続・軟化剤

〜前回の続き。
軟化剤というものを初めて使ってもらい、約2週間経ってみて感じるところは、少なくともハンマーフェルトの柔軟性復活のためにはこれはかなり有効ではないか、ということでした。

ひとくちにピアノといっても立ち位置はいろいろです。
コストを惜しまず理想を追求できるのはステージ用など一握りに過ぎず、多くは、言葉は悪いですが妥協的も必要という状況に置かれたものだろうと思います。
で、ここでは、あくまで普通に気持よく使えればいいというピアノに関しての話。

普通に気持よくとはいっても、ハンマーもある程度使い込まれていくと賞味期限が迫ってくるのは当然で、正攻法で言うとハンマー交換になるのでしょうし、それを機にピアノ本体を買い替えに仕向けるのがメーカーの狙うところでしょう。
まるで「ハンマーフェルトの寿命がピアノ本体の寿命」であるかのようで、車でいうと「タイヤが減ったら車ごと買い換えてください」みたいな感じで、さすがに車でそれは通用しませんが、ピアノは…。
これもすごいとは思いますが、まあ企業とはどのみちそのようなもの。

もしハンマー交換になったとしても、決して安くはない費用(少なくとも安い中古アップライトが一台買えるぐらい?)がかかるし、馴染むまでには調整だなんだと手間がかかり、普通の機械のように壊れたパーツを交換してハイ終わり!というようなわけには行きません。
シャンクやローラーはどうなるのか、周辺の消耗品もこまごまとあったりすると、そこをどうするか、これはもう判断を含めて簡単なことではないでしょう。

軟化剤はそういう場面での、ある種の救いの神だと思いました。
もちろん、それですべてが解決ではないけれど、差し当たり目の前に迫った問題を、一定期間先送りにするぐらいのことはできると思います。

しかしピアノの技術の中では、軟化剤の使用はほぼ聞いたことがなく、意図的に無視されているのか、よほど研究熱心な技術者の方でないとこれを試してみようということにはならない空気みたいなものを感じます。

大半の方は、言い方は悪いかもしれないけれど、技術的に主流ではない手段を敢えて使って、万一批判の対象にでもなろうものなら仕事にも支障をきたすという心配も働くのか、君子危うきに近寄らずで、あえてそんなものに手を出さないという判断かと思われます。

深読みすると、軟化剤はもしかすると、業界ではかなり疎まれる薬剤かもしれません。
なぜなら、あまりにも手軽かつ効果的にハンマーフェルトの延命措置となり得るので、これが一般的に浸透したら、そりゃあ好ましくないことも出てくるでしょうし。

マロニエ君はいうまでもなく業界の人間ではないので、純粋に軟化剤の印象をいうと、かなり効き目は高く、かつ耐久力もあると思います。
古いフェルトの場合、針刺しによる音の軟化は一時的に針穴を開けてクッションを作っても、フェルトじたいの柔軟性が落ちているので、その効果も短命で、ぺちゃんこの枕を手でほぐしてもすぐ元に戻るような感じがあります。
その点、軟化剤はフェルトの弾力そのものを復活させるので、しなやかさが増すという感じがあり、針刺しとはまったく違います。
少なくとも、硬化剤で固めるのにくらべたら、軟化剤で柔らかさを出すほうが、まだナチュラルかなとも思えるし、2週間ほど近くたってもとくに衰える(もとの硬い音に戻る)こともないのは、やはり「すごくない?」って思います。

おまけに、圧倒的に簡単かつ安価で、調整のやり直しなども必要ない。
ハンマーを交換するとなれば作業だけでも大変な上に、新しいハンマーに合わせた各種調整がフルコースで必要となり、費用もさることながら、その時間や労力は並大抵のものではありません。

交換か、買い替えか、そのままガマンか、その三択に迫られたとき、とりあえずこの軟化剤でしのぎながら、ゆっくり考えるにはちょうどいいと思います。
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軟化剤

ピアノの整音に使われる手段の一つとして硬化剤があります。

使い方も技術者によって違いはあるようですが、薄めた硬化剤をハンマーヘッドの要所に塗布してフェルトに硬さを与え、音の華やかさや輪郭を出すためのもの。

硬化剤の功罪についてはいろいろあるようで、中にはこれを好まず一切使わないというポリシーの技術者さんもおられます。
せっかく弾力のあるフェルトに液剤を染みこませて、カチカチにしてしまうのだから、シロウトが考えてもさほど好ましいことのようには思えませんが、そこはあくまで使い方次第であり、経験と技術に負うところが大きいだろうと思います。

