ワグナーピアノ3

ワグナーピアノ、その後の経過など。
早いもので、このピアノと付き合って二週間以上が経過しました。

現代では、いろんな意味から、おそらくもう作れないだろうという魅力ムンムンのピアノですが、出だしは調整が未完であることなど、音やタッチがもうひとつ揃ってくれればというところもありました。
それが、湿度管理をやっている部屋で数日ほど、弾きながら過ごしていくと、音が一定程度収束していく感じがあり、そのあたりがピアノとはおもしろいなぁと思います。

音のひとつひとつに振動を感じ、響きは水面に雨が落ちるたびに波紋が広がるようで、友人がふと口にした「余韻がある」というのは、どうやらその一言にこのピアノの特徴が集約されたところがあり、興味のない人からの素直な印象というのは意外に核心を付くものがあって感心してしまいます。
また、鳴りのパワーは相当なものがあり、例えば大屋根を全開にせず、前屋根だけを開けて弾くと、奥からこっちへ向かって、風の吹き出し口のように音が一斉にこちらへ押し寄せるようで、それに戸惑うことも。

特徴的であり意外でもあった点のひとつは、昔のピアノは概ねタッチが重いというイメージでしたが、ワグナーはむしろ軽めで、とくに中音から高音にかけてのタッチはハラハラと軽く、そのおかげを被っていかようにも軽い音色が試せるのは、現代のピアノにはちょっと望み得ないところだろうと思います。
それもヤマハのような優秀なアクションが有する軽さとはかなり趣がちがうもので、もっと根源的な部分での軽さは、なにか気持ちを優しく浮き立たせるものがあります。
ちなみにアクションはRenner製。
この軽やかなタッチのおかげで、自分の腕では、かつてできなかったようなことが可能だったりで、ささやくようなトリルや装飾音もスルリと入ってしまうなど、まるで戦前のピアノのようです。

ある夜、今夜こそはと思い定めて少ししっかり弾いていました。
すると、はじめはどこかよそよそしい感じもあったのが、1時間ほども経ったころでしょうか、こんなに古いピアノでもタッチや音がよりほぐれて、楽器全体がこちらに近づいてくるものなんですね。
尤も、まとめて弾くといったって、持久力ナシのマロニエ君には2時間がせいぜいで、これが練習できない最大の問題。
それも恥じ入るばかりではあるけれど、下手なくせして毎日数時間弾きたがるなんぞは甚だしく迷惑行為だと思っているので、ちょうどいいところかもしれません。

とはいえ、これぐらいでも弾いてみるとピアノもさることながら自分の指も明らかに硬さが薄らいでくるので、ずいぶん楽に弾けるようになり、そこに達したときはたしかに嬉しいことも事実ですが、いつもそこにもってくるなんて芸当はゼッタイにムリ。
楽譜を見ながらトロトロと普段弾かないワルトシュタインなんかを通して弾いてみたら、ピアノも指もかなりほぐれて、ああやっぱり日常的に指を鍛えなきゃダメなんだ!とわかりはしますけど…。

ワグナーの話に戻ると、やはりベートーヴェンは壮大な中に緊張ありロマンありで、和音やフォルテなど強烈な一撃が必要なところなんかも随所に出てきますが、そんなときにこのピアノはいかようにも応えてくるのは驚きです。
夜も更けてきたので、さすがに音を落としてあれこれ弾いて、最後はソフトペダルを踏んでショパンのノクターンなどを弾くと、こんなにもやわらかで静謐な世界があったのかと思うほど繊細で、このピアノ、現在のコンディションとしては結構バラバラなところもあるけれど、その潜在力には恐れ入ってしまいます。

今どきの普通のピアノは小利口にまとまってはいるけれど、強烈な一撃など欲しくても底をついて破綻してしまうか、かといって風にそよぐような繊細な表現をしたくても(自分の腕はさておいて)なかなか応じてはくれません。
ワグナーピアノに触れてみると、現代のピアノは一定のところまでは尤もらしくブリリアントな音がでたりしますが、いかに表現の幅や弾き手のイマジネーションがごっそりと失われているかがよくわかります。

