たたり?

今日はピアノサークルの定例会と懇親会で、今しがた帰宅しました。
といっても、今回は定例会には行けずに、懇親会のみの参加でしたが、結果的には行くには行ったものの、じつは大変な経験をさせられたのです。
昨夜、新しい本を買ったので、寝床に入っておもしろいので読書していると、最初は気付かなかったのですがだんだんと顔に違和感を覚えるようになりました。はっきり自覚できるまでにはさらに時間がかかりましたが、最終的にそれは勘違いでもなんでもないことが判明するのです。

なんと、顔の右半分、とくに頬から口のまわりが急に腫れているのです。
これといって思い当たることはもちろんなにもありません。
指先で触ると明らかに右頬から口元にかけて皮膚が硬直し、よくよく確認するとはっきりと右側だけ皮膚が硬くぶ厚くなっていました。恐る恐る鏡を見ると、果たしてあきらかに顔に普段とはちがう腫れと歪みがあって、真夜中のことでもありなんともいえない嫌な気分になりました。とりあえず痛くも痒くもなく、強い違和感を覚えるだけなので、なんとかそのまま放置して就寝しました。というよりそうるよりほかにどうしようもなかったというのが正直なところです。

朝起きると、腫れはいよいよ成長し、すでに人相が変わりかけていました。
下に降りてそのことを家人に話すと、さっそくかかりつけの病院に連絡。その結果、すぐにも皮膚科に行くようにという指示が出て、ただちに近所の皮膚科に行きました。
果たしてこれは蕁麻疹の一種だそうです。
腫れを引かせるため、大きな動脈注射を打たれて、帰宅したことろには僅かながら腫れが減少傾向に向かい始めたようでした。

それからこの日の予定もすべてキャンセルして半日間、おとなしく安静に過ごした結果、かなり腫れは退いて、なんとか外にも出られるようになり、結果としてピアノサークルの懇親会にだけは参加できたというわけです。
まだ完全ではなかったから、もしかしたら気がつかされた方もいらっしゃったかもしれません。

先日の草戦争の薬物投下で、「うらめしやマロニエ殿…」などと書いたので、本当にお草さんのたたりかと思いました。いやほんとうに…。
このブログを書いている最中も若干の違和感はありますが、ほぼ収束したと言えるようです。
でも、「顔が腫れる」というのは、想像よりもはるかにショッキングな耐え難いことだという貴重な体験ができました。
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コンサートのお知らせ

突然、外出中の携帯に東京の友人から電話がありました。
いささか上気した様子で、なにかと思ったら、あるフルートのコンサートに行って、そのあまりの素晴らしさに驚いたとのことでした。しかもその人が今度の日曜日、福岡でもコンサートをやるので、行けるなら必ず行くようにとのお達しでした。

その名は「デニス・ブリアコフ」というフルーティストで、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者らしいのですが、その超絶的なテクニックと圧倒的な演奏によって、東京でのコンサートでは会場が普段ないような興奮状態となったらしいのです。

福岡でのコンサートは以下の通りですので、お気が向かれたらぜひどうぞ。
マロニエ君も極力行くつもりです。

それだけの人がなぜ早良市民センターホールという、ふだんあまりコンサートには使わないような、しかも都心からややずれたマイナーな会場でやるのか、理由は良くわかりませんが。

日時:2010年8月1日(日) 14:30開場 15:00開演
会場:早良市民センターホール

料金:全席自由 一般:3000円 高校生以下:1500円 ※当日各500円up

プレイガイド 福岡音楽文化協会   TEL092-414-8306
チケットぴあ      TEL0570-02-9999(Pコード:106-586)
ローソンチケット    TEL0570-084-003(Lコード:89752)

出演者 フルート:デニス・ブリアコフ  ピアノ:大迫 貴
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草戦争-戦況報告

草戦争のその後です。
除草剤を散布した翌日などは、一向に変化らしきものは見当たらず、これは効果なしかと思っていたところ、それからさらに数日たったころから徐々に色が変わり始め、憎き雑草の勢いがみるみる衰えて行きました。
やはり効果はあったのです!

哀れ雑草軍団は4~5日で一気にやせ衰え、色も以前の憎々しいようなつやつやとした緑色が日ごとに褪色し、その後はすっかり茶色になっていきました。
この機を逃すまじとばかりに、除草剤を追加して、一気に庭の雑草の生える残り部分にまでふりまきました。
さらにそれから数日たった頃には、ほとんど緑色はなくなり、雑草の残骸だけが残っています。

梅雨明け直後のころは、庭用のサンダルで歩くのも、下手をすれば蛇など出て来そうなぐらい雑草の背丈も伸び、長靴が欲しくなるほどでしたが、それがうそのようになくなり、一面茶色の土地によろよろと草の死骸がのこっているだけとなりました。
さすがに化学薬品だけのことはあり、怖いといえば怖いのですが、以前のあの草の暴力的とでも言いたい猛威を思うと、もはやそれでもなんでもかまわないという気分です。
べつに野菜を作るわけでもなし、いまはただ勝利の美酒に酔っております。

やはり除草剤というのは大したもので、どんなにマロニエ君が青筋立てて草取りに血道をあげても、到底かなうものではないので、作戦の変更はまずは成功だったといえるでしょう。
ちょうど庭の草の色が変わってきたときに、NHKで男と女の…なんとかいう番組で、東海道四谷怪談をやっていていて、毒を盛られたお岩さんの顔が崩れだし、それを鏡で見て狂乱する歌舞伎のシーンがありましたが、しみじみと薬物の威力というものを感じ入っているところです。

変化がほぼ落ち着いたところで、伸びている草をざっと取り払ったところ、果たしてそこはうすい茶色の絨毯のようになり、ひとまず化学兵器投下作戦は完了のはこびとなりました。
『ただ恨めしきはマロニエ殿ぉ…』という勘三郎扮するお草さんの声が聞こえてきそうです。
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ゴルフは本当の高級車

友人の車買い替えに付き合ってルノー・ラグナに試乗して好感を得たことは、以前ブログに書きましたが、そのときはエアコンが故障しており、修理された状態で再度検討するということになっていました。
それから数週間が経過し、修理が完了したという連絡を受けて、再び車屋に友人二人とマロニエ君の三人でいきました。さあ、試乗開始という段になってみると、問題のエアコンからは一向に冷風が出ておらず、これには店主もたいそうな慌てぶりでした。
が、ともかくそれではどうしようもないのでその場は店を引きあげました。

友人も一度ならず二度までもエアコンが故障とあっては、かなり熱も冷めてしまったようで、結局、他の車を見に行くことになりました。
まずシトロエンのディーラーに行き、最新のC3/DS3Sなどを見るが決め手なし。マロニエ君的にはフラッグシップのC6のたとえようもないエレガントな佇まいに魅せられましたが、お値段も大変なものですから見るだけ。

続いて、ついでに日本車も見てみようということになり、普段はまず行くことのない日産なんぞに行ってみました。試乗車として外に置かれていたティーダに乗ってみましたが、デビューから時間も経過しており、インパネのデザインが古いことや、走行感覚も見た目よりかなりチープなもので、これではとても小さな高級車などとは言えないことが判明。ティーダは以前から少し興味はあったものの、一気に冷めました。
試乗後は、ショールームの中にあったキューブになにげなく座ってみたところ、その広大な居住空間、柔らかなシートなど、こういう車もあるのかと、予想だにしなかった驚きがありました。欲しいとまでは思わないまでも、いちど是非運転してみたいものです。たまたま試乗車がありませんでしたが。

続いてプジョーのディーラーへ。ショールームを一巡したのち、207の中間車種に試乗。プジョーはもともと猫足といわれるように、しなやかな足回りで小気味良いスポーティードライブができるのが特徴でしたが、この207ときたら、やたらめったら引き締められた固い足回りのせいで、ボディは絶えず小刻みに揺すられ、まるでスポーツカーのような乗り味でした。特別のスポーティバージョンでもない通常のカタログモデルであれだけの固い乗り心地というのは、到底なっとくできるものではありませんでした。
たしかに一定の質感はあり、その点ではただブカブカした乗り味のティーダなどとは一線を画するものがありましたが、あんなに始終揺すられるのはなんにしろ疲れていやですね。

