渋滞地獄

ちょうど10日近く前のこと。
最近は滅多なことでは遠出をしなくなったこともあり、先日の3連休の真ん中の日曜日、大した目的もないけれど友人と熊本あたりまで行ってみようかということになりました。

完全な夜型人間のマロニエ君としては、通常は休日の午前中から出かけるということなどまずないのに、この日はなぜか早く目が覚めたことでもあり、極めて珍しいことに午前中からの出発となりました。

福岡から熊本までは約100kmほどで、東京で言うなら御殿場あたりに行くぐらいの距離です。
近頃のネット情報を活かして、夜は食ログで熊本市内の一番人気らしい有名なとんかつ店で評判のロースカツでも食べようということになり、意気揚々と出発したのでした。

ただし、行った先にこれという目的はなく、熊本城はじめ多くの観光地は震災の影響で立ち入りが制限されているらしく、行ってみたかった漱石の旧居跡なども、フェンス越しの見学しかできないとかで、無理に何か決めることもなく、とりあえずぶらりと行ってみようというわけです。

福岡から熊本に行くには国道3号線を南下して太宰府インターから九州自動車道に入るわけですが、街中の道も心なしか車が多い感じだったものが、いよいよ3号線に入ると思いがけない渋滞にびっくり。
信号や交差点などで解消される気配もなく、とにかく延々と渋滞は連なっており、ついにはインターまでその状態が続きました。

驚いたのは、3号線の上を走る都市高速が「渋滞」を理由に各ランプは入場が禁止状態となっているほどで、ときどき見える上の道さえ車の動きはノロノロしていることでした。これはかなり厳しい状況だとは察しましたが、それでも高速本線に入ってしまえば多少流れが遅くとも信号はないわけだから、なんとかなるだろうとぐらいに思っていると、ETCのゲートの前後まで渋滞しているし、3車線の高速本線もびっしりと多くの車で埋め尽くされており、かろうじて動いているという状態。

正直いうと、この時点で家を出てから早くも1時間以上が経過しており、強い日差しもあってもうすっかり疲れてしまっていましたが、対向車線も似たようなものだし、せっかく久々に重い腰を上げて出てきたというのに、いまさら次のインターで降りてUターンというのも癪なので、意地を張って走り続けることに。

途中、昼食も摂りたいし、トイレにも行きたいので最寄りのサービスエリアに入ろうとすると、それがまた大行列。
なにこれ!と思ってとりあえずここに寄るのは止めにしてそのままやり過ごし、数十キロ先にある次のサービスエリアに入りました。
さきほどではないものの、こちらもかなりの満車状態で、駐車するだけでも何人もの誘導員がでており、彼らの指示によってなんとか車を停めることができるなど、とにかくひとつひとつのことをするのがいちいち大変。

車から降りても人人人で、フードコートみたいなところの席を取るだけでも戦いで気が休まりません。
こうなると、もうなんでもいいから食べられるものを食べて、再び出発しますが、本線に出るのもズラッと並んでいるし、本線では止まることがなかったというだけで、熊本インターを降りるまでノロノロ状態は続きました。

熊本の市街に入ったときはすっかり疲労困憊、もうグダグダに疲れてしまってどうでもいい気分。これからどこかに行ってみようという気にもならないし頭も回りません。
惰性で走っていると、有名な「水前寺公園」の標識が目に止まったので、とりあえずあてもないことではあるし、一刻も早く車を止めて休息したいという理由で、あまりにベタな観光地だとは思ったけれど、とりあえずそこへ行くことに。

水前寺公園は連休というのに意外に人が少なく、車もあっさり駐車場に置けて、トボトボ公園目指して歩きましたが、来園者のほとんどが中国からの観光客ばかりという感じでした。もうこっちは疲労の極致なので庭園内を散策してみる気にもなれず、ベンチに座ってとにかく休憩することに。

この時点で、まだ時刻は16時前で、途中でおやつまで食べたものだからお腹はいっぱいだし、夕食の時刻まで何をする気にもなれず、目指すとんかつ屋には行ってみたかったけれど、それよりも早く帰りたいという気分のほうが上回ってしまい、仕方がないからゆるゆると帰ろうかということになりました。
それでもせっかくなので、熊本城の瓦の落ちてしまった天守の姿だけでも見ていこうということになり、そちらへ走って見ると、車の窓越しではありますが傷を負った名城の、それでも威厳ある姿を見ることはできました。
むろんきれいに整備された城も素晴らしいけれど、この傷ついた感じというのも、むしろ妙な風格を醸し出しているように感じました。

お城のまわりの道に沿って走ると、崩れた石垣を修復しているところも何ヶ所かかり、この熊本の宝を早く元の姿に戻そうという作業が始まっていることが伺えました。

福岡に戻るにも、本来のインターは大渋滞でとても普通に下りられるとは思えず、2つ手前のインターで降りましたが、それでも最後の最後まで激しい渋滞が収まることはついになく、終日ストップ&ゴーから解き放たれることはありませんでした。
とくに日没時間帯の高速でのノロノロ運転は、恐ろしいまでの睡魔との戦いで、事故だけは避けねばならぬと普段以上のエネルギーを要して、もう二度とゴメンという感じでした。

