ヤミ業者の恐怖

家族からちょっと恐ろしい話を聞きました。
恐ろしいといっても怪談のたぐいではありません。

テレビニュースで言っていたというのですが、家電製品などの無料引き取り屋というのがよくマイクで町内を呼びかけながら回ってしていますが、あれがとんだ食わせ者だというのです。
言葉ではどんなものでも無料で引き取るなどと連呼しているので、てっきりそうなのかと思っていましたが、その許しがたい実体たるや驚くばかりでした。

このいわゆる回収業者は、市などの行政の認可をまったく受けていないヤミ業者である場合が多く、実際に声掛けして不要品の引き取りを頼もうものなら、無料どころか、とんでもない高額な請求をしてくるのだそうで、その一つが捕まったことからニュースとして報道されたらしいのです。
認可を受けたちゃんとした業者であれば、車(主に軽トラックなど)に業者の名前と認可の番号などが大書されているらしく、ヤミのほうはなにも書かれていないので、まずはそこで識別する必要があるそうです。

驚いたのはその金額で、安くても数万円、中には一回の利用で40万も請求された被害者もいるとか。
このヤミ業者にはごろつきのような若者が多いそうで、今回捕まったのも二十歳そこそこの社長だったらしく、被害者は主に高齢者などが多いとか。

はじめは笑顔でさも親切げに対応し、お年寄りにしてみるとまるで可愛い孫のような態度で接近してくるので、すっかり気をよくしてつぎつぎに廃品の処分を頼むらしいのですが、それらをトラックに積み込んで作業が済むと、態度を一変させて高額な請求を迫ってくるとか。
驚いた依頼者がこの時点で何を言っても、時既に遅しで、なす術はないそうです。
ではキャンセルするといっても、もう荷物を降ろすことはできないと抗弁して、気が付くとはじめ何人かいた他の仲間はいつの間にか姿を消していて、人手もないから無理だなどとなにがなんでも言い張るそうです。

彼らが主に高齢者を狙う理由としては、若者の親切に対して無防備で騙しやすいという点と、高齢者ほど長年生きてきたぶん、なにやかやと持ち物も多く、餌食になる要素が多いというもので、まったくひどい話でした。

もうひとつの理由としては、家電や粗大ゴミを処分するには、引き取り業者に電話して、コンビニでチケットを買ってきて貼り付け、指定された日に出しておくなど処分にまつわる煩雑さがあるために、そういう手続きに事に慣れていない高齢者などが、前を通りかかったこれらの呼びかけに反応してしまうという見方もあるという事でした。

こうして大金をせしめた彼らは、当然ながらそれらを正当に処分するはずもなく、さらに罪を重ねて山奥などに不法投棄するという、まさに絵に描いたような流れだそうです。
みなさんもくれぐれもお気をつけくださいね。
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季節の変わり目

このところすっかり冷え込むようになりました。
冬の到来はなんとなく身も心も引き締まるようで、マロニエ君は寒くなるのは人がいうほど嫌いでもないのですが、季節の変わり目は体がなかなかそれに順応して切り替わってくれず、こういう時期を通過するのが一つの山ともいえます。

恥ずかしながら、自律神経があまり上級品じゃないためか、気温変化に対する適応力が低く、体がかならず一定期間抵抗するような気配です。
自分だけかと思っていたら、最近はこの手の体質の人がわりに多いらしく、明確な病気でもなく、だから病院に行ったところですぐにどうかなるものでもないために、人知れずじっと耐えるしかなくて、皆さんも苦労していらっしゃるようですね。いうなれば軽い慢性現代病の一種のようなものだろうと思います。

まわりをちょっと見回してみても、日常生活に際立った支障はないものの、こんな時期、どこか体調がすぐれないという状態の人は多く見られます。
アレルギー過敏やなにやらいつも風邪をひいているような人などもいますが、いずれも類似した部類のような気がします。
要は昔の人のような原始的な抵抗力が弱まってのでしょう。

さらにマロニエ君の場合で言うと、以前にエアコン依存症ということは白状したことがありますが、まさにそこに端を発したと思われる困ったクセがあって、ひとことでいうなら冷房か暖房のどちらかが作動していないと心理面でも落ち着かないのです。

落ち着かないぐらいならいいのですが、この時期はいわば四季の端境期で、中途半端なジワリとした冷え方をすると風邪をひきかけるのか頭痛がして、それがかなりひどいので大変です。
といってストーブを入れると、今度は熱くてムンムンしてきて消したくなる。消せばやっぱり寒い。
だからこういう時期は苦手ということになるわけで、はやくつけっぱなしに出来るぐらい寒くなってくれたほうが体調がよくなり元気もでるのです。

それにエアコン類を停止させると、空気の動きが止まり、同時に苦しげな「無音状態」に包まれるような気がして、これがまた妙に不安で気分的に苦手なのです。

似たような事で思い出したのは、屋内で飼われている犬は、人間が出かけて留守番をさせられる場合、静かすぎる部屋にずっとおかれると却って不安でストレスになるというので、人によってはテレビやラジオの音を小さく出してつけっぱなしにしておいてやるという話を聞いたことがありますが、なんだかまるでマロニエ君のエアコンもそれに似ているような気がしました。
要は、マロニエ君の心理レベルがそっちに近いということなのかもしれませんが。
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日本の清潔文化

最近は行っていませんが、中国などから帰国すると真っ先に感じることは、日本の清潔さです。
これは海外といえば欧米ばかりで、アジアの周辺諸国に旅したことのないような人にはわからないことかもしれませんが、同じアジアでありながら、日本の清潔さはまさに別世界のそれで、突出していることを毎回感じさせられるものです。
家に着いても、まっ先にお風呂にでも入らないことには、全身が独特な汚れにまみれているようでゆっくりできないと感じるほど、やはり向こうは基本的に違います。

上海、台北、ソウルなど、どこも街は大都会、空港も広大かつ近代的で、パッと見た感じはそれはもうなかなか立派なものですが、そこを出発して福岡空港に降り立つと、規模こそ小さいものの、飛行機を一歩降りると、そこは気品とでもいいたくなるような静寂の世界で、いきなり目に入る塵ひとつない床や磨き抜かれたガラス、入国審査窓口のたとえようもなくキチンとした感じなど、すべてが日本基準であることに気付かされ、何日間か忘れていたものがいっぺんに蘇ってくるようです。

普段はなんとも思わない見慣れた街並みまでが、まるで前日に石鹸ででも洗ったようにきれいで、タクシーも滑らかで乗り心地がよく、ついさっきまで冒険旅行にでも行っていたような気分になるものです。

実は仕事の関係で、昨日も近くの国から二つほど荷物が届いたのですが、まあ相手の方がこのブログを読む心配は絶対にないから書きますが、とにかく荷そのものが何故?と不思議に思うほど薄汚れていて、荷をほどくのもちょっとした覚悟を要するような妙な迫力を醸し出しています。

もちろん外国郵便ですから、途中いろんな機関や窓口を経由してはるばる旅してくる間には、相応に汚れもするだろうとは思いますが、それが実は外側だけではないのです。

中の物が破損しないように、梱包材のプチプチみたいなものに厳重にくるまれていますが、中の中まで薄汚れた感じは変わらず、荷ほどきがおわり、大量のプチプチを一箇所に集めると、このかたまりがなんと日本で見るものとはかなり色が違うのです。全体に薄茶色っぽくほこりをかぶった感じで、実際にもうす汚れているので、とにかくまっ先に外に出してしまおうと思ってしまいますし、その次は石鹸で盛大に手を洗います。

これが日本ならいわゆる普通の透明のビニール色ですが、むこうのものは同じようなものでも、手触りからなにから違うのです。こんなものひとつとっても日本は本当に綺麗だといまさら感心させられます。
こういう普段気もつかないようなことが異なるということ自体が文化であり、日本という国には、他国がとても追いつくことの出来ない高度な文化が息づいているのだと思います。
それを知るだけでも、周辺諸国への旅は非常に勉強になるものですし、こういう点はつくづくとありがたい国だと思います。
〜と、こんなことを言っていますが、だからこそ近隣諸国への旅は驚きと発見の連続で楽しいですよ!
みなさんもぜひどうぞ。
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秋のソナタ

名匠ベルイマン監督の『秋のソナタ』をまた見てしまいました。(冬ソナじゃありませんよ!)
1978年のスウェーデン映画で、主演の大女優イングリット・バーグマンにとっては、マロニエ君の記憶が間違っていなければこれが最後の映画だったように思います。

ピアニストで家庭を顧みないシャロッテ(バーグマン)が恋人と死別したことを機に、7年間も会っていなかった中年の娘から招待をうけてやって来るのですが、この映画の主題とも言うべき母娘の葛藤を軸に進行していきます。
舞台の大半は娘夫婦の自宅のみで、映画というよりは半ば戯曲のような調子で、人間に内在するさまざまな問題がこまかいやり取りを通じて赤裸々に描き出されます。

おそらく多くの人はこの映画を親子の愛憎の問題として捉えることだろうと思います。
恋にステージにと奔放に生きてきた母親は家庭は二の次で、夫と子ども達はいつもその犠牲で取り残され、長年積もりに積もった娘の心の傷は、ある夜ふとしたことから爆発します。
もちろんシャロッテが一般論として悪母悪妻であることに意義はありませんが、そこにもうひとつのテーマがあるように思います。

何かにつけけ華やかな世界に棲み音楽と演奏旅行に明け暮れた母と、容姿にも恵まれず目立たない日陰のような真面目一本の娘は、むごいまでに悉くの価値観を異にします。
マロニエ君は人間関係で最も絶望的なものは価値観の相違だと思っています。
価値観というものが人を動かし、統括し、人がましく生きるためのいわばベースだと思いますし、言いかえるなら思想そのものでもあると思われます。価値観とは皮膚であり血液であり、すなわち人格でしょう。

これがあまりに相容れないとなると、ほんのささいなことで軋みが生じ、対立やすれ違いの連鎖となり、永遠の平行線であるという事実を容赦なく描いているようにも思えます。
価値観が相容れない者同士がどんなに努力をしても、そこに残るのは虚しさと疲労と絶望のみ。
それが親子という縁の切れない関係であれば、よけいにその絶望の溝は大きな傷口のように広がるばかり。

娘は夫に促されて、いつも練習していたショパンのプレリュードの2番を母の前で弾いて聴かせるというシーンがありますが、それはなんともこの娘らしい、必死な思いこみだけでひどく独善的な、聴くに堪えない解釈であったところは非常によくできていると思いました。それを聴いている間のシャロッテの悲痛な思いを娘に遠慮して押し殺したようなバーグマンの表情がまた見ものです。
そのあとに語られたシャロッテによるショパンとこの作品の解説は、まったく正鵠を得た見事なものでした。
そして、それがまた娘を再び傷つけるのですが…。

人間の問題は善悪だけでは解決できない、ましてやきれい事ではすまないことのほうが圧倒的に多く、つくづく難しいものだということを見せつけられたようでした。
しかし、大変充実したマロニエ君好みの映画であることは間違いありません。
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ドッグイヤー

先の雑貨戦争のみならず、天神そのものの規模は年々拡大していくようですが、にもかかわらず書籍やCD店のようなカルチャーの分野に関しては、一昔前のほうがうんとレベルが高かったように思い起こされてしまうのは暗澹たる気分です。
何事も拡大発展していくときは気分も浮かれて嬉しく感じるものですが、後退するときの失望感はやり場のない虚しさがあるものです。

10年ぐらい前は今とはまるで違っていて、天神には大型書店があちこちに軒を並べていました。
丸善、紀伊国屋、八重洲ブックセンター、ジュンク堂、リブロ天神などがひしめき、それらを回るだけでも楽しいものでした。
ところがその後、数年のうちにつぎつぎにクローズしはじめ、現在残っているのはこの規模ではジュンク堂のみ。

書籍だけではありません。
CD店も一時はヤマハ、山野楽器、HMV、ヴァージンメガストア、タワーレコード、メディアセンター、文化堂など「今日はどこにしようかな…」といった状況でしたが、これも潮が引くように次々に撤退を重ね、残った店も売り場が大幅に縮小されてしまったりと、かつての面影はありません。
けっきょく現在ではマロニエ君の頼みの綱はタワーレコードしかありません。
その他の店はてんで種類が少なくて、ものの役に立たないからです。

追い打ちをかけるように、テレビなどで今さかんに言っていることは、これから先は電子書籍の時代になり、紙の本が姿を消すこともあるなどと、耳にするだけでも思わず嫌悪感を覚えるようなことを言っています。
ポイ捨てのフリーペーパーや雑誌ならまだしも、先人が残した至高の文学作品の数々を、液晶画面を操作しながら読むなんて、とてもじゃないですがそんな気にはなれません。

また、ある本を読んでいると、CDはあと5年ほどでなくなるのでは?というような兆候もすでにあるらしく、そんな時代、考えただけでもゾッと鳥肌が立ってしまいます。
そのうちピアノもiPadみたいなものを譜面立てにおいて、その液晶画面を見ながら練習するのでしょうか。

時代は進歩し、社会のあらゆる仕組みが猛スピードで刷新されて行くというのはわかっていても、それにしても現代の時間速度はドッグイヤーなどと揶揄されるように、あまりにドラスティックで早すぎ、どこか残酷な肌触りがあるように感じませんか?
紙の本がなくなり、CDがなくなるのは、マロニエ君には100年先でじゅうぶんです。
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福岡雑貨戦争

何日か前の新聞紙上に記事として掲載されていましたが、福岡は今、天神を中心とする雑貨戦争になっているという事でした。
この分野では最も古い店舗がインキューブですが、数年前にはロフトが開店したことで、売り場面積ではこちらが一歩リードしていたようです。

その後オープンしたパルコでも、出店している150店中50店が雑貨店だそうで、関係者の話によると雑貨店はお客さんの滞在時間が長く、あちらこちらに「買い回り」という動きをするとかで、現在この分野が大きな注目を集めているということでした。
実際にはきっとそれだけではなく、なかなかモノを買わない若者相手に、値がはらず、見るだけでも楽しめる雑貨でなんとか気を惹こうという、苦しい戦略のようにも見受けられますが。

また来年春には博多駅の新ターミナルが竣工開業し、核テナントのひとつが東急ハンズになるので、この福岡を舞台にした雑貨商戦はますます熱を帯びそうな気配らしいのです。

そんな状況を迎え撃つためか、インキューブでは最近、上階の大型飲食店だったスペースを売り場に改装してつい最近オープンし、ロフトと並ぶ最大級とやらの売り場面積を確保したらしいのですが、ちょっと行ってみると、増床部分は時代を反映してか化粧品や健康関連の、いわば生活に関連密着した物ばかりが並んでいて、特段の新鮮味は感じられませんでした。

