光回線

我が家にとっては、何年来の懸案であった光回線への移行をついに果たしました。

光回線にしませんか?というのは、いろんな会社からイヤというほど電話攻勢をかけられまくって、中にはNTTを名乗るからそうかと思っていたら、そうではないものであったり、あまりにも数が多すぎてもうなにがなんだかわからなくなり、一時はそれとわかると片っ端から断っていましたが、そのあまりのしつこさに根負けして、ついに応じたことも数回ありました。

そして設置工事まで来てもらったことも数回ありましたが、これが下調べから始まって、我家の場合はなかなか超えられないラインがいくつかありました。

詳しいことは、よくわからないから書けないし、書いても意味が無いのでいずれにしろ省きますが、とにかく現状把握と称して、家の中をすみずみまで見ず知らずの工事関係者が動きまわってはなにかを探して回るのは、やむを得ぬこととはいいながら気持ちのいいものではありません。

とくに配線取り回しの関係なのか、電話回線どうなっているかを調べるのは、住人でさえ知らないような部分をああでもないこうでもないと見て回るのですからウンザリです。

このあたりは、新しい家とかマンションならはじめからその前提で設備されているのでしょうが、あとからの追加設置というのは、美観の問題も含めて思ったよりスムーズに行かないものです。

実を言うと、今回はたしか3度目ぐらいの挑戦でした。
ひどいときは外部から引いてきた光回線の真っ黒い線を、家のコンクリートの外壁に這わせた上で、最後は穴を開けて家の中に持ってくるというもので、さらには見るも無様で大きな金具を外壁の数ヶ所にわたってドリルで穴を開けながら取り付けていくというのですから、たかだか光回線ごときで家をそんなに傷つける決断はつきませんでした。

これまで使っているADSLよりも光回線にしたほうが安定して速度も早いのだそうで、たしかに時代は光回線へ移行しているのはわかるけれど、家にいくつも穴を開けて無粋な線を這わせるなど、そんなみっともない姿にしてまで、通信速度を上げようとも思いませんでした。
さらには家の中でも配線は隠されず、壁や天井の中を通すという作業は絶対に無理だと言い張ります。

マロニエ君は、電線のたぐいが家の中にしろ外にしろ目に見える部分にむき出しになるのが嫌なので、それなら結構と工事をキャンセルしてきたのでした。

そのあたりも伝えた上で再挑戦をいってくるので、ついにまた来てもらうことになり、今回は設置場所から線の取り回しなども最も合理的な方法を熟慮した結果、家には一箇所の穴も開けることなく済んだのは嬉しい限りでした。

ただし、マロニエ君がもう一つイヤなのは、工事は光ケーブルとやらを引いてきて家の中に入れ、専用モデムに繋いで電源を入れるところまでで、あとの設定はユーザー自信が行わなくてはならないというものでした。
マロニエ君はこういうことが恥ずかしいくらい苦手なので、この段階で設定ができずネットが遮断されることを最も恐れていました。

「簡単です!」「みなさんやられてます!」というけどそんなことは信用できません。
案の定、これが大変でその手に詳しい友人に来てもらってやってもらっても、なかなかすぐには終わらず、結局、友人がサポートセンターに電話するなどして、1時間ぐらい奮闘してようやくネットが繋がりました。

自分はべつにネット依存症でもないつもりですが、不思議なもので、ネットが途切れて繋がらない状態というのはとても不安で、まるで世間から孤立しているようで無性に嫌なものですね。こんな気分になることが、すでにネット依存症である証拠かもしれませんが…自分では認めたくはないです。

さて、その最大の謳い文句である通信速度ですが、どれほどスイスイと素早いのかと思っていたら、なんのことはない、ほとんど違いがわからないレベルで、これにはかなりガッカリでした。
普通のホームページを見るぐらいではまったく違いらしきものは感じられず、強いて言うならYouTubeなど動画を見る時に途切れることなどがなく、ちょっといいかな…という気がする程度でした。

逆にいうと、時代遅れと言われて久しいADSLって、実はそんなに悪くもなかったんじゃないかと思いました。
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忘れかけていた曲

8月6日のEテレ・クラシック音楽館では非常に珍しいというか、長いことご無沙汰していた曲を耳にする機会となりました。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響定期公演で、フランスプログラムが放送され、デュティユーの「メタボール」に続いて、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。
もしかしたら20年ぶりぐらいに耳にしたんじゃないかと思われて、まるで昔の知り合いにばったり出くわしたような感じでしょうか。

