このところすっかり初夏のような陽気となり、ときに汗ばむほどに気温が上がることも珍しくありません。梅雨に入ればじめじめと鬱陶しい期間がひと月以上は続き、そのあとは間をおかずに本格的な夏が待ち構えていますから、今が穏やかな季節の最後ということになるのでしょうか。
そうはいっても、春先からこの時期にかけては気温などの変化が日替わりのように激しく、必ずしも体調に優しい時期ではないので、実際は過ごしにくい時期とも見るべきですが…。
それはともかく、梅雨や本格的な夏前にして、この時期を寸暇を惜しむように楽しんでいる人達のひとつがオープンカーのオーナー達だろうと思います。
マロニエ君の私見ですが、もともとオープンカーは欧米の文化や気候的な土壌でこそ真価を発揮するクルマで、日本のように四季の変化に富む多湿な土地柄では、年間を通じて屋根を開けて走ることのできる時期はごくわずかで、とても真価を発揮できるとは思えません。
そういう意味でも、春秋の一時期は、オープンエア・モータリングを求める人達にとっては待ちかねた儚くも短い季節ということになるようで、このところもオープン状態で走っている車(大半が輸入車)をたまに目にします。
しかし、マロニエ君はいつも見るたびに、基本的にオープンカーというものは日本人という民族には向いていないと昔から思わずにいられませんでしたし、それは今でも変わりません。
日本人の持つ内向性、開放感の求め方、地味な顔かたち、周りの景観など、すべてのものがオープンカーが本来棲息すべき享楽の環境とは乖離しているようで、要はサマになっている乗り方ができているシーンを見たことはほとんどなく、どれも車に呑まれているようにしか見えないのです。
もう少し踏み込んで云うならば、オープンカーは乗り手の顔かたちまでがボディの一部となるわけで、とくに贅を尽くした高級車のオープンカーともなると、そこに日本人の肩から上が車外に露出しているのは、なんとも収まりが悪いと感じずにはいられません。
さらには乗っている人の様子が申し訳ないけれども苦笑させられてしまいます。マロニエ君も日本人なので気持ちはよくわかるのですが、いわゆる日本人のメンタリティや生活習慣と、オープンカーの屋根を開けて街中を自然に走らせるという感覚とは、根底のところで決定的にそぐわないものがあり、まさにミスマッチのシーンがそこに現出しているようにマロニエ君の目には映ってしまいます。
大半のオーナーは、屋根をオープンにすることで、外部に自分の身を晒しながら車を走らせるという行為に心底からリラックスしておらず、みな一様にどこか緊張を伴っているのが痛いほど伝わります。見られているということに快感と恥ずかしさがない交ぜになり、誰よりハンドルを握る当人こそが意識しまくってカチカチになり、全身に力が入っているようで、あれで本当に爽快なんだろうかと思います。
これは贅沢で爽快で、それができる自分は特別なんだと自分に言い聞かせて、本当は気骨の折れる行為をごまかしているようにも見えて仕方ありません。
とくに高級車になればなるだけ、乗っている方は意識過剰になり、せっかく高価なオープンカーを買い、いままさに屋根を開けて乗っているのに、無邪気に風と戯れることができず、キャップを被ったりサングラスをしたり取って付けたような肘つき運転をするなど、やはり根底にはわずかでも自分の恥ずかしさを隠そうとしているようにも見えます。
とくに多いのが、信号停車時などもほとんど体も動かさず、表情はことさら不機嫌そうな顔をしている人がよくあって、これなども優越感と自意識過剰のあらわれのように見えてしまいます。
そうでもしないと神経的にやってられないプレッシャーもあるようで、そんな労苦を押してでも、オープンカーの持つ華やかさの世界の住人であることを意識して楽しみ、快感を得ようという欲望と戦っているようです。たぶんガレージに帰って屋根を閉め、車から降りたとき、本当に心底楽しかったと言えるのかどうか、本人も実際はよくわかっていないのかもしれません。
かくいうマロニエ君も、ずいぶん前に、その設計思想とスタイリングに惚れ込んで当時話題のオープンカーを所有したことがありましたが、いやはや、とてもじゃありませんが昼日中の街中で「屋根を開けて走る」なんて勇気はどだい持ち合わせておらず、せいぜいクルマ好き同士が集まるミーティングのときにリクエストされて短時間だけ開けてみるとか、深夜にちょっとだけ試しに…といったぐらいなもので、99%は屋根を閉じたままでしか乗りませんでした。
そんな使い方が長続きするはずもなく、だいいちそれでは持っている意味もないので、けっきょく短い期間で手放してしまいました。それもあってか、いまだにオープンカーを全開にして乗っている人を見ると「お疲れさま」という言葉がわいてしまいます。
続きを読む