家ピアノー蛇足

以下は、もはやNHKの番組とは何ら関係ない内容ですが、家のピアノということから違った話をすると、ピアノといえば置き場所さえあるならグランドこそが本家本流みたいな認識があり、「いつかは自宅にグランドピアノを!」といった声は何度か耳にしたことがあります。

でも、本当にグランドが必要かどうかは、各自よく考えてみる必要があるのではと思います。
必要はなくても「ただ、グランドが欲しいー!」というのはもちろんそれはそれでアリですが、ピアノ経験者のアドバイスのようなことに流されて「アップライトはダメ」…と刷り込まれるのはいささか迷惑では。

ピアノをある程度やった人とか先生など、バリバリ弾くだけで音楽や楽器にあまり関心がないような方に限って、なぜか口を揃えて「グランドじゃないとダメ!」みたいなことを言われ、購入予定者に変な影響を与えるのはなんなのかと思います。

たしかにグランドは構造的にもピアノの本来の自然な形であるし、グランドだけがもつ秀逸なアクションなど、機構上のメリットがあるのは事実で、そこに大きく異論はないけれど、音楽専門家を自認する人達のグランド必要論みたいなものを聞くと、どうも価値観に偏りがあり釈然としない印象しかありません。

日本は何事においてもグレードとかクラスとかランクとか、あらかじめ人によって決められた価値が幅を利かせ、それを鵜呑みにし、自分で判断するよりそちらが正しいらしいと思ってしまう。

東大を出たとか、コンクールに優勝したとか、大会社の社長とかいうとすぐに一目置いて、尊敬のレッテルが貼られてそれで終わり。
与えられたヒエラルキーにそうまで無批判で従順なのは、まさに権威主義、ブランド志向ではないか。

すっかりそこに与して、その気になって、ステータスとしての価値も感じながらグランドを買って満足するのであれば、それはそれで意味はあるのかもしれませんが。

ただ、家にグランドピアノを入れるというのは、美的観点からするとある程度上手に置かないと、ピアノがそこで一番エラいもののように鎮座して、却って滑稽になる場合もあるように思うことも。

自宅にグランドピアノが設置された光景で目に浮かぶのは、白もしくは花柄などのクロスが貼られた清潔そうな部屋、淡い色の規格品風のカーテンがあって、床はフローリング。
部屋の雰囲気のためにとても大切な照明は、何の工夫もないシーリングライトの無機質な光で、塾の教室みたいな白。これだけで、聞かなくてもピアノの主がどんな弾き方をするのか想像できるよう。
さらに、椅子やペダルのあたりには却って滑りそうな小さい敷物、部屋のどこかに結婚式のブーケみたいな造花、楽譜棚にはネコなどのかわいい系の置物など。
きわめてレッスン的おけいこ的ではあるけれど、肝心の、音楽のある生活の香りや文化的芸術的な香りは…。

欧米人にはまず絶対にあり得ないセンスで、ひとつひとつのチョイスや配置はこまごまして控えめにもかかわらず、出来上がったものには独特の大胆さがあり、ああいう雰囲気の中で目にするグランドピアノって強烈な違和感を感じるのはマロニエ君だけでしょうか?
とくに日本人は、内装とかインテリアのイメージにはっきりした主張がないのかバラバラで控えめ、と、せめてものアクセントのつもりなのか、いい大人が子供っぽいかわいい系の置物とか、甘ったるいお菓子みたいな世界にしてしまうのはなぜなのか、まったく理解に苦しみます。

前置きが長過ぎましたが、その点で、成熟した大人のセンスで手際よく生活空間に収められたアップライトピアノは、とてもスタイリッシュで、住む人の趣味の良さとか、豊かな人生のワンシーンみたいなものを感じて好ましい。
グランドのようにピアノが中心になっていないのもプラスに働くのかもしれません。

そもそも、家でただ音楽を楽しむのに、そんなにグランドのタッチや音量は必要なのか?
さらに、日本人はピアノを買うのも自然な楽しみとしてではなく、レッスンや、受験や、発表会、趣味の目標など、そこに必ず勉学的な目的をくっつけないと気が済まないようです。
子供のためにピアノを買うというのはよくありますが、なんでその家のピアノライフのスタートを子供が背負わされるのか。
そうではなく、ピアノのある家に子供が生まれ、成長するにつれ自然に触れるようになってきた、じゃあそろそろレッスンにでも行かせてみるか…こういう順序であってほしいと思うんですけど。

だからなのか、自宅のピアノって特別感が強すぎて浮いており、もっと生活の一部としてピアノと普通に仲良くしたらいいと思うのですが、そうなるほど生活の中にピアノや音楽は根を下ろしていないということかもしれません。
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