さらにもう一軒、フォルクスワーゲンに行き、最新のゴルフとポロを観察して、ゴルフのTSIコンフォートラインに試乗しました。そうしたら、これがとんでもなく良くできた車でした。ドイツ車は骨太でゴツくて無愛想などというのは昔のイメージで、非常にあたりが柔らかく、しなやかで、しかもたったの1.4Lにターボなのにものすごいパワーがあり、大人の男4人を乗せた状態でもグイグイと力強いパワーを生みだします。上り坂でもちょっとひと踏みで100km/hなんてあっという間で、しかもスタビリティ(安定性)も操縦性も文句なしで、いやはや舌を巻きました。おまけにプリウスに迫る高燃費と来ていますから、もう呆れるばかりです。
後ろの席はシートの座面も平坦で乗り味もやや落ちますが、フロントシートにいる限り、運転席でも助手席でも、そのフィールはまさに高級車のそれでした。
いまのゴルフは下手なベンツやBMWよりよほど上質な走りをする、本物の高級車だと心底思いました。あんな緻密な走りをして、エンジンはすごく静かで、速くて、それでいて外観はしれっと地味なゴルフなのですから、これは大した車です。

このゴルフの何台分もの金額を払って、意気揚々とベンツやBMWに乗っている人に、ゴルフのハンドルを握らせたら、何というか聞いてみたいものです。
もちろん、ブランドやマークだけで乗っている人には、どうでもいいことでしょうけれど。
一気にいろいろ乗れて、久しぶりにいい勉強になりました。
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草戦争、ついに化学兵器へ

今年の5月ごろからマロニエ君が我が敵と思い定めて戦っているもの、それは憎き雑草です。
一時は完ぺきに殲滅してやろうと何日がかりで草取りに精を出ました。
屈んだ体勢での数時間にわたる連続作業を数日間繰り返すため、腰は傷め、血流不順で頭はフラフラ、失神寸前。
それでも努力の甲斐あって2~3度は当方の輝かしい勝利気分が味わえたものです。

ところが梅雨が到来し、降って降って降ったあげくの直射日光。
これを幾度か繰り返しているうちに敵は見る見る盛り返し、あっという間に形勢逆転してきました。
それでも梅雨のうちは作業を諦めていたところ、これが祟って、はれて梅雨明けを迎えたころには、あたりはもはや一変していました。

かつて勝利気分を味わったあの光景は見る影もなく、そこは所狭しとびっしり生い茂る雑草のジャングルと化しています。
しかも、数回にわたって完ぺきに近い草取りをやっていたために、生えてくるのはいかにも若々しい、活きのいい、青くつやつやとした雑草ばかりです。
まさに立錐の余地もないほどびっしりと生えそろい、その合間合間に上の木から落ちてきた実が芽を出して、雑草と新芽に完全に占拠されためちゃくちゃな状態となりました。

果たしてマロニエ君は暑さに弱く、湿度に弱く、蚊に弱く、とうていこの状況下で再戦を挑む気概は失っておりました。
それに、抜いても抜いても際限もなく無尽蔵に生えてくる敵のしたたかさは身に滲みてわかっていますから、これ以上戦っても当方の戦力を疲弊させるのみということが容易に判断され、ついには恐ろしや化学兵器の投入を思いつきました。

ホームセンターで該当品を購入し、梅雨明けを待ちました。
梅雨明け宣言と同時に照り返す容赦ない焼けるような直射日光は、まるで雑草どもの傍若無人を誘いこむようにみえました。
そこで間髪入れず散布開始。
中型容器を完全に使い切りましたが、さてさてどうなりますことやら。
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変わらないでほしいもの

夕方、天神に出たついでにヤマハによってみようと思い立ち福ビルに入ったところ、中央のエスカレーターの昇り口に立て札がしてあり、エスカレーターが動いていないことで思い出しました。二階三階に陣取っていた書籍の丸善が6月末日をもって閉店したのでしたのが、ついに現実の形となっていました。
正確に言うと、新装成る博多駅に移転するということのようですが、なんであれ天神の一等地の大きな売り場が2フロアもまた空いてしまったことに変わりはありません。

旧岩田屋本館が数年間、空き家状態だった天神の暗い象徴が、今春やっとパルコとして復活したと思ったら、また道の向い側がこのような状態になってしまったのはなんとも暗い気分になるものです。
となりのビルにあった紀伊国屋書店も数年前に別の場所へと去って行きましたから、大型書店が次々に姿を消すのが近年の天神の特徴のようです。
それにしても、ビルの一階中央にあって動かないエスカレーター、そこに続く上は暗く眠ったような気配が立ち込めるというのは良いものではありませんね。

このビルの一階に限って言うと、この天神の中心的なビルの入居店舗はマロニエ君が子供のころから数十年にわたってほとんどその顔触れは変わりませんでした。
それがこの数年というものちらほらと変化があり、少しずつ居並ぶ店の景色が変わってきました。
押し寄せる時代の波はもちろん、経営者も年をとり内から外から様々な変化があったのでしょうね。

そんな中で奥の入り口側に広くスペースをとったヤマハ福岡店は長年(おそらく50年近くでしょう)ここにあり、もはやこの場所はヤマハ以外には絶対に考えられないというほど強いイメージとなって、我々の脳裏には深く刻み込まれています。

思い起こせば、昔はカワイも天神に福岡店があったのですが(アクロスの北側向かいの角、旧東急ホテルの道を挟んで西隣、現在は仏壇店。)、こちらはなくなって久しいですが、これも考えてみれば残念なことだったと思います。

ともかくヤマハにはいつまでも現在の場所にあってほしいと心から願うばかりです。
まさに天神の歴史あるランドマークの一つで、福岡に生まれ育った我々はそのビルの匂いまでヤマハのイメージの一部になっているのですから。
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運転がおかしい

最近とくに感じることですが、変な運転をする人が多いと思いませんか?
とくに男の運転がおかしい。

こんなジェンダーフリーの時代にこういうことを言ってはいけないのかもしれませんが、以前は車の運転の上手さといえばほとんど男の独壇場でした。
峠を責める走り屋といわずとも、タクシーの運ちゃん、スタンドのお兄ちゃん、白いワゴンで東奔西走する営業の男性など、かつての男の運転は今思うと根本的にテクニックの格が違っていたようです。女性の運転する車は走る後ろ姿でそれとわかり、男は舌打ちしながらもそれを諦め顔で許していましたっけ。

それがどうでしょう。いまやノロノロと気の抜けたような運転をしているのは大半が男です。
しかも驚くべきは若いお兄さんが不健康な顔つきで法定速度以下でボーッと運転していたりするのは、近頃では決して珍しい光景ではなくなりました。
車にも多少の趣味を持つマロニエ君に言わせれば、男にとっての車の運転の巧拙というのは、一つの磨くべきステイタスでもあり、世が世なら坂本竜馬の千葉道場とまではいいませんが、ちょっとした剣さばきにも匹敵する男性的たしなみのようにも考えられていた時代さえあったように記憶しています。

どんなに見栄えのいい男でも、デートして車の運転が下手でオロオロしようものなら、いっぺんで女性から軽蔑され、ときめくデートも台無しになるぐらいの厳しさがあったように思います。
とりわけバックに弱い女性は、男が見せる鮮やかなバックでの車庫入れなどに心ときめかせたそうで、バックの時に男が助手席のシートの後ろに手をまわしてグッとパワフルにバックなどすれば、そのセクシーさに呆然となるというような話はいくらでも転がっていました。

それが今ではノロノロ運転は当たり前、周囲の状況や気配もつかめずにトロトロと人の前をマイペースで走る車のなんと多いことか。もちろんただ飛ばせといっているのではないし、車は一歩間違えば凶器になるので、安全運転は大切ですが、ようはメリハリのない周囲に迷惑をかける走りをするアホが多すぎるのです。

若者の車離れが話題になって久しい今日この頃、必然的に運転も下手くそになって当然でしょうが、車に限ったことではなく、物事に対して勢いとか情熱といったものが悉く失われたようで情けない気分になりますね。