考えてみればこの日は連休の中日でお天気は抜群、しかも予報では翌日は一転して終日雨ということになっていたので、誰もがこの日に集中してしまったらしいことが途中でわかりました。
アホとしか言いようのない読みの甘さというか、なんともバカなドライブで、まさに骨折り損のくたびれ儲けそのものの一日でした。
一体、何をしに行ったのやら今だにわかりません。
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赤松林太郎

最近ときどき耳にする新鋭ピアニストの中に赤松林太郎という名があるのをチラホラ見かけます。
青柳いづみこ氏の著書『アンリ・バルダ』の中でも彼の名は出てきたし、コンクールだったか、ネットだったか、詳しいことは覚えていませんが、マロニエ君の漠たるイメージとしてはかなりの実力派で、くわえて最近よくあるピアニストとはひと味違った独自の何かをお持ちの方ではないかという、これといって根拠もない勝手な想像をしていたわけです。

経歴を見ても、通常の音大出身者ではないのか、神戸大学卒業後にパリに留学されたということがあるのみで、どういう経過を辿ってピアニストとして名乗りを上げた人かというのがいまいちよくわかりませんし、そのあたりはあえてぼかされているのかもしれません。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、マロニエ君はこういう風に書きつつも、実は経歴なんてまったくどうでもよく、むしろ普通とは違った道を歩み、それでもピアニストとしての才能が溢れている人が、半ば運命に押し出されるようにピアノ弾きのプロとして芸術家になるほうが遥かに魅力的であるし、個人的関心も遥かに高いとはっきり言っておきたいと思います。

逆に云うなら、名前を聞くだけで飽き飽きするような一流音大を「主席かなにかで」卒業し、海外に留学して、有名な指導者につき、あれこれの著名コンクールに出場して華々しい結果を収め、「現在、幅広い分野で世界的に活躍している最も注目されるピアニストのひとり」などとプロフィールに書かれる人にはまるで興味がないし、演奏を聴いても大半は魅力も感じません。

その点では赤松林太郎氏というのは、そういう感じがなく、どんな人なんだろう、どんな演奏をする人なんだろう…という一片の興味があったわけです。

さて、先日CD店の店頭でその赤松氏のCDが目に止まりました。
「そして鐘は鳴る~」というサブタイトルがつけられていて、曲目はアルヴォ・ペルト、ヘンデル、モーツアルト、シューマン、グラナドス、マリピエロ、ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、マックス・レーガーという実に多彩なもので、すべて「鐘」に由来した作品を集めたもののようでした。
個人的には「鐘」というワードで括ることに何の意味があるのかわからなかったし、さして聴きたい曲ではなかったけれど、それをいっても仕方がないので敢えて購入。

演奏そのものは、今どきのハイレヴェルな技術の時代に出て来るほどの人なので、ぱっと聴いた感じはキズも破綻もむろんあろうはずもなく、すべてが見事なまでに練り上げられている演奏がズラリと並んでいました。ただ、期待に反してこれというインパクトもなく、何か惹きつけられる要素も感じぬまま、要するによくわからないピアニストという感じに終始しました。
聴いていて、マロニエ君個人はちっとも乗ってこないし、音楽の楽しさというと言葉では軽すぎるかもしれませんが、聴いているこちらに演奏を通じての作品の核のようなものが伝わるとか、演奏者のメッセージが入ってこないもどかしさを感じました。

少なくともマロニエ君は、演奏を聴く限りにおいては、さまざまな作品を通じて演奏者が投げかけてくる価値観やエモーショナルなものを受け取って、それを交感しながら共有したり楽しんだり(ときには反発)させられるところに、演奏という再生芸術の醍醐味があるのだと思っています。

ところが、そういうものがこの赤松氏の演奏から、未熟なマロニエ君の耳に聴こえてくることはなく、アカデミックで慎重、完璧、一点の曇りもなく演奏作品として完成させようという強い意志ばかりが感じられました。もちろん後に残るCD作品として、精度の高いものに作り上げようという意気込みもあったのかもしれませんし、時代的要求もあることなのでこういう方向に陥ることもまったくわからないではないけれど、しかし演奏をあまりにスキのない商品のようにばかり仕上げることが正解なのかどうか、マロニエ君にはわからないし、そういうスタイルは少なくとも自分の趣味ではありません。