いま感じているワグナーの最大の美点は?というと、必ずしも一音一音が美音で素晴らしいというのではないけれど、正味の楽器であること。そして、楽器としての本当の響きとは、いかに魅力的で、楽しくて、気持ち良いことかを理屈抜きに教えてくれるところでしょうか?
この気持ちよさは、止めてもまた弾きたくなる不思議な磁力みたいなものがあり、ちょっと時間があればついまた触れたくなるのです。
ワグナーが来てからというもの、他のピアノたちとはちょっと疎遠になっています。
続きを読む

イースタインB

このブログの6月9日に「告白」というタイトルで書いた、イースタインの銘器B型は、ワグナーピアノの出現により涙をのんで諦めましたが、「捨てる神あれば拾う神あり」の喩えのとおり、なんとこのピアノを救ってくれる人がいたのです。
お陰で、いったん断った話も復活して、結局現物を拝めることとなりました。

その方は、ワグナーピアノを発見して新幹線に乗って某所まで見に行った方で、かなりのピアノマニアであるだけに当然イースタインにも強い興味がおありで、むろん「響愁のピアノ イースタイン」も熟読されており、細かな点ではマロニエ君よりもずっと詳しく本の内容を覚えておられていたりで、こちらが驚かされることしばしばです。

ご自宅にはすでに2台のピアノがあり、置く場所の問題というより、これ以上はご家族の理解を得ることが難しいという事ではじめはあきらめ気味の様子でしたが、ピアノマニアならイースタインのBというのは、どうしても興味をくすぐるものがあり、破格値であったことと、年々その数は減っていく希少モデルであるだけ、こういうチャンスは一度逃したら次はまずありません。
とくにイースタイン全盛の頃は、現代ほど流通機構が発達していなかったことや、職人中心・品質中心という企業体質で営業力が脆弱だったこともあり、列島の西側にはあまり回ってこなかったピアノで、九州でこれに出会うチャンスはまずないので、リスクは充分承知した上で、ほとんどギャンブルか冒険心だけを頼りに購入に踏み切られた次第でした。

正論を仰る方からすればツッコミどころ満載でしょうが、でも、マニアというのは、こうでなくっちゃ面白くありません!

それから数日後、その方から連絡があり、九州他県の某ピアノ店に、なんたることか無いはずのイースタインのB型があるという情報で、驚愕したのはいうまでもなく、いてもたってもいられず直近の週末には車を飛ばして見に行きました。
果たして、内外ともとても美しく仕上げられたピアノでしたが、背面を見ると、かなり年季が入ったピアノであることは一目瞭然で、なにより音を出してみたところ、到底これがあの誉れ高きBとは思えないもので、正直あまり心躍るようなピアノではありませんでした。
ちなみにそのB型は、その後早々に成約済みとなっており、これにもびっくり。


さて、件のイースタインは、売主の都合やら何やらで出発も遅れたりしながら、ついに先週福岡の運送会社の倉庫に届いた旨の連絡が入りました。
親しくさせていただいている技術者さんが夜おそく見に行って報告していただきましたが、それによるとひどく荒れているようなピアノではなかったこと、そんなに大きな音ではないけれど優しいきれいな音がしたこと、キャスターにまったくサビがなくスイスイと軽く動くこと、ピンには多少のカビがあったなどと、ざっくりしたことを聞かせてもらいました。

それから次の日曜日、購入者の方と連れ立って、その倉庫にイースタインとの初顔合わせに行きました。
黒のカシューの塗装はいくぶん艶が失われてはいたものの、大きなキズなどはありません。
さすがに背の高い大型モデルで、前後の厚みも充分ある堂々たる体躯のピアノで、なかなか立派な佇まい。上部の左右両端が丸く曲げられ、その内側に切り込みが入れられたように前屋根が開閉するのもB型の特徴で間違いなく、ついに目前にその姿を現したという感じでした。

そして、なにより驚いたのはその音でした。
ジャーンという現代の大量生産ピアノからは決して聞くことのできない、ハッと思うほど温かみのある優しい音、上品な白百合のように可憐で、当時から音の美しさで評判だったというイースタインのBとはこういうピアノだったのかと、いいようのない心静まるような感動に包まれました。
中を覗くとオリジナルと思しきハンマーは、基本的にじゅうぶん本来の形をとどめているものの、弦溝はかなり深く、普通ならこれぐらい弦溝がつくとかなりチャンチャンした音になるはずだと思うのですが、少しもそういう気配がないのは不思議な驚きでした。