もっと正直にいうと、サン=サーンスのピアノ協奏曲というものの存在を半ば忘れかけているような感じでもあったので、急に思い出させてもらったような懐かしさについ笑ってしまうような説明のしにくい感じになりました。
サン=サーンスは名前が有名わりには、肝心の曲はそれほど知られていないと思います。

最もよく知られているのが『動物の謝肉祭』で、その中でも「白鳥」はバレエ「瀕死の白鳥」にも使われるなど、誰もが知る有名曲。
ところがそれ以外となると、ぱったりと止まってしまうのでは。

ぐっと下がって、思いつくのは交響曲の第3番が「オルガン付き」として知られているし、ピアノ協奏曲もベートーヴェンと同様も5曲も作られているのにかろうじて演奏されるのはほとんどが今回の第2番か第5番「エジプト風」ぐらい。
あとはヴァイオリン協奏曲第3番とヴァイオリンソナタ、そしてオペラ『サムソンとデリラ』ぐらいでしょうか。
実際にはまだまだたくさんの作品がありますが…。

それはさておき、今回のソロは河村尚子さん。
この人を演奏に接していつも感心するのは、いつ聴いてもきちんとよくさらっている(練習している)こと。
これだけしっかり準備されているということは、それだけでも演奏会に対する意気込みというか、ステージに立つための真面目さ真剣さが伺えて、そこに聴く価値が高まるというもの。

それと、現代の若いピアニストの中では、珍しく演奏に燃焼感があり、少なくともこのピアニストは演奏中、その作品の中を生きているという演奏家なら本来当たり前だと思えるようなことが、ちゃんとできているというところが魅力だと云う気がします。
細部まで目配りの行き届いた演奏でありながら、全体の構成の把握もできているし、メリハリがあり聴いていて違和感を感じることがほとんどありません。

現代的な演奏クオリティを保ちながら、音楽がもつ本能や息づかいがそのまま音に直結して、「いま、ここ」での表現を作り出す感覚がある。
河村尚子さんの演奏を聞いていると、その両立を証明してもらっているようです。

マロニエ君の場合、サン=サーンスのピアノ協奏曲といえばアントルモンとかチッコリーニなどの全集だったし、第2番はルービンシュタインなども弾いていましたが、どれも古いピアニストだったので、河村さんの演奏はやはり新しい時代特有のクリアさの魅力もあり、これまで聴いた覚えのないような細かいディテールも聴こえてくるなど、発見も多々ありました。
ただ、個人的にはサン=サーンスのピアノ協奏曲にはフランスの安酒場的なニュアンス(より正確に言うならサン=サーンスの生きた時代のヴィルトゥオーゾ趣味というべきか?)を感じていましたが、その点ではこの新しい演奏を聴いてもなんら変化するところはありませんでした。

さらにいうと、河村さんのピアノにはいい意味でのスレンダーさがあり、日本人ピアニストが感情表現や歌いこみをしようとすると、どうしてもダサい感じがつきまとってしまうことが多いのですが、そういう日本人的な悪癖に陥ることなく、適材適所に必要なことをして、サッと切り上げるといったあたりのセンスが良いことにも感心させられます。
音楽のフォルムが美しいということでしょうか。
日本人のピアノ演奏はとくに素人の演奏でより顕著ですが、感情たっぷりとなると大げさに手を上げ下げしたり、フレーズの入口と出口でだけさも注意深げな素振りを見せますが、ただ速度を落として肩で呼吸をしているだけで、音としては大事なポイントがどこにあるかをまったく取り違えていたりで、それはプロのピアニストにもよく見られる現象です。

そういう意味で河村さんは、見た目は昭和風の日本人だけれど、彼女の指から出てくる音楽は日本人離れした音楽表現ができる人で、その点では国際人といえると思います。

河村さんが作品に没入して、演奏以外のものを捨て去り、作品の喜怒哀楽がそのつど顔の表情にも刻々と現れながら音楽に打ち込む姿は、なんとなくチョン・キョンファを連想させるところがあるようにも感じました。
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ストラドの秘密

Eテレで毎週日曜に放送される『クラシック音楽館』は、N響の定期公演の様子を放送するのがほとんどを占めており、たまにそれ以外の内外のオーケストラ演奏会を採り上げる番組ですが、7月後半の放送回では『ジェームズ・エーネスとたどるバイオリン500年の物語』と題された、これまでとはまったく色合いの変わった内容でした。