少なくとも心が何らかの刺激を受け、なんども聴いてみたいというものではなくては演奏の意味をどこに見出して良いのやらわかりません。

ピアノはヤマハのCFXを使用とありましたが、今回は正直楽器云々をあまり感じることはありませんでした。
全体に各所で間を取り過ぎるぐらいの慎重な安全運転で、どちらかというと音も詰まったようで開放感が感じられません。むろん基本的には美しいピアノ音ではあるものの、ピアノの音を聴く喜びというものとはどこか違った製品の美しさのように感じました。
これには録音側の技術とかプロデュース側の責任も大きいかもしれませんから、むろん演奏者ばかりを責めるわけにもいかないでしょう。

レーベルはキング・インターナショナルですが、録音自体はいわゆる日本的クオリティ重視で、盆栽のように小さくまとまった感じがあり、豊かで広がりのある響きとか、ピアノから発せられる音の発散といったものがまったく感じられませんでした。
つい先日、30年近く前に録音(DECCA)のアンドラーシュ・シフによるバッハのイギリス組曲の録音の素晴らしさに感動したばかりだったことも重なって、余計にその違いが耳に目立ったのかもしれません。

演奏も、録音も、実に難しいものだなぁ…とあらためて感じないではいられないCDでした。
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単なる粗悪品

部屋の隅にぽっかり空いた隙間にちょうどいいくらいの縦長のCDラックはないものかと思っていたら、ニ❍リでまさに求めているサイズの商品がありました。
自分で組み立てる商品ですが、価格も非常に安いし、これはしめたと思ってさっそく購入、車の助手席とリアシートの半分を倒すなどして家に持ち帰りました。

ちょっとした家具を自分で組立るのは、IKEAでかなり鍛えられているから、ニ❍リのCDラックぐらいチョロいもんだと思ってとりかかったのですが、思いがけなく組み立てに苦労させられ、説明書通りにやってもなかなかできません。
とくに背面に差し込むべき化粧板は、どれだけ慎重かつ丁寧に組み立ててもどうしても寸法が合わず、その上からかぶせるように取り付けることになる棚板の寸法が合いません。
こちらの作業ミスではないかと何度もやり直しをしながら確かめましたが、背面板の寸法が長過ぎることは間違いない事実とわかり、組み立てを進めるには5mmほどカットしなくてはいけないという、信じ難い局面に突き当たりました。

とはいうものの、一般家庭でベニヤの化粧板をミリ単位で正確に切るというのは、簡単なようでなかなかできません。
もちろんノコギリなんか使っていてはできないし、あれこれ方法を考えたあげく、正確を期するために普通の文具用のカッターで根気よく切る以外にないということになりました。そうはいってもこれが甘くない作業で、少しずつ、カッターの刃を板へ深く切り込ませていく以外になく、定規をあてながら何十回もこれを繰り返しやって、ようやくにして切離に成功したときには、腕から肩にかけてワナワナ震えるようでした。

これでようやく外側のカタチはできたと思ったら、こんどは任意の位置にはめ込みができる8枚の棚板の留め具というのが、見るからにヨレヨレのプラスチック製で、これで本当に大丈夫なんだろうか…と不安になりました。

商品のできが悪いため説明書に忠実に作業してもピシッとできないというのは、作っていてもどうしようもなく気分が下がり、疲労も倍加します。
とりあえず床に平積みになっているCDの山を片っ端から放り込んでいきましたが、2〜3日もすると、CDの重みでそのヨレヨレのプラスチックの留め具がかなり傾いており、本来なら直角にはまっていなくてはいけないのに見るもだらしなく下向きに曲がっています。
「いわんこっちゃない!」と思って上下の棚を検証すると大半がこの状態。

ちなみにこのヨレヨレ留め具には金属の小さなネジも付属していますが、そのための穴もなく、ネジで固定するには遮二無二ネジを食い込ませながら押し込んでいかなくてはならないし、それをすれば任意に棚の間隔を変えられるという利点は失われ、固定状態となります。

ニ❍リの商品とはこんなものかと大いに憤慨しましたが、かといって今からまた返品するのも大変だし、さりとてこの留め具を使っている限りは棚板はゆらゆらして解決に至りません。

しかたなく穴の直径をできるだけ正確に測り、ホームセンターに行って「差込タナダボニッケル 7☓5」という、金属製の見るからに立派な留め具をひとつ(4個入り)買ってみました。
本当は一気に買いたいけれど、もし合わなかったらムダになるので、まずはテスト購入です。

果たしてサイズはバッチリで、結果的にはこれでよかったわけですが、あくまでそれが確認できただけの話で、再度ホームセンターへ出向いてあと7袋買わなくてはなりません。しかもそのホームセンターというのが自宅から10km以上もあるので、さていつになることやら…。

さらにいうと、中央の棚は3段階の中から一か所を選んで外側からネジで固定する構造ですが、のこり8箇所あるネジ穴はむき出しで、目隠しのシールさえ付属していません。なにこれ?

