??なアメリカン

ある日曜、友人と夕食に行くことになりました。
時間帯が少し遅くなったため行くお店も選択肢が狭まる中、どこに行こうかと考えたあげく、以前から気になっていたアメリカンスタイルの店に行ってみようということになりました。

外から見る限りはいかにもBar風というか、アルコール主体の店のようなイメージだったのですが、知人からあそこは食べるほうが中心の店ということを聞かされ、ならばいつか行ってみようかと思っていたのを折よく思い出したので、これは好都合とばかりに出かけて行きました。

事前に食べログなどで下調べしてみると、評価は普通ですが、店内の作りやメニューは徹頭徹尾アメリカンで、ずらりと並ぶソファなども原色の50~60年代のアメ車を思わせるようなもので、ハンバーガーも当然のようにアメリカンなビッグサイズ。

さっそくお目当てのハンバーガーとコーヒーを注文。
オーダーを受けてから調理するらしく、かなり待たされてようやく出てきたのは大型のプレートに、日本人のイメージの3倍はあろうかと思われる巨大なハンバーガーがフライドポテトなどと一緒にドーンと鎮座していました。

各テーブルに置かれた巨大サイズのケチャップとマスタード(必要なら塩/胡椒)を使って自分で味付けをし、バンズを重ねてかぶりつくというもので、さすがはアメリカンとこのときはなんだかわくわくしてしまいました。

ところが、実際食べ始めてみると、とくに不味いというのでもないけれど期待したほど美味しくもないことがしだいに判明。
見た目は豪快だけどあまり味がなく、ワイルドな感じのわりには塩分もかなり控えめで、ずいぶん健康面などにも気を遣っているような、なんだかよくわけのわからない微妙な味。

それというのも、調理中から期待させられたのは、ジャ〜〜ッという音とともに肉を焼く強い匂いが店内に漂いまくり、アメリカ産牛肉のステーキがコクがあって美味しいように、しっかりとした味を持つハンバーガーを想像していたのです。

はじめの数口は慣れの問題もあるからいまいちでも、口が慣れてくると本当の味がわかってくるということはよくありますが、途中で味が美味しいほうへと好転することはついにはないまま、最後のほうは少しガマンして食べたと言えなくもありません。

食べ終わったら、口の中にはなんだかへんな臭みみたいなものが残り、それがちょっと気になってきました。
マロニエ君の食べ物の評価基準のひとつとして「食後感」というものがあります。
食後感のいい食べ物はやはり美味しいものだし、材料もよく、調理もあまり変な小細工をしていない場合が多いというのが持論で、少なくともまともなもので作られた料理は食後感もすっきりさわやかです。

いっぽう、スーパーのお弁当とかファミレスの食べ物などは、やはりこの点がよくなく、いつまでも味や匂いが口の中で後を引くなど、すっきりしません。
いちおう美味しく食べたつもりでも、同時に悪いものも身体に入ってしまったというような印象を伴うことも。

そんな食後感でいうと、このハンバーガーは最悪でした。
店を出たあとはもちろん、その後4~5時間たってもなんだか口の中に何か残って消えない感じがあるし、ちょっとあくびをしてもさっきの肉の匂いがふわんと立ちのぼってきて、何度も気持ち悪くなりました。
こうなるとお茶やコーヒーをどれだけ飲んでも、歯を磨いても変化ナシ。

それも牛肉の匂いと言うよりも、なんだかケモノ臭的な感じがするのが気になりました。
こうなってくると、あれは本当に牛肉だったんだろうか?というちょっと気味の悪い考えまで頭をかすめてきて、そのたびにヘンなものを食べてしまったのではないかという疑いと不快感が消えなくなりました。

友人に聞くと、やはり同じらしく、「あれってジビエなのかなぁ?」などと言い出す始末。

お店に電話して聞いてみようかとも思ったけれど、もし表示と違うものを使っているならそう簡単に口を割るはずはないだろうし、すでに食べてしまったものはどうしようもないから、とりあえず諦めました。
もちろん、二度と行きません!
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雲泥の差

マロニエ君の生活圏(福岡市及びその近郊)にある回転寿司でイチオシなのは、魚米(うおべい)ということを以前書いたような気がしますが、記憶が定かではないので、重複するところがあったらご容赦ください。

魚米という店名はあまり耳にしたこともなかったけれど、元気寿司系のチェーン店のようで、ネットの店舗検索を見てもそれほど数もなくメジャー店ではないようですが、ここを知ってからというもの、ぱったり他店には行かなくなりました。

魚米の特徴は、全店すべてかどうかは知りませんが、いわゆる作り置きの寿司は一皿もなく、すべてタッチパネルから注文をするスタイルであること。さらに各テーブルへは、なんと上中下、実に三段からなる高速レーンを駆使して、注文の品がスイスイ運ばれてくることです。
くわえて、ネタが新鮮で大きいことも特筆すべきで、にもかかわらず寿司メニューの多くが100円という安さ。店の内装は白を基調とした清潔感あふれる都会的な雰囲気で、従来の回転寿司の標準からすれば完全に一歩先を行くものだと思います。

もともと回転寿司は、テーブル脇のレーン上にあれこれのお寿司が流れている中から好きなものを皿ごと取って食べるというものでしたが、これだと自分のテーブルの位置が川(レーン)の上流にあるか下流にあるかでかなり条件が違ってきます。仮にむこう側に食べたいものが流れていても、こっちまで周って来る間に途中で誰かに取られてしまう可能性があり、不公平感がありました。(…昔の話ですが)

そうなると別途に注文するしかないわけですが、テーブルまでのお届け方法として「注文品」として流れに混ぜ込むか、店員がお盆に乗せて運んで来るかだったものが、そのうちに注文したものをダイレクトにテーブルに届けるための、専用高速レーンが設置されるようになりました。
注文も、いまやタッチパネルを採用する店が主流になっているようです。

さて、回転寿司といえば最も有名なのがスシ❍ーだというのは多くの人が認識するところでしょう。
マロニエ君も、十年ぐらい前にいちど行ったことがあるものの、それほど美味しいとは思えず、いらい一度も行ったことがありませんでした。しかし、土日などはいつ見てもスシ❍ーの駐車場には誘導員まで立っているし、店の出入り口付近は順番待ちの人であふれており、その人気の高さ、いわば支持層の厚みが窺えます。

TV-CMなどを見ても、いかにも新鮮そうな大きなネタがスローモーションで舞い降りてくる様子など、見るからに魅力的な感じに作られており、もしかしたらグッと進化していて美味しくなっているのかも…という気がしなくもありません。
それで友人と調査がてら行ってみようかということになり、先日スシ❍ーで食べて来ました。

果たして、結果は惨憺たるものに終わりました。
たまたま行った店のみでの感想なので、すべての店舗で共通することかどうかはわかりませんが、まず店内の雰囲気が暗いし、タッチパネルではあったものの、棚の上部の固定タイプである上、パネルが超鈍感で、指先が白くなるほど力を入れないと反応しないのは、もうこれだけでいきなりテンション落ちまくりでした。

また、注文しても、ゆるゆると流れる川に他の商品と混ざってゆっくりゆっくりやってくるのは、ようするに回転寿司の第一世代そのままで、新型の高速レーンの快適さ(とくに魚米の三段レーン)を知る身には、あまりの落差に大きなストレスを覚えるほど。とくに案内されたテーブルは川が折り返してくる反対側だったので、その待ち時間の長さときたらはっきりいって苦痛以外の何ものでもありません。
まさに快適な新幹線に対してガタンゴトンの在来線のような違いでした。

肝心の味もあくまで普通(もしくはそれ以下?)でしかなく、「さすがは人気店だけのことはある!」と感心するような要素はまったくナシ。
それどころか、より多く注文させるためか、ネタを相対的に大きく見せるためか、シャリも小っちゃいしネタもコマーシャルでみるようなダイナミックなものひとつとしてなく、ただ上にぽちょんとのっているだけのものでした。

席も座面が擦り切れていたこともあり、たまたま古い店舗だったのかもしれませんが、食器類も激しく傷だらけで、醤油差しの上のゴムも弾力がなくなっているなど、いつもの魚米とはまさに雲泥の差でした。

帰りのクルマの中で「なんであんなに人気があるんだろうね…」とつぶやく友人。ごもっとも。
「ま、知名度なのかね…」と返しながら、不満タラタラなのに身体はいちおう満腹という、妙な気分のまま帰途につきました。

ひとつわかったのは、あんなテンポじゃ客の回転率がかなり悪いので、慢性的な行列を生むのか…とも思いますが、味の面では人気の理由がよくわからないまま、いちおう目的は果たしたとして調査終了です。
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勝負か体質か

たまに行くステーキ店があります。
むろんマロニエ君が行くくらいですからリーズナブルな価格の店ですが、分厚く柔らかいお肉が気軽に食べられるのがここの魅力です。

メール会員になると、毎月何度か開催されるサービスデーの類の案内が送られてくるので、先日家人と行ってみようかということになりました。今回の特典は「サーロインステーキのみ通常価格の半額」というもので、「半額対象は8オンス以上」となっています。
1オンスが28gですから、およそ220gのステーキということです。

