アンプがすごい

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

お正月の過ごし方というのはさまざまで、マロニエ君はいつも通りだらだら過ごすだけ。

年末に、久しぶりに中華デジアンプの新しいのを買いました。
ふだん音楽を聴くのは深夜に集中できることもあり、自室で聴くのがいつのまにか自分のスタイルになりました。

自室でオーディオを鳴らす機材は、かなり苦労して作った筒型スピーカー、中華デジタルアンプ、ホームセンターで買ったDVDプレーヤーをCDプレーヤー代わりに使うという、およそ高級品とは真逆の寄せ集めなのですが、これが自分でいうのも何ですがなかなかに良い音で心地よく、いつか高級機を買いたいというような考えは微塵もありません。

階下のリビングには、タンノイやヤマハのNS-1000といったスピーカーに、アンプもン十年前に買ったヤマハの当時かなり高額だったアンプがあり、これはパワーアンプとコントロールアンプに分かれている、ひどく大げさなシロモノです。
パワーアンプに至ってはひとりで持ち上げようとすればまず腰を痛めてしまいそうなほど重く、ちょっと音を出すにもアンプだけで2箇所もスイッチを入れなくてはいけないなど、音が出るまでの手間も大変です。

昔はこういうもので喜々として聴いていましたが、だんだん流行らなくなったのはみなさんご承知の通り。
それでも聴いてみれば、音にはゆったりと余裕がありパワーがあって、これはこれで迫力のサウンドではありましたが、数年前からコントロールアンプの左右出力のバランスがおかしくなり、不調はあきらかでした。

修理に出そうにもいろいろなケーブルなんかがたくさん繋がっているし、外すのも面倒で、そんなこんなでいよいよ自室で聴くというスタイルへと傾いていったのです。
それから数年。
まあ、そのまま使わなければアンプはもちろん、ほとんど家具みたいなスピーカーもただの粗大ゴミとなるだけで、これが一番もったいないのだからやはり修理に出そうかと思いながら、ふと中華アンプのことが頭をよぎりました。

中華アンプは一般の電気店などでは売っていませんが、ネット上にはその専門店などもあり、その「安くて高性能」はすごいんです。
値段はれっきとしたアンプにもかかわらず数千円!が中心で、一万円を超えるものはめったにありません。

これまでに自作のスピーカー用として10台近く買いましたが、どれも呆れるばかりの高性能で、一度この味を覚えると、よほどのオーディオマニアか音の求道者でないかぎり「これでなんの文句があるの!」となってしまいます。
それでも以前は15~30Wぐらいのパワーのものが中心だったため、リビングのスピーカーには明らかに力不足で、すごい性能ではあるものの、所詮は小さいスピーカー用という認識になりました。

でもそれから数年は経っているし、あらためて調べてみると案の定ハイパワー仕様のものも多数出てきており、かといって価格はあいかわらずの低価格維持で、ものは試しと思って「160Wハイパワーデジタルアンプ」というのを購入しました。
ブランドはこの世界では定評あるFX-AUDIO。

どでかいヤマハのアンプからスピーカーコードなどを外して、筆箱ぐらいの小さなアンプに繋ぎます。
いっちょまえにゲイン調整などもついていますが、あまりにも小さくて軽いので、ちょっと触るだけでいちいち動いてしまうほど。

さて、いよいよ音を出してみたら「うわっ、なにこれ!」というほどビシッとした音がスピーカーから鳴り響きました。
強いて言えば音の柔らかさという点がイマイチかもしれないけれど、とにかくものすごいパワーでズンズン鳴るし、しかもクリアな音質。
こんなものがあれば、そりゃあ電気店のオーディオコーナーも年々縮小されるのもわかります。

ヤマハのアンプはン十年前にン十万円出して買ったもので、見た目も立派ですが、この小さな中華アンプはたったの5000円。
こんな安くてちっちゃなデジアンプでもエイジングは必要らしいので、しばらく鳴らしていたらどこまで成長するのか、もう恐ろしくさえなります。

まさかと思われる方は、「中華アンプ」「中華デジアンプ」で検索したらいろいろ出てきますので、ぜひお試しを。
ちなみにマロニエ君が今回買ったのは、いちおうこの世界で有名なFX-AUDIOのFX-98Eというモデルです。

いぜん、調律師の方にひとつ差し上げたら、やはりびっくり仰天で大喜びしていただきました。
あんまり良く鳴るので、今年はこちらでも音楽を聴く機会が増えそうです。
続きを読む

これでいいのだ

大型電気店といっても、昔のように純粋に音楽用のオーディオ売り場が堂々と店内に陣取っているわけではないのが当節で、むしろこれがない店舗のほうが多数派のようです。
とりあえずDALIの取り扱いのある店を調べ、聴いてみたいCDをいくつか選び、いざ出発。

ネットでずいぶん読んだのは高い評価がほとんどでしたから、さぁどれ程すばらしい音だろうかと期待を胸に売り場に行くと、危惧していた以上にそこは雑音と喧噪に満ちた環境で、早々に怖じ気づいてしまいました。

こんな中でスピーカーの微妙な特徴とか良し悪しがわかるとも思えなくなりましたが、さりとて他に試す場所があるわけでもありません。

せっかく足を運んだことでもあり、仕方がないのでとりあえず聴いてみるしかないと覚悟を決め、お店の人に来意を告げると、快く持参したCDを鳴らしてくれました。

壁一面には40種ほどの小型スピーカーがぎっしり並んでおり、目指すスピーカーの番号をボタンで押しました。…が、やはり周りの雑音がじゃまをしていまいち判断できません。
お店の人はすぐに立ち去りましたので、「あとはご自由に」ということだと解釈して、ボリュームも好き勝手に調整しながらあれこれのスピーカーを試しました。

たしかにDALIのスピーカーは相対的に悪くないとは思うけれど、スピーカーの判断基準などもわかりませんし、もっぱら自分の好みだけが頼りです。
その好みで云うと、わざわざ何万も出して買う価値があるだろうか…というのが率直な印象でした。(もちろんこの試聴環境の中では繊細さなど、伝わらなかった面も大いにあろうかとは思いますから断定はできませんが。)

もうひとつの理由は、どのスピーカーも通常の箱形スピーカーなので指向性があり、音がこっちめがけて向かってくるわけですが、無指向型に身体が慣れて、それがどうも嫌になってしまっている自分に、ようやくこのとき気がつきました。30分以上聴いたところでひとまずおいとますることに。

福岡には、なんでも全国のオーディオマニアの間で知られた有名店があるようで、なんと自宅から車で5分ほどの距離であること、さらに、そこではこのDALIにこの店独自のカスタマイズをしたスペシャル仕様まで販売していることも、ごく最近知りました。

価格もそれほどでもないので、いよいよとなればここに行ってみようかとも思いつつ、オーディオマニア御用達の店など、門外漢のマロニエ君には敷居が高くて入店するのはどうにも気が進みません。あげくにそれを中国製デジタルアンプとポータブルプレーヤーに繋ぐなんて云おうものならどんなことになるやら…と思うとさらに気が重くなります。

電気店の帰りに、このお店の前を車で通ってみると、見るからに一見さんお断り的な、用のない人は近づくことすら拒絶しているような雰囲気でした。建物の多くは分厚い壁に覆われていて、中の様子はまったく窺い知ることはできません。唯一、細長いガラス戸と灯りがあるのみ。少なくとも気軽に入れる店ではないことはわかりました。

…。
帰宅して、食事をして、自室に戻ってアンプをONにし、電気店であれこれのスピーカーで聴いたフーガの技法を自作のスピーカーを鳴らしてみると、やっぱり悪くないなぁというのが偽らざるところでした。
音質はともかく、やはり円筒形の無指向型スピーカーから出てくる、やさしい自然な音の広がりによる快適さは、極端にいうなら何時間でも聴いていられるもので、一度これを耳が覚えるとなかなか脱することはできないようです。

かくして、しばらくはまたこのスピーカーで音楽を聴いていくことになりそうです。
続きを読む

これでいいのか

マロニエ君は人一倍音楽やピアノが好きなのに、オーディオにはさっぱり凝らないことは自分でも不思議ですが、興味が薄いものはしかたがありません。

メインのオーディオはずいぶん昔に買い揃えたもので、そのときに一応それなりのものを揃えて満足しており、それ以上、あれこれと手をかけようとも思いません。

それどころでないのが、もっぱら自室で聴いている装置です。
スピーカーは自作の円筒形スピーカーで、アンプは中国製のデジタルアンプ、CDプレーヤーに至っては長らくDVDプレーヤーを繋いで聴いていましたが、これがあまりの酷使で壊れてしまい、現在は丸いポータブルプレーヤーに変わっています。

まるでハチャメチャな取り合わせで、どんな酷い音かと思われそうですが、自分ではそれほど悪いとも思っていません。部屋の広さにも合っているし、ここで以前使っていたそこそこのヤマハのミニコンポよりも遥かに好ましい音だと勝手に思い、これに切り替えて既に2年ほどが経ちました。

メインの真っ当な装置で再生するのとは小さくない差があるものの、自分ではそれなりに気に入ってはいるので、これはこれで良しとしていましたが、最近はDALIなどのコストパフォーマンスに優れた評価の高いスピーカーがあるようで、これがちょっと気になりだしたのです。

それに、多くの音楽を聴くのが自作スピーカーとあっては、さすがに演奏者や製作者の方々にもなんだか申し訳ないような気がしないでもないし、一度ここらで一定の評価のあるスピーカーを揃えてみても良いだろうという考えが芽生えてきたのです。
スピーカーは直接音を出す機材で、ピアノでいえば響板に相当するところでしょうから、これが自作というのはそれなりに気に入っているなどとは云ってみても、やはり心もとないことも否定できません。

今はこれに耳が慣れているけれど、たまには同じ環境の中で普通のスピーカーを聴いて、感覚をリセットしておいたほうがいいような気がしてきたのです。
そのためにもDALIの高評価を得ているスピーカーあたりなら決して高いものではないし、いちおう買っておくことが意味のあることのようにも思われます。