ニ❍リの安さというのは、こんな品質と、不親切と、いい加減さによるものだということが身にしみてわかりました。
これなら、そこらのディスカウントショップで売っている3段ボックスのほうがちゃんとしており、いくら安くたって、あんな粗悪品ではもう二度と買いません。
『お値段以上…』というCMも虚しく響きます。
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ご対面

今回のシュベスターの運搬と外装修復には大きな偶然が絡んでいました。
その運送会社の福岡での倉庫と、知り合いの技術者さんの工房は、なんと同じ建物内だったのです。

そもそも運送料金を尋ねたのは、携帯の中に入っている何件か登録しているのピアノ運送のうちのひとつだったのですが、そこが結果的に最も安かったわけですが、あとから気づいたことには、知り合いの技術者さん(調律師でありならがピアノの塗装などを中心とする木工の職人さん)の工房が、このピアノ運送会社の中の一隅にあったのです。

ずいぶん前に、その塗装工房を見せていただいたことはあったけれど、なにぶん夜であったし、周囲は真っ暗で、運送会社の名前も何もろくにわからないままだったのですが、それがあろうことかたまたま電話した会社だったというわけ。

おかげで、信州方面からはるばる運ばれてきたシュベスターは、わざわざマロニエ君の依頼しようとしている工房へ運び込むという二度手間を必要とせず、自動的にその木工工房がある倉庫へやってくるという幸運がもたらされました。

ただ、場所を移す必要がないとはいっても、いったん開梱し、作業後に再び梱包して納品となるわけで、その分の費用が必要だろうと思っていたら、それは免除してくださるとのことで、なんたるラッキー!

過日のこと、1週間の長旅を経てシュベスターが福岡の倉庫へ到着したとの連絡を受けました。
ちょうどこのときマロニエ君は風邪をうっすらひきかけて微熱があり、以前行ったときの記憶ではその倉庫はかなり寒かったので、普通だったら日をおいて出直すところですが、なにしろヤフオクでピアノの見ず買いという、とてつもない冒険をやらかしたブツがやってくるわけで、現物はどんなピアノか一目見たい、その音をわずかでも聞いてみたい、という衝動をどうしても抑えることができませんでした。

まるまると厚着をして、市内から4~50分ほどかかるその倉庫へ着いたときは、爽やかな青空の下に春の陽光が射すような清々しい天候でしたが、さすがに倉庫内は冷蔵庫の中かと思うほどの低温状態でした。

さて、ご到着遊ばしていたシュベスターは、わりに入口に近いところに置かれていましたが、ほぼ写真で見た通りの外観で、両足や腕の角の部分に幾つかの傷があることと、鍵盤蓋の外側(閉めたときに上面になる部分)がかなり傷んではいましたが、それ以外は思ったほどでもなく、縦横平面部分にはかなり艶もあって、それほど悪い印象でもありません。

肝心の音はというと、これはもうヤマハやカワイとはまったく異なる、独特の音色でした。
全体にパワー感にあふれているとか、すごい鳴りをするという系統ではないけれど、弾けばフワンと響いて音楽的な息吹を感じさせてくれるものでした。
一音一音が太くてたくましい音というのではなく、出てくる音に艶と表情があり、知らぬ間に温かさがあたりに立ちこめて、そのやさしい響きは和音でも濁らない透明感があるようでした。

シュベスターのアップライトはベーゼンドルファーを模倣したという事を読んだことがあり、へぇ…そうなんだぁ…と思うけれど、マロニエ君の耳にはどちらかというと甘くかわいらしい響きを好むフランスピアノのような印象でもありました。
いずれにしろ、一部の人に高い人気があるというのはなるほどわかる気がしました。

中は、とくにきれいでもないけれど、かといって、あれも交換これも交換というような悲惨な状態ではなく、しばらくはこのまま調整しながら使えそうな感じであったことも安心できました。

塗装面は艶は充分あるけれど、塗装そのものが現代のものとは違うのだそうで、見る角度によってはピーッとおだやかなヒビが幾筋か入っていたりしますが、これを完全に取るには全部剥がして再塗装する必要があるとのことでした。
しかし、その技術者さんの意見としては、そういうピアノなんだし、この程度であればこれはこれで味として残っていてもいいのでは?というもので、その点はマロニエ君も同感でした。

それが許せないくらいなら、そもそも新品か完璧にレストアされたものを買うべきですよね。
というわけで、安心しつつ帰宅したころにはみるみる体調は悪くなり、夜には熱が38℃を越してしまいました。
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自室にピアノを-2

小規模メーカーの「手工芸的ピアノ」に対する評価は、ヤマハやカワイのような工業製品としての安定性を良しとする向きには賛否両論あるようで、その麗しい音色や楽器としての魅力を認める方がおられる一方で、あまり評価されない向きもあるようです。
たしかになんでもかんでも手造りだから良いというわけではないのは事実でしょう。
パーツの高い精度や、ムラのない均一な作り込みなどは優れた機械によって寸分の狂いもないほうが好都合であることも頷けますし、交換の必要なパーツなどは注文さえすれば何の加工もなしにポンと取り替えれば済む製品のほうが仕事も楽でしょう。

