手早くきれいに!

このところ急に寒さが厳しくなりましたが、早いもので今年も終わりに近づきました。
とくに平成としては最後の年末ですね。

年末ということで、お掃除ネタでおわるのも平凡ですが、まあ平凡で結構。

手早く済ませる、ピアノの塗装面(艶出し仕上げ)のお掃除について。

ピアノ掃除というかお手入れのためのケミカル品で、マロニエ君がどうにも好きになれないのは、メーカーが出しているピアノポリッシュの類で、あれはムラができやすく、きれいに仕上げるにはかなりの熟練を要し、うまく使いこなす前にイヤになってしまうことは以前にも書いた通り。

そこで自分なりにいろいろ試したあげく、ソフト99から出ている「ピアノ家具木製品手入れ剤」がもっとも使いやすく最良と思ってこれを使っていましたが、そうはいってもこれを塗布して磨きあげのはせいぜい半年〜一年に一回。
日常の殆どはホコリを取るだけの作業になりますが、これがなかなかしっくりくるものがありません。

基本は、ハンディタイプのホコリ吸着のモップ程度でいいと思うのですが、細かい部分や隅っこなどにホコリがたまるとなかなか除去するのが難しかったり、モップはモップで定期的に洗ったりする必要があって、それなりに手間がかかります。
また、厳密に言うと、軽いホコリ取り程度だけでは取れないホコリの層がしだいにできてきて、これをきれいにするには、やはりクリーナーを使うしかありません。

今回目をつけたのは、ダイソーなどで売っているフローリング用のワックスシートのたぐいで、売っているものは何種類かありますが、いずれも微量のワックスを染み込ませたクリーニングシートです。
使い捨てタイプで、何種類もありますが、だいたい12枚〜20枚入りぐらい。

もともとは本来の使用目的にそって床や階段を拭いていたところ、思ったよりゴミやホコリを除去するし、仕上がりも期待以上にきれいで、これはもしかしてピアノにいけるんじゃないかと思ったわけです。

ピアノの外側は、エアコン使用が続く時期ということもあってか、意外にホコリがたまり、きれいにしたつもりでもわずか数日でうっすらとホコリが見えてしまいます。

毎日のお掃除に怠りないような方はご参考にならないと思いますが、マロニエ君はピアノの掃除など週に一度するかどうかもあやしい状況で、うっすらホコリが見えるようになってようやく手をつける程度。

さらに、ホコリというのは、取っているつもりでも結局は掻き寄せてあっちへこっちへと移動させているだけということもあり、これを本当に除去するは意外に難しいもの。
とくにピアノはつやつやして平面が多いので、いやが上にもホコリが目立つもの。
さらに加湿器を使用すると、数日でピアノの表面にはうっすらと白い膜のようなものが付着し、これもハンディモップで取れないことはないけれど、もうすこしシャキッとさせたいところ。

このフローリング用のワックスシートは、当然使い捨てなので、ケミカル剤を使ったときのように柔らかい布を準備する必要もないし、モップでさえ定期的に洗濯することを考えたら、本当に簡単便利です。
おまけに薄いワックス効果もあって、細部までホコリを残さず簡単にきれいになるので、かなり使えると思いました。

ピアノを拭いた後は、ついでに部屋の中のあちこちをちょこちょこと拭いておけば、あちこちがきれいになるので今のところいいことずくめです。

もちろん、これは「ピアノ用」ではないので、自己責任にてお願いします。
ピアノがきれいになったところで、今年も終わりになるようです。
それでは来年もよろしくお願い致します。
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マルセル・メイエ

時代の流れに反抗し(ているわけでもないけど)、あくまで音源はCDにこだわり続けているマロニエ君です。

最近購入したCDで圧倒的に素晴らしく感激ひとしおだったのは、20世紀の前半から中頃にかけて活躍したフランスのマルセル・メイエのスタジオ録音集成という17枚からなるボックスセット。

