ある日突然

つい先日のこと。
固定電話(しかも事業用)が突然つながらないみたいですとのことで、あわてて受話器をとってみるも、ツーツーツーという話中のような信号音がするだけで、ダイヤルを押しても発信もなにもできません。
携帯からその番号にかけても、まったく音がしないか、「繋がりません」のアナウンスが出るかのいずれかで、要するに電話がまったく使えない状態になっていることがわかりました。

はじめは電話機そのものの故障かと思い、ACアダプターの電源を抜いたり入れたり、通信のほうの線を外しては差し込んでみるなど、いろいろ試みましたがまったく変化ナシ。
もしやと思って、もうひとつの電話も確かめてみるとまったく同じ状態で、これはもはや電話機の問題ではないことは明らかでした。

事業用の電話はいわばビジネスの命綱のようなものなので、これはただごとではないのです。

そこですぐにNTTに連絡しようと、ネットで電話番号を調べてみますが、今や時代が違います。
ご多分にもれず、近ごろはなかなか電話番号が記載されておらず、一刻を争う緊急時にサイトの中をイライラしながら探してまわらなくてはなりません。
現代はどこもだいたいこのパターンで、ようやく電話番号らしきものが見つかってダイヤルしても、まずは決まりきったバカバカしいアナウンスを延々と聞かされて、その後ようやく指示に従って該当する番号を押したり♯を押したりして、やっと繋がるかと思ったら「ただいま、電話が大変込み合っております。恐れ入りますがこのままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直し…」となって、こんなときに湧き上がる嫌悪感は並大抵のものではありません。

しかし、固定電話が繋がらないとあっては、仕事に差し支えるためなにがなんでも復帰させなくてはならず、ガマンして待ち続けました。10分ほど待ったころ、ヘンな音楽はやっと呼び出し音に変わり、続いてようやく人間の声が聞こえました。
ここまでくるだけでも大変です。

すぐに状況を説明すると、「恐れ入りますが、故障係のほうにおかけなおし下さい」となり、その番号を聞いてかけると、またアナウンスが始まり「なお、この会話は品質向上のため録音させていただいております」から聞かされ、さらにアナウンスは延々と続きました。
あげく、やっとわかったことは、90秒以内に故障の内容と連絡先を、練習もなしに声で喋って、一旦電話を切り、先方から連絡があるまで待たされるというシステムで、まずこれに仰天しました。

しかも、「折り返しのお電話までには2時間以上お待ちいただくこともあります」といったのには、ほとんど頭がクラクラしそうになりました。
そもそも、電話が故障して使えないのに、こういうシステムをとるとはいかなることか。
NTTなのに故障ようにも、一向に人と話ができない。
たしかに現代人はたいてい携帯電話を持っているので、最終的に連絡はつくかもしれませんが、どうにも納得できません。

1時間ほど待っても連絡はなく、これが家庭用電話ならまだしも、仕事にも差し支えがでているので、また別の0120を探しだして、同じアナウンスを聞いてやっとオペレーターにたどり着き、状況を説明して「大至急連絡をとってほしい」と頼みました。
ようやくこちらの熱意が伝わったのか、それからほどなくして修理の担当者から連絡はありましたが、曰く、いま最も早い訪問でも明後日になりますというのには、ひっくり返りそうになりました。

それでは困るという事情を必至に説明した結果、さらに1時間後についに修理担当の人がやって来ました。
それから30分ほどあちこちを調べた結果、外部の線が老朽化して接触が悪くなっているということで、直ちに応急処置となりました。
老朽化した線は建物外、すなわちNTTの管理下にある部分で、完全にこちらの責任外で発生したトラブルでした。

ともかくその日のうちに電話はなんとか復旧しましたが、こんなことってあるんですね。
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しなやかでしっかり

