左手のコンクール

1月6日にBS1で放送された「私は左手のピアニスト〜希望の輝き 世界初のコンクール〜」を見ました。
もたもたしているうちにすでに再放送までされていたようです。

日本でこの分野で有名なのは、フィンランド在住でリサイタル直後に脳梗塞で倒れられ、いらい右手に障害を負われて左手のピアニストに転向された舘野泉さんですが、真の意味で最も脂ののった実力者といえばおそらく智内威雄さんではないかと思います。

以前NHKでも智内さんを取り上げたドキュメントがあり、ドイツ在学中にジストニアを発症し、曲折の末に左手のピアニストになられた方ですが、その実力には舌を巻いた記憶があります。
この方は自身の演奏活動だけでなく、同じく右手に障害を持つピアニストを手助けすべくさまざまな活動もされていて、左手への編曲や、ネット上での演奏技術の公開など左手ピアノのためのマルチな活動をされています。

少なくともマロニエ君の中では、日本の左手のピアニストで真っ先に頭に浮かぶのはこの智内さんだったのですが、番組開始早々、このコンクールの会場が箕面市立メイプルホールという文字が出たとき、以前智内さんの活動拠点が箕面市という記憶があったので、これはもうこの方の存在と尽力により左手のコンクール開催に至ったということを確信しました。

コンクールはプロフェッショナル部門とアマチュア部門に別れ、3日間という短い期間で競われるもの。
プロフェッショナル部門は「左手」というだけで、まさにハイレベルの方ばかりで、多くの方がもともとは両手で弾かれていたにもかかわらず、病気や右手の故障で左へ転向された方がほとんど。

その演奏技術たるや大変なもので、もともと両手を使っても難しいピアノであるのに、それを左手だけで演奏してハンディなしの音楽として聴かせるのですから、これはもう尋常なものではありません。
実際にその演奏の様子は、左手だけがピアノの広い鍵盤上を飛び回り、そのスピードといったら目がついていかない早業であるし、伴奏やベースのハーモニーを鳴らしながら、旋律を繋いでいくというアクロバティックな動きの連続で、見ているこっちがくらくらしそうでした。

梯剛之さんや辻井伸行さんのように全盲であれだけの見事な演奏ををされる方がいるかと思えば、左手だけでこれだけの演奏を実際にされる方が何人もおられるわけで、その想像を絶する能力にはただただ驚嘆するのみ。

スクリャービンの前奏曲とノクターン、ブラームス編曲のバッハのシャコンヌ、ラヴェルの協奏曲などは、左手のための作品としてよく知る圧倒的な傑作ですが、それ以外となると、なかなか作品に恵まれない一面があり、ほとんど無限というほどの作品がある両手に比べると、左手の世界での大きな問題は作品にあるような気がします。

そういえば、以前の智内さんのドキュメントでも、ドイツ楽譜店で左手のための作品の探すシーンがあったし、多くの作曲家が左手のための作品を書いたけれど、ほとんどが忘れられ日の目を見ることなく埋もれてしまっているというようなことを言われていたことを思い出します。

もっと多くの作品が演奏され多くのCD等になって、耳にする機会が増えることを切に期待しています。
左手のピアノの魅力は、限られた音数の中に、いかに濃密な音楽が圧縮されているかにあるし、番組内でも誰かが言っていましたが、両手のものよりさらに熱く激情的でもあることが多いという点では大いに同感です。

はじめちょっと物足りないようなイメージがあるけれど、そこを超えると、左手ピアノには人間のぐつぐついうような情念とかエネルギーがそこここにうねっていて、深遠な世界があり、これはひとつのジャンルだと思います。
たしかに音が多ければいいというものでもなく、ソロよりも、連弾や2台ピアノが優位とは言い切れないのと繋がりがあるかもしれません。

また、ピアノの音も、両手より赤裸々にその良し悪しが出て、楽器の実力も問われる気がします。

楽器のことが出たついでにちょっとだけ触れておくと、ヤマハがコンクールの後援ということもあって、ピアノはヤマハのみでしたが、そこに聴くCFXの音はまったくマロニエ君の好みとは相容れないものでした。
もしかしたら、左手ということを意識した音作りがされた結果なのかどうか、そのあたりのことはまったくわからないけれど、できればもっとオーソドックスで深い音のするピアノで聴いてみたいと個人的には思いました。


