シュベスターのグランド

シュベスターネタで、もうひとつくだらぬことを。

今どきのネット社会では、どなたもそうだろうと思いますが、自分の興味の対象については、必要もないものまでついあれこれ貪欲に見てしまうもの。
ネットというのはそういう意味では、人のガツガツした部分をイヤでも煽ってくるようです。

くだらない、もっと時間を有意義に使うべき、と頭では思うものの、どうしても興味本位に手先が動いてしまい、ばかばかしい検索をしては、自分にとって欲しい情報から連続して関係ないものまで覗き見るというほうが正しいかもしれません。
そんなことをやっている中で、ネット上ではかなり有名なピアノ店に、シュベスターのグランドがありました。

シュベスターのグランドというのは、それ自体がレア物で、サイズもG60という奥行き183cmの一種類のみですが、多くの個体はもうボロボロで、大掛かりな再生作業を必要とするものが大半のようです。
その中に、珍しくかなり状態のいい一台がありました。
見つけたのは昨年秋ごろだったと思います。

このピアノ店のご主人がかなりのトーク名人で、いかにもフレンドリーにわかりやすくハキハキと説明をされ、ピアノもそれなりに弾けていつも簡単なものを肉厚なタッチで弾かれるので、どんな音のするピアノなのかもかなり分かるようになっています。
果たしてそのシュベスターのグランドは、状態もまあまあだし、なによりその音は軽やかなフランスピアノのようで、聴くなり気に入ってしまいました。

その動画は販売を目的としたもので、状態のいいシュベスターのグランドというのはめったにないこともあり、これはすぐに売れるだろうと思っていました。

ところが、予想に反してなかなかそうはならなかったようでした。
おそらく、これからピアノを買うという人の大半は、やはり大手の新品、もしくはそれに近いものに需要が集中するのか、このめったにない魅力的なピアノであってもなかなか買い手が現れず、ずいぶん長いこと動画もアップされたままでした。

大手メーカーのこのサイズなら、遥かに材質も劣り、音もデリカシーのない大雑把なものであっても、世間一般の定評を得ているから人気もあり、需要も多いことを思うと、ピアノは正当な評価を得るのが殊のほか難しい商品だと思わずにはいられません。

置く場所があれば、さっそく見に行って連れて帰りたいくらいですが、さすがにそれはムリ。
いつしか、この動画はマロニエ君にとって「時折見てはその音を聴いて楽しむもの」となり、一週間に一度は見ていたような気がします。

今年になってもその状態は続いていましたが、2月に入ってしばらくした頃だったでしょうか、いつもの様にその店のホームページから商品一覧を見ると、…あれ?
ついにそのシュベスターの動画がなくなっていました。
お店の商品なんだから売れたら、その動画も無くなって当たり前なんですが、なんとはなしにそこに行けば見られるのが普通みたいになっていたので、とつぜん消えてなくなるのは甚だ勝手ではあるものの、とてもショックでした。

不思議なのは、多くの点でアップライトのうちのシュベスターと共通した音の特徴がある点で、同じメーカーだというだけで、グランドとアップライトでは、形状もまるで違うのに、なぜこれほど相通じる音が出せるのかと思います。
たしかにスタインウェイはアップライトでもスタインウェイの音がするし、これって考えてみたらなぜそういうことができるんだろうと思います。

その後、くだんの動画は、未練がましく探してみたら、「嫁いだピアノリスト」というところにまだ存在しているのを見つけたので、とりあえず安心。
さっそくお気に入り登録しました。
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花の命は…

先に書いたシュベスターの調整。
今回のそれは殊のほか上手くいって、音を出すたびにハッとするような喜びを感じるピアノになりました。
手作りとはいえ、しょせん高級品でもないアップライトで、こういう状態が到来することは、そういつもあることではないでしょう。

全体に甘い音色、透明感、倍音、頼もしくキザな低音、さらにはシュベスター特有の憂いを含んだ明るさなど、弾けば曲が響きをまとい表情を作っていくあたり、さも価値のある楽器みたいな気配も加わって、再び階下のグランドには触れない日々が続きました。