ただ、手造りのピアノは職人が出来具合を確かめながら手間ひまをかけて作られ、いささか美談めいていうなら、その過程で楽器としての命が吹き込まれるとマロニエ君は思います。
材料もメーカーによってはかなり贅沢なものを用いるなど、とても現代の大量生産では望めないような部材が使われていることも少なくなく、これは楽器として極めて重要な事だと思うわけです。

むろん正確無比な工作機械によって確実に生み出されるピアノにも固有の良さがあることは認めます。
ただ、それをいいことにマイナス面の歯止めが効かないことも事実で、質の悪い木材をはじめプラスチックや集成材など粗悪な材質を多用して作られてしまうなど、果たしてそれが真に楽器と呼べるのかどうか…。

マロニエ君は音の好みでいうと大量生産の無機質な音が苦手なほうなので、べつに妄信的に手造り=高級などとは単純に思ってはいないけれど、多少の欠点があることは承知の上で、ついつい往年の手作りピアノに心惹かれてしまいます。
場合によっては下手な職人の手作業より、高度な機械のほうが高級高品質ということがあることも認めます。
それでも、「人の技と手間暇によって生み出されたものを楽器として慈しみたい」「そういうピアノを傍らに置いて弾いて楽しむことで喜びとしたい」という情緒的思いが深いのも事実です。

マロニエ君の偏見でいうなら、シュベスター、シュヴァイツァスタイン、クロイツェル、イースタインなどがその対象となり、まずはたまたまネットで目についたシュヴァイツァスタインに興味を持ちました。

戦前の名門であった西川ピアノの流れをくむというシュヴァイツァスタインはやはり手造りで、多くのドイツ製パーツを組み込んだ上に、山本DS響板という響棒にダイアモンドカットという複雑な切れ込みを施すことによって優れた持続音を可能にするという非常に珍しい特徴があり、このシステムはいくつかの賞なども受けている由。
しかし、メーカーに問い合わせたところ、この特殊響棒はとても手間がかかるため当時から注文品とのこと。すべてのモデルに採用されているというわけではなく、これの無いピアノも多数出回っていることが判明。

また、信頼できる技術者さんに意見を求めたところ、多くを語れるほどたくさん触った経験はないけれど、強いてその印象をいうと、それなりのいいピアノではあった記憶はある。でもとくに期待するほどの音が確実にするかどうかは疑問もあるという回答。
それからというもの、ネットの音源を毎夜毎夜、いやというほど聴きまくりましたが、マロニエ君が最も心惹かれるのはシュベスターということが次第にわかってきました。

ところが、シュベスターは中古市場ではかなりの人気らしく、ほとんど売り物らしきものがありません。
YouTubeで有名なぴあの屋ドットコムの動画もずいぶん見たし、あげくに電話もしましたが、古くて外装の荒れたものが1台あるのみで、今のところ入荷予定も全く無いらしく、「入荷したらご連絡しましょうか?」的なことも言われぬまま、あっさり会話は終了。

そんな折、ヤフオクにシュベスターの50号というもっともベーシックなモデルが出品されているのを発見!
とりわけマロニエ君が50号を気に入ったのはエクステリアデザインで、個人的に猫足は昔から好きじゃないし、野暮ったい木目の外装とか変な装飾なんかも好みじゃないので、シンプルで基本の美しさにあふれた50号で、しかも濃いウォールナットの艶出し仕様だったことは大いに自分の求める条件を満たすものだと思われました。

しだいにこのピアノを手に入れたいという思いがふつふつと湧き上がり、さすがに終了日の3日前ぐらいから落ち着きませんでした。
案の定、終了間際はそれなりに競って、潜在的にこのブランドを好む人がいかに多いかを思い知らされることとなり、入札数は実に90ほどになりましたが、幸い気合で落札することができました。
そうはいっても1台1台状態の異なる中古ピアノを、実物に触れることなくネットで買うというのはまったくもって無謀の謗りを免れなぬ行為であるし、眉をひそめる方もいらっしゃると思います。
マロニエ君自身もむろん好ましい買い方とは全く思っていませんが、さりとて他にこれという店も個体もないし、こうなるともう半分やけくそでした。

鍵盤蓋などに塗装のヒビなどもあり、知り合いのピアノ塗装の得意な技術者さんに仕上げを依頼することになりますが、果たしてどんなことになるのやら。
もしかしたら響板は割れ、ビンズルというようなこともないとは限りませんが、そんならそれで仕方ないことで、それを含めてのおバカなマニア道だと割り切ることにしました。
こちらから運送会社を手配し、先ごろやっと搬出となり、1000kmにおよぶ長旅を経て福岡にやって来ることになりますが、はたしてどんなことになるやら楽しみと不安が激しく交錯します。

ちなみにシュベスターのアップライトは全高131cmの一種類で、ものの本によればベーゼンドルファーを手本にしているとか。
たしかに動画で音を聴いていると、独特の甘い音が特徴のようですが、はてさてそのような音がちゃんとしてくれるかどうか…。
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自室にピアノを-1

