだ本格始動していませんが、考えさせられるところだと思いました。
まあ、こちらはそんなに人が集まることもないでしょうから、そんな心配にも及びませんが。

とにかく今、本当の音楽というものが分かる人とだけ、忌憚なく大声で話がしたいという猛烈な欲求にかられています。
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2010年2月25日 (木) ピアノマラソン?

今日は平日だったにもかかわらず、ピアノを弾く知人がふたり、仕事の都合をくぐり抜けて、マロニエ君の家に遊びに来てくれました。正味3時間半もの間、3人によるピアノの弾きまくりとなり、ほとんど休みらしい休みもないままピアノは終始鳴りっぱなしでした。
気がつくと向かい合わせの2台が別の曲を弾いていたりと、かなり自由奔放な状態で、まるで音大の練習室前の廊下か、楽器フェアの会場のような有様になる瞬間もありました。

発表会形式の人前演奏は苦手でも、少人数でのこのようなお遊びは、マロニエ君の性にあっており、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
月並みですが、熱中できる好きなことがあり、それを共有できる人がいるというのは素晴らしいことですね。
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2010年2月21日 (日) シゲルカワイ

たまたま通りがかったので、迷いましたがカワイのショールームを覗いてみました。
ピアノ店巡りはできるだけ慎むよう心がけていたので、久しぶりですが、ちょっとだけのつもりで入りました。

来意を伝えると快く応じていただき、主にSKシリーズを3台弾かせてもらいました。
どちらかというと繊細さはあまりないものの、密度感のあるいいピアノで、とりわけ値段を分母に置けば、コストパフォーマンスの高いピアノだと思いました。

でも、根底にある音の根本はうちにあるカワイと同じDNAがあることがわかり、なんだか妙に納得してしまいました。
詳しいことはマロニエ君の部屋に書きます。
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2010年2月20日 (土) 小さなリサイタル

田舎にある百年前の百姓屋を改装した、珍しい会場でのピアノリサイタルに行ってきました。
独特の雰囲気があたりを包み込み、とても素敵な空間でした。

ただ、この場所固有の音場のせいか、ピアノが不思議なほど鳴らないのが最後の最後まで気になりました。
見上げると、建物の中央に大きな梁のようなものがあったので、それが音の拡散を妨げているのか、あるいはピアノそのものの問題なのか、人が多くて席をかわることができず、その原因をよく突き止められないまま終わりました。
ただし、トイレに行く際にピアノをチラッと見た限りでは、フレームの形状からしても、それほど古いくたびれたピアノとも思えませんでしたが。

小さな会場でのサロン的なコンサートそのものは賛成ですが、これらの会場に共通する欠点として、椅子がかなり簡略なものとなり、この手の椅子に延べ3時間、声も立てずにじっと座っているということは、それだけでかなりの体力と忍耐を必要とします。これは忙しく動き回っておられるスタッフの皆さんには意外とわからない苦痛かもしれません。

素晴らしかったのは、建物の外のあちこちにおしゃれな蝋燭の炎がものしずかにゆらめき、これがまたやわらかでヒューマンな雰囲気作りに大きく貢献していました。
逆に屋内は、演奏がはじまるとピアノのまわり以外は、まるでお化け屋敷のように真っ暗になってしまいましたが、マロニエ君が目が疲れやすいこともありこれはきつかったですし、同様の方はかなり多かっただろうと思います。目の疲れもさることながら、万一の安全上の配慮からも、演奏中といえども全体に最小限の照明は必須ではないかと思いました。

しかし休憩時間にふるまわれるコーヒーなどのサービスは(主催者の配慮あってのことですが)、この手の小さなコンサートならではの温かみで、ホッとさせられますね。
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2010年2月17日 (水) シュベスター

みなさんはエスピー楽器という会社をご存じでしょうか。
シュベスターピアノという、知る人ぞ知る隠れた名器を手作りで製造しているメーカーです。

今日、この会社からメールを頂戴したのですが、現在日本に存在するピアノメーカーはわずかに5社で、実際に製造しているのはヤマハ、カワイ、アポロ、そしてこのシュベスターの4社ということでした。
ブランド自体はこれ以上の数があるのですが、いずれも上記4社に生産委託しているらしく、さらに手作りという点ではシュベスターが唯一のメーカーになるとのことでした。

ピアノ業界にとって誠に厳しい世相であることの証明でしょうが、なんとももの寂しい話です。
今日偶然にも初めてさらってみたサティのグノシェンヌ第4番の悲痛な二短調の旋律が意味を帯びて胸に迫ってくるようです。
この話もいずれマロニエ君の部屋で取り上げてみるつもりです。
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2010年2月13日 (土) 練習2