ネットにあるCDの説明によれば、1897-1958の生涯。
パリ音楽院でマルグリット・ロンやコルトーの教えを受け16歳で卒業。
ラヴェルやドビュッシーの多くの曲の初演者であり、サティやフランス6人組、コクトーやピカソ、ディアギレフなどと音楽以外の芸術家とも深い関わりがあったらしく、フランスの最も輝く時代とともに生きたピアニスト。

つい先日、ギーゼキングのバッハでぶったまげて何日間もそればかり聴いて過ごしていたというのに、それをつい横にやってしまうような魅力ある素晴らしいメイエのピアノに驚きのため息が止まりません。
実をいうと17枚を聴くのにひと月ちかくかかりました。
なぜならあまりに素晴らしすぎて、繰り返し聴くものだから、なかなか次のCDに交換ということになりません。

しかも、17枚とはいっても、すべてCD収録時間ギリギリの80分近い収録となっているので、LP時代でいうと倍近い枚数になっていたものだろうと思われます。
それが、こうしてCDの小さくて簡素な箱に入れられ、一枚あたり定価でも200円ちょっとで買えるのですから、大変な時代になったものです。

この人のピアノを聴いていて、演奏の最も中心をなしているものはなにかといえば、それはセンスだと思いました。
ただ、センスという言葉で誤解されたくないのは、センスというとすぐにファッション的な意味合いや、繊細でオシャレ的な意味合いで受け取られることが多いのですが、そうではなく、演奏スタンスというか価値感という点で、しっかりしたスタイルの見切りがついている、あるいは楽譜を音楽的言語にいかに美しくデフォルメできるか…というふうに思っていただけると幸いです。

あまり枝葉末節にこだわらず、音楽の本質、開始から発展し収束に向かって終りを迎える個々の作品の短い生涯を再現するにあたって、最も大事にすべきものはなにかということを、この人の演奏はよく示してくれるように思います。
なので、もしメイエの演奏を聴いて何か影響を受けるとすると、それは直接の解釈とかアーティキュレーションではなく、音楽を自分流にどう捉えるかという本質であり、自分ならピアノの前に座ってどんな演奏を旨とするか、それをシンプルに考えるヒントにあるということではないかと思います。

現代の凡庸な演奏家の多くは、楽譜に正確に、完璧に弾けているというアピールばかりを詰め込みすぎて、肝心の「音楽」が本来の精彩を失い、聴き心地の悪いものになっている演奏で溢れています。
場所々々ではいかにも立派なように聴こえるけれど、全体として通すと詩もなければドラマもない、要するに何の魅力もない、音楽の神様が一瞥もくれないような演奏。
その真逆にあるものがメイエの演奏にはぎっしり凝縮されているわけです。

必要以上にもったいぶるようなことはせず、表現表情も過度にならず、それ以上は聴き手の感性に委ねられた、聴き手の感性を呼び起こす演奏なんですね。直接的にエグい表現などはまったくなく、どちらかというと毅然として澄みわたっている。
そのなんとも微妙なところが最高なんです。

技巧もそのまま現代でも第一線で通用するほど見事であるけれど、まったくそれを見せつけるような自慢や強調はゼロ。
ましてや楽譜に対する忠実ぶりを正義のように押し付けてくるわけでもないし、戦前のピアニストありがちな恣意的で独善的なものとも見事なまでに区別された、楽譜に批准した知的な演奏であることは衝撃でした。

どれを聴いても活気に満ち、音楽があるがままのように生きている。
昔はこういう人が自分の生きるべき場所に生きることができ、なすべきことがなされたこと、そんな当たり前が素晴らしいと思いました。
それは時代の力でもあり、まわりにいた多くの芸術家たちとの相乗作用もあって、このような演奏を生み出し支える大きな養分になったことでしょう。

今のピアニストは、ピュアな芸術家として生きるには、時代がなかなかその味方をしてくれないようです。
ひたすら技術と暗記のトレーニングに明け暮れ、あとはコンクールというレースに出てせっせと営業活動するなんて…それを外から軽蔑するのは簡単ですが、気の毒なこととも思います。
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コンサートベンチ2