DALIもいいけれど、その前に、とりあえず普通のスピーカーを一度聴いてみようと思いました。しかし、すでにヤマハのミニコンポは別所に移動してしまっていて、おいそれと元に戻すことはできなくなっています。

そこで、今は使っていないaiwaの小型スピーカーを引っぱりだしてひとまず繋いでみることにしました。しかしスピーカーコードなどは大掃除の折に処分してしまっており、やむを得ずホームセンターに行って切り売りのコードを買って来ました。

普通のコードでもそこそこのオーディオなら充分役立つし、むしろこちらを好むマニアの方もいらっしゃるようで、最近では商品タグにも「オーディオにも使用可能」ということが付記されています。なにより安いし、急場はこれに限ります。

というわけで久々に普通のスピーカーを鳴らしてみましたが、そこから出てきた音は、予想に反してとても耳に障る音質で、咄嗟に「これはお話にならない」と思いました。
昔ずいぶん使ったスピーカーであるだけに、こんなものを使っていたのかと思うと、昔の自分にゾッとするようで、もうその勢いでこのスピーカーを捨てたくなりました。

もっとも嫌悪した点は、音が耳の奥というか頭の中心に突き刺さってくるようで、これは聴くなり大変ショックでしたし、 さらにものの10分ぐらいで本当に頭が痛くなってくるようでした。

やはり変な事をせずに、さっさとDALIの人気モデルを試してみるしかないと、大型電気店に出向く決心がつきました。

─続く─
続きを読む

アンプの重要性

スピーカーの音質調整は、カーペット上に置いていた足の部分に、ステンレス製バット→素焼きレンガ→タイルと3種類を台座として使ってみたところ、素焼きレンガ+タイルというところで最も好ましい音となり、これをもって終わりとする予定でしたが、ひとつだけ思い出したことがありました。

それはこのシステムでは安い中国製デジタルアンプを使っているのですが、いかにデジタルとはいってもメーカーごとにいろいろあって、自室で使っているものは最もその標準的なモデルとされるものでした。一時期いい気になって何台か購入して持っているのに、これをあれこれ試して比較してみるということはしていなかったのです。
とくに深い理由はなく、ただ面倒臭いからやっていなかったわけで、そのあたりがやっぱりにわかマニアはダメだなあと自分の無精を恥じ入るばかり。

そこで、最も交換してみたいひとつのアンプを思い出しました。
それはLepaiというメーカーで、数ある中国製デジタルアンプの中でも、実力はあるものの、見栄えがイマイチで、なんとなく物置の中にしまったままにしていたものですが、それを引っ張り出しました。

このLepaiのアンプは、複数の業者によってアマゾンなどでも売られていますが、マロニエ君が買ったのは日本のある販売会社が自社仕様として独自のパーツを組み込ませるなど、特別にチューニングされたという製品で、見た目はまったく同じものですが、内容はずいぶん磨きがかけられているというもの。
この会社は一部のマニア間ではかなり高い評価を得ているようです。

さっそくにそれに繋いでみると、なんと、これまでのアンプとはまったく違ったパワフルな鳴り方をしはじめたのにはただびっくり!「そうか、まずはアンプを試してみるべきだったんだ」とこの時悟りましたが、ともかくこれでグッと力強い音が鳴り始めました。
ちなみにワット数が大きいというようなことはほとんどなく、やはり肝心のものは慎重に選ばなくてはいけないということのようです。

アンプでこうも違うのかと思い、久しぶりにネットを見てみると、そのお店から同じ製品のさらなる進化型というか、最終型のようなものが発売されていました。このお店の商品は、みんなが狙っているアイテムは入荷したときにすみやかに買っておかないと、悠長に構えているとすぐに売り切れとなり、次はいつになるかまったくわからないことが何度かあり、その経験からすぐに注文してしまいました。

こうして数日後に届いた最新型は、やはりダサい外観はまったく何一つ変化ナシで、うっかりすると新旧どっちやらわからなくなるので、用心のために小さなシールを貼り付けて区別します。
果たしてその音ですが、一年前に買ったものとは明らかに違っていて、力強さはそのままに、やや荒削りなところのあった音は俄然クリアになり、とても同じものとは思えない進化を遂げていました。

前のモデルでも、巷の評価では数十万もするアンプに負けないというような評判もあったぐらいでしたが、今回のものは、いっそう緻密でクオリティの高い音になっていて、その価格を考えると、なんでこんなことが可能なのか、ほとんど信じられません。

説明によれば、さらなる改良が施され、同型では過去最高の音質を達成できたと謳われていますが、まったくその通りでした。同じピアノでも調整次第で別物になるというのと同じことなんだと思いました。
よい音というものは、楽器であれオーディオであれ、要するに緻密な研究や調整の積み重ねの先にはじめて存在し得るものだということがわかったような気がしています。

コストパフォーマンスでこれを凌駕するアンプはたぶんどこにもないだろうと思います。
続きを読む

音質調整その後

スピーカーの音質改良で「試行錯誤のアリ地獄にはまるのはイヤなので」と書いた通り、あと一回だけのつもりで、表面が平滑なタイルを探していたところ、ある店でまさにドンピシャリのサイズのイタリア製タイルというのを見つけました。

イタリア製などと云うとさも特別なもののようですが、無地のなんということもないもので、価格も一枚100円ほどにすぎません。

これを素焼きレンガの上に置くつもりですが、レンガとタイルでは接触面が均一にならずに斑な点で接触してしまうことを避けるべく、柔軟性のある滑り止めシートを間に挟んで重ねました。
果たして結果は上々で、これまでで一番良い結果が出たように感じますが、かといって劇的変化といえるものでもなく、心もち変わったなぁ…ぐらいの変化ではありました。

これまでにやってみた経過としては、まずカーペットに直接置いていたときに較べて、ステンレス製バットを置くと音にやや明晰さが加わります。次いで素焼きレンガに換えると一転して音がかなりこもってしまいこれは大きな変化で、カーペット以上のこもりだったことに驚きました。
逆に云えば、素焼きレンガはかなり強力な吸音効果があるようで、これは防音対策などで上手く使えば有効かもしれません。

これはまずいというわけで、レンガの上に再びステンレス製バットを置くと、とりあえず以前の明晰さは復活します。
さらにステンレス製バットをタイルに換えてみると、明晰さという点では似たようなものですが、強いて云うなら音に落ち着きと重心が加わり、響きの安定感が増しました。

音質そのものはスピーカーが変わったわけではないのでそれほど変化するわけでもないのは当然ですが、やはり土台がしっかりしたぶん、響きに腰がすわったというか、例えばピアノなどでは、音そのものもさることながら、音が出た後にふわっと漂うホールの残響などに明瞭さがでたように感じます。

人間とはおかしなもので、こういうことをせっせとやっていると、わずかなことでも自分の労力が加わっているぶん、それを報われたいという思いが判断を甘くするのか、なにやら変わったような気がしてくるもので、多少の贔屓目ではあるかもしれません。
そういう意味では気のせいかもしれませんが、ま、これぞまさしく誰に迷惑をかけるわけでもなく、自分だけが楽しんでいることなので、結果的に自分が良いと思えるなら、思えるだけやった甲斐があるというものです。

着手するまでは腰が重いのですが、やってみると結構楽しく、音質を手ずから調整するなんてことは、この自作スピーカー以前はまったく未経験の分野だったのですが、オーディオマニアの楽しみの一端を垣間見ることができたようでした。
もちろんマロニエ君がやっていることなんぞ、達人達から見れば幼稚園以下のレベルのことでしょうけれども、それでも自分なりにおもしろいものです。
続きを読む

音質調整

ひさしぶりに、自作の円筒形スピーカーの音質調整を思い立ちました。

製作当初よりもエージング(慣らし)が進み、だいぶ聴きやすくなってはきたものの、できればもう少し音の精密さというかクリア感のようなものが欲しくなり、そのあたりを少し改善できないだろうかと思ったわけです。
具体的には、スピーカーを置いている環境は床がカーペットなので、そこにもなんらかの影響があるのではないかと前々から少し感じていたのです。

円筒形スピーカーは直径約10cm、長さ1mのアルミ管が左右に二本、垂直に立っており、下部は直径約20cmの木製台座に固定され、さらにその台座は3本の足で支えられています。
台座には意図的に穴が開いていて、真下から覗けばスピーカーから長く伸びた鉄のロッドが吸音材に巻かれた状態で、むき出しになっています。この穴から、なんらかの音、低音や雑音など、それがなんであるかはよくわからないものの、ともかく下へ向かって常に放出されるものがあるだろうことは推察されます。
その真下がカーペットであることは、もしかしたら音質に不利に働いているような気がしたのですが、その判断も正しいかどうか、実のところよくわかりません(笑)。

で、まずはカーペットによる音の吸収を取り除くべく、100円ショップに行くと、ちょうどよいサイズのステンレス製バット(食材などをのせる台所用品)を発見。これを2つ買ってスピーカーの下に敷きました。
その結果は、ほんのわずかながら音がクリアになったような気がして、まあとりあえず210円の投資には見合う結果が得られたようで、ここでまず出だしは好調という感触を得ました。

さて、通常の箱形スピーカーの場合、音質アップの方策として、箱本体の下に硬く重いものを置いて、間にインシュレーターなどをあてがうとされているようです。これにより安定性が増すのか低音が豊かになり、全体もよりクリアな音が出るというような記述を読んだことがあります。この分野にはまったく知識も経験もないマロニエ君としては、とりあえずそのセオリーに従うことで改良してみようと思いました。とくにコンクリートブロックやレンガなどが、簡単で安く入手できるものとして重宝されているようでした。