溜まっているBSクラシック倶楽部の録画から、「マキシミリアン・ホルヌング&河村尚子 デュオリサイタル」を視聴しました。

ホルヌングはドイツを代表する若手チェリストで、やっと30歳を過ぎたあたりで、若手のホープからしだいに円熟期へとら入っていくであろうドイツの演奏家です。
ネットの情報によれば、20代でバイエルン放送交響楽団の首席チェロ奏者を務めたものの、ソロ活動に専念するため2013年に退団したとあり、その後リリースされるCDも賞を獲得するなど、輝かしい活動を着実に重ねているようです。

この日のプログラムは実に面白いというか新鮮なもので、前半はマーラーの「さすらう若者の歌」から4曲をホルヌング自身によってチェロとピアノのために編曲されたもの。
これがなかなかの出来で、マーラーの壮大なスケール感や世界を損なうことなく、見事にピアノとチェロのための作品になっているところは思いがけず驚きでした。

ホルヌングのチェロも見事だったけれど、どうしても習慣的にピアノに目が行ってしまうマロニエ君としては、河村尚子さんの演奏はとりわけ感心させられるものでした。

河村さんは、数年前のデビュー時から折りに触れては聴いていますが、始めの頃はまだ固いところがあったようにも思うし、アクの強いステージマナーや演奏中の所作などがちょっと気になっていたところもありました。
しかし、その後ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番など、この人の好ましい演奏などに接するに従って、次第に印象が変わってきました。

こういうことは個人的には珍しく、マロニエ君の場合、はじめに抱いたときの印象というのは良くも悪くも覆ることはあまりなく、たとえ10年後に聴いても、ああそうだったと思いだしたりして、ほとんどはじめの印象のままなのですが、それが予想を裏切って良い方に変化していくのはとてもうれしくてゾクゾクするものがあります。

まったく逆が、良い印象のものがそうでもないとわかってくるときの気分というのは、まったく裏切られたようで、必要以上にがっかりしてしまいます。

彼女の演奏で、なんと言っても印象深いのは、音楽的フォルムの美しさにあると思います。
その演奏からあらわされる楽曲は、独特の美しいプロポーションをもっており、ディテールまで非常に細かい配慮が行き届いていいます。繊細な歌い込みがある反面、必要なダイナミズムも充分に発揮されており、音だけを聴いているとちょっと日本人が弾いているようには思えないほどスタイリッシュです。
メリハリがあって、知的な解釈と大胆な情念が上手く噛みあうように曲をしっかりとサポートしているのは、聴いていて心地よく、現代的なクオリティ重視の演奏の中にもこれだけの魅力を織り込めるという好例だとも思われます。

とくに彼女は音の点でも、タイトで引き締まってはいるけれど、そこに鍛えられた筋肉のようなダブつかない肉感があって、音に芯があるところも特筆すべき事だと思いました。
というのも、スーパーテクニックや器の大きさを標榜しながら、その実、ピアノを充分に鳴らしきれず、軽いスカスカした音しか出せない人、音の大きさは出せても密度という点ではからきしダメな有名なピアニストが何人もいる中で、河村さんは、音に一定の密度と説得力があるという点では、稀有な存在ではないかと思います。

後半はブラームスのチェロ・ソナタ第2番。
ここでも、河村さんのピアノはしっかりとチェロを支え、ブラームスの渋くて厚みのある音楽世界を、いい意味での現代性を交えながら描き出していたのは久々に感心したというか、心地良い気持ちで聴き進むことができました。
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ドラマみたいな話

つい先日のこと、友人から「本当にそういうことがあるのか…」というような話を聞きました。

その友人が昔勤めていた企業に、同郷で高校も同じということで親しくなったAさんという先輩がいたことは聞いていました。
後年、それぞれ別の理由で退社したものの、個人的な付き合いは続いて、たまに呑んだりメールのやり取りをするなどで近況を知らせ合っていたといいます。

Aさんは少し変わった家庭に育ち、若い頃から学業の成績などにかなり強くこだわる両親のもとに育てられ、幸い成績もよかっため就職までは順調だったようですが、その後、ある女性と出会って結婚を決意することに。
ところが両親の猛反対に遭い、Aさんの胸中には家族内に流れる偏った価値観に嫌気がさしていたのか(どうかはわかりませんが)、それが引き金となって親きょうだいと決別をしてしまいます。

