時代の音

当たり前なのかもしれませんが、ピアノの音というのも時代とともに少しずつ変化していくもの。

他の工業製品のように絶えず新型が出てくる世界ではないけれど、ピアノもとりまく社会環境、時代の好みや価値観、弾く人のニーズによって変化していくようです。

〜ということぐらいはわかっていましたが、最近はひしひしとそれを感じ始めています。

それが、毎年少しずつ変化しているのか、ある程度のスパンや区切りで大きく変わるのか、そのあたりは定かではないけれど、たとえば10年単位で見てみると、大雑把な世代というものがあることに気づきます。

例えばハンブルク・スタインウェイでは、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代とそれぞれの時代の音があって、古いほど太くて素朴な音、新しくなるほど華やかさが増す一方で、腹の底から鳴るようなパワーは痩せてゆき、その流れはとどこまで行くのか…という印象があります。

とりわけ昨年あたりからの新型は、なんとなく本質的なところまで変わってしまったようで、表面的には「いかにも鮮やかによく鳴っているよね」といわんばかりにパンパン音が出るキャラクターですが、その実、ますます懐の深さや、表現の可能性の幅はなくなり、整った製品然としたピアノになっているようにも感じます。

味わいだの、陰翳だの、真のパワーだのという深く奥まったこと(すなわちピアノの音の美の本質)をとやかく論じるより、新しい液晶画面のように、明るくクリヤーでインパクトのあるもののほうが、ウケるということだとも思えます。
そうしないと、大コンクールという国際舞台でもピアノも選ばれるチャンスを逸するということかもしれません。

もちろん大コンクールでコンテスタントに選ばれることがそんなに大切なのか?と思うけれど、そういう考え自体がきっともう古いのであって、メーカーにとってはこれが最優先であろうし、だからもうブレーキが掛からない。
どれだけ本物であるか時間をかけて出る答えより、パッとすぐに結果が出ることのほうが優先される時代。

ヤマハはCFXが登場して10年ぐらいになるのでしょうか?
はじめはいかにも歯切れよく、リッチで上質な音が楽々と出るピアノというイメージでした。
当初は演奏会で聞いても、モーツァルトまでぐらいの作品であれば、場合によってはスタインウェイより好ましいかも…と思えるような瞬間もあるピアノでしたが、その後はまた少しずつ違うものになっていった印象。
個人的なCFXの印象では、年々音の肉付きが薄くなり、懐も浅くなってきた気がします。

実は、こんなことを書いたのは、ちょっとしたショックを受けたから。
最近プレーヤーのそばに置いているCDがかなり聴き飽きてきたので、なにかないかと棚をゴソゴソやっていたら、フランスのピアニスト、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェによるベートーヴェンのハンマークラヴィーアが出てきたので、これを聴いてみることに。
久しぶりでしたが、その鮮やかな演奏もさることながら、ピアノの音にはかなり驚きました。

録音は2008年にフランスで行われたもので、ピアノはヤマハCFIIISなのですが、これが「今の耳」で聴いてみると、なかなかいい音しているのには、かなり驚きました。
大人っぽく、しっとりしていて、深いものがあり、ある種の品位すら備えていました。

10年前ならなんとも思わなかったCFIIISの音が、こんなにも好印象となって聴こえてくるのは、それだけ最近のコンサートピアノ全体の音質が変わってきているからにほかなりません。

一時代前はヤマハもこういうピアノを作っていたんだと思うと、いろいろと考えさせられるところがありました。

いまや最新工法によるスタイリッシュなタワーマンションばかりが注目されがちですが、一時代前のずっしりとした作りの高級マンションの良さみたいな違いがしみじみ伝わってくるようでした。

いずれにしろ「重厚」というものは手が抜けず、裏付けるコストがかかるから、もう時代に合わないのでしょうね。
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