そこで、改造第二弾として、そのコンクリートブロックやレンガを物色した結果、とあるホームセンターで厚さ2cm、一辺が20cmの正方形の素焼きのレンガというのがあり、まさにうってつけのサイズだったので、これを買ってきて、ステンレスのバットと入れ換えてスピーカーの下に敷きました。

ところが、期待に反して音が逆にこもったようになり、明らかに明晰さが失われているのは疑いようもありませんでした。エ、なんで??と思いましたが、よくよく考えてみれば、素焼きのレンガには無数の微細な穴があって、音を響かせるどころか、逆に吸収してしまうのではと思うと妙に納得。

通常の箱形スピーカーの場合は、下へ向けて音質に関わりのある何らかの流れがあるわけではないので、ただ単に重くて硬い土台の上に本体を置くことでボディの剛性がアップし、より本来の性能を引き出すということだろうと思われますが、円筒形スピーカーではそこに一種の反響特性のようなものが求められるような印象を持ちました。

現に、その素焼きブロックの上に、ステンレス製バットを重ねて置いてみると、またもとのフィールが戻ってきました。でも、たかだか100円ショップで売ってるペラペラのステンレスでは効果も心もとないので、今度はタイルなどで挑戦してみようと思いつきました。
ただし、またこうして試行錯誤のアリ地獄にはまるのはイヤなので、結果がどうであれ、次のタイルで終わりにしようと思います。
続きを読む

気がつけば寄せ集め

自作の円筒形スピーカーが、知らぬ間に熟成されて好ましく変化してくれていたのは、まったく予想外のことで、思いがけない贈り物をもらったような嬉しさがありました。

とくに、失敗作だという認識でそれ以上の調整を一切放棄し、さらには目につかないところへ放逐してしまった後の変化だったので、オーディオとはこんな一面があるのかということを認識させられる良いチャンスにもなったのは事実です。手の平を返したように殊勝めいたを言うようですが、この自作スピーカーは、情報収集から材料の調達、組み立て、チューニングにいたるさまざまな過程を経験させられ、音に関する実に多くのことを勉強させてくれたのは間違いありません。

とりわけスピーカーというものがボリュームやパワーでなく、響きそのものが作り出す音響や分離、ダイナミクスのバランス、その他もろもろの要素やそれらの均衡がいかに大切かということも良くわかりましたし、プレーヤーのこと、アンプのことなど、周辺の事情も含めてマロニエ君の無知な部分を一気に埋めることができました。
とはいえ、今だって多くはなにも知らない穴ぼこだらけで、無知なことに変わりはありませんが、それでも知らずに終わっていたであろうことを、いろいろと経験的に知り得たのは素直に収穫だったと思います。

もともと音楽は好きでも、オーディオにはほとんど関心のなかったマロニエ君は、オーディオ装置は何でも良いと云えばウソになりますが、そこそこ好みのいい音が出てくれさえすれば、あとはもっぱらCDを買い漁るほうが主眼で、少しでも良いオーディオ装置に投資しようという考えがまるで欠落していたように思います。

それでも1階のピアノのある部屋には、わからないながらも一応それなりのオーディオ装置を置いてはいますが、それもずいぶん昔買ったもので、とくに満足もなければ不満もないというクチでした。さらに自室のオーディオに至ってはヤマハの中級のコンポのセットで、これを疑いもなく使い続けて、そこからいろいろな音楽や演奏を楽しんでいたのですが、それをどうこうしようという意志も意欲もなく、根底にはオーディオは電気製品という感覚があったのかもしれません。

そんなマロニエ君のオーディオ生活にトラックが飛び込んできたような一大事件が起こったのが、我が家のピアノの主治医のお一人である技術者さんが、Yoshii9なる未知のスピーカーセットをわざわざ持参して聴かせてくださったことでした。
目からウロコとはこのことで、従来とはまったく違ったナチュラルな音の広がりで聴かせるこのミサイルみたいな形をしたスピーカはまさにマロニエ君にとってのオーディオ上のカルチャーショックでした。
演奏者が今まさに目の前で演奏しているような、その自然さそのものがもたらす美しい音は、これまでのハイパワーアンプとそれを受け止めるスピーカーによって豪快に鳴らすことを良しとしていた価値観を、根底からひっくり返すものだったのです。

Yoshii9をすんなり買えればなんのことはなかったわけですが、少々お高いこともあってなかなか手が出ず、その代用の意味もあって自作スピーカーへの道を進むことになりました。その過程で驚くばかりに高性能かつ低価格の中国製デジタルアンプの存在も知ることにもなり、さらには優れたスピーカーコードとは何か、好ましいCDプレーヤとは何かといった、個別の要素の真相などを正に一から教えられることにもなりました。

わざわざ仕組んだわけではありませんが、現在のマロニエ君の自室のオーディオは、いつの間にか(ほんとうにいつの間にか!)ヤマハのコンポはすべて姿を消していて、代わりに自作のスピーカー、中国製デジタルアンプ、そして過日書いた記憶のあるDVDプレーヤーの「3本の矢」で構成されていますが、こんな一見めちゃくちゃな、なんの一貫性もない装置の寄せ集めによって、結果的に従来よりもはるかにクオリティの高い、聴いていて楽しい音響空間になったのですから、いやはや自分でも驚くしかありません。
続きを読む

それから

「それから」なんて漱石の小説のようですが、ぜんぜん別の話です。

昨年はひょんなことから筒状の無指向性スピーカーの魅力に取り憑かれ、知人にいくつも自作して楽しんでいる趣味人がいたことも後押しとなり、これまで自分でスピーカー作るなど考えたことさえなかったにもかかわらず、マロニエ君としてはなんとも無謀な挑戦をしてみることになりました。

その顛末は何度も書いていますから、ここでは繰り返しませんが、その間の、とくに2ヶ月ぐらいは一途にこれに熱中、ピアノにもほとんど触れず、毎夜そのための制作と情報収集に励んでいました。

我ながら、仕事や勉強もこれぐらいやれたら…と思うほどの熱の入れようで、使用するスピーカーユニットの選定はじめ、あらゆるものに拘り、時間の許す限りその方策と調達などにエネルギーを注ぎ込んでいました。
この時期はまさにスピーカー制作一筋でしたが、とくにスピーカーがまずは形を成し、音の調整をするようになってからが大変で、集中すべき次元がガラリと変わり、目指す音へ少しでも近づけるべく試行錯誤の繰り返しに明け暮れました。わずかの変化や効果を狙って、なんど分解と組立を繰り返したかしれません。

その結果、ある一定のところ(レベルは低いですが)まではなんとか到達できたものの、同時に超えがたい限界をも感じました。所詮はシロウトの手すさびというべきで、冷静に考えれば、ものの道理から云っても初作からいきなり満足できるようなものができる筈がないし、それを望む方がそもそも無理だという、ごく当たり前のことを悟りました。

無指向性スピーカーの特徴である演奏会場のような音の広がりはあるものの、音には艶やかさも分離感もなく、こもったような、それでいて薄っぺらなサウンドは到底満足できるものではなく、このジャンルの最高峰であるYoshii9などには、遠く及ぶべくもないことを痛感させられました。

これが根っからのオーディオマニアなどであれば、そこからまた果敢に挑戦を繰り返すところでしょうが、マロニエ君の場合そもそもが自分の領域外のことを勢いでやってみたまでで、疲労困憊、もうこれ以上はもう結構、やりたくないと思いました。

それいらい次第にこのスピーカーからも関心が遠ざかり、しまいには部屋に置いておくだけでも転倒の心配もあり(厚みのあるアルミ管を使い、中は鉄のウェイトなどが入っているため重量もそれなりで危険性もあり)、邪魔になるというので、ついには普段使わない部屋の隅っこへと撤退させられてしまいました。

それから数ヶ月間、一時はあれほどの心血を注いだ自作スピーカーは無用の長物として、音を出すこともなくただの邪魔な物体として放置されたままでしたが、わけあって家の中の整理や片づけが契機となり、自室にこれを運び込み、場所を変えてもう一度聴いてみようかと思いつきました。

狭い自室の中になんとか場所を確保して、久しぶりに線を繋いで音を出してみますが、基本的にはやはり以前の状態のままで、やっぱり場所の問題ではありません。しかし、今回は腹を括ってしばらくこのスピーカーと付き合ってみることにしたわけです。
自室では毎夜音楽を聴かないことはまずないので、とにかく毎日続けて一定時間鳴らすことになりますが、すると驚いたことに、だんだん音が鳴るようになってきたばかりか、音の分離感や色彩感もこちらがほぼイメージしていたように少しずつですが出てきたのは嬉しい驚きでした。
少なくとも作った当初とはまるで別物のような、まあまあの繊細なサウンドで鳴るようになってきたことは、まったく楽器と同じだと思わないわけにはいきません。これがオーディオでいうところのエージングというものなのかとちょっと感動してしまったわけです。

手前味噌で恐縮ですが、今の状態ならば、それなりに満足が得られるもので、知識も経験もないクセして、寄せ集めの情報だけで、あれだけ拘り抜いて作った甲斐があったなぁと思いました。
同時にスピーカーでも楽器でも、音の出るモノは(デジタルアンプはどうだかわかりませんが)、いずれも数ヶ月間はそれを本来の性能とは思わずに、慣らしのつもりで付き合わなくてはならないことをしみじみと教えられたような気がしています。

子供の成長ではありませんが、時を経て音がだんだん良くなっていくというのは、実に嬉しいものです。
続きを読む

DVDプレーヤー

久々にオーディオの話になりますが、手作りスピーカーは、音のチューニングをやっているとキリがないということがわかり、同時に自分の経験や知識にも限界を感じて一応の区切りをつけています。

ところで、CDプレーヤーについてですが、最近はめっきりその数が少なくなり、一部のメーカーを除くと、昔のように適当な値段でこれを買うことが難しくなっているようです。
僅かに残っているのは、オーディオマニア向けの高級機などで、それは金額的にもケタが違います。