オタク的なことを一言付け加えておくと、このコンクールのピアノで気付きましたが、ヤマハCFXは外観デザインで足の形が変更されています。
2015年の登場以来、シンプルかつ直線基調の足でしたが、最新のモデルはそこに穏やかなカーブがつけられているのを確認。
昔もヤマハのグランドの足にはわずかにカーブがついていたし、Sシリーズは逆にふくらはぎのようなぷくっとしたふくらみがあるなど、なぜか足に曲線を使うのがお好きみたいです。
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楽しむもの

ピアノクラブ(弾き合い)の新年会というのがあり、マロニエ君は会員ではないのですがお招きいただいたので、いいのかなぁと思いながら少しだけ参加させてもらいました。

個人宅でやられているもので、1時間ほど遅れて行ったのですが、近づくにつれピアノの音が漏れ聞こえて「やってるやってる」という感じで歩を進めます。
ドアを開けると、弾いているのはご無沙汰していた顔見知りの方。
短髪、口ヒゲ、逞しい格闘家のような体軀の壮年男性ですが、身をかがめながら可憐な音でドビュッシーのアラベスク第1番を、バスケットから花びらがこぼれ落ちるように弾いていました。

中に入ると横長のテーブルにずらりとご馳走が並び、すでにみなさん勢揃いされ、宴もたけなわといったところ。
その脇にピアノがあり、飲み食いしながらの入れ代わり立ち代わり各人各様の演奏が続いて、ピアノの音が途絶える隙がありません。

みなさん和気あいあい、ピアノを弾くのが楽しくて仕方がないご様子。
さらに、そのピアノの仲間がいることが輪をかけて嬉しくて仕方ないという感じでムンムンでした。
ピアノを弾くことがこれほど楽しいものだということを、むかしむかしのレッスンに通っていた子供の頃に感じることができたら、マロニエ君もどれだけよかっただろうと思いますが、残念なことに真逆の世界でした。

小学校時代から某学院に通っていましたが、そこはピアノの指導の厳しさで当時の九州では随一で、まわりは桐朋や芸大/芸高に進む人がずらりで、院長を頂点に先生方もこわいのなんの…ピアノと恐怖は同義語。
マロニエ君なんぞ、そこでは一二を争う劣等生で練習もせず屋根裏のネズミのように逃げまわっていたので、当然のごとくの有様ですが、今にして思えば、そのぶんピアノ好きの火を消さずに済んだのかもしれません。
小さい頃からのピアノ浸けの体験があだとなり、ものすごく上手いのに音大を卒業するや、すっぱりピアノと手を切ってしまう人もいたりで、それからみれば、下手でも好きでいられるぶんいいかな?とも思ったり。

話が逸れました。
ここのピアノは、このブログでも何度か書いたことのある戦前のハンブルク・スタインウェイのSで、マロニエ君はちょうどその脇に座っていましたが、しばしば床が震えるほどのあっぱれな鳴りにはあらためて感動です。

おまけに、真横でこれだけ鳴っているのに、音質が少しも耳障りでないのはさすがです。
以前、ある場所で、やむを得ずピアノのすぐ側に座ることになったのですが、日本製の定評あるグランドから出るのは脳ミソの奥にまで達するような突き刺さり音で、失神同然になったことがあります。
やはり良い材料で作られた楽器の音は、人間の生理とどこかで折り合いをつけることができるようになっている気がします。

人工乾燥、流れ作業、大量生産、仕上がり精度は超一流というピアノは、楽器じゃなくまさしく製品ですが、やっぱりピアノは楽器であって欲しいもの。

多くの人は、いかにスタインウェイとはいえS155は最小サイズなのだから、それなりの音しか望めないと思っておられる方も多いと思いますが、それはまったくの誤りであることが、こういうピアノの音を聞いたらわかります。

さすがにBあたりとは違うかもしれませんが、低音などもかなりボリュームのある深い音がするあたり、このピアノの音だけを聞いてS/M/O/Aを明確に聞き当てる自信はありません。

なので、いいものを探し当てたらヴィンテージのスタインウェイはやはり恐ろしい力を持ったピアノだと思います。
そのためのお値段とマークは伊達じゃない。
ネット相談では、「スタインウェイのSを買うのは愚かなブランド志向で、そんな予算があるならサイズに余裕のある国産のプレミアムシリーズのほうが良い。ピアノの真価の分かる人はむしろそちらを選ぶ。スタインウェイの価値を発揮するのはB以上」などと、さもわかったようなことを断定的に書いている人がいますが、こういうことを自信たっぷりに書く人の中には技術者を名乗る人も多いのは驚くばかりで、価値感はそれぞれ、どちらが良いなどとは軽々に言えるものではないでしょう。