あと怖いのは女性で飛ばす人。
毎日車に乗っているものだから、運転それ自体には馴れてしまって、危険に対する意識もマヒしてくるのか、軽や四輪駆動車や巨大なワンボックスで鬼のように飛ばしてくる女性がいます。
こちらの特徴は、女性特有の「飛ばし方を知らずに飛ばしている」という点で、ノロノロ男より危険度ははるかに上を行きます。こういう女性は雨になればスリップしやすいという初歩的な知識もないまま、通い慣れたスーパーの往復などを風を切るようにすっ飛んで行き、危ない時は相手が止まってくれるものだと思い込んでいるようです。

どっちも困ったもので、ハンドルを握る身としてはイライラムカムカさせられることしきりで、さっきもそんな車にやきもきさせられ、こっちばかり疲れてしまうようでバカバカしいのですが、自分の性分もなかなか直りませんね。
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ルノーの魅力

昨日は久しぶりの車のクラブミーティングがありました。
昼から夜にかけてほぼ12時間近い長丁場な一日でしたが、気心の知れた仲間というのは時間の経つのもあっという間です。
東区のとあるレストランで集合し、食事、移動、お茶と会話を繰り返えす一日でした。
あいにく終日の雨模様でしたが、音楽とはまた一味違う充実した時間を過ごすことができました。

夕方頃のこと、ある中古車店に入荷したというルノーのラグーナという車を見に行きましたが、その車は内外装のデザインなど日本人が逆立ちしてもできないセンスによる、まさにフランスのモードを身にまとったような造形で、なんともいえぬ垢ぬけた洒落た車でした。
店に着いた時には台風かと思わせるような猛烈な風雨が吹き荒れていましたが、しばらく店主と雑談を交わしているうちに一時的にウソのように雨が上がり、この日は諦めていた試乗をさせてもらうことに。

はじめ友人がハンドルを握り、途中からマロニエ君が運転を交代しましたが、フランス車独特のしなやかでフラットな乗り味の中にも芯の通った確乎としたポリシーが貫かれていて深い感銘を受けました。
硬軟様々な要素を併せ持ちながら、それらがバラバラになることなく完結した世界を持った車で、とにかくフランス人の作ったものは芸術作品から工業製品まで、どれも一見さりげなく見せておいて、実は奥深い知的世界が広がっているところがすべてに共通した魅力です。
フランス車といっても比較的コンパクトなボディに3Lの24バルブエンジンと5ATの組み合わせなので、非常にパワフルで、ダッシュボードにあるトラクションコントロールのスイッチをオフにすると、濡れた路面ではアクセルを強めに踏むと軽いホイールスピンを伴いながら猛然とダッシュするような一面を見せながら、全体としては非常にキメ細やかで、繊細かつダイレクト感のある身のこなしや運転フィールを持っていました。

なにげなく連想したのは、ショパンのバラードやスケルツォのような作品でした。
緻密で技巧的なものとリリックで都会的なものが混然一体となった、パリの精神と贅沢さが小ぶりな作品に圧縮されたような世界でした。
どうもマロニエ君はこういうものに弱く、すぐに惚れ込んでしまいます。

車もピアノも実物はコレクションというわけにはいかないのがなんとも残念なことです。
これがCDやミニカー程度なら迷うことなく手元に置いておきたいところですが…。
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買えるなら今は買い時

数日前の話。
二週間ほど前に友人の車の件で、マロニエ君が代理で中古車店にフランスのとある車を見に行った話はここに書きましたが、いよいよ友人もその気になり、いざ購入へ向けて一歩を踏み出してみると、なんとその車は前日!に売れてしまったそうでした。
時間の約束までして、出かける直前になってそれはわかりました。

もう車屋に行く予定で、友人二人がマロニエ君を迎えに来てくれて、とりあえず後部座席に乗り込んだところ、購入予定の本人はiPhoneをいじりまわしています。聞けば、目指す車が売れてしまったのでネットで探したら、神奈川県に一台安いのがあったので、なんならこの勢いで夕方から長距離バスに乗って見に行き、良かったらそのまま買って運転して帰ってくるつもりという、えらくまたやる気モードになっていてびっくり。
iPhoneをいじっているのはそのための長距離のバスの時間を調べているところでした。

しかし、そんなことをするよりその神奈川の車が今現在商品としてあるかどうかを先に問い合わせるべきでは?とマロニエ君がいいますと、友人もそれもそうだということで、とりあえず最寄りのロイヤルホストに入りました。
それでも二人はバスのことばかり言っているので、とにかく在庫確認を真っ先にするようにと再度言うと、ついに当人が店に電話をかけ始めます。
すると、そちらもすでに売れてしまったらしく万事休す。
バスの時間もなにも吹っ飛びました。あーあ。

続けて当地のディーラーに行ったところ、一台あるにはあったもののあまりいい車ではなく、それはパス。

翌日、もう一人の友人がネットで新しくアップされた車が大阪にあるのを発見したらしく、さっそく問い合わせをしたらしいのですが、こちらも一足違いで売れてしまったとのこと。

さらに別の個体を名古屋で発見。これはまだ販売できる状態のようでしたが、情報を見せてもらったところ、確かにきれいで悪くはないようだけれど、これまでのものより価格が4割ほど高くなっています。
本人は何台も取り逃がしていささか頭に血が上っているのか、それでも買うつもりになっていたようですが、ギャラリー席のマロニエ君にしてみれば、もうひとつ決め手のない車(条件をふくめての判断)だったので再考を促したところ、本人もしだいに冷静になりとりあえず静観することになりました。

このように今は不景気の折から、高い車は売れないぶん、お買い得な車は結構動きも早いようです。
とりわけ高級車や不動産など、値の張るものは、お金さえ持っていれば今は底値なので買い手市場だという話はよく耳にしますね。
ウワサでは望外の値引きなどもあるらしく、知り合いの弟さんがなかなかいいポルシェをずいぶん安く手に入れて喜んでいるとか。

それにしては、中古ピアノ(少なくともグランド)は相場維持で、そこまで破格値にはなっていないようですね。
いっぱりピアノなんていざとなれば数がしれているので、そういう経済動向には反応しないんでしょうか。
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人前演奏はこりごり

この土日は音楽家の誕生会とピアノサークルの定例会が立て続けに行われました。

6月の誕生会はシューマンで、今回もCDはマロニエ君が準備し、交響曲、ピアノ、チェロ、ヴァイオリン各協奏曲、ピアノ五重奏はじめ室内楽、主要なピアノ曲、ヴァイオリンソナタ、歌曲集など。
だんだんに誕生会のありかたも定着してきた感があり、皆さんで思い思いのお話に花が咲きました。
飲み食いをしながら好きな音楽を聴いて、好きな話をするというのは、それだけで極楽ですね。

後半で一人がトロイメライをピアノで弾き出し、続いて店主の方が同じくトロイメライを弾き、いやな予感がしたと思ったらマロニエ君にも弾け弾けと集中砲火が浴びせられました。しかたなくマロニエ君もトロイメライを弾き、三人が三人のトロイメライを披露することになりました。あと二人ピアノを弾く方がおられましたから、マロニエ君も自分が弾いたが最後、一転して要求する側に回りましたが、そのお二人はガードが堅く、ついに弾かれませんでした。
そんなことをしながらの、あっという間の4時間でした。

翌日はピアノサークルの定例会で、今回は前半がショパンプログラムとなっていて、こちらでは後期のノクターンと死の床で書いたと言われるショパン絶筆のマズルカを弾きました。
つくづくと思い知ったのは、やはりどんなに覚悟を決めても場数を重ねても、マロニエ君には人前でピアノを弾くというのは決定的に向いていないということでした。
一人の時ならおよそ考えられないようなミスをしたりして、深い嫌悪感に苛まれます。

その一方で、ピアノサークルに来る人はやはり根本が違い、ちょっとでも、一曲でも余計に、途中まででも「弾きたい」人が大勢を占めます。こちらのピアノサークルも4時間ほどでしたが疲れましたし、ピアノはその間休む間もなく鳴りっぱなしでした。
遠方からわざわざそのために来られる方も少なくなく、その意気込みにはただただ恐れ入るばかりです。
でも、中には上手じゃなくてもハッとするような美しい瞬間を聴かせてくれる人もいて、そういうときはこちらも報われたような得をしたような気分になるものです。