そんなときに思いついたのが、タイムドメインのYoshii9にまつわる話として聞いたもので、中途半端なCDプレーヤーなどは無意味ということで、この会社が推奨しているのが品質の良いポータブルのCDプレーヤーですが、それも最近は絶滅寸前で、電気店などをくまなく見てまわっても大半が名もなき中国製などしかありません。

そんな傍らで、一定の売り場面積を占めているのがいわゆるDVDプレーヤーで、いまやブルーレイレコーダーでもかなり安くなっている中で、再生だけを目的とするDVDプレーヤーなどは数千円のレベルでごろごろしています。

ここも中国ブランドらしきものが少なくはないのですが、日本のメーカーの製品も一応あることはあって、生産国は中国かもしれませんが、一定の品質管理はされていそうで、辛うじて一応の信頼性はある気がします。
そんなDVDプレーヤーを見ていると、なんと普通のCD-Rなども音声再生可能とあり、店員さんに聞いてみると、普通の音楽CDでも使えるということがわかりました。

なんとなくひらめくものがあり、値段もポータブルCDプレーヤーとそう大差ない金額なので、これを買ってみました。

もはや我が家では常用するに至っている中国製デジタルアンプに繋いで音を出してみたところ、果たしてこれが望外のクリアな音であることにびっくりさせられました。本格的なオーディオ装置を広い部屋で鳴らすときはわかりませんが、私室で適当な音量で聴くぶんには、少なくともマロニエ君の耳にはなんの不満もない美しい音が溢れ出して、非常に満足しています。

同時に、高級機以外のCDプレーヤーなどが姿を消してしまう背景が一気に理解できるようでした。これだけの音声の性能が、安いDVDプレーヤーのオマケ程度についているのですから、なにも図体の大きい単一機能のCDプレーヤーなどを買う必要もないし、だから売れない作らないという構図になることを悟りました。

現代人はiPodなどを常用し、家でもパソコンに繋いだ小型スピーカーなどで、音楽だけに留まらない、いろいろな音声を聞いて楽しみ、もはや音楽ひとつに熱中するということもないのでしょう。

ともかく、安いDVDプレーヤーからこれだけの高いクオリティの音があっけなく出るというのは嬉しいことのようでもありますが、どこかわりきれない、腑に落ちないものも感じてしまいます。それでも毎日使っているのですから、人間は勝手なものです。

ちなみにマロニエ君が買ったのはパイオニアのDVDプレーヤーで、価格はわずか4000円ほどのものでしたから、作り自体はちゃちですが、おそらく昔なら何万もするような性能に違いありません。
ネットなどの評価を見ると、この手のDVDプレーヤーの音質に関しては見下したようなコメントをしている人もいなくはないものの、それはよほどのオーディオ通か専門的な厳しい耳を持った一握りの人で、大半の人は大満足する筈だと思います。
少なくとも価格を分母にして判断すれば、これで文句を言ったら罰が当たるような素晴らしい音です。
続きを読む

ふとん店

手作りスピーカーで余談をひとつ。

スピーカーに不可欠の吸音材に使う素材はいろいろあるようですが、そのうちの定番のひとつが「綿(わた)」であることは、恥ずかしながら今年になって知りました。
これには100%ウールのものから、一定量化繊の混じっているものまでいろいろあり、自作オーディオの専門店でも扱っているようで、ネットで購入も可能ですが、マロニエ君は量なども実物で確認したかったので、市内のふとん店に問い合わせてみることにしました。

しかし、今どきはふとん店そのものが昔に較べてずいぶん少なくなっているようでした。
さらには中の綿だけを小売りしているような本格的な専門店となると、なかなかそうざらにはありません。今は生活用品ならなんでもスーパーなどで簡単手軽に安く買えてしまう時代ですから、それもそうだろうと思います。

そこでふっと思い出したのが、ときどき通る道沿いに、派手ではないがちょっと古い感じの大きめのふとん店があったのを思い出して、そこに問い合わせをしてみたら、さすがというべきかちゃんと商品としての取扱いがありました。
オーディオ店同様に、100%ウールをはじめ化繊の混合など数種類そろっているようです。

我が家からもそう遠くない場所なので、さっそく行ってみると、外から見るより店内は遙かに立派で、これには思いがけず驚きました。それも今風のピカピカした感じの立派さではなく、建物などは結構古くはなっているけれども、昔ながらの商売を守り続けているといったガッチリした店内で、置かれている布団のセットなども値段もそれなりだけども法外なものでもなく、いわゆる特別高級な何々というのではなくて、きちんとしたものを正当な価格で普通に売っているというもので、まずその点も近ごろでは却って懐かしく新鮮でした。

さらには店内中央から吹き抜け階段になっていて、どうやらその上は作業場のようでした。布団の縫い込みや綿の打ち直しなどの仕事スペースに違いなく、こんな昔ながらのお店がちゃんと今でも残っていること自体がホッとするのを通り越してちょっと感動的な気分にさえなります。

来意を告げると、応対に出た女性がすぐに二階に取りに行って、しばらく待たされたあと、真っ白い綿を持って降りてきました。その方曰く、綿は湿気を非常に吸い込みやすく反面、放湿は苦手なので、どうしても綿の中に湿気がたまりやすくなる性質があるとのこと。布団の場合はお天気の良い日に日干しをしたりすることになるけれども、スピーカーじゃそれも出来ないでしょうからという判断で、混合のものをひとつ購入することになりました。

ひとつといっても相当の量で、大きめのビニール袋がいっぱいになるぐらいで、とても全部は使い切れない量がありましたが、値段がまた安く、オーディオ専門店などもおそらくほとんど同様の品だと思われますが、価格は数倍に及ぶようですから、この点もなんだか得したような気分になりました。

なんでも、この店は創業120年なんだそうで、現在は販売の他に遠方から綿の打ち直しなどの依頼があるという話でした。スーパーやネットもたしかに便利ですが、欲しい物を直接手にとって、お店の人と会話しながら納得ずくで購入するというオーソドックスなスタイルでやりとりをすると、ふしぎに気持ちもゆったりしてどことなく幸福な気分になるものです。
昔はこういうなんでもないところからも、人の心の在り方が違ったんだというような気がしました。
続きを読む

中華アンプの魅力

またもチープなオーディオの話で恐縮ですが、みなさんはデジタルアンプというものをご存じでしょうか?
それも日本のメーカーが出しているような高級品のそれではなく、いまマロニエ君が熱中している安い中国製のデジタルアンプです。

手の平にのるほど小さく、価格も数千円から高いものでもせいぜい一万円台ぐらいですが、これが信じられない高性能で、マロニエ君も初めは半信半疑だったのですが、ひとつ買ってみて初めに音を出したときの驚きといったら目からウロコでしたね。

これまでの大きくて重いアンプは何だったのかと思うような、小さなボディから逞しくも美しいクリアな音がびゅんびゅん惜しげもなく出てくる中国製デジタルアンプはまさに衝撃で、これもまた従来のオーディオの常識を根底から覆すようなものだと思います。
もちろん、凝りに凝った真空管アンプに拘る人とか、超高級品の世界を彷徨うようなディープなマニアは別としても、ごく普通に、良い音楽を、良い音で聴きたいと考えている大半の人には、ほぼ間違いなく納得できるもので、その高性能ぶりには従来の常識を覆すような驚きと満足を覚えることだろうと思います。

サイズはタバコの箱よりはいくぶん大きく、文庫本を3冊重ねたものよりも小さいぐらいといえばおわかりでしょう。重量は軽く、ボリュームのつまみを回すたびに本体が動いてしまうほどです。
そかもデジタルときているので、何時間聴いても本体はまったく熱くならず、いつ触ってもヒヤリとしているのは却って不気味なくらいです。

ネットの情報によると、ブラインドテストという、使用する機器を隠して音だけを聴くテストで、この手の小さな中国製アンプは100万円もするような高級機種をアッサリ打ち負かしたという話までありますが、その真偽のほどはともかく、それぐらいすぐれたものであるというのは確かなようです。

普通の電気店などではまず扱っていませんが、ネットなら簡単に手に入れることが可能で、主に5000円前後のものが主流になっているようです。
マロニエ君はすっかりこの中華アンプにハマッてしまい、すでに恥ずかしいぐらいの数台を購入するに至っていますが、中には期待はずれな商品もあり、メーカーによってある程度の差があるようでもあるし、一台はちょっとした不具合があって交換してもらうなど、日本の製品のような信頼性と均質感はありませんが、なにしろ信じられない低価格ですから、じゅうぶん楽しめる素晴らしい商品だと思います。

このところの日中はずいぶんと険悪な空気になってしまって、先日交代した最高指導者はこれまで以上に対日強硬主義者だそうで、すでに様々な報復措置もはじまっているようですから、こんな小さな商品でも、その流通過程においてどんな不自由や障害が起こるとも限らず、もうひとつぐらい予備に買っておこうかという気にもなってまた買ってしまいましたが、まあ中国側にしても商売はしなくちゃいけないでしょうから、国交断絶などにならない限りは手にはいると思います。

ちなみに中の主要パーツはちゃっかり日本製が数多く使われているようですし、日本人が監修しているものも多いらしいので、精度もそれなりで性能もほぼ安定しているようで、目下のところは良いことづくめのようです。
一部屋に一台ずつ置いているような人もいらっしゃるようですが、このべらぼうなコストパフォーマンスを考えるとそんなことをするのも納得です。
みなさんもおひとついかがでしょう?
続きを読む

魔性の音造り2

どんな世界でも共通することだろうと思いますが、基本を正しく理解して、そこそこ間違っていない事をやってさえいれば、ある程度のレベル達成までは比較的順調にいくものです。さらにそこに磨きをかけて洗練を目指すことも、手が慣れてくれば、おおよその要領もわかって、これもできないことじゃない。