…また話が逸れてしまいました。
とにかく、ピアノは力んで挑むものではなく、楽しむものということですね。
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ピアノの運動不足

この前の連休、ピアノ好きの方が4名ほど我が家にいらっしゃいました。
みなさん、非常に熱心でピアノを弾くことに格別の喜びをお持ちの方ばかりです。

自宅リビングに置いているグランドは、むかし一大決心をして購入したにもかかわらず、普段ほとんど弾かずに置いているだけという状態が続いています。

年末には1日かけて調律等をやっていただいているので、状態は悪くないはずなのですが、前日ちょっと試弾してみたところ、予想以上にピアノが眠ってしまっている状態でした。
明日はこのピアノを弾きに人が来るというのに、これじゃあいくらなんでもまずいと思い、かなり焦りながら暫く弾き続けました。

いまさらこんなことを書くのもどうかと思いますが、普段自室のシュベスターばかり弾いていると、知らず知らずのうちに指がそれに慣れてしまうらしく、それにも困りました。
ざっくりした言い方をすると、アップライトのタッチの軽い部分と重い部分、グランドのタッチの軽い部分と重い部分は、どうもほとんどが逆になっているようで、加えて慣れというのは恐ろしいもので、やけによそよそしく、弾きにくさのほうが目立ってしまいます。

普段あまり弾かないことが祟って、花に喩えると花びらがかたく閉じてしまっており、アクションにも響きにも渋さがまとわりついてしまい、弾きにくいことといったらありませんでした。
このときはもう時間的な余裕もなかったのですが、なんとかほぐそうという一念で全音域のスケールを繰り返したり、強めの曲をヒーヒー言ってとにかく無理して鳴らし続けたのですが、こうなるとピアノの楽しさはゼロ、テンションは下がり、指や腕はびりびりと疲れてくる始末。
それでも、1時間ほど経ったころ、ようやく少しピアノが鳴ってきたのがわかりました。
鳴ってくるというのは、全体がほぐれてくるのはもちろん、顕著に感じるのは旋律が歌うようになることでもあり、それがわかったときはようやく少しホッとしました。

この日はこれが精一杯。
当日は、5時間ほど滞在され、途中かなりおしゃべりを挟みながらも、交代しながらあれこれ弾いていただいたところ、終わりのほうの一時間ぐらいだったか、聴いていて明らかに鳴り方が変化しているのに気づく瞬間が訪れました。

やれやれと思ったところで、食事に出ることになり、帰宅したのは深夜でした。
それでもなんとなく気になって、翌日まで我慢できずに、そっとキーに触れてみると、アッ!と声を出したくなるほどタッチが軽めに変化していました。
ある程度弾くということはこういうことなのかと、それはわかっているはずだったのに、自分のピアノがわずか2日の間にここまで変化してしまう過程が観察できて、あらためてその必要性を思い知りました。

実は、暮れに調律師さんが来られた折に、タッチが重いと訴えたところ、あれこれやっていただき、ダウンウェイトを計測すると概ね48〜50gというところで、重めといえばいえなくもないけれど規定値になんとか収まっているという感じでした。

マロニエ君は以前、コイツにはこんなものが喜ぶだろうと思われたのか、ダウンウェイト計測用の錘を調律師さんからプレゼントしていただいて、いつもピアノのそばに置いています。
さっそく計測してみると、常用域の4オクターブは中央の4鍵を除いてすべて48gで鍵盤が降りるようになり、3鍵が49g、1鍵だけ50gというところまで数値も変化していました。
さらに、数値だけでなくスカッとした指についてくるタッチになっており、自分のピアノに対するかかわりの薄さが冴えないタッチの第一の原因だったことを悟りました。

これをもし調整だけで解決しようとすれば、再びホールの保守点検メニューのようなことになるのかと思うと、そのための調律師さんの労力、時間、費用などを考えたら「なんたることか!」と思いました。

そういう意味では、この4人の来訪者には心から感謝しなくてはなりません。
というわけで、その後は弾いているのかというと、うーん…。
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氏より育ち