このシュベスターは製造年代から言えば40年ぐらい経過したものではあるけれど、その音は大手の大量生産の音とは根底のところで違っており、贔屓目にいうならややヴィンテージ風なところがあり、それを楽しむことがこういうピアノの魅力だと思います。

メーカーに関係なく、ヴィンテージもしくはヴィンテージ風の音に慣れてしまうと、なかなか現代の新しいピアノ(高級品は別として、一般的な量産品の音)を受け入れることは、かなり難しくなるような気がします。
それは、ボディは鳴っていないのに、妙な感じにパワフルで、人工的な整ったような無機質な音がバンバン押し寄せてくるあの感じ。

もちろん価値感は人それぞれなので、一概には言えないけれども、音楽を愛好し、ピアノを喜びの対象として捉える向きには、楽器の発する音というのは、自分の感性に直に訴えてくるものかそうでないかは、その楽しさの質という点において、ずいぶん違ってしまうとマロニエ君は考えます。
どんなに精巧できれいでも、工業力が前面に出ているようなピアノは、どうしても心が癒やされることはなく、弾き手もつい技術に走り、ピアノの音を楽しみ、音楽を紡いで幸せになるという感覚を失っていく気がします。

とくにピアノは楽器を標榜しながら、実際には消費財とみなされて新しい物が幅を利かせ、それが標準という顔をしているし、教師や専門家にもそこに疑いを持つ人はさほど多くはありません。
また技術者も、多くの場合が販売ビジネスにも絡んでいる立場から、なかなか核心には迫らないし、あるいはそれに慣れすぎて、理想の音の基準が変質してしまっている気配がなくもない。

そのあたりは、技術者の方にとってはその技術を顕す対象としてピアノがあるから、日本製の精度の高いピアノ、すなわちクオリティの高い仕事がしやすいピアノはどうしても評価があがるし、ヴィンテージ系のピアノに関しては(一定の味があることは認めつつも)、職人としての本能みたいなものがあって、作りの甘さであるとか、音のムラ、新しいピアノにはないような欠点や衰えがどうしても目につくのだろうと思います。

これは、昔の巨匠たちがもし現代のコンクールに出たら、予選さえ通過できないだろうというのと、同じようなことかもしれません。


さて、シュベスターですが、先の調律で音を柔らかくして欲しいと依頼して、ほぼそのようにしてもらった経緯は前回書きましたが、そのときの仕上がりというのがあまりに完成度が高く、かつ繊細だったので、内心「あー、あとは崩れていくだけだろうな…」という一抹の憂慮がありました。
それから2週間ほどしたら、その精妙の限りを尽くした極上の音は雪景色が溶けていくようにしだいに薄れ、完全とは言わないまでも、かな以前に近い音(の硬さ)に戻ってしまいました。

ちなみにこの方はコンサートチューナーでもあり、一夜のコンサートのためのピアノなら素晴らしいものだったと思いますが、やはり家庭用ピアノの調整では、ある程度の耐久性への考慮という側面も欲しいと思ったりで、難しいところですね。

素人考えでは、単純にもっと針刺しをしてハンマーフェルトを柔らかくすればいいのにと思うけど、そう単純なものでもないのでしょうし、時間経過したハンマーはすでに柔軟性を失っていることもあるでしょう。
いずれにしろ毎月調整を頼むわけにもいかないので、もう少しだけ耐久性のある方法はないものかと思うばかりです。

ちなみにこの方から聞いた話では、有名なM商会の技術者には、なんとシュベスター出身の方がわりにおられるそうで、この思いがけない不思議な話にはきょとんとしてしまいました。
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1勝5敗

古本店で漁る中古CDというのは、やはり良い物に出会う打率は高くはないようです。
もちろんマロニエ君の見極め力が低いから…と言えばそうなんですが。

本来欲しいものや新譜などはネットで新品を購入しますが、よく熟考した上でも失敗はつきもの。

そもそも中古CDは、新品ならまず買うことはないものに敢えて挑戦するわけで、ハイリスクとなるのは必至。
最近もかなり失敗を重ねてしまいました。
5枚中、4枚が失敗(☓)、成功(❍)はたった1枚で、以下の通り。