さて、マロニエ君は以前、ある遠方の技術者の方から硬化剤の逆の作用をもつ「軟化剤」なるものがあることを聞いていたので、機会あるごとに技術者さんにそのことを聞いてみると、話には聞くけど使ったことはないという方がほとんどで、中には存在自体をご存じない方もおられました。

あるとき「持っています」という調律師さんがおられたので、聞いてみるとご自身の工房で所有しているピアノでは使ってみたことがあるけれど、あくまでテスト段階とのこと。

話が前後しますが、我が家には話題にするほどもないような、古いカワイのGS-50というグランドがあり、さほど酷使したピアノではないものの、製造から30数年が経過してさすがにハンマーもややお疲れ気味のところがあり、そうかといってハンマー交換が必要というには至っておらず、そこまでする熱意もありません。

なので、このピアノに軟化剤を使ったらいいのでは?という考えは以前からあり、それをやってくれそうな技術者の方が見当たらずという状況が続いていたところへ、この方が「使用歴あり」ということがわかり、さっそくやってみてほしい旨を伝えました。
しかし、未だ上記のような段階で実践にはまだまだと、なかなか色よい返事は得られませんでした。
テスト段階のものを、お客さんのピアノに使うわけにはいかないということらしいのですが、聞いていると、これまで試してみた限りではそう悪い印象ではないらしいこともわかってきました。

では、このピアノを実験台に使ってくださいと言ってみたものの、そういう訳にはいかないとの反応で、そりゃそうかもしれませんが、マロニエ君があまりしつこく食い下がるものだから、では自分の工房にあるピアノで使っていましばらく観察してみるので、お待ちをということになりました。

調律師さんというのは職業柄なにか作業をするにあたって、おしなべて慎重な方が多いのですが、中でもこの方はさらにもう一段二段思慮深いらしく、そこまでしなくても…というほど、何をするにも慎重の上にも慎重を期されるようで、数ヶ月待つことになりました。

というわけで、半分忘れかけた頃にご連絡があり、使う量やハンマーのどこに塗布するか、時間経過とともにどうなるかなど、さまざまに実験をされたようで、そこで一定の結果を確認されたのか、本当によろしいのであれば少しずつやってみましょうか…ということになりました。

作業はというと、これがあっけないぐらい簡単で、アクション一式を引き出してハンマーの狙った場所に塗っていくというか、液をわずかに落としていくというもの。
初回は、中音域から次高音ぐらいまでまさに微量でお試しということになり、その日は放置して翌日音を出してみてくださいということでこの日は終わり。

翌日、どうなっているかと期待しつつ音を出してみると、たしかに音にまろやかな膜がうっすら加わっており、その確かな効果を確認できました。
しかし、あまりに微量だったためか、変化はあまりにも僅かで、さっそく報告するとともに次は少し量を増やしていただくようお願いしました。

というわけで、二回目となり前回より少し量を増やして使っていただき、前回同様、一晩置いて弾いてみると、今度はかなりまろやかな音質に変化しており、これは相当な効果のあることを実感しました。

シロウトの印象でいうと、針差しで得られた柔らかさには、固いものが針でほぐされた、技術者の経験と技が作り出すふくよかさと、咲き誇る花もいずれは萎んでいくような一種の儚い美しさがありますが、軟化剤の柔らかさはもっと極めが細かく、まんべんなく柔らかさが出た感じで、すぐに元に戻りそうな感じもありません。

よって、音を創造的に「作る」という面では針刺しにはかなわないかもしれませんが、延命措置としては、これはかなり有効な手段なのかもしれません。
しばらく耐久性なども観察してみるつもりです。
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シリアルナンバーの見方

『ホロヴィッツ・ピアノの秘密 調律師がピアノをプロデュースする』(著者:高木裕 音楽之友社)という本を読んだところ、この本の中心的内容ではないけれど、長らくもやもやしていたものが解明される一節がありました。

スタインウェイ・ピアノのシリアルナンバーに関する記述で、実際に製造されたという年とシリアルナンバーがどうしても咬み合わないことがあり、疑問を感じていたものが解決することに。

具体的にいいますと、新品として仕入れた店が正確な記録として主張する製造年は、シリアルナンバーが示すものより1年以上新しいことがあり、このわずかな食い違いはなんだろうと思っていました。
べつに大したことではないし、こちらも業者でもないのでとくに深入りはせず、それで終わっていました。