自室を自宅内の別の部屋に引っ越しすることになり、年明けから一念発起して片付けを開始。
そこまでだったらいいのに、それに関連してまたも悪い癖がでしまいました。
その片隅に安物でいいから、ちょいとアップライトピアノでもいいから置きたいものだ…とけしからぬ考えがふわふわと頭をよぎるようになりました。

昨年末のこと、懇意のピアノ工房に1970年代のヤマハの艶消し木目のリニューアルピアノがあることを知り久しぶりに行ってみたのですが、外装の仕上げはずいぶん苦労されたようで、なるほど抜群に素晴らしかったものの、音は当たり前かもしれないけれど典型的な「ヤマハ」だったことに気持ちがつまづいてしまいました。

いっぽう、たまたま同工房にやはり売り物として置かれていた1960年代の同サイズのヤマハときたら音の性質が根底から全く違っており、マロニエ君のイメージに刷り込まれたヤマハ臭はなく、素朴で木の感じが漂うきっぱりした音がすることに、世代によってこうも違うものかと驚き、そのときのことはすでに書いたような記憶があります。

このときは美しい艶消し木目の魅力に気分がかなり出来上がっていたためか、音による違いの大きさは感じながらも、急に方向転換できぬままその日は工房のご夫妻と食事に行ってお開きとなりました。
マロニエ君としては、部屋の片付けがまだ当分は時間がかかりそうなこと、さらには壁のクロスの張り替えなども控えているので、そう焦ることはないとゆったり構えていたのですが、そうこうするうちにその1960年代のヤマハは売れてしまい、もう1台あった背の高い同じ時期のヤマハまで売却済みとなってしまい、あちゃー…という結果に。

ちなみにこの年代のピアノは、製造年代が古いという理由から価格が安いのだそうで、音より値段で売れていってしまうということでした。
もちろん値段も大事ですが、ものすごい差ではないのだから、長い付き合いになるピアノの場合「自分の好きな音」で選ばれるべきだと思うのですが、世の中なかなかそんな風にはいかないのかもしれません。
もしかしたらそのピアノを買われた方も音より価格で決められたのかもしれません。
逆にマロニエ君などにしてみれば好きな方が安いとあらば、一挙両得というべきで願ってもないことです。

ただしいくら音の好きなほうが安くて好都合とはいっても、肝心のモノが売れてしまったのではどうにもなりません。
というわけで、そう急いでピアノピアノと考えるのは間違っていると頭を冷やし、一旦はこの問題からは距離を置くことにしました。
そうこうするうちに2月に入り、片付けも大筋で見通しが立ち、クロスやカーテン/家具などを新調してみると、やっぱりまたピアノへの意識が芽生えてきました。

しかし例の工房の古き佳きヤマハは売れてしまったばかりで、そう次から次へと同様のピアノが入荷するとも思えません。
そもそも福岡には他にこれといって買いたくなるような中古ピアノ店もないし、そもそも家にピアノがないわけではないのだから、ゆっくり構えるしかないかと諦めることに。

その後、暇つぶしにヤフオクなどを見ていると、ヤマハやカワイに混じって、クロイツェル、シュヴァイツァスタイン、シュベスター、イースタインなど、かつて日本のピアノ産業が隆盛を極めたころに良質ピアノとして存在していた手作りピアノが、数からいえばほんの僅かではあるけれどチラチラ目につくようになりました。
マロニエ君はどうしても、こういうピアノに無性に惹かれてしまいます。

それからというもの、いろいろと調べたり音質の調査を兼ねてYouTubeでこの手のピアノの音を聴きまくる日々が始まりました。
もちろん現物に触れるのが一番というのはわかりきっていますが、そんなマイナーなピアノなんてそんじょそこらのピアノ店にあるはずもなく、唯一の手段としてパソコンのスピーカーから流れ出る乏しい音に耳を傾注させる以外にはありません。

ところで、パソコン(マロニエ君はiMac)のスピーカーというのは、ショボいようで、実は意外と真実をありのままに伝えてくれるところがあって、わざわざ別売りで買って繋いだスピーカーのほうが、変に色付けされた音がしたりして真実がわかりにくいこともあり、マロニエ君はiMacのスピーカーにはそこそこの信頼を置いています。
いい例が、かつて自分で所有していたディアパソン(気に入っていたのですが事情があって昨年手放しました)なども、忠実に現物のままの音が聞き取れるし、ヤマハやカワイはやはりその通りの音がします。

で、それらによると、古き良き時代の手作りピアノは(ものにもよるでしょうが)圧倒的に使われた材質がよいからか、一様に温かくやわらかな音がすると思いました。どうせ買うならやはりこの手に限ると静かに気持ちは決まりました。
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愛情かゴマスリか