☓【バッハのピアノ曲】
べつに興味をひくピアニストでもなく、フランス風序曲やイタリア協奏曲など曲もあえて買う必要はないものだったが、ニューヨークでの録音とあり、いかにも大雑把でアメリカチックな雰囲気のCD。マロニエ君は今だにグールドやシェプキンのイメージを引きずっていて、ニューヨーク、バッハ、ピアノとくるとなぜか反応してしまうところがあり、我ながらもうそろそろそんな妄想は捨て去るべきところ。NYスタインウェイの軽やかな響きで聴く現代的なバッハのイメージは見事に裏切られ、モダンのかけらもなく、ピアノの音もどこか重い。ブックレットを見ると、え!?Hamburg Steinway Dとあり、どうりで!と思いつつ、なにひとつ見るべきところのないものでガックリ。

☓【フランクの初期ピアノ曲集】
ナクソスレーベルらしい珍しいアルバム。バラード、4つのシューベルトの歌曲のトランスクリプション、ポーランドの2つの歌による幻想曲、アクス・ラ・シャペルの思い出という内容。出だしからしてどうしようもなくダレてしまう曲、シューベルトの歌曲もただ歌をピアノで弾きましたというだけの感じだし、ポーランド…は聴き覚えのある旋律と思ったらショパンの「ポーランド民謡による幻想曲」のそれだが、ショパンのそれとは雲泥の差で、げんなりするほど退屈。どれも一度聞くのがやっとで、あのピアノ五重奏やヴァイオリンソナタなどを思わせるものはどこにもない。ピアノは音もボワーンとして楽器も調律もまったくみるところナシ。

☓【小沢/サイトウ・キネンの第九】
2002年9月、松本文化会館で行われた演奏会のライブCD。ぜんぜん小沢ファンではないけれど、むかしこの期間限定オーケストラが始まった頃、ブラームスのシンフォニーで聴いた熱気と精緻さが結びついた新鮮な演奏にびっくりした記憶があったので、ベートーヴェンはどうかと購入。果たして、あのブラームスの感動は何だったのかと思うほど無感動。耳をすませばオケの演奏は機能的だし歌手もうまいけれど、総じて覇気がなく、要するになにも迫って来ないし聴く意味が感じられない。会場のいかにも多目的ホール然としたデッドで仕切られたような音響も追い打ちをかけるのか、音に幅がなく縮こまっているようで、がんばって2回聴いたけれど、こういう演奏はとりわけ第九ではしんどい。自宅でCDを聴くのにわざわざこれである必要はなく、フルトヴェングラーでリセットしたくなる。

☓【シフのスカルラッティ】
今を旬とばかりに冴えわたるバッハなど、現代の最も雄弁かつ信頼のおけるピアニストのひとりであるシフ。彼のスカルラッティならさぞやと思ったものの、全体に遊びがなく、固くて艶のない演奏に拍子抜け。スカルラッティの嬉々とした滑舌や色彩とは程遠い、モノクロームな世界。録音もイマイチ。データを見ると1987年の録音で、シフの輝けるピアノを聴くには、もう少し時を待つ必要があったらしい。考えてみれば初回のバッハ全集も途中から急に良くなるところがあって、この人はある時期を境に一気に熟成が進んだと思われる。これはその花開く前の演奏。そういう意味ではスカルラッティも再録を望みたいもので、少なくともこのアルバムに関しては何度も聴こうという気にはなれない。

❍【ひとときの音楽 波多野睦美】
いま注目のメゾソプラノ。歌手といえば一昔前までは華やかなオペラを目指すか、端正なリート系に寄せるかが一般的だったが、この人は中世・ルネサンス期から近現代までの幅広いレパートリーをこなす異色の歌い手。このアルバムでもパーセルを8曲、ほかにヘンデル、モンテヴェルディ、バッハという内容。バックもバロックヴァイオリンの第一人者である寺神戸亮さんはじめその道のスペシャリストが居並び、開始早々、あまりに自然にバロックの時代にいざなわわれる。絹糸のような美しい透明な声、少しもわざとらしさのない様式感、迷いのない澄明な表現で、ともすれば黴臭く聞こえてしまうこれらの曲を、まったく違和感も前提も注釈もなしに、心地よい音楽として聴かせてくれるのは大したものだと思う。ヴィブラートも必要なときにだけ最小限で用いられて装飾音のよう。丁寧で気品があり、かといっていちいち何かを鼻にかけるところもないナチュラルな美がある。すっかり気に入って、何日間もこれ1枚を聴いて過ごした。