ところが…。
さらにその上のあと一歩か二歩をよじ登ろうとすると、これがどうにも手に負えない鉄壁であることを思い知らされ、まずだいたいはそのあたりで挫折を味わうようになるというのが常道的な図式ではないでしょうか。
つまりその最後のたかだか一歩か二歩に到達することは、実はこれまでの全行程よりも困難だということでもあるようです。ハイエンドクラスの高級品が法外なようなプライスを堂々とぶら下げることができるのも、つまりはこの最後の鉄壁を凌駕している事への勲章みたいなものでしょうね。

このスピーカー作りで学んだことのひとつもまさにそこで、普通で云うなら、自分で云うのも憚られますけれども、なにしろ第1作にしてはそこそこのものは出来ていると思います。
試しに、ある夜、我が家にやってきた友人に聴かせたらこっちが意外なほど感激してくれて、空間を満たす音楽の奔流にただただ圧倒されているようでした。

黙って聴いて、いきなり変な質問をされました。
「もうひとつ同じものを作れといわれたら作れるか?」と。作り方も材料も全部わかっているので「そりゃあもちろんできるよ」というと、あまり音楽に関心のない彼が、「ぜひ自分にも作って欲しい」と嬉しい事を云ってくれました。

彼はマロニエ君が夏頃からスピーカー作りに尋常ならざる意気込みで入れ込んでいるのをそれとなく知っていましたし、性格的にもやる以上はそこそこ物事を追求するタイプなので、それなりのものは出来ているだろうぐらいには思っていたようでした。
ただ、それでもしょせんは素人の手作りなので、要は「手作りケーキの域」は出ないだろうと思っていたらしいのですが、彼の耳に聞こえてきたものは予想を覆すものだったようで、本当に驚いてくれて、こっちがびっくりでした(マロニエ君自身は手作りケーキの域だと自認していますが)。
おまけに自分にも作って欲しいとまで云ってくれたのはまったく望外のことでした。

したがって、そういうふうに感激してもらえたことは嬉しいことですが、それはそれ。マロニエ君としてはまだ自分が納得していないので「よしわかった」と友人のためにもう一台作るわけにもいきません。

そうはいっても、もはやマロニエ君のシロウト作業では限界に近づいているというのもわかっていますが、あとやってみたいことはいくつか残っていますので、やはりそれをこれから先、やってみないことには終止符は打てないようです。

毎夜、部屋の中央に佇むスピーカーを見たらいじりたくなるけれど、同時にもう触るのもこりごりという気分になるときがあるのも事実で、もはや自分がどうしたいのか自分でわからないときもあるのが事実。
気が付いてみると、このスピーカー作りおかげで、このふた月以上というもの、ほとんどピアノも弾いていませんでした。それも当然で、これだけスピーカー作り時間を費やせばピアノなんて弾く時間はまったくないのは当たり前なわけです。

先日、久しぶりにちょっとピアノの前に座って何だったか忘れましたが弾いてみたら、驚くほど指が動かなくなっていることに我ながら愕然としました。
ま、別にそれでどうなったって構やしません。自分が愉快に過ごしていられればそれが一番ですし、このスピーカー作りはマロニエ君にとっては予想に反して、いろんな意味で貴重な体験となり、勉強になったことは紛れもない事実ですから、あれこれお試しの連続でコストも相当かかりましたが、自分にとってムダではなかったと思っています。
続きを読む

魔性の音造り1

スピーカーの音造りというのは、やってみるまでは、どちらかというと繊細な作業の繰り返しかと思っていましたが、実際には結構な重労働であるのに驚かされました。通常の、いわゆる箱形のスピーカーの場合はしりませんが、少なくとも円筒形スピーカーに於いては、力勝負が続いてどうかすると全身がワナワナしてきます。

こういう作業は、ほんらいマロニエ君の趣味ではないのですが、それでもいったんやり始めると「もう少し」「あと一回だけ」というような、無性に追いつめられたような意地っ張りみたいな気分に駆られて、そこから抜けられなくなるものです。
考えてみるに、「音を作る」という行為には、大げさに言うと一種の魔性があるのかもしれません。
自分の手を下したことが微妙な音の変化としてあらわれてくるのは、これまでに体験したことのないもので、これは不満と満足、挑戦と挫折の織りなす興奮状態でもあり、不思議な魔力みたいなものがつきまといます。その後も性懲りもなく吸音材を足したり引いたり場所を変えたりと、周りからみれば呆れられるような抵抗を続けています。

とはいっても、基本的に素人のマロニエ君にはスピーカーユニットそのものに手を加えて改造するようなことはできませんから、今やっていることは要するに吸音材による音造りのセッティングと云うことになるわけですが、これがもう一度もう一度と繰り返すうちに、この作業をすでに何十回やったのか、もう自分でも遙かわかりません。

ちなみにスピーカーにおける吸音というものは、スピーカーの音や響きを決定付ける重要な項目で、なにもしない裸のスピーカーユニットは好ましくない雑音を多く排出しており、ここからいかに要らない音を取り除いて必要なクリアで美しい音だけを残すかということになるわけですが、この局面こそがスピーカー製作の醍醐味だろうと実感しています。

新たな挑戦のたびに筒からスピーカーの内部構造を引き出しては、吸音材の付け方や、素材、量、位置を変えたり、ときには重りの量の変更、そしてまた元に戻したりと、自分でも何が正しくて何が間違っているのか、まったくわからないわけです。

例えばアルミ管の内側に貼り付ける吸音材だけでも、なにも無しからスタートし、固いスポンジ状の素材、カーペット素材、オーディオでは定番のニードルフェルト、エプトシーラーという素材まで5種類試してみましたし、その量の変化を加えると試行数はさらに増えたことになります。

もちろん自分としてはやみくもにやっているわけではなく、やるからには良かれと思ってふうふう言いながら試しているわけで、そのたびに音や響きに僅かな変化が現れて、一喜一憂を繰り返します。それを聞き分ける耳も鍛えられて次第に精度を増す反面、どこか麻痺してくるようでもあり、さっきは良いと思った音が、30分もするとやはり変じゃないかというような悪循環に陥ります。

アルミ管の内側よりさらにやっかいなのは、仮想グランドという、スピーカーから伸びる1m近いボルトとナットによって構成される部分の吸音です。これも実に様々な素材を試しましたが、これだという決定打は未だありません。巻き付ける吸音材の量の違い、紐で縛るその力加減による違い、紐の材質など、まさに数学で言う順列組み合わせの世界で、まるでキリがないわけです。

ひとつ何かをやってみるには、いちいちアンプからスピーカーコードを外して、重い重量物を引っぱりだして何らかの改造をしたら、また逆の作業をせっせと経てアンプに繋ぎ、今度こそはと音を出してみます。
そしてその違いに耳を澄まし、悲喜こもごもの感想を自分なりに下して、問題点を整理し、次の作業にとりかかります。あまりに疲れるとそのまま数日間放置する、そしてまた手をつけて、もうこんな馬鹿馬鹿しいことはやってられない!やめた!という決心をするのですが、2、3日も経つと「…やっぱり、あそこをちょっと変えてみようか…」という気になってくるわけです。

まさに取り憑かれているわけで、だんだんスピーカーが疫病神のようにも思えてきますが、それでもやめられなくて次の方策を講じているのですから、音作りというものそれ自体がよほどの魅力があるというべきでしょう。あるいは自分の手で「音を作る」ということを初めてやってみて、その苦悩と魅力にすっかり魅せられているのかもしれず、これは大人のハシカみたいなものかもしれません。

ピアノの技術者さん達とはやっていることはまったく違いますけれども、どこか通じるところもあるようで、彼らの悪戦苦闘の苦しみが少しわかるというところでしょうか。

映画『ピアノマニア』でシュテファン氏が取り憑かれたようにエマールの満足する音造りを繰り返し、昼夜を厭わず、孤独に挑戦を続けている気持ちの片鱗みたいなものが、ちょっぴりわかるような気がしました。
続きを読む

吸音の素材

筒型スピーカーは、構造そのものでいうと至ってシンプルです。
塩ビ、硬質パルプ、アクリル、アルミなどから管の素材を選び、直径が10cm前後、長さ1mほどの管を垂直に立てて、その上に直径わずか8cmの小さなフルレンジスピーカーを取りつけというもの。

ただし、そのフルレンジスピーカーの背後には「仮想グランド」という名の仕掛けがあり、大半の人は寸切りボルトという建築資材や小さめの鉄アレイなどを流用し、いろんな工夫の上にこれを取り付けて管の中にこの一式を忍ばせます。これだけでも相当の重さがあるのですが、さらに重量を増すためにここへ大きなナットをいくつもとりつけることで音や響きの骨格をつくっていくようです。

それにしても直径わずか8cmのスピーカーというものは、普通のスピーカーを見慣れた目には、ほとんど冗談としか思えないほど小さく、ツイーター(高音用スピーカー)のようにしか見えないような心もとないサイズです。ところが、上述の仮想グランドなどと組み合わせることによって、これがズッシリとした低音からきらめく高音まで、文字通りのフルレンジを賄うスピーカーとしてその能力を遺憾なく発揮することにことになるのですから、まずこの点に驚かされます。

もし本当に、こんな小さなスピーカーひとつで事足りるのなら、これまでいろいろと目にしてきた、あの東西の横綱が鎮座したような高級家具調のあれは何だったのだろうかとも思います。

さて、構造は簡単でも、問題の音造りともなると、これはとても容易なことではありません。
音や響きのために様々な試行錯誤に着手するわけですが、なにぶんにもこちらは素人で何の知識も経験もないときているのですから、いかにも無謀な挑戦というわけです。
本当にオーディオに詳しい人はスピーカーユニットでまで手を加えてあれこれの特性を引き出したり、逆に封じ込めたりするようですが、マロニエ君などはとても手の及ぶ事ではないので、とりあえず管の中の吸音対策がチューニング作業のメインとなります。

今回マロニエ君が使用するのはアルミ管であることは何度か書きましたが、このアルミ管には特殊な加工などを施さない限り、アルミ独特の鳴きというのがあるらしく、それははじめの段階で自分の耳でもイヤというほど確認し、まずはこれを押さえ込むことから始めなくてはいけないことを痛感します。