こうして、似たような店ばかりがあっちにこっちに出来たところで、結局は同じような店や物が増えるだけという気がします。
雑貨店は通りすがり程度に眺めてみること、ちょっと珍しい物やこぎれいな物があったりと、それなりの楽しさがあるのはわかるのですが、だからといって地元の人間がそうそう何度も行くとは思えません。
もちろん田舎からはるばるやって来る人には目新しい印象を与えるのかもしれませんが。

そんな店舗がどんどん増えて、一見華やか賑やかに見えますが、結局はどこもおなじことの繰り返しで、必ずや互いに足の引っぱっり合いになる(もうなっている?)という気がします。
これから先、年賀状、来年のカレンダー、ダイヤリーなど、結局おなじようなものがこれらの店頭に溢れかえると思うとなにやらうんざりしてしまいます。
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庭木の憂鬱

庭に植木屋が入ると、だいたい予想よりもバッサリと、木々は無惨なほど短く切られてしまうものです。
子供の頃住んでいた家ではそれが甚だおもしろくないものとして目に映り、ひどく悲しい気分になったこともありましたが、それも遠い昔の話。
いまではそんな甘い情緒は見事に失い、180度考えが変わってしまいました。

植木を放っておくと止めどもなく枝は伸び、葉は生い茂って、秋の深まりと共に毎日山のように降り積もる落葉の掃除にエネルギーを費やさなくてはならなくなります。
実は今年の夏前も、植木屋にはよくよく思い切ってバッサリやってくれと頼んでいましたから、木々はしたたかに刈り込まれ、終わったときにはまるで骸骨が空に向かって逆立ちしているような姿になり、そこらがパッと明るく広くなったようでした。

ところが、それもしばらくのことで、夏になり、秋を迎えるこのごろでは、あのつんつる坊主はなんだったのかと思うほど新しい枝が八方に伸び、そこには夥しい葉が生い茂ってしまっています。

テレビに『なにこれ珍百景』とかいう番組があり、歩道のガードレールに街路樹の幹がまるで蛇のように巻き付きながら、そのまま成長を続けているという珍百景が紹介されましたが、我が家にもお隣との境目にあるフェンスに同様の事態が起こっており、つくづくと植物の物言わぬ怪物的なエネルギーには嫌気がさしています。

おまけに隣家には見上げるような大木が何本もあり、おかげで新緑の頃などは美しいことこの上ないのですが、その木から我が家へ落ちてくる木の実や落葉ときたら生半可な量ではありません。
たまにその実をついばみに、つがいの山鳩がきたりすると、いっときの情緒を味わったりすることはありますが、あくまで一瞬のこと。現実にもどればそんな悠長なことでは事は収まりません。
屋根は汚れ、雨樋はつまり、被害のほうがよほど甚大というべきでしょう。

地面のほうも問題で、木の根も年々勢力を増し、池の水面を泳ぐ龍の背のように地面をのたうち、いつ塀や壁が壊れるかと思うと気が気ではありません。
マンションにお住まいの方からは、わずかなりとも庭のあることを良いように言ってもらうことはあっても、こちらはそれどころではないばかばかしい戦いが続くようです。

これから冬にかけて、我が家のゴミの半分以上が枯葉の山となります。
しかもその半分以上はお隣から降ってくるいわば「よそのゴミ」なのですから、トホホです。
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病院はおしゃべりサロン?

マロニエ君はいま、ちょっとしたことでときどき通院しているのですが、そこで目にする事々もいろいろと感じるところがあるものです。
「待つ」ということが子供の頃から猛烈に嫌いなマロニエ君としては、できるだけ待ち時間の少ない時間帯を狙っていくようにしています。
だいたいこれまでの経験でいうと、病院の昼休み前とか、閉院時間の近づく頃になると人は少な目になるようですし、逆に連休明けや、昼休みが終わって午後の診察がはじまるあたりはとても混み合うということがわかりました。

さて、順番を待っていて困るのは一部高齢者の方の動向です。
病院といっても小さな医院ですから、診察室内の会話が漏れ聞こえてくることが多いのですが、高齢者の女性などは先生を相手に、いつ果てるともないおしゃべりの全開状態です。
普段が寂しいのか、周りへの気配りが出来なくなっているのか、そこはわかりませんが、とにかく直接病状とは関係なさそうなことまで延々と喋っています。そしてその時間の長いこと!

こういう人が一人いると、診察のテンポはいっぺんに乱れ、後が渋滞になってしまうのです。
それでも、話がひとしきりついて、もう終わりかと思うと、「あ、そうそう、それと…」などといってまた話は続きます。それも一応は自分の体のことに絡んでいることではあるし、病院からみれば患者はお客さんなので、先生もにべなく退けるわけにもいかないのでしょう。

先生が何度も「わかりました」「それでは」「じゃ今日は」などと区切りのセリフを吐いてみても、この手合いはまるで意に介さずで、てんで話をやめようとはしません。
女性のほうが多いようですが、男性にもこのタイプはいないことはなく、やたら日ごろの身体の話がいつ終わるともなく綿々と続きます。
この人達には、「話は簡潔に」などという考えは逆立ちしても出てこないようです。

ようやく出てきたと思ったら、お次は話し相手が看護士さんに引き継がれ、さらには受付の女性などにお金を払いながら延々と自分の話をしまくります。
聞こえるだけでもドッと疲れてしまい、やれやれと思いながら、やっとこちらの診察も終わって薬局にいくと、またその人が先客にいて、今度は薬剤師相手にべちゃくちゃ喋っているのを見ると、そのパワーにはもう頭がくらくらしてきます。

少々のことはお年寄りのされることは寛容と理解の気持を持って接しなくてはいけないと思いつつ、さすがにここまでやられると注意のひとつもしたくなってくるものです。
もちろん、したことは一度もありませんが。
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「THE安心」

しつこいようで恐縮ですが、テレビ購入にまつわる話をもうひとつ。

エコポイント取得の納得しかねる制度とは裏腹に、望外のサービスで驚いたことがありました。
ヤマダ電機の宣伝をするつもりは毛頭ありませんが、以下の通りです。

以前買ったテレビ/DVDレコーダーでは6年間の長期保証というものに入っていたために、購入後丸2年を過ぎた直後に起こったDVDレコーダーのハードディスク故障も無償でスムーズに乗り切ることができた経験から、今回もこれに加入するつもりでいました。
加入には購入金額の5%を支払う必要がありますが、要はもしものときの安心料のつもりです。

ところが店員によると、一段と進化した保証制度ができたらしくそれは次のようなものでした。

「THE安心」と銘打つ保証システムがそれで、3,129円を支払って契約すると、以降一年間は今回購入したテレビだけでなく、我が家にある大半の家電製品が無償で修理してもらえるというものでした。
つまりひとつの製品につく保証ではなく、一世帯の中にある家電製品全体がヤマダ電機から保証を受けられるようになるという驚べきものでした。しかもその対象となるのは他店で買ったものでも、ネット通販で購入した商品でも、出所は一切不問というのですから俄かには信じられないような話です。
ただし条件があるのは、生産終了から6年(ものによっては9年)を経過したものは交換パーツがなくなるために適用されなくなるというものでした。

驚きはそれだけではありません。
一年あたりの年会費は初回のみ3,129円ですが、2年目から3,832の口座引き落としとなり、一年間修理依頼がなければ次年は割引もあるということです。しかも入会時や更新時にはそのつど3,000円分の商品券をくれるというのですから、実質はほとんど数百円というものになるわけです。

これによって家にある家電製品のうち、よほど古いものを除いて修理費用から解放されると思うと、嬉しいような、でもまだなんだか信じられないような気分です。

そもそもの商品価格じたいが大型店ならではの低価格である上に、このようなサービスを受けられるとは結構ずくめですが、これじゃあ町の小さな電気店などどう足掻いてもかなうはずもなく、力のある大資本だけが可能な薄利多売と過剰サービスの乱発で勝ち残り、けっきょく世の中全体を不景気に追い込んでいるような気もしました。

なーんて、自分はちゃっかりその恩恵に与りながら、こんな第三者ぶった感想をもらすのはいかにも身勝手なようですが、しかし一人の消費者としては、やはりありがたいことに違いありません。
ここのところが難しい問題ですね。
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エコポイントの落とし穴

テレビ購入に際してエコポイントなど、いろいろと知り得たことがありました。

32型の場合12000ポイントなので、以前は、テレビを買えばポイントに相当する額の金券でもポンと送ってくるのかと簡単に考えていましたが、どうもそうではないらしいということをマロニエ君よりも一足先にテレビを買った知人から聞かされていた。
その人は購入前に「ポイントで掃除機でも買うつもり」と話していたが、いざ購入してみると、ポイント獲得の手続きがややこしくて、まだ手をつけていないというので、へええ…と思ってました。

果たしてポイントは、購入者自身が国の担当機関へ申請しなくてはならず、申請書には購入者の名前や生年月日からはじまり、購入日の記入や捺印、さらには「購入製品の領収書/レシートの原本」「メーカー発行の保証書のコピー」「家電リサイクル券排出者控のコピー」を貼り付け、希望する品目を明示しなくてはなりません。
あれこれコピーしたり、切ったり貼ったりと、まあとにかくうんざりするような作業のようです。
そして必要事項のどれひとつが欠けても申請は通らないのだそうです。

それだけではなく、ポイントはカタログをみると大半がモノとの交換で、お米やお肉などのやたら高額設定の品ばかりがズラリと並んでいて、例えばどこぞの「こしひかり」が5kgで4000~5000円に該当したり、ブランド牛のステーキ4枚で15000円相当だったりして、これだけですでにちょっとだまされた気分になります。
他の方は知りませんが、マロニエ君はお米などせいぜい5kgで2000円程度のものでじゅうぶんです。
これじゃあ、まるで国と各業者が結託しているかのごとくです。

かろうじて小さく書かれた「ギフトカード」なる商品券がありましたが、これもポイントの数字より低い金額しかもらえない上に、5000円の次は一万円刻みなので、よほどポイントがキリよく収まらないことには、はしたは切り捨てられて損をすることになる仕組みだと言わざるを得ません。

例えば32型のテレビを購入して古いテレビを処分する場合、テレビ購入で12000ポイント、古いテレビのリサイクルで3000ポイント、合計15000ポイントが与えられます。
しかし金券を希望する場合、5000円には5400ポイント、10000円には10400ポイントという大まかな設定しかなく、15800ポイントにわずかに達しないために10000円分しかもらえず、4600ポイントは捨てるか、あとはせいぜい素麺とか肉まんとかに換えるしかありません。

誰あろう国がすることなのに、なんかやり方がいやらしいというか、霞が関の汚さを感じます。
どうせポイントをくれるなら、たとえもう少しポイントが低くてもいいので、なぜ利用者が気持ちよく納得できるような真っ直ぐなルールにしないのかと思います。せめて5000ポイントが4500円、10000ポイントが9500円というようにすれば良いじゃないかと思うわけです。そもそもポイント自体が決められたキリのいい数字でしかないのに、あえて400ポイントオーバーさせるあたりに、いったん与えたポイントを巧みに目減りさせようという、いかにも役人によって仕組まれた悪意を感じます。

しかも希望するものが送られてくるのは申請書の受理から起算して2〜3ヶ月先というのですから呆れるというか、なんだか釈然としない要素ばかり並んでいるようです。
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テレビ購入

ついに懸案だったテレビを買いました。
店選びは今回は迷うことなくヤマダと決めていましたが(保証修理の対応が大変良かったので)、機種やメーカーについては特にこれといったこだわりもなく、普通の液晶テレビとしての性能を備えていればじゅうぶんなので、店頭でもう一度画質と価格を見比べてみて決めようと思いました。

ヤマダといっても市内とその近郊にはいくつもの店舗があり、店舗ごとに在庫やお買い得品の設定も違うような気がして(同じかも知れませんが)、できるだけ大型店にいってみようかと思いつつ、とりあえず最寄りの店に入ってみたところ、さすがにそこにもいろいろあって、これ以上やたらと動いても仕方がないので、結局はここで購入することになりました。
さらには、電気店の店内って、無数にある商品の大半が発熱源であるためか、なにか独特な熱気が漂っていて、気が付くとその温度だけでかなり疲れてしまい、後半はだんだんどうでもいいような気になってきました。

今回はめざす価格帯には東芝、シャープ、パナソニック、ソニーがあり、三菱はありませんでしたが、印象はずいぶん異なりました。前回までのイメージではシャープのおだやかな感じが好ましいように思っていたのですが、今回は調整の具合なのか、ずいぶんどぎつい発色になっていて、これがまっさきに候補から外れました。

店員の話では、レギュラー品の大半は海外生産モデルとなるらしく、この中で日本製は唯一パナソニックとのことでした。しかし、こちらは価格が一万円ほど高いわりには、画質などに特段の優位性は感じられず、だったら日本製でなくてもいいと思い、東芝とソニーまで絞りました。

マロニエ君としては現在うちにあるメインのテレビがソニーで、画質は申し分ないというか、良過ぎて疲れるというようなことをかねがね感じていましたので、今回は他メーカーでもいいと思っていましたが、店頭で見比べてみるとやはりソニーの画質が明らかに良く、しっとりと落ち着きがある上に液晶特有のざらつきが格段に少ないことが確認できました。
これだけ違えば悔しいけれど、やっぱりソニーしかないという結論に達して、これに決めました。

ところが、これはずいぶんな人気商品らしく、他のすべてのモデルが「お持ち帰りできます」のシールが貼ってあるのに、ソニーのこのモデルだけ納期に3週間を要するということでした。
3週間はちと長いような気もしましたが、どうせ配達&設置をしてもらうのだし、長い付き合いになるテレビですから、やはり画質を最優先すべきと考えての決断となりました。
もうひとつ気に入った点は、テレビのボディというか外枠が黒/白両方が選べるので白にしました。

白というのはモノによっては軽薄になったり下品になったりするものです。
男物の靴やグランドピアノなどが白だと、ちょっと御免被りたいところですが、マロニエ君はMacユーザーでもあり、長いことアップルの製品に馴らされているせいか、電気製品の白というのも悪くないと思うようになっていたので、わりと抵抗なくこれにできたのかもしれません。
さあこれで来年の7月を迎える準備が出来たというわけです。
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無頼の徒対策?