タイトルの通り、現在トップバイオリニストのひとりであるジェームズ・エーネス氏が2時間の全編を通じて登場し、演奏はもちろん、話をしたり、工房を訪ねたり、実験に参加したりと、あれだけの花形ヴァイオリニストをNHKの番組にこれほどの長時間出演させたというのは、それだけでもNHKはすごいなぁとやっぱり思ったし、内容もずっしりと見応えのあるものでした。

演奏も盛りだくさんで、バイオリン作品の起源ともされるコレッリのソナタ、ヴィヴァルディの四季からのいくつか、バッハの無伴奏ソナタ第1番からフーガ、ベートーヴェンの協奏曲から第3楽章、パガニーニのカプリースから24番、ブラームスのソナタ第1番から第1楽章、バルトークのバイオリンとピアノのためのラプソディー第1番。バッハの無伴奏パルティータ第2番からサラバンドと幅広い時代の作品を弾いてくれました。
ベートーヴェンの協奏曲だけは15年前にN響と共演した折の録画でしたが、他はすべてNHKのスタジオで今回この番組のために収録されたもののようでした。

また、NHKでは以前にストラディヴァリウス(ストラド)の秘密を探る番組を放送した時から、オールドイタリアンの秘密を探るための様々な実験を音響学が専門の牧弘勝教授監修のもとで行っていました。それは42個のマイクが演奏者を取り囲み、ストラドの音にはどのような指向性があるのかという点を科学的に実証しようという試みですが、それにも今回エーネス氏は参加してストラドの秘密の解明に協力していました。

そのひとつの結果として、ストラドはとくに前(ホールなら客席側)に向かって音が放射され、そこにゆらぎがあるということがわかったようです。

エーネス氏の次に多く登場したのが、バイオリン修理職人の窪田博和氏でした。
氏は以前の番組でも、オールドイタリアンの特徴のひとつとして、氏がたどり着いた考えによれば、表板はどこを叩いても音程がほぼ揃っていることが必要であるといっていましたが、その主張はさらに追求され、一層の深まりを見せているようでした。

窪田氏の工房にあった400年前に作られたというガスパロ・ダ・サロのバイオリンには、表板にはなんと木の節があり、そこはとくに薄く削られていることで氏が提唱するように音程が他の部分と同じように保たれているとのこと。
氏の主張やこのガスパロの作りなどから考えると、オールドイタリアンは音程の理論で作られたという点が一番大事であり、材料ではないということになるようです。

エーネス氏はこの窪田氏のもとを訪ね、愛器である1715年製の「バロン・クヌープ(黄金期のストラド)」をケースから取り出して見せていましたが、窪田さんが表板のあちこちを軽く叩くと、やはりその音程は揃っており、ストラディバリウスは完璧だと言っていました。

窪田氏は銘器の修理だけでなく、この音程に留意し、ニスなどもオールドイタリアンの特徴に基づいたバイオリンの製作もはじめられているようで、そのひとつをエーネス氏が試奏していました。
彼はとても美しい音だと褒めていましたが、テレビでもわかるぐらいにバロン・クヌープとは明らかな違いをマロニエ君は感じました。
この楽器を上記の実験に供したところ、ストラドにみられた音の強い放射やゆらぎが乏しいという結果も明らかに。

窪田氏によると、表板のどこを叩いても音程が揃うように削ることに加えて、横板は薄くすることで表板よりも音程が低くならなくてはならないという法則があるようでした。
しかし今以上横板を薄くすることはできないため、今度は表板の裏に石灰の粉をふりかけて塗りこむような処理が施されました。こうすることで表板の音程が上がり、相対的に横板の音程は表板に対してさらに低くなるというわけ。
これはストラディヴァリが石灰の粉を使っていたということが書かれた文献があるようで、そこから思いつかれたようでした。

果たしてその結果は、著しい改善が認められ、牧教授の実験データからもストラドとほとんど同じようなデータが示されたというのですから驚きでした。
さてこれが、世界中が渇望するストラドの製法の核心なのか。
窪田氏によれば、これを秘密にして窪田氏が製作してもとても間に合うものではないので、世界中に公開することで、より多くのバイオリンが製作されることを望むと言われていたことも印象的でした。

エーネス氏の演奏も随所で堪能できたし、興味深い事実にも触れられて、とてもおもしろい番組でした。
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なんだかヘン