スタインウェイ社のサイトなどを見ると、シリアルナンバーと製造年の対照表がありますが、その見方に関するガイドはなく、実はそこで重大な間違いがあったことが判明。

例えば553123(架空の数字)というピアノがあるとします。
表には、
554000 2000年
549600 1999年

というふうに書かれているので、554000より少し若い番号ということで、1999年製造のピアノなんだな…と判断していました。
これはマロニエ君のみならず、多くの技術者の方やディーラーなど専門家の方も、ほぼ同様だと思います。

ところが、この本を読んで思わず「えっ!」と驚いたのは、なんと、これらの対照表が示すのは
その年の「製造開始番号(Strarting Number)ではなく、Ending Number」とありました。
つまり、数字は「この番号から」ではなく「この番号まで」を表していて、それより「若い番号」が、その年の製造年となるので、553123であれば製造年は2000年ということになります。

これは「ニューヨーク本社の調律師ですら勘違いしている人が多い」のだそうで、ここを明確に説明されていることは、大きな収穫でした。
この説明によって、世の中の多くのスタインウェイは1〜2歳若返ったことになりそうです。
ちなみに数字は区切りであって生産台数ではないとのこと。


この本に書かれているのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて製造されたニューヨークスタインウェイがいかに素晴しいもので、ピアノ史の中でも、それらがピークともいうべき楽器であるということが、全編を通じて述べられています。
その中の一台が、ホロヴィッツが初来日時にもってきたCD75というピアノで、現在は日本にあり、ほかに19世紀末のDなど、著者が代表を務める会社所有のピアノで、逸品揃いとのこと。

20世紀後半から現在に至るまでのピアノは、しだいに商業主義の要素を呑まされて、本来あるべき理想的なピアノとは言いがたいものになってきている面があることも頷けます。

この本を読むと、あらためてその音を聴かずにはいられなくなり、このところすっかり聴かなくなっていたホロヴィッツのCDを立て続けに5〜6枚ほど聴いてみました。
いずれも、1965年カムバックリサイタル以降のカーネギーホールでのライブ録音です。

ホロヴィッツのピアノは調整がかなり特殊だったらしく、とくに軽く俊敏なタッチにこだわったようですが、実際の音として聴いた場合どうなのかを確認してみたくなったというわけです。
果たして、耳慣れたハンブルクとはまったく別物で、風のような軽やかさと炸裂が同居し、魔性があり、その絢爛たる響きは、もう二度とこんなピアノは作れないだろうと思うものですが、ではそれが好みか…となると、そこはまた別の話。

触れたらパッと血が吹き出しそうな、刃物みたいな印象で、ホロヴィッツという、ニューヨークに棲む亡命ロシア人にしてカリスマ・ピアニストが紡ぎ出すデモーニッシュな音の魔術としてはうってつけだと思いますが、純粋に一台のピアノとして聴いた場合、ヒリヒリしすぎて必ずしも自分の好みは別として、これがホロヴィッツの好んだ音ということは確かなようです。

さらに上の世代のヨゼフ・ホフマンもニューヨーク・スタインウェイを弾いた大巨匠ですが、ホフマンの音はもっと厚みがあってふっくらしており、必ずしもホロヴィッツの好むピアノだけが、当時のスタインウェイを代表する音かどうかは疑問の余地がありそうでした。
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OHHASHIの本

いつもながら情報には疎いマロニエ君ですが、またも人から教えていただいて『OHHASHI 幻の国産ピアノ“オオハシ”を求めて いい音をいつまでも』という本が出ていることを知り、さっそく購入/読了しました。

本棚には『父子二代のピアノ 人 技あればこそ、技 人ありてこそ OHHASHI』というのがあるので、大橋ピアノに関する書籍はこれで二冊目となりますが、発行は新旧いずれも創英社/三省堂書店となっており、これはどうも偶然の一致ではないのでしょう。

大橋幡岩という日本のピアノ史の巨星が成し得たとてつもない数/量の仕事、人柄、その足跡、大橋ピアノ研究所の設立に至る経緯などが簡潔に述べられ、あらためて日本のピアノ界にとって避けて通ることのできない、極めて歴史的な存在であったことがわかります。