巷でプレミアムフライデーなどといわれる先週の金曜日、たまたま知人と食事をすることになって、とあるイタリアンのお店に行きました。
べつにお店の方はプレミアムではなく、美味しいけれどわりにリーズナブルなお店です。

イタリアンテイストの店内には、椅子とテーブルがぎゅうぎゅうに詰められていて、隣の席ともかなり距離が近く、席を立つときは、隣のテーブルに体や衣服が接触しないか、細心の気を遣う感じです。

とうぜん隣の人の会話も筒抜けであるし、こちらもつい遠慮がちにしゃべってしまうのは気弱なせいでしょうか。

さて、隣の席は6人からなるご家族御一行様で、おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん、小学生の娘、さらにその弟くんの6人でしたが、どうやら娘の誕生日らしく家族で夕食を楽しんでいるようでした。
サラダ、飲み物やデザートなどはセルフの店ですが、おじいさんを除く家族5人は、誰かしらが絶え間なく立ったり座ったりで、ゆっくり6人着席しているときがないのは、まあ多少煩わしくはありました。

まあ、そこまではそんな店なのだから致し方ありません。
ところが、こちらの食事が終わり、デザートも半分ほど食べたかなぁというころ、隣の席に「お待たせしました!」とばかりに全身白ずくめのコック姿の若い女性が、大きなワゴンを押しながらやって来ました。
6人家族はそれを見るなり、口々に「わー、きたきた!」と歓声をあげだします。

ワゴンの上には、円筒状のスポンジが乗っており、横には生クリームのボウルやらイチゴやらなにやらが置かれていて、お誕生ケーキの飾り付けをお客さんの見ている前でやるのだということがすぐ察知できました。
なにしろ狭いので、ワゴンの端は知人の肩にあたりそうなぐらいで、そこに大注目しながら家族中がわいわい言っているので、いやでも気になって仕方がありません。

やがてこの日誕生日を迎えた小学生の女の子がワゴン前に進み出ると、その女性パティシエ(イタリア語ではなんというのか?)が恭しげに生クリームを垂らしはじめ、それをナイフで周囲に均等に塗りつけて、だんだんとデコレーションケーキに仕上げるという趣向のようです。

その子は、子供で当然素人なので、実際には何もやっていないけれど、すべて女性パティシエが女の子の手に自分の手を覆いかぶさせようにして、子供を参加させながら作業しているのは傍目にも大変そうでした。しかも、その表情ときたら飛行機のCAさんも顔負けというほど満面の笑顔を保持して絶やしませんから仕事とはいえ大変です。

実は、マロニエ君が驚いたのはこの作業ではなく、それを見守る家族の尋常ではない様子のほうでした。
実質的な作業はすべて女性パティシエがやっているにもかかわらず、いちいち歓声をあげ「わああ、❍❍ちゃん、すごいね~」「上手だね~」「うまいうまい」「かわいくできてる〜!」「すっごい上手よ~」といった強烈な褒め言葉の嵐で、もう隣の席の他人様のことなど眼中にないようです。
もしかしたら多少こちらへ見せているフシもなきにしもあらずとも受け取れましたが、そのあたりはよくわかりません。

さらには、おとうさん、おかあさん、おばあさんの3人はいつの間にかワゴンの反対側に席を替わっていて、3人が3人、各自それぞれのスマホでその様子を動画撮影しまくっています。手では撮影を続けながら、口からは際限なく賞賛の言葉の数々が休むことなく連発され、それはもうちょっとした大騒ぎでした。

そういえばこの店では、たまにちょっと照明が落とされ、流れていたBGMが中断されたかと思うと、大げさな前奏に続いて「ハ~ッピバースディ、トゥ~ユ~」となり、あげくに大拍手が起こりますから、ケーキの飾り付けが終わったらろうそくを立て、その歌が始まるであろうことはもう時間の問題でした。

あまりにも真横なので、さすがに変なことを言う訳にも行かず、表情に出すこともできず、この間、なんども知人とは変な感じで目がチラッと合った程度でしたが、幸いにも食事が終わっていたことでもあり、小声で「行こうか…」ということになって、隣の席ではケーキづくりで盛り上がっているのを尻目に席を立ち、なんとか歌と拍手に加担させられることなく脱出できました。

子供の誕生日を祝ってあげたいという親心や家族愛は素敵なことですが、マロニエ君はああいうベタな世界は正直苦手。
とくに強い違和感を覚えたのは、家族中(おじいさんと弟くんを除く)が娘の一挙手一投足をゴマをするように褒めそやし絶賛しまくる光景でした。

もちろん子供は褒めてあげなくてはいけないし、惜しみなく愛情をかけてあげなくてはいけないけれど、あれはそれとは似て非なるものにしか見えまえんでした。
なんというか、言ってる自分(家族)のほうが盛り上がっているようでもあり、さらには大人が子供にむかって必死に媚びへつらっているようにしか見えず、とても自然なお祝いのひとときには感じられなかったのです。
自分達がイベントの機会を得て、演技的に盛り上がっているようにしか感じられなかったのは、マロニエ君の感性がおかしいのかもしれませんが。