ただ、個人的に思ったことは、フリータイムは言葉こそフリーではありますが、本番に比べて多少の雑談などはあっても、基本的にみなさん椅子に座って演奏を聴く態勢であることは変わらないのですから、あまり仕上がっていない曲まで持ちだして、人前でただ練習のような事をするのはどうかと思います。みんなが決められた時間・場所に集まり、お金を払ってそこでピアノを弾く以上は、上手でなくてもいいから自分なりにある程度仕上げたものという良心の一線は引くべきだと思います。
練習は基本的に一人もしくは、せいぜい練習会でするもので、あまり節度がなくなると我慢や疲れも倍増するものです。
音楽は音が出るからこその圧倒的な魅力と楽しさがありますが、そのぶん一歩間違えれば音は他人にとって苦痛や暴力にも変貌します。
そこのところを自覚したらいいと思うのですが、楽しさの基準も人それぞれでしょうから難しい問題です。

追記:もちろん、親しい皆さんとお会いできるのはいつもながら嬉しいことで、全体としてはとても楽しかったということを書き忘れていました。
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ヘンレ版のショパン

今日は一人レッスンをしましたが、その方は拘りがあるのか、楽譜はほとんどヘンレ版の楽譜を使っています。
もちろんヘンレ版の優秀性に対しては、世界中のプロを含む数多くのユーザーがこれを認め、昔も今も高い支持を得ていることからもそれは証明されているように思います。
もちろんマロニエ君も何冊も持っていますが、値段的にも最も高価な部類ですから、大した曲ではない場合にはより安い楽譜を買ってしまうこともよくあります。

さて、そのヘンレ版ですが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどでは信頼性も見やすさも抜群なのですが、ショパンとなると内容に首をかしげる点が多くあります。
原典に忠実というのもヘンレ版の大きな特徴ですから、書かれていることはそれなりの根拠のあることとは思いますが、どう見てもショパンではあまりにも納得のいきかねる点が多すぎて、混乱するばかりです。

マロニエ君自身も以前、一度だけ(というのは直感的に気が進まなかったから、それまで買わなかったのですが)ヘンレ版のショパンのワルツをお試し気分で買ってみたことがありましたが、同曲で数バージョンがあったりするのは親切でいいとしても、全体的にも細かい点でも、どうもしっくりこないで、ほとんど使わずに本棚に押し込んだままになっています。

今日レッスンでやったのはノクターンでしたが、どう考えても書かれた指示がヘンに感じたり、あきらかに音がおかしかったりと、戸惑うばかりでした。
ショパンの楽譜というのは「決定稿」がなく、それぞれの編纂者の意図が反映される作曲家だとはいえるのですが、それにしても名にし負うヘンレ版のことでもあり、これを批判することは楽譜出版の世界では神を批判するようなものかもしれませんが、私にはどうしてもおかしいとしか思えませんし、自分なら絶対にショパンでは使わないものだと思いました。

ドイツ物で見せるあの説得力や使いやすさはどこへやら、やはり根本的にショパンとドイツというのは相性がよくないのかもしれませんね。
私ならショパンはペータース版やパデレフスキ版も好きですし、全音など日本のものもわりにいいと思うのですが。それぞれは指使いや細かい指示などは違っても、大きな違いというものはないように思いますが、ヘンレ版のショパンばかりはちょっとなじめません。
そればかりか、ショパンのCDでもピアニストがヘンレ版を使っていると知ったら、あまり聴く気になれそうにもありません。
あくまで個人的な好みの問題かもしれませんが。
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不景気の影

天神に出たついでにヤマハを覗いてみましたが、チラシの棚を見ると、どうもこのところのコンサートの減少傾向には歯止めがかからないようです。
以前なら溢れんばかりにひしめき合っていた各種コンサートのチラシの大群もめっきりその量が減っていますし、チラシの中には講演だのコンクールだのに関するものもかなりあって、純然たるコンサートは数えるほどしかありません。
数年前を思い返すと、ちょっと想像もできなかったくらいお寒い状況のようですね。
時折なにか面白そうなコンサートはないかと、ネットで主要ホールのイベント案内などみても、ほとんどそれらしきものは見当たりませんし、なんであれ催しがひと月に1~2度しかない(赤字の垂れ流しと思われる)ホールがゴロゴロしています。

ちょっと前までは、プロとはとても呼べないような人が、次から次に「コンサート」という名のくだらない自己満足露出大会を日常的に企てて顰蹙をかっていたものです。文化を錦の御旗にしたこのような迷惑行為には大反対のマロニエ君ですから、これがもし良い方向にみんなの意識が正されているのならある意味では喜ばしいことですが、どうも、そうとばかりも思えません。

やはり昨今の不景気がコンサートの世界にも暗い影を落としているということのような気もします。
景気が良い時でもこの手の自主コンサートは赤字は当たり前で、いかに赤字額を小さくするかが問題というぐらいの世界でしたから、今では友人知人でお付き合いしてくれる人も見込めないということなのかもしれません。

もちろん中には、相変わらず雑草のように逞しい人もわずかに見かけはするものの、それでも曲も写真も昔の中古品の寄せ集めばかりのようで、本来あるべき新しい挑戦の姿は微塵もなく、なんとも哀れを誘います。
最近悟ったことは、止めるということは始めることより何倍もの勇気と胆力と見識が必要だということ。
止める勇気のない人は、一見我慢強く粘り強いように見えても、実際はさにあらずで非常にお気の毒だと思います。

離婚は結婚の10倍のエネルギーが要ると言われるがごとく、たしかに物事すべからくそうなんでしょうね。
婚姻関係でも、コンサートでも、よしんば趣味の活動でも、進退が大変なのは人間の欲望というものと切り離すことができないからなんだと思います。
それでもさっぱりした性分の人は比較的きれいに処理できますが、粘着質の人は、分厚い脂身のような欲の塊を我が手で切り捨てることができないから、そこが大変なんだと思います。
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中古車は今が底値?

友人の車のエアコンが故障し、他にも不具合を抱えていたこともあり、これを機会に買い替えを検討しています。その友人が現在長期出張中なので、マロニエ君がとりあえずある中古車店に目指す車を見に行ってきましたが、いやはや驚くようなことばかりでした。

街中には珍しく、完全な輸入車専門店で、あるのはすべて中古車です。
驚いたのはその値段に対して非常に程度が良く、マロニエ君も思わず欲しくなるほどでした。
フランスの名車ですが、V6-DOHC3000cc搭載の上級モデルで、外観も少しもくたびれたところがなく、色艶もあってくっきりとした印象の車でした。いわゆる中古車のみじめさがまったくない、まだまだ若々しさの残る個体でした。

そこの店主がおかしな人で、どんなに声をかけても人の気配がなく、やむ得ず勝手に車を見ていると、やがて買い物袋を提げたそれらしき人がせわしげに戻って来ました。近所まで買い物に行っていたんだそうです。
奥に入るなりすぐに車のキーを渡してくれて、自由に車を見せてくれました。客だからといってべたべたくっついてまわらず、まずは好きなように勝手に見させるというのがこの店の粋な方針のようでもありましたが、そのうち「ちょっと食事してないので弁当を食べますから、なにかあったら声をかけてください」といわれて事務所に引っ込んでしまいました。おかげで心行くまで丹念に車をチェックすることができましたが、本当に良質な車で、それがまた信じられないほど安いのには二重の驚きでした。

店主殿と話したところでは、その店は自分一人でやっているので安くしないとみんなディーラー系の店に行き、とてもやっていけないので、敢えてそういう価格設定なんだと言っていました。
また、この店はパッと前を通ったぐらいでは車屋とはわかりにくい店構えで、倉庫のような大きなログハウス調の建物の中に10台ほどの在庫車はすべて保管してあるので、雨風や直射日光を浴びることはなく、どの車も清潔で健康そうにしているのは車好きとしてはとても好ましく感じる点です。オープンカーはオープンの状態にして展示できるのも屋内保管だからこそできることですね。
どんなにいい車でも野ざらしにされたら、日ごとにコンディションは悪化しますし、とりわけ内装材の日焼けや悪臭は対策の打ちようがなくなります。それだけにとてもいい状態でした。