読むほどにピアノを作るために生まれてきたような人物ということが伝わり、日本楽器(現ヤマハ)、小野ピアノ、山葉ピアノ研究所、浜松楽器、大橋ピアノ研究所と折々に居場所を変えながら、どこにいってもその冴え渡る能力は常に輝きを失わず、10代前半から84歳で亡くなるまで生涯現役、まさにカリスマであったようです。

また、ピアノだけでなく、工作機械なども多数設計している由で、その能力はピアノという範囲にとどまりません。
目の前に必要や課題があれば当然とばかりに学び、頭が働き、たちどころになんでも作り出して問題を克服できるという、ものづくりの天分に溢れかえった人だったと思います。

ただ根っからの職人であり理想主義であるため、ピアノ製造においても妥協を嫌い、手を抜かず、とことんまでやり抜く厳しい姿勢は、当然ながら利益を優先したい会社と意見が合わなくなり、そのたびに辞職を繰り返し、最後に行き着く先が自身の大橋ピアノ研究所の設立だったことも、まさに必然以外のなにものでもないでしょう。

大橋幡岩はピアノ製作の天才であり、職人原理主義みたいな人だったのかもしれません。
彼に決定的な影響を与えたのはベヒシュタインであり、日本楽器が招聘した技術者であるシュレーゲルによる薫陶は生涯にわたってその根幹を成したようです。

驚くべき仕事は数知れず、通常のピアノ設計/製作以外にも、ピアニストの豊増昇氏の依頼でベーゼンドルファー用の幅の狭い鍵盤一式を作ったり、通常のアップライトの鍵盤の下に、引き出し式でもう一段細い鍵盤が格納された二段鍵盤、あるいは日本楽器時代には奥行き120cmの超小型グランドピアノを試作していたり、戦時統制下ではグライダーのプロペラから部品まで、とにかくなんでもできる万能の製作者なんですね。

また彼は若い頃から「記録魔」だったようで、生涯にわたって書き留められた膨大な資料が残っており、いまだに完全な整理はできていないとのこと、どこを見渡しても、この人は尋常一様な人物ではなかったようです。

幡岩の死後、わずか15年ほどで息子で後継者の巌が急逝したことで、OHHASHIピアノ研究所(いわば)が廃業に追い込まれたことは、残念というありきたりな言葉では言い表すことができない、やるせないような喪失感を覚えます。

たいへん興味深く読ませてもらいましたが、興味深い故の不満も残りました。
というのも、わずか全212ページのうち、大橋幡岩や大橋巌、およびOHHASHIピアノに関する著述は138ページまで、それ以降は24ページにわたってごく一般的なピアノの仕組みの解説となり、さらにデータ、資料が続く構成になっていました。

できればもう少し詳細に、大橋父子や、その手から生まれたピアノに関する深いところを深掘りしていただき、細かく知りたかったところですが、さほど分厚い本でもない中で、本編ともいえる部分は全体のわずか65%に過ぎなかったのは、いかにも残念でというか、「えー、もう終わりー?」というのが正直なところでした。
とくにピアノ関連の本ならいくらでもある「ピアノの仕組み」の章など、あえてこの貴重なOHHASHI本の中に入れ込む必要があったのか疑問です。

また、タイトルはOHHASHIかもしれないけれど、大橋幡岩の名器であるホルーゲルや、いまだにその名が引き継がれて生産されているディアパソンについても、もっと詳細な取材を通して切り込んで欲しかったと思います。
浜松楽器に時代に生まれたディアパソンが、どのような経緯や条件のもとでカワイに生産委託されていったのか、また同じディアパソンでも、浜松楽器時代とカワイでは、どういう特徴や違いがあるかなども、もっと突っ込んだところを書いて欲しかったと思いますので、続編でも出れば嬉しいです。

この本を書かれたのは、ピアニスト/音楽ライターという肩書の長井進之介さんという方です。
まったく存じあげず、ネットで検索してみると、ラジオDJなどマルチな活動をしておられるようで、野球のイチローをインドア派にしたような感じで、いろいろなことに挑戦をされているご様子にお見受けしました。
このような本を上梓されただけでもピアノファンとしては感謝です。


もう少しで読了するというタイミングで、知り合いの技術者さんから電話で聞いた話では、大橋の甥御さんという方が浜松におられてピアノに関わる技術のお仕事をされており、その仕事ぶりは高い信頼に値する見事なものだそうで、幡岩のDNAが実はまだ完全には絶えていないことを知り、なんだかホッとしたような嬉しいような気になりました。
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砂の器の設定