ところがネット情報によると、このあたりも作る人の考えに左右され、中にはまったく吸音無しで音を作っていくという猛者もいるようですし、吸音するにしてもその素材は、何種類かの定番素材はあるものの、これが絶対というのものはないようです。
これがマロニエ君の場合の悲劇の始まりで、まずはこの管の内側の吸音材を何にするかで、3日に一度はホームセンターに通い、あれこれの素材を買ってきては試すことになりました。

驚くべきは、管の内側の吸音材を貼ると劇的に音が変わり、しかもそれは一気に音楽的なものへと近づいてみたりするので、そうなるとこちらの作業熱も俄然ヒートアップしてきます。
ところが、しばらくすると良くなったはずの音に疑問が出てきます。より詳しくいうなら、耳が鍛えられて、そこに含まれる欠点が聞こえるようになってくるといったほうが正確かもしれません。

そうなると、とてもそれでは満足できなくなり、せっかく取りつけた吸音材を惜しげもなく全部取っ払って、また別のものに交換するという、初心者のクセに分相応の満足を知らぬマニアックな世界に突入するわけです。
こうなるとコストも度外視とは云わないまでも、ムダにつぐムダの連続です。

あとになって袋一杯捨ててしまったフェルトの山を、やっぱり取っておけばよかったなんて何度も思いましたが、これが開発コストというものだ!などと自分を納得させているところです。
続きを読む

やっぱり土台が

スピーカー作りをやっていてあぁ羨ましいと感じるのは、多くのピアノ技術者さんは自宅の他に作業のための工房をもっておられて、あんな作業場があれば一連の作業もはるかに効率的で楽しいものになっただろうと思われることです。

マロニエ君宅には幸いにも、わりに恵まれたシャッター付きのガレージがあるので、当初はそこを作業場にしようかと考えたのですが、当然車の出入りがあることと、スピーカーはいちいち音を出しては変化の具合とか、ちょっとした事を音で確認しなくてはいけないので、これが深夜に及ぶとさすがに近所迷惑になってもいけないということで、まずこの点が最も心配されました。

さらには、マロニエ君は、普段は超ナマケ者のくせして、いったんやるとなると行動が集中型で、思い立ったらいつでもすぐに着手しなくちゃ気が済まないという性格でもあるため、そんなときいちいち離れたガレージに行く煩わしさを考えると、やはりボツになり、結局2台のピアノの足元で、まわりがどんなに散らかって足の踏み場もなくなろうとも、この場でやるしかないという結論に達しました。

いまさらですが、何回見ても、台座のカットの不様さは気にかかりますが、まあこれは覚悟を決めて潔く諦めるより仕方がないようです。そう結論づけて諦めているはずなのに、またそこが目に入って気になってくるから、やっぱり覚悟が決まっていないということですが、まあここはよほどスピーカーが奇跡的に上手くいったときにはもう一度、別の方法で作り直すということも可能ですから、とりあえずそこは考えないということにします。

いや、考えないことに決していることを、見るたびに思い出してはまたそっちのことに思い悩むのですから、つくづくと自分の性格は、形やディテール、すなわち枝葉末節のことが気になってそこに拘るという、まことに損な性分なんだと思いますね、自分でも。
そういう意味ではつくづくとマロニエ君は日本人的で、細かいことが美しく出来上がっていないと、そのあとに続くべき意欲そのものを喪失してしまいます。

もうずいぶん前のことですが、ある田舎の演奏家の方で、なにをやらせても大雑把で仕事の粗い女性がいました。あるとき何かの必要があって彼女から荷物が届いたのですが、届いた梱包の雑で汚いことと云ったらひっくり返るほどで、ほとんど感動すらおぼえて家族総出でしみじみと「観賞」しましたが、ご当人は、中身が届けばいいというわけで至って平気な様子でした。

マロニエ君には逆立ちしてもできないことで、間違ってもあんな風になりたいとは思いませんが、それでもご当人にしてみれば、そこそこ楽しく、明るく、健康的で原始的な、それなりに充実した人生を送っていらっしゃるのかもしれません。
つまるところ、人間の幸福というものは本人の心の中にあるわけで要は「認識」の問題なのですから、皮肉を込めて云えば羨ましい限りです。

その逆のスタイルで思い出すのは、マロニエ君のピアノ調整で今もお世話になっている方ですが、あまりにも鋭い、専門的な、ほとんどマシンのような耳をお持ちであるがために、音楽は嫌いじゃないのにコンサートもダメ、CDなどはどれを聴いてもその劣悪な音質に耐えられずに「買わない聴かない」というお気の毒な状態です。仕方がないので敢えて別ジャンルの観賞などに心を通わせていらっしゃるようです。

その点では、何事もそこそこの価値を理解して、深入りせず楽しんで、享楽的に過ごせればそれに越したことはないのかもしれませんが、まあそれは一般凡人の話であって、そこそこの範疇を突き破ったところへ出現するのが芸術家ですから、彼らに「そこそこ」は逆に危険エリアということになるでしょう。

さて、件のスピーカー作りは、できれば身の程もわきまえず、そこそこを多少ははみ出したものにしたいところですが、そう上手くいきますかどうか…。
続きを読む

汚い音が混在

とりあえずわかったことは、スピーカーにコードを結びつけて、コードと電源でアンプを中継し、そこへプレーヤを繋げばなんにしろ音は出るというです。そんなこと当たり前だ!といわれそうですが、なにしろ自作スピーカーなんて初挑戦なものでこんな段階から感心しているわけです。
しかし、その段階で出てくる音は、本当にただ単なる電気的な非音楽的な音なのであって、なんの秩序も無く音が好き勝手にガンガン出いてる状態であって、円筒形スピーカーの場合は、その筒の中を音があてどもなく走り回り、ぶつかり合い、反射して、音楽なんぞというものからはかけ離れたものであることがわかりましたね。

いわばリズムと音階の付いた騒音と云ったほうが正しいかもしれません。

ここで痛感したことは、市販のスピーカーは例え安物であってろうとも、その道のプロがそれなりにチューニングをして、チープなものはチープなものなりの尤もらしい音になるように、最低限の音響みたいなものには整えられているということです。

マロニエ君も初めて知ったのですが、スピーカーというのはそれがお馴染みの箱形にしろ、今回のような円筒形にしろ、ユニットさえいいものを買っておけば、とりあえずそこからは美しい音が出るもんだと思っていたのですが、そこからしてまず大間違いだったようです。

たしかにスピーカーユニットの前面では美しい音が出ているのかもしれませんが、それもなにもぶちこわすように背後から汚い、聴くに耐えない、すべてを台無しにする雑音が盛大に、遠慮会釈もなしに出ているということでした。

つまり、極言するなら、スピーカー作りの基本は、いかにして汚い音を消し去り美しい音だけを残すかと云うことのようでもあります。
と、口で言えばいかにも簡単ですが、これが大変なのであって、ある意味これほど難しいものはないのだということがわかりました。汚い音を消すと、同時にせっかくの美しい音やダイナミクスまで消してしまうことにもなりかねません。そこのノウハウや技についてはもうさんざんネットで視力が明らかにおかしくなるほど調べていたわけですが、ついにはこれという決定打は見つかりませんでした(あまりに専門性の高いことは理解できないほど高度でした)。

それは皆さんが、自分の技術を出し惜しみしているのではなく、数学のようなこれだという決定的な答えがないからということもやってみてわかりました。
ですから、人様がやっていることは大いに参考にはなるけれども、それが自分にとっても即実践できるものとは限らず、大抵はヒントや大まかな方向性ぐらいにしかなりません。

そうして、実際に自分の手足を動かしてあれこれと試してみるよりほかに道がないということも肝に銘じました。だいいち筒の長さや、材質や、直径、さらには使用するスピーカーユニットが変わるだけで音はいかようにも変化するし、さらには個人の好みの問題や聴く音楽のジャンルにもよっても評価は異なってくると思われます。

というわけで、とどのつまりは大枠での理論を勉強した後は、あとはひたすら実践しかないわけです。何度も言いますが長年DIYの趣味もなく、必然的にこれといった工具も作業場もないので、作業は毎夜ピアノの横の床スペースになり、ここはかつてなかったほどまでに盛大に夥しく散らかり、まさに足の踏み場もありません。

お客さんなんてきたら、まさかここに上げるわけにもいかないので近所の喫茶店にでも連れて行くしかないでしょう。
まあ、ここまでして、最後にそれなりのスピーカーができれば救われますけどね。
続きを読む

聴くに耐えない音

知人と一緒に円筒形スピーカー製作することになり、この三ヶ月ほどでお互いに揃えたパーツ類が相整い、いよいよ互いの手許にあるものを交換する時期になりました。それによってスピーカーを組み立てるための基本的な材料は揃ったというわけで、いよいよ組立作業に取りかからなくてはいけません。

前にも書きましたが、マロニエ君はDIYの類はもともとまったくやらないのですが、そのくせ性格的にモノを作ったりする際には、自分で云うのもなんですがキチッときれいに仕上げないと気が済まないところがあります。
とうぜん今回のスピーカーも当初の目論見としては、一分の隙もなくなんていえばいかにも大げさですが、まあそれぐらいビシッとしたものを作ってやろうじゃないか!という意気込みのようなものはありました。(ま、少なくとも、ちょっと前までは…)

ところが、前回も書いた通り、土台部分になる木の円形カットがこちらが考えていたような仕上がりにはならなかったことで、一気にそのあたりの自己満足的完全主義みたいなものが一気に崩壊していくことになります。
当初は組み立てる前に塗装もするつもりで、そのための下地から上塗りまでの計画もあれこれ立てていたのですが、土台のカットが満足できなかったことがすべての原因となり、これひとつのせいでなにもかがイヤになりました。

