『ホロヴィッツ・ピアノの秘密 調律師がピアノをプロデュースする』(著者:高木裕 音楽之友社)という本を読んだところ、この本の中心的内容ではないけれど、長らくもやもやしていたものが解明される一節がありました。
スタインウェイ・ピアノのシリアルナンバーに関する記述で、実際に製造されたという年とシリアルナンバーがどうしても咬み合わないことがあり、疑問を感じていたものが解決することに。
具体的にいいますと、新品として仕入れた店が正確な記録として主張する製造年は、シリアルナンバーが示すものより1年以上新しいことがあり、このわずかな食い違いはなんだろうと思っていました。
べつに大したことではないし、こちらも業者でもないのでとくに深入りはせず、それで終わっていました。
スタインウェイ社のサイトなどを見ると、シリアルナンバーと製造年の対照表がありますが、その見方に関するガイドはなく、実はそこで重大な間違いがあったことが判明。
例えば553123(架空の数字)というピアノがあるとします。
表には、
554000 2000年
549600 1999年
というふうに書かれているので、554000より少し若い番号ということで、1999年製造のピアノなんだな…と判断していました。
これはマロニエ君のみならず、多くの技術者の方やディーラーなど専門家の方も、ほぼ同様だと思います。
ところが、この本を読んで思わず「えっ!」と驚いたのは、なんと、これらの対照表が示すのは
その年の「製造開始番号(Strarting Number)ではなく、Ending Number」とありました。
つまり、数字は「この番号から」ではなく「この番号まで」を表していて、それより「若い番号」が、その年の製造年となるので、553123であれば製造年は2000年ということになります。
これは「ニューヨーク本社の調律師ですら勘違いしている人が多い」のだそうで、ここを明確に説明されていることは、大きな収穫でした。
この説明によって、世の中の多くのスタインウェイは1〜2歳若返ったことになりそうです。
ちなみに数字は区切りであって生産台数ではないとのこと。
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この本に書かれているのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて製造されたニューヨークスタインウェイがいかに素晴しいもので、ピアノ史の中でも、それらがピークともいうべき楽器であるということが、全編を通じて述べられています。
その中の一台が、ホロヴィッツが初来日時にもってきたCD75というピアノで、現在は日本にあり、ほかに19世紀末のDなど、著者が代表を務める会社所有のピアノで、逸品揃いとのこと。
20世紀後半から現在に至るまでのピアノは、しだいに商業主義の要素を呑まされて、本来あるべき理想的なピアノとは言いがたいものになってきている面があることも頷けます。
この本を読むと、あらためてその音を聴かずにはいられなくなり、このところすっかり聴かなくなっていたホロヴィッツのCDを立て続けに5〜6枚ほど聴いてみました。
いずれも、1965年カムバックリサイタル以降のカーネギーホールでのライブ録音です。
ホロヴィッツのピアノは調整がかなり特殊だったらしく、とくに軽く俊敏なタッチにこだわったようですが、実際の音として聴いた場合どうなのかを確認してみたくなったというわけです。
果たして、耳慣れたハンブルクとはまったく別物で、風のような軽やかさと炸裂が同居し、魔性があり、その絢爛たる響きは、もう二度とこんなピアノは作れないだろうと思うものですが、ではそれが好みか…となると、そこはまた別の話。
触れたらパッと血が吹き出しそうな、刃物みたいな印象で、ホロヴィッツという、ニューヨークに棲む亡命ロシア人にしてカリスマ・ピアニストが紡ぎ出すデモーニッシュな音の魔術としてはうってつけだと思いますが、純粋に一台のピアノとして聴いた場合、ヒリヒリしすぎて必ずしも自分の好みは別として、これがホロヴィッツの好んだ音ということは確かなようです。
さらに上の世代のヨゼフ・ホフマンもニューヨーク・スタインウェイを弾いた大巨匠ですが、ホフマンの音はもっと厚みがあってふっくらしており、必ずしもホロヴィッツの好むピアノだけが、当時のスタインウェイを代表する音かどうかは疑問の余地がありそうでした。
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