ショパンコンクールのピアノ

今年はショパン・コンクールの年だったにもかかわらず、詳しい日程などもよく知らないうちにコンクールは始まり、そして終わっていました。

ネットニュースで韓国のチョ・ソンジンが優勝というニュースを見るにおよんで、ああ彼か…と思うと同時に、ソンジンは日本でもかなりコンサートなどをやっていたこともあり、ショパンコンクールからまったく未知の新人が登場したという新鮮味もないのはいささか残念でもあります。
ですが、最近はすでにステージの経験も積んだセミプロのような同じ顔ぶれが著名コンクールを渡り歩くのが常のようでもあり、まあそういうところか…と思うことに。

終了しているのに今更という感じもありましたが、逐一配信されているはずの動画を探してみると、コンクールのホームページには行き当たったものの、最近はサイトの作りも大掛かりなわりに、単純に動画を見ることが意外に容易ではないようです。

こういうことの得意な人には雑作もないことかもしれないが、めっぽう苦手なマロニエ君にしてみれば、あれこれ苦労している間に興が削がれてきて、だんだんどうでもいいような気になってきたりで大変です。

コンクール自体が終了して、サイトの内容も日ごとに変わっているのどうかわかりませんが、あるとき、出場者と使用ピアノが記された表のようなものを見ることができました(もう一度見ようと思っても、もうわかりません)。それによると例の4社のピアノのうち、今年はヤマハとスタインウェイが大半を占め、カワイはほんの僅か、ファツィオリに至っては一人か二人で、後半の出番は皆無だったようです。

以前どこかのコンクールでは、ファツィオリに人気が集中したというようなことも聞きましたがが、今回はまた一転どうしたわけなのでしょう。

せめて限られた動画だけでも見てみようと、たまたまあった第1次で8人ぐらい出てくる4時間ちょっとの映像があったので、それをかい摘んで見てみました。果たしてそこに聴くヤマハ、スタインウェイ、カワイの順で出てきたピアノは、どれもかなりきわどい感じでマロニエ君の好みとは程遠いものでした。

共通しているのは、コンクール用の特別仕様なのか、やたらパンパン鳴るばかりで深みのない、どちらかというと電子ピアノ的な音で、とくにヤマハなどはいささか疲れてくる感じの音に聴こえますが、そのヤマハを選ぶ人がずいぶん多かったようです。
スタインウェイも似たような傾向で、キーを押せばたちまち会場内に鳴りまくるといった感じで、馥郁たる響きやタッチによる音色の妙などというものは感じられません。
カワイはそこにちょっと東欧的な郷愁のようなものがあるけれど、基本的には似た感じで、3台とも極限までチューンナップされたコンクール用マシンのようなイメージでした。
極端な話、コンクールの間だけ保てばいいというような考え方なのかもしれません。

こうなると、ファツィオリはどんな音だったのか、いちおう聴いてみたくなったものの、これがなかなかうまくいきません。

あれこれ探しているうちに、どなたかのブログに行き当たり、コンクールのピアノを担当した技術者にインタビューというのがあって、それを読んでいると、ファツィオリの有名な日本人技術者によれば、ショパンらしくあたたかい音に調整したアクションと、もうひとつチャイコフスキーコンクールで使ったアクションを準備していたところ、他社のピアノの傾向からショパン用のアクションは陽の目を見なかったというようなコメントが目に止まりました。

ピアノメーカーも戦いというのはわかりますし、出る以上は選ばれて弾かれないことにははじまらないのもわかります。でも、それがあまりに過熱してしまうと、それぞれのピアノの本来の持ち味というより、ショパンコンクール仕様の特別ピアノの戦いという限定枠バトルという感じで、そう割り切っておけばいいのかもしれませんが、なんとなくマロニエ君は釈然としないものも残ります。

もちろん企業たるもの、きれい事では立ち行かないのが世の常ですが、理想のピアノの追求というものとは、少し方向が違っているような印象を覚えます。むろん現地で聴けば素晴らしいものかもしれませんが。

気になったのは、あれだけ製品に自信満々だったファツィオリは、more powerをもとめて早くもフレームなどのモデルチェンジを敢行したとのことで、奇しくもマロニエ君がパワーピアノだと感じたチャイコフスキーコンクールでのファツィオリはそのニュータイプだったそうで、どうりでと納得でした。

コンサートグランドたるもの、大きなホールでオーケストラにも伍して使われるピアノなので、力強い鳴りというのもわかるけれれど、だんだんラグビー選手のようなマッチョピアノになっていくとしたら、個人的には嬉しいことではありません。

どんなピアノが選ばれるのか、どんなピアニストがどんな演奏で入賞するのか、どんな絵や小説が賞をとるのか、すべてはまず情報戦というか、それに特化した戦いの色合いを帯びてきているこの頃、やたらと先鋭化するばかりで、どうも素直に楽しめないものになってしまったようです。
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軽くなりました!