通常のメニューでは、一番小さいのが4オンス(約110g)、そこから2オンス刻みで肉の量が増え、最大は16オンス(約450g)となっていますが、今回は半額なのですから対象とされるのが「8オンス以上」というのも当然だろうという気がしました。

マロニエ君は10オンスぐらいすぐに食べますが、少食の家人が少し分けてくれるというので8オンスを2つ注文。
ほどなくして斜め前のテーブルに若いカップルがやってきましたが、しばらくするとそちらへも焼きあがったステーキが運ばれ「お待たせいたしましたぁ。サーロインステーキ12オンスになりまぁす!」という店員の声がすぐ傍で聞こえます。なるほど若いお兄さんはそれぐらい食べるだろうなぁと、このときはなんの疑問もなく思いました。

ところがあとにはライスが2つ運ばれてきただけで、ステーキはそれ1つきり…。すると店員は「以上でご注文はお揃いでしょうか?」と尋ねると、カップルのうちの女性のほうが軽い笑顔で「はい」と小さく答えました。

その12オンスのサーロインステーキはテーブルの中央に置かれ、向い合う二人がそれを食べ始めたのにはびっくり!
一瞬の後、彼らのやっていることが了解できました。半額対象は8オンス以上となっているため、6オンスは対象外、だから12オンスを1つ注文、それを二人でつっついて「8オンス以上」というを壁をまんまと突破するワザを思いついたというわけでしょう。
店側のルールで8オンス以上が半額というのなら、それを2つ頼むか、それが嫌なら来るなよ!と思いますし、そもそも、小さなお店でそんなことをして、単純に恥ずかしくないのかと思います。さらにはこのとき二人がついたテーブルは、4人用に空きがなかったために6人用でした。これは偶然としても、店側はさぞかし苦々しく思ったことでしょう。

たしかに送られてきたメールには「一人分のステーキを二人で食べてはいけない」とは書いてありませんでしたから、このやり方は店が定めた条件に違反していないのかもしれませんが、まるで法の網をかいくぐるがごとく、そんな言葉の裏をかいたようなことをしてどういう気分なのか。ちなみに二種類の味が並んだステーキソースなどはしっかり二人分もらっていました。
みたところ、そんなことをしそうな感じではなく、いかにも善良そうなおとなしいカップルという印象でした。しかし若いくせに知恵を絞ってまで少量ですませるという、そのいかにも痩せ乾いた感性が、よけい「凄み」を漂わせていました。

高度経済成長はもちろん、バブル景気も知らない世代は、せめて半額のときぐらい豪快に食べようじゃないかという発想すらないのかと思うと、なんだかこちらのほうが悲しくなりました。あるいは与えられた特典があっても、それで満足したら負けなのか、さらに細かく切り刻んでいじりまわして、ルール上の盲点を突いて、合法的にさらなるお得をゲットすることが、まるでゲームに勝ったような気にでもなっているのでしょうか。


そしてさらに数分後、こんどは通路を挟んですぐ前のテーブルに30代ぐらいの若いお母さんが二人と子供が二人(合計4人)がやってきました。子供は幼稚園児ぐらいの男の子と、もう一人はやっと小学校にあがったぐらいの女の子。
しばらくして運ばれてきたのは、二人のお母さんがいずれも10オンスのサーロイン、小学校低学年の女の子でさえ同じく8オンス!、ステーキが食べられそうにない男の子には、ハンバークを中心とした大きなディッシュが目の前にどっかりと置かれました。

これを4人はいかにも楽しげに食べ始めましたが、そんな単純さが、さすがにこのときはことさら眩しく輝いて、つい拍手でもおくりたい気分でした。だって半額なんですから、そのぶん普段より大胆な注文ができる、美味しいお肉がたらふく食べられる、そう反応するのが健全でほがらかというもの。それをあれこれの策を弄してみみっちい頭脳を働かせて、それでいったい何が楽しいというのか…。

いまどきの若い人は、表向きはおとなしくて善良そうに見えますが、その思考回路はわずかのリスクでも排除し、目先の損得に執着、物事をあまりにも小さい単位でしか処理できない構造なのかもしれません。とりわけ財布の紐が堅いのは一通りではなく、この体質はアベノミクスが期待する「消費の拡大」の前に立ちはだかる最強のバリケードのようなものかもしれないと思いました。
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コンビニスイーツ

世の趨勢に反して(いるのかどうか知りませんが)、マロニエ君は自分の日常生活の中ではコンビニを利用することはほとんどありません。
食料はスーパーその他で買うし、基本的に感性が合わないのだと思います。

ところが、ここ数年でしょうか、コンビニで売られているデザートというか、要はスイーツのたぐいが美味しくなったと口々にいわれるようになり、はじめの頃は半信半疑でしたが、騙されたつもりで買ってみると、たしかに…と思うようになりました。

その後はさらに進化して、かなり本格的な商品が並ぶまでになりました。
はじめはコンビニ会社によっても美味しさに優劣があったようですが、最近は競争もよほど熾烈なのか、しだいに克服されて、おおむねどこで買っても似たようなものが買えるまでになったように感じます。

こうなると、どの店でもそれなりのスイーツが時間を問わず街のいたるところでパッと買えるという環境があることは、たしかに魅力だと思いました。

というわけで、一時はいい気になってかなり頻繁に買ってみたのですが、そのマイブームは意外にも早々に終息を迎えることになります。
ちょくちょく食べていると、だんだんその実体がわかってくるもので、さすがは横並びの日本だけのことはあり、どこも似たり寄ったりで味も結局はウソっぽく、種類も価格も拮抗しています。
人によっては印象も異なるかもしれませんが、少なくともマロニエ君はたちまち飽きてしまいました。美味しいものは常習性がありますが、不思議にそれがありません。

はじめのうちは、コンビニとは思えないような贅沢さが演出されていて、いかにも本格派のような風情ですが、いずれもうわべのものでしかないことが判るのにそう時間はかかりません。クリームなどもあきらかに安い植物性のものだし、使われている素材もCMなどでは尤もらしいことを言っていますが、嘘にならないぎりぎりのところだろうと思われます。

こういうことは、食べているときはもちろんですが、とくに顕著にわかるのは食べた後の「食後感」にあらわれきます。いかにもまがい物を食べたようだという、うっすらした不快感と後悔が心に漂います。

徹底的なコスト管理はもちろん、運搬に耐えるだけの形状やパッケージ、さらには売れ残りも前提として価格が決定されるのでしょうから、そう思うと廃棄される分まで販売価格に上乗せされたものをまんまと買わされているのかも…。
ひとたびそれを感じ始めると、パティシエの味覚や技術どころではない、企画書と試作品と会議室とボールペンで作られた巧妙な製品というイメージで頭が一杯になってしまいます。

価格もいかにも良さげな印象を与えるべく計算され尽くしたもので、高くもないが安くもない。とりわけ内容に対する、コストパフォーマンスは大いなる疑問で、あれだったらもうちょっとがんばって普通のケーキ屋で買ったほうがどれだけ満足は大きいかと思うわけです。

それにしてもここ最近のコンビニの数の増え方は尋常ではないですね。
なにかの建物がなくなって更地になっていたかと思うと、そのうち工事が始まり、大抵はまたひとつ新しいコンビニが姿をあらわします。

こんな現象は日本中の都市圏ではどこも同じだろうと思いますが、それだけ需要があるということなのでしょう。
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慢心と油断

気に入っていた飲食店などで味が落ちるといった変化があると、心底がっかりするものです。

とくに長年親しんだお店で、質やサービスになにかしらの変化がおきると、それによる落胆と幻滅は、おそらくは店側が予想しているより遥かに大きなものとなります。

変化といっても、良いほうに変化することはそうはないわけで、大半は「低下」の方向を辿ることが通例です。それがわずかの違いであっても、お客側にとっては大問題となることに経営者は意外に鈍感で、むしろ僅かな差なら気がつかないだろうぐらいに高をくくっていたりします。
もうバレバレなのに、バレていないと思い込んでいる愚かしさは他人事ながら哀れです。

たとえば、マロニエ君が贔屓にしていたあるケーキ店があります。
ここは価格も法外ではないけれど、それなりに安くもない店です。それでも、たまに美味しいケーキを食べたいと思ったときは、その美味しさを優先してときどき買っていました。

ところが、ある時期から、すぐには気がつかないぐらいの微妙な変化が起こりました。ほんのわずかにサイズは小ぶりになり、味も表向きは変わっていないことを装っていますが、明らかに以前のような熱意やこだわりが感じられなくなりました。
あとから知ったことですが、このころデパ地下にも進出したようでした。

そこそこお客がついてくると、人はつい油断するものなのか、その味や営業姿勢に慢心の影が差し込んでくるのはがっかりします。ひとつ成功するとたちまち次の欲が出て、事業拡大やさらなる利益のことばかり考えているとしたら、もうそれだけで気持ちは冷めてしまいます。

そもそも美味しさとか魅力なんてものは、楽器のいい音と同じで、決して雲泥の差ではありません。「普通」との差はたかだか薄紙一枚の違いであったりするもので、つまりは、そのわずかのところに人は期待と価値を置いているものです。