その女性は、Aさんの両親の求める息子の結婚相手としての条件を満たしていなかったことが原因のようで、それがどうも学歴に関することだったらしく、Aさんとしても長年蓄積された思いもあったのか、ついに堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
実家とは、事実上の絶縁状態に突入したそうです。

住まいも変え、勤め先も変えてその女性と結婚する道を選び、その後二人の子供にも恵まれ、しばらくは穏やかな日々が続いたようですが、その子らが受験や就職をするころになって、ある出来事が起こります。

単身赴任中、理由はよくわからないけれど、そうまでして一緒になった夫婦が不仲となり、それがこじれにこじれてお互いに修復できないところまで発展。
Aさんは、せっかく建てた家にも帰らなくなるほどの確執となり、その方は次第に精神的にも追いつめられ、とうとう会社まで辞めることに。

そのころ、友人の携帯には連日のように悩みを訴えるメールが届き、友人は困惑と同情の狭間で、せっせと励ましの返信を送り続けていたようでした。
Aさんは苦痛と孤独に苛まれるも、非常にプライドの高いところがある男性で、むかし席を同じくした同郷の後輩が唯一の心の拠り所だったのかもしれません。
そのメールの往来は、実に数年間、数百に及ぶ膨大な数に渡るもののようで、当時からマロニエ君もそのAさんから送られてくるメールのことは折りに触れ聞かされていました。

Aさんは会社をやめ、やがて故郷に戻ったものの生活にも困窮することになり、ついには疎遠だった実家にも救いを求めたようでしたが、それもうまくはいかなかったようでした。
その頃になると、ほとんど毎日のように自分の思いを綴ったメールが届き、友人も大いに同情はしつつも、いささか持て余し気味といった様子でしたが、それでもAさんの窮状を察してメールを返していたようです。

この頃になると、友人もその先輩のことがいつも気がかりで心の負担にもなっていたようですが、どうすることもできずひたすら励ましのメールを送ことを続けていました。

それが数年前のあるときから、ぱったりメールも来なくなり、連絡が取れなくなったようでした。
友人は自分が何か悪いことを書いたんだろうか?などとずいぶん悩んだ挙句、もしかしたら悪いことが起きているのではないかとまで思うようになり、事実を知るのが怖くなり、ついに連絡は完全に途絶えてしまい今日に至っていたようでした。

ところがごく最近のこと、NHKの『ドキュメント72時間』という番組内で、友人はちょっとした群衆の映るシーンの中にAさんの顔を見出したのです。
どの回というのは控えますが、たまたま年末にまとめて放送されたものを録画していたらしく、まさかと驚いて何度も繰り返し確認したそうですが、その中にまぎれもなくAさんが映っていると確信が持てるに至り、友人の安心した様子と言ったらこっちが驚くほどでした。

どうやら友人はよほど心配していたようで、万一最悪の事態まで考えてしまうこともあった由で、ともかくも健在であることを確認することができて安心し、数年ぶりで携帯のショートメールにメッセージを送ってみたところ、翌日Aさんからすぐに電話がきたそうです。
パッタリ連絡がなくなったのは、携帯を紛失してしまい、そこに入っていた連絡先のすべてが失われたため、電話もメールもできなくなったということでした。

テレビドラマなどでは、偶然テレビ画面の中に犯人や失踪した人間の顔が映るというようなシーンを見たこともありますが、現実にそんなことがあるなんて、ただもうびっくりでした。
Aさんはなんとか頑張っているようで、まずはなによりでした。
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プレスラー

1月はじめのクラシック音楽館では、放送時間の3/4ほどがトゥガン・ソヒエフ指揮のN響によるプロコフィエフのオラトリオ『イワン雷帝』で、残り30分はメナヘム・プレスラーが昨年来日した折の短いドキュメントが流されました。