たまにこういうことがあるから、ついまたやめられなくなるという繰り返しになるんですね。
考えてみれば5枚で新品一枚分と思えば価格的には許せますが、困るのは聴かないCDがずんずんと積み上がっていくこと。
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マイクロファイバークロス

暮れに、手早くピアノを掃除するには、ダイソーなどにある使い捨てのフローリングワックスシートが意外にいいということを書きました。
まあ急ぐときには悪くはないけれど、でもやっぱり「床用」というのが気持的にひっかかるし、大事なピアノをあまりに安物で軽く済ませるのはいささか罪悪感がないでもなく、あまり常用するのは忍びない気になりました。

そんな折、たまたまピアノ専門の木工の職人さんとお会いする機会があったのですが、その方は作業後の拭き上げには、市販のマイクロファイバークロスをごく普通の感じで使っておられて「え?」と思いました。

マイクロファイバークロスは柔らかいものは傷になることがあるので注意が必要とされ、これは使ってはいけないものと思っていたので、これはまったく思いがけないことでした。
しかし、この方は塗装や補修/磨きなど、いわばその分野の専門家なのでその方のやり方というのは「プロの技」でもあり、それなりの経験があるはずで、実際その方の仕上げられたピアノは、本当にピカピカで見事なのです。

多くの調律師さんがネルのクロスなどを使われている中、この方は慣れた感じでマイクロファイバーを使われるのは驚きで、当然質問をしてみましたが、とくに問題はないとのこと。
注意すべきは、当たり前ですが必要以上に力を入れず、軽く均等にというぐらいで、「(使って)大丈夫ですよ」とサラリといわれたのは意外でした。
へー…そうなんだ…。

で、それから自分でもやってみました。
できるだけ手で触って柔らかいものを選び、水に濡らして固く絞り、ピアノ用のクリーナーを少量クロスになじませて軽く拭いてみると、苦もなくピアノはきれいになります。

水に濡らしたのは、マロニエ君の洗車経験などからしても、乾拭きというのあまり評価できないから。
人によっては乾拭きや毛バタキがダメージが少ないと思い込んでおられる方もありますが、マロニエ君はこれはまったく同意できません。
乾拭きこそ小キズの原因になり、そこになんらかのケミカルでも使おうものなら、伸びは悪くムラになるなど、いいことはなにもない。
それに対して、クロスが少量の水を含んでいることでケミカルを均等に広げ、きれいに仕上げる効果もあるようです。
水を含ませて力の限り固く絞り、そこにほんのすこしクリーナーを含ませる事がポイント。

先日も車のリペアショップの職人さんと話しましたが、やはりワックスやコーティング剤は、極力少量を薄く塗ることが大事と言われましたし、皮膚科の先生も塗り薬はできるだけ薄くと、どうやらこの点はどこも共通しているようです。
慣れないと、効果を期待して、つい多めに使ってしまうものですが、それが却ってダメなんですね。

そういえば思い出しましたが、行きつけの歯医者さんも、歯磨き粉(粉じゃないですが)は、ほんのちょっとをブラシの上にのせるだけでほとんどの人が使いすぎ、「私たちは一本のチューブを使うのに半年ぐらいですよ」と言われて驚いたこともありますから、とにかくどの世界も少ないほうがいいようです。

ただ、車でもピアノでも、大事なのは下地処理。
汚れや埃の積もった状態から、いきなり艶出しというわけにはいかないので、ピアノの場合はホコリ取りのモップ等で軽くホコリを落としてからこの作業をすることでしょうか。

マイクロファイバークロスでのピアノクリーニングは、簡単快適、仕上がりもキリッとした好ましい感じに仕上るので、今はこれが一番という感じです。
今さらこう言ってはなんですが、使い捨てのフローリングワックスシートは薄いので、あれはあれで使いにくさがありますが、クロスなら一定の厚みもあり、面を変えて使って、洗えば何回でも使えるので、今はこれが一番作業性もよく気に入っています。
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少しソフトに