意欲がなくなったら、そもそも塗装なんて面倒臭いこと、やってられるか!というところで、とりあえず部品を組み立ててみることから先に手を付けることに決定。半ばやけくそで2枚ある土台の板を木工用ボンドで貼り合わせますが、そんなときにも2枚の板がキチンと段差なく美しい円にならないことに、ついため息が出るし、作業にも熱が入りません。

この他にも片側3本、左右合計6本の足の接着や、アルミ管内部の金属の構造物(詳しいことを書いてもつまらないので省略しますが)に金属同士の強力な接着を要する部分があって、とりあえずそれらを予め取り揃えておいた各接着剤で接合し、一晩置くことになります。

翌日見てみると、どれもがっちりと接着されているのは予想以上で、とくに金属同士の接着は、その下に相当の重量物が取りつけられる事を考え得ると一抹の不安も残りますが、ともかくビクともしないまで強固に接合されているのは、接着剤もたいそう進化したんだろうなあとこんなところで感心させられます。
パッケージに踊らんばかりの文字で大書されていた「速乾!超強力接着!」というのもあながちウソではないようです。

なにやかやで、ともかく組み立てるだけの準備は整ったわけで、あえてここで作業中止する理由も見あたらないので、ついに慣れない手を動かして、散々ネットで見て覚えたスピーカーをいざ自分の手で組立ることになりました。

はじめはざっくりと組むだけ組んでみて、まずどんな音がするのやら様子見の気持ちでやってみると、組立そのものは1時間もあればすんなり出来上がり、さっそく音を出してみました。
第一声がでる瞬間というのは、やっぱり緊張するものですし、ある種の厳粛な気持ちも手伝います。ましてやマロニエ君は生まれて初めて手作りスピーカーというものに挑戦していることもあるわけで、その期待と不安はかなりのものに達しています。

ついに音が出ました…。
それは、なんと形容詞して良いやらわからない、いかにも低級で、間の抜けた、変な音でした。少しなりともYshii9に近づこうなどと淡い夢のようなことを考えた自分の甘さが、これほど愚かであったかと痛感したのもことのときでした。
このときに直感したことは、スピーカー作りは材料を揃えて組み立てることよりは、試行錯誤を繰り返して最もこのましいチューニングを施すことのほうがよほど大変だということです。

これからが、マロニエ君の不慣れな「音造り」のための奮闘の日々がスタートすることになるようです。
続きを読む

なんじゃこりゃ!

自作スピーカーの続きになりますが、製作にあたってはマロニエ君が懇意にしているピアノの知り合いの方と、材料等を互助的に共同購入しながら調達しています。

というのもマロニエ君一人では材料を揃えるだけでも、たぶん絶対に無理だったと思われ、この方がいたからこそ不慣れな挑戦もやってみる気になれたのです。
いうまでもなく、それぞれが自分のスピーカーを作るわけで、二人分の材料を同時購入するなどして、手間と情報の共有化を図るほか、送料なども合理化しているというわけです。

さて、前回書いた土台ですが、これなくしてはスピーカー本体(アルミ管)を垂直に立てることが出来ませんが、他の材料は日々揃ってきているのに、これが思うに委せないからといって、いまさら後へも引けません。

人の顔を見るたびにこの件をぼやいていたら、ある友人の情報でここに聞いてみたら?という話が舞い込み、さっそく連絡を取ってみると、いささか距離はあるものの円形カットを引き受けてくれるという職人さんが見つかりました。
次の日曜にさっそくその人のところへ行きましたが、かなり年配の方で、お見受けした感じでは昔はその道のプロだった方がリタイアされて、今はちょこちょこと簡単な木工仕事などをやっていらっしゃるという印象でした。

見取り図を見せると、至って単純なものなのですぐに理解してもらえましたが、なんでもジグソーという機械を使って手作業で切るため、コンパスで線を引いたような正確な円のカットは出来ないという話で、これは実はかなりガックリきました。
そういうことがピシッとしていないと性格的に気が済まないマロニエ君としては、内心ひどく落胆したのは事実でしたが、そうかといって他にあてもなく、すでにこの土台の件だけでも問い合わせ等相当の労力を費やしているので、もうこのあたりでそれぐらい妥協しなくてはいけないと諦め気分にもなり、ついにお願いすることになりました。

お願いしたのはいいけれど、ええ?っと思ったのは、待っている間に出来るような作業じゃないのだそうで、出来たら電話しますとアッサリ云われてしまい、往復50キロある道矩を、もう一度取りに来なくてはいけないのかと思うとウンザリしましたが、ここまできたらやるしかない!という使命感みたいなものに突き動かされて、その点もついでに呑み込んで承知し、後日取りに行くことになりました。

数日後、平日の夕方に時間を作って取りに行ったところ、なぜか作業をされたご当人は不在で、若い人から袋入りのカットされた品物をドサッと渡されて受け渡しはそれで終わり。すぐさま来た道を引き返し、いざ自宅で中のものを手に取ってみたときはびっくり仰天でした。
円のラインはガタガタで、中には木の一部が欠損していたり、大きなヒビがあってなんと明らかに割れている部分もあり、なんだこれは!と途方に暮れました。だいいち断面は無惨なほどガザガサで、普通ならお愛嬌にも軽くペーパーぐらいはかけるもんじゃないのかと思いました。
さらに驚いたのは、作業の際のものと思いますが、生木の表面に油性ボールペンで何本も線が引いてあり、とてもじゃないけどこんなものは知人には渡せないと思い、もう目の前は真っ暗。

知人には事情を説明して、その中から良いものを2つ渡し、マロニエ君は残ったものでガマンするつもりでその通りに実行しましたが、やっぱりどう考えても、見れば見るほど、これでは使う気になれす、正気なところ「ふざけるな!」と言いたかったですね。
そもそも、安いとはいえ工賃もちゃんと払って依頼した作業なんですから、文句のひとつも云って然るべきところですが、なにぶんにも相手は年配の方ではあるし、「自分は心臓が悪くて来週は検査入院する」というようなことも云われていたので、そんな方へ抗議するのも忍びず、結局は割れがあったことなどを伝えてもういちど作ってもらうことで決着しました。

その結果できたものは、前回の作業とクオリティこそ大差はありませんが、割れがないぶん良しとしなくてはいけないようです。
こういうことが重なってくると、もともとDIY人間ではないマロニエ君としては、だんだんやる気を失ってイヤになってくるのですが、すでにこの「共同プロジェクト」にはかなりの費用も投じていることでもあり、ここはなにがなんでもやり遂げるしかないようで、こういう場合にも一人だったら投げ出していたかもしれません。
続きを読む

予想外の不便

この夏からYoshii9型の円筒形スピーカー(通称;塩ビ管スピーカー)の自作に向けての情報収集や材料を準備していましたが、スタートから実に約3ヶ月余を経てやっと材料が揃いつつあります。

この円筒形スピーカーは、至ってシンプルな構造にもかかわらず、なにがそれほど時間がかかるのかというと、製作者であるマロニエ君に基本となるスピーカーの知識や経験がまるでなく、大半の知識をネットから辛抱強くすくい上げることと、そもそも通常の箱形であれば、手作りスピーカーのためのある程度の材料は専門店であれば揃っているものの、円筒形スピーカーの場合はまるきりそういう環境がないという点が大きなネックになったと思います。

この円筒形スピーカーの構成部品の中で必ずオーディオ用のものを使う部分といったら、基本的にはフルレンジのスピーカーユニットぐらいなもので、あとは筒本体、土台、仮想グランドという筒の内部の構造体など、あらゆるものが市販の建築資材などを随時応用しながら使うのですが、建築資材など、まさに無知のジャンルでしかもとてつもなく膨大ですから一朝一夕には事は運びません。

そんな中からスピーカー作りにちょうど良さそうなものを探し出すのは、工作少年でもなかったマロニエ君のような者にとってはまさに気の遠くなるような作業なわけです。
時間がかかるのは当たり前、調べ方さえもよくわからないし、部品部材の名称もわかりません。形状やサイズも様々なので、簡単に購入するわけにもいかず、手許に届いて少しでもサイズが違えば何の役にも立たないのでいよいよ慎重にならざるを得ません。

ごく単純な部品の調達などでも、専用品がなく規格外ともなると、ちょっとしたことでも困難が生じて、思いもよらぬ足止めをくらいます。
たとえばスピーカー本体となる1mのアルミ管を垂直状態に支えるための土台は、木の板を円形のドーナツ状に切り抜く必要があるということになり、そのためのカット作業は自分ではできないけれども、専門家に頼めば簡単にすむだろうと思っていたところ、さにあらず、とてもそう思い通りにはいきませんでした。

少し具体的に言いますと、厚さ3、4センチほど板を直径21センチの円に切り出して、さらに真ん中に10センチの穴を開けるという、たったそれだけのことが今どきはものすごい困難なわけです!
板は厚いものがなければ薄いものを貼り合わせればいいと思っていましたが、板なんてものはいくらでもあるようで、要は「円形に切る」というのが少々の所ではできないのでした。

ホームセンターの類に聞いても、直線のカットはできるようですが円形となると軒並みできませんという返事が返ってきますし、昔は結構あったように思える木工所の類も、ネットで見る限りよほど遠方に行かないとありません。

やむを得ず、複数の知人にこの件を相談したのですが、彼らはマロニエ君が送った寸法見取り図をもとに、すぐに知り合いの木工職人の方に掛け合ってくれたのですが、結果はいずれもマロニエ君にとってはゼロをひとつ間違えているんじゃないの?といいたくなるような金額を提示されて、驚きつつ、とてもではないとすごすご引き下がりました。

最近では、いわゆる普通の素朴な木工所というものがなくなっているようで、たまにあるのは手作りの高級家具をオーダー製作するといったような、いわば家具作家の工房のような性質の店になっており、とてもこちらの目的と予算に合うような手軽な感じで引き受けてくれるところがありまません。