プレスラーは言わずと知れたボザール・トリオの創始者であり、50余年にわたる活躍の初めから終わりまでそこでピアノを弾き続け、トリオそのものを牽引してきた名演奏家にして功労者。
そのボザール・トリオが10年ほど前に解散してから、プレスラーはソロを弾くようになりましたが、現在94才とのことなので、解散時は84才だったということになるのでしょう。

84才からソロ活動とは人生いろいろですが、マロニエ君はプレスラーのピアノはトリオの時代には感心しながら聴いていたけれど、解散後のソロピアニストとしての演奏は正直それほどのものとは思いませんでした。
なんといってもソロ活動を始めるには、いささか遅すぎた観があり、あまり言うべきではないかもしれないけれど、さすがに技術的な衰えもあって、自らが打ち立てた「ボザール・トリオのメナヘム・プレスラー」という知名度に頼ってやっている感じが否めません。

今回の来日では、サントリーでのソロリサイタルの他にピアノトリオのマスタークラスも開催されたようで、さすがにその時の表情は、それ以外のときよりも厳しさが漲り、はるかに頼もしく見えました。
トリオは彼の人生でも中核を占めてきた分野であるし、カッと目力が入って引き締まり、自信に満ち、なるほどと思うような指示を次々に与えていて、やっぱり大したお方だと思いましたし、人間やはり自分のいるべき場所にいる時は美しく大きくなるようです。
ただしこの番組じたいがわずか30分と短かったうえ、ソロリサイタルでの様子やインタビュー部分が多くて、マスタークラスの様子はごく僅かであったのが個人的には残念でした。

曰く、「指で音符を弾くだけなら誰だってできるけれど、音楽を表現する人は少ない」というのはまったくごもっとも。
さらに、彼の発言の中で最も心に残ったのは「音楽は、聴く人の耳に届けるのではなく心に届けるもの」そして「ピアノは指先で歌うもの」という言葉。
実際には、聴く人の心どころか、耳にさえ届けようとせず、ただ正確に弾けるという技巧自慢をすることに全精力を使う奏者のなんと多いことか。

リサイタルからは、ショパンやドビュッシーの小品の演奏が聴けましたが、さすがに94という年齢もあり、テンポもゆったりして音量もないけれど、ひとつひとつの音のつながりや意味、曲のなかに点在する美しい要所々々のひとつひとつに反応し、音楽が人の心の中で反応する本質のようなところを、非常に敏感に丁寧に演奏しようとしておられるのが印象的でした。

今の若い人が、そのままの演奏をしても許されることではないけれど、音楽本来の意義や精神、大切にすべきポイントは何であるかという点はじゅうぶん伝わりました。

歩くのも杖を付きながら非常にゆっくりですが、傍らには長身の中年女性がいつも寄り添っており、その女性が子供を見下ろすようにプレスラーは小柄でかわいらしく、彼はその女性のことを非常に頼りにして、大切に思っているようでした。

すぐ思い出したのが晩年のホルショフスキー。
彼も非常に小柄で、傍らにははるか背の高い女性がいつも甲斐甲斐しく彼のお世話をしていたあの光景。
ホルショフスキーの場合、その女性は夫人でしたが、ともかくも男性はつくづく女性を頼り、助けられて生きていられるのだということを如実に示すような光景でした。
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小さな大器

お正月休みの後半、ピアノの知人の家にお招きいただきました。

そこには、すでに何度かこのブログにも書いていますが、素晴らしいスタインウェイがあるのです。
戦前の楽器で、しかもラインナップ中最も小型のModel-Sなのですが、内外ともに見事な修復がなされ、これが信じられないほど健康的で朗々と良く鳴り、小規模なサロンなどであればじゅうぶんコンサートにも使える破格のポテンシャル。
このピアノを弾くと、ピアノは必ずしもサイズじゃないといつも思い知らされます。