9月の中旬からスタートした調律師Bさんによるタッチの改善作業は早くも5回目を迎えました。

ピアノの調整というものは、やりだすと際限がないものですが、いちおうの山も見えてきたことでもあり、マロニエ君としては願わくはここらで一区切り(終りという意味ではなく、あくまでも区切り)をつけていただければと考えて、できれば整音と調律までやっていただきたいとお願いしてみました。

今回はキャプスタン位置修正後、未完となっていた調整作業の続きが第一の目的でしたが、このさい調律もしてもらって、いちどきれいに整った音で弾いてみたくなったのです。
その結果を含めながら先に進みたいという目論見です。

今回は約4時間ほどの作業となりましたが、その結果はというと、懸案であったタッチ改善は大成功で、長年背負ってきた荷を下ろしたように軽快になり、めでたくこのピアノのオーバーホール以来、最も弾きやすい均一なタッチを獲得するに至りました。

さらに整音と調律がなされたことで、これまでとはかなり違った表情をみせるピアノへと変貌し、ついにここまで来たか!と思うと、その長かった道のりは感慨もひとしおでした。

ダウンウェイトを計ってみると、概ね50g未満となっており、もはやスタインウェイ並の数値です。
もともと重い部類に属するディアパソンとしては、これは望外のものであるし、タッチの感触も軽快で、フレーズの終りなど手首を上へ抜いていくような局面でも、細やかにきちんと表現できるものになったことは予想以上でした。

なにより特筆大書すべきは、鍵盤の鉛調整であるとか、ハンマーを軽いものに交換もしくは整形によって軽くするなどの方法は一切とられていないという点です。
以前にも書いたように、ずれていたキャプスタンの位置を修正した以外は、ひたすら各部各所の調整によって達成されたもので、これはピアノの整調において、最もオーセンティックなやり方であったと思います。

マロニエ君は、Bさんの技術者としての思慮深さと、結果に対して尊敬と感謝の念を禁じえません。やはり中途半端に諦めてはいけないということであり、単に嬉しいだけでなく、いい勉強にもなったというのが率直なところです。

重く暑苦しいタッチに慣れてしまったためか、はじめは戸惑うほど楽々とキーが沈み、かつ速やかに元に戻ります。しかもpやppもなめらかでコントローラブルであることは、Bさんの技術の奥深さと技術者魂をまざまざと感じます。

軽くてもストンと一瞬で下に落ちてしまうタッチでは、強弱や音色のコントロールがしづらく楽しくありませんが、入力に対していかようにも反応してくれるタッチは、自分の体とアクションがダイレクトにつながっているみたいで、とくに装飾音などがきれいにキマってくれたりすると、弾いていて俄然楽しくなります。

実はマロニエ君は、以前にも経験があったのですが、冴えないタッチを改善するための策としては、特にこれという特効薬のような技法があるのではなく、セオリー通りのきちんとした調整を忍耐強く積み上げることによって、ようやく達成できるものということを理解したことがありました。
そうはいっても、ピアノの調整はプロの専門領域なので、技術者の方の判断こそが決め手となり、持ち主は何の手出しもできません。そのためにこういう難所を越えられないまま、ずっと弾きにくい状態が続いているピアノはものすごくたくさんあるはずです。

そういう意味では、ホールのピアノの保守点検などは、いわば調整領域のオーバーホールみたいなところを含んでいると思われ、これは確かに必要なんだということが痛感させられます。

我が家のディアパソンでは、結果として対症療法的な解決ばかりを探っていたのかもしれず、かくなる上はタッチレールというアシスト装置の取り付けすら考えていたわけで、今回は、そのタッチレールを取り付けるかどうかを判断する、最終確認という意味もあったので、きわどいところだったという気もします。

ではこれで終りかというと、どうでしょう…そうでもあるような…ないような、問題がないわけではないけれど、あまりそういうことにばかり気持ちが行っていると、一番大切な「ピアノを楽しむ」という部分が置き去りになってしまうので、しばらくはこの状態を楽しむべきだと思っているところです。

持ち主が楽しめば楽しむだけ、当人はむろんのこと、ピアノも幸せであるし、なにより技術者さんも腕をふるってくださった甲斐があるというものですから。
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CDいろいろ

ピアノがお好きな知人の方から、ひさびさにたくさんのCD-Rが届きましたので、その中から印象に残ったことなど。

イーゴリ・レヴィットというロシアのピアニストは、CDを買ってみようかどうかと迷っていたところへ、今回のCDの束の中にその名があり、これ幸いに初めて聴いてみることができました。
曲はバッハのパルティータ全曲、奇をてらったところのないクリアないい演奏だなぁというのが第一印象。
いまどきメジャーレーベルからCDを出すほどの人なので、技術的に申し分ないことは言うに及ばずで、安心して音に乗っていける心地良さに惹きつけられました。

近年、いわゆるスター級の大型ピアニストというのはめっきりいなくなったものの、それと入れ替わるように、音楽的にも充分に収斂された解釈と、無理のない奏法によって、趣味の良い演奏を聴かせる良識派のピアニストがずいぶん増えたと思います。

レヴィットは、他にベートーヴェンの後期のソナタやゴルトベルク/ディアベッリ変奏曲なども出ているようなので、おおよそどんな演奏をする人かわかったことでもあるし、近いうちに買ってみようとかと思っています。

それにしてもロシアのピアニストも新しい世代はずいぶん変わったものだと思います。
20世紀後半までは巨匠リヒテルを筆頭に、ときに強引ともいえるタッチでピアノをガンガン鳴らし、どんな曲でも重量感のあるこってりした演奏に終始したものですが、それがここ20年ぐらいでしょうか、見違えるほど垢抜けて、スマートな演奏をする人が何人も出てきているようです。
少なくとも演奏だけ聴いたら、ロシア人ピアニストとは思えないような繊細さを、ロシアのピアノ界全体が身につけてきたということかもしれません。