その点、上記のBは対象的で、中も見事なまでにクリーニングされていたし、ハンマーも新品と見まごうばかりに丹念に汚れが削り取られて真っ白でしたが、音はというとまるでチェンバロのようで、いま眼の前にあるBとは似ても似つかぬものでした。
個人的には断然こちらのほうが好きだし、おそらくはオリジナルの性格もこちらだろうと個人的には思います。

唯一感じたのは、音がやや小さめで、これは何らかの問題があるのか、調整・整備によって少しは変化するのか、そのあたりのことはわかりませんが、基本的には上品な優しさで弾く人をふんわりと包み込むようなピアノで、ほかの人が弾いていてもいつまでも聴いていたいような音でした。
実際、音質が無神経で、うるさくて、早くやめて欲しい…と思ってしまうようなピアノがあまりにも多いですから。

このイースタインがどこまでどう蘇ってくれるのか、いまからワクワクです。
続きを読む

ワクチン接種

職業上の区分によって(ありがたいことに)少し早めにワクチンを打つことができました。
新型コロナのワクチンについては、短期間で開発されたワクチンで実証研究等の不足を不安視する声も多く、接種直後の副反応だけではなく、数年先の後遺症の有無などもわからないことも多いという不安要因も含んでいるというわけで、ずいぶん考えた末の接種でした。

事前に、知り合いに等あちこち聞いてみると「打たない」という人は予想以上に多く(マロニエ君の周りにそういう人が多いのかもしれませんが)、また県内の看護師さんが接種翌日に亡くなっていたというような衝撃的なニュースもあったり、あるいは本当は安価な治療薬ができているのに大手製薬会社の陰謀で、それが日の目を見ることなく、莫大な儲けとなるワクチンを使うことになった…等々、虚実入り乱れて否定論には事欠きません。

さらには、国内外の医師など、専門家にも自分も家族も決して打たないという人が多いとかで、否定的な意見があまりに出てくるのについ驚いて危機感が募り、一度は予約できていたものをキャンセルしたりしたものの、今後(すでに?)迫り来るであろうインド株などの猛威を考えると、やはり打つほうを決断し、予約を取り直して一週間後に接種会場に赴きました。

そこで、ワクチン接種の現場とはどういうものかをレポートしてみます。
まず自治体に事前のネットでの申し込みをする必要があり、そういうことがまず煩雑です。
申し込みが受理されると、郵便で問診票や接種券といったものが送られてくるのですが、ここまでにもかなりの日数を要します。
それらを経て、ようやく予約した日時に、接種会場に行くことができというもの。

これは各自治体ごとにやり方を決めるのか、全国同じなのかわかりませんが、とりあえず福岡市の場合です。
マロニエ君の場合、接種会場はマリンメッセという広いイベント会場のB館という分館でした。

会場に行くと、建物を入ってすぐのところにスタッキングチェアが碁盤の目のようにキッチリと縦横に並んでおり、それが4つぐらいのブロックに分かれています。
マロニエ君は17時〜18時という枠だったので、17時少しまわったころに到着しましたが、すでにかなりの人が着席しており、席はすべて会場に入る順番通りと決められており、要はここから先は決められた指示に全面的に従う必要があるようです。

ブロックごとに事前説明があり、そのブロックの横一列ごと、呼ばれたら立って言われるままに中に入っていくわけですが、その様子には妙な怖さがあり、同時にこれはかなり時間がかかりそうなことも直感しました。
案の定、ここで20分ほど待たされ、ようやく自分の列が呼ばれて中に入りますが、すべての動きは少なくない関係者にしっかり監視されており、会場内に入ると、最初にまず問診票と診察券と身分証明を提出して受け付け。

それが済むと、いわれるままに移動して検温され、その結果を「自分で」問診票に書き込む。
それを見届けて銀行のように印字された番号札を渡されますが、その先にも先ほどと同様に整列した椅子があり、ここで自分の番号が呼ばれるのを待ちます。
目の前には白いボードで組み立てられた、窓もない簡易的な部屋のようなものが作られており、数カ所ある入り口には番号が振られ、すべてにカーテンがかかっていて中の様子を窺い知ることはできません。
書かれた数字を見ると、呼び出している番号の40人ぐらい手前で「うわ」と思ったけれど、ここでもひたすら待ちます。