やむを得ぬわけあって、あるコンサートに出かけました。

今どきは、よほどの人気アーティストでもない限り、純粋にそのコンサートに興味を抱き、任意にチケットを購入して演奏を聴きに来るオーディエンスというのは、まずほとんどないといっても過言ではないでしょう。
とりわけ地方の演奏家等であれば、会場は友人知人生徒と保護者および何らかの縁故のある人達の大集会と化すのはほぼ毎度のこと。
会場内は、互いに知り合い率が高いものだから、あっちこっちでお辞儀や立ち話だらけ。
逆にいうと、演奏者を中心に何らかの繋がりでホールの座席を埋めるというのは(有料のコンサート開催の在り方としてはどうかとは思うけれども)、それはそれで大変なことだろう…すごいなあ…とヘンな感心もしてしまいます。

もし自分だったら、何をやろうにも(やれることもないけれど)自分のなにかしらの縁故だけでホールの座席をそこそこ埋めるくらいの人を集めるなんて、とてもではないけれどできる事ではありません。

それはともかく、だから、どう見ても音楽には興味も関わりもないような雰囲気の人が目立ち、開演後も身をかがめて通路を降りてきては着席する人がいつまでも続いたりと、会場がどことなく異質な空気に包まれます。
とくに演奏中、通路を人が動くというのは、聴いている側からするとなんとも迷惑な話です。
さらに、どういう事情があるのかわからないけれど、こんどは席を立ってコソコソと会場を出て行く人までいるなど、まるで映画館のよう。

どんなに身をかがめて動いても、演奏中の客席内の人の動きはメチャクチャ目立つので、どうしても気になってそれがすむまでは演奏もそっちのけになってしまいます。

さらに参ったのは、ソナタの楽章間でためらうことなく拍手をする人が大勢いて、何人かが手を叩くと多くがつられて手をたたきます。
それにつられない人よりつられてしまう人のほうが多いから、この流れが一向にとまらない。
この日のプログラムは、ふだんあまり耳にする機会の少ない曲(しかもソナタだけでも3曲)で構成されており、そのこともそういう現象を引き起こす要因のひとつだったのかもしれませんが、だとしても手許のプログラムには曲目が書いてあるわけだから、少しでもコンサートの心得というか経験があればわかりそうなものだと思いました。
わからないのであれば、少なくとも静寂を破って一番乗りで手を叩くようなことはしないで、まずまわりの様子を伺うくらいの気遣いがあったらと思いました。

演奏者もはじめのうちは軽くお辞儀をしたりしていたけれど、そのうちウンザリしたのか、以降はあからさまに無視していましたが、それでも一向に気づかない御方がずいぶんとたくさんいらっしゃるようでした。

逆に言えば、そんなこともわからないような人まで広く動員されることで、なんとかコンサートが成り立っていると見ることもできそうです。
マロニエ君も半ばうんざりしながら「そういえば『拍手のルール』とかいう本があったなぁ…」なんてことも思い出したりしましたが、とにかくなんだかとても変な気持ちになりました。

この日、いいなと感じたのは、トークが最低限のご挨拶だけで、聞きたくもない曲目解説などに時間を取られなかったことと、アンコールも一曲のみで、そのあとは鳴り止まぬ拍手を制するようにサッとステージの照明が落とされ、同時に客席が明るくなったことで、さっさとお開きになったこと。

この日のコンサートに限らず、本来の演奏に対してはほとんどパラパラだった拍手が、アンコールのおねだりタイムになると俄然熱を帯び、とめどなく手を叩くのは悪しき習慣で、これがあまりにあからさまになると演奏者に対して失礼だというのがマロニエ君の持論です。
演奏者はプログラムに関しては大変な練習を積んでその日に挑んでいるのに、そっちでは気の毒なほど閑散とした拍手しかしなかったくせに、アンコールの要求だけはやけに張り切って手を叩くというのはいかがなものか…。

もし同じ曲でも、前もって決められたプログラムとして本番で演奏されたなら、これだけの拍手は絶対しないはず。
そういうことが嫌なので、一曲のみできっぱり終わりにしたところは、却ってすっきりしました。
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ぶきみな音