いつもながら天神に出たついでにヤマハに立ち寄りました。
世相を反映してか、今や天神店のような基幹店にもリニューアルピアノが多数展示されるようになったのは以前このブログでご報告した通りですが、一段とその数が増えているように感じました。

すべてのピアノの鍵盤の上には「試弾の際は係員まで」という意味のカードが置いてあり、要するに無断で弾かないでくださいという警告です。
本来的には、ピアノは音を出してこそのものであり、ましてや中古のリニューアルピアノというなら、余計に気軽に弾いてみる必要があるようにも思えるところです。

よほど購入を視野に入れたお客さんなら店員に声掛けしてでも試弾してみるでしょうが、大半の人は腰が引けてしまいますし、それでビジネスチャンスを逸することもあるでしょう。
純粋にピアノ販売としてだけみるなら、必ずしも正しい方法かどうかはよくわかりません。
他の購入品にも言えることですが、一般的なお客の心理として、まずは店員の存在に縛られることなく、自由に触れてみたいという気持があり、そういう自由な入口があることで購入の方向に発展する場合も決してないことではないと思います。

しかし、おそらく物事の現実はそう簡単な話ではないのだろうと思います。
ヤマハはピアノ以外にもCDや楽譜をはじめいろいろなものが置いてあり、それらを求めて来店しているお客さんもいるわけで、そこで商品のピアノを自由にどんちゃんやられては他のお客さんの迷惑になるという配慮が働いているようにも思います。

とりわけ躾の悪い子供などが好き勝手にやり出したら、今どきは親の管理も期待できませんから、大変な騒音になるでしょう。
子供よりもタチが悪いのは、ちょっとピアノが弾けるつもりの、勘違い満載の大人のほうかもしれません。
こういう人達は自己中&自己顕示欲がめっぽう強く、自分ではそれなりに上手いつもりで救いようのない勘違いをしていますから、これでもかとばかりに弾くだけ弾いて、気が済んだらパッと帰るだけです。
この手は99%お客になる見込みはなく、それは当人も良くわかっているはずです。
だからよけいに一時の快を求めるように、店のピアノをまるで飢えた狼のように弾き漁るのでしょう。

滑稽の極みは、周りは感心して耳をそば立てているというお目出度い自意識があるようで、こういう人の大半は「認められたい願望」が強烈な、なんとも哀れな人達のようです。しかし、そういう強烈願望を持つに至ったという事実そのことが、認められるべき何物も持っていないことの表れなのですが。

こういう無頼の徒の被害を食い止めるために、やむを得ず上記のようなカードが鍵盤の上に乗せられているのかと思うと、つくづくと世の中は低い次元に合わせた規制をしなくてはならないという、真に情けない条理があるように思いました。
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4分間のピアニスト

何故かこのところ立て続けに音楽映画を観ました。
『4分間のピアニスト』というドイツ映画(2008年)で、ずいぶんいろいろな賞をとった話題作とのことでしたが、残念ながらまったくマロニエ君の好みの作品ではありませんでした。
この映画のホームページには、まるで世界中が絶賛した、傑出した作品のように書かれていますが…ほんとに?

暗い過去を背負い、人生を踏み外して刑務所に服役している若い女性の天才ピアニストを、老教師が見出し、刑務所内にピアノを運び込んでレッスンをはじめますが、心を閉ざし手のつけられないほど荒れた主人公は、なまなかなことではピアノに向かわせることもできません。

老教師は音楽に関しては極めて厳格な人物ながら、辛抱強くこの荒れ果てた女性に接して指導を続け、いつしか二人は心を通わせて、コンクールに出場するまでが主な流れですが、主人公の若い女性の屈折した人格をリアルに表現しようと、随所にむき出しの強烈な映像が置かれ、中でも暗くて陰惨な暴力的シーンが多いのは見ていて疲れました。

暴力といってもアクション映画や日本のチャンバラとは根本的に異なり、神経に刺さるような生々しい、嫌悪感を増幅させるようなもので、精神的に不安定な人間がまき散らす、恐怖心とヒステリックな攻撃性をいやらしいほど残酷に描くのは、見る人が見れば高い評価をするのかもしれませんが、映画を見る目的を娯楽においている者にとっては相当な嫌悪と疲労を覚えました。

もちろん楽しいばかりが映画ではないことぐらいわかりますし、あれはあれでひとつの表現であったと考えなくてはいけないのでしょうけれども、なぜああまで暗くてハードなものにしなくちゃいけないのかマロニエ君は理解に苦しみます。
でもきっと、最近の賞を取るような映画っていうのは、こういう手合いが多いんだろうなあという気がしました。

クラシックの名曲もそれなりに出てきましたが、音楽を楽しむ雰囲気でもなく、さらにはっきり確認したわけではないけれど、いやに音程が高めで最後までこれが気になって更に疲れました。

刑務所に運び込まれたピアノはドイツ映画だけあってシンメルのグランドで、最後のコンクールでステージに置かれたピアノも同じくシンメルでした。
シンメルはドイツでは良質な量産ピアノですが、なかなか音として客観的に聴く機会はないので、もう少しこちらも楽しめるものであったらよかったのですが、残念ながらそういう次元には至りませんでした。
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草戦争-番外編

草に限らず、通常は美しいと感じる緑でさえも、植物というのは至近距離で接してみると、意外に不気味な一面があるものです。木の成長も思ったより早く、気がついたときには枝葉は深く生い茂り、幹は一段と太さを増していたりして、いろいろと不都合な場面も出てくるわけです。
隣の木の実が落ちてきて、それが発芽するのもちょっと油断していると、けっこうな勢いで成長してしまい、ある程度になると引き抜くのも一苦労で、ついに諦めてのこぎりで切ったことも何度もあります。

さて、人によってはお好きな方もいらっしゃるとは思いますが、マロニエ君はツタというのがあまり好きではありません。
もちろん普通にパッと見た感じだけでなら、葉の形は可愛らしく、なかなかの雰囲気さえあると思います。
モネのジヴェルニーの屋敷のように、ヨーロッパの田舎などではこれを上手く利用した、まるで絵のような佇まいを作り出すこともあるようで、彼らはもともとそういうセンスにも長けているのでしょう。

しかし自宅に限って言うなら、ツタの類がどんどん這い回っていこうものなら気持ちが悪くて仕方がありません。
我が家の周辺は若干の斜面になっていて、裏には高さの違うマンションが聳えています。その境界はマンション側が作った幅20メートル、高さ4メートルほどのコンクリートの壁になっていて、ひとつにはこれのお陰で深夜まで大した気兼ねなくピアノが弾けるというメリットもあるのですが、この壁に近年、つやつやとしたなんとも見事なツタが這いはじめ、ついには幾方向にものびてかなりの規模になりました。

これはたぶん、他人が見ればきれいだとおっしゃるかもしれませんが、毎日の生活の中で着実にその勢力を拡大してくる得体の知れない生命力を見ていると、意外にグロテスクで耐えられなくなってきました。
最後には広大な壁一面をツタの葉がウロコのように覆い尽くし、昆虫など生き物の巣窟になるのは目に見えています。

そこで、これ以上放置はできないということになり、いまのうちに撤去する決断をしました。
ところが、ちょっとやそっと引っぱるぐらいではびくともせず、その強力な接着力の強さも驚きでした。
とうとう軍手をはめて、両手でばんばん引きはがしていきましたが、なんと45Lのポリ袋がいっぱいになるほどの量になっていました。

ときどきこのツタに完全に覆われ尽くした緑のオバケのような建物を見かけることがありますが、あの類は見ただけで身震いがします。
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すでにビジネス化?

チリの鉱山落盤事故の感動的な救出劇から一夜明けると、たちまち報道の内容が一変したのには開いた口が塞がりませんでした。

全員が無事に救出されたという事実も慶事として後押ししているのだろうとは思うのですが、一同はもはや大スターか英雄のように祭り上げられ、はやくもこの顛末を金銭やビジネスにからめて利用すべく話題は一気に生臭くシフトしていました。

まず作業員全員に支払われると思われるきわめて高額の賠償金の額をあれこれと予測したかと思うと、それとはまた別に、ほうぼうの家族は会社を相手取って精神的ダメージの賠償裁判の手続きに入るとか。

また、さっそくにも『33人』というタイトルの映画製作が決定し、すでに有名な監督がテント村などの撮影を開始したそうです。
さらには事故発生から救出に至るまでの内容を綴った手記の出版が計画されているとかで、こちらは専門家の試算によると、すでに160億もの印税を見込んでいる由!?
また生還した各作業員達にはさっそくテレビ出演のオファーなどがあり、この一回の出演料が彼らの年収をさえ上回るとか。

そればかりではありません。強いリーダーシップを発揮したという特定の人物には政界入りの話まで持ち上がっているそうで、これも驚きです。
まあこの点では、日本もおよそ政治とは無縁であるはずの柔道のママ選手がいきなり議員先生になったりしていますから、よそのことをいう資格はありませんけど。

また世界中の企業もこれを宣伝の好機と捉えて、アップル社は33人にiPadをプレゼントするとか、ある旅行社はやはり全員をエーゲ海の一週間周遊に招待するらしいし、外国の2つのサッカーチームが全員を試合に招待するなど、お祝いムードは結構ですけども、ちょっとおかしなことになってきているような気がします。

救出時に全員がかけていたサングラスは、高橋尚子選手も競技で使う有名メーカーの製品が無償提供したものらしいし、日本のスポーツ用品メーカーも脱臭下着なるものを提供したのだそうで、さっそくその商品の問い合わせなどがあるということでした。

そして、ニュースの解説員が最後に言ったことは尤もでした。
無事救出されたのは結構なことだったが、これを境にあの33人がまるで宝くじに当たって人生が狂った人のように、これからの人生を踏み外さないように願いたいものだというコメントをつけました。
まったく同感です。
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不健康な日本

チリの鉱山落盤事故で地中に閉じこめられた作業員の引き揚げ作業がついにはじまり、ひとりまたひとりと生還する様子を世界中が見守っているようですね。
彼らが取り残された場所はなんと地下約700メートルだそうで、東京タワーを二つ重ねた距離だといいますから、気が遠くなるような深さで、そこに孤絶した人達を救い出そうというのですから、国を挙げての救出作業はまさに映画さながらの大作戦です。

およそ70日もの長期にわたって地底で生き延びてきた作業員達の勇気と逞しい生命力もさることながら、このニュースを見るにつけ、ことごとく日本とは多くの常識や文脈が違っていることを嫌でも感じないわけにはいきませんでした。

まずは国のリーダーである大統領の動き。
自ら現地へ赴き陣頭指揮を執る姿は、明るく健康的で覇気に満ちています。
中国に気兼ねして尖閣での衝突ビデオすらまだ「見ていない」と言い、いつも下を向き、答弁は書類の棒読みで、なすべきことが何一つできない無能亭主のような我らが首相およびその内閣を連日見せられる我々には、ただため息がでるばかりです。

チリの救出作戦は、引き上げられ生還した人達が例のカプセルから出て、家族と抱擁するシーンなどがまさに至近距離から撮影されて、ただちに全世界へとばんばん配信され、その様子が手に取るようにわかりますが、これがもし日本だったらと考えると、とてもじゃありませんがそんなことはできないでしょう。
まずテレビカメラは至近距離はおろか、現場の遙か遠くまでしか近づけず、肝心の場所は厳重な立入禁止となり、なんとか望遠レンズでその様子を探ろうにも、おそらくはむやみやたらとあの忌まわしいブルーシートが張り巡らされて、すべては無意味に遮断され、生還の様子を目の前のカメラからライブで見ることなど限りなく不可能だろうと思われます。

警察をはじめ、人が見たいと思うニュースの現場では、まるで嫌がらせのようにブルーシートがすべてを覆い隠すのは、いろいろと理屈や言い分はあるのでしょうが、悪しき日本の慣例になり果てました。要するにあれは日本人の陰険さ、不健康さ、臆病、内向性のあらわれのように思います。
一般の目にさらすべきではない陰惨な現場などではないものまで、なんであれ片っ端から隠して見せないようにするのは、集団的責任逃れと関係者の暗い快楽のようにしか思えません。

チリのニュースは、もちろんあの絶望的な状況から人が生還するという感激もありますが、やたら規制まみれの日本に住むマロニエ君としては、それに加えて全体に漂うあの南米の、いかにも人間らしいストレートでオープンな世界を垣間見るだけでも心がスッとするようです。
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タンスの移動

またまたテレビネタで恐縮ですが、数日前、夕刊の一面トップに家電のエコポイントが12月から一斉に半分に減らされるという記事が出ていました。さらに来年からはポイント対象商品の設定基準が現行より厳しくなるということでした。

つまりは、現行のポイントを狙うなら、ぐずぐずしないで今のうちに買うしかないというわけです。
ポイントごときにいちいち反応するマロニエ君もなんだか恥ずかしいような気もしますが、どうせ来夏をリミットに買い換えなきゃいけない物で、しかも今ならかなりの高いポイントがつくのだから、やはり無視はできません。

さて、買うとなる自室の配置が今のままではテレビの大型化は絶対にムリで、なんとしても32インチのテレビが収まるスペースを確保する必要がでてきました。
その為には決して小さくはない、高さが220cmもある三段重ねのタンス二竿を、最低でも10cm移動しなくてはなりません。しかも片側に余ったスペースはないので、思いっきり力を込めることもできません。

これがテレビ購入にまつわる最大の難事業であり、はなから自分一人では無理だとわかっていたので、ついに友人に頼んで助っ人に来てもらいました。気軽に来てくれた友人でしたが、現場を見て想像以上の状況だったらしく一気に怖じ気づいてしまったようです。

正攻法でいくなら、中を全部外に出して、一段ずつバラして移動させるのでしょうが、面倒臭がり屋のマロニエ君としては、とてもそんな気の遠くなるようなことはしたくないし、だいいちする場所もないので、できたら男二人の力で強引に動かしてやれという目論見です。

いざ引っぱってみますがこれがビクともしません。あまり力を入れすぎるとタンスそのものが壊れてしまう危険も感じ、作戦変更。
下の部分は4段の抽斗になっているので、さすがにこれだけは外に出し、一人が空になった抽斗の部分を上に持ち上げ、同時にもう一人が引っぱるという方法をとると、上手く息が合ったのか、わずかに動きました。

この方法を何度も何度も繰り返すことで、ついに移動は完了しましたが、終わったときにはもうヘトヘトでした。
また、常に危険と隣り合わせだったことも事実で、もしあんなものが人間に倒れかかってきたら、まちがいなく大ケガか下手をすれば死に至るということも容易に想像できました。
よく大地震のニュースなどで家具の下敷きになって命を落とす人がいるとを聞きますが、今回はそれが実感をもって迫ってくる経験でした。

ともかく無事に最難関を通過できて、あとは電気店に行くだけとなりましたが、その前に一休みというか、妙に気が抜けてしまいました。
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CDプレーヤーの怪