さらに驚いたのは奥にあったBMWの740iで、10数年前の車ではあるものの、大事にされてきた車だけが持つ優しげで上品な佇まいがそこにあり、見るだけでも大変立派でエレガントな車でしたが、その価格はなんと39万円!?という途方もないものでした。新車当時1000万した車で、ドアの重みや閉まり方一つ、革シートの材質や高級家具のような作りこみ、ダッシュボードからドア内側に連なる上質のウッドなど、どこをとっても本物だけが醸し出す「格」の違いをまざまざと見せつけられるようでした。ピアノならさしずめスタインウェイかベヒシュタインで、それらに通じる一級品のオーラがありました。
ピアノならきっと新品時の価格の7~80%を維持していると思うと、車はどんなに高級品でも純粋な消費財だというのが痛いほどわかりました。

店主いわく、こんな値段をつけても、世の中はエコエコの時代で売れません!と言っていたのが印象的でした。
あんなにつややかで洒落ていて威厳に満ちた豪奢なリムジンが、軽自動車の1/3以下の値段とは、なんだか頭がクラクラしそうでした。やっぱり今の時代、なにかが絶対おかしいですね。
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恵まれないピアノマニア

車の友人が山口から来たので夕食をして買い物をしてお茶をしました。
試乗もさせてもらい、先日別の友人が買った同型車との比較ができました。
同じ車種ながら、前期型と後期型、セダンとブレーク(ワゴン)、エンジンが直4の2000とV6の3000、足回りがハイドラクティブという油圧サスペンションながら、そのシステムがまったく違う両車ゆえの走行特性の違いなどがあり、あらゆる比較が一気にできて楽しめました。

普段ピアノの微妙な比較や聴き分けなどに精力を使っていると、車の比較なんて呆気にとられるほど簡単で、それだけピアノの難しさを感じました。
同時にしみじみと感じたことは、ピアノマニアというのは情報の極端な貧しさに常に苦しめられているということで、車などは欲しい情報は、その気になればそれこそ次から次に手に入れることが可能です。
きっと鉄道などもその点は同様だろうと思います。

ピアノときたら、寸法と重量以外はほとんどスペックらしいスペックなどないも同然で、客観的なデータや仕様変更などはメーカーもしくは一部の技術者のみの極秘情報のようになっていることが当たり前です。
非常に閉鎖的ですが、またそれを知りたがる一般人もいないという環境が作り出したものだと思います。
ピアノは色も黒が多いですが、その内奥に迫ろうとすると、その点でもまさに巨大なブラックボックスといえるでしょう。

そのためにピアノマニアは少ない情報以外は、もっぱら自分の感覚だけが頼りです。

どんなことでも同好の仲間がいるというのは非常に心強く、情報の収拾能力も格段にレベルアップするものです。
車のようなわけには行かないまでも、はやくこの雑学クラブもそれらしく始動して仲間を増やし、みなさんの役に立って楽しめるものにしていきたいものです。

冒頭の友人の奥さんはパン作りの達人で、聞けば商売ができるほどの腕前のようですが、その彼女をして、道を究めれば究めるほど、自分が後退しているようなジレンマに陥ったりするとか。
何事も本物を目指す道は険しく曲がりくねったものだというとですね。
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親切が裏目に出るとき

友人が車を修理に出すというので、帰りの足代わりに迎えに行ってあげたその帰り道。
現場は片側2車線の道路で、交差点内だけ右折専用車線が追加されて3車線になるスタイルの、まあどこにでもある交差点付近。

マロニエ君は右側の走行車線を走っていましたが、前方が赤信号となり、先頭から3台目に停車しようとしたところ、左のわき道から出て来ようとする軽自動車がこちらに向いており、どうやらそこから一気に停車中の車の間をすり抜けて、対向車線へ向けて右折したいということのようで、運転する若い女性が「通して」という感じにこちらを見ました。左車線の車はそれを心得て、すでに少し手前で止まっています。
仕方がないから、マロニエ君も前車とやや距離をおいて停車すると、その女性はトーゼンみたいな感じで車はスーッと我々の目の前を横切りはじめました。

で、なんとなく見ていると、その女性、どういうわけか左のほうばかり顔が向いて、肝心の右側を一切確認せず、まったく注意の意識もない様子に違和感を覚えました。マロニエ君のいる車線の右には、右折専用車線がまだあるのに!
あぶないと思った次の瞬間、右折車が背後からサーッと走ってくるや、女性の車の右側にほとんど正面衝突して、軽自動車のほうは前方に1、2メートルとばされて停車しました。
マロニエ君もワーッ!と思わず声をあげてしまいましたが、ほんとうに一瞬のできごとでした。

右折車の運転者はすぐに車を降りて女性に話しかけますが、女性は人形のように無表情で、車からまったく降りようともしませんでした。
でも、マロニエ君の見るところでは、女性の不注意に事故の大半の原因と責任があると思いましたし、ぶつけたほうの男性こそいい災難だったという他ありません。自分が逆の立場でも、あんなに急に信号停車中の車の中から、別の車がためらいもなく横に飛び出してくるなんて、普通なかなか思いませんから、きっと同じようなクラッシュになっていたような気がしました。

はじめに意地悪して、彼女の望むスペースをふさいでしまっていたら起こらなかった事故かと思うと、なんだか責任の一端がこちらにもあるようで、なんとも後味の悪い出来事でした。
衝突の瞬間のドスッというような乾いたイヤな音、そのあとの不気味な沈黙が、生々しく記憶に残りました。
努々安全運転には気をつけなくては。
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酒、女、歌

すでに何度か書いていますが、マロニエ君の知人の経営するお店で、熱意ある店主の企画によって毎月音楽家の誕生日を祝うというイベントが試み的に行われていて、現在はまだスタイルを確立すべく試行錯誤の一環として敢行されている感じですが、ともかく今月はブラームスでした。
ここで流す音楽はマロニエ君の担当で、今回は交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲、ヴァイオリンソナタ、歌曲など、都合8枚からなるCDを準備しました。

ここでは毎回、初めてお会いするとても素敵な方がいらっしゃいますが、今回も齢70を過ぎられた男性がおられ、その方が大変な音楽ファンで、3時間の間、音楽の話でもちきりでした。
お好きというだけでなく、お詳しさも相当のもので、話はそれこそあっちへこっちへと広がるばかりでした。
それこそよくあるピアノの先生や自称音楽家などは、外面は音楽の専門家ぶっても、本当の音楽のことはなにも知りません。

初めてお会いした方とこれだけ緊密に話ができるというのも、趣味というものの偉大な力のなせる技だと感動するばかりです。
子供の頃、学校の宿直室で聴かせてもらった蓄音器によって音楽の魅力に目覚められ、電気ホールに来たA.コルトーの独奏会なども関係者の粋な手引きによって聴かれたとのこと。
最近もいろいろなコンサートに出向いておられるようで、良否様々な意見や感想を交換できました。

驚いたことにはアルコールがまた、音楽に劣らずお好きとのことで、下戸のマロニエ君はそちらのお付き合いはできませんでしたが、聞けば飲酒のサークルにも入っておられるとかで、翌日には島原まで日帰りで、お仲間とバスを貸し切って酒を飲みに行かれるらしく、現地ではもちろん往復の車中でも飲みっぱなしという強行軍で、その豪快さには恐れ入りました。
お仕事はリタイアされても尚、旺盛に人生を楽しんでおられるようです。

ちなみに、この方が音楽に入られたきっかけはウィンナーワルツだそうですが、まさにシュトラウス2世の名作≪酒、女、歌≫をそのまま地で行っているような方でした。
女性のほうはどうなのか、この点をうっかり聞きそびれましたが。
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調律も究めれば芸術

今日の昼、マロニエ君が最も尊敬する調律家のお一人から電話をいただきました。
この方は現在、調律に関するある体験を綴るべく出版を前提とした文章を数年がかりで執筆中だったのですが、それがいよいよ今日の昼、最終章を書き終えたということで、たまたまその時間にすぐに電話をとりそうな相手がいなかったからでしょうが、マロニエ君のところに電話がきたのです。
何年がかりの仕事をおえられた達成感からか、いささか上気した様子が受話器の向こうに窺われました。

意見を言えということで、疑問のある個所をあちらこちらと読んで聞かせてくださいますが、正直いうとその前後関係がわからないので軽々なことは言えませんでしたが、それでも思いつく限りのことはいいました。