松本清張原作の『砂の器』はすでに何度も映画やドラマに繰り返される名作で、異なるキャストやそのつど時代背景などが変えられて、これまでにいくつものバージョンを観た記憶があります。

今年もフジテレビの開局60週年ドラマとして3月に放映されていたものを録画していて、最近ようやく見たのですがが、山田洋次さんなども制作に参加しているためか、細部が細かく作り込まれており(賛否両論あるようですが)、マロニエ君はわりにおもしろくできていると思いました。

当節はウィキペディアという便利なものがあるので、『砂の器』を調べてみると、テレビドラマだけでも6回も作られ、そしてこの作品を決定的にしたのは、やはり加藤剛主演の映画だったように思います。

『砂の器』というといつも思い出すのは、何十年も前のことですが親戚の女性が大真面目に発した一言。

当時はマロニエ君は、まさに軍隊的とでもいうべき厳しさで有名な音楽院のピアノのレッスンに通っており、当時はピアノの先生といえば暴君や独裁者は決して珍しいものではなく、まして高名な大先生ともなると、その仰せは天のお布令にも等しいものでした。
朝から晩まで、学校以外は一切の言い訳は通らないほどピアノ中心の生活を要求されていたものです。

当時はピアノのためといえば、それは生活のすべてに優先されるのが当然であり、学校のテストなどを理由に練習を怠ろうものなら、親子呼び出されて大目玉となるような時代でしたし、下レッスンの大勢の先生方も日頃から院長の存在にはピリピリの状態で、今どきの生徒をお客さん扱いする感性から言えば、まさに隔世の感がありました。

それでだれからも文句が出ることはなかったのですから、時代というのはすごいもんだと思います。
今だったらパワハラだなんだと、とうてい受け入れられるものではないでしょう。

親戚の女性は、そんな状況をいつも聞かされては呆れ返り、ピアノなんて子供にやらせるものじゃないと思っていたらしいので、そういう下地があるところへ『砂の器』を観たため、登場する親子が、故郷を追われて住む場所もないような放浪の幼年期を送っていたにもかかわらず、なぜか大人になったらピアノが弾ける人という設定がどうにも納得が行かないらしく、普通の安定した家庭でもピアノをやるのはあれほど大変というのに、いつの間にどうやってピアノの練習をしたんだろう?…と、そればかりが気になり、最後までそれが気になって仕方がなかったと言っていました。

そう聞かされて、マロニエ君も後年見たところ、父子が故郷を追われるようにして出奔し、悲しい放浪の身であった人物が、いきなり世間で注目の天才作曲家でピアノの名手になっているという、説得力のない展開には面食らったものでした。
映画なんだから、些事を気にせず楽しばそれでいいわけだけれど、いくらフィクションでも、あまりに説得力がないというのはマロニエ君も同感でした。

そのあたりが、最新のドラマ版では丁寧にフォローされており、幼少期からピアノが得意で発表会などにしばしば出場していたという設定に変わり、孤児院や養子先を経ながら、ついには日本のグレン・グールド?!?!と言われた山奥に隠棲するという天才ピアニストのもとにたどり着き、その人のもとで徹底的に腕を磨いたことになっていました。
これもかなり違和感がないわけではないけれど、それでもなんとか幼少時代からピアノをやっていて、音楽の才能があったという説明にはなっていたようです。

さらにいうなら、あの「宿命」という映画音楽のようなピアノ協奏曲のような、なんとも不思議な自作自演のコンサート、そういうものってどこかで開催されているのだろうか、これもかなり疑問です。


このところ、テレビCMなどを見ていても、グランドピアノがでてくるものがやたら増えてきている気がします。
また、いつだったか番組名はわからないけど、NHKでスタジオにヤマハのCFXと最小グランドの二台を並べ、「価格が1900万円と115万円の音の違い」みたいなことをやっていて、ホーという感じでした。

なぜ今ピアノが採り上げられる機会が増えたのかはわかりませんが、これだけあらゆることにハイテクが絡むと、ローテクの塊で、弾かれて音を出すこと以外に一切の機能がないくせに大きく重いグランドピアノという反時代的なものが、逆に面白がられているのかと思ったり。
アニメ『ピアノの森』の影響もあるのか…、今度は『蜂蜜と遠雷』も映画化されるようで、スポーツの延長で競い合いがウケているのか、そのあたりマロニエ君にはさっぱりわかりません。
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