ほかには自分では買う決心がつかなかったヴァレンティーナ・リシッツァのショパンのエチュードop.10/25全曲がありました。

この人はまずネットで有名になり、YouTubeに投稿された数々の演奏が話題を呼んで、そこからCDデビューを果たしたという、いかにも現代ならではの経歴を持つ人です。
そのネット動画でチラチラ見たことはあったものの、CDとして聴いてみるのは初めてのこと。

ムササビのようなスピード感が印象的で、それを可能にする技術は大したものですが、すごいすごいと感心するばかりで、好みの演奏というのとは少々違う気がします。どちらかというとトップアスリートの妙技に接してようで、そういう爽快さを得たい向きには最高でしょう。

あくまでも卓越した指の圧倒的技巧がまずあって、音楽的抑揚やらなにやらはあとから付け足されていった感じを受けるのはマロニエ君だけでしょうか…。
一音一音、あるいはフレーズごとに音楽上の言葉や意味があるのではなく、長い指が蜘蛛の足のように猛烈に動きまわることで、いつしか精巧なレース編みのような巣が出来上がっていくようで、そういう美しさはあるのかもしれません。

それでも曲によってはハッとさせられるものがあることも事実で、個人的に最高の出来だと思えるのはop.25-12で、まさに「大洋」の名のごとく、無数の波のうねりがとめどなく打ち付けてくる緊張感あふれる光景が広がり、その中で各音が細かい波しぶきのように散らばるさまは圧巻というほかなく、素直に感嘆しました。

いっぽうテンポの遅い曲では、やむを得ずおとなしくしているようで、やはりスピードがアップし音数が増してくると本領発揮のようですが、音色や音圧の変化、ポリフォニックな弾き分けなどは比較的少なめで、音楽的な起伏という点ではわりに平坦で、均一な演奏という印象。
楽器や技術者に於いては「均一」は重要なファクターですが、演奏においては褒め言葉にはなるかどうか微妙なところですね。

リシッツァとはおもしろいほど正反対だったのが、故エディット・ピヒト・アクセンフェルトによる同じくショパンのエチュードop.10/25全曲でした。
冒頭のop.10-1から、一つ一つの広すぎるアルペジョをせっせと上り下りするのは、聴いているほうも息が切れるようですが、その中に滲み出る独特の味わいがありました。

リシッツァでは上りも下りも風のひと吹きでしかないのに対して、アクセンフェルトは一歩一歩大地を踏みしめていくようで、各音の意味や変化を教義的に説かれているみたいです。
世の中にあまたあるショパンのエチュードの録音は、きっとこの両極の中にほとんど入ってしまうのかもしれません。

あれ?…まだたくさんあったのに、これだけで終わってしまいました。
また折々に。
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『ピアノのムシ』3

『ピアノのムシ』の中に描かれているあれこれの内容は、多くのピアノ技術者および業界が抱える内なる心情が澱のように堆積していること、すなわちピアノを取り巻くの社会の恒常的不条理をマンガという手段を得て、おもしろおかしくフィクション化したものだと思います。

主人公の蛭田は、とてもではないけれど実社会では通用しそうにない不適合人物として描かれながらも、このマンガの中の真実を伝えるナビゲーターとして縦横に動き回ります。ここでの蛭田のワルキャラは、いわば意図された偽悪趣味なのであって、本当のワルはいずこやという点が、まるで対旋律のように流れており、これこそがこのマンガの核心であることは明白でしょう。

大手メーカーと小さな販売店の関係。あるいは販売店同士の戦い。
いたるところに見え隠れする卑怯で悪辣な手口。
ホールの官僚的な管理体制と、そこにつけこんで結託する指定業者の壁。
すべてを調律師のせいにするピアニストはじめピアノを弾く人達。
無理難題をサディスティックに押し付けてくる大メーカーや各関係者。
実力もないのに勘違いでピアノを弾くピアニスト。

いっぽうで、専門性を武器にお客にウソをも吹き込んで、無用の修理や買い替えを迫る技術者。
楽器の特質を知らず、却ってピアノをダメにしてしまう技術者。

とりわけお門違いの要求やクレームをつけてくる演奏者側のくだりは、マロニエ君も伝え聞いて知っていることも少くないし、いずこも同じらしいことを痛感させられます。

また調律師ばかりが被害者というのでもなく、これ自体もピンキリで、ピアノの修理に疎い客が、悪徳技術者に弄ばれることにも警鐘を鳴らしています。これをして「調律師と詐欺師は紙一重」だとまで言い切っているのは痛烈です。
調律師の個人的な悪行もあれば、メーカーの営業サイドの思惑を背負わされたケースもあり、まあどんな世界でも油断はできないということですね。

各場面で発射される蛭田の暴言の中には、実はとても聞き逃すことのできない、物事の深いところを突いた言葉が散見されます(具体的には書くのは控えますが)。
蛭田は、楽器メーカー、大手販売店、ホール、ピアノのユーザー、ピアニスト、ピアノ教師、さらには今どきの同業者など、ピアノ業界を生きていく上で避けては通れないもろもろの人物の大半を、一様に見下して軽蔑しているのでしょう。

しかも、それが本質においては勝手な決めつけではなく、蛭田の主張のほうがよほど常識的で、正当な根拠のある場合が多く、いちいちニヤリとさせられます。
それを蛭田というはみ出し者のキャラクター、さらには一見無謀な態度にかぶせながら、実はちゃっかり真実を語っているあたりは、なるほどマンガの世界にはこういう表現方法があるのかと感心してしまいます。