エアコン→ビデオ→携帯→エアコンと立て続けに起こった故障。
いくらなんでも、もう終わりだろうと思っていたら、今度はCDプレーヤーに魔の手が及びました。
これだけ続くと、もう自分でも呆れて笑ってしまいます。
症状は普通に再生しても音が従来の半分ぐらいしか出ず、なにをどういじっても良くなりません。
マロニエ君の家のメインのステレオはもうずいぶん古いものなので、きっとどこかが故障したのだろうと思いましたが、ひとつひとつ検証して追求していくと全部正常なので、やはりCDプレーヤーの不調としか考えられません。

接続コードが古いのはいけないのかもしれないと思い、新しいコードに取り替えてみると心なしかよくなったような気もしますが、…数日経ってみるとやはりどうもおかしいわけです。

そこで、むかしCDのポータブルプレイヤーというのがあったのを思い出し、あちこちひっくり返してみると、上手い具合にこれがでてきましたので、さっそくポータブルプレイヤーをステレオに繋いでみたところ、手のひらにのるぐらいのミニサイズにもかかわらず、なんとも朗々としたボリュームを伴って音楽が鳴り響きました。

これをもってCDプレーヤーが異常だと断定できたわけで、まあ新しいのを買っても良かったのですが、ひとまず修理に出してみようじゃないかということになりました。
この機械はマランツでしたから、ネットで博多区にある福岡の支店を見つけ出し、せっせと車に積んで修理に持っていきました。

それから3日ほど経ったころ、マランツの技術者の方から電話があったのですが、それによるとだいぶ何度もテストしているけれども正常に作動しているというのです。そして次のようなアドバイスが。
現時点で不具合は発見できないし、結構古い機械のようなので、とりあえずもう一度このまま使ってみられて、やはりおかしいようならその時は新品を買われるというのもひとつの方法ではないかと思うというものでした。

というのも、修理ともなると最低でも一万円スタートの世界になるが、安いモデルなら新品でも2~3万からあるので、そのあたりを良くお考えになった方がよろしくないですか?というものでした。たいへんご尤もなお話です。

ところが不思議なことに、引き取りに行って再度ステレオに繋いでみると、今度はガンガン大きな音が出るではありませんか。まるでわけがわかりません。音楽は好きでも、決してオーディオマニアではマロニエ君としては、普通に音楽が鳴ってくれればそれでいいのですが。
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栄西と中世博多展

現在、福岡市博物館で開催されている『栄西と中世博多展』に行きました。
現在はあまり知られていませんが、博多は二千年の歴史をもつ我が国でも数少ない都市で、とりわけ11世紀には国際交流と貿易が隆盛を極め、中世博多の繁栄は佳境を迎えます。

この時期に日本の仏教史上に極めて大きな足跡を残したのが栄西(ようさい)です。
その最大のものは国際貿易で栄える博多を拠点にして、二度にわたって中国に渡り、厳しい修行の末に持ち帰ったのが「禅」だったそうです。
そして帰国後、この栄西によって、『扶桑最初禅窟』とされる聖福寺(しょうふくじ 福岡市博多区御供所町)が日本最初の禅寺として創建されました。
京都をはじめ、日本中にあまねく広がった禅宗の本格的な第一歩は、この聖福寺から始まったようです。
聖福寺周辺には現在でも実に40ほどの由緒ある大小の古刹が連なる独特のエリアで、行かれた方はご存じだと思いますが、博多の歴史の深さを静かに物語っている地域です。

親日家で有名なシラク元フランス共和国大統領が現役時代に日本を訪問した際、首脳会談など公式行事を終えて帰国の途につく最後の一日に福岡を訪れたことがありましたが、その目的は禅にも深い関心をもつシラク氏が、聖福寺の老師(高位の僧)に直接会いたいというたっての希望から実現されたものでした。

また意外に思われるのは、昔から我々日本人がごく自然に親しんでいるお茶の文化をはじめに日本にもたらしたのが、やはりこの栄西だったそうです。お茶ほど日本人の生活の中に深く根を下ろしているものもなく、様々な歴史の舞台にも登場し、わけても千利休はそれを芸術の域にまで高めた人物ですが、栄西がお茶をもたらしたのが約900年前で、利休はその500年後の人物ということになります。

聞くところによると「うどん」も博多が発祥の地といわれているようです。

そんな栄西と中世博多展でしたが、展覧会そのものは古文書や器類の展示が中心となり、期待していた仏像は大した数ではなく、正直あまりおもしろいものではありませんでした。
歴史的には貴重なものばかりなのでしょうが、夥しい量の古文書をどれだけ見せられても、学者でもない一般人にはそれほどの魅力は感じられませんでした。というか少なくともマロニエ君はそうでした。
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続・液晶テレビ

テレビの買い換えの下勉強のつもりで、食事に出たついでに大型電気店を覗いてきました。
平日の夜ということもあるのか、店員はかなり少な目で、ちょっと質問してもポツリとそれに答えるだけで拍子抜けするほど積極性がなく、あまりにも意欲的でないのが印象的でした。
店の戦術として、あえてお客を追いかけ回さず、自由にゆっくり見せるということなのかもしれませんが、そうだとしても過ぎたるは及ばざるがごとしで、あまり消極的な態度をとられると、こちらも白けてしまいますから、そのへんのさじ加減には配慮が必要でしょうね。

さて、今時のニーズを反映してか、テレビの売り場にはまさに唸るほどに多種多様なテレビが展示されていて驚くばかりです。よく見ればサイズと種類、メーカーごとに分類されているので、迷って困るということはありませんでしたが、同じサイズの液晶テレビでも価格が違うのはスペック上の何が違うのか要するによくわかりません。

尤も、マロニエ君はテレビなどはピアノと違い、支障なくちゃんと映れば基本的になんでもいいという手合いですから、こまかいことにこだわるつもりは毛頭ありませんが。

以前からお得感が最も高いのは32インチでは?という気がなんとなくしていたのですが、やはりそれは間違っていなかったようでした。サイズが大きくなれば価格も高くなるのは当然としても、32インチ以下のサイズでは価格は必ずしも安くはならず、むしろ逆転して高くなる場合さえあります。本当は26インチでもいいと思っているのですが、32インチより高額な小型をわざわざ買うというのもどこか腑に落ちない気がするわけです。

メーカーごとの性能の違いは、ひとことで言うなら、どこもこれというほどの差はなく、各社伯仲しているようです。ひとつだけ印象が変化したのは、以前(2年前)一台目の液晶テレビを買うときには、当時シャープのアクオスがこの分野での知名度ではトップというような印象がありましたが、実際に較べてみると画面の鮮明度とか発色のきれいさの点で、他社に譲る点があるようにも感じてソニーを購入しました。
しかし、いまあらためて見てみると、アクオスの持つそうした特徴が、むしろやわらかで落ち着きがあるようにも思えてきました。ほんのわずかなことですが。
これも2年間、ソニーの液晶テレビと付き合ってみた経験から、少し要求が変わってきたのかもしれません。

驚いたのは、いつの間にか消えて無くなったとばかり思っていたプラズマテレビが、大型店にいくとまだまだかなり売られていることで、あくまでこちらを好むという「こだわり派」がいるのだろうなあと思わせられました。
家電という分野も、ひとたびこだわりが入ると際限のない世界だろうなあと思います。
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液晶テレビ

最近、人と話をするとよく話題に出るのがテレビの買い換え問題です。

まだまだ先のことだと思っていたアナログ放送の終了が、さすがにだんだんと近づいてきている気がします。
とくに省エネの家電製品についてくるエコポイントを得ようとするなら、今年の12月あたりまでという話なので、そろそろ地デジ対応のテレビに買い換えないといけないというのが共通した話題です。

我が家にも一台だけ液晶テレビがありますが、マロニエ君はじつはあれ、あまり好みではありません。
一番の理由は、あまりにも鮮明画像で、画面もそれなりに大きさがあるので、はじめは感激していましたが、どうも視ていて疲れるのです。

ひとつには最近のカメラアングルは、必要以上に人の顔に近づきすぎて、話をする人の顎や額が画面に入りきれないところまで接近するのはどうかと思います。
しかもそれがハイビジョン放送のような高性能な映像クオリティと、片やそれを映し出すテレビがもの凄い高性能ときているので、肉眼でさえ見なくて済むような人の顔の皮膚のこまかい状態や、脂や、小じわや、髭のそり跡などが、これでもかというほど克明に映し出されて、これはほとんど人権侵害では?と思うほど、むごいまでに鮮明に映し出されます。
まさに手を伸ばせば触れられるかというようなクリアな画面というのは、単純にきれい、すごいとは思っても、不思議に心の落ち着きはえられないのはマロニエ君だけでしょうか?

なんでも、大河ドラマのような番組でも、ハイビジョンの撮影なってからというもの、役者も、衣装も、メイクも、そのクオリティに合わせた結果を出すべく、あらゆる基準が格段に厳しくなったそうで、それが関係者のかなりの負担になっているという話を聞いたことがありました。
そんなことでばかりにエネルギーを投じていては、本来のいい番組作りなどという本質には手も意識も回らなくなるでしょうね。

マロニエ君の部屋には今でも従来のアナログテレビがありますが、こちらは画面は小さいし、たしかに画質もうんと劣りますが、なぜかホッとするものがあるのは事実です。
たかがテレビなんざぁ、せいぜいこれぐらいで十分だと思うんですが。
それに地デジ放送って、チャンネルを切り替えるのになぜいちいちワンテンポもツーテンポも遅れるのかが解せません。アナログテレビはチャンネルボタンを押せばパッと瞬時に切り替わる、あの一点をとっても快適です。

まあ、そんなことを言っていても時勢に逆らうことはできませんから、買い換え問題はいよいよ大詰めを迎えるようです。どうせ買うならセコイようですがエコポイントのあるうちに腰を上げなくちゃと思っているこの頃です。
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一人旅

久しぶりに会う知人らと食事をしました。
いろいろとりとめもない話題が飛び交いましたが、旅に関する話が持ち上がりました。

このうちの一人は今月海外に行くとのことでしたが、もう一人は国内のあちこちを時間を見つけては、しょっちゅう一人で旅に出かけているようです。
マロニエ君にとって驚くべきは、この2人とも「一人旅」が好きだということでした。

人の好みや感性は実に様々ですが、一人旅を好むというのはそのひとつの大きなあらわれのような気がします。
知人に言わせると、一人旅には自由があり、自分の趣味や気分のおもむくままに行動でき、旅行中の時間を自分のためだけに十全に堪能できるという利点があるようです。
なるほどなあ…とは思いますし、話としてはわかるのですが、いまいち実感は湧きません。

マロニエ君のような甘ちゃんにとっては、一人でレストランや喫茶店に入ることも嫌なのに、何が悲しくて一人旅なんかしなくちゃいけないのかとしか思えませんから、どんなに素敵だと言われても想像もできない世界。ましてや海外へのアテなき一人旅なんてとんでもない。
そんなことをするくらいなら家にいたほうがどれだけいいかとしか思えません。

一人旅を好むようになるには、各人の生活習慣も大いに関係しているような気がします。
外に勤めに出て、出張したり転勤したりと鍛えられて、単独行動がなんでもないことになるのでしょうし、下手に気の合わない人と我慢して同行するより、一人のほうがどれだけ快適かということにもなるようです。

マロニエ君といえば自分でもおかしいぐらい真逆の人間で、学生時代に東京から帰省する際、飛行機以外にも、車でも数え切れないほど往復した経験がありますが、だいたい誰かを誘い込むか、一人で行かざるを得ない場合は、途中休憩もそこそこに極力ノンストップで走りきるという、かなり無茶なことをしていたという記憶があるばかりです。

これが一人旅の好きな人ならば、せっかく車と時間があるのだから、それをチャンスにほうぼうに立ち寄って、普段できないような自由な旅を楽しみながら福岡なり東京を目指せばいいのでしょうが、それがもう、てんでできないわけです。
一目散に目的地を目指し、旅の宝庫である京都や神戸、瀬戸内の街々をすべてすっ飛ばして、脱兎のごとく徹夜してでも走覇していたあの頃を思い出しました。
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オーケストラの命綱

友人がたまたま目にしたらしく、10日ほど前の日経新聞の切り抜きをくれました。
そこに書いてあるのは、地方のオーケストラが資金不足に喘いでいるという記事でした。

プロオーケストラは団員と職員あわせて概ね100人近い人間を抱え、あるオーケストラを例にすると昨年168公演をおこなったそうですが、それでもコンサートの入場料収入だけでは運営費はまかなえないらしく、頼りは自治体から支給される補助金なのだそうです。

ところが、その補助金が国の(つまり民主党の)事業仕分けによって削減され、多くのオーケストラがまさに命綱を切られて、浮沈の瀬戸際にあるということでした。
日本オーケストラ連盟によると、加盟する31のプロオーケストラの大半が補助金に頼っているのが現状とのことですが、文化庁から各楽団に支給される補助金は昨年の事業仕分けで削減されているとか。

大阪の橋下知事に至っては、財政再建策の一環として、大阪のあるオーケストラへの補助金の大幅カットを表明し、来年度からは全廃するという極めて厳しいものだそうです。まあ、あの橋下さんがオーケストラに価値を持つとはとても思えませんが。

政権与党は、税金のムダ使いを洗い出して整理するのは至極当然の事であって、基本的にはどしどしやってほしいと思います。
しかし、そもそも文化芸術というものは、それがただちにお金になるという種類のものではなく、むしろ国や自治体が支えるべきものではないのかとも思います。地方のオーケストラなどが真っ先にその槍玉にあがるのは、切り捨てる側の文化意識や価値観にも大きく左右されるのではという気がしてしまいます。
音楽などは、見る角度によってはムダとしか映らないものかもしれませんが、文化とはほんらい金銭的価値とは違う次元で必要なものでもあるはずだと思います。しかし、スポーツなども本来の精神を逸脱して金銭と深く結びついた、汚れた世界に成り下がってしまって、賞金額でその人をランク付けするような時代ですから、やはり現在はなんでも金銭的収支が絶対視されるしかないのでしょうか。

官僚や公務員のあきれるような天下りなどには見直しが不徹底ないっぽうで、こういうことをあの痩せた短髪の女性が意気揚々と先頭に立ってやっているとしたら、世の中はまさに鶏ガラのように痩せこけてギスギスになってしまうようです。
そうはいっても、中には切り捨てられても仕方がないようなオーケストラもあるのかもしれませんから、適切な見極めはなにより大事だと思いますが。
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薬剤師

ちょっとした体調不良があって、昨日はじめての病院に行ったのですが、そこで処方箋をもらい、すぐ脇の薬局に薬を受け取りに行きました。
薬局内には若い薬剤師らしい女性がひとりいて、いきなり保険証の提示を求められました。
マロニエ君のこれまでの経験でいうと、薬局で保険証を見せろと言われた記憶はあまりありませんでしたが、ともかくはじめての場所ではあるし、ひとまずおとなしく従いました。