レストランなども、店側の都合で料理人が変わったり、事実上の値上げなどで、質や量にわずかな変化が現れることがありますが、お客というのは、だから決してその「わずか」を見逃しません。

そもそもある店を贔屓にしているのも、いろいろな要素のトータルのところで「たまたま」そうなっているだけで、ある意味、ひじょうに微妙で危ういバランスの上に立っているにすぎません。よって少しでもそのバランスが崩れると、忽ちそこでなくてはならない理由が失われます。

つまりささいな変化は深刻で、いったんその変化や翳りを嗅ぎ取ると、まるで魔法がとけたようにその店に対する好感度が失われてしまいます。
これは飲食店以外にも言えることで、少しでも下降線を感じてしまうと、それが嫌でいっそ別のものへ流れます。少なくとも質の落ちた対価しか得られないとわかってしまうと、もう継続する気にはなれないのがお客の気分ではないかと思います。

「一度でも不味いものを食わせると、二度とその客は来ない」と云われるように、マロニエ君もずっとご贔屓にしていても、一度とは云いませんが、二度味が変わればやはりもう行く気になれません。
もちろんお店側にしても、そこにはいろいろな事情もあることでしょう。商売をする以上、利潤追求を否定することはできませんが、そういうとき、ある種の「勘違い」や「雑な判断」「見落とし」をしてしまっているように感じます。

馴染みのお客さんを維持していくことは、ある意味では新規の客を獲得するより、もっと難しいことなのかもしれません。
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貧しき遺伝子

厳しい寒さが続いています。

お鍋の季節真っ只中とあって、スーパーや食料品店に行くと鍋料理の食材を集めたコーナーがあちこちに設置されています。そこにはパック詰めされた各種お鍋のスープがこれでもかとばかりに並んでいますが、以前に比べるとその種類も飛躍的に増えて、聞いたこともないような名の新しい鍋料理もいろいろあって感心させられます。

代表的なところでは寄せ鍋や、博多なら水炊きといったところでしょうが、これらのスープにはいつも不思議で仕方ないことがあります。

大半のスープの量は750〜800mlで、触るとブカブカした袋には決まって「3〜4人分」と書かれていますが、これってそもそも表示された人数に対して適量だろうかと思います。この手はストレートタイプなので、袋の中に入ったスープが正味の量となるのですが、とてもじゃありませんが我が家はいつも足りません。

3〜4人はおろか2人でも甚だ心もとない量で、本当にこれでみなさん量的に満足されているのだろうかと思います。二つ使いたいところですが、そうなると金額的にばかばかしくなりますし。

マロニエ君は大抵のことは日本のモノや習慣や尺度は好きですし、むろん慣れてもいますが、ことこういう食に関する量の基準だけは、日本って貧しいなぁと思ってしまいます。

上げ底なども日本の悪しき文化のひとつで、世界的にもとりわけ商品クオリティの高さで信頼される国でもあるにもかかわらず、量的な部分になるととたんにしみったれた習性が露わになります。海外に行くと、欧米はむろんのこと、たとえアジアの近隣諸国でさえ、量に対する尺度が日本とはまるで違うことを痛感させられます。
べつに高級店でなくても「一人前」というものに対する量の保証がきっちりあるのは、本来当たり前のことかもしれませんが、日本人の目にはそれが感動的に映り、その量だけで彼我の違いを感じます。
この点では日本人は昔から量的ミニマムに慣れっこです。

こんな他国の社会のなんでもない量的尺度からみると、日本は食に関しては所詮は貧しかった遺伝子が大和民族の心底からいまだに抜けきれないのだろうと思わずにはいられません。
昨年は日本料理がユネスコの無形文化遺産へ登録されたそうで、それはそれで結構なことですが、思うに日本料理のもつ気品と洗練の元を辿れば、そもそも食の貧しさと絶対量の不足に源流があるのではとさえ思います。

高度な技や凝った盛りつけ、器との対比、季節ごとの貴重な食材を珍重するなど、繊細な感性や精神性までも取り込んで、ついには芸術的な高みにまで到達したのはなるほど見事だと思います。
しかし、見方を変えれば皿数ばかりで、盛りつけというより飾り付けのようで、どれもこれもがつまみ食いのように少なく、それに不服を唱えればたちまち風流も情趣も解さない野蛮人のように扱われてしまいます。

しかし、やっぱり元を辿れば少ないものをいかに尤もらしく美しく見せるかという、知恵や言い訳から出発した文化ではないかと思うのです。日本の伝統的な美術が空(くう)を多用し、そこに深奥なる意味をもたせることで表現の粋を凝らしているのはわかりますが、食にまで空を求めるのだとしたら、これはいささか逸脱が過ぎるようにも感じます。

冒頭の鍋用スープも、あれで3〜4人分という表記でも一向に問題にならず、各社一斉に同じ量で横並びに製造販売され、消費者のほうも常にカスカスの量でガマンするが普通なのは、世界中でも日本だけではないかと思います。
国際基準的にいえば、あれはたぶん一人分じゃないかと思います。
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行列と満腹

昨日はどうしてもという必要に迫られて、あまり行かないことに決めたはずだったIKEAに行くことになり、友人に同行を頼みました。

23日は折悪しく連休中でもあり、さらにはクリスマスイブの前日ということも重なってか、予想通りのたいへんな人出でした。
当然ながら、そんな日の昼間に行くなんて無謀なことをする勇気はありません。マロニエ君達が駐車場に入ろうとしたのは、たしか午後6時ごろでしたが、この時間になってもまだあたりは車でひしめき合って、さすがに満車ではなかったものの、隅々までびっしりと車が並んでいました。

季節柄、日もどっぷりとくれているというのに、ヘッドライトの先にはまだ誘導員がいて、車の流れを忙しげに整理していますから、おそらくは今年最後の盛り上がりというところなのでしょう。

なんとか車を置いて、店内に入って目的の商品を見ていると、どうやら今の時期は「期間限定」のいろいろなイベントをやっているようで、二階のレストランでもスウェーデンのクリスマス・ディナーと銘打ったバイキングをやっていると店内アナウンスが言っていました。

大人1500円こども600円の「ドリンク付き食べ放題」とやらで、友人はどうやらそれに行きたがっているような雰囲気をプンプン醸し出しはじめ、内心「まずいなぁ…」と思いました。
でも、たしかに時計の針は夕食時ではあるし、マロニエ君は特別食にこだわりがあるほうではなく、そこそこ美味しく食べられれば何でもいいというタイプなので、それならば…とそこに行ってみると、目に飛び込んだのはかなりの長蛇の列で、たちまち恐怖を覚えます。
マロニエ君単独の意志なら、この行列を一目見て迷わず通り過ごすところですが、友人は「今だけ食べ放題のスウェーデンのクリスマス・ディナー」という謳い文句に抗しがたい魅力を感じているようでした。
こちらとしても遠くまで付き合ってもらっているわけで、ここまできて相手の希望だけ無視するわけにもいかないので、マロニエ君としても覚悟を決め所と思い定めて、ついに列に並ぶことになりました。

はじめに1500円也を支払って列の最後尾につくわけですが、この列が完全に停滞して一向に進む気配がないのには、いきなり怖じ気づきました。
なぜ進まないかというと、料理は進行方向の一列のみに配置されていて、前の人が取り終わるまで次の人以降の列全体がそれを待つことになり、それが延々と連なって、まるで連休の高速道路の渋滞のようになり、想像を絶する超低速の進行状況を作り出しているわけです。

こうなると、いくら食べ放題とはいっても、料理を取るチャンスは事実上一回限りだということが、誰の目にも明らかです。
そのかわり、列の入口には奇妙なカートが置かれていて、皆さん等しくそれを使っているのがわかります。カートは三段構造になっており、少し先にはちょうどサイズの合う長方形のトレイが重ねられていて、その横にはミート皿がうず高く積まれています。

すると、みんな専用カートを引き寄せ、トレイを三段それぞれに配置して、さらにはお皿を6枚取っています。これが並んで待っている間になすべき準備であることを、人は皆、先人の行動を見ながらたちまち学習し、無言のうちにサッサと同じ作業をしています。

列はニクロム線のように行ったり来たりしながら、ちょっとずつ料理が置かれたエリアに近づいていくのですが、途中で隣の列の人達と対面して進行(ほとんど動かないが)する部分があり、そのときが自分を含めてなんだかとても滑稽な気分になりました。
子供は比較的無邪気ですが、大人は一様に疲労感と忍耐を隠せない表情ですが、同時に戦いを目前にして並々ならぬ覚悟を決めたような緊張感をも必死に押し殺しているようで、なんともいえない奇妙な空気がピーッと張りつめていました。

おそらくは30分ぐらい待ったあげく、マロニエ君もここまでくれば仕方がないと腹を括ってそれなりに料理に手を伸ばしましたから、いまさら自分だけは別だと言うつもりは毛頭ありませんけれども、でも、中には本当にすごい人達がいて、そのすごさをあれこれと目撃させられました。
人の本性が垣間見えるときというのは、可笑しさと恐怖が無秩序に交錯するものだというのがわかりました。

とはいうものの、結果的にひとり1500円で猛烈な満腹状態になったのですから、文句も言えませんね。
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続・皿交換