蛭田の痛烈な罵詈雑言の数々は、まともな技術者なら一度は言ってやりたい誘惑(衝動?)にかられる本音であり、場合によっては「叫び」なんだろうと思います。

蛭田には、調律師の国家資格もなければ、エメリッヒ(おそらくスタインウェイ)の認定技術者でもなく、調律師の協会すら所属していません。
肩書なんぞ「うそっぱち」というところでしょう。
実力ひとつで勝負しているまさに一匹狼というわけですが、その勝負にすら積極的ではなく、ほとんど世捨て人同然の生き方をする中で、唯一熱中するのが格闘技観戦というのもわかる気がします。
自分の身を置く世界には何ひとつ希望はないという諦観の表れかもしれません。

そういえば、マロニエ君の知る調律師さんの中にも、ピアノの音や響きには人一倍のこだわりがありながら、いわゆる群れをなさず、趣味はなんとボクシングという猛者がおられるのを思い出しました。
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うたかたの軽快

位置のズレたキャプスタンを調整するため、ディアパソンの鍵盤一式を持ち帰っていただいて1週間余、作業は無事に終わったとのことで、いよいよ「矯正」されて戻ってくる日を迎えました。

我が家は外の入り口から玄関まで階段があり、調律師さんと二人、これをエッサエッサと抱えて上まで登るのはなかなかに骨の折れる力仕事です。無事にピアノ前の椅子に置いて手を離したときは、両肩が上下するほど息遣いも荒くなりました。

近ごろは女性のコンサートチューナーも増えていると聞きますが、さらに奥行きのあるフルコン用の鍵盤一式を自在に動かせないとこの仕事はできないでしょうから、かなり大変だろうなあと思ったり。

さてさて、果たしてどんな結果になるか興味津々ですが、さすがにマロニエ君も、この領域は期待した通りに右から左に事が進むことはなかなかないことを自分なりに経験してきているので、単純にさあこれで解決というようには思わないぐらいの覚悟は一応ついています。

それでも、ズレていたものが正しい位置に戻ったことによる良さはきっとあるはずなので、期待はまず半分ぐらいに抑えながらキーに触れてみると、ん?!?
ホ、かるい!
少なくともこのピアノと過ごした数年の中で、一度も経験したことのなかった軽さに到達できていることに、嬉しいとも驚いたともつかない、むしろじんわりした達成感が遅れてやってくるような…不思議な気分になりました。

長らく預けていたこともあって、あれこれのチェックや調整もしていただいたようで、この軽さがキャプスタンの位置の修正のみによるものではなかろうと思いますが、とにかく、軽くなったことは間違いなく今眼の前にある事実なわけで、ひとまずは大願成就というところで胸を撫で下ろしました。

マロニエ君としては、ひとまずこれで充ーー分満足なのですが、調律師さんとしては、仕上げた鍵盤一式をポンとピアノへ放り込んでハイ終わりというわけにもいかないようで、ここからまたピアノに合わせてさらなる現場調整と相成ったのはいうまでもありません。

こちらは何はともあれ、軽くなったことばかりを喜んでいるわけですが、聴けば鍵盤がやや深めになっているとかで、工房での作業時の状態と、実際のピアノの棚板に置いた状態では微妙な違いが出てくるのだそうで、要するにそのあたりの調整作業に取りかかられました。

しばらくののち、一区切りついたところで弾いてみると、ん?んんん?
軽くなったはずタッチがまた少しネチャっとしてきたようで、さっきのはつかの間の喜びだったのかと思いました。
調律師さんももちろんこの変化はすぐに感じ取られ、その後もあれこれの調整をされましたが、あいにくとこの日は時間切れとなり、少し挽回したところでまた次回へ持ち越しということになりました。

不思議なのは、最低音から五度ぐらいの間はひじょうに軽やかなのに、そこから上になると、しだいに変な粘りみたいなものが出てくるという状況です。一度はひじょうに軽快になったことは事実だったので、状態としてはそこまできていると思われ、再度の調整に期待することになりました。
本音をいうと、軽くなったところで微調整はそこそこにして、整音と調律をしてもらって、ひとまず気持よく弾いてみたいものですが、要はここらが自宅での作業の限界を感じます。我が家がクレーンの必要ない環境なら、ピアノごと調律師さんに預けたいところです。


余談ですが、季刊誌『考える人』の2009年春号に掲載された松尾楽器の技術部長の方の談よると、整音に使うピッカーの針は通常3本なのに対して、この方がフェルトの幅に沿ってより均等にゆるませるために針数をふやしたピッカーを作ってみたところ、良い結果がでたというようなことが書かれています。

雑談中、たまたまそんな話になったところ、「あ、私も自分で作って持ってます」と無造作に工具かばんをゴソゴソされて、果たして何本もの「それ」が目の前に出てきたのにはびっくりでした。

技術者というのは皆さんすごいもんだとあらためて思いました。
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ペライア雑感

Eテレのクラシック音楽館で今年のNHK音楽祭から、ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団とマレイ・ペライアのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を視聴しました。

ペライアはレコーディングされたものに関しては、主だったところはだいたい聴いてきたつもりですが、初期を除くと、きれいなんだけどよくわからないピアニストだという印象があります。
いつだったか指の故障に見舞われて、演奏活動を休止したことがありましたが、見事に復活して今日に至っているのは幸いですが、ピアニストとしての方向性というか定めるべき本質のようなものはずいぶん変質してきたというのが率直なところでしょうか。