油圧式ベンチのメリットは、従来のもののように木と金属をネジで止める構造ではなく、座面のクッション部以外はほぼ金属のみで構成され、ベースは溶接一体式なので、捻じれや軋みが出る要素が圧倒的に少ないというところにあるようです。
しかも簡単なレバー操作で、油圧式の座面がサッと上下するので、丸いノブを延々ぐるぐる回す必要がないのは画期的。

数社から類似品が出ているようですが、外観からはなかなか見分けがつかず、イタリア製とかスペイン製などとあるだけで、実際に座り比べのできるような店もなく、ピアノの椅子がないわけでもないので、しばらく静観することに。

イドラウ社というスペインのメーカーを知るようになったのもこの頃で、ファツィオリなどはイドラウ社のベンチを使っているようで、以前の「バルツかジャンセンか」の時代は過ぎ去り、ランザーニ、ディスカチャーチ、アンデクシンガーなどのメーカー名も次第に広がってきたように思います。

そもそもマロニエ君はピアノにこだわるなら、それを弾くための椅子はとても重要という考えで、靴にこだわるのとどこか通じているかもしれません。
どんなに素晴らしいピアノでも、椅子がサービスのしょぼい廉価品では、座り心地はむろんのこと、ビジュアルとしてもキマらない感じがするのです。
普通のピアノでも、コンサートベンチを置いただけでたちまち風格が漂い景色が変わるし、使い心地においても安定感があって快適なので、個人的にはコンサートベンチはピアノの如何にかかわらず強くオススメします。

ところが、ピアノにはこだわっても椅子には一向に関心を向けない方って多いんですね。
この何年かの間に、知り合いなどでピアノを買われた方が何人かおられ、そのたびに椅子はいいのを買ったほうがいいとアドバイスしますが、そうされたのは約半分。
買われた方は、みなさん例外なく「買ってよかった」「気がつかなかった」といわれ、その余裕ある座り心地を日々実感されているようです。
実際、コンサートベンチは一度使うと、おそらく二度ともとには戻れないもので、見た感じもいかにも本物といった重厚感があふれて、ピアノはもちろん部屋の雰囲気まで一気に引き立ちます。

かくいうマロニエ君も、自室のシュベスターにもはじめに買ったコンサートベンチを使っていますが、アップライトでもとても似合いますが、それを見た調律師さんも「アップライトでこういう椅子を使われる方はいないですね」とのこと。
ちょっとしたことで、練習にも身が入るんですけどね…。
アップライトにカバーを掛け、普及品の椅子を置くと、それだけで「子供にピアノやらせてます」的な雰囲気で、むこうからおかずの臭いがしてきそうですが、コンサートベンチひとつでまったく違った世界になります。

さて、油圧式ベンチですが、それほどお高いものではなくだいたい10万円前後で、その中ではイドラウがややお安いぐらいでしたが、日本のイトーシンからも似たようなものが発売され、こちらは価格は約半分。
なんでもドイツのヤーン社のOEM生産品ということのようですが、なんかカタチが好みじゃなくてこれはボツ。

で、イタリア製とやらもどこで売っているのかもよくわからないし、そうなるとイドラウかなあと思っていたところ、ドイツのアンデクシンガー製があることがわかり、お値段はほんのちょっと高めですが、ドイツ製の椅子はひとつもないのでその点でも惹かれました。
調べていくと評価も高く、ベーゼンドルファーの取扱店や、ファツィオリも油圧ベンチに関してはアンデクシンガーを推奨しているようなので、結局これを買うことに決めました。

それが最近届いてさっそく使っているのですが、さすがはドイツ製だからか、あるいは油圧ベンチ全般がそうなのかはわかりませんが、腰を下ろすとギョッとするほどしっかりしており、まさに床に固定でもしたように微動だにしないのはかなり驚きました。
加えて高さ調整の簡単さは群を抜いており、この点で重宝されていたトムソン椅子でもいちいち後ろに回って上げ下げしなくてはいけなかったものが、油圧ベンチは座ったままサッと微調整もできて、とくに奏者が入れ替わるコンクールや発表会などでは、もはやこれに勝るものはなく、その手のイベントには必須アイテムではないかと思います。