昨年末から持ち越しになっていた、自室のシュベスターの調律をやっていただきました。
主治医の調律師さんは毎回丁寧にやってくださいますが、今回は主に整音をメインとしてお願いし、トータル5時間オーバーの作業となりました。

聞くところによると、一般的にはアップライトのハンマーヘッドは針を入れづらいほど固いものが多いらしいのですが、我が家のシュベスターは珍しいほど柔らかい巻きだそうです。
こういうところにも作り手の音に対する何らかの意図が表れているのでしょう。
柔らかいハンマーといえば、主にアメリカのピアノであるとか、ヨーロッパでも古い時代のピアノがそうでしたが、その後は固いハンマーを針でほぐしながらヴォイシングしていくのが世界的な流れになった印象があり、深くまろやかな音より、エッジのきいたインパクトのある音を時代が求めたのかもしれません。

なので現在は巻の固いハンマーが主流かつ固定化していると思っていたら、ここ最近の日本製の新しいピアノ(グランドを含む)は、どちらかというと以前より柔らかいハンマーが付いているんだそうで、これは意外でした。

もちろん、ただ柔らかいとはいっても、その素材や製法、ハンマーとしての性質はいろいろあるわけで、良質の羊毛で作られた昔の古き良きハンマーとは根本的に違うとしても、新しいピアノのハンマーが以前より柔らかくなってきたというのは、ちょっと意外な話でした。
いわれてみれば、たしかに最近のピアノの音は深味こそないけれど、さほどキンキンした音ではなくなり、ほどよく角のとれた嫌味のない音になっているので、それを可能にしているひとつが柔らかいハンマーなのかもしれません。

シュベスターに戻ると、かなり弾いて少し派手な音になっていたので、ソフトな音にして欲しいという希望を伝えましたが、この調律師さんはかなりのこだわりのある方で、すぐ単純に「はい」というわけにはいきません。
針は一度入れたらもとには戻らないこと、ただソフトにするだけでは音の輪郭がぼやける、フォルテシモが出なくなる、必要な芯までなくなってしまうことなどを考慮され、きわめて慎重に針を入れられました。

入れたら入れたで、隣り合う音のバランスやらなにやらがあり、その都度調整。
さらに外していた上前板/鍵盤蓋を取り付け、前屋根も閉めて音を出すと、我が家のシュベスターは「箱鳴り」がするのだそうで、そうなるとまた少し違ってくるというので、また外して追加作業となり、こんなことをやっていると時間はどんどん過ぎていきます。

このシュベスターはそこそこ良い音を出すピアノだとは思うものの、新しいピアノではないので問題もないではなく、例えば巻線(低音の弦)の中には、ややあやしいものがあったりで、それらは順次解決すべき課題。
問題のある弦は張替えもやむなしかと思いましたが、とりあえず硬化剤を使いながら調律で音を出すという方法が取られたところ、それほど気にならないまでに持ちなおし、もう少し現状で様子見することになりました。
これはあくまで一時しのぎであって、基本的な解決ではありませんが。

硬化剤といえば、中音〜次高音にかけても、ソフトにするためにも上記の音の芯を失わないためなのか、僅かに硬化剤を使いながら音そのものはソフト方向に持っていくという手法が取られ、音作りは単純ではないなあと勉強になりました。
結果は上々でしたが、かなり精妙に仕上がった感じもあるから、その精妙さが崩れるのが惜しくて、この数日はチビチビと美酒を舐めるように弾いてます。


今回、調律さんから、日本ピアノ調律師協会のカレンダーというのをいただきました。
見ると上下に分かれ、上が写真、下がカレンダーというよくある作りで、ひと月ごとの12パターンですが、その写真というのがいずれも博物館級のピアノで「わっ!」というものでした。
しかも大半が名も知らぬような珍品ばかりで写真も非常に美しく、さすがは技術者集団だけのことはあると唸りました。

まさか日本に、こんなにマニアックで素晴らしいピアノのカレンダーがあるなんてちっとも知らず、昔のものも見てみたいです。
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意図不明

コンクールネタでもうひとつ。

今年のNHKは、年初からピアノ関連の番組が多いということを書きましたが、更にそれは続きました。
「『蜜蜂と遠雷』 若きピアニストたちの18日」というもので、第10回浜松ピアノコンクールに密着したドキュメント。