ほどなくすると、筆記用具をもってこちら側にパッと出てきたかと思うと、大したことでもないようなことをもっともらしく次々に尋ねられました。
住所まで言わせられそうになったので、それはさっき渡した保険証に書いてあるでしょうというと、すかさず今度は電話番号は?などと矢継ぎ早に質問してきます。
たたみかけるようなテンポの速いしゃべり方に、最初から嫌な感じがしていましたが案の定でした。

ようやく薬の準備ができ、渡す薬の説明をするのは当然としても、以前の別の薬はどれぐらいのんでいたかなどと、また関係のないことを口にして、それ(別の薬)がちょっと多すぎるような気がする…などと言い始めたのには驚きました。
保険証から過去の処方薬の履歴などを追跡できるのかとも思いましたが、よくはわかりませんし、今日のところはとにかくおとなしくして引き下がりました。

以前もある薬局で、薬剤師の女性が、まるで医師顔負けの堂に入った態度で「今日はどうしましたか?」と椅子に腰掛けて質問が始まり、問答ばかりで一向に薬の準備もせず、具体的な症状などをずけずけ聞いては指導的な口のきき方をし、それがあまりにもしつこいので、ついに、医師でもない貴女からなぜそのようなことを聞かれなければいけないのか?私はたったいま病院で診察を受けてきたばかりで、それに基づいて薬が処方されたのだから、貴女は自分のなすべき仕事をすればいいわけで、もし疑問があるのなら先生に聞くべきではといって回答を拒絶したことがありました。

これは極端な例としても、薬剤師には程度の差こそあれ、ちょっとこういうタイプがいるようです。
自分の資格を言い訳のできる範囲で濫用して、つかのまの医者気分を楽しんでいるかのような人。
病院に連なる施設の人間であるのをいいことに、人のプライバシーにズケズケ踏み込んできて、それを大抵の人が素直に応えるものだから、調子に乗っていい気分になっているのでしょう。

こういうことがどうしても見逃せないマロニエ君としては、さて次回がどうなるかというところです。
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エアコンパニック-3

この時期にいたって、なんとまた、エアコンに問題が起きしました。
先のトラブル以来、快調に運転を続けていたマロニエ君の部屋のエアコンですが、ある日を境にとんでもないことが起こり始めました。
室内への盛大な水漏れです。一昨年もこれに悩まされたが、その時の教訓としては微細なごみが積み重なって、排水ホースを詰まらせ、行き場の無くなった水が室内に溢れ出るというものでした。
それいらい修理に来たメーカーの勧めにしたがって、毎年クリーニングの専門業者を呼んで内部の徹底的な掃除をするようにしています。

今年も7月の後半に来てもらって、安くもない代金を払ってクリーニングをやっていましたので、その点に関しては安心していたのですが…。
エアコンの水漏れというのは経験のある方ならご存じでしょうが、ひとたび漏れはじめると、もうとめどがありません。
おまけにマロニエ君の部屋は、ベッドの頭のちょうど上ぐらいにエアコンを設置しているので、漏れはじめると枕から3〜40センチのところにポタポタ水が落ち始めます。

漏れてくる場所によっては布団まで濡れてしまうので、ベッドの横にはお盆にバスタオルを重ねて水漏れに備えるしかありませんが、今回は量がやたら多くそれでは足りないので、おおきなプラスチックの容器のようなものを持ってきてたりと対策も大変です。この時期になってもエアコンを切ると寝られないエアコン依存症のマロニエ君なので、夜通しこのパチャンパチャンという音に悩まされ、深い睡眠は普段から苦手なのに、ますます眠りは浅いものとなりました。

すぐにクリーニング業者に連絡すると、普段の愛想はやたらいいくせに、いざとなると自分達はクリーニング以外のことは関与せず、故障はメーカーのほうに言ってくれというすげない返事です。そこでメーカーに連絡してすぐに修理に来てもらいましたが、果たして原因はクリーニングのやり方が中途半端なためと考えられるらしく、機械部分を洗浄することで出てくるゴミなどが逆に排水ホースに詰まって発生したトラブルだということでした。それでも出張修理費はかなりかかりました。

この結果をクリーニング業者に伝えると、なんと国会の証人喚問のように自分達の非を認めようとしません。
ただもう必死に逃げ回るばかりで会話が成立しません。あまりにもばかばかしいのでだったら私は素人なのでメーカーに電話して専門家同士で話をしてくれといったら、それも頑として嫌がります。
結局、来年のクリーニング一回分をサービスすることで話は収まりました。
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相撲と野球

マロニエ君は基本的にスポーツに興味はありませんが、それでも相撲は少し見ますし、その他のものも話題の結果ぐらいには興味を持つことがあります。

今日は大相撲9月場所の千秋楽でしたが、なんと言っても白鵬の62連勝達成と魁皇の勝ち越しで幕を閉じたのは良かったと思いました。だいたいこういう結果というのは、まずほとんど自分が望むことの反対で終わることが多く、大半は落胆で幕を閉じるものですが、今日の上記二つはホッとしたというか嬉しいことでした。

魁皇は福岡の地元力士という枠を超えて、もはや全国区の人気力士で、引退を常に背負いながら出場記録を伸ばしているところが、とくに最近は見るたびにハラハラさせられます。聞けば現在、この魁皇が大関以上では唯一の日本人力士なんだそうですね。あともう少し頑張って欲しいものです。

それにしても白鵬の62連勝はすごいですね。
取り口を見ていても、基本は悠然たる横綱相撲で、常に受身の相撲をつらぬきながら、必要時には目にも止まらぬ俊敏と獰猛とさえいえるような突進力で相手をなぎ倒すところはまさに本物の横綱といえるでしょう。
その姿も美しく、長身で、色白で、風格に溢れるその偉容は、まさにこれこそ横綱という感じです。
横綱の資格はまずもってその実力と人並み外れた成績であることは言うまでもありませんが、心・技・体といわれるように、ただ強いだけではないすべてをひっくるめた、見る者を一瞬にして納得させるオーラが無くてはなりません。

やや下り坂気味だった千代の富士の53連勝の時とは違って、白鵬の相撲にはまだはち切れんばかりの力が漲っていて、これはどこまでいくかわかりませんね。はじめの頃は双葉山の69連勝なんてゼッタイムリと思っていましたが、どうやらそうではないような気がしはじめているのはマロニエ君だけではないでしょう。

千秋楽が終わってやれやれという感じでいたら、夜になって知ったことですが、なんとソフトバンク・ホークスも今夜リーグ優勝をきめたと知って、二重の驚きでした。
昔のダイエーがやはり優勝と、つづく日本シリーズで日本一になったとき、中州の橋の上に大騒ぎを見に行ったことを思い出しました。優勝に湧く群衆の中から、次々に川に飛び込む若者がいて、厳密なことを言ったら問題はあるのかもしれませんが、めったにないお祭り騒ぎの熱狂の中での出来事として楽しい思い出になっています。もしかしたら今ごろやっているのでしょうか。

ひとつだけ、野球の優勝で個人的にいただけないのは、あのビールかけです。
いくら嬉しいとはいっても、ホテルなどの屋内を飛び交うビールの放水で壁も天井もベトベトにしてしまうのは、ちょっと騒ぎ方としてはスマートさに欠ける気がしますが、今夜のビールかけは意外や野外のようでしたから、いくぶんホッとしました。
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携帯パニック

どうしたものか、今年は次から次に電気製品が故障したり不具合が発生する年のようです。
マロニエ君は現在、ソフトバンクの携帯(iPhoneではない)を使っているのですが、現在の機種を使い始めて半年ちかく経ったころからバッテリーの消費が激しくなり、修理ということで代替機を使うことになりました。
10日ほどするとショップから連絡があり、引き取りに行ってみると、やはり機械的な問題があったらしく、問題の箇所は新品に交換した旨の報告を受けました。

それから数ヶ月経ったころ、やはりまたバッテリーの保ちが悪くなり、今度はそろそろバッテリーの寿命かと思い、貯まったポイントを利用をして新しいバッテリーを購入し交換しました。
ところが、それを使い始めて二ヶ月も使ったころから、またしてもバッテリーが保たなくなり、毎日充電してあまり使わなくてもすぐに電池レベル表示は不足の警告を出すようになりました。

今回はバッテリーは新しく、寿命ということは考えられないのでショップに出向いて事情を話したところ、とりあえず別のバッテリーの貸し出しを受けて様子を見ることになったのは、以前このブログにもちょっと書きました。

さて、そのショップが貸してくれた中古のずいぶん汚れたバッテリーを使ってみたところ、なんとこれが何の問題も無いことが判明。すなわち購入したバッテリーが不良品だったことがわかりました。

その旨、ショップに電話して不良品を交換してくれるように頼んだのですが、ここからが大変でした。
ショップはショップの関与したことにしか責任をとらず、ネットで注文購入したものについては独自にネット注文の部署に掛け合ってくれと言うのです。やむなく教えられた番号にかけると、ガイダンスにしたがって際限なく操作を繰り返し、やっと人間の声にたどり着いたと思ったら、今度はひと言なにか言う度に「少々お持ちください」を連発するばかり。

その挙げ句、不良品を交換するためにはバッテリーをいったんショップに持っていくように言われました。
しかし、そもそもショップはネットで買ったモノについては関与しないと言うのでかけた電話であるというと、またお待ちくださいの挙げ句、「折り返しお電話します」となります。これを実に3回繰り返したあげく、ついに「特例として」新しいバッテリーを送るということになりました。ここまでくるのにもうヘトヘトでした。

これで終わりかと思うと、今度は不良品を宅急便で送って欲しいので、住所のメモをお願いしますといわれました。
さすがにカチンときて、それは拒否し、ショップへ借りたバッテリーを返しに行くときに一緒に渡しておくので、あとはこれ以上客の手を煩わせることなく、社内で処理してくれというと、ようやくそのように収まりました。
電話に出る女性は言葉は丁寧なのですが、判断力が無く、応用が利かず、生きた処理ができません。
決められたシステムを守るためにはお客にどれだけ迷惑がかかっても、そこは問題ではないようです。

この一連の電話が済むだけでも、実に一時間半!!を要しました。
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「ピアノの本」

ヤマハのレジの横に置いてある「ピアノの本」という、たいそう小さくて薄い、わずか40ページほどの冊子があるのをご存じですか?
いちおうは月刊誌らしいのですが、普通の雑誌の付録にもはるか劣る、とてもお金を出して買うようなものには見えないものです。
せいぜい航空会社の時刻表並みですが、紙質ははるかに劣りますし、カラーは表紙のみです。

それでなくても今時は、無数のたいそう立派なフリーぺーバーが世の中ひしめき合っている中、なんとこれが有料だというのですから開いた口がふさがりません。だれがあんなものをお金を出して買うんでしょう?

ところが、それが現実にレジ横で105円で売られていて、しかもピアノの先生の何とかいう会員とかであれば無料とのことなのが甚だ愉快ではありません。一般の客でもレジではちゃんとお金を出して定価で商品を買っているのに、これではまるで差別されているみたいで不愉快なので、マロニエ君はこれまでに一度たりとも買ったことはなく、したがって常々ほとんど読んだことはありません。

そういう一部優遇制度が撤廃されれば気まぐれで買うこともあるかもしれませんが。
逆にいうと、あれを敢えて105円出して買う人はまずいないと思うので、だったらどうして無料にしないのかと訝しく思うばかりです。
しかも、以前ヤマハの別店舗ではタダでもらったことがあるので内容を見てみると、ピアニストへのインタビューとか、先生の紹介、ヤマハのコンサートや公開講座/公開レッスンの案内、あとはヤマハのイベントやヤマハの新製品や新刊のニュースの羅列で、要するにヤマハに関する宣伝の類ばかりが書かれた冊子です。

これを一部の先生だの会員だのにはタダで渡し、お金を出して現実にモノを買っている一般のお客さんには105円也を請求するとはなんたることかと思いました。
別店舗では「どうぞお持ちください」と言われたこともありますが、天神では頑として売り物扱いですからいい度胸だと思いました。

タダでも読んでもらえるだけ幸せと思うべきところを、何を勘違いしているのでしょう。
これを無料にしたところで、みんなが一斉に持っていくようなものではぜんぜんありませんし、そもそも刊行された印刷物は少しでも多くの人に読まれてこそ意味があるというもの。

いかなる企業も顧客の確保とサービスの向上には、それこそ血の滲むような努力をしているというのに。
思うところをヤマハの担当者に電話して、鋭意検討の上、善処してくれるよう伝えました。
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ベビーカー

成熟した社会では、弱者に対して思いやりの心と手厚く温かい対応が必要とされることはいうまでもないことですが、ときどきそういう高尚な理念とはかけ離れた光景を目にして、大いに疑問に思うこと、違和感を感じることがあるのは決してマロニエ君だけではないはずです。

過日もデパートに行って、満員で乗れない人も多く出るような状況のエレベーターに、何憚ることなくベビーカーを突っ込んでくる人がいるのは見ていてあまり気持のいいものではありませんでした。

それもお母さん一人という状況ならわかりますが、両親そろっているのなら、混み合う満員のエレベーターに乗るときぐらい、公衆道徳といえば言葉が硬いでしょうが、臨機応変に子供を抱いてベビーカーを畳むぐらいのことをしたらどうかと思います。ひどいのになると、夫が子供を抱き、妻が空のベビーカーを悠々と押して入り、ぐいぐいと奥に詰めて場所を空けろといわんばかりのパターンもあります。

また、知り合いと一緒に買い物らしく、二台同時に入ってくることがありますが、ベビーカーというのは意外にサイズもあり、それが二台ともなると、普通の人が乗る数は多いに制限を受けますが、ベビーカーというものがまるで社会特権でももっているかのようなどこか高慢な態度と表情が、迷惑をかけているまわりの人達の心証にとどめを刺すように思います。

もちろんベビーカーをエレベーターに乗せるのが悪いと言っているのではありません。しかし、わずかでもスペースを譲り合うべき状況で、他人にやむを得ぬ迷惑をかけることに、なんの躊躇も遠慮も感じていない様子を目撃するのは、決して珍しい光景ではありません。まるで子供を盾にして自分の露払いをしているような印象。

しかも、あまりにも他人への思いやりがないために、人の荷物を引っかけたり、あやうく老女がつまずきかけるのを目撃したこともありますが、だいたいこの手の親は、ちょっとしたお詫びのひと言もなく、赤ん坊という最大の弱者を連れていることで、どことなく「生類憐れみの令のお犬様」のような圧力を感じてしまいます。