自分の番号が呼ばれたら、指定された番号のカーテン内に入りますが、中には白衣をまとった医師がテーブルを脇にして椅子に座っていて、問診票を手渡すとそれを見ながら幾つかのことを聞かれ、それに返事をする。
そこで打たれるのかと思ったら、そうではなく、再びそこを離れ、さらにその奥のカーテンの中に進みます。

そこでは、ジーパンにポロシャツという日曜日のお父さんみたいな人(たぶんドクターなんでしょうけど、そうは見えなかった)がいて、テーブルの上のトレーには5〜6本の注射器が並んでおり、ここが接種現場であること、そしてこの人の手によって打たれるんだということがわかりました。
「お荷物はそちらに置かれてください」と云われ、ザルみたいなものの中に荷物を入れ、問診票と診察券を渡すといよいよ接種という事になりました。

「こちらを見ていてください」と白い壁のほうを示され、さも「打つところを見るな」と言わんばかりで、内心どっちを見たっていいじゃないかと思ったけれど、この際言われたとおりに。
左の肩の少し下ぐらいにアルコールのヒヤッとした感じがして、続いてチクッとしたかと思ったら、接種はそのものはあっけなく終わりました。

ここまでに40分ぐらい経っていたので、さあ帰ろう!と思って荷物をもって外に出ると、そこにはまたも誘導員が待ち構えており、18時04分と手書きされた青い紙を渡され、誘導され、「こちらにお掛けください」とここでもまた整列した椅子への着席を命じられます。
「え…、まだ終わりじゃないの?帰っちゃいけないの?」と思ったけれど、周囲の人は皆さんはほぼ沈黙で、神妙な面持ちでおとなしく指示に従っておられ、さすがのマロニエ君もその場の空気に押されて一言も質問せずに従いました。

なんでも、ワクチン接種後は15分間安静にしておかなくてはいけないのだそうで、ここで強制的に安静を強いられるようで、だからまだ帰れなかったわけです。
多くの人はスマホなどをいじるなどしながら淡々と待っておられるようでしたが、マロニエ君はあっちで待ちこっちで待ちの連続でかなり気疲れしており、さらにここからまた15分じっとしてろというのでは、それ自体がストレスで気持ちは安静どころではなく、スマホを見てゆったり時間をつぶすという気にもなれず、ひたすら修業のようにじっとしているばかりでした。

もう終わったんだから、安静タイムを振り切って帰ろうかとも思いましたが、なんと最後にもうひとつ関所が設けられており、その15分安静にしたことを表す時間が書かれた紙を持って出口近くのテーブルに行くと、ここで最後の仕上げというべき接種証明書というのを発行されるようなっており、要するにどれひとつ省略も逃げ出すことも許されない流れが構築されていました。
そんなわけで会場の外に出たのは、まさに一時間後でした。

その後は、心配した副反応もなく、夜中になって接種した部位が痛くはなったものの、ともかく1回目はそのていどで終わりました。
しかし、聞くところによれば2度目がキツイのだそうで、次回(3週間後)はより覚悟をもって挑まなくてはいけないようでです。
続きを読む

ついに来ました

あれよあれよという流れの波に乗るようにして、ついに先週、ワグナーピアノは我が家へとやって来ました。
数週間前まで、予想だにしなかったことで、こんなこともあるのかと驚くばかり。

くだんの調律師さんは、もっと詰めて仕上げようとお考えだったようですが、あいにく作業する場所が運送会社の倉庫内で、奥は無数のピアノがびっしり詰め置かれて立錐の余地もないためか、作業にあてられたスペースというのが、ちょうど搬入搬出口に近いところで、そこへ連日通って作業をやっておられたようです。

ところが運送会社の業務にも支障が出たのか、できるだけ早めに場所を空けてもらえないかと打診されるに及んで、やむなく予定より早めに作業を撃ち切らざるをえなくなったということでした。

60歳のピアノとしては、基本的な状態は望外によかったものの、長い年月を旧所有者のもとでさほどの整備もされずに過ごして来たのでしょうから、入念な調整を受けるのはずいぶん久しぶりのことだっただろうと思われます。
着手すれば少々の時間では足りないところが少なからずあったことは想像に難くありませんが、後半はあいにくと時間切れだったようですが、それでもかなりのところまではやられたようでした。

カシュー塗装故に大屋根などには数条のひび割れなどがあるものの、全体的にはヴィンテージピアノという、なにやらありがたい感じの雰囲気が漂っているお陰でさほど気にもならず、どこを見渡しても不当に荒れたような様子がないのは、このピアノの希少性と相まって、きわめて幸運なことだったと思います。