よくネットの相談コーナーなどで、スタインウェイのSがいかなるピアノかをろくに知りもせず、そのサイズから見下したような見解のコメントを目にすることがあります。
スタインウェイというブランドがほしいだけの人は買えばいいが、自分なら…という但し書き付きで次のような(言葉は違いますが概ねの意味)尤もらしい意見が展開されます。

スタインウェイといっても、Sは置き場に恵まれないマンションなどの狭い空間用のいわば妥協のモデルで、それにスタインウェイらしさを求めるのは幻想であり無理がある。しかも中古でも安くもないのにスタインウェイというだけでそんなものを買うのは、ピアノをに対して無知な人で、まさにブランド至上主義者だといわんばかり。
そんなものに大金を投じるぐらいなら、本当にピアノを知る人は、それよりもっと大型のよく調整されたヤマハを買ったほうがよほど有益で懸命であるというようなことを、いかにもの理屈を混ぜながら論じている人がいますが、きっとそういう考えの人は少なくないのでしょう。
少なくとも書いている本人がそう信じている様子が感じられます。

それはおそらく、こういうピアノに触れたことがないまま、セオリー通りにピアノはサイズがものをいい、小さくても(すなわち弦も短く響板面積も少ない)スタインウェイを選ぶような人は、スタインウェイをいう名前だけをありがたがるブランド指向だと断じているのでしょう。
さらにはどうせ大金を投じてスタインウェイを買うのであれば、Sだからといって特別安価なわけではないのだから、だったらもうひと踏ん張りして少しでも大きなものを選ぶほうが懸命であるし、そのほうが本当のスタインウェイらしさもあるはずだという思いも働いているように感じます。

よく、スタインウェイやベーゼンドルファーは奥行き❍❍❍cm以上あってはじめてその価値が発揮されるのであって、それ以下はマークだけのまやかしみたいなことを書かれることがあります。
しかも驚いたことには、それらを「触った経験」のあるという技術者の意見だったりするので、専門家と称する人からそこまでいわれれば普通の人は「へーえ、そういうものか」と思うでしょう。

でも、そういうことを言う人のほうこそブランドを逆に意識しているのであって、高価な一流品に対してある種の敵愾心を持っている場合もあるように感じます。

で、その知人宅のSは、とくにピアノが見えない場所からその音だけを聞いていると、奥行きわずか155cmのピアノだなんて、おそらく専門家でもそう易易とは言い当てられないだろうと思えるほど、美しいスタインウェイサウンドを無理なく奏でており、聴くたびに感銘を受けずにはいられません。
強いていうなら、低音域の迫力がより大型のモデルになれば、もっと余裕が出てくるだろうという程度。

すべてのS型がこうだとはいいませんが、これまでマロニエ君が何台か触れてきたSはだいたいどれも好印象なものが多く、だからSは隠れた名器だと思うのです。
なので、S型を最小最安モデルなどと思ったら大間違いで、むしろ積極的に選ぶ価値のある優秀なモデルだとマロニエ君は自信をもって思っています。

その知人は、そのSが調子がいいものだから、更にその上をイメージしてゆくゆくはBあたりを狙いたいという気持ちもないではない様子ですが、マロニエ君に言わせれば、その素晴らしいSを手放してBを買っても、必ずすべてがより良くなるとは限らないような気がします。
今のピアノが不満というなら話は別ですが、まったくそうではないのだから、マロニエ君なら絶対に手放さずに、もう1台違う性格のピアノを並べたほうがいいのでは?…などと勝手なことを思いました。
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静かな変化

今年の元日はとくに予定もないから、せめて普段の昼間できないことをやろうと洗車をしました。

我が家のガレージはいちおうシャッターで閉じるため、車が直射日光や風雨にさらされることからは免れていることもあり、洗車はだいたい数ヶ月に一度しかやりません。
洗車したのは趣味で所有しているフランス車で、この車には昨年8月に巷で流行りの「ガラスコーティング」というのを施工していたのですが、考えてみたら施工後初の洗車でした。

