収束後の世界は…

先日のEテレ-クラシック音楽館をみていたら、長引くコロナウイルス感染拡大の波を被った音楽界の様子をとらえた内容となっており、演奏機会を失った音楽家たちが発するメッセージと、過去の演奏などで構成された番組でした。

中でも指揮者で鍵盤楽器奏者の鈴木優人さんが、過日のバッハのヨハネ受難曲が「私の最後の演奏になった」という言い方をされたのは、おもわずドキッとさせられました。
もちろん、コロナウイルスによって公開演奏が一時的にできなくなる直前の「最後」という意味ですが、なんとはなしにそれ以上の深刻な響きがあったような気がしたのでした。

音楽家に限らず、あらゆる職業の人達が同様の苦しみの中におられることはいうまでもありません。
朝起きて外の景色を見ると、ときに眩しいばかりに美しい快晴の日があって、木々は風にそよぎ、目にはあたかも穏やかな平和な景色に見えるのに、実際にはこんなひどいことになっているなんて、そのたびにウソみたいな気がします。

以前テレビの討論番組の中で、竹中平蔵さんが言われた言葉はちょっと忘れることができないものでした。
もう録画は消去したので、正確に写しとることはできないけれど、要するにいつかこのコロナウイルスが収束しても、そこから始まる世界は決して元通りではないというものでした。

これだけの災厄を経験した世の中は、それ以前と以降では、明らかになにかが「変わる」というのです。
その根拠としてSARSやリーマンショックの前後をみると、そこを契機にあきらかに世界は「変わった」んだとか。

いまや世界の経済を牛耳り、人々の暮らしのカタチさえ変えてしまったGAFA (グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字をとったもの)は、リーマンショックの後に急速に躍進してきたもので、それ以前は大して意識もされなかったこれらの新興企業が驚くべき短期間に世界を席巻したということをみても、言われてみればそうだなと思いました。

コロナウイルスにとっては、国境も政治も経済も人種も知ったことではなく、まさに目に見えない悪魔となって地球上を飲み込む勢い。
こんなパンデミックの恐ろしさに震えながら過ごす毎日はいつまで続くのか…。

これは事実上の、砲弾が飛んでこないだけの第三次世界大戦のようでもあり、ノストラダムスの大予言が20年ばかりズレて起こったといえなくもない状況で、これだけのことを経験させられた世界は、たしかに竹中さんの云われるように、収束後は以前の通りということにはならないでしょうし、よく考えたらなるはずがないでしょう。

それがどんなものになるのかはわかりませんが、少なくとも今回世界を恐怖に落し入れたコロナ騒動は、SARSやリーマンショックどころではなく、それを思うとその向こうにどんな新しい世界が待ち受けているのやら、不気味な気さえします。

また、終わった時は、ただ終わった!というだけなのか?
現在は感染拡大防止と収束にむけて世界中が全エネルギーを注ぎ込み、文字通り戦いの最中ですが、これが一段落したら、発生源の原因究明、これほどの拡散に至った初期対応への検証など、相応の責任追求というのは厳しくなされるのか否か、こちらも気になるところ。

夥しい数の感染者、亡くなった方、ありとあらゆる予想だにしなかった途方もない損失損害、無事に生き延びたにしろ、その間に味わった不安と不自由と苦痛は、これはちょっとやそっとのものではないですからね。
収束したら「ハイおわり、お疲れ様、パチパチパチ」では済ませられないと思うのですが…。
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