つい先日の深夜のこと、そろそろ休もうかと自室に上がろうとエアコンと除湿機をOFFにしたところ、静寂の中からウーッという唸るような音が聞こえてきます。

はじめは冷蔵庫の作動音かな…と思って近づくと、音はまったく全然別のところから聞こえてきます。
それがどう耳を澄ましても、どこからの音か、なんの音なのか、見当もつきません。
壁のようでもあり、天井のようでもあり、あちこちに移動してみるけれど、どうもいまいちわからない。しかし、変な音がしていることは確かで、しかも普段聞くことのない音なので、やはり何なのか気にかかります。

真夜中のことでもあり、こんな正体不明の音が突如するなんて不安は募るばかり。
このまま放置して自室に戻ることもできず、さりとて室内はもう見るところもないし、思い切って懐中電灯を手に勝手口から外に出てみると、それまでウーッといっていた音は一気に音質が変わり、シャーーーッという尋常でない音が耳をついてきました。

「これは水の音」ということがすぐわかり、どうやら足元からのものらしく、屈んでみると地面の奥で水が勢い良く水が流れているのがわかりました。水道管からの水漏れであるらしいことは疑いようもありません!
こういうときって、あまりにも不意打ちをくらったようで、咄嗟に何をどうしていいのかもわからないものですね。
でも、非常にやっかいな、困ったことになったということだけは理解できました。

家の中に戻り、水道なら、やはり水道局だろうとホームページを見てみることに。
それによると、水漏れは陥没事故なども誘発する危険があるので、発見したら一刻も早く連絡をするようにと警告的に書かれています。
そういえば、いぜん福岡市では博多駅前の大陥没事故があって、その規模は全国ニュースになるほどのものだったし、水道局も注意喚起を強めているように思われました。
このとき深夜2時を過ぎていたけれど、フリーダイヤルで24時間受け付けになっており、ともかく電話をしてみることに。

電話に出た担当者は、こちらの住所と、水漏れ箇所は敷地の内側か外側か、というようなことを聞いてきます。
どうやらそれによって修理費用を誰が負担するかが変わってくるようで、この場合あきらかに敷地内だったので、そう伝えると、修理の作業をする水道局の指定業者を案内するので、メンテナンスセンターというところに電話するように言われました。

こちらも24時間対応となっていますが、なかなか電話に出ない。
諦めかけたころ、ようやく男性が出てきて、さっきと同様のことをきかれましたが、その次に言ったことが呆れました。
「この時間ですから、これからすぐに作業員が動くことはありませんので」
「は?」
「水道の元栓を閉める場所はわかりますか?」
「たぶん(あれかなと思って)わかるかもしれません」
「では、そこを開けて、右側にある水道メーターの中のパイロットを見てください。回っていたら水漏れです」
パイロットを見る?…シロウトにいきなりそんなこといわれてもわかりません!
そもそも、こんな夜中に真っ暗闇の外に出てそんなもの見なくったって、地面の中でジャージャーいってる音を聞けば水漏れにきまっているし、だから電話してんじゃん!と思ったけれど、そこは我慢しました。
「で、パイロットが回っていたら、左の止水栓を閉めてください。それで水は止まりますから、朝8時30分すぎにまた電話してください。」

朝8時30分を過ぎると、担当者が交代し、修理業者を紹介するということのようでした。
じゃあ、なんのための24時間対応?と思いましたが、道路や大規模なトラブルの場合は作業隊も動くのでしょうが、一般家屋の水漏れ程度なら一旦元を閉めさせて、対処は翌朝からでいいということなんだろうと思いました。

というわけで止水栓を閉めると音もしなくなり、とりあえずやれやれという感じでした。
とはいえ、最初に音に気づいてからこの電話が済むまでにもかなりの時間がかかったし、朝は朝で修理依頼の電話をしなくちゃいけないし、こうなると、なかなか寝付けず、朝まで寝たり起きたりの繰り返しでした。

時間通りに電話をすると、昨夜とは打って変わってハキハキした女性の声で対応され、それからしばらくして指定業者がやってきて修理開始。
やむを得ず、敷き詰められていた石造り風のタイルも一部を壊すことになり、地面には立派な落とし穴ができるほどの穴を掘るなど、汗みずくになって一日がかりで修理は行われ、夕方前に終わりました。しかも作業員の方はこの酷暑の炎天下の中、作業用の長袖シャツに長いズボン、長靴を履いて、軍手をして、頭には冬のような被りものを巻きつけて、黙々と作業をしてくださいました。
どんなジャンルでも、プロの職人というのはやはり大したものです。