考えてみたら自分の練習方法がまずいこともわかりました。
マロニエ君は昔から一つの曲を集中的に根気よくさらうということができないのです。
しばらく一つの曲をさらっていると、だんだん集中できなくなってくる。
よほど興が乗ってきたら熱中することもゼロではないが、大体において曲はあっちとびこっちとび。
常に4~5曲が練習中という状態におかれ、それがどれも中途半端になっているだけで、ようするに節操がないというか、根気がないわけです。

さらに思いつきであれこれと違う曲にも触ってみる。
こんな調子だからいつまでも練習中の曲が仕上がらないのも当然でしょうね。

でも、自己弁護するわけではないけれど、そもそも一つの曲ばかり来る日も来る日も練習するなんて、そんなことマロニエ君にはできるわけがないことです。
そんなことをしていたらその曲に飽きてしまうし、音楽的な感興も続くわけありません。
でも、普通レッスンに通う人などは同じ曲を仕上がるまでさらい続けるのでしょうね。
それだけでも尊敬しますが、でも、自分はそういう風にはなりたくないわけです。

ということは、反省していて実は反省していないという、どうしようもない自分がどうしようもないわけです。
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2010年2月11日 (木) 練習

柄にもなくピアノサークルなんぞに入ってしまったために、ろくな腕前もないのに人前でピアノを弾くことを余儀なくされ、さらにそのために練習をしなくてはならない羽目になっているこの頃です。
3月上旬にはまた例会があり、そこで何を弾くかをそろそろ考えなくてはいけない時期になってきました。
いや、すでにちょっと遅いのですが、怠け者は常にこういう巡り合わせになるのはやむを得ませんね。

さて、我が家は幸いにもピアノを弾くために、隣近所にそれほど配慮をしなくてもいい環境なので、状況次第では夜の12時過ぎでもよほどガンガンでなければ弾くことはできる点は恵まれているほうでしょう。しかし実は家の中に問題があり、生活の場所にピアノがあるために、家人の様子を見ながらの練習となります。
見たいテレビがあるときなどはこちらが遠慮することになり、ほかにも何かをわざわざ遮ってまで練習をするほどのこともないので、折よく時間的隙間を見つけたら弾くことになりますが、それでも自分が弾きたくないときもあったりで、なかなか時間の確保が難しいものです。

今更のように感じるが、ピアノの練習というのは思ったより時間を食うのということです。
ちょっと弾いても30分はすぐ経つし、少し練習のようなことをしていると1時間はすぐ経つ。
たまにだがちょっと真面目に練習なんぞしていようものなら2時間ぐらいはあっという間で、気がついたときには家人が終わるのを待っていたような気配を感じて驚いてしまいます。
わああ、すいません。

というわけで、練習時間の確保もなかなか難しいものだと思うこの頃です。
やはり自分の部屋に電子ピアノがあればいいのかもしれないですが。
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2010年2月6日 (土) ベヒシュタイン

市内のとある施設が所有するベヒシュタインを使ってのサークル発表会があったので見学に行きました。
このピアノはベヒシュタインの中でもアカデミーシリーズというもので、韓国のサミックとの協力関係によって製造されているモデルですが、それでもベヒシュタインを名乗るだけのことはあり、たしかにそれっぽい音はしていました。
中高音は率直でやわらかな歌心があるし、低音はベヒシュタインらしいギラッとした金属的な響きが加わるあたり、おお!という感じがあり、なかなか感心させられました。

響板、フレーム、アクションはドイツのパーツを使い、あとは韓国製のボディその他を合わせて組み上げるようです。最終調整は特に念入りにスペシャリストが行うというもので、一流ブランドの廉価モデルとはいえ、本家と同じブランドを名乗るだけあって、スタインウェイにおけるボストンよりも、ワンランク上質なピアノだということは聴いていてすぐにわかりました。
もちろん値段もボストンよりは高価ですから、当然と言えば当然ですが。

ただし、このピアノを真正のベヒシュタインだと信じて弾いている人がいると思うと、ちょっと複雑な気分になりました。

いずれマロニエ君の部屋に書きなおしてみたいテーマです。
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2010年1月30日 (土) ピアノサークルで演奏

ピアノサークルの例会に参加しました。
元来マロニエ君は人前でピアノを演奏するほどの腕はないし、性格的にも人前でピアノを弾くことが極度に嫌で、長いことこれを頑なに避けてきたのですが、昨年福岡に出来たピアノサークルに一念発起して入会し、いらいこの難行苦行に挑戦することになっています。