一番驚いたのは、やはりエレベーターで、さんざん人をよけさせた挙げ句に入ってきたベビーカーでしたが、なんとそこに赤ちゃんの姿はなく、買い物の荷物ばかりが積み込まれていて、これにはエレベーター内の乗客は呆気にとられ、無言の視線をその女性に送っていましたが、その女性ときたら何の悪びれたところもなく、必要以上に堂々としていたのが印象的でした。
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かけた電話が…

ちょっとした要件があって友人の携帯へ電話したところ、むこうはちょうど知人の入院見舞いに行って、たったいま車に乗ったところとだったと告げました。
それはちょうどタイミングがよかったと思い、1〜2分ほど話をしていると、友人が突然アッと言ったかと思うといきなり電話を切ってしまいました。どうしたんだろう…と、すごく気にはなりましたが、そこは敢えてかけ直すことはしませんでした。
というか、なんだか嫌な予感がしたので、とりあえず何もしないほうがいいような気がしたのでした。

それからしばらくの間、マロニエ君も落ち着かないまま待っていると、10分ほどして向こうから電話がかかってきました。悪い予感は的中しており、運転中に携帯電話を使用したことでパトカーに捕まったらしいのです。
この通話がもともとマロニエ君がかけた電話であったことで、責任の一端がこちらにもあるようで、申し訳なさがつのります。
言い訳のようですが、マロニエ君は「たったいま車に乗ったところ」というのを、文字通りドアを開けてただ乗っただけで、車はまだ動いていないと思っていたのです。もし、運転中と知っていれば普段からさっさと切るようにしています。

今、後のパトカーの中で反則切符を作成中だそうで、なんともいやーな光景が目に浮かびました。

摘発の方法がまた驚きでした。
なんでも、パトカーから電波を使って携帯電話を使用中かどうかを測定するのだそうで、使用中ということがわかると、そのまま40m追尾することで、違反が成立したということになるそうです。
この方法は、以前も聞いたことがあるにはあったのですが、実はマロニエ君はあまり本気にしていませんでしたので、やはり今回このようなことになって、それが事実だということがよくわかりました。

だとすると、街頭などで警察官が、運転中に携帯で話している人を「見ただけ」では、証拠不十分で摘発できないのだろうかとも思います。
ただ携帯電話を片手に持って運転し、通話もなにもしないで話しているフリだけをしたとすると電波による確認ができないわけで、そういう場合はどうなるのだろうかと思ってしまいます。
まさか運転中は携帯に触っただけでも違反というわけではないと思いますが…。
とはいっても、シートベルト装着などは、見ただけで摘発されるわけですから、まあ余計なことはしないことですが。
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モンスターペアレント-2

昨日の続き。

ある学校では毎月一回クラスの席替えを行っていた。
方法は公平なくじ引きで、席番号を書いた紙をみんなでひくというもの。すると翌日学校に一人の親から担任に電話がある。今回の席替えで我が子の隣が望ましくない子になったので、もう一度席替えをしてしてくれと主張する。それはできないと断るが、受験も控えているが失敗してもいいのか?などと猛烈に食い下がる。
とうとう根負けした担任が同じ方法で再度席替えをおこなった。するとまたしても電話が。今度のとなりの子も望ましくない子で、やはり困るので、もう一度席替えをやって欲しいと吠えまくる。

一家で食事をしていると、息子のお箸の持ち方がおかしいことを父親が発見する。その持ち方はおかしい、それでは学校の給食時間に先生から怒られるはずだというが、息子はべつに怒られないと答える。この事実に両親とも怒りをあらわにする。
翌日、父親が担任に電話をし、うちの子がお箸の持ち方がおかしいのに、なぜきちんと学校は教えないのかと、まるで学校の怠慢のようにまくしたてる。驚いた担任が、お箸の持ち方の指導はご家庭でお願いしますというと、父親は完全にキレる。
義務教育なんだから学校がお箸の持ち方を指導するのも当然のはずだ、そもそもアナタ方の給料は我々の税金で払われているんだ、我々が毎日忙しく働いて納めた税金のお陰でアナタ方は生活できているんだと吠えまくる。そして最後に名言を残す。
「一体、そちらではどういう教育をしているんですか!!!」と。
これにはさすがにスタジオの一人が言った。
「あれはふつう先生が親にいうセリフでしょう」と。ごもっとも。

これら以外にもマロニエ君は似たような話を聞いたことがありました。
ある子供が問題を起こして、親が学校から呼び出される。
ところが母親は働いていて、その都合ばかりを優先させ、そもそも子供のしでかしたことで呼び出しをされているという状況認識ができていないらしく、先生が強く要求することでようやく来ることに。
母親と子供と先生で話し合いがもたれ、一段落付いたところで母親が切り出す。
今日は先生がどうしてもと言われるので無理して大事な仕事を休んでしまった。だから、その賃金の損失分は学校側が負担するべきではないか?と先生に詰め寄るというものでした。

専門家の話では、現在、全体の約一割程度この手の親がいるそうで、1990年代からこうした現象が生まれはじめたのだそうです。
いやはやとてもじゃないですが、完全に笑い話レベルですが、素直に笑えない不快感があります。
先生もストレスたまるでしょうね。
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モンスターペアレント-1

少し前に録画していたテレビ番組で、現在学校現場で大きな問題になっている、いわゆるモンスターペアレントの特集があったのをようやく見たのですが、その内容たるやすさまじいもので、実際の話なのですからただもう驚きました。
先生も昔とは違って大変過酷な仕事になってしまったようです。

内容は概ね以下のようなものでした。

体育の授業中、生徒が自分でサッカー場のポールに頭をぶつけてケガをしたので、先生が医務室ではなく、直ちに近くの病院へ連れて行ったところ大事には至らず、数回の通院で済むことになった。知らせを聞いて駆けつけた母親は一安心したのち、突如、先生に向かってなぜこの病院に連れてきたのか?と聞く。学校から一番近いからというと、母親は通院すると家からは遠いので、家の近くの病院がよかったのにという。
そして、ここに通院するのなら(先生の判断でこの病院になったわけだから)、それに要するタクシー代は学校から出るんでしょう?と詰め寄る。

学芸会でビデオを手にした親達が我も我もと揉み合うように我が子の撮影に興じる中、上手く撮れなかったことを妻子に責められた父親は、なんと学校の校長室に行って、もう一度学芸会をすることを要求。断られた父親は、それじゃあうちの子の思い出が撮れなくてもいいって言うんですか!と校長を相手にキレる。

似たようなもので、運動会のかけっこをビデオ撮影していると、先頭を走っていた我が子が運悪く転倒する。結果ビリになってしまったことにどうしても納得できず、学校側にもう一度やり直しを要求。転びさえしなければうちの子が一等だったのに、ビリになるのはおかしい、かわいそうだと父親がまくし立てる。

学芸会で白雪姫をすることになり、希望者によるくじで白雪姫役を決定した。ところが、翌日先生に電話が殺到。うちの子がなぜ白雪姫になれないのか、帰宅してから泣いていたと、などと責め立てられ続け、ついに白雪姫ばかりが舞台上にずらりと並んで登場し、その親たちだけが盛り上がって拍手を送った。
魔法使いも7人の小人もいない、原作を踏みにじる出来事として海外のメディアにも取り上げられた。

授業参観で親たちが教室の後に立ったまま、授業中にもかかわらず勝手なおしゃべりを続けて止める気配がない。先生は咳払いなどして注意を促すがまるで効き目なし。そのうちおしゃべりは生徒へも波及し授業にならない。ついに先生がおしゃべりをする生徒を注意し、その流れで親たちにも少し静かにするように言うと、一人の母親が逆ギレ。なんで私を見るのか!しゃべっていたのは私だけじゃない、だいたい授業があんまりつまらないからこういうことになる。もう少しマシな授業をしたらどうか?と逆襲する。

どうです?すごいでしょう。
つづく。
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草戦争-その後

朝夕はずいぶん涼しくなりましたね。
我が家の庭は例の化学兵器の投下により、今年の草はほぼ壊滅し、その点ではなんとも快い日々を送ることができました。
これなくしては草の伸びる猛烈な勢いを抑えることは到底できないし、ましてや今年のような猛暑日の連続とあっては、果たしてどんな恐ろしいことになっていたか、考えただけでもゾッとしました。
投下前の状況からしても、例年以上の規模と勢いがあったのは確実でしたし。

マロニエ君のような根性ナシでは、逆立ちしたって、とてもじゃないですがあの酷暑の中、草取りなんかできるわけがありませんし、草刈り機をかけたところで、すぐまたグングン伸びて、ものの一週間や十日で元に戻ります。
かくして庭は、ゲゲゲの遊び場状態となるのです。

草が枯れていることで思わぬ副産物がありました。
それは蚊が少ないということでした。
考えてみれば、こんなことは当たり前のことなのでしょうが、はやり直接それを経験してみるとしみじみ効果を感じるものです。
蚊の大半は、草木の中を根城しにているのでしょうし、以前よりも変なムシの類も格段に少なかったように感じます。
こんなことはあまり書きたくはないですが、夏になると年に1〜2度は蛇をさえ目撃することもありました。
それがガレージの中に混入してしまって、大騒ぎになり、ついには警察を呼んだこともありました。

除草剤はそういう一切からも我々を解放してくれたような気がしています。
そんな話をしていると、友人の一人が「あまりそんなことをしたら、土地が汚染されるんじゃない?」などと大げさな脅しをかけてくる輩もいますが、べつに家庭菜園をするわけでもなく、要はなにを優先するかの問題です。

ところが最近、効き目が消えてきたのか、草のなくなったはずの庭のあちこちに、またしても雑草の一種だけがにょきにょきと出てきました。
すでに20センチ前後にはなっていますが、生え方はまばらで、そのうちまた「投下」すれば済むと思うと、フンと余裕で見つめています。
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圧迫感と解放感

いまさら繰り返すまでもないほど何度も書いてきたことですが、マロニエ君はとにかく人前でピアノを弾くということが自分でもちょっと異常じゃないかと思うぐらい苦手です。

一昨日もある会場でサークルの定例会が行われましたが、そこは普段より比較的広い会場ではありましたが、それでもホールではないのでピアノと客席との距離がすごく近いわけで、これが心理的にもの凄い圧迫になるのです。
だいたいピアノサークルで利用する会場というのは狭いところが多く(もちろんホール借り切りというわけには行きませんから当たり前なのですが)、人の目と存在がめちゃめちゃ至近距離で、そんな中で弾かなくてはなりません。
ちょっとした自己紹介も嫌なマロニエ君にとっては、こんな見つめてくれと言わんばかりのシチュエーションで順番に歩み出てピアノを弾くというのは、まさに恐怖そのものなので(たぶん心臓にも悪いだろうし)、いつもそのたびに「これを最後に見学者になろう」と思うほどです。

ところが、そんなマロニエ君ですが、極限的に耐え難い状況と、そこまででもない状況があるということがわかりました。
それは機会があって、何度か本格的なホールのステージ(もちろん客席には数人の関係者以外はいません)で弾いてみると、これが思ったほどキンキンには緊張しないことがわかり、これは自分でも非常に驚いたことでした。

その理由は幾つかありますが、まずホールというのはとにかく圧倒的に広い空間であるために、開放的で息がつまるということがありません。ステージに置かれたコンサートグランドも、はるか小さな楽器に見えるほどです。
それに音がことごとく遠くへやわらかに飛び去って行くので、思わず心が澄みわたるような気分になるのです。
とりわけマロニエ君にとって一番の有難い点は、ピアノの近くに人がいないということ。

客席に少々人がいても、ステージとはかなり距離があり、床の高さも照明も厳然と区分けされ、ステージが独立した空間のように思えるためか、意外に自由で快適に弾けることがわかりました。
要するにちょっぴり自分の世界を作れるのです。

ピアノサークルでは、マロニエ君ほど極端ではないにせよ、こういう状況を苦手に感じている人もいる反面、口では「緊張する!」なんて言いながら、どうしてどうして、大いに楽しんで弾いている人もいらっしゃるのは何度見ても驚きます。
よほど神経の構造が根本的に違うのでしょうが、実にうらやましいことです。
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ビデオパニック-その後

ビデオが故障したのは大変な痛手で、録画していた番組がすべて失われたのは精神的にもショックだったことは事実でしたが、日が経ってみると所詮はビデオはビデオで、大事な本やCDが失われたのとはやはりちがいます。

さて、このDVDレコーダーはテレビと一緒に2年前に国内最大手といわれる有名電気店で購入した物でしたが、販売店に修理依頼をしたところ、これが予想以上にてきぱきと対応してくれたことは悪い気分ではありませんでした。
電話に出た担当者は、こちらの状況説明で、ハードディスクが壊れていると判断し、おそらくそれの交換になるので、すぐ伺っても良いけれども、できればまずはその部品を揃えてからのほうが良いのでは?といわれました。
その提案は合理的で尤もだと思い、了解しました。

それから数日して部品が揃ったので伺いたい旨の連絡がありました。
訪問時間の取り決めをし、翌日その通りにやってきました。

こちらの大まかな説明を聞いた後は、スムーズに修理に取りかかり、大した時間もかからずに完了しました。
ついでに電波の状況など、テレビとビデオがキチンと映るための環境のチェックもしたらしく、そこで感じた問題点などもわかりやすく伝えてくれました。
昔のテレビから引き継いでいたアンテナの差し込み口の部品が古くて好ましくないということで、これも新しいものに交換してくれて作業はすべて完了しました。

ちなみにマロニエ君は購入時にこの店の長期保証というのを勧められてこれに加入していたので、その関係書類などを提示しようとしたら、すでに店の記録でその確認をした上で来ているので、その必要が一切なかったことも驚きでした。
修理完了までの一連の流れはとても気持ちのいいもので、結局お金も取らずに、またなにかあったらいつでも連絡してくださいという頼もしげな言葉を残して去っていきました。
要するに、故障はしたけれども、その解決と修理に際しての面倒を、迅速かつ最少限のものにするというシステムが有効に機能しているようでした。

この有名電気店で買ったのは別にこれといった理由があったからではなかったのですが、やはり業界トップに君臨する店というのは、いざというときにそれなりのものがあるのだなあと感心してしまいました。
今回の一例で言えば、明らかにメーカーのサポートを上回る快適さをもっていると感じました。
とくに商売で大事なのはお客の心証をよくすることで、それを勝ち得れば次に繋がるということを経営者は知り抜いているのでしょうね。
すっかり好感を持ってしまったマロニエ君でした。
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日本人のような中国人

いま使っている携帯電話にちょっとした不具合があるので修理をしなくてはと思いつつ、携帯ショップでの待ち時間などを考えるとなかなか腰が上がりませんでしたが、思い切って行きました。