目の前で盛大におこなわれる皿交換は、悪いことではないかもしれませんが、同席者に一定の何かの感触を与えるという事実。

もちろんパフェなんかをちょっと一口ぐらいならどうということもありませんが、ある程度食べ進んだ皿をそのままドカッと交換するのは、どこか凄味があり、目の前でやられるとちょっとヒエッと思ってしまいます。

こう感じるのは、かねがねマロニエ君だけではないはずだと思っていましたが、この点を余人に確認したことはありませんでした。
そこであらためて友人などに折あるごとに聞いてみると、案の定、イヤでたまらない、あれはやめてほしい(中には笑える)という人が数人いましたね。しかも口々に待ってましたとばかりその事に関する、これまでにたまりにたまった不平不満をぶちまけはじめます。
夫婦でも「自分達は絶対しない!」と断言する人もいて、ははぁやっぱりなあと思いました。

特につらくなるのは、麺類や丼物、中にはカレーライスまでも食べている途中で器ごと交換する人達で、こういうことにめっぽう弱い友人のひとりは「カレーライスなんて、自分が食べていても途中で汚い感じに思えてくるのに、ましてや…」とガクガクしながら言っており、なるほどなあと納得しつつ笑えました。

これがもし欧米人あたりなら、どうせ彼らは公衆の面前で平気で抱き合うような民族性ですから、あるいはサマになるのかどうかわかりませんが、少なくとも日本人には向かないというか、それを目の前で見せられるのはできれば御免被りたいものです。

そもそも日本人は、むしろそういうことははしたない事として厳に慎む側の民族で、人前では内外(うちそと)の区別をつけるというけじめといいましょうか、分別あるメンタリティにこそ日本人の品性や美しさがあらわれているとマロニエ君は思うのです。
そんな日本人でも許せるとすれば、子供か、せいぜい二十歳前後までで、あとはちょっと…。

失笑なのは、絵になりそうな美男美女ならまだしも、むしろその逆の人達にかぎって街中でもことさらべたべたして歩いてみたり、こういう皿交換みたいな行為をやりたがるようで、何かそれが心理的な空白の埋め合わせであったり、精神的な取り戻しをしているのでは?とも思います。
もしかしたら、心理の奥底には、そういう行為を他者に見られているということに一種の満足を感じているのかもしれないというような気がしなくもありません。

だとすると皿交換も一種の心理的要因を含んだ行動ということになるのかもしれず、だからこそ見ているほうも「わっ」と思ってしまうのかもしれませんね。
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皿交換

「食べ方」に関する事は、意外に気にかかる場合があるものです。

この手のことは、あまり神経質になってはいけないのでつとめて大雑把な気分を維持するように心がけていますが、それでも、これだけはちょっと…と(内心で)ため息が出るものがあります。

よく夫婦やカップルなどで行われる行為で、互いに別の料理を注文しておいて、途中まで食べた皿をあるタイミングで互いに交換してその続きを食べるというものですが、あれは見る側としては、ちょっとなぁ…という感じです。
当人達にしてみれば、途中でチェンジすればお互い二度おいしいということかもしれまないし、さらには好き嫌いや量の調整もできるということか、はたまた気分的にそういう行為そのものを楽しんでいるのか…。

ご当人達は夫婦であれなんであれ、特定のカップルということで、世間もこれをごく自然なノープロブレムな行為として受け止め、周囲の目からも許容されているというふうに思っているのか、あるいはさりげない主張の要素を含んでいるのか、そこのところはよくわかりません。

しかし、同席者にとっては本人達が思っている以上に、ある種の抵抗感を覚えている人が多いことは事実のようです。

まあ、よほど若くて初々しい二人が可愛くやっていれば、まだいくらか絵にもなるというものですが、どっかりした中年以上のペアがこれを人前で堂々とやってしまうのは、他人にとってその光景はどうででょう…。

ときには夫婦親子兄弟が縦横無尽に食べ物をやったりとったりしているファミリーなどもいて、まあそれだけ仲が良くて結構だと云えばそれまでかもしれませんが、他人と同席する食事の席上でカップルがこれをやってしまうと、場合によっては抵抗感を喚起させるだけでなく、単純なマナーの点からいってもそうそう褒められたものではないような気がします。
この行為は、「する人達」と「しない人達」にハッキリと二分されていて、一種のクセとかというか生活習慣といえばそうなのかもしれません。しかし、こういう事を他人の面前でためらいもなく平然とやってのける人というのは、どちらかというと美意識とデリカシーに欠けるような気がします。

また、付き合ってまだ日も浅い、しかし決して年齢的には若くもないカップルなんかが、いきなり目の前でこんなことをやってくれるのもギョッとするものです。
それまで他人がやってるのをさんざん見せつけられて、よほど羨ましかったのか、今度は見られる番!とばかりにそれをやってみせるのが快感なのか…想像もあれこれと飛び回ります。

いっぽう熟年夫婦などにこれをやられると、こちらは内心で思わず固まってしまいますが、もはやそれが常態化しているのか、あらんかぎりのものがせわしく二度三度と往復することも珍しくなく、こっちは唖然としつつ、いつしか食欲まで減退してくるものです。
ご当人達は夫婦なんだから、そんなの普通でしょう!いちいち気にするほうがおかしい!…といった感覚なのかもしれませんが、あれは率直に言って、同席者はそうとう違和感があるのは事実です。
もちろん、気にならない人は一向に平気なのかもしれませんけれども、気になる人も決して少なくはないようです。

今どきは「人とお鍋をつつきたくない」という神経質な人さえ少なくないご時世ですが、食事中の皿交換も目の当たりにすると、変な覚悟みたいなものをさせられる気分です。
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クリスマスケーキ

マロニエ君にとってのクリスマスとは、宗教とは一切無縁、ただこの時期は甘いもの好きにとってはクリスマスケーキというものを年に一度、買ってきてパクパク食べる口実に過ぎません。

毎年あれこれのクリスマスケーキを買ってみるのですが、これという店が定まっているわけではありません。
というのも、値段ばかり高い有名店のそれを買う気などさらさらないし、自分の好みの点からも普通でコストパフォーマンスに優れたクリスマスケーキがいいのです。
小さいくせに無駄な小細工ばかりされたカッコだけのケーキなどまったく関心もなく、ひたすら白の生クリームとスポンジとイチゴによるごく基本的なケーキが食べたいわけで、そんな美味しさがあって、なおかつサイズも大きければ更に歓迎です。

その点で我が家の近くのケーキ店は、個人経営で、作りはいかにもオーソドックスで味も上々、一時期はこれで決まりだという感じで数年間は買い続けていたのですが、なんと経営者の健康上の理由でこれがもう買えなくなり、またしてもクリスマスケーキ選びは振り出しに戻りました。

さて、何年か前でしたが、コンビニなどで販売しているヤマザキかなにかのクリスマスケーキを買ってみたところ、これが思いのほか美味しかったし、実際にスーパーやパン屋などに行くと、クリスマスケーキの予約受付中というようなポスターがあちこちにあって、そのうちどれかを予約しようか…ぐらいに軽く考えていたところでした。

で、先週末だったと思いますが予約をすべくお店に行くと、なんとまだクリスマスには一週間もあるというのに、クリスマスケーキ関連のポスターや案内などが一切ありません。???
なんで?と思って店員に聞いてみると、すでにクリスマスケーキの「予約は終了しました」ということで、なんたることか!と思いました。試しに他店にも回りましたが、デパ地下に至るまで状況はまったく同じでした。

今どきは、たかだかクリスマスケーキを買うにも、おっとりした気分ではこれを手に入れることはできなくなり、ずいぶん前からしたたかに予約などを完了していなくてはいけないという、今どきの油断のならない仕組みがようやく呑み込めて、ああ…こんなことまで、出遅れちゃいけないというか、なんだかピリピリした世の中に年々加速していくような気がしました。

これはおそらく業者が申し合わせている事のようでもあり、可能な限り売れ残りを出さないために、大半を予約性にして徹底的に無駄の排除をしている結果だろうと想像します。よく売れ残ったケーキを25日過ぎると値引き販売するというような話がありましたが、あんな悠長なことはもうしないということなのか。
社会に蔓延する、いかにもゆとりの無いサマをまざまざと見せつけられるようでした。

そもそもマロニエ君はあの馬鹿のひとつ覚えのような「一日○○限定」とか「期間限定」「季節限定」というのが嫌いです。表向きは、まるで少ししかない、さもありがたいようなもののようなイメージですが、要は在庫や売れ残りを極力排除したいという、販売者側のリスク回避とエゴを美辞麗句に置き換えて、さらにはお客さんの心理を煽って積極的集中的に買わせようという、まさに売り手側の都合に塗り固められた一石二鳥の販売テクニックだろうと思います。

本当に年々世の中には余裕や潤いみたいなものが徹底的になくなっていくのをひしひしと感じます。
クリスマスケーキも、普通に食べられるなら嬉しいけれど、そのために何週間も前からせっせと予約しようなんて思わないし、そんなことにまで神経を張り巡らせるような行動はしたくはないのです。

たかだかクリスマスケーキ、それにふさわしい、自然なタイミングで買って、寒空の中を家に持ち帰るというあたりも情緒であったし、それもまた美味しさの一要素でもあったような気がします。