数時間とはいえ、止水栓を閉めれば、家中のすべての給水がストップして不便なことといったらありません。
修理完了後、蛇口をひねればサーッと水が出る、そしてもうあのぶきみな音もしない、そんな当たり前のことにありがたさを痛感しました。
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グランフィール

またしても友人に教えられて、興味深い番組を見ることができました。

TBS系の九州沖縄方面で日曜朝に放送される『世界一の九州が♡始まる!』という番組で、鹿児島県の薩摩川内市にある藤井ピアノサービスが採り上げられました。
主役はいうまでもなくここで開発された「グランフィール」。
これを装着することで、アップライトピアノのタッチと表現力をグランド並みに引き上げるという画期的な発明です。それを成し遂げたのがここの店主である藤井幸光さん。

グランフィールは2010年に国内の特許取得、2015年には「ものつくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞、いまや日本全国の主なピアノ店で知られており、ついには本場ドイツ・ハンブルクでもデモンストレートされたというのですから、その勢いは大変なもののようです。

もともとアップライトとグランドでは、単に形が異なるだけでなく、弾く側にとっての機能的な制約があり、とくにハーフタッチというか連打の性能に関してはアクションの構造からくる違いがあり、グランドが有利であることは広く知られるところ。
具体的にはグランドの場合、打鍵してキーが元に戻りきらない途中からでも打鍵を重ねれば次の音を鳴らすことが可能であるのに対して、アップライトは完全に元に戻ってからでないと次の音がでないという、決定的なハンディがあります。

そんなアップライトに、グランド並の連打性を与えるということは、世界中の誰もができなかったことで、それを藤井さんが可能にしたところがすごいことなのです。
キーストロークの途中から再打弦ができるということは、小さな音での連打が可能ということでもあり、そのぶんの表現力も増えるということ。通常のアップライトでは毎回キーが戻りきってから次のモーションということになるため、演奏表現にも制約ができるのは当然です。
例えば難曲としても知られるラヴェルの夜のガスパールの第一曲「オンディーヌ」の冒頭右手のささやくような小刻みな連続音は、和音と単音の組み合わせによるもので、それを極めて繊細に注意深く、ニュアンスを尽くして弱音で弾かなくてはならず、あれなどはアップライトではどんなテクニシャンでもまず無理だろうと思われます。
それが、グランフィールが装着されていたら可能になるということなら、やっぱりすごい!
もちろん夜のガスパールが弾ければ…の話ですが。

マロニエ君は2011年に、ピアノが好きでここからピアノを買われた方に連れられて藤井ピアノサービスを訪れ、いちおうグランフィールにも触れてはみたものの、上階にすごいピアノがたくさんあると聞いていたため、わくわく気分でそっちにばかり気持ちが向いて、あまりよく観察しなかった自分の愚かしさを今になって後悔しているところです。

その構造については長いこと企業秘密だったようですが、今回のテレビでちょっと触れられたところによれば、ごく小さなバネが大きな役割を果たしているようでした。もちろんそこに到達するには長い試行錯誤があってのことでしょうし、藤井氏が目指したのは「シンプルであること」だったそうです。

しかもそれは既存のアップライトに後付で装着することができて、技術研修を受けた技術者であれば装着することが可能、それを88鍵すべてに取り付けるというもの。
また、このグランフィールを取り付けた副産物として、キレのある音になり、さらにその音は伸びまで良くなるというのですから、まさに良い事ずくめのようでした。料金は20万円(税抜き)〜だそうで、きっとそれに見合った価値があるのでしょう。

開発者の藤井さんは、もともと車の整備の勉強をしておられたところ、高校の恩師のすすめでピアノの技術者へと転向されたらしく、車にチューンアップというジャンルがあるように、ピアノも修理をするなら前の状態を凌ぐようなものにしたい、つまりピアノもチューンアップしたいという気持ちがあったのだそうで、そういう氏の中に息づいていた気質が、ついにはグランフィールという革新的な技術を生み出す力にもなったのだろうと思いました。

これはきっと世界に広がっていくと確信しておられるようで、それが鹿児島からというのが面白いとコメントされていました。
たしかに、大手メーカーが資金力や組織力にものをいわせて開発したのではなく、地方のいちピアノ店のいち技術者の発案発明によって生みだされてしまったというところが、面白いし痛快でもありますね。