友人から、天神のソフトバンクのショップは直営店だから他の店舗よりもいいとアドバイスされて、そこにいきました。
ショップの面積こそ決して広くはありませんが、ここは展示品の数などが極端に少ないかわりに、受付の数が多く、マロニエ君も待ち時間ナシですぐに要件にかかることが出来ました。

端末を預けて修理に出し、その間、代替機を使うという手順ですが、いろいろと事情のあることも判明したために、今日すぐにそれをすることは見送り、とりあえず別のバッテリーを借りて、それでしばらく様子を見ることになりました。

そんなことはどうでもいいのですが、驚いたのは対応してくれた女性でした。
いろいろとやりとりをする中で、この女性が首からさげたストラップの途中に、小さな中国の国旗がくっついていることに気がついたのです。ご多分に漏れず携帯ショップの用事というのは何かと時間がかかり、こちらもヒマな瞬間がしばしばあるものです。

で、はじめは気にもしませんでしたが、どうやらこの女性が中国人であることが途中からわかりました。
そうだと気がつけば、ちょっとした雰囲気とか話の感じがわずかに日本人とは違うのが理解できましたが、それがすぐにはわからないぐらい日本語も達者で、しかも店頭でお客を相手に使う用語なども日本人とかわりなく(日本人の敬語自体が崩壊しているとは思いますが)すらすらとしゃべって、しかもややこしい機械操作やシステムを駆使しながら、こちらの持ち込んだ問題にテキパキと対応していく能力には目を見張りました。

マロニエ君など中国語もできないし、自分の携帯電話さえ使いこなしているとは程遠い単純な使い方しかできていません。向こうはもちろん給料をとる仕事なのですから、操作やシステムに詳しくて当たり前と言ってしまえばそれまでですが、素直に大したもんだとびっくりしました。
おそらくは日本語をマスターする前の留学生などが、携帯電話を買いに来るために中国人を配置しているのだろうと思いますが、決して中国人専用ではなく、日本人にも何不自由なく対応できるのはお見事でした。
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張りぼて

マロニエ君は現在、ちょっとしたアレルギー系の治療(大したものではありません)があって近所の医院に通っていますが、そこの先生に別の医師を紹介され、ぜひ一度行ってみてくれといわれたので、気は進みませんでしたが日ごろお世話にもなっているその先生の顔を立てるつもりで出かけていきました。

そこは、福岡市の百道浜にある新しい大きな病院で、今の新しいトレンドなのか、まるでホテルと見まごうような作りで一時話題になった病院です。
正面玄関を入ると自動演奏付きのグランドピアノが置かれていて、高い吹き抜けにはシャンデリア群が輝き、とにかく今どきの人には「贅沢で特別な病院」と感じさせるような作りになっています。受付もロビーもホテル風の構えで、そもそもマロニエ君は基本的にこういう上っ面の豪華趣味が好きではありません。

受付を済ませ、二階の専門ごとにわかれた外来の診察室に向かいますが、従来の病院くささを排した装飾的な内装や調度品などは、これでもかとばかりに続きます。診察室の前は各科によってガラスで仕切られ、それぞれが空港のVIPラウンジのような感じで待合室になっています。

今回の診察は予約されたものでしたから、時間の少し前には着くように行きましたが、そこに他の患者はゼロで、要するにマロニエ君だけでした。
それなのに、時間になっても一向に呼ばれることはなく、「先生はいまこちらに向かわれています」などと何度か受付の女性や看護士が言いに来ましたが、ずるずると時間ばかりが経過し、ついに30分を超過した段階で帰ろうと決断しました。それを看護士に伝えると、あわてて「いま来られましたので(??)、診察室へどうぞ」ということになりました。

中に入ると、中年の女医が見るからに横着な様子で椅子に座っていて、嫌な直感が働きました。
むやみに上から目線で、遅刻を詫びるでもなく、いきなり横柄な調子で症状の話をはじめました。語尾に「デス/マス」もつかない無礼な物言いがさらに神経にさわりました。
こういうことの看過できないマロニエ君は、向こうの質問を遮り「今日のお約束は××時ではありませんでしたか?」というと、「しってるよ。」それがどうした?といったいささか硬直気味の開き直りでした。

こういう礼儀もなにもないような人に自分の体を診てもらおうとは思いませんので、こちらの考えを言って席を立ち、一階の受付で事の顛末を説明して帰宅しました。
どんなに借金して豪華な箱物を作り「患者さま」などと言ってみたところで、あれでは『仏作って魂入れず』の喩えの通りで、豪華さがかえって虚しく泣いているようでした。えてして今の世の中とはそんなもの。
立派なホールを作っても、地元のカラオケ大会しか使い道のないのと同じです。
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スズメバチ

なんとも恐ろしい光景を目にしました。
きのう、午前中外出して、ちょうど昼過ぎに帰宅して玄関に向かおうとしたとき、足元の石畳になにか小さな動きのある気配を感じました。
見ると、蝉が仰向けになって動いているので、そのへんの木に戻してやろうかと思った刹那、よく見るとアッとおどろくような状況になっているのがわかりました。

蝉の身体に大きなスズメバチが覆い被さっていて、生きている蝉の息の根を止めようと奮闘しているところでした。

スズメバチといえども、蝉よりはいくぶん身体は小さいのですが、勝負は完全にハチのペースで、蝉はなす術がない状況でした。
ときどき透明のきれいな羽尾をむなしくパタパタさせる蝉がなんとも哀れでした。
スズメバチは完全に蝉の上で思うさま蝉を攻撃して、まさに強者の姿でした。

驕り高ぶっているのか、ハチはマロニエ君が30cmほどに近づいているのにも目もくれず、まるでジャングルのライオンが獲物をしとめたときのように、一心不乱にその処理に熱中しているようでしたが、そのときのスズメバチの憎たらしさといったらありませんでした。
この段階で、すでに蝉の敗北は明らかでしたから、だったら一気に靴で蝉もろとも踏みつぶして、スズメバチを退治してやろうかという考えが頭をよぎりましたが、なにかが躊躇させてついに出来ませんでした。

いったんは玄関に入りましたが、気になってしばらくして見に行ったら、なんと、もうそこには何一つ残っていませんでした。
おそらく蝉を絶命させたのちに、巣に持ち帰って仲間とともに獲物をとことん食い散らしたのでしょう。

人間の世界もいいかげん厳しいですが、いやはや、いずこもすごいもんだと思いました。
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ビデオパニック!

エアコントラブルの次はビデオです。
こちらのほうが内容は明らかに深刻で、ハードディスクというものの恐ろしさをつくづくと思い知らされました。
昨日の夜、自室にいると家族からビデオデッキ(パナソニックのDVDレコーダー)の調子がおかしいということで内線電話がかかってきました。てっきりいつもの操作ミスだろうぐらいに思ってしぶしぶ下に降りていきました。

すると、録画した番組表示の画面が空っぽになっています。
こんな状態はこれまでに一度も見たことがないものでした。

あれこれと操作してみますが、押しても引いてもどうにもならず、どうやら深刻な故障が発生していることは次第に理解できてきました。
そういえば数日前に、録画した番組を見るとき、画面がタイルのように壊れたり、何度も途中で止まったりしていたので、おかしいなとは思っていたのですが、それがまさか、こんなことになろうとは想像もつきませんでした。

ビデオテープの時代とちがって、ハードディスクの故障では、採りためたデータが一瞬にして失われるという、なんとも残酷な仕打ちがユーザーに襲いかかります。
今はいくぶん落ち着きましたが、たかがテレビ番組とはいえ、やはり自分が任意で採りためていたものが一気に失われるというのは精神的にもかなりショックを受けるものです。
大したものは入っていませんでしたけれども、欠かさず見ていた大河ドラマの数回分や、かなりの数の日曜美術館、NHKスペシャルなどは、どうしても悔いが残ります。

音楽番組は別の機械で録画し、いつもDVDに移す習慣があるのでこちらは難を逃れましたが、家人が楽しみにしている連続物やちょっとした娯楽番組なども全滅です。

それにしても買ってわずか2年でこんなことになるなんて、メーカーの品質を疑います。
さっそく修理依頼しましたが、これだけショックを受けているのに、なんともシステマティックな機械のような対応しかしないのが無性に腹立たしく感じました。
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熱地獄

福岡市にお住まいで、日ごろ車を利用される方なら、天神のソラリアターミナル駐車場をご存じの方も多いことでしょう。
マロニエ君は天神に出かけるときは、必ずと言っていいほどこの駐車場を利用します。

さてこの駐車場、この夏は例年にも勝る、強烈無比な暑さに満ち溢れていました。
三越のあるビルの4階から上が一部駐車場になっていますが、ここは風通しが悪い上に、外は連日のうだるような酷暑、さらにエンジンという猛烈な熱源を抱えた車が所狭しと並ぶために、駐車場内の温度たるや、それはもう蒸し風呂なんてものではない、想像を絶する世界になります。
とくに車のエンジンは、回転時よりも停止後しばらく経ったときにその温度は最高潮に達するので、駐車場に居並ぶ車は、みな火の玉を抱えたようなものでしょう。

車を置いてエレベータホールに出るわずか数十メートルを歩くのさえ、全身がトースターの中で焼かれるよう暑さです。

昨日も用があってこの駐車場に車を止めましたが、夕方でさえ、頭がボーっとなるほどの猛烈な高温でした。
実際に温度計で測ったわけではありませんが、たぶんあそこは陽も差していないけれど40度は超えているものと思われますし、体温より高温の場所を一定距離歩くという経験は、マロニエ君の場合はこの駐車場が初めてだったように思います。

感心するのは、よくまあ連日あんな高温にさらされて、建物の床や柱が歪んだりしないものだとシロウト考えに思います。
このビルは、駐車場の一階下がバスセンターで、朝から晩まで長距離バスの巨体がひっきりなしに出入りし、さらにその一階下は電車の西鉄福岡駅になっているのですから、もしかしたら軍事要塞並の堅牢な建築物だったりするのかもしれません。

さらに感動してしまうのは、我が車です。
あんな環境に留め置かれた車が、これまた不平も言わず故障もせず、エンジンをかければエアコンからはせっせと冷気を出しながらまた従順に走ってくれるのですから、なんとも健気というか、いじらしいような気分になります。
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続・エアコンパニック!

調子のおかしくなったエアコン。
依然として調子は戻らずついに3日目を迎えました。

設定温度を下げると、風はファーファー出るものの、温度自体はかすかに冷たい程度でベタッとしています。
それでも廊下に出ると、部屋の中よりは明らかに暑いので、やっぱりまったくのオダブツ状態ではないようで、ともかく修理が来るまで、これでなんとか乗り切らねばなりません。

しかし除湿機能がまったく働いていないようで、すでに部屋はべたついた重い空気に落ちぶれてしまいました。
室外機のホースからも水はあまり出ていません。

そして今しがた、ついに、待ちに待った、メーカーの修理の人が重い修理鞄をもってやって来ました。
マロニエ君としては最大級の歓待をしたいような気分でした。

すると今のエアコンはよくできていて、故障履歴が記録されいるらしく、リモコンの中のあるボタンを操作すると、それが表示される仕組みになっているようでした。
そこに現れた文字列によると、室外機の冷暖房の切替弁の動きに不具合があったということが判明しました。

ではそこを修理するのかというとさにあらずで、スイッチを数分間切る、あるいはコンセントを抜いて数分後に差し込むといった処置をするのだそうで、はたして我がエアコンは見事に復活を遂げました。
以前のようなシャープな冷気が室内を満たし、ああもう幸せという気分です。

今後同様の不具合があるときは、同様の処置をしてみてくださいといわれ、これで一応の解決となりました。
現代のエアコンは室内機/室外機いずれにもコンピューターが仕込まれているらしく、今回はこのコンピューターの作動不良でよくあることだということでした。

いやはや、マロニエ君にしてみれば、命綱のようなエアコンですから、愚痴を言い続けた友人からは、もう一台予備のエアコンを付けたらいいとからかわれる有り様でした。
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エアコンパニック!

大変なことが起こりました。
マロニエ君は知る人ぞ知るエアコン中毒人間なので、普段はもちろんのこと、就寝中であってもエアコンはつけっぱなしなのはいうまでもありません。
というか、タイマーで寝る、とか、寝るときは消す、といった人の気が知れません。

食事やお茶で同席する女性などが、こっちはもうちょっとクーラーが効けばいいのにと思っていると、「少し寒くない?」などというと、「ええっ!?」と思ってしまうし、逆にスーパーの生鮮食品売り場などは心地よさを感じます。
とくに野菜売り場などはときどき白い冷気が煙のようにもくもく下に降りているのなどをみると、思わず首を突っ込みたくさえなります。

マロニエ君の場合は、すでに体質化しているとみえて、寝るときにエアコンがないと、眠れないのは当然中の当然としても、さらには実際に呼吸が苦しくなって、まともに息も出来なくなり、吸入器のお世話になったり、体に発疹がでることも。
つまりマロニエ君にとって夏のエアコンは、いわば命綱のようなものなのです。

先日行ったロイヤルホストもエアコンの効きが悪く、二時間もすると両腕に赤いものが出始めていましたから、本当なら強くしてと頼むのですが、この日はつい我慢してしまいました。

さて、そんなマロニエ君の部屋のエアコンですが、数日前、明け方にふと蒸し暑いような気がして目が醒めました。
しかし、そのときはそれほど気に留めることもなく過ごしましたが、後であらためて注意してみると、あきらかに設定温度とはちがうなまぬるい冷え方をしているのがわかり、この連日の酷暑の真っただ中、全身に稲妻のようにショックが走りました。

その後はあれこれとスイッチをいじりまわしてみましたが、結局、効きが本来のものではないことは、認めたくないけれども明らかでした。
愕然として目の前は真っ暗になりましたが、放置するわけにも行かず、しぶしぶ修理依頼をしたら、最短でも3日後の訪問ということで、それがまたイライラ。
さて、この力の落ちたエアコンをいかにして丸2日間効かせて過ごすかが最大の課題になり、現在2日目を耐えています。
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ヒートアイランド現象

ヒートアイランド現象という言葉をはじめて耳にしたのはいつのことだったでしょう。
マロニエ君の住む福岡市でも、今夏の厳しさはたいへんなもので、連日の猛暑に心底喘いでいますが、ついにテレビニュースからも、この言葉をちらほら聞くようになりました。

なんとなく、ヒートアイランド現象などというと東京などの超過密都市圏の話だと思っていましたが、ついによその話ではなくなったようです。
福岡市は隣接する周辺都市を合わせると人口200万人ほどの中規模の都市圏ですが、すでにこの現象がはっきりと出始めているようです。