驚いたことに、拭き上げ時のウェスの感触がそれ以前とはまったく異なり、まさにガラス質の保護膜が塗装面を固く覆っていることが、指先の肌感覚でわかりました。
施工店の説明では、施工後は水洗いのみでOKということだったけれど、それは半分聞いておいて、マロニエ君としては害のない程度の軽いケミカルぐらいは使うつもりだったけれど、途中からそんな小細工がまったく必要ないことがわかりました。
水分を丁寧に拭き上げてみると、いかにもガラス質特有のシャープな輝きがあらわれて、これはすごいと感心させられました。

ガラスコーティングというのは従来のフッ素コーティングなどと比べると若干高価ではあるけれど、じゅうぶんそれだけの価値はあると実感したところです。

ガレージといえば、マロニエ君宅のガレージは、向いの巨大なマンション駐車場の出入り口と道を挟んで向き合っている恰好なのですが、そこには相当数の車があり、朝夕ともなると、めまぐるしいばかりに次から次に車が出入りし、入口のパイプ式シャッターはあまりにも間断なく上下動を繰り返すものだから、ときどき故障してメンテナンスの人が何時間も奮闘している姿を見かけるほどです。

ところが、元日の午後はというと、ここを出入りする車はウソみたいにほとんどなく不気味でさえありました。
いかにお正月とはいえ、そのあまりの静寂は異様としかいいようがなく、みなさんなにをしているのかと首をひねるばかり。

どこもかしこも昼間から酒盛りというわけでもないでしょうし、老若男女が暮らすあまたの世帯がびっしりとひしめき合っているのに、物音一つしないその雰囲気が数時間続くさまは、さながら戒厳令でも出ているようでした。

考えてみれば日本のお正月というのは一種独特なものがあって、このときとばかりに家族が集まり、そこにはゆるやかな閉鎖性と排他性が漂い、どこか神聖ささへ帯びているあたり、この時期は友人知人といえども、連絡はなるたけ慎むべく自然に気を遣い合っている感じがします。

そんな日本の伝統的なものと、マンションという居住形態がいよいよ人々を外に出さなくなっているのだとしたら、なんだか少し薄気味悪い気さえしました。
マンションといえば思い出しましたが、友人がニュースで耳にしたという話ですが、最近流行りの高層を誇るタワーマンションは、そのいかにも最先端的かつスタイリッシュな外観とは裏腹に、住人のひきこもりを助長しているという調査結果があるのだそうで、へええと思いました。

玄関のドアを開ければそのままひょいと外に出られる一戸建てと違って、何をするにもいちいちエレベーターを呼び寄せ、他人と一緒になったりならなかったりしながら数十メートルの上下移動を必ずしなくてはならないし、さらにはなんらかのセキュリティを通過して行くとなると、たしかに外出も知らず知らずに億劫になるだろうなあと思いました。

また別の友人の話によると、今どきは奥さんも子供もあまり外には出たがらず、いつも自分が旗振り役になって外に連れ出すのだそうで、とくに外に出たくもなく行きたいところもない由で、これにはびっくりでした。
昔は仕事で疲れてゴロゴロしたいお父さんの背中を揺さぶって、どこか連れて行ってと子供からせがまれ、しぶしぶ起き上がるというのがありふれた光景でしたが、今はもうそんなことはなくなってしまったようです。

そういえば、いつ頃からだったかはっきりはわからないけれど、一家で外出している中でもお父さんのテンションがひときわ高く、一番張り切っているような光景を目にするのが珍しくないようになりました。
なんだかいろんなことが少しずつ変わっているんですね。
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アンプがすごい

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

お正月の過ごし方というのはさまざまで、マロニエ君はいつも通りだらだら過ごすだけ。

年末に、久しぶりに中華デジアンプの新しいのを買いました。
ふだん音楽を聴くのは深夜に集中できることもあり、自室で聴くのがいつのまにか自分のスタイルになりました。

自室でオーディオを鳴らす機材は、かなり苦労して作った筒型スピーカー、中華デジタルアンプ、ホームセンターで買ったDVDプレーヤーをCDプレーヤー代わりに使うという、およそ高級品とは真逆の寄せ集めなのですが、これが自分でいうのも何ですがなかなかに良い音で心地よく、いつか高級機を買いたいというような考えは微塵もありません。