音は、倉庫で弾いた時より自宅ではよりやわらかな印象ですが、とにかくよく鳴ることに変わりはありません。

たまたま居合わせた友人(ピアノにはまったく興味ナシ)によると、「鳴っている感じがする」さらには「…余韻がある」とかなんとか、意外にも本質を鋭くついた感想を述べてくれました。
前回、このピアノは「側鳴り」ではなく「遠鳴り」するピアノだと書きましたが、やはりそのようで、弾いている本人以上に、付近で聴いていると響きの印象が強いらしく、こちらから感想をもとめるでもなくポロッとそんなことを口にしました。

せっかくワグナーピアノが手許に来たのだから、音などピアノの本質についてもっと語るべきでしょうが、その前にマロニエ君にとって、このピアノで唯一のなかなか解決の難しそうな問題があることがわかりました。
それは象牙鍵盤がツルツルサラサラ滑ることで、打鍵した指が鍵盤にとどまらず、あらぬ方向へと滑るのに戸惑っています。

以前にも書いた覚えがありますが、象牙鍵盤というだけでやたら有難がる方というのは少なくありませんが、マロニエ君に言わせるとこれが素晴らしいのは、あくまで「すべりにくさ」を保っている状態であって、ある程度使い込まれて表面が滑りやすくなると、それはもう恐怖でしかなく、こうなると良質のプラスティック鍵盤のほうが機能的には安心です。
とはいえビジュアルは別で、古いピアノに芸能人の歯のような不自然な白が並ぶより、適度な黄ばみやかすかな地模様と温かみのある象牙鍵盤のほうがむろん雰囲気はいいに決まっていますが…。

ちなみに、象牙鍵盤信奉者というのはマロニエ君が考える以上に相当数おられるようで、たしかにそれもわからないでもありませんが、それなら現代のピアノのポリエステル塗装は、まさにプラスティック鍵盤と同じ感性の産物で、色が黒というだけで味も素っ気もないものではないですか?と問いたくなります。
やたらピカピカするばかりで、無機質で、分厚くて、そこには木の楽器としての手触りも温かみもニュアンスのかけらもありません(尤も、現代のピアノはどこまでまともな木であるかどうかも甚だ疑わしい限りですが)。
あれは塗装というより、何か不都合なことを隠蔽するための樹脂によるカモフラージュでしょう。

これが弦楽器なら、到底許されることではないけれど、ピアノならマルのようです。
それに引き換え、カシュー塗装というのはその塗装越しに気の感触を感じるし、楽器としての趣という観点からすれば、象牙鍵盤に相通じる趣きや風合いがあり、プラスチック鍵盤がイヤだとこだわるなら、塗装だって同じじゃないのか?と思います。

もちろん、古くなるとクラックが入ったり傷がつきやすいなどの問題点はありますが、それでもプラスチック鍵盤を否定する価値観の持ち主なら、ポリエステル塗装を否定しないのは合点がいきません。
ポリエステル塗装の良さといえば、ガラスみたいな硬質な艶でダメージに強く、手入れが簡単なことと、中古ピアノ業者などが再生作業で外装を仕上げる際、機械でバフがけなどをやればキラキラ状態が蘇るので、アフターマケットの世界でも歓迎なんでしょう。

もうひとつ、象牙鍵盤だけにこだわる人なら、黒檀の黒鍵は必須だと思うのですが、それはそうでもなかったりするのがまたまた首をかしげるところ。
昔のピアノの不思議な点は、白鍵には象牙をやけに気前よく使ったくせに、黒鍵は普通の樹脂というのがあまりに多く、このあたりはヘンですね。

一部の人には、貴重な象牙ということだけに目が行って宝飾品のような価値を感じ、ピカピカボディには高級車のようなステータスを求めているのかもしれません。

いつもの悪いクセで話が逸れてしまったので、ワグナーピアノについては少し弾いてからまたまた書くことにします。
続きを読む

告白

前回/前々回と書いたワグナーピアノは、ベテラン調律師さんがご自身のいわば道楽で購入/整備されたものであることは末尾に記した通りです。
ワグナーピアノという超希少種の出現という、あり得ないことが起こったことに触発されたのか、技術者魂が湧き上がったようにお見受けしました。
平生、プロの世界につきまとうのは趣味と職業を隔てる厳しい線引きであり、何事も金銭的利益になるかどうかで区分されてしまうのを残念なこととは思いながらも、職業なのだから至極当然のことだと納得しています。
それでも、今回のように、ときには素晴らしいピアノのために商売抜きのことでもやってみようじゃないか!という気概と実行力と、専門家としての純粋な興味に突き動かされるという部分をお持ちの方を、やはりマロニエ君は心から尊敬します。