ひとまず最後まで書いたというのは、ピアノで言えば譜読みが終わった段階というべきで、これからが肝心の推敲の始まりだとも脅かしておきましたが、さて一冊の本になるのはいつのことになるやら楽しみです。
この方は職業は調律家というピアノ技術者ではありますが、その人柄はというと、まったくの芸術家気質で、何に対してでも子供のような興味を持ち、およそ畏れというものを知りません。

朗読中に出てきた内容がまた驚きでした。
ある場所に技術者達が集まっていたところ、そこにクリスティアン・ツィメルマンが入ってきたらしく、この世界的ピアニストにして、その筋では有名なピアノオタクのマエストロが語りだした意見に対し、一同はありがたく拝聴し納得するばかりの中、彼だけがマエストロの傍に控える通訳を通じて、自分なりの疑念と意見と反論を堂々とぶつけるというくだりがありました。

朗読は忙しげにあっち飛びこっち飛びで、ツィメルマンがなんと答えたかまではわかりませんでしたが、この方は何事につけこういう人なのです。それだけに自身の仕事に対する情熱と探究心は並々ならぬものがありますが、同時に人からしばしば誤解され、不当な評価を受けたりということもあると聞いています。
それでもくじけず、へこたれず、自分の道を行くのですから、大したものです。

それにしても、今の人の中には、自分の損得には一向気が回らず、ひたすら本物だけを追い求めていくような純粋培養みたいな人物はいなくなりましたね。文化や芸術、すなわち美しいものや精神を作り出すためには、この手の人達の情熱と感性と卓越した仕事によってその根底が支えられていくものだということを思うと、なにやら先行き暗いものを感じてしまいます。
いつまでも元気で頑張ってほしいものです。
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草むしり

連休中にやろうと思っていたことの一つに庭の草むしりがあります。
雑草というのはまったく腹立たしくもうらやましい驚異的な生命力があるので、ちょっと油断していると一面くまなく草は生えてしまいます。
とくに雨があがって日が差すと、たちどころに勢いを増してきます。

とりあえず二日間やりましたが、決して広い庭でもないのにまだ終わりません。
ざっと見た感じは作業開始以前よりもはるかに量は減ったように見えますが、ここからがある意味本番です。
今のうちに頑張っておかないと、うかうかしていると蚊の季節になり、そうなると猛烈な草の成長と蚊の攻撃には、もうてんで敵いません。

しゃがんで草むしりをしていると、なんだかだんだん意地になってくる自分がわかります。
いっぺんに無理せず、少しずつでいいじゃないかと頭ではわかっていても、もうちょっと、あと一本、という欲が断ち切れず、ここからがまた延々と続いていくのです。

キリがないので、はめている薄いゴム手袋が破れたら止めると決めたら、これがまたいつまでも破れません。
その結果、延長に次ぐ延長を重ねて、ついに五時間ぐらい経ってしまいました。
そもそも草むしりなんてちっとも好きじゃないけれど、それでも少しずつきれいになる景色が増えていくのを見ていると、それがまたささやかな励みになって、もうちょっと、もうちょっと、になるわけです。
それと、おかしいけれど、草をむしっていると草が土から根ごと抜き取られて上がってくるとき指先に伝わる、ぶつぶつという感触が妙な快感になってきます。

嫌いな草むしりをしていてさえ、人間は、目に見えて効果の上がることはつくづくと嬉しいもので、どんなにスローテンポではあっても、やったぶんだけ着実な結果がでるところに、ちょっと病みつきになる快感があります。
でも、もうクタクタで、腰の曲げ伸ばしにもつい声が出てしまいます。
久しぶりに長時間外の空気を吸いました。
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コンサートも連休?

ゴールデンウィーク期間中になにか手軽なコンサートはないだろうかと情報を集めてみたところ、これがほとんど全滅に等しい状態であることがわかり、これにはかなり驚かされました。
なんと、連休中って、コンサートはまったくのゼロではないものの、本当にろくなものがないし、できるだけしない方向というのが世の常識なんですね!今ごろ知りました。

そもそもコンサートって行くほうには娯楽かと思っていましたが、では一体なんなのでしょう?
連休中にコンサートなどやっても普段以上に人が来ないということがわかっているから、実際こんなに申し合わせたように一斉休業状態になるわけでしょうね。

盆暮れ同様、ゴールデンウィークにもコンサートが軒並み姿を消すこの現状を知って、一般人のコンサートに対する認識というか、位置づけというか、重みをありありと知らされた気がします。
要するに「まとまった休みが取れる時期はコンサートなんぞに行くヒマはないよ」ということ。

では連休期間中は、コンサートも行く暇がないほどみなさん何をされているのかは知りませんが、いくらなんでもすべての人が旅行やドライブや里帰りというわけでもないでしょうに。
べつにすることもなくだらだらしてた、ビデオを見てただけ、休みは却って嫌だというような人をマロニエ君はいくらでも知っています。
では、そもそもコンサートはどういうタイミングで行くものなのか、果たしてコンサートってなんだろうと思ってしまいます。

確認したわけではないですが、きっと欧米ではこんなことはまずないと思います。
海外の音楽祭なんて聴く側はそれ自体が長期戦の遊びみたいなものでは?
どうしようもない文化レベルの低さをこんなことで見せられてしまったようで、非常に貧しい感じがします。

マロニエ君のごくごく素直な感覚からいうと、音楽が好きな人にとっては普段以上に連休中などはゆったりコンサートにでかけたりするのに格好の、自由な数日のように思うのですが。
日本人でありながら日本人の行動パターンがわかりません。
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雑談は音楽のように

少し前のことですが、書き忘れていたので。
知り合いのテスト企画ということで、音楽家の誕生月をテーマとしたささやかなイベントを行いました。
4月なのでプロコフィエフ、ラフマニノフ、カラヤン、レハールなどさまざまな音楽家が該当し、この人たちのCDを聴きながら適当に話を進めるという趣向です。
どうあらねばならないという決まりはないので、話は次から次に発展し、枝分かれし、混迷し、脱線していくところに最大の面白さがありました。会話の魅力は、話題の際限ない展開にあると思いました。

一つのテーマを出発した話は様々な曲折を経ながら悠々と変化して、話の扉は次の扉へと連なり、歌舞伎の早変りのようにめくるめく姿を変えていきます。それを幾度も繰り返した揚句に、ところどころで本来のテーマに立ち返ります。
これはまるで音楽の形式そのもののようで、主題があり、引き継がれた第二主題と絡みながら展開部あり、転調あり、あるいはソロあり掛け合いありアンサンブルあり、それらを即興性が支配するという、あらゆる要素が音楽のそれに重なるようでした。テーマを変えれば楽章が変わるようで、終わってみればこの一日全体が多きなひとつの音楽のような気がしました。

自然な会話のやり取りがあたかも音楽の法則の原点のようでもあったと思われ、同時に音楽それ自体が人の生理にかなっていることを証明するようで、お互いを両面から確認できたようでした。

この日のメンバーはまことに奇妙な顔触れによる雑談のカルテットでしたが、なかなか音楽の話をこれだけ自然におもしろおかしくやってのける場というものは経験的にないような気がします。

あまりに初心者に合わせたものは人為的迎合的すぎてつまらないし、逆に過度に専門的になるとこれまた学究的な臭みがあって遊びと呼ぶにはふさわしくない。
マロニエ君にとっては風刺漫画のように適度に崩されたそのバランスは最適なものでした。

ここで痛感したことは、いかに雑談とはいえ、参加者が一つのテーマを意識したうえで交わす自由な会話というものが、ある意味ではもっとも充実した内容になるという意外な発見だったように思いました。
すなわち雑談にもテーマは不可欠だということ。
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今日もまたやられた

マロニエ君は車の仲間内ではちょっと知られた洗車オタクなんです、じつは。
一時は本を書いたら?といわれるほど強烈でしたが、最近ではめっきりそのエネルギーも落ちて以前のような迫力はなくなり、自分でもかなり普通になったと思っています。
でもまだその残光というか、引きずっているものはあるわけです。

たとえば同乗者のドアの閉め方。
人さまを車に乗せるのはぜんぜん嫌ではありませんが、ひとつだけ気にかかることがあって、それがドアの閉め方なんです。
9割以上の人が無意識にすることですが、車を降りてドアを閉めるとき、必ずと言っていいほどドアのガラスかその周辺の塗装面に手を触れてエイヤッとばかりに閉めてくれます。
結果は無残にもそこに指紋が残りますし、車が汚れているときはそこだけ跡がつきます。
なんでみんなこうなの?って思います。

