ずいぶん前でしたが、LINEの「既読」というこんな些細なものをめぐってイジメや事件になるなど、社会問題になったことがありました。
当時のマロニエ君はLINEがメールとどう違うのかもよくわかっていなかったくらいで、「キドクって何?」というような感じで理解がついていかなかった覚えがあります。
中でも驚愕したのは、小学生か中学生で、LINEのメッセージが来たら10分だか15分だか、それぐらいの時間内に返信しなければ仲間はずれにされ、イジメの対象になるという恐ろしいもので、故に子どもたちも常にストレスにさらされているというものでした。
それが今現在どうなっているのかは知りません。
ただ、そういうことが尾を引いているのか、この「既読」という小さな文字の有無に気を遣うというのが後遺症となって残っているのか、既読という小さな文字の向こう側に人の心の動きが読み取れることがあります。
マロニエ君なんぞは、そもそもスマホ歴も浅いし苦手だし、交友関係も広くはないからそんなにたくさんの人とLINEのやり取りをしているわけではないけれど、それでも、人によってちょっとした性格とか神経の動きを感じることは…ありますね。
全体からみれば一部の方ではあるものの、あきらかに既読マークが表示されることを意図的に回避していると思われる(気がする)場合があって、もちろん確証はありませんが(そうだとすると)たかだかLINEごときにそんなに神経を張りつめなくてもいいのでは?と思うことがあるわけです。
それは、既読がついた以上はコメントしなくちゃいけないけれど、すぐにはそれをしたくない、もしくはできない状況、面倒だからあとでいい…大方そんなところでしょう。
読んだのに返事しないとこちらに失礼と気を遣ってくださっているのか、すぐに返事しないことで自分の印象が悪くするという保身なのか、そのあたりはよくわかりませんが、とにかく敢えてコメントを開かないことで既読表示を回避し、「まだ読んでいませんよ」「だから返信に至らないのです」という作為を感じるのです。
マロニエ君にしてみれば、そんなにすぐ返事をしていただかなくても一向に構わないし、あとからでも返事もらえたら幸いという程度ですが、そういうちょっとしたことでこまごま気を遣われるというか、悪くいえば小細工されるというのは妙にわかるもので、不思議ですよね。
そして、残念ながらこれ、さほど狙い通りの効果をあげている…とも思いません。
スマホとの接し方というのもむろん人それぞれだから一概には言えないけれど、今どき、平日の昼間とかならともかく、夜間や休日にそう長いことLINEを見ない、つまりスマホを触りもしないということは、一般的にはあまり考えられません。
むしろ、心配になるほど、大多数の人はなにかというとスマホに触っていないと落ち着かない場合が多く、人の手がスマホを離れることのほうがずっと難しいし、そのほうがよほど稀だと思うのです。
いったんスマホを手にして、LINEなんかをやりはじめるということは、良し悪しは別にして、一定時間おきに何かをチェックをするという少々のことでは元に戻れない習慣に冒されてしまったと見るのが一般的で、だから、まったく既読がつかないほど丸一日これに触れないなんてことのほうが現実的に想像しにくいわけです。
現に知人などに会っていても、今どきはごく自然な動きでスマホをさりげなく触ったり、音がすればチェックするという動作はしょっちゅうで、仕事中など明確に禁止された状況以外で、自らにケジメの線を厳しく引いて、きっぱり遮断できてしまうという人がいるとすればそれは相当の強靭な意志の持ち主であり、チョー珍しいと思います。
そんなチョー珍しい人がそんなにたくさんいるとも思えないわけです。
だから、やっぱり意図的に開かないようにしていらっしゃるんだなあ…そんなにしなくてもいいのになあ…と思うわけです。
むしろ、あるていどのタイミングで既読がつくほうが自然だし、あとから自由なタイミングでコメントを返してもらえるほうが、個人的にはよほどホッとするわけで、返信するまで既読を付けない状態をキープすることのほうが、よほどピリピリした緊迫感があって疲れます。
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