そんなワグナーピアノですが、完成後どうするかについてはまったくのノープランのようで、あれこれ話しをしているうちに、なんと「弾かれるならお貸ししますよ。興味があるなら家に運びましょうか?」という望外のご提案をいただいてびっくり。
お申し出に面食らったのは言うまでもありません。

それを額面通りに受け取っていいものか迷いましたが、あんなピアノをしばらく家で自由に弾けたらいいだろうなあという魅力的なお話には抗し難いものがあり、電話で確認してみるとやはり快諾されるので、ついにはお言葉に甘えて、しばらく我が家で拝借することになりました。
むかしディアパソンがあったときのように、あー、また部屋が2台ピアノになるのか…とも思いましたが、頑張れば置けないこともありません。


実は、白状すると、我ながらまったく呆れ返るような話ですが、このワグナーピアノとほぼ時を同じくして、こちらはこちらである古いピアノを購入しようという企みが進行しており、ほとんど決定に近いところまで話は進んでいたのですが、そんなタイミングでこの降って湧いたようなワグナーピアノ拝借のお話をいただいたのでした。
…で、神経がヘトヘトになるほど悩んだあげく、ワグナーのW600というのは素晴らしいピアノであることに加えて、希少性(イマ風にいうとレア度)という点でもこれに勝るものはなく、マロニエ君が検索した限りでは写真の一枚さえもネット上には出てきません。
まさに幻に近いピアノで、しかもあの美音となれば、今これを逃したら生涯二度とそんなチャンスはないだろうというわけで、その別のピアノは、今回は涙をのんで見送ることになったという裏話まであったのです。

その購入ギリギリまで行っていたピアノはなにかというと、イースタインのB型というアップライトです。
イースタインは1947年に創業された、これまた知る人ぞ知る日本の銘器を製造した東京ピアノ工業という宇都宮に工場があったメーカーで、こちらは広島ワグナーに比べれば、まだいくらかご存じの方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
設計開発には杵淵直都・直知親子、大橋幡岩、斎藤義孝・孝親子、福島琢郎その他日本のピアノ史に今も輝き続ける錚々たるメンバーがその名を連ね、数々の銘器を製造してきました。

なかでもB型は、イースタインのアップライトのフラッグシップモデルで、独特な形状の凝ったフレーム、アップライトにもかかわらず一本張りなど、随所にいい音を追求しようとした大物設計者たちの創意と工夫が盛り込まれているのだとか。
採算性よりも良いピアノを作ろうという理念が優先された凝った設計・製法という、今では夢物語みたいなピアノが昔はチラホラあったようです。
佳き時代だったということもあるでしょうが、それでも、あまりに品質第一・技術重視のせいで、会社としては採算性や営業力が脆弱だったようで、これが祟って1973年に倒産してしまいます。
しかし、その理想のピアノづくりを諦めきれない有志たちが再結集し、倒産から4ヶ月後に自主生産組織としてイースタインの製造は再開されることに。
しかし、そこでも「宣伝よりも品質」という体質はまたも引き継がれて、それが徒となったのか、1990年に二度目の廃業を余儀なくされ、イースタインの灯はついに消えてしまったという、日本のピアノ史を語る上で欠くことのできないピアノメーカーでした。

製造最後の一台は、イースタインの価値を知りつくした某楽器店のたっての希望でそこへ収められることになり、希望モデルはやはりB型だったようですが、最後はそのためのフレームが調達できず、別モデルになったとか。
そのあたりのことは早川茂樹著の『響愁のピアノ イースタインに魅せられて』に詳しく述べられています。

また、近年では、荒川三喜男著の漫画『ピアノのムシ 第1巻』でもこのイースタインは実名で登場し、ここで働いていたひとりの職人が、どうしてもイースタインへの思いが断ち切れず、廃業数年後にとある倉庫で人目を忍んで一台のB型を組み上げていたというような話で、それほどこのメーカーのピアノづくりには特別なものがあったようです。