親が子に限りない愛情で育むことと、何か大事な部分がどうしても結びつきませんでした。
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ヴォロディンの聴き応え

NHKで立て続けにアレクセイ・ヴォロディンのピアノを聴きました。

ひとつはクラシック音楽館でのN響の公演から、井上道義の指揮によるオール・ショスタコーヴィチ・プログラムで、ヴォロディンはピアノ協奏曲第1番のソリストとして登場。

もうひとつは早朝のクラシック倶楽部で放映された、浜離宮朝日ホールで行われたリサイタルの様子でした。
いずれも昨年11月に来日した折の演奏の様子だったようです。

体型はわずかにぽっちゃりではあるけれど、非常に思索的な厳しい表情と、目鼻立ちの整ったいわゆる美男子系の顔立ちで、誰かにいていると思ったらペレストロイカで世界を席巻したゴルバチョフ元大統領の若いころにもどこか通じる感じでしょうか。
風貌のことはどうでもいいですね。

リサイタルの演目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からスケルツォ、メトネルの4つのおとぎ話から第4番、そしてラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番。実際の演奏会では、この他にプロコフィエフのバレエ、ロメオとジュリエットから10の小品も演奏されたようです。

協奏曲、独奏いずれにおいても非常に安定した逞しさの中に美しいオーソドックスな演奏が展開され、非常に満足のいくものでした。
これまでにも「ロシアピアニズムの継承者」といわれるピアニストはたくさんいたけれど、近年はどうも言葉だけの場合が多いというか、実際はそのように感じられる人はなかなかいないというのがマロニエ君の正直な印象でした。
ロシアというわりには意外なほど線が細かったり、華のない二軍選手といった感じだったり、あるいはやたら力技でブルドーザーのように押しまくる格闘技のようだったり、全体が雑で音楽的な聴かせどころがボケてしまった演奏だったりするのがほとんどでしたが、ボロディンはそのいずれでもない点が注目でした。

真っ当で、力強く、技巧的な厚みがしっかりあって、ロマンティック。
演奏技巧にまったく不安がないと同時に、音楽の息づかいや綾のようなものはきちっと押さえており、聴く者の気分を逸しません。

最近は良い意味でのロシアらしいピアノを弾く人が少なく、それなりに有名どころは何人かいますが、どこかがなにかが欠けるものがあってこの人という納得できることがなかなかありませんでした。
たしかに、グリゴリー・ソコロフなどのように現代ピアニスト界の別格ように崇められる人もおられるようですから、ロシアピアニズムは健在という見方もできなくはないかれど、どうもソコロフにはいつも凄いと思いながらも、心底好きになれない自分があり、たしかに素晴らしい演奏もある反面でどこか恣意的偏執的で作品のフォルムがゆがんでしまっているように感じることもあるので、いつも「この人はちょっと横に置いといて…」という感じになってしまいます。

マロニエ君はもちろん、技巧の素晴らしい人も高く評価してしますが、だからといってその技巧があまりにも前に出ていて、高圧的かつ力でねじ伏せるようなものになると途端に気持ちが冷めてしまいます。

ヴォロディンは、世界屈指の最高級ピアニストであるとか、スターになれるとか、カリスマ性があるといったピアニストではないかもしれないけれど、豊かな情感を維持しながら、ピアノを深く鳴らしながら、キチッとなんでも信頼感をもって聴かせてくれるという点で、数少ない確かなピアニストだといえるだろうと思いました。

とくにこの一連の放送の中でも強く印象に残ったのは、まず普通は演奏されることのないラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番でした。有名な第2番でさえそれほど演奏機会が多いとはいえないソナタですが、まして第1番はまず弾かれることはありません。
マロニエ君の膨大なCDライブラリーの中でも、ソナタ第1番というとぱっと思い出すのはベレゾフスキーぐらいで、なかなか耳にも馴染んでいませんが、いかにもラフマニノフらしいところの多い力作だと思いました。

ラフマニノフというのは、作曲家としてもあれほど有名であるのに、意外に演奏機会の少ない曲もあるようで、ソナタ並みに大曲であるショパンの主題による変奏曲とか、ピアノ協奏曲でも第1番と第4番はまず演奏されませんが、そんなに駄作でもステージに上げにくい曲でもないのに、どういうわけだろうか思います。

話をヴォロでィンに戻すと、この人は聴く側にとってなにか強烈な魅力があって熱狂的ファンがつくというタイプの人ではないのでしょうけど、本物のプロのピアニストだと思うし、今後も喜んで聴いていきたいひとりだと思いました。

アンコールは、協奏曲、リサイタルのいずれでも、プロコフィエフの「10の小品」Op.12から第10曲でしたが、息をつく暇もないこの曲をものの見事に聴かせてくれました。
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