1月3日に書いたブログの続編。
同じ街で、もう一軒のピアノ店にも行ってみました。

ここはスタインウェイ、ファツィオリのような高級品から、ペトロフ、ディアパソン、さらにはウエンドル&ラング、フォイリッヒといったかつてのヨーロッパブランドが現在中国生産されるリーズナブルなものまで、幅広い銘柄を取り扱うピアノ専門店。

ホームページによると、この店がいま最も力説していることが、プレップアップという出荷調整。
この作業を入念に行なうことで、ピアノの音や機構を精密な領域で整え、潜在力を最大限発揮させるという最も正統的な考え方で、それによっていかにピアノが明瞭確実にすばらしいものになるかを実践している店。

アクションという繊細で複雑なしくみを持つピアノにおいて、そのメカニズムの正しい調整がいかに大切かということは、いまさら言うまでもないことですが、なかなかそのように調整されたピアノが少ないのも現実。
たかが調整と思うなかれ、ピアノを生かすも殺すもこれにかかっているといっても過言ではありません。

その最大の難点は、非常に時間のかかる作業の積み上げによってはじめて到達できるもので、すべてが地道な手作業によるものであることと、なかなかその重要性を理解するだけの一般認識がないというところでしょうか。
何日がかりでそれをやったとしても、わかりやすく目に見えるものではなく、やらなくてもとりあえず普通に音は出るし演奏はできるから、それをやりたがらない店がほとんど。

お客さんもそういうことより、価格や値引きを求める人が多いということなどもあるのかもしれません。

アポ無し(購入目的ではないので、当たり前)で行きましたが、若いお店の方が、快く店内あちこちを案内してくださり、最も感銘を受けたのはグランドの展示場でした。
そこにはペトロフ、ウエンドル&ラングのほか2台のディアパソン183cm(新品)などがあり、一台は一本張り仕様でしたが、そのタッチと音の素晴らしさは、エッと声が出るほどすばらしく、思わず息を呑みました。

というか、マロニエ君はかつてこれほどリッチな音となめらかなタッチをもつディアパソンを弾いたことはなく、つい最近もディアパソンのアクションはもったりして時代遅れというようなことを書いたばかりだったこともあり、これにはかなりの衝撃を受けました。

まずなんといっても発音が素晴らしく、濁りもクセもない筋の良い音が、澱みなく軽やかに立ち上がってきます。
その音はディアパソンらしいというよりも、もっと普遍的なピアノの美音で、腰がすわっていて、太くて明晰、なんのストレスもなく朗々と、しかもさも当たり前のように鳴っていました。
タッチは重くも軽くもなく、どのキーもむらなく整い、スカッとしているのにしなやか。
強弱硬軟意のままで、いくらでも弾きたくなる気分にさせてくれるものでした。

その技術者の方とも少しお話ができましたが、大事なことは、鍵盤を抑えて打弦するまでの過程にさまざまな(あってはならない)ブレーキがかかっているから、それを地道な作業でひとつひとつ取り除いているということ。
至極もっともなお話でした。

この出荷調整は人の手でおこなうしかなく、ひじょうに時間をとり、しかもしないならしないでも商品としては成立するため、営業サイドからすれば非効率でコストのかかる作業みなされ、名のある一流ピアノでも、昔ほどプレップアップに時間を書けなくなったという話はよく耳にします。

メーカーや輸入元でさえそういう割り切った方向にかじを切っている中、地方のピアノ店で、ここまでこだわっている店があるということ自体、なんだかかとても感動させられる事実でした。
その甲斐あって、そこに置かれたピアノは値段の問題ではなく、真の意味での高いクオリティをもったピアノになっていました。

もし目隠しをされて、そのディアパソンと、その倍の値段もするような普通のプレミアムピアノを弾いたら、マロニエ君はきっとここのディアパソンを高級ピアノと感じて選ぶだろうと思います。
いわばアスリートが名監督との出会いによってメダルを取れるところまで到達できるようなもの。

本当にいいものに触れたときの感触というのは、いつまでも忘れられない深い記憶となりますが、あのディアパソンの音とタッチの素晴らしさはまさにそれでした。
ピアノにとって精魂込めた調整がいかに大事かは重々わかっているつもりでしたが、あらためてそのことを再認識させられる貴重な体験でした。
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NHKピアノまみれ

1月5日の朝、何気なく新聞のTV番組表を見ているとピアノという文字がフッと目にとまりました。
するとどうでしょう、NHK-BS1の1月5日は、朝の9時から16:30までピアノ三昧とのこと。