すでに3回ほどサークルでの演奏経験を積みましたが、やはりなかなか慣れるものではありません。今日もやはりドキドキでしたが、なんとか自分の番をやり過ごすことができて肩の荷が降りました。

しかし、見ていると多くの人が緊張するとは言いながら、結構人前での演奏を楽しんでいることがわかり驚かされます。
自分のことは別として、演奏というのは人柄が出るものだということが聴いていてよくわかります。大きな声では言えませんが、あまり上手でない人の中に、なかなかの味を持った人がいるのに対し、ちょっと腕に自信のある人の演奏ほど、美しい音が出ず、作品や音楽から遠退いて、まるで戦いのような演奏をする場合があって、なんとも言えない寒々しい気になります。

まあ所詮は遊びですからどうでもいいのですが、なんだか逆の現象って違和感がありますね。本来は上手い人ほど聴かせる演奏であって欲しいのですが。
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2010年1月27日 (水) ピアノの調整-2

前回の続きで、様々な調整の続きです。さらに今回は少し整音面にも手が入り、音色のムラを取り除いてもらいました。後半には調律が行われ、さらにまた調整の仕上げへと向かいます。

このように「調律」というのはピアノ調整作業の一部分にすぎず、調律=ピアノメンテというわけではありません。タッチ面等に代表される部分の調整はかなり収束されて良くなってきました。
調律はある意味ではもっとも奥の深い領域といえるもので、今回はかなり個性のちがうものになったような気がしてい
ます。

今回をもっていちおうの区切りとはしましたが、気がついた点などは引き続きお願いすることになると思います。トータルで9時間に及ぶ調整となりました。

かなり気持ちよく弾けるようになりました。
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2010年1月20日 (水) ピアノの調整-1

2台ある我が家のピアノのうちの大きいほうのタッチなど、機械面を主体とした調整のために調律師さんに来ていただきました。
今回はハンマーの接近など細かいところにいろいろと点検を兼ねた手を入れていただき、やや重めだったタッチをより理想的な状態へ持っていくというのが主な課題です。
ホールでいえば保守点検といったところでしょうか。

調律師さん曰く、理想を追い求めてやり始めたらキリがないとのことなので、今回はとりあえず2回にわけてやっていただくことになりました。午後から始めて夕方の6時半にようやく区切りをつけて今日は終わりになりましたが、結果は上々で、かなり弾きやすいタッチになっています。
弾きやすくなるということはピアノが自分に近づいてきてくれたような気になるものですね。

こうなると次週の二回目も楽しみです。ピアノは調整次第というわかり切った事実を、いまさらのように再認識しました。
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2010年1月17日 (日) カワイのNo.750

今日は知り合いの調律師さんの工房に遊びにいきました。
かねてよりオーバーホール中だったピアノが、ようやく仕上がったという連絡があったので、これを見に行ったわけです。
ピアノはカワイのNo.750という、おそらくは50年以上前のグランドで、ディテールも大量生産とは全く無縁の重厚なデザインです。
サイズはヤマハでいうC7クラスで、大きさといい造りの風格といい、かなりの迫力があります。

ボディこそ磨きのみで、再塗装はされていませんが、それ以外はフレームは上品なゴールドに塗られ、弦やハンマーを始め、ほとんどの消耗パーツは輝くような新品に交換され、当然ながら入念な調整がされています。

弾くと意外にも今のカワイからは想像できない、ドイツ的な渋みのある大人っぽい音色をもったピアノだったのが驚きでした。それも現代のピアノからは決して聴くことの出来ない、佳き時代のふくよかな響きを伴っていました。
タッチにも程良い抵抗とコントロールのしやすさが与えられ、隅々にまで技術者の手の入ったピアノというのは何ともいえない質感と暖かみがあるものですね。

マロニエ君は大変素晴らしい仕上がりと思い素直な感想を伝えましたが、調律師さんご当人はまだまだ不満の由でした。
ぜひプロのピアニストの演奏によってこのピアノを鳴らして欲しいものです。
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2010年1月10日 (日) ホロヴィッツのCD

晩年のホロヴィッツのヨーロッパ公演での最高の出来と評される〝ベルリンコンサート〟を買ってみました。
2枚組で一枚目のメインはクライスレリアーナなどでしたが、あまりにも衰えが顕著でかなり期待はずれでした。
演奏の質というよりは、会場もこのカリスマを見に来たという雰囲気ばかりがよく出ていたように思います。
機械というものは本当の味のようなものは表現できないところもあるけれど、無残なほどありのままを記録してしまうという正直さももっていますね。
昔と違ってキャッチコピーもだんだん当てにならない気がしているこのごろです。
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