何事も、もう少しゆったり、自然に、楽しくいけないものでしょうか?
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強気の商売

店名はむろん書けませんが、マロニエ君の自宅からさほど遠くないところに、いつだったか、ある和風スイーツとでもいうべき店が新規開店していました。

甘いものもが好きなもので、あるとき前を通りかかったついでに何か買って帰ろうと思い立ち、偵察がてら店に入ったところ、商品を見るなり、そのあまりの強気な価格には驚きました。
絶対額こそ大したものではありませんが、たかだか○○○○のくせになにを勘違いしているの?と思われて、すっかり買う気が失せました。
自分で言うのもなんですが、こういうときのマロニエ君は遠慮はしない性格なので、一気にアホらしくなって何も買わずに店を後にして、いらい二度と入ったことはありません。
くだらん!という気分でした。

その後、知人や家人の友人など、様々な人の口からこの店のことを聞き及ぶに至りましたが、いずれもその勘違い価格に呆れているような話ばかりでしたが、中にはいったん入店した上は、買わないのも気が引けて一度だけしぶしぶ買って帰ったという人もいましたが、こうもみんながみんな同じ意見ではこの先やっていけるのかと思っていました。

なんでも地元の店ではないのだそうで、他県の老舗とやらが福岡に進出してきた店なのだそうですが、そのいかにも今どきの大衆の高級志向につけ込んだようなスタンスは、そういうものを有り難がらない気質のある福岡ではそう長続きはすまいと思っていたのですが、予想に反してそれからもしばらくはそこで踏ん張っていたようでした。

ところが、昨日その店の前をなにげなく車で通って異変に気付きました。
その店や看板はすべてなくなっていて、すでに別の店舗が営業をしていて、やっぱりなぁという感じでした。

こうなるについては相当赤字が続いたはずで、きっと経営者は苦しかったでしょうが、でもしかし、あれじゃ当然だろうと思ったのも正直なところです。
「高級」を打ち立てるのは容易いことではありませんし、中にはどうして?と思うような店が成功している例もなくはありませんが、やはり著しくピントのはずれているものはお客さんの支持が得られることはなく、やがて淘汰されていくのはやむを得ないと思います。

この廃業した店のすぐ近くには、これまたたいそう強気の商売をしているレストランもありますが、ここも聞くところによるといつまでもつかという意見もあって、内容的にもかなり驚くような話をたくさん聞きました。
マロニエ君は本能的に自分とは合わないと察知していたので、幸いまだここに行ったことはありませんが、それはそれはいろんな話題に事欠かないようです。それでもこういう店を有り難がって行く人がいるうちはいいのかもしれませんが、こんな世相の中、さてこの先どうなるのかという感じです。

行くとお客の方が店側から露骨に品定めされているのがわかるのだそうで、バブルの時代じゃあるまいし、もう少し普通にできないものかと思います。
ちなみに置いてあるピアノも世界のブランドのそれだそうで、はああという感じですね。

「普通に」などというと、何が普通なの?普通ってなに?だれが決めるの?というような問い返しをムキになってしてくる人がいますが、普通とは、その概念の説明をわざわざしなくても済むような尋常な平衡感覚をもった人の、地に足のついた自然な気分のことだろうと思います。
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アメリカ産牛肉

最近は円高のお陰もあるのでしょうが、ずいぶんと肉類の値段が安くなったように感じます。
とくに牛肉が安くなったように思うのですが、実際のところどうなんでしょう。

輸入肉から連動してのことなのか、国産牛もなんとなく以前より安くなっているような気がするのですが確かなことはわかりません。

さて、輸入牛肉なんて、昔はただの安物で、国産を高級品に押し上げるための肉といった印象がありましたが、あるころからこれに固有の美味しさがあることに気がつきました。
たぶんマロニエ君の記憶違いでなければ、1999年にオープンしたコストコホールセールで買うようになってらだと思うのですが、ここはアメリカの倉庫型ショップで、文字通り店内はアメリカそのもの。
牛肉などもごく一部を除いてほとんどがアメリカらの輸入品でした。

それ以前はオーストラリア産が主流でしたが、こちらは大したことなく、同じ輸入牛肉でもアメリカとの味の差は見過ごせないものがあると感じます。

これを痛感したのはコストコで販売されている、特大サイズの分厚いステーキなどで、はじめは日本人の習慣で硬さばかりを意識して、ゆっくり味わうところまでは至りませんでした。
その後、普通の国産牛のステーキなどを食べてみると、たしかに柔らかさは勝って食べやすいから味まで美味しいように感じていましたが、それでもコストコホールセールに行く度に、その気前の良い厚さや量など、買いたくなる誘惑に負けてアメリカ産牛肉も買ったりしているうちに、硬さの問題でつい見落としていた独特の美味しさがあることに気が付くようになりました。

いったんそれがわかると、その違いはより明確なものになりました。
アメリカ産にはそれ自体にいかにも牛肉らしい旨味があり、それとは対照的に味が薄いのがオージービーフだと思うようになりました。ここがもしかしたらあの飼料の違いなのかもしれませんが。
ともかく、味がいいから、今後はアメリカ産牛肉中心で行こうと思っていた矢先に、例の狂牛病問題が沸き起こり、一時は吉野家などでも大騒ぎとなって、せっかく気に入っていたアメリカ産牛肉の輸入が途絶えてしまいます。

それから数年が経って、最近ではようやくスーパーの店頭にもアメリカ産が復活してきているのは嬉しい限りです。
最近はときどきこれを食べますが、やはりアメリカ産にはカウボーイ的な野趣溢れる独特な肉の美味しさがあり、これは病みつきになります。

ところが日本人というのは、いったん刷り込まれたイメージというのは少々のことでは覆ることがありませんから、おそらくは90%以上の人が輸入肉はたんなる安物という先入観があって、あまりこれを好んで買おうとはしていないようです。
例の騒ぎの後遺症もあって、位置付けとしてはアメリカ産はオージービーフのさらに下で、国産を頂点にしたヒエラルキーが消費者の意識の中にしっかり出来上がっているような気がします。

国産牛の場合、我が家は最上級品なんて買いませんから、せいぜい中ぐらいのものと較べると、たしかに国産牛は味もそこそこで、食べやすい感じはあるものの、アメリカ産の独特のコクのあるワイルドな味に較べたら個人的には国産牛が味に関して上だとは言い切れない気がします。

先日など、スーパーでスライスしたアメリカ産の牛肉がかなり安く売られていましたが、そのスーパー自体が極端に変なモノは置いていないので、試しにこれを買ってみたところ、やっぱりあのアメリカ産独特の濃密な肉の味がありました。
牛肉はやっぱりこうじゃなくちゃと食べるたびに思ってしまいます。
少なくとも輸入ピアノと日本製ピアノの音色の違い以上のものがあるとマロニエ君は感じています。

アメリカ産は格下だと思い込んでいる方、いちど偏見を取り払ってアメリカ産牛肉特有の美味しさを味わってみてはいかが?
なによりも、安全性の面を最優先に心配される方には向かないかもしれませんが。
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無言の真剣勝負

行きつけの大きめのスーパーに、このひと月ぐらいのことでしょうか、精肉売り場の前にある大型の冷蔵ボックスみたいなところが、割引品を置く専用の場所となりました。

以前は、その時期毎に量販を目論む肉類とか、チラシ広告の品など、内容がいつも入れ替わる場所だったのですが、このところは通常の商品で、加工日が一日遅れたものがここに一斉に投下されるようになったのです。
そして値段はというと、この場所にあるものはすべて半額ですから、すぐに食べるものであれば加工日の一日遅れぐらい問題ではなく、それこそいろんなものがあるので、マロニエ君も何度か買ったことがあります。

ところが、この半額コーナーができてしばらく経った頃からある現象みたいなものが起こってきたことに気付きました。
たまたま買い物に来たら安いコーナーもあるから、そっちも覗いてみようかという流れではなく、あきらかにそこだけを目的にやってくる種族があらわれたようなのです。

この人達の態度というか動きというのが、どうにもマロニエ君は好みません。
まずそのコーナーの前に立ちはだかって、安くなった商品のあれこれをしらみつぶしに見て回り、他のお客さんもいるから場所も少しは遠慮するとか、人にも少し場所を譲らなくてはという気配などまったくナシ。
マロニエ君はこういう人と競い合うように商品を見るのがイヤなので、しばらく他を見たりして時間つぶししたりしていましたが、この人達はちょっとやそっとでは動く気配がありません。
まさに好きなだけこの場所と時間を占領していて、それ以外は一切シャットアウトといった感じです。

それでもちょっと人が途絶えたときにそこに行くと、いい歳をした女性がサッと近づいてきたかと思うと、人の前にいきなりグッと手を伸ばして、お肉の入ったパックを2つ3つをまさに奪い取るように、ものすごい勢いでとってしまいました。
べつにマロニエ君はそれを買うつもりでもなかったものの、その鬼気迫る動作は呆気にとられるものでした。