マロニエ君にとってはこの指の故障前までのペライアはそれなりに好きなピアニストだったし、彼がどのような演奏を目指していたのかもわかるようで、素直について行くことができました。
デビュー盤(正確にそうかどうかは知りませんが)のシューマンの清冽さ、イギリス室内管弦楽団とのモーツァルトのピアノ協奏曲全集はこの時期の出色の演奏だったと思いますし、いまでも時折聞いているディスクです。

マロニエ君のおぼろげなペライアのイメージとしては、アメリカ出身のピアニストとは思えぬキメ細かな配慮、趣味の良いリリックな語り口、こまやかで緻密に動く指と幸福な美音で聴かせるピアニストで、強いていうなら、リパッティの後継者のような印象と期待をもって眺めていた覚えがあるのです。

しかし、当時からベートーヴェンなどになると、やや軽量な感じが出て、表現にもエグさが足りず、こちらの方面には向いていない人だという印象でした。

当人はそれに満足しなかったのか(一説にはホロヴィッツの助言もあったなどといわれていますが)、よりヴィルトゥオーソ的な技巧面に踏み込みはじめ、しだいに大曲なども手掛けるようになります。そうかと思うと、バッハやショパンにまでレパートリーを拡大していくのは、ますます異質な気がして首を傾げました。

もちろんその間のペライアの考えだとか、個々の事情などはわかるはずもありませんが、ともかく表に出てくるものは、専門店がだんだんデパート的になっていく感じとでもいえばいいでしょうか。

昨年のソロリサイタルや、今回のベートーヴェンの協奏曲4番も、ペライアが本来生まれ持った資質(やや小ぶりだけれどもとても美しいもの)の枠をはみ出してしまったようで、聴いていて何か収まりが悪いというか、演奏構成の弱さが感じられてしまうのです。
誤解しないでいただきたいのは、ベートーヴェンの4番がペライアの技量以上の作品といっているわけではなく、彼がやろうとしているパフォーマンスの目指すところが、潜在的な資質とは食い違ったもののように聴こえるということです。

喩えていうと、室内楽向きの優れた中型ピアノでチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲を弾くような、シューベルトの歌い手がヴェルディのオペラを歌うような、器の限界を超えてバランスを崩すようなものでしょうか。
生来の器にそぐわぬ「無理してる感」が、どうしても安心して聴けない原因なのかも。
指はよく動いて、テキストの流麗な美しさを追いかけるのはお手のものですが、上モノが重すぎると腰の座った演奏にならずに、作品の持つ内奥へどうしても入っていけません。

それでも、ペライアの出すブリリアントな音には品位があり、渦巻くような装飾音やスケールのたとえようもない美しさなどは健在で、このあたりはさすがというほかありません。ペライアのピアノは、演奏を通じて作品の核心に迫るというより、この随所に出てくる極上の装飾音やスケールに魅力があり、それを耳にするだけで価値があるのかもしれません。

ただし、フォルテシモなどでは上から叩きつけるような強引な弾き方になるのは、この人にそぐわない猫パンチみたいで、あまり無理をすると、また手の故障になりわしないかと要らぬ心配をしてしまいます。

ついでながら、以前もインタビューでベートーヴェンの熱情ソナタを何かの物語に喩えた発言に首をひねりましたが、今回は第2楽章が「オルフェオとエウリディーチェ」なんだとか、…。
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本当にかんたん

すでに先々週のことですが、注文から3日ほどした頃、ブルーレイレコーダが届きました。
が、自分で取り付けることを考えると気が重く、すぐに開けてみる気にもなれません。

さらには、これまで使っていたDVDレコーダのHDDの中には、まだ視ていない番組がゴロゴロたまっているので、それをどうしたものかというのも正直なところ。

下手に取り外して、新しいレコーダを首尾よく取り付けられなかったら、その時こそ視ることも録画することもできなくなるわけで、それを思うとつい一日延ばしになってしまいます。

むかしとは違い、なんでもコンセントに差し込めば使えるという時代ではなく、パソコンの周辺機器を取り付けるだけでも、設定やらなにやら、頭が痛くなりそうな操作の連続という記憶があります。もともとその方面の自信はないし、現在のテレビとレコーダの時もお店の人がやってきて、画面を見ながらずいぶんややこしい設定作業をやっていた記憶があるので、考えただけでうんざりでした。

…では、取り付けの自信もないのに、なぜネット通販で買ったのかというと、レコーダの取り付けはシロウトにも可能か?というたぐいの検索をしてみると、異口同音に「かんたん!」「だれでもできる」「小学生でもできる」などと事もなげに書かれているので、そうなんだ…と思い、安さの魅力もあってこちらで購入してしまったしだい。

それでもなんとなく手をつけるのが億劫であることに変わりはなく、送られてきたままの姿で数日放っておくと、ついに家人から「いつになったら取り付けるの?」と言われ出し、よく聞いてみると、BSが復活するのをずっと「待っている」のだそうで、ついに覚悟を決めて着手することに。

箱を開け本体を取り出してみると(今どきの機械はどれもそうですが)、スペックは格段に進歩しているにもかかわらず、よりコンパクトで、軽くて、はじめはなんとなく物足りないような感じがします。くわえて、作り自体も新しくなるだけ明らかに安っぽくなっていくようで、こういうところにも時代を感じるものです。