過日も所要があって、自宅から約一時間ほどの郊外に出かけ、夜に帰宅しました。
車で出発したのは夜の10時ぐらいでしたが、まあ、なんとなく暑さも夜になって一段落という印象でした。

ところがです!
11時少し前ぐらいでしたが、家について車を降りたとたん、いきなり肌にべったりとまとわりつくような強い熱気に包まれました。
マロニエ君の自宅は都心部でも比較的緑の多い地域なので、いわゆるビルの谷間といった環境ではありません。
にもかかわらず、まるで日中のようなその強烈な熱気にはすっかり参りました。

さっきの温度は、あきらかに郊外田園部の温度で、体感的にも明確な差があることが明らかでした。
この温度差を身をもって体感し、都市部特有のものとわかっていらい、暑さはますますつのるようです。

じっさい昨日は福岡では今年最高の暑さを更新したようです。
長期予測によれば、今年は残暑が長く、秋は短いそうですね。
エアコン漬けの毎日はいつまで続く事やら。
トホホです。
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初期のポロネーズ

【Pucciさんよりいただいたコメント】
『ショパンについての覚え書き』、早速購入して読んでみます!… と言う訳には行きませんが(ただ今『ベルリン陥落1945』読破途中…)読みたい一冊が新たに出来、また楽しみです。
ご推奨の本がありましたら是非いろいろ教えて下さい。
ところでマロニエさんは、ショパンポロネーズの全集をお持ちだと思いますが、1~5番、また英雄や幻想以外のポロネーズはお聴きにな りますか?
私はop71の3つのポロネーズ、KKlVa(特に8番) など、前出の全7曲と同じくとても好んで良く聴くのですが、今日ほとんど演奏されていないのはやはりあまり認められていないからですか?
個人的にはこれらの曲たちの方が、哀愁のポーランドへの想いや情景がより色濃く染み込んでいるような何とも言えない切なさがあって大好き(この表現は適切ではありませんね)なのですが。
マロニエさんの見解はどうなのでしょうか。
素人の無知な発言をお許し下さい。

【マロニエ君】
Pucciさん、コメントをありがとうございます。
私ももちろん素人ですが、Op.71の3曲のポロネーズがお好きとのこと、それはこの時期特有の心の内を直接吐露するようなストレートな魅力があって、わかるような気がします。

今日あまり演奏されないのは、これらの曲は作品番号こそ晩年の作のようですが、実はどれも若書き(つまり若い頃の作品)で、後年の作品にあるような作品としての洗練や完成度が不足しているからだろうと思います。
とくにお好きだとある8番などはわずか15歳のときの作で、それはそれで素晴らしい曲だと私も思いますが、しかし後のショパンの作品に出てくるような何か他を寄せ付けないような圧倒的な輝きはまだなく、純粋な青年の一途さのようなものが前面に出ていて初々しくもあり、それでいてショパンの個性はすでにこのころから随所に確立されつつあることが見て取れますね。

もちろん単独の曲としては魅力があるのですが、それ以上に充実した素晴らしい綺羅星のような作品がショパンにはたくさんあるので、なかなか実際には演奏される機会が少ないのだと思います。
ソナタ第1番などにも同様の匂いを感じますが、いかがでしょうか?
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ドビュッシー

知人の店で開く音楽家の誕生会のために、ドビュッシーのCDを集めていると、全体の中でピアノ曲の占める割合がひじょうに高いことにあらためて注目させられました。

ピアノ以外の器楽曲といっても、室内楽のごく一部などを除いて、ピアノの関係しない曲はほとんど存在しませんし、残りの多くはピアノのために書かれた作品となります。

有名ないくつかの管弦楽曲やオペラを例外として、あとは歌曲を含めてほとんどピアノを必要とする作品ばかりなんですね。これはうすうす感じてはいましたが、あらためて作品一覧を見てみるとそれがはっきりとわかり、ドビュッシーからピアノを外すと、「牧神の午後」の周辺以外ではほとんどドビュッシーは成り立たなくなるとも言えそうです。
そういう意味ではショパンほどではないにしろ、ドビュッシーもピアノの人だったようです。

ドビュッシーとショパンは作曲技法からなにから、あらゆる要素は異なるものばかりですが、それでもマロニエ君の独断でいえば、どこかこの二人には不思議に共通したものを感じます。
ピアノを中心とした作品を書き、それまでに誰も成し遂げなかった前人未踏の新しい世界を作り上げたという、通り一遍のことでは済まされないなにか。それが何であるか、いまはまだわかりませんが。

ドビュッシーはショパンの死後13年を経て生まれていますから、この二人は同じパリを舞台にしながら同時代には生きていません。文献によると、ドビュッシーは生涯に数十というとてつもない数のオペラの計画をしては頓挫し、完成したのは「ペレアスとメリザンド」たった一曲だったのですから、そこにはいろいろな事情や曲折があったにせよ、やはりこの人は本質的に大作とかオーケストラ向きの作曲家ではなかったということかもしれません。
もちろん、遺された管弦楽曲の幾つかは音楽歴史上に輝く傑作であることに間違いありませんが、私見ながら中にはけっこうつまらないものもありますから。
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続・これが今風?

〈読者の方からのコメント〉
マロニエさんこんにちは。
私も先日、ビュッフェスタイルのレストランに行ったのですが、何故か小さな子供さん連れのご家族のマナーが悪かったのを覚えています。
ある家族の例ですが、若いおばあ様はご自分の箸で料理を物色され、お孫さんは裸足で料理が置いてある周りを駆け回りそこの調味料を指でつついて舐め、おじい様は周囲でお食事されているお客様には目もくれずビデオ撮影、若い(?)ご両親は祖父母に孫を任せとてもくつろいで料理を堪能されていました。
あっぱれでした。

〈マロニエ君〉
お名前がわかりませんが、コメントありがとうございました。
まるでおっしゃる情景が目に浮かぶようです。
この手の話をしはじめると、私も日頃からキリがないくらい不快に感じる光景が多いのは事実です。
パッと見た感じは、子供も悪いようにも見えますが、やはりすべては親の責任です。
子供は白紙で生まれてくるわけですし、教育や躾を与えてくれるべき親を選べないのですから、可哀想というほかありません。子供以前に親の人間性を疑うような場面に出くわすことは珍しくありません。
休日の街中などに出ると、その手の親子の横暴自己中野蛮傍若無人のオンパレードですね。

以前テレビのペット番組で『飼い主がキチンとした躾をしなければ、どんなに血統がよく、能力の優れた犬でも、ただの駄犬です。』と専門家が言っていたのを思い出します。
ましてや相手は人間の子なのですから尚更ですが。
ハッキリ言って、うちの犬(もう死にました)のほうが、よっぽどお行儀もよく我慢強くて上品でした。
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これが今風?

昨日は、久しぶりに会った友人と食事をすることになり、今はやりの回転寿司店に行きました。
ところが、平日にもかかわらずお盆休みはまだ続いているのか、大変な人出で、かなり待たされるハメになりました。
そこで目にした信じられない光景。

おしなべて子供の躾が悪いのは今や驚くには当たらず、あたりはさしずめ動物園のような状態であるのは諦め半分で慣れていますが、中にヨチヨチ歩きの赤ちゃんをしたい放題にさせる母親がいました。
赤ちゃんは靴下もはかない状態で、四つんばいになり、店の床を右に左にと自由に這い回り、母親は人の迷惑もなんのその、ゆるゆるとそのあとに続いて回ります。
もちろん、ここの床は飲食店の土足部分の床ですよ。

レジの横にあるお土産品にも平然と手を出していじくりまわしては、飽きるとポンと放り投げたりの連続。
この親子の家族が我々のすぐ目の前にいますが、祖父母らしき人達もたしなめるどころか、ひたすら笑顔でその光景を見守っていることにも心底呆れました。
マナー以前に、不潔とは思わないのでしょうか。

満席が続いて超多忙な従業員も、まさか床を這い回る赤ちゃんに蹴躓かないよう、ものすごく注意しながら不自由そうに往来している様子が痛いほどわかります。

その一家と、マロニエ君達は、じつは番号札の一番違いで、向こうがひとつ先。
30分近く待った後、その一家の番号が呼ばれ、程なくして我々の番になりました。
席に案内される途中で、その一家のいるテーブル横を通過した瞬間、我が目を疑いました。

なんと、さっきからあれほど床を這い回っていた赤ちゃんを、今度はこともあろうに「テーブルの上」に載せているではありませんか!テーブルの上というのは女性のハンドバッグを載せるのでさえマナー違反とされる場所なのに、床の汚れが両手両足にべっとりついた赤ちゃんをそこへポンとのせて、一家はあいかわらず平然としています。

これにはさすがに怒り心頭に発し、衛生上も問題があると判断して、店の従業員に厳重注意をしてくれるように頼みました。
それからは多少おとなしくなったようでしたが、本当に近ごろはどうかしています。
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ストラディヴァリウス

音楽の先生と友人と三人で食事をしました。
そこで興味深い話を聴きました。

さる場所で行われたヴァイオリンのマスタークラスを聴き入った折、高名なヴァイオリニストである先生の使うヴァイオリンが、かのストラディヴァリウスだったそうですが、休憩時間はその歴史的名器をポンとテーブルに上に起きっぱなしだったので、ここぞとばかりつぶさな観察をしたらしいのです。

はたして驚いたのは、まずネック(上部の調弦をするさらにうしろ)部分などは、流麗な渦巻きのようなカーブの内側のさらに内側のちょっとノミが入りそうもない部分にまで精緻を究める細工がされているらしく、それひとつとってもどうやって制作されたのかと思ったとか。

また全体の木の目は、すべての幅が一ミリぐらいの猛烈に細かいものを使われていたとのことでしたから、これはよほど北イタリアの寒い高地だけにある厳選された素材が使われたことであり、同時に200年以上前はそういう木を切って楽器制作に供することができた良き時代であったというのも感じざるを得ません。

またヴァイオリンを正面から見た場合、左右対称かと思いきや、さにあらずで、微妙に左右のふくらみやカーブの加減が明らかに違っていて、ストラディヴァリがわずかな加減を自分の経験で微調整しながら制作したことが窺えるのだそうです。
また表裏にある楽器の隆起についても各部分がそれぞれが大きさや高さが微妙に違っていて、低音、高音その他の目的に完ぺきに適うように、まさに神業的に作られているということに驚いたそうです。
弦の左右にあるF字溝(この字でいいのか?)も左右対象ではなく、微妙に二つはずれているのだそうで、それに加えて膠の秘密などもあり、そういうものの総体的なバランスがストラディヴァリウスのあの輝かしい音色を作っているのだと思うと、まさにこれは神の領域という気がしました。

やはり楽器の世界というものは尋常一様なものではないということのようです。
とくに弦楽器のような構造の単純なものになればなるほど、謎と神業の関係が複雑になるということかもしれません。
それから見ればピアノなど、まだまだ工業製品の要素がうんと強い楽器に思えました。
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ちょっと大げさすぎません?

今日は久留米の石橋文化センターでの「ぴあのピアのイベント」の日でしたが、折からの台風でぎりぎりまでどうなることかと気を揉まされました。

テレビの台風情報によると夕方から夜にかけて福岡地方は暴風雨という言葉が何度も飛び出して、いやが上にも不安は募ります。映し出される台風の進路図を見ると、今まさに福岡の北を通過しつつあるのに、音声では「北部九州に最も接近するのは今日の夕方から夜にかけて猛烈な風と雨!」「じゅうぶんに警戒してください」などと連呼しています。

さらには中継の映像が出て、東区の波打ち際に防災服にヘルメットを被ったレポーターが立って「だんだん波は高くなり、風雨も強まり、立っていくるのがかなりきつくなってきている状態です!」などと緊迫した様子でしゃべっています。

しかし、外を見るとたしかに風は多少ざわついてはいるものの、とてもニュースの言っている状態とは程遠い感じです。ちょっとおかしいという気もしましたが、やはり「これから最高潮に達するのでは?」ということもあるだろうと思い、参加予定者に連絡をとったりしましたが、ともかく様子を見てと言うことになりました。

果たして家人の心配をよそに、ともかく無理をせずに出かけることにしましたが、出てみるとさほど大したことはありません。結局、車はスルスルと何事もなく久留米を目指し、高速道路もほとんど通常通り。
到着の頃には風らしい風もなく、肩すかしをくらったようです。

あとは皆さんご存じの通りで、二時間後にホールを出てきたころには雨もきれいに上がり、それから食事に行きましたが、天気はいよいよ安定し、なんとも平穏な空模様でした。

一時はよほど中止にしようかとまで考えましたが、そうしなくてよかったとつくづく思います。
そして感じたことは、近頃の台風報道はいくらなんでも大げさに視聴者を煽りすぎるのではないかということです。
あんなに緊迫感をもって御大層に連呼されたら、真に受けて大事な予定をキャンセルして、あとから立腹する人も多いはずです。

結局、ニュースの言葉より、台風進路図のほうが正確だったようでした。
安全を期してというのはわかりますが、もう少し正確な報道をしてほしいものです。

イベントの詳細はイベント報告にレポートします。
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横浜からきたシトロエン

友人がついに車を買いました。
かねてより懸案中だった買い替え騒動でしたが、地元にあったルノーがダメになり、仕切り直しの結果、関東地区で条件の良い車が見つかり、さっそくにも横浜まで見に行ってきたようです。
候補になる車を事前に数台リストアップして行ったようですが、たまたまマロニエ君が発見したオークションに現れた一台に決まり、なんだか情報提供者としては責任を感じます。

土曜に一泊し、日曜の朝に購入を決定して、その足で福岡を目指して高速道路をひた走ってきたようで、こういうときこそ1000円高速は真価を発揮するようです。
昼前に横浜を出発し、途中食事をしたり仮眠をとったりで、結局着いたのは明け方の4時ごろだったとか。
で、今日はさっそく車のお披露目となりました。

夕方、我が家にその車で迎えに来てくれ、下に降りると本人ともう一人の友人は助手席と後ろに座ってニヤニヤ笑っていました。さっそく運転してみろということで、久留米まで食事がてら走りました。

言い忘れましたが、買った車はシトロエンC5のワゴン、3.0Lで6AT、内容はダークグレーの革張りで、ハードディスクのナビゲーションやETCまでついています。
パワーがすごくあるので、高速ではどこまでも吸い込まれるように加速していく感じですが、この車も最大の魅力はハイドラクティブ・プラスという高度な電子制御による油圧サスペンションで、通常の柔らかい足回りにもかかわらず、高速での大きなうねりや揺れが一発で収束して、あくまでもフラットな姿勢を維持するところは感銘を受けました。

今週末には自分で名義変更をするようですが、車庫証明が下りれば簡単です。
わけのわからない手数料を取られず、こういう車の買い方もあるということです。
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