この女性、あとから気がついたのですが、そのいくつかのパックを全部お買い上げかと思いきや、そうではなくて2mほど離れた場所に移動しておいて、こんどはゆっくり時間をかけながら真剣な眼差しであれこれと見比べています。
しばらく経ったころ結論が出たのか、またこちらに近づいてきたと思うと、いらないものをポンとぞんざいにこちらの目の前に戻して去っていきました。
つまり買おうかなと思った物はとりあえずたくさん持ち去っておいて、場所を変えて一人でゆっくり選んだ後、要らないものだけをまた売り場に戻すという手法のようでした。そして、見るとその人の買い物かごの中には、赤い丸の半額と書かれたシールの貼られた肉類ばかりがたくさん入っていました。

しかしこの女性などはまだいいほうで、カートに乗せたかごからあふれんばかりにこの半額コーナーのものばかりを買っている開き直ったような人もいて、見ていてなんだかとてもやるせない気分になってしまいます。
もちろんマロニエ君だって、半額となれば魅力ですから、欲しいものがあれば買いますし得した気分にもなりますが、ものには限度というものがあるように思います。

まるで戦いのような真剣さで漁りまくる人のお陰で、その場になんともいえない張りつめた緊張感が生まれて、そうなるとこちらもつい焦ってしまう自分までがたいそう浅ましいようでイヤになってしまいます。

ここで勝負に身を投じている人達は一様に無言ですが、ほしいものをゲットするための高いテンションがピリピリしていて、はっきりいってコワイのです。
びっくりしたのは、それを小さな子供とお父さんがやや離れた場所からおとなしく見守っており、やがて戦利品を携えてお母さんはニコリともせずに二人のもとへ戻っていくのですが、まるで荒野の生存競争さながらです。

さて、昨日の夕方またそのスーパーに行ったら、すっかりそのコーナーはなくなっていました。
あの感じでは夕方まで商品が残っていないのか、あるいは店が側が廃止にしたのか、どちらかでしょうが、以前の落ち着きが戻っていて妙にホッとしました。
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ラミー

いつもくだらないことばかり書いているこのブログですが、さらにくだらないことを書きますと、マロニエ君はロッテのラミーチョコレートが子供のころから大好きで、それはこの歳になっても少しも変わっていないのには自分でも驚きます。

これはバッカスと並ぶロッテの長寿商品で、もちろんどこでも売っているのでご存じの方も多いと思いますが、チョコレートの中にラム酒につけ込んだレーズンが入っているアルコール入りチョコレートです。

これを生意気にも子供のころから食べているのですが、こんなものを食べ続けても、マロニエ君はついに酒好きにはならなかったのが不思議といえば不思議かもしれません。要するに酒好きになる前兆としてではなく、あくまでこのラミー単体が好きだったことが、成人して後もついに酒呑みにならなかったことで見事に証明されたようなものです。

このラミーはいわゆる季節限定商品で、毎年秋から翌年の春先まで販売されます。
つまり3月をもって、今期のラミー販売は終わりを告げたようで、店頭でも潮が引いたようにこれを見ることがなくなり、実になんともがっかりする季節です。これから約半年、ラミーなしの生活を送らなければいけないと思うと、たかだか市販のチョコレートなのに、なんだかとてもつまらなくて、心の中にポロンと空白が出来るような気にさせられます。

逆に、秋口になってラミーの濃いピンクのパッケージが店頭に出てくるのを見ると、いまだに思わず心が高ぶってしまいます。これまでに食べた数を想像すると、どう考えても何百というのは間違いなく、下手をすると千の大台に届いているかもと思われます。
こんなに長年、一途に同じ商品を好んで食べるとは、我ながらまったく、ロッテから表彰でもされたい気分です。

ラミーが販売されている季節はスーパーなどへ行ってもチョコレート売り場を素通りできず、つい覗いて、あの刺激的なピンクの箱のラミーがあると、どうしても1〜2個は買ってしまいます。

そんなに好きなら大量に買い置きでもしておけば良さそうなものですが、ラミーは実はある程度の鮮度がものをいう商品で、時間が経つと中のラムレーズンがしぼんで固くなってくるので、ジューシーな状態を味わうべく、常に3〜4個をストックしながら順次買い続けるという、長年の経験から編み出したパターンになってしまうのです。

マロニエ君にとって、ラミーは一種の中毒的常習的な存在かもしれず、もしかするとあの色っぽい刺激的なピンクのパッケージも罪な色なのかもしれません。
わかっていてあの箱を見ると、いまだに意識がハッとそっちに行ってしまいます。

まるで腐れ縁の女性に、いまだに誘惑され続けて、いいなりになっているみたいですね。
でもここ当分、そのラミー嬢ともしばしのお別れです。
また秋に!
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それなりのもの

マロニエ君は夜にスーパーで買い物をしたりするのですが、たまに日中も外に出たときには、ついでがあれば買い物まですることがあります。

このところ、どうも流行っているらしいのが、住宅街みたいなところに突然できる八百屋でしょうか。
古い民家やマンションの一階などを急ごしらえで八百屋にしたような、あれです。

昔なら八百屋は市場や商店街のような決まった場所にあったものですが、最近ではなんの脈絡もないような場所に、突如として産地直送のような店ができることが珍しくないようです。

お店はいろいろだろうとは思いますが、目につくのはやはり低価格をウリにしているらしいのが多く、どうやら店主が産地から直接買い付けてくる場合などもあるようです。

何度かこの手の店で買ってみたことがありますが、スーパーの野菜のように徹底して商品化されていないぶん、形もイマイチだったりしますが、べつに自宅で食べるについてはこれといった支障もないので、はじめは珍しさもあり、機会があればときどき買っていました。
しかし、安くて新鮮な野菜というイメージはすぐに崩れました。
スーパーで売っている野菜がいいとは決して言いませんが、やはり断然きれいだし、値段もほとんど大差ないことが判明するのにそう時間はかかりませんでした。

上記の八百屋はたしかに値段も安めになってはいますが、決して激安というわけでもなく、スーパー基準のやや安めという程度に過ぎません。しかも値段は品質に準ずるのは当然なので、あまりきれいでもない野菜となれば本当に安いとばかりも言えず、要するにそれなりのもの、妥当な価格だということです。
いや、もしかしたら、品質に対しては逆に割高ということもあるでしょう。

これが畑から直接持ってきたような、本当に新鮮で美味しい野菜なら見た目はイマイチでもその限りではありませんが、この手の八百屋は決してそうではなく、ただ単にスーパーで売っている商品より下の二級品という感じしかしないのです。
それでもそこそこお客さんが来ているのは、やはりなんとなく安くてお買い得のような「イメージ」があるからだろうと思われます。スーパーできちんと商品管理されたものにある意味で飽き飽きしている現代人は、こうしたいわばなつかしい素朴で野趣に溢れた売り方につい乗せられているのかもしれませんし、現にマロニエ君も何度かそんな気になって買ってみたわけです。

しかし、わざわざそんな店で買うメリットがないことに気付いたので、またスーパーに戻ってみると、やはりこのほうがはるかに品質も安定していて、値段も決して高くはないので、いらいあの手の八百屋で買うことはパッタリとなくなりました。

いっぽう、スーパーではなくプロが仕入れをするような店もあるのですが、たまにそっちに行くと、並んでいる野菜は質が高くて、なんときれいなことか!と思います。
値段はこれまたスーパーよりほんのちょっと高いぐらいですが、決して法外なものではありません。

要するに、品質を考慮すれば、これが一番お買い得だというのが我が家の結論で、家人もできるだけここで買うようになりました。もちろん利便性の点でスーパーには適いませんから、スーパーで買うこともしばしばですが、できれば野菜などはきれいなものを食べたいものです。

考えてみれば、あちこちに登場した名も知れない八百屋は、実はしっかりと現代の流通経路に沿って分類された相応の商品を、巧みに売りさばいているだけのことに思えてきました。
これもわずかな絶対額の差に一喜一憂するお客の心理を見事に突いた商法だろうと思います。

本当に安いというのは決して絶対額だけではないという当たり前あのことが痛感させられます。
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おせちは不味い

毎年この時期になると予約だなんだとうるさくなるのが「おせち料理」です。
新聞の広告やチラシにもおせちの写真が登場しはじめ、12月に入ればそれはさらにクレッシェンドしてくるはずで、マロニエ君などはあの鬱陶しい写真を見るだけでもうんざりしてしまいます。

だいたいやっと夏が終わったと思ったあたりのタイミングで、もうテレビなどは今年の御歳暮商戦スタートだのお年玉付き年賀ハガキの予約がどうのという言葉が聞こえはじめるのは、マロニエ君にいわせるとこれはもはや季節感というようなものではなく、ちょっとの間も人に休息を与えてくれないマスコミによって、次から次に人心を煽り立てられるような印象しかありません。

そのおせちですが、このところ受注数が下降線気味という話を聞いたのですが、当然だろうと思いました。
最大の理由はおしなべて見た目ばかりで美味しくないのと、不当に高いその価格でしょう。
どんなに有名店のものでも、要するに作ってからかなりの時間が経過し、冷めて固くなっているような料理は美味しいはずもなく、せっかく準備しても誰も食べないというような話は何度聞いたかしれません。