そうは言っても、うちでピアノを弾くのはマロニエ君のみで、高さ調整も一度すればほとんどする必要もなく、さほど役に立っているとも言えませんが、ピアノを弾くお客さんがみえたときには役に立つことでしょう。
現在グランドの前にはランザーニとアンデクシンガーのベンチが2つ並んで、なんとなく自己満足。

後からネットで知ったことですが、ランザーニ社は社長の死去に伴って会社自体が廃業した!とのことで、もはや購入できなくなっているとのこと、思いがけなくコレクターズアイテムになってしまったようです。

追記:文中の日本製と思っていた油圧ベンチは、ネットでよくよく調べたら近隣国での生産品でした。うっかり日本製と勘違いするところでした。
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コンサートベンチ

必要もないのに、意味もなく欲しくなるものってありませんか?

マロニエ君にもそんなものがいくつかあって困りますが、その中の一つがピアノの椅子。
中でも欲しくなるのはコンサートベンチ、すなわちコンサートのステージでも使われる椅子のこと。

たしか20年ぐらい前のこと、それまで使っていた普通のダサいピアノ椅子に我慢できなくなり、よくわからないまま日本のピアノ椅子では有名メーカーのコンサートベンチを購入。
当時は注文制で、座面を本皮、足の部分を黒のつや消し仕上げで購入しましたが、これが見た目はたいそう重厚で立派なんですが、一年もしないうちにギシギシと雑音が出始めて憤慨。

で、次に買ったのが、ヤフオクで見つけたカワイ純正のコンサートベンチで、ピアノメーカーがコンサートで使うものなら間違いないだろうと思ったのですが、その期待もあえなく裏切られて、こっちははじめから雑音があって前回以上に落胆。
これは中古品だったものの、そんなに使われたとは思えない美品で、大きさ重量ともに立派だし、サイドには小さなKAWAIのエンブレム付きであるにもかかわらず、盛大にギシギシいうのはびっくりでした。

調律師さんが、調律に来られたついでにCRC(潤滑剤)を吹きつけたり、一度は自宅に持ち帰って各所を増し締めしたりとかなり奮闘してくれましたが、音が消えるのはしばらくの間で、そのうち再発しはじめて、時間経過とともに完全に元に戻るのには閉口させられました。
そのうちこの2つに関してはあきらめてしまい、やっぱり日本製はダメだと思い、輸入物を狙うことに。

一時代前までのコンサートベンチは、ヤマハはヤマハ製、カワイはカワイ製を使い、スタインウェイやベーゼンドルファーではドイツのバルツ製、あるいはアメリカのポール・ジャンセン製というのが定番でした。
バルツはいかにも高品質な感じはあるものの、古いメルセデスみたいな実直なで遊びの一つもないデザインがあまり好きになれず、対してジャンセンのほうがデザインが好ましく、価格も少し安いこともあってか、当時のコンサートの多くがこれでした。

というわけで、次はポール・ジャンセンだと心に決めていたのに、さる輸入ピアノ店のオーナーにして技術者の方によると、ポール・ジャンセンも所詮はアメリカ製品で、いずれ雑音が出始めるのは避けがたいとのこと。
その時点ではジャンセンのベンチにはかなり思い入れもあり、聞いたのがいよいよ購入する直前のことだったので少なからずショックを受けました。
でもまあ、安くもないものを期待をこめて買った後に3たび裏切られるよりは、事前にわかってよかったと思い直すことに。

というわけで、では雑音が出ないという観点から最もオススメのコンサートベンチはなにかと尋ねたら、即座に「イタリアのランザーニ製でしょう」との回答でした。
イタリア製は車好きの経験から、デザインやスピリットは認めるとしても、品質に関しては大いに疑問符がつくイメージがあったので、俄には信じ難い気もしましたが、その方は抜きん出て知識が豊富で信頼のおける方であったし、自信をもって推挙されるので結局それを購入することになりました。