素人の考えとしては、たかだか土台なんですから、そんな上質なこだわりを持った仕事ではなしに、目的と要望に応じて、二つ返事でサッと作ってくれる職人さんみたいな人がいそうなものだと思っていたのですが、どんなにネットで探してもそういう店はありませんでした。
何事も世の中が飛躍的に桁違いに便利になったこの頃ですが、その陰で、こういう人の手を必要とする類の作業依頼となるとものすごく不自由で、「なんで?」と思うほど小回りの利かない世の中になってしまったものだと思いましたね。
続きを読む

オーディオ道

オーディオにほとんど興味のないマロニエ君でしたが、今年は降って湧いたような自作スピーカーという課題ができてからというもの、俄にこのジャンルに興味を持つようになりました。

もちろんこのジャンルなどと一人前のことを云っても、たかだか自作スピーカーを中心とするその周辺のことに限定されていて、何十万何百万といった高級機器なんぞは自分にはまったくご縁のないものとして見向きもしておらず、あくまでも現実的な安物の範囲の話です。

ただし、昔からそうでしたが、オーディオの世界ばかりは高級品さえ買っておけば、その価格に応じて音質が段階的に間違いなく上がっていくのかというと、これはまったくそうとも云えない難しさを持っていて、このあたりの実情は現代でもさほど変わっていないようです。

もちろん、基本的には安物は安物で、それなりの音しかしないでしょうし、高級品も同様にそれなりの製品になると、それなりの音が出るという原則はあるでしょう。
ただし、そこには設計者の思想や理念もあれば、聴く側の主観や好みもあるし、組み合わせる機器の間に生まれる相性や、部屋の環境、聴く音楽のジャンルなど、そこにはもろもろの要素がそれこそ無限大に絡み合っていて、これが絶対という答えが永久にないだけに、そこがオーディオの奥深さにも繋がっているようです。

とくに高級品になればなるほど、その音の違いと価格差は甚だ曖昧かつ微細な領域に突入し、それだけの客観的な価値を見出すのは極めて難しいものとなっていくでしょう。
しかし、低価格帯ではある程度、価格と品質の関係というのは信頼に足るものがあり、たとえば2万円のスピーカーと10万円のスピーカーを較べたなら、ほとんどの場合は後者のほうがまず優れていると思われます。
しかし、これが高級品の世界になると、100万のアンプより300万のアンプのほうが確実に素晴らしいのかというと、これは一概に何ともいえない世界になるようです。

スピーカーも然りで、オーディオは高級品の世界になればなるほど、道楽の様相を一気に帯びてきて、それこそそれなりの経済力があって、この世界に足を取られてしまうと、まさに湯水のごとくお金を使ってしまうようです。最後には、オーディオの能力を発揮させることを前提にした家を造ったりすることにも及ぶようで、まさに終わりのない世界です。

しかも絶対というものはなく、たえず何らかの不満が残り、どこまでやっても「妥協」という文字から解放されることはないようです。

だからかどうかはわかりませんが、そんな頂上決戦の真逆を行くのが、チープなものを掻き集めて、いかに尤もらしい音を出すかという挑戦が昔からあって、マロニエ君にしてみればマニア道としても、こっちのほうがよほど無邪気であるし、知恵を絞り、アイデアを紡ぎ、失敗に笑い、発見に喜び、どれだけ面白いかと思っていますが、それは貧乏人の言い訳なのでしょうか…。
続きを読む

楽器と同じ

このブログの8月21日に書いた塩ビ管スピーカーは、ネットを見ると、ずいぶんたくさんの人が作っているように思えますが、マロニエ君のまわりには自作はおろか、御本家のYoshii9の存在すら知らない人が圧倒的ですから、やはり全体としてみれば今どきオーディオなどというものは、ごくごく少数のマニアだけが騒いでいるだけのことかもしれません。

昔は、オーディオマニアは決して珍しい部類ではなく、電気店に行っても、オーディオ売り場は一種独特のハイグレードな空気があってひときわ魅力あるカテゴリーのひとつでしたが、最近はすっかり衰退して、かなり隅っこに追いやられてしまっています。
やはり今は音楽分野もネットやiPodのたぐいが主流で、オーディオそのものが世の中の関心事から大きく遠ざかってしまっているようですが、それでも、本当に音楽を聞き込もうとする欲求と姿勢がある人なら、小さなイヤホンを耳にひっかけるだけでは事は済まないはずで、最低限のオーディオ機器は絶対不可欠だとマロニエ君は思います。

これはどんなにすばらしい電子ピアノが登場しても、生ピアノから得られる喜びや感動を超えることは出来ないことにも通じることのような気がします。

さて、その塩ビ管スピーカーの名前の由来ですが、小さなスピーカーユニットを先端に乗せるための細長い筒の材質のことで、塩ビ管とは、すなわち配水管などに使われるネズミ色の塩化ビニールのパイプ(管)を使ってスピーカーを作ることから、この名前が生まれ、やがて定着したようです。

長さ1m、直径わずか10cm前後の筒を垂直に立てて、その先端に8cmほどのフルレンジのスピーカーが乗っているという形状で、通常のスピーカー同様に左右2つで一対になるわけですが、なにも知らないと、パッと目はスピーカーに見えることはなく、新型の空気清浄機とかちょっと変わった照明器具のように見えるかもしれません。

マロニエ君も、柄にもなくすっかり作ってみる気になり、だいぶあれこれ調査しましたが、このスピーカーのいわばボディにあたるパイプの部分は、使う材質によっても音がずいぶん変わってくるらしいことがわかりました。
塩ビ管は要するにプラスチックで、ホームセンタなどわりに簡単に手に入る上、安いのが魅力ですが、硬度の関係から音がやや柔らかめでクリア感には乏しいようです。

塩ビ管以外にも、あえて硬い紙の筒を使って作る人もいるようですし、硬さの点からアルミ管やアクリル管という選択肢もあるようですが、こちらは塩ビ管に較べるといささか値が張ります。
御本家Yoshii9は何を使っているかというと、これもネットで知り得たところではアルミだそうですが、それにさらに特殊な処理が施されていて、それもあの美しい音に一役買っているものと思われます。

塩ビ管には塩ビ管なりの味わいがあるらしく、これはこれで奥の深い世界なんだそうですが、Yoshii9の素晴らしさのひとつがすっきりとした音のクリア感にあるので、やはりここは硬さのある材質が望ましいように思われます。その点ではアクリルもいいらしいのですが、アクリルは万一倒したりした場合、割れたりヒビが入るということもあるらしいので、そのあたりも考えあわせてマロニエ君の第一作としてはアルミ管とすることにしました。

基本となるスピーカーユニットの選択、パイプ部分の材質、中の構造物など、これはまさに楽器の構成要素にも大いに通じるところがあって、それをどのように組み合わせて、どんな音を引き出すか、これは考え始めると相当おもしろい体験になるような気がしています。
続きを読む

塩ビ管スピーカー

いま一部のオーディオマニアの間で、ささやかなブームになっているのが、塩ビ管スピーカー作りではないかと思います。
実はこういう世界があることは最近知ったのですが、マロニエ君の部屋にて拙文『Yoshii9』として書いている、同名の円筒形スピーカーを模して、自主工作によってその類似品を作るという人達がいるのです。
Yoshii9のもつ比類ない完成度の高さと、そこに聴かれるまさに輝く清流のような美しい音に魅せられた多くの人達がマニア魂に火をつけられ、この数年というもの、このスタイルのスピーカーの自作に挑戦奮闘しているようです。

自作が流行る最大の理由は、その無指向性型のスピーカーから流れ出る音の心地よさと、構造そのものは至ってシンプルで、一説によると通常のボックス型スピーカーを作るよりも簡単で、使う材料によっては安価でもあるということだろうと思われます。
しかし、では、ただ作ればいいのかといえば、そうではなく、問題はそこからいかに美しい極上の音を引き出せるかという点にあり、そのため各々試行錯誤を繰り返し、その悲喜こもごもの顛末はおもしろおかしく記録されて、多くのホームページなどで窺い知ることができます。

しかしそれは、マロニエ君にとって、世の中にはそんな趣味人がいるということでしかありませんでした。ある人からメールを受け取るまでは…。
ひと月以上前のことでしたが、マロニエ君のごく親しくしているピアノの知人がこれを作ったということを、何の予告もなしに、完成後にいきなり写真付きメールで知らせてきたのです。
まるで寝耳に水で、折しもYoshii9のもつ脅威的な音の世界に触れたことで、その鮮烈さに興奮さめやらぬというタイミングでしたので、なおさらのことそのモドキを作る人が、こんなにも自分の至近距離にいたなんて二重にびっくり仰天したわけです。

すぐにも聴かせて欲しいところでしたが、こういうときに限ってなかなか都合が合わずのびのびになっていたのですが、ようやく日曜にそれが叶い、聴き慣れたCDを携えて彼の自宅へ潜入することになりました。

彼はボディとなる円筒の材質別に、すでに3種類合計6本のスピーカーを作り上げており、見るとあれこれのホームページで見たものと同様のセオリー通りに製作されており、ただただ唖然とするばかりでした。

音のほうは、さすがに御本家のYoshii9には及ばないものの、それでもなかなか柔らかで好ましい、心地よい音を奏でていたことは特筆に値するものでした。
マロニエ君も製作してみないかと言ってくれますが、なにしろ工作の類はまったく得意でないというか、これまでにほとんどそれに類する事はやったことがないし、ましてやスピーカーなんてものは買うものであって、自分で作るなどとは考えたことさえありませんでしたから、はじめはまったくその気になれませんでした。

しかし、身近にそれを実行した人がいて、現物を見ると、知らず知らずのうちにその気になっていく自分が恐いような、笑ってしまうような、そんな気分です。

すでに、かなりその気になってしまい、早くも材料調達のためのいろいろなサイトを見て調べはじめていますから、このぶんではどんなヘンテコなものであれ、ひと組は作ってみることになりそうです。
続きを読む