そんなB型が破格値でひょっこり出てきたものだから、思わず頭に血が上ってしまい、写真などでは、年月相応の感じもあったものの、目に見えるダメージは少なく、ハンマーなどはそれほど弾きこまれた様子もないように思われたこと、さらにそのピアノがあるお宅というのが、とある地方の立派な邸宅で、おそらくそこで使われ、後年は長く放置されていたものだろう…と推察されました。
1960年ごろの2本ペダルモデルなので、伝説的な日本ピアノ界の重鎮がまだご存命だった時期でもあるし、イースタインとしてももっとも脂の乗った時期に生まれたピアノではないか?などと勝手な想像をしながら、すっかりその気になって運送費などを調べていたのでした。

そんなタイミングで、ワグナーピアノが目の前に出現し、その妙なる音色にすっかり骨抜きにされてしまったというわけです。
だったら、ワグナーはお借りするものだし、それはそれとしてイースタインのBの話は予定通り進めるということも不可能ではないかもしれないけれど、我が家にはすでにほかにもピアノがあり、さすがに楽器店じゃあるまいし、そんなに家中ピアノだらけにするのも躊躇われ、そもそも置き場も相当の無理をする必要もあって、今回は苦渋の決断で諦めることになりました。

ピアノというのは、なにをするにもそのサイズ、重量、置き場の問題がつきまとうのは他の楽器に比べて大変なハンディだということを今さらのように感じます。
安くもない運送費しかり、これがフルートやヴァイオリンぐらいのサイズなら、迷わずゲットするところですが。
続きを読む

ワグナーピアノ2

一通り見たあと、おそるおそるキーに触らせていただいたところ、うわっ、なんたる妙なる響き!

既存のピアノでどのメーカーに似ているというような比較ではなく、いい材料(これが現代では大変だけれど)を惜しみなく使い、名人や職人が高い志で、時間と手間ひまを惜しまず真面目に作ったら、こういう格調あるピアノが出来るのだという、一つの事実が具現化され目の前にあるようでした。
今どきのフェイクの要素を多く含んだピアノ風製品とは、まるで目指すところの異なる、本物の世界。

さらに日本のピアノによくある──こう言っては申し訳ないけれど──うるさいだけの側(そば)鳴りでなく、純度の高い音が空間を立体的に飛んでいくのがわかります。
弾いている当人より数メートル離れたほうが、音はむしろはっきりと美しく聞こえるあたりは息を呑むばかりで、これは海外のピアノの一部には見られるものの、日本製ピアノでは個人的にはあまり経験がないので舌を巻きました。

フレームは外観そこブリュートナーを模したよに見えますが、その音は知り得る限りの同時代のブリュートナーよりも、さらに衒いのないピュアなものに感じられ、これはよほどのピアノだという驚きと喜びが終始離れませんでした。

そもそも我々が音として感じるのは、打弦によって出てくる音と、そこから引き継がれていく響きの二つが組み合わさって耳(あるいは五感?)に届いたときに得られる感触でしょうが、このワグナーピアノはそれらがこの上もなく美しく、その音を聴いているだけで心が慰められるようで、こういうものを逸品というのかもしれません。

こんなピアノを日本人が60年も前に作っていたなんて俄には信じられないほどで、もしやこの頃のワグナーが西洋の一流ピアノに最接近していた時期なんじゃないか…。
労せず軽やかに鳴っている(軽い音という意味ではなく)ことは、その場にいた誰もが感じ取ったようで、これは、ただの珍品などではなく、まぎれもない本物の楽器だということを認めないわけにはいかないものでした。

この時点でも調整は半分も終わっていないのだそうで、部品等も注文もされており、完成はまだ先という話でした。
たしかに個別には調整を要するような音も散見できましたが、差し当たりそんなことはどうでもよくなるほど心地よい音で周囲は満たされ、ピアノの音とは、つまりはこういうものなんだろうな…と理屈抜きに伝わって来るようでした。

60歳のピアノだというのに、朗々と鳴るパワーがあり、力まない歌心があり、その上、繊細さや風格も備わっていること、さらには昔のピアノを感じさせるような古さもまったくなく、こんなピアノが存在したことがなぜ語り継がれないのか、不思議でなりませんでした。
それでいうと、とある50年前の定評ある大手のグランドなどは、弦やハンマーが取り替えられてはいても、疲れた響板からくる古さは隠し切れないものがありました。