当時ようやくこのベンチがコンサートで使われはじめた頃で、側面に赤いラインが2本入り、座面ステッチにも赤い糸が使われるあたりいかにもイタリアンで、すでにポリーニなどが使っていたし、ホールにも結構あるようで今でもときどき見かけます。
そのころ、このランザーニのコンサートベンチを取り扱っているのは松尾楽器商会だったので、ここから購入。

送られてきたそれは、これまでの2つのコンサートベンチにくらべて明らかにガッシリしているし、かなり重く、たしかに作りもかなり堅牢、どんなに重心移動してもミシリとも言わず、まずこの点においてはかつてない頼もしさがありました。
いやな雑音からも解放されたのはよかったけれど、強いていうなら座面のクッションの沈み込みがほとんどない平坦な作りなので、厚みのあるクッションの感じがないのは少し残念でした。

でもとりあえずこれで落ち着いたことでもあり、部屋にコンサートベンチばかりごろごろしていても仕方がないので、カワイ製のものは人にあげて整理をつけたころ、今度は油圧式のベンチがちらほら出始めました。
はじめは「骨組みだけの変な椅子」としか思わなかったけれど、コンサートでもこの油圧式のベンチがしばしば目につくようになり、実際に楽器店で腰を下ろしてみると、これまでのものとは違った心地よさがあって良さを認めざるを得なくなります。

慣れの問題もあって、見た感じはさほど好きにはなれなかったけれど、抜群の安定性、レバーひとつの高さ調整のしやすさなど、とくに機能面では有利なんだろうと納得し、早い話が今度はこれが欲しくなったというわけです。

続く。
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ディアくまもん

熊本は福岡からはおよそ100km少々で、近いといえば近く、遠いといえば遠いところ。
東京からいうとちょうど御殿場ぐらいの距離で、行こうと思えばいつでも行けるものの、気軽にサッと往復する距離でもない微妙な距離でしょうか。

たまたま所用で熊本に行くことになったので、これは好機とばかりに予定より早く出発して、とあるピアノ店におじゃますることに。
市内中心部の幹線道路に面した店舗で、ここが珍しいのはディアパソンを販売のメインとしているところです。

ご店主自らご対応くださり、いろいろと興味深いお話を伺い、店内のピアノもほんの少し触らせていただきました。
ディアパソンといえばマロニエ君も3年前まで自宅で使っていたこともあり、とても親しみ感じるピアノですが、一般的な認知度はヤマハ/カワイという巨大勢力の前では、あくまでもマイナーブランドという位置づけ。

それでも、この数十年で日本国内の多くのピアノブランドが次々に消滅してしまったことを思えば、生みの親である大橋幡岩さんがブランドごとカワイ楽器に譲渡していたことが幸いして、今日まそのブランドは保たれ、少数でも生産されているのはまさに奇跡的といっていいかもしれません。

とはいえ近年のモデルは順次整理が進み、大橋氏が設計した3種のグランドはついに183cmのひとつを残すだけになってしまいました。
さらには今年のことだったと思いますが、カワイ傘下の子会社として運営されていた株式会社ディアパソンが、ついに統合されてしまったようです。
これによりディアパソンとしての独自性はさらに制限を受けることになるのか、あるいは新たな道が拓けていくきっかけになるのか、マロニエ君ごときにわかるはずもないけれど、むろん後者であることを願うばかりです。

会社の話なんぞするのは無粋なので、ピアノの話に戻ると、ディアパソンは現在でも一部のファンにとっては、なかなかの人気ピアノなんだそうで、ご店主曰く「モデルによっては生産が追いつかず、注文したものがやっと届くというような状況」というのですから、これは意外な驚きでした。
そんな好調な売れ行きの裏には、ディアパソンに惚れ込んだ販売店が、熱心にその魅力を説いていくことに日々奮闘されているという、いわば草の根の努力あってのことと思われ、そこはまさにそういう店なのだと思われます。