階下のリビングには、タンノイやヤマハのNS-1000といったスピーカーに、アンプもン十年前に買ったヤマハの当時かなり高額だったアンプがあり、これはパワーアンプとコントロールアンプに分かれている、ひどく大げさなシロモノです。
パワーアンプに至ってはひとりで持ち上げようとすればまず腰を痛めてしまいそうなほど重く、ちょっと音を出すにもアンプだけで2箇所もスイッチを入れなくてはいけないなど、音が出るまでの手間も大変です。

昔はこういうもので喜々として聴いていましたが、だんだん流行らなくなったのはみなさんご承知の通り。
それでも聴いてみれば、音にはゆったりと余裕がありパワーがあって、これはこれで迫力のサウンドではありましたが、数年前からコントロールアンプの左右出力のバランスがおかしくなり、不調はあきらかでした。

修理に出そうにもいろいろなケーブルなんかがたくさん繋がっているし、外すのも面倒で、そんなこんなでいよいよ自室で聴くというスタイルへと傾いていったのです。
それから数年。
まあ、そのまま使わなければアンプはもちろん、ほとんど家具みたいなスピーカーもただの粗大ゴミとなるだけで、これが一番もったいないのだからやはり修理に出そうかと思いながら、ふと中華アンプのことが頭をよぎりました。

中華アンプは一般の電気店などでは売っていませんが、ネット上にはその専門店などもあり、その「安くて高性能」はすごいんです。
値段はれっきとしたアンプにもかかわらず数千円!が中心で、一万円を超えるものはめったにありません。

これまでに自作のスピーカー用として10台近く買いましたが、どれも呆れるばかりの高性能で、一度この味を覚えると、よほどのオーディオマニアか音の求道者でないかぎり「これでなんの文句があるの!」となってしまいます。
それでも以前は15~30Wぐらいのパワーのものが中心だったため、リビングのスピーカーには明らかに力不足で、すごい性能ではあるものの、所詮は小さいスピーカー用という認識になりました。

でもそれから数年は経っているし、あらためて調べてみると案の定ハイパワー仕様のものも多数出てきており、かといって価格はあいかわらずの低価格維持で、ものは試しと思って「160Wハイパワーデジタルアンプ」というのを購入しました。
ブランドはこの世界では定評あるFX-AUDIO。

どでかいヤマハのアンプからスピーカーコードなどを外して、筆箱ぐらいの小さなアンプに繋ぎます。
いっちょまえにゲイン調整などもついていますが、あまりにも小さくて軽いので、ちょっと触るだけでいちいち動いてしまうほど。

さて、いよいよ音を出してみたら「うわっ、なにこれ!」というほどビシッとした音がスピーカーから鳴り響きました。
強いて言えば音の柔らかさという点がイマイチかもしれないけれど、とにかくものすごいパワーでズンズン鳴るし、しかもクリアな音質。
こんなものがあれば、そりゃあ電気店のオーディオコーナーも年々縮小されるのもわかります。

ヤマハのアンプはン十年前にン十万円出して買ったもので、見た目も立派ですが、この小さな中華アンプはたったの5000円。
こんな安くてちっちゃなデジアンプでもエイジングは必要らしいので、しばらく鳴らしていたらどこまで成長するのか、もう恐ろしくさえなります。

まさかと思われる方は、「中華アンプ」「中華デジアンプ」で検索したらいろいろ出てきますので、ぜひお試しを。
ちなみにマロニエ君が今回買ったのは、いちおうこの世界で有名なFX-AUDIOのFX-98Eというモデルです。

いぜん、調律師の方にひとつ差し上げたら、やはりびっくり仰天で大喜びしていただきました。
あんまり良く鳴るので、今年はこちらでも音楽を聴く機会が増えそうです。
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