まあ、壊れたらパッと買い換えるには、このほうが未練も残らずいいかもしれませんが。

さて、慣れない作業をするには準備が大変で、背後に刺さっているコード類を間違えないようにクリップで目印をつけながらおそるおそる引き抜いて、同じように新しい機械に差し込むと、これは意外に短時間で済みました。
しかしチャンネル設定などが大変だろうから、ここからが本番だと思って取説片手に画面を操作してみると、なんのことはない、指示にしたがって「はい」か「いいえ」のボタンを何度か押し、郵便番号などを入力するだけで、スルスルと終わってしまいました。

「だれでもできる」というのはまさしく本当で、逆に、こんなことをするだけで大型電気店では4000円も取るのかと思いました。
数年前とはずいぶん様子が変わっているようで、悩みの種であったチャンネル設定などは、機械のほうですべて自動的にやってくれるようで、このあたりはさすがに技術の進歩が身にしみました。

初めての経験は、2番組同時録画という機能で、さっそくこれを試してみたところ、たしかに同時刻に2つの番組が両方録画されているのは感動的でした。
毎週連続して録画する番組の同時刻に、これは録画しておきたいというようなこともたまにあると、二者択一に悩ませられたものですが、これからはその必要もないわけで、こういうときはやはり新しい機械はいいなぁと思う瞬間です。

それでも、HDD内は空っぽで、これから順次たまっていくとは思うものの、見るものがないというのは心細いものがあります。
録画したい番組は実はそうそうないので、旧に復するにはひと月はかかるかもしれません。
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芸能人化?

知人がコンサートに行って、一通りでなく憤慨して帰って来られたようでした。

その方はユンディ・リのピアノリサイタルに行かれたものの、そのあまりの演奏の酷さに驚き呆れ、その不快感が翌日になっても収まらず、まだ続いているというのです。

曲目はオールショパンで、バラード全曲や24の前奏曲などであったようですが、冒頭のバラード第1番から、まったくやる気のない演奏で、「この人、ピアニストをやめるつもりか…?」とさえ思ったといいます。

どの曲でも楽譜を平置きにして、それを自分でめくりながら弾くというもので、大きなミスがあったり、パッセージごとすっ飛ばされたりと、とても本気で弾いているとは思えないもので、会場もまったく盛り上がらず、拍手もまばらだったといいます。
とりわけ24の前奏曲はCDの新譜が出たばかりで、普通なら時期的にもよほど手の内に入っているのが普通であるのに、この日のユンディ氏はこれの暗譜もおぼつかないといった様子で、ずっと楽譜を見ながらという状態が続いたそうです。

今も日本ツアーが全国各地で開かれるようですが、リサイタルという名のもとにギャラを取りながら練習しているといった風情で、自分の名声をどう思っているのかと首を傾げるばかりです。

ソロリサイタルでも、楽譜を見ながら弾くこと自体が悪いことではなく、晩年のリヒテルはじめ、ルイサダ、メジェーエワなど、現役でも楽譜を置いて弾くピアニストはいますし、楽譜を見て弾いたからといって、即それが非難されるものではありませんが、ユンディ氏の場合、どうもそういうこととは様子が違うようです。

むろんピアニストも生身の人間なので、上手くいくときもいかないときもあるし、気分が乗らないこともあるでしょう。しかし、いったんステージを引き受けた以上、プロの世界が厳しいのは当たり前。とくに一流人は、どんなに調子が悪くても「演奏クオリティの最低保証」ができないようでは、ステージに立つべきではありません。

わけてもユンディ氏は、ショパンコンクールの優勝者で、ドイツ・グラモフォンの専属アーティストで、世界を股にかけて活躍する第一級のピアニスト、チケット代も最高クラスのひとりですし、当然それに相当するギャラをしっかり受け取っているはずです。

ちなみに知人が聴いたのは3階のB席で9000円、S席は13000円だそうです。
しかも多くの人は数カ月前から前もってチケットを購入して楽しみにしていたのはもちろんのこと、この金額ともなれば、それなりの演奏を期待しているのは当然です。音楽的アプローチやセンスや解釈が合わないことはやむを得ませんが、無気力な演奏で惨憺たるステージになってしまうというのは、いったいどういうことなのかと思います。

そんな話に呆れていると、別の友人が変な話を持ってきてくれました。
11月2日(月)のYahoo!ニュースによると、この福岡シンフォニーホールでのリサイタルのわずか二日前、ユンディ氏はソウルでショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏中、指が止まってしまうというアクシデントがあり、それを「指揮者とオーケストラに責任転嫁した」と報じられた由。それはブログで本人が否定と謝罪をしたけれど、韓国での批判は収まらず「芸能界で悪ふざけしすぎ」「芸能人だから練習するひまもない」「サイドビジネスが忙しいようだ」「ラン・ランを見習うべき」といったコメントであふれているとあります。

それに関連して他の記事にも目を向けると、まだありました。今年10月に開催され終了したショパンコンクールにおいても、ユンディ氏は史上最年少の審査員に抜擢されながら、そのうちの3日間を欠席したというもの。その理由というのがちょうどこの時期に上海で行われた人気俳優とモデルの結婚式に出席するためというのですから、こちらも「恥さらしな行為」として大ブーイングだったようです。