むかしのように「良い物さえ作っていれば、お客さんは必ずついてくる!」というような法則は崩れ、どんなに優れたものでも、それをいかに周知させ、果敢に良さを説いていくか、これに尽きる時代ですから大変です。
特にピアノはヤマハ/カワイという両横綱を相手に、ディアパソンという平幕が金星を勝ち取らねばならないのですから、ご店主の努力と情熱は並大抵のものではないと推察されます。

店内には4台のグランドがあり、新品では定番の183cmと猫足の164cm、レッスン室で使われているのはディアパソンとボストンいずれも奥行きが178cmというものでした。

3台のディアパソンには明確に共通する特徴があり、それは音とタッチだと思いました。
ディアパソンは昔から広告に「純粋な中立音」と謳っていますが、中立音というのがこういう音なのかどうかはわからないけれど、その音には飾り気のない素朴な味わいとズシッとした重みがあって、どちらかというと昔気質のピアノだと思います。
タッチも同様で、今どきの軽やかなアクションではなく、やや重めのタッチできちんと弾かされる感じでしょうか。

驚くのは、ディアパソン伝統のオリジナルではないモデル、すなわちカワイベースの164cmや178cmでさえ、骨太なディアパソンの音がしっかりすることで、決してマークを貼り替えただけではない、ディアパソンらしい音の特徴がしっかりと保持されていることでした。
ボディや響板は同じだとすると、この「らしさ」はどこからくるものなのか、おおいに興味を覚えるところです。

少なくともカワイと違うのは、今だに木製アクションを搭載していることや、ハンマーなどのパーツが違うということはあるかもしれませんが、それだけでああもディアパソンの音になってしまうものなのか、これは非常に不思議でした。
個人的な印象でディアパソンを人間に喩えるなら、根は優しいけれど心にもない作り笑いや耳障りのいいトークなどは苦手な正直者で、長く付きうならこっちというタイプだと思います。

ただし、アクションに関してだけは、もう少し今どきの新しさを採り入れて欲しいというのが正直なところ。
さすがにヘルツ式にはなってはいるのでしょうが、依然としてボテッと重く、指の入力に対してアクションの反応にわずかな齟齬があるのは少々の慣れを要します。
マロニエ君もこのタッチに関してだけは、ディアパソンを所有しているころ、ずいぶんと調律師さんにお願いして改善を試みましたが、それにも限界があり、かなりのところまでは持って行けたと思いますが、根本的な解決には至りませんでした。

カワイの樹脂製のアクションになるとしたら素直には喜べないとしても、少なくとも現代的なストレスのないアクションが組み込まれたら、それだけでもディアパソンの魅力が倍増して、理解者・支持者(要するにお客さん)が一気に広がるのではないかと思います。

個人的な好みをいうと、ピアノ店には営業マンが何人もいるような規模は必要なく、この店のようにご店主自ら一つのブランドに精通し、業界に確かな人脈をもち、その魅力をひとりひとりに説きながらファンの裾野を広げていくというスタイルが理想的で、楽器はそもそも本来そういう世界ではないかと思います。
聞けば、遠方からでもディアパソンに興味のある方はわざわざここを訪ねて来られるそうで、結果として納入先は九州全体に広がっている由、納品時の写真を収めたものという分厚いアルバムがその事実を雄弁に物語っていました。

ディアパソンあるかぎりますます頑張っていただきたい貴重なお店でした。
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ガラクタ漁り

古本店の中古CDはクラシックなどほん少しあるだけで、期待もしていなかったところ、たまたま面白いもの(しかも廃盤)がまぎれていたことで、ビギナーズラックだったと考えるべきなのに、つい味をしめて二度三度覗いてしまいました。

当然、そんな偶然が続くはずもなく、結果は玉石混交、失敗も少なくありません。
いいものについてはあらためて書いてもいいけれど、中には安さゆえに冒険心と欲に煽られて、普段だったら買わないようなものにまでついつい手を出してしまいます。