ところどころ、俳優の中川大志さんがピアノの前で、小説『蜜蜂と遠雷』を手に朗読を挟みながら番組が進む構成。

『蜜蜂と遠雷』は、マロニエ君にとって読んだころから、小説として掴みづらく、なにが主題なのかよくわからない作品だったのですが、そんな印象とは裏腹に直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、どんどん話題となっていったき、なんだか自分の感覚だけが世間から置いて行かれるようでした。
そもそも『蜜蜂と遠雷』というタイトルからして、もう忘れたけれど、なんだかもってまわった謎解きみたいなわかりにくいもので、要するにピアノということ以外、自分の趣味ではないものづくしでした。

べつに漱石だ谷崎だと旧いものにしがみつく気はないけれど、こういうものが今どきは文学作品として評価されるんだということに困惑したのが偽らざるところでした。

さて、その『蜜蜂と遠雷』を前面に押し出しながら、NHKによる実際のコンクールのドキュメントという作りのようですが、まず事前の率直なイメージとして「60分は短いのでは?」というのが頭をよぎりました。
調律師のショパンコンクール、ピリオド楽器のショパンコンクール、左手のコンクールなど、いずれもここ最近のNHKのそれらは2時間に近いサイズで、60分とわかったときからちょっとへぇ…という感じが。

夕食を外でとっていると、一足先に見られた知人の方からLINEが届き、「牛田智大さん個人のドキュメンタリーのようでした」というもので、???
もうこの時点で見る前から半分腰を折られた気分。
実際に見てみたら、まったくその通りで、彼がメインの番組構成でした。

驚くべきは、決勝進出の6人中、今回は日本人が4人と大健闘し、これはこのコンクール初という快挙であるにもかかわらず、番組は牛田さん以外の誰ひとりとして取り上げることがなかったばかりか、優勝したトルコのジャン・チャクムルさんの演奏さえ完全無視されていたこと。

番組タイトルが「…牛田智大の18日」ならまだしも、「…若きピアニストたちの18日」ですから、これはなかなか納得するのが難しいものでした。

牛田さん以外に唯一取り上げられたのは、3位入賞の韓国のイ・ヒョクさんで、決勝での演奏が少しとホテルの部屋で弟とチェスをやっているシーン、あとは途中で敗退したコンテスタントが、日本のホストファミリーの家族と過ごす様子などが少しあった程度。

べつに牛田さんにどうこう言うつもりはありません。
でも、同じ決勝まで勝ち進んだ日本人の今田篤さん、務川慧悟さん、安並貴史さん、そしてなにより優勝したジャン・チャクムルさんらは、この番組を見たらどう感じるのだろうと思うし、きっといい気持ちはしないでしょう。

ちなみにイ・ヒョクさんは決勝ではラフマニノフの3番を弾いていましたが、あの難曲を弾きつつその落ち着き払った演奏とテクニックは不気味なほどの凄みがありました。
なんと、ヴァイオリンも達者、将来は指揮者になりたいのだそうで、まさに次世代のチョン・ミョンフンとでもいいたくなる存在感がありました。
天才が当たり前の世界というのは、いやはや恐ろしいものです。

ピアノは、ヤマハ、カワイ、スタインウェイの3台。
ですが、浜松はヤマハ/カワイゆかりの街だからでしょうが、昔からこのコンクールではどうもスタインウェイは脇役という感じが否めず、それはそれでアリだと思います。
むしろ、浜松らしくピアノはヤマハ/カワイだけにしたほうがずっと潔い気もしますが、そうはいかないのだろうか。
できれば各社2台ずつ、計4台の中からピアノを選ぶようにしたほうがスッキリしないでしょうか?

驚いたのは、浜松駅の構内にはヤマハのCFXがポンと置かれていて、それで移動中の牛田さんがスーツケースを側においてリストのソナタを弾いていましたが、さすがは浜松、駅ピアノもすごい!と思えるシーンでした。

あとで調べると、優勝者が弾いたのはカワイのSK-EXだったようで、昨年カワイのサロンで同モデルを弾かせてもらって、そのときの感想を「点数が確実に稼げるコンクールグランド」というように書きましたが、まさにその面目を果たしたというか、ご同慶の至りといったところでしょう。
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