さらに別の記事(Record China)によると、最近のユンディ氏は女性スキャンダルばかりが話題で、台湾女性、中国の人気女優、香港の女優など次から次にお相手を変えては世間を騒がせているといいます。
もちろんクラシックの音楽家が聖人君子であるなどとは思ってもいませんし、多少のことはむしろ大目に見られる世界だろうと思いますが、なんとなく全体として受ける印象が、あまり気持ちのいいものではないのも事実です。
「かつては記者に追いかけられ、スキャンダルを捏造される被害者的な立場だったが、最近では進んで話題を提供し、自らを“娯楽化”していると批判も浴びている。」ともあります。へええ。

世界的な演奏家などが、ある意味何をやっても許されるのは、あくまでも本業において一流の仕事をやってのけることへの代償としてですから、肝心のピアノがボロボロになるようではだれも見向きもしなくなるような気がします。
せっかくあれだけの才能がありながら…惜しいことです。
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油断禁物

ある日突然、BS放送が一切映らなくなりました。
我が家は地上波の放送はケーブルテレビですが、BSはベランダにアンテナを取り付けてそこから受信しています。

このBSアンテナのすぐそばに木があって、枝葉が茂ると受信電波を阻害するので、今回もそれだと思って「高枝切り」を使って可能な限り周辺の枝を切り落としました。

高枝切りというのは自重もある上に刃先との距離があるぶん、作業はやり辛く、腕から肩にかけてガクガクに疲れるので、できるだけやりたくないのですが映らないとなればやむを得ません。
「さあこれでよし!」というわけで勇んでテレビをつけてみますが、果たして何の変化もなく、あいかわらず画面には「受信できません」という無情な警告が出るばかり。

それで購入した電気店に電話したところ、アンテナの調整に来てくれることになりました。
テレビとアンテナの間を何往復もしたあげく、設定などもやり直した結果、めでたくBSは復活し、出張料や作業代を支払って一件落着となりました。BSの電波受信もすこぶる良好とのことで、その点も一安心でした。

…のはずだったのに、それから数時間後、なんとなくBSにしてみると、なんと、また「受信できません」の警告が出ていることに愕然!
すぐに電話しましたが、その日はどうしても他の予定があるというので、翌日また来てくれて、DVDレコーダ内のBSアンテナ設定というのが「切」になっていたというので、「入」にすると映るようになるようです。

で、その設定画面の呼び出し方なども教えて帰って行かれましたが、信じがたいことに、また時間を置くと「受信できません」となり、どうやらひとりでに設定が「切」になってしまうようでした。それを伝えると、受信状況に問題はないことからも、レコーダの故障以外には考えられないということでした。
やむなくレコーダの修理受付に電話したら、出張代+修理代で、金額も見てみないとわからないということで「できれば買い替えられたほうが…」という決まり文句を聞かされる羽目に。

店側に残っている記録によれば、購入後7年が経過しており、それを修理するより、もはやブルーレイレコーダでも買ったほうが得策だというのもたしかに一理あります。出たてのころはずいぶん高かったブルーレイレコーダも、今では安いものなら3万円台からあるようで、さらに機種によっては容量が1TB(現在の250MBから一気に4倍)となったり、2番組同時録画なども可能だったり、なんと無線LAN機能のある機種同士なら別の部屋のレコーダと内容を共有することもできるなど、いま使っているものとは比較にならない多機能ぶりのようです。
ブルーレイレコーダは、これまでのDVDディスクの再生も可能だというので、それならDVDレコーダにこだわる必要もなく、けっきょく新しく買うことになりました。

できれば前回同様の大型電気店で買って、5年保証などのアフターサービスなどにも期待したいという漠然とした考えがあったのですが、よくよく話を聞いてみると、いざ故障というときは来てくれるのではなく、自分で店舗まで機器を持って行かなくてはならない(ということは取りにも行く?)など、その内容は期待ほどではないことがしだいにわかってきました。

近くの店頭で購入しても、いざ故障したときはそんな手間隙がかかるならメリットも薄らぐようで、ネットでもっと安く買ったほうがよほどせいせいするというものです。
ネットでは、これというお目当ての機種は4万円台前半で買えるのですが、これを店頭で買うと、どこも6000円から10000円ほど高くなり、しかも取り付け料も数千円が別途請求とのこと。ふーん…。

で、ネット購入に絞ったわけですが、こっちにもオプションで5年保証というのがあり、それに加入するには、これもまた店によって差がありますが、おおよそ3000円ぐらいが相場のようでした。
せめてこれぐらいは付けておいたほうがいいかなと思いつつ、遠方の店から通販で買った場合、どういう流れで保証を受けるのか気になったので直接電話して聞いてみることに。

その結果わかったことは、1年以内はメーカーの保証を使い、それ以降5年以内に発生した故障に関しては、購入店ではなく「保証会社」へ自分で連絡して手続きを行うというもので、機器も自分で取り外して、自分で梱包して、メーカーの修理受付の手続きをした上で発送するという、要するにすべての作業を自分の手でおこなうというものでした。

さらに手続き開始から修理完了まで、早くても2週間、場合によっては一ヶ月ほどかかることもあるらしく、その間は当然ながらレコーダは無しの状態になるわけです。代替機のことを聞くのは忘れていましたが、あの調子ではそんなものあるはずがないという印象でした。
それでもいいという方もいらっしゃるかもしれませんが、マロニエ君にしてみれば「そんな面倒くさいこと、ヤなこった!」というのが偽らざるところです。