もちろん、興味を覚えたものはそれなりにいちおうは吟味して買っているつもりですが、しょせんはガラクタ漁りであって、ヘンなものをいくつか買ってしまいました。

掘り出し物も中にはあるから、勝敗は五分五分だとしても、五分五分ということは結局いいものを倍の値段で買っているようなもので、ま、せこい遊びとして、それはそれで楽しんでいます。

いくつかご紹介。
名も知らぬドイツ人ピアニストによるショパンの14のワルツというのがあって、いまさらショパンのワルツでもないけれど、裏に記された小さな文字に興味がわきました。
演奏者の名前のすぐわきに(Bechstein)という文字があり、ベヒシュタインによるショパンというのはどういうものか聞いてみたくなり購入。
ところが、これがもうウソー!と声を出したくなるような下手な演奏で、おまけに録音もぜんぜんパッとしないもので、1曲めでやめようかと思ったけれど、それじゃあまりに悔しいから一度だけ我慢して最後まで聴きましたが、それでハイ終わり。

むかし天才などと言われて有名だった日本人によるヴァイオリン名曲集。
若いころ、来日中のコーガンの目に止まり、彼が教えることになってソ連に行って研鑽を積み、帰国後は有名な画家と結婚した方。
この人は名前ばかり知っていて、まともに演奏を聴いたことがなかったからいいチャンスと思ったけれど、これがもうやたら古臭い、昭和の空気がどんよりただよい、日本人がここまで弾いてますよ!というだけのもので、とてもその演奏に乗って曲が羽根を広げるようなものではない。
当時のソ連にはただ上手い人なら日本とは比較にならないほどごろごろしていただろうし、コーガンほどの巨匠がこの人のどこにそんなに惚れ込んだのかと頭をひねるばかり。

ウェルテ・ミニョンの大いなる遺産ー19世紀後半の名ピニストたち。
あとからわかったけれど、ウェルテ・ミニョンは昔のピアノ自動演奏装置のことで、それを知らなかったばかりにすっかり騙されました。古いレコードのコレクターぐらいに思っていたのです。
マロニエ君は昔からピアノロールなどの自動演奏というのが嫌いで、これで録音したCDなどは決して買わないのですが、購入して中を見てはじめてそうだと判明。それをアメリカのブッシュ&レーンというピアノに取り付けて、往年の巨匠たち、すなわちプーニョ、パハマン、ザウアー、パデレフスキなど総勢8人によるショパン演奏でした。
この装置がどれほど正確に記録/再現能力があるのかは知らないけれど、聴こえてくる演奏は、どれも信じられないほど不正確で、大雑把で、あちこち好き勝手に改竄された演奏。技術的にもその名声にふさわしいとは到底いいがたく、そういう時代だったということは踏まえるにせよ、ひととおり聴くだけでもストレスを伴うものでした。
大半はメチャクチャといいたいような演奏で、最もまともだったのは日本にも馴染みのあるレオニード・クロイツァーの革命で、8人中たったひとりまともな人に会ったような印象でした。
ブッシュ&レーンというピアノも、良く鳴ってはいるようだけれど、鋭いばかりの耳障りな音で演奏と相まってかなりストレスがたまりました。

ジェシー・ノーマンのシューベルト歌曲集。
例によって神々しい、ビロードのような美しい声だけど、シューベルトの音楽がやけにものものしくゴージャスにされているようで、なんだか釈然としませんでした。個人的にはもう少し、簡潔な美しさの中に聴くシューベルトのほうがしっくりくるし好みです。
もちろん歌手としては途方もない存在であるのは疑いようもないけれど、ミスマッチなものでも無抵抗に有り難がっていた時代があったことを思い出しました。

「安物買いの銭失い」とはまさにこのことだと思いますが、趣味や楽しみにはムダはつきもの。
ムダや失敗のない趣味なんてあり得ないのだから、それをふくめて楽しんでいると勝手にオチをつけています。
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