ドアには取っ手が付いているのだから、開けるときと同様に閉めるときもここを持って静かに閉めてほしいわけです。
車の仲間はそういう作法はごく初歩的な常識としてわきまえているので全く問題ないのですが、普通はまず期待できません。
それも車がかなり汚れている時ならまだしも、洗いたてのピカピカ状態でそれをやられると、思わず真っ青になるか血圧がバクッとあがっているはずです。家に帰ったら、こめかみに青筋を立てながらガレージでさっそく指紋取り作業開始です。
それでもガラスは拭けばまだ済みますが、塗装面だと下手をすると傷が入ることもめずらしくないのです。

だいたい車に限らずガラスをじかに触るというのが理解できません。
例えば普通の主婦の方でも、ピカピカに磨いたばかりのガラス窓に他人が無邪気に触ってべたべた指紋を付けながら眺める景色の話などしたらいい気分はしないはずです。

タイトルの通り、じつは今日もまた見事にやられてしまいました。
その人はこんなブログのことは知りませんのであえて書いてしまいましたが。
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ああ、アルゲリッチ様!

以下、カルメンさんからの投稿です。

『いつもの黒のドレスで、肩にかかる黒髪を払いのけながら(結構おばさん的貫禄)、ツカツカとオーケーストラの前に立ち現れたアルゲリッチ様。ズシッとピアノの椅子にお座りになって、オケの方をぐるっと見回して・・・始まった! ショパンコンチェルト。前奏が始まると同時に体を揺さぶり、指揮者の方も見ず戦い挑むe mollの旋律!(背筋がゾゾー!)
皇帝ナポレオンか、否、暁のジャンヌ・ダルクか、何千という兵士を携え、ああ、アルゲリッチ様がそこに居わします!
「あなたわかる?彼女(アルゲリッチ様)ラリってるでしょう?こりゃあやっぱり(ドラッグ?)やってるね!ね!」横に座っていたMunchen音大生ゾフィーは私の耳元でささやくのです。
アルゲリッチパワーにボーっとしていたい私、「ああうるさい、黙っててよ!」私にはやってようがなかろうが、音楽とは関係ないことと思っていたのでした。
しかし、どこのオーケストラだったかも、指揮者が誰だったかも、2楽章をどんなふうに弾いたかも、ほとんど忘れているのに、頭から離れないのが、弾きながらオケの方を睨み付け怒ってるアルゲリッチ様。ああ、私も若かったんですねえ。
ヘラクレスザールで私が初めてアルゲリッチショパンを聴いた時の、あのオーラが今でも忘れられません。
30年前の春のお話。』

ということは、アルゲリッチが38歳のころですね。あの頃は本当に激しい演奏をしていましたね。
客席にいてもそのただならぬ様子にハラハラさせられたものです。(マロニエ君)
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洗車健康術

今日はまた荒れ模様でしたね。
気温もさることながら方向の定まらない突風には閉口しました。
農作物の生育にも深刻な影響を及ぼしているそうで、およそ桜が散った後の天候とは思えませんね。

読書好きの知人からおもしろいテーマをいただき、エラールについて書いてみましたので、マロニエ君の部屋をご覧いただければ幸いです。

フランスのピアノというのも尽きない魅力があり、死ぬまでに一度は戦前のフランスピアノを見て回る旅をしてみたいものです。
それに対してイタリアは、美術やオペラはともかくも、車やピアノは歴史的に見ても大変重要な国なのですが、どうももうひとつ興味がわきません。
これこそ相性というもので、理屈じゃないのでしょう。

すべてをこの季節のせいにして体調のすぐれないのをいいことに、家の中に籠っていてもいけないと一念発起して、夕食後に洗車をしてみました。
寒いガレージで約2時間体を動かしたら、やはりというべきか望外の爽快な気分になれました。
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春の激しさ

桜の季節もようやく終息に向かっているようです。
春は寒さが緩み、花が咲き、命と明るさの象徴のごとくで、巷間良いことばかりのように言われますが、マロニエ君にとっては一年を通じて最も苦手な季節です。
そもそも春は、決してぽかぽかするばかりの穏やかな優しい季節ではなく、天候は毎日が目まぐるしく変化し、激しい風雨を伴う嵐のような日も実際多く、イメージよりはずっと気性の激しい荒々しい季節だと思います。

それというのも季節の変わり目は体調の管理が難しく、この季節はもっとも健康管理にも気を遣いますから、却って冬の真っただ中のほうが楽だったりします。

ヒーターを入れるかどうか迷うような時期はなにやらとても落ち着かず、体かどうしていいのかわからずに困っているのが自分でもよくわかります。
春が終わると次は梅雨の到来で、湿度が高いこの時期は喘息などの症状が出やすくなります。
これから梅雨が終わるまでは、心して過ごさねばならないと思うとうんざりします。

以前、恩師の一人である先生にこのことを話したら、「あなたはチェンバロのような人ね!」と言われました。
その先生は見るも美しいチェンバロをお持ちなので、その繊細で難しい管理経験から面白がってそう言われたようですが、チェンバロのような美しい音でも出せるわけでもなし、ただ単にこの体質には困るばかりです。

ピアノの管理には温湿度管理が大切と言われますが、とりわけ湿度はピアノのため以前に、まず自分の健康管理にもつながっているので、マロニエ君はこれを怠ることはなく、それがピアノにもちょうど良い環境をもたらしている点はなんとも皮肉な感じがします。
でも実際、ピアノに望ましい温湿度の環境は、そのまま人間にとっても快適なものですね。
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バルトークの誕生パーティ

知人のバルトーク研究家が開催するバルトークの誕生パーティに招かれて行ってきました。
本来の誕生日は1881年の3月25日なので、二日遅れではありますが参加者の都合を考慮しての土曜開催ということになったようです。
こじんまりとしていながらも素晴らしいメンバーが集い、主催者のお人柄を感じさせる楽しくも質の高い一夜でした。
バルトークについてあれこれと語り合い、簡単なレクチャーや演奏もあり、まさにバルトーク一色でしたが、決してアカデミックな臭みのあるものではなく、あくまでも偉大な一人の音楽家に敬愛の念を示しながら一同楽しく食事と音楽とおしゃべりを満喫しました。

遠くは熊本からわざわざ駆けつけられた方がおられましたが、この方がまたなんとも優雅な老齢の紳士で、美しいバラの花束を持っての登場でしたが、こういうことをしてちっとも嫌味でない上品な方でした。
おしゃべりをしていてもなんとも自然で心地よく、こういう歳の取り方がしたいものです。

驚いたのはマロニエ君のご町内ともいえる、我が家とは目と鼻の先の距離にお住まいの方が二人もおられ、さらには先日の音楽院でお見かけした先生などもいらしており、やはり世間は狭いものですね。
むろんお二人とも車でお送りしました。

次回が楽しみです。9月26日が命日なんですがどうされるんでしょう?
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福岡パルコ

天神に出たついでにオープン間もない福岡パルコを覗いてみました。
平日にもかかわらず大変な人出で、中に入るにも、エスカレーターに乗るにも人で渋滞です。

全体をざっと回りましたが、基本的な印象としてはどこにでもある女性ファッション中心の店舗ビルで、マロニエ君のようにあまり関心のない者からすると、どこがどう新しいのかよくわかりませんでした。
ここは築70年を越す昔の岩田屋で、マロニエ君が子供の時分にはもっともなじみ深い建物でしたが、内装をいかに改装しようともその骨格はいかんともしがたく、狭くて天井の低い旧岩田屋のイメージの名残ばかりが感じられ、昔のイメージ払拭にも限界を感じました。
ありふれたピアノにどんな手の込んだ特別の改造や調整を施しても、うわべは変わっても、生まれ持った基本は覆らないのと同じようなものですね。

最上階にイシバシ楽器というのがあったから覗いてみました。
ここは「バンドユーザーの全て叶える内外のブランドギターの大量品揃え」とあるように、店内は徹底してバンド関連の楽器や商品で埋め尽くされており、クラシックに関するものは本一冊、小物ひとつもないという見事なまでの徹底ぶりでした。
楽器店を名乗りながら、これほど特定のジャンルに特化するというのも潔いものを感じます。