09:00〜 空港ピアノ「マルタ島」45分
10:00〜 BS1スペシャル「ショパン・時の詩人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」110分
00:00〜 BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの戦い〜」110分
14:00〜 駅ピアノ「チェコ・プラハ 特別編」45分
15:00〜 BS1スペシャル「瓦礫(がれき)のピアニスト」50分
16:00〜 駅ピアノ「多民俗都市 アムステルダム」15分
16:15〜 空港ピアノ「音楽とともに シチリア島」15分

という具合に、途中ニュースなどを挟みながら、番組のみで計370分、実に6時間10分にわたって、ピアノ関連の番組が放送されたことになります。BSだからこそできることだとしても、なんたる気前の良さ。

マロニエ君は個人的には、駅/空港ピアノのたぐいはあまり興味が無く、無造作に置かれた一台のピアノを通じてさまざまな人間模様に触れる趣向だろうと思いますが、延々同じことの繰り返しで、テレビで素人の演奏を聴いてまで楽しむ趣味はないので、これはいつも見ません。
続く「ショパン・時の詩人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの戦い〜」「瓦礫(がれき)のピアニスト」はいずれもすでに見ていたので、残念ながら個人的に新鮮なものはひとつとしてありませんでした。

とはいえ、せっかく放送されるのだから、なんだかもったいないような気がして、いちおう録画してしまいました。
それにしても、これだけの長時間、NHKがピアノの番組を集めて半日がかりで放送したというのは、ただただ驚くばかり。

娯楽も趣味も多様に広がる時代だからこそ、BSチャンネルでコアなファンのための番組を制作することもできるようになったのでしょうし、昔と違って、ピアノが大人の楽しみとして注目されて、そこそこ人気があるという小さな社会現象ということなのか。

あるいは世の中のほとんどがハイテク浸けになった今日、ローテクの塊で裏ワザや早道のない、地道な練習を積み上げていくしかないピアノが、これまでとは違った方位から注目されているのか、そのあたりのことはよくわかりません。
ただ、マンガにも「ピアノの森」や「ピアノのムシ」、小説にも「羊と鋼の森」や「蜂蜜と遠雷」などピアノを取り扱ったものが続々と登場して映画にまでなるあたり、いったいピアノはどういう捉え方をされているのか、マロニエ君は正直いってさっぱりわかりません。

わからないけれど、それでも何か理由でピアノが少しでも注目されるのは嬉しいことに違いないし、そこに端を発してこのような書籍やTV番組が増えていくのは、ピアノ好きとしてはわくわくではありますね。

それとはまったく逆行しているのがCDの世界?
一時は新しく発売されるCDが多すぎて、その情報を追いかけるだけでも大変だったのが最近ではウソのように激減、ピアニストは星の数ほどいるのに大半はアーティストといえるような存在はほとんどなく、おまけに過去の音源はネットから聴きたい放題で、新譜が売れない条件が皮肉なほど揃っているのか、とにかく異様なほど少なくなりました。

もはや1枚のCDに対して2〜3000円投じて購入するという感覚がなくなったのでしょうけど、このままではプロの音楽の衰退に繋がりはしないかと思うなど、今はとかく変化が急激すぎて疲れます。

と、なんとなくここまで書いていたら、さらに翌日6日の新聞の番組表で再びびっくり!
昨日に続いて、またもBS1で
22:00〜 BS1スペシャル「私は左手のピアニスト〜希望の輝き 世界初のコンクール〜」110分
というのがあり、さっそく録画セットしました。
まだ見ていませんが、これは初めてで楽しみ。

この道の日本を代表する技巧派の智内威雄氏も出演とあり、いやが上にも興味は高まります。
これを加えると2日間で480分、すなわち8時間にも及ぶピアノ番組というわけで、これは大変なお年玉となりました。


これで終わりかと思ったら、さらに7日の23:55から今度はNHK総合で「ピアノの森」がアンコールとして5話連続で放送されるようで、どうなってんの?って感じです。
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小さな一流品

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


昨年末、中国地方へ出かける機会があり、これはチャンス!とばかりに某ピアノ店を訪れて、ベヒシュタインの小型アップライトに触れることができました。

現在のベヒシュタインのシリーズ構成は3段階のようで、いただいた資料をもとにマロニエ君も確認の意味でおさらいをしておくと以下のような感じでしょうか。
話をすすめる上でいちいちシリーズ名をいうのも面倒なので、シンプルにA、B、Cと分類することに。