鹿児島は、歴史的にも島津斉彬のような名君が、さまざまな革新技術の開発に情熱を傾けたという歴史のある土地柄でもあり、藤井さんはそういう風土の中から突如現れたピアノ界の改革者なのかもしれません。
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まくら

人によりけりだと思いますが、枕ほど、しっくりくるものを選ぶのが難しいものもないというのがマロニエ君の実感です。

中には、どんな枕でも意に介さず、あってもなくても平気で、横になるなり爆睡できる猛者がいるいっぽうで、ちょっとでも違ったらたちまち寝付けず、中にはマイ枕持参で旅行に出かける人(実際に実行しているかどうかは知らないけれど)までいるなど、ここは非常に個人差がわかれるところでしょう。

マロニエ君も睡眠には苦労するほうで、どこでもすんなり眠れる人が羨ましくて仕方ありません。
当然、枕との相性は非常に微妙で、そのほとんどが合いません。

昔、自分に合ったお気に入りの枕があったのですが、あまりにも長く使ったため、いくらなんでももう潮時だと思ってこれを退役させ、あればまたこれに戻ってしまうだろうからと、思い切って処分しました。
後継枕はないままの処分でしたから、さっそく新しい枕が必要となりました。
合わないで放ってある枕がいくつもありますが、どれもイマイチ。

とくにダメなのが、今流行の低反発スポンジを使った枕で、自分の頭の分だけじわじわ凹むなど、気持ち悪くて仕方がないし、それにあのネチョッとした陰湿な感じが馴染めません。
かといって、高級快適とされる羽根枕は、見た目は華やかでも寝るとすぐにペシャンコになるし、柔らかすぎ。
一定の高さが保持できず、腰がないのがダメ。

柔らかすぎるのがいけないなら、そば殻枕というのもあるけれど、あそこまでいくと硬すぎるし雑で臭いも気になります。おまけに、ちりちりぎしぎし耳元で独特の音がするし、当たりの優しさがないので、あれではくつろげない。

パイプ枕はそば殻よりはおだやかだが、いかにもそれらしいボコボコした感触がダメ。

さらに最近では、頭を置くところだけ凹んだ形状のものとか、高さが任意に変えられるというアイデア商品風のものもあるけれど、これも試してみてどうにも馴染めず、とても「眠り」という難しいところへ入っていく助けにはなりそうもありません。

いつごろからだったか、オーダー枕のようなものがあり、自分の好みに合わせて、中の詰め物の量や高さを整えてくれるというものも出てきましたが、これらはお値段の方もそれなりで、あまりに多くの失敗を重ねているマロニエ君としては、そんなお高いものを買ってまた失敗に終わるのも嫌で、そちらには手を出しませんでした。
とくにデパートなどでは、売り子さんからつきっきりで薦められることを思ったら、結局最後は「買わされるだけ」という気がして、こちらもあまり近づかないようにしました。

いっぽう、暫定的に毎日使っている枕はどこで買ったものか覚えていないけれど、ごく普通なありきたりのもので、高さが微妙に足りないということで、バスタオルを薄くたたんで下に敷くなどの工夫はしてみるものの、決してしっくりは来ていません。

そんなことでお茶を濁しているうちに、ますます寝付きは悪くなるし、やっと寝ても2時間ぐらいで目が醒めて、そんなことを繰り返しながら朝まで繋いでいるといった状態で、これはマズイと思うように。

いらい、枕が売っているのを見ると、いちおう見てみる習慣だけがついてしまったマロニエ君で、某店では枕もたくさんの種類がずらりと並んでいて、良さそうなものをお試し用のベッドで確認するなどしましたが、「これだ」というものには行き当たりません。

ところがマロニエ君の求めている枕は思わぬところにあったのです。
別の用でニトリに行ったとき、やはりちょっと枕の売り場を覗いてみたら、気になるものがひとつだけあり、やはりお試し用のベッドがあるのでそこで横になってみると、これまでになくハッとするほどいい感じでした。
価格も5000円ほどと、まあ普通なのでついに買ってみたところ、これがもうバッチリでした。

いらい、寝付きも多少よくなったし、途中で目がさめることも激減、睡眠時間も長くなりました。
5000円で毎日の健康と快適が得られたかと思うと、安いものです。
いよいよというときは、やはり2~3万する枕を検討する必要があるかなぁ…とも半ば覚悟し始めていたのですが、際どいところで安く済みました。
こんなに合う枕は滅多にないから、予備にもう一つ買っておこうかな?
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