残念ながらマロニエ君にはこの先も用のない店ですが、そのぶんヤマハの存在感などが際立ってくるような印象を受けました。逆にこのジャンルが好きな人には大いに歓迎される嬉しいショップだろうと思われます。
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嶮しい道

今日は思いがけない来客がありました。
この方がむかし父のアトリエのお弟子さんだったのは、マロニエ君が子供の頃でした。
お弟子さんたちの中でもちょっと異色の存在で、非常に厳格でストイックなところがあり、父の周辺を我が事のように取り仕切っている趣がありました。みんなから怖れられる存在で、マロニエ君もたびたび叱られた思い出があります。
数年後、彼女は一大決心のもと、別の道を志すとしてアトリエを辞めていきましたが、それは文学と歴史研究の道に身を投じるためでした。
とりわけ地元の歴史研究に没入し、野村望東尼の研究では第一人者の地位を確立して、すでに西日本新聞社から数冊の著作が刊行されていますが、先ごろ福岡市文学賞を受賞され、我が家に報告の挨拶に来てくれました。

しかし書籍出版にも音楽CDと変わりない苦労があるようで、一定量は作家買取の義務を負わされるらしく、数が望めるジャンルでないだけに文化研究の道の嶮しさも大変なようです。
それでも自分の努力が報われて書籍という形態に結実するのは何物にも代えがたい喜びがあるようです。

聞けば一冊の本を出すには、文字通り山と積まれた資料の谷間で気の遠くなるような調査と勉強の連続だそうで、やはり一つのことを成し遂げるのは生半可なことではない不屈の精神とひたむきな情熱が欠かせないようです。
道を究めるというのは損得も寝食も忘れて、自分の人生をひとつのことにあてがえるかどうかなのかもしれません。
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パン屋のチェロ

今日は休みで、とあるパン屋にパンを買いに行ったところ、一足先に大きなチェロケースを抱えた男性が店に入っていくのが目に入りました。するとその人、店の奥の飲食スペースに腰を下ろすなりチェロを取り出し、まわりにお客さんがいるのもお構いなしに、いきなり音を出し始めました。それも遠慮のない力でぐいぐい楽器を鳴らし、ただ練習のようなことをやり出しました。

営業中の店内で、あれだけ周囲に憚りなく音を出すからには、おそらくお店のほうは承知のことかもしれませんが、この異様な光景にはいささかびっくりでした。
もしかするとプロのチェリストで、あとでイベントのようなことをするのかもしれませんが、あれはちょっといただけませんでした。

思いがけないところで耳にするチェロの、その朗々とした音はたしかに美しいものでしたが、いかにも自信満々なその行動は、むしろ周囲から注目される快感をひとり楽しんでいるようで、まるでその人のアクの強いメッセージを聞かされたようでした。

生のチェロの音を聞けたのに、帰りはちっともいい気分ではありませんでした。
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わああ!

今日は外食ということになり目的地まで車で市内を走っていたら、思いがけないところでかなりの渋滞となりました。
待つことしばし、少しずつ車列が進むと、前方では右車線にいた車が一台ずつゆっくりと左車線に入っているようで、そこに渋滞の原因があることが直感的にわかりました。

ついにその現場に近づくと、なんと赤いフェラーリと黒いミニバンらしき車がくっついています。両車向き合う形でロシア人の挨拶のようにほっぺたを付け合うように、両方のフェンダーがべちゃっと接触していました。
大変な注目で、そこを過ぎると道はスイスイ。対向車線は大渋滞。
こっちは見物通過して終わりですが、当事者は大変でしょうね。
フェラーリはフロントエンジン12気筒の456GTでした。
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働く姿

ピアノサークルの知り合いが近所の薬局でお仕事をしていらっしゃると聞いていましたので、ちょうどマロニエ君が頼りにしている風邪薬が切れていたこともあり、買い物の帰りにそのお店に寄ってみました。
店に入るとちょうど接客中でしたが、やはりお仕事中はサークルでお会いするときより幾分感じが違いました。

一区切りついたところを見計らって挨拶するとすぐに気付いてくれましたが、なんかこうして知り合いと会うのはおもしろいもんですね。
今日はちょうどポイント5倍の日で、試供品などもいただきました。
でも、やっぱりいつもよりしゃっきり感があって、なかなかサマになっていました。

そんな感心もつかの間、もうすぐ明後日は例会だというのに、練習はまだまだです。
最後の追い込みと言いたいところですが、どうせやっても同じという諦め癖がいつものように顔を出しています。

ありがとうございました。
また寄らせていただきます。
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疲れます

これというはっきりしたルールではないことだからこそ、相手の人柄や良心に依存し期待していることということがありますが、それが知らない場所であっさり裏切られているのは、とても嫌な気がします。
面と向かって文句が言えることでない微妙な問題である分その思いは募ります。

だいたいこういうことを平然としでかす人って、逆に普段から人一倍感じが良く、誠実で善人ぶっていますが、要は八方美人なんです。
結局、目的があるからできることなんですね。要は自己利益中心主義ということ。

厳しい世の中、ビジネスのために直接間接努力するのはわかりますが、それを超えた部分でいかにもの好印象や信頼をプレーボーイのように巧みに取り付け、ひいては仕事にも繋ごうというしたたかな意図が見えると、もうすっかり冷めてしまいます。
それはそれでその人の能力・テクニックだと言ってしまえばそれまでですが。

本当に実力のある人というのは、たとえ必要でもそういうことはできないし、やったところで下手なもの。そんなことが上手いと、却って本業の実力を疑いたくなります。

少なくともマロニエ君は多少の短所はあっても、人間的に信頼のおける人を好みます。

なんのことだかわかりませんよね。わかる人にだけばわかってもらえばいいのです。
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2010年1月11日 (月祝) 新年会

昨年入会したピアノサークルの新年会に行きました。

マロニエ君はアルコールは最初の一杯のお付き合いがせいぜいで、基本的に飲めません。
「類は友を呼ぶ」のかどうかは知りませんが、私の友人知人の付き合いではアルコールが出てくることはほとんどなかったのです。それがこのところサークルに入って酒の席にも何度か行くことになり、その雰囲気に圧倒されてしまいます。

今頃知ったなんて言うのもカマトトのようかもしれませんが、飲める人というのは食事量がやはり少ないんですね。食事はいわば脇役で、主にアルコールという名の液体で満腹している感があり、驚きました。
基本的に食事会に比べて食べ物が少ないというか、飲めない人にはちょっと辛い面もありますね。
飲めない人も食べるほうで楽しめるような自然な環境があればいいのですが。

体は正直で、帰宅したころには猛烈にお腹が空いている自分に驚きます。
いつもこういうときはそのへんにあるものを手当たり次第に食べてしまいます。

でも、新しい人たちと交流できることはとても楽しいし素晴らしいことだと思っています。
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2010年1月2日 (土) 新年の合奏

マロニエ君の自宅で友人と合奏しました。
曲は以前から手をつけ始めていたシューベルトのアルペジョーネ・ソナタですが、へたくそ二人ですから大変です。全曲を通すだけでも30分以上かかるし、細部を詰めながらやり直しなどしていると2時間ぐらいあっという間にかかってしまいました。

アンサンブルは一人で弾く時とは違った難しさがあると同時に、なによりも音楽の原点を感じさせる楽しさがあり、ときどきこういう遊びをやってみるのもいいものだと思いました。

そのためには練習が必要な点が怠け者のマロニエ君にはつらいところですが。
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2010年1月1日 (元旦) あけましておめでとうございます

本年からこのぴあのぴあをスタートすることになり、新年のよいきっかけとなりました。

お正月といってもとくにこれということもなく、今日は午後から家族と一緒に市内をドライブしました。ウソみたいな交通量の少なさが、かえって落ち着かないぐらいで、こんなところから正月気分を味わいました。

あすは久しぶりに帰省したフルートを吹く友人と合わせものをやることになっていますが、あまり練習らしい練習もできていません。まあ、お互い遊びですし楽しみです。

というわけで、これからよろしくお付き合いくださいますようお願いします。
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