業者はこの時期だけの稼ぎ時とばかりに力を入れ、中には10万、20万といった信じられないようなものまで登場してきて、それをまたテレビなどが業者の片棒を担ぐようにニュースとして声高に紹介するので、一時期価格はどんどん上がりましたが、このところの不景気を反映してか、再び価格は押さえ気味になっているとか。

それでも家人がデパ地下などにいくと、早くもおせちのコーナーがあり注文を受けつける態勢ができているそうですが、だれも見向きもしない様子だったということでした。

マロニエ君の家でも昔は数回付き合いで買わされたことがありました。
各店には従業員に振り当てられたノルマがあって、それを達成するために知り合いなどに泣きついてくるわけです。
たまたま知り合いなどにこういう人がいると、そう無下にも断れず、お付き合いさせられたことがあったのを思い出します。
一度などある有名なホテルのおせちとやらで、それを頼み込まれて、しかたなくお付き合いで注文したところ、大晦日に恭しく届けられましたが、果たして中はとりたててどうということもなく、海老やいろんなものをあれこれ巻いたようなものが並べられているだけでした。どれも冷たくて固くて、はっきり言ってぜんぜん美味しくもなんともありませんでした。

だれも積極的に食べず、もったいないからという理由で無理して口にするのがせいぜいです。
これでも高い方ではなかったものの、それでも数万円はしたはずで、あんなものにそんなお金を使うぐらいなら、何回普通に美味しいものが食べられるか知れやしません。

だいたい季節に限定したものというのは、昔ならたしかに風情があってよかったと思いますが、現代ではそこに目を付けた業者の商魂まみれの汚い手がいやらしいほどに突っ込まれているので、そんなことならあんな悪習は止めてしまった方がいいような気がします。
あとひと月ちょっとですが、お正月なんて、お雑煮を食べてゆっくりできればそれでじゅうぶんです。
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鯛焼き

車でとある交差点を曲がっていると、いつもそこに鯛焼きのちょっとした有名店があるのが視野に入りました。
以前から存在だけは知っていたので一度買ってみようかと思いつつ、店は交差点のど真ん中で、車族のマロニエ君にとってはきわめて挑戦的な場所に位置する店でした。
交通量も多く、周辺はとうてい車が置けるような状況ではないのでずっと諦めていたところ、なんのことはない、少し先にこの店の駐車場があることがわかり、それではということでとりあえず買ってみることにしました。

マロニエ君は基本的に、博多では回転焼きといわれる甘味(一般的には今川焼き、太鼓焼きなどという丸形の鯛焼きの親戚みたいなもの)が好きなのですが、これが意外とどこにでもあるわけではなく、確実に買えるのは天神のデパ地下なのですが、これも人気があってしばしば行列になるのが甚だおもしろくありません。

東京から広がったと思われる卑しき文化のような行列というのがマロニエ君は心底嫌いで、ホロヴィッツのコンサートのチケットとでもいうのならともかく、たかだかちょっとした食べ物を買うのに、いちいち時間を使って行列に堪え忍ぶという自虐行為がどうにも馴染まず、行列を見たら反射的にパッと避けてしまいます。

ところが人によっては行列を見ると逆に並ばずにはいられないという御仁もいらっしゃるというのですから、いやはや世の中いろいろです。
長い行列の場合、それが果たしてなんのための行列かもわからないまま、ともかく最後尾に並んでおいて、しかる後にその行き着く先がなんであるかを探って確認するというのですから、ここまでくればあっぱれですね。

さて、ついに買ってみたその鯛焼きですが、家に持ち帰ってさっそく食べてみたところ、多少時間が経っていたということはあるにせよ、あまりにも外側がガチガチに固くて、なんじゃこりゃ?と思いました。
なんとか一口食いちぎっても、固いのでなかなか喉を通らず、お茶をのみながらやっと一個を食べおおせました。

中の白あんも雑でモサモサしていて、マロニエ君的にはぜんぜん美味しいとは思えず、なんであんな店が有名店なのかまるでわけがわかりません。
実はこの店もしょっちゅう歩道に人が行列しているので、味はそれなりかと思っていたのですが、到底納得しかねるものでした。
おまけに固くてやみくもにアンコを噛んで食べたせいか、しばらくのあいだ糖分で奥歯が痛くなるほどで、えらく損をした気分になってしまいました。

友人に言うと「文句の電話でもしたら?」といいますが、いかなマロニエ君でもまさかそこまでしようとは思いません。ただし、行列はいよいよ当てにはならないと思い定めた次第です。
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スイーツ通り

我が家のご近所には、このところ2つの甘い物の店が立て続けにオープンしたことで、以前からある店を含めると4つの甘い物の店が軒を並べることになりました。

いまさら店名を伏せる必要もないので書きますと、チョコレートの「カカオロマンス」、洋菓子の「浄水ロマン」、さらには最近オープンしたゼリーの専門店らしい「ROKUMEIKAN」、和菓子の「源吉兆庵」で、期せずして4店が横一列に連なる配列となりました。

マロニエ君は酒は飲まずの甘い物好きですから、環境的には嬉しいような気もしますが、実はこのうち洋菓子以外はあまり行かない店ばかりです。「ROKUMEIKAN」は銀座に本店があるゼリーの専門店らしいのですが、わざわざゼリーを買いに行こうとは思わないし、「源吉兆庵」はデパ地下ではおなじみのブランド和菓子です。

本音を言うとご近所に欲しいのは、こんな進物専用みたいな店ではなく、もっと安くて日常性のあるお店ができてくれることを望んでいるのですが、なかなかそうはならないものですね。

洋菓子店だけはいくつできても歓迎ですが、あとはできれば蜂楽饅頭の店とか、パン屋のたぐいが増えてくれるといいのにと思います。チョコレートは好きで昔はここでよく買っていましたが、ゴディバの台頭いらい値段もどんどん上がり、一粒の値段を考えるとあまりにもバカらしくて買う気もなくなりました。

「源吉兆庵」は進物でいただいたものは何度か食べましたが、マロニエ君の好みではなく特にどうとも思いませんし、これまた普段のおやつという感じではないのであまり行かないでしょうね。

それとこれらの新規オープン2店はマロニエ君にとって決定的な問題点があります。
それはいずれも駐車場がないこと。

我が家の位置を知っている人なら、駐車場の有無を言うなんてさぞ驚くでしょうが、これがダメなのです。
たぶん徒歩で2〜3分で、それをわざわざ車で行くなんて、大半の人は目が点になるでしょうが、マロニエ君としては店の前にパッと車を置けないと、それだけで行く気がしないのです。

こんな調子で長年生きてきましたから、たぶん変えられないと思います。
こんな悪いクセも、酒やタバコに溺れるよりは多少はいいかなと自分だけ思っているわけですが。
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笑顔の記憶

お食事リンクにあるハシダ洋菓子店は、数ある洋菓子店の中でも、独特のお店だったと思います。
時代の波で、洋菓子店といっても次々に新しいものや変化が押し寄せてくる中で、ハシダ洋菓子店は小さいけれども決してスタイルを変えない店で、ここに行くとマロニエ君が子供だった頃そのままの、まさに昭和の時計が止まったまんまといった風情でした。

この店は老いたご夫婦でやっていて、作っているのは頑固一徹のような職人肌のご主人で、普段は店の奥で黙々と仕事をしていて、お客さんともまずほとんど口をききません。ごくまれに接触しても、その無愛想なことといったらありませんでした。

そんなご主人とは対照的に、小柄な奥さんはいつもエプロン姿で店頭に立ち、いついかなるときにも例外なくこぼれんばかりの笑顔で接客していましたから、この店のイメージはそのまま奥さんのイメージでもあり、とびきりの笑顔と丁寧な接客で成り立っているのは、この店を知る人ならみんな知っているはずです。
常連さんだけでなく、はじめてこの店を訪れた人でも、この奥さんの笑顔と接客姿勢は強く印象に残るものだったようです。

ケーキの種類なども決して豊富ではなく、中にはどう見ても時代遅れなものもありました。
それでもいくつか好きなものがあり、おまけに休みもなく、いつでも夜遅くまで確実に開いているので、考えてみるともうずいぶん長いこと、ふっと思い出しては買いに行っていました。
中でも、クリスマスなどのデコレーションケーキは、生クリームとスポンジという基本形なので、そこはご主人のベーシックな製法が功を奏して、とても美味しく、そのうえに安いので毎年注文するのが我が家の慣わしでした。

それが数日前に会った知人から、思いがけない話を聞かされ大変なショックを受けました。
店の看板ともいうべきあの奥さんがつい最近、病気で亡くなったとのこと。
それを追いかけるようにご主人も同じ病気になり、ついに店はシャッターを降ろしたという話でした。

マロニエ君の意識の中では、未来永劫あの店はあそこにあるものと思っていただけに本当に驚かされました。
昨日、気になって店の前を通ってみたら、なるほど昼間だというのにシャッターが降りていて、小さな張り紙がしてありました。
…長いこと、本当にお疲れ様でした。
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玄人素人

お食事リンクにも紹介している店の中で、中田中という店がありますが、ここの基本スタイルはどうやら最近のしずかな流行でもあるようです。
基本的には定食なのですが、メインとなるおかずはメニューの中からお客さんが好きなものを二品選ぶというスタイル。
中田中はメニューも豊富で、安くて美味しいから、昼夜を問わずお客さんが絶えず出入りする大変な人気店で、三台ある駐車スペースもほぼいつも塞がっている状態です。