A【C.BECHSTEIN コンサート】
ベルリン発祥、歴史あるベヒシュタインの本家本流。
コンサートグランドD-282 以下5種類のグランド、アップライトの王者の名をほしいままにするConcert 8を頂点に5種類のアップライトを構える、このブランドの中心かつ最高のシリーズ。

B【BECHSTEIN アカデミー】
ベヒシュタインを名乗るも、近年加わった廉価シリーズ。
一時はアジアでの生産など曲折があったようだが、現在は「ドイツ製」と明記されている。
ただし、製造業界では他国で部分生産し、本国で最終仕上げをすれば本国製を名乗ることができるというグレーなルールもあるようで、詳細は不明。

C【W.HOFFMANN】
間違っているかもしれないけれど、記憶ではチェコのペトロフで生産されるベヒシュタイン系列の廉価ブランド。
現在はどうなっているか知らないが、B同様どうも生産国/生産会社に関してはスッキリしません。
A/Bが Made in Germany とあるのに対し、Cは Made in Europe だそうで少なくともドイツ製ではないらしい。
スタインウェイはボストンがカワイ、エセックスがパールリバー等、わかりやすいのとは対照的。

シリーズ名は、最近さらにコンサートシリーズ→マイスターピースシリーズ、アカデミーシリーズ→プレミアムシリーズと改称されているとかいう情報もあって、正直いって煩わしさを感じます。
そもそも廉価シリーズをプレミアムというのもどうもなぁ…と思ったり。
ベヒシュタインの特徴は立ち上がりの良いクリアな音なのだから、その製造にまつわる情報もぜひクリアで澄みわたったものにしてほしいもの。


前置きが長引きました。
触れたのは、(A)C.BECHSTEIN コンサートのContur118、(B)BECHSTEIN アカデミーのB.116Accent、(C)W.HOFFMANNはよく覚えていないけれど、たぶんWH114P。
お値段は順に270万円、210万円、156万円。

どれも高さは118cm、116cm、114cmとアップライトの中でもかなりの小型で、下手をすると電子ピアノに近い感じのサイズです。
背が低いだけでなく、前後左右もかなり薄くて細身、その可憐な姿はこれで大丈夫なの?という不安感も正直あるけれど、そこが新鮮な魅力としても眼に映るものでもあり、いずれにしろその儚いような佇まいにまず見入ってしまいます。
ちなみに日本で最も普及しているアップライトのサイズが高さ125〜131cm、奥行き70cm近くと上下前後左右に分厚く、それらに比べると遥かに軽快でモダンな印象。

サイズこそ小さいけれど、(A)の深いつややかな黒の塗装はまるで輪島塗のようで、その作りはこれ以上ないほどのクオリティで美しく、小さくとも高級品然とした独特な存在感を放っていることは、ある種の凄味を感じるほど。

肝心の音は、さすがに腹にズシンと来るようなものではないけれど、一音一音がハッとするほど磨き込まれた美しさで整っており、しかも高い音楽性や品格まで備えており、これはまぎれもなく高級ピアノ。
まるで、小さく作ることに意地と情熱を傾ける職人の工芸作品のようで、中央に小さく輝くC.BECHSTEIN のロゴがやたら誇らしい感じに見えてきます。
このサイズから予想されるような安っぽさや制約とは無縁で、とりわけ影響を受ける低音も破綻がないのはあっぱれで、とにかく音は明快で上質、タッチはどこまでもなめらか。
なぜこんなことができるのか…狐につままれたようでした。
一目惚れしそうで、できることならすぐにでも持って帰りたいような誘惑に駆られました。

その下位に位置するアカデミーシリーズのB.116Accentも、かなり好印象でした。
上位のContur118とくらべても、さほど遜色ないレベルが実現されており、これだけを弾けば十分に満足できるモデルですが、交互に弾くと、たしかに音の深みとか奥行きがややスケールダウンしていることがわかります。

W.HOFFMANNになると、前の2台を弾いた直後ということもあり、はっきりと格の違いを感じます。
はじめのC.BECHSTEINが夢の中にいるとしたら、次のBECHSTEINはその夢が少し浅くなり、HOFFMANNでは残念ながら現実というところでしょうか。

その意味では、(A)(B)(C)はだいたい60万円刻みの価格設定ですが、弾いた感じでは等間隔ではなく(B)は中央より(A)に寄っているようです。
あー、気になるものに触れてしまったなぁ…。
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