ちなみに「安心」や「信頼」を標榜する大型電気店とどこが違うのかというと、どちらもメーカーで修理することに変わりはなく、大型店では修理の受付を店頭窓口で代行するという、たったそれだけの事!のようです。要するにネットで買ってもメンテ上のデメリットはほとんどなく、購入価格が安いだけマシだというのが率直なところです。

5年保証などと謳い文句だけは尤もらしいけれど、実際にそれを使うとなると、煩雑きわまりない現実が待っていることがわかって、自分の性格からしても、そこでまた不愉快やストレスでヘトヘトになるのは目に見えており、これもやめてしまいました。フウフウいったあげくに一ヶ月もビデオのない状態になるくらいなら、安いレコーダでも買ったほうがマシかもしれません。

なんだかトリックのようで、印象としては、安心や信頼とは真逆の、なにかにつけ気を許せない世の中だなぁという後味だけが残ります。こんなことも「自己責任」ってやつかと思いますが、何にしてものほほんとはしていられない時代なんだなあと思うばかりです。
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ふたりの達人

今年後半になって、我がディアパソンの調整は新たな段階を迎え、Bさんというディアパソンに精通された技術者さんに来ていただくようになったことはすでに書きました。

これまでに2回、計7時間ほどかけて基本的な部分に手を入れていただきましたが、つい先日3回目を迎えました。
今回は、BさんがさらにCさんという技術者さんを伴っての、お二人での来宅となりました。

ご当人の了解を得ていないので、Cさんがいかなる方であるかの詳しい記述は差し控えますが、ひとことで云うと数年前まで浜松のディアパソン本社でお仕事をされていた方です。
Bさんとしては、さらにディアパソンの大御所の意見も聞いてみようということのようですが、こんなお二人が揃うという事じたい、浜松や東京ならいざ知らず、福岡では僥倖に等しいような気がします。

しばらくは黙って音を出したり、あれこれの和音を鳴らすなどのチェックを繰り返されましたが、その後はBさんとお二人での協議が続きました。

その結果は、ウィペン下部のサポートヒール部分とキャプスタンの位置が大きくずれている事がタッチがスッキリしない原因ではないかという点で、見解はほぼ一致したようでした。

これを正しく説明する自信はありませんが、あえて挑戦してみます。
キャプスタンは鍵盤奥のバランスピン(支点)よりさらに奥側に取り付けられた、金色の小さな円柱状の金属パーツで、上部はもり上がるようになめらかなカーブがつけられています。
このカーブの真上に位置するのが、アクションの要であるウィペンです。そのウィペン下部のサポートヒールという出っ張り部分がキャプスタンと接触しており、鍵盤を押さえると、テコの原理でバランスピンより先にあるキャプスタンは上へあがり、それに連なってウィペンが突き上げられることでジャックが動き、ハンマーが発進し、打鍵に繋がります。

指先がキーを押さえた(弾く)力は、このキャプスタンからウィペンのヒールへと引き継がれていくため、ここは打鍵のための力の密接な伝達という意味で、非常に重要な部分というのはシロウトが見てもわかります。
そのため、ヒールの真ん中をキャプスタンが上に押し上げるようになっていなくては無理のない力の伝達はできません。ちなみにヒール最下部にはキャプスタンの上下動を受け止めるべく、厚手のクロスが貼り込まれています。

さて、我がディアパソンではキャプスタンとヒールの位置関係に見過ごせないレベルのズレがあることが確認され、このズレがあるかぎり、他の何をどうやっても対症療法に終わるので、まずはこの部分を本来あるべき状態に戻すことが基本であり急務であろうというのが結論でした。

クルマでも車軸のアライメント(設計上定められたタイヤの内外左右の微妙な角度)が狂ったまま、他のことをいくらあれこれやっても、気持よく真っすぐ走ったり、安定して曲がったりできないのと同じことでしょう。

具体的には、キャプスタンの位置よりもヒールが前方にずれており、Cさんがおっしゃるには、ダウンウェイトは決して重くないにもかかわらず、正しい力の伝達ができていないために、キレの悪い、もったりしたような感触が残ってしまい、それがタッチが重いと感じてしまう原因だろうとのこと。
タッチにキレがあれば、今の数値なら重いと感じるようなことはないはずとのことでした。

元はといえば、ウィペンをヘルツ式にわざわざ交換したのも、タッチを軽く俊敏にするための手段だったわけですが、このヒールとキャプスタンとの位置関係が悪いために、むしろねばっこいようなタッチになってしまっているというのはなんとも皮肉なことでした。

これを改善するための最良の方法は、キャプスタンの位置を変更することのようです。
鍵盤一式を持ち帰ってもらって、キャプスタンを88個すべて外し、その穴を埋木して、ヒールの真下に来るように位置を定めて付け直すというやり方のようです。

はじめからこの辺りまで目配りと調整ができていればよかったとも言えなくもありませんが、マロニエ君にとってはピアノは趣味であり、こういうことを通じていろいろ勉強にもなったほか、新たな技術者の方々とのご縁ができるなど、そこから得たものも大きく、これはこれでひとつの有意義な道のりだと思っています。

またCさんは、「前の方はとても良い仕事をしておられると思います」と言われていましたが、マロニエ君もその点はまったく同感で、信頼できる確かな仕事をしていただいたことは今でもとても感謝しています。

というわけで、近いうちに鍵盤一式を取りに来られることになりました。
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