すると友人が別の店を探してきて、そこに行ってみることになりました。
そこは女性が二人でやっている店らしく、なるほど形体としては中田中と同じで、やはりここも二品を選択します。
しかし出てきたものは中田中とは較べものにならないもので、がっかりしました。
不味くて食べられないというようなことはないけれど、いわゆるシロウトの料理で、なんだか他人の家の晩御飯を食べさせられているようでした。

それでも、ここはここで、疲れたサラリーマンのような人がつぎつぎにやってくるのはびっくり。
しかし、この店はマロニエ君としてはお食事リンクには出せません。

マロニエ君のような反抗的な人間は、いわゆる行列が出来るような店というのは感覚的に好きではないのですが、でもやっぱり人気店というのはそれだけのことはあるのだなあとは思いました。
そしてプロならではの、パッとあざやかな仕事というのはなんであれ良いものです。

食べ物に限らず、世の中にはシロウトの駄作を味わいであるかのように褒め称え、珍重する一派もありますが、マロニエ君はあれが大嫌いです。
シロウトの仕事は技巧がなく、あいまいで、暗くて、不恰好で、詰めが甘くて、苦労が滲み出ていて、独特のクセがあって、生理的に受けつけません。
だから音楽も基本的にシロウトの演奏は嫌いです(仲間内の遊びは別ですが)。
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店内は昭和

今日はちょっとした冒険をしました。
以前から前を通って気になっていた店に行ってみたくなり、一人ではもちろん嫌なので友人を連れ出しました。
南区清水にあるハローコーヒーという店です。
パッと見はいかにも古臭い、いまどきもうあまり見かけないセンスの派手な喫茶店という感じですが、店自体が結構大きいので、いつ通っても、妙に存在感があってとても目立つ感じだったのです。
それと気にかかっていたもうひとつの理由は、いつもお客さんが結構来ているみたいで、深夜でも必ず何台か車が止まっていましたので、それなりの人気があるのだろうという気がしていたのです。

というわけで、まさに冒険開始!ついにその店のドアを開けました。

店内はだらんとした茶色基調のある程度想像通りの雑然とした雰囲気で、一言でいうと古いのです。
まさにそこは「昭和」という感じで、あえてそれをウリにしているのだろうと思います。
まだ山口百恵あたりが現役で、携帯やパソコンなんて無い時代にタイムスリップしたようでした。

メニューを見ると、基本はコーヒー店であるのは間違いないのですが、それよりもはるかに豊富で色とりどりに目に飛び込んでくるのが食事のメニューでした。
内容は、主にハンバーグ、海老フライ、ステーキ、ピラフ等々…昔懐かしい「日本の洋食」という世界といえばいいでしょうか。その手のメニューがざくざくあって、選ぶのが大変です。

とりあえずハンバーグとポークのソテーが組み合わせられた料理を注文しましたが、だいたいどれを頼んでもスープとライスがセットになっているようです。
カウンターの脇にスープとライスとコーヒーのセルフサービスのコーナーがあり、注文した品々はここで好きなだけ自由に取っていいらしく、こういうところは結構豪快です。

果たして味は、これも想像通りといいますか、とくべつ美味しくてガッツポーズ!というほどでもなければ、不味くてがっかりということでもない、そんな感じの味でした。それでもハンバーグはこの店の自慢のようで、ちょっとした美味しさは伝わりました。

驚いたのは、決して大入り満員というわけではないものの、次から次へと確実にお客さんがやってくることで、今どきのファミレスとは一味違うこの店は、静かなファンを獲得しているようでした。

食後にコーヒーとシフォンケーキのセットを注文しましたが、なにもかも自前で作っているという感じでした。
デザートなしなら、千円以内で満腹できるメニューが大半です。
「お食事リンク」に追加しておきますので、みなさんもお気が向いたら覚悟の上でどうぞ。
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魔の回転寿司

今どき全国どこでも同じでしょうが、マロニエ君の暮らす福岡市とその周辺部でも、回転寿司の熾烈な戦いが繰り広げられているようです。
福岡の場合の印象で言うと、まずは郊外に出店。そこで足場を固め、認知と人気を得て成功すると次々に店舗が増えて、だんだん市内寄りに本格的に進出してくる、そんなパターンである気がします。

マロニエ君も数件の店に行くうちに、次第に自分の好みの店が定まり、今では浮気をするつもりもないほど気に行った店が見つかっています。まあ店の名前を書くのは遠慮しておきますが。

最も大手というか有名な「スシロー」や「かっぱ寿司」なども行きましたが、どうせ機械が作っている回転寿司でも、やっぱり店によって味もセンスもずいぶん違うことに驚きます。
マロニエ君の場合、普通の軽食やファミレスならだいたいなんでも妥協できますが、生の海産物であるお寿司だけは、自分の好みでない店では絶対に食べたくありません。
美味しくないお寿司というのは、ほんとうに耐えられません。

昨日、久しぶりにお気に入りの回転寿司に行ったところ、なんだかこれまでとは様子が違う気がしたと思ったら、いつのまにか各テーブルの上には注文用のタッチパネルが新設され、さらには、大手チェーン店で子供に人気という「新幹線」のレールが回転台の少し上に取り付けられています。

そういえばここのすぐ近くに、このシステムの元祖店がつい最近進出して、しかもかなり人目を引く大型店であるために、やむを得ず同等の設備を追加したんでしょう。
マロニエ君はあのタッチパネルで注文ってのが嫌いだったのですが、仕方がないのでパネルをピッピッと押しますが、画面を変えたり注文の数や確定など、面倒くさい上にけっこう集中しなくてはならず、エネルギーを使います。
とりわけパネルを押す右手は空中に上げっぱなしで、気がついたときには肩が凝るし腕はガクガクしています。

次々に注文の確定をするうちに、音もなく注文品が新幹線で届けられます。
荷を降ろしてボタンを押すと空の車体はサッと帰っていきます。そのおもちゃっぽくも滑らかな感じはまるでリニアモーターカーのようで、くやしいけれどちょっと楽しくなりました。
操作も少し慣れてくると、次から次にホイホイ注文を出しては食べ、食べてはまたパネル操作に没頭し、まるでこれが何か一つの仕事というか行動目的を与えられたような熱中状態です。
いつのまにやら画面という画面を片っぱしから繰り出しては注文すべき品をせっせと探し出すことに意識が偏り、自分の腹加減など二の次で、ハッと気がついたときにはもう満腹。それでも忘れたころに新幹線は次から次に走ってきては、目の前に停車し、そこには「頼んだはず」の品が容赦なく乗っています。

結局、普通に注文したらまず頼まないような数と種類を注文してしまっており、こんなバカがいるから、店側もこういうシステムを作るのだという意味がわかりました。
パネルを押すだけだから、注文も安易なら全体量の把握もおろそかになるんでしょうね。
責任とって食べるのも必死でした。
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トホホ

昨夜は友人数名が集まり食事会をしました。
わけあってこのメンバーの時はだいたい居酒屋のようなところになります。
通されたのは小さな小部屋のようなところで、他のお客さんに煩わされることがなく、ゆっくり話をするのには最適な状況でした。
そのせいで会話は思う存分堪能できたのですが、こういうスタイルの店はどこも同じで、アルコールがダメなマロニエ君にはどれもがつまみ食いばかりのような感覚になります。
いつも結局、何を食べたのか自分でもよくわからないまま終わりとなります。
その時はお茶などを併せ飲んで表面的には満腹していても、実際きっちり食べていないので帰宅するとお腹がすいて、いつものように夜食を余儀なくされました。

やはりこういうことは、長年自分が過ごしてきた生活パターンからくるのだと思いますが、馴れないものはいつまで経っても馴れないというか、むしろ歳をとるほど順応性がなくなるようです。
マロニエ君にとっての食事とは、親子連れでいくような店のことを指すのかもしれません。

きのうもマロニエ君はどうせ呑まないので車で行ったのですが、店の前にあるタワーパーキングにとめていたところ、気がついたときには出庫時間を過ぎており、もはや打つ手がなくタクシーで帰宅。
今日の午前中、友人に送ってもらって車をとってきましたが、そこの駐車場ときたら、あんな歓楽街で駐車場業をしているくせに23時で閉鎖して、なおかつ深夜料金も泊まり料金も設定がなく、そのまま計16時間分の駐車料金を取られて帰って来ました。
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2010年1月8日 (金) インドカレー

時たま車で通る道にインドカレーのお店があって、通るたびに気になっていたので、思い切って行ってみました。

マロニエ君は未知のお店に入ってみるのがあまり好きじゃありません。
せっかくの食事でがっかりしたくないからです。
だから食べ物屋さんの開拓には非常に消極的なほうだと自分で思いますが、今回は挑戦的になりました。

結果は大成功でした。
カレーも美味しいし、とりわけ印象に残ったのはフワフワで厚みのあるナンでした。
量もたっぷりあり値段もリーズナブルでまた行こうと思います。お店の人は全員がインド人男性でした。
http://www.good-job-115.info/tama’s-room/f-milan/index.html
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