奥行きが190cmというと、それほど大型のピアノではないけれど、低音は都会の夜みたいに大人っぽい美音で、巻線になるほど安っぽく不甲斐ない音しか出ないピアノとは次元の異なるものでした。
瑞々しい音が広い倉庫じゅうに朗々と、しかも混濁することなく美しく響き渡るあたり、これなら小さな会場であればコンサートにも使えそうで、マロニエ君はお酒のことはわからないけれど、熟成されたヴィンテージのブランデーなど、もしやこういうものだろうか?などと思ったり…。
サイズ的にはスタインウェイのA型クラスですが、できれば同年代のそれと並べてみたいものです。

あの感じをなんと言葉で表現して良いのやら、自分の文章の表現力の拙さが悔しいけれど、ともかくこのワグナーはまぎれもない第一級のピアノであり、かつて日本が(しかも広島という思いがけない土地で)こんなピアノを製造しながら、わずか9年という短命で終わったことに、短い活動期間で夭折してした天才の生涯のようにも感じたり。
広島というと、被爆ピアノのたぐいはよく紹介されるようですが、このワグナーピアノも広島が誇る歴史遺産として語り継いで欲しいものです。

…あまり長居をしても作業のおじゃまだろうと、適当においとましたものの、車に乗っても家に帰り着いても、しばらくは興奮冷めやらずの状態で、ワグナーピアノの美しい音が耳から離れず、この日はその余韻をもてあまし気味に夜遅くまでボーッとしていました。

調律師さんによると、これまでにも価値あるピアノが、値がつかないという理由から、ガラクタ同然に廃棄されたこともずいぶんあったのだそうで、そういうことを聞くとペットの殺処分のような胸の痛みを感じますが、それから考えれば、ともかくもこのワグナーピアノは知人の発見からはじまって、ついには殺処分を免れ、これからもしばらくはその美音を奏でられるだろうと思うと、ひとまず安堵の気持ちで満たされます。

この調律師さんは、専らご自分の満足のためにこの貴重なワグナーピアノを入手され、整備されただけで、流通市場ではどんなに音が良くても、無名のブランドのピアノには値がつかないので、完成した暁には、どこか教会のようなところででも使ってもらったらと考えておられるようでした。
続きを読む

ワグナーピアノ1

4月1日のこのブログに「知られざる逸品」と題して、ワグナーピアノというまさに知る人ぞ知る、日本製の忘れられた銘器があるらしいことを書きました。

少しおさらいすると、WAGNERというブランドのピアノは数種あり、時代ごとに別のメーカーで同名異品が作られ、それがまず私たちを混乱させます。
その中でも真の逸品としてここで採り上げるのは、広島製(東洋楽器製造株式会社)のワグナーのことです。
この広島のワグナーは1955年〜1964年、火災で工場が消失するまでのわずか9年間だけ製造されたらしく、今ではほとんど幻のピアノと言えそうです。

ちなみに広島の東洋楽器は、磐田でAPPOLOを製造する東洋ピアノ製造株式会社とは別の会社で、三浦啓市著の『日本のピアノメーカーとブランド』によれば「…戦前東京でピアノ製造をしていた広田ピアノの技術陣全員を動員提携し、敷地1万坪に建坪650坪、最新の機械設備工場を擁して創業。つまり(略)東京にあった広田ピアノが、広島県で東洋楽器製造吉島工場として復活したことになる。」と記されています。
しかも、東洋ピアノも後にWAGNERの名を冠したピアノを作っているので、紛らわしいことこの上ありません。

で、その広島製ワグナーですが、知人が売り情報として見つけるや、すぐに広島県東部まで新幹線に乗って見に行ったのが事の始まりでした。
あまりにも知られざるブランドであるためか、あるいは中古でも古すぎるものは敬遠する日本人特有のメンタルのせいなのか、これという買い手はつかなかったようで、その後、曲折を経て、マロニエ君が親しくさせていただいているベテランの調律師さんが購入されることになった…というところまで前回書きました。
この調律師さんはホールのスタインウェイなども手がけられる方ですが、なんとご自宅にも同じワグナーをお持ちで、そちらは再生途中で長らく停滞している由ですが、ともかくワグナーの抜きん出た素晴らしさをよくご存じの由で、メーカーを問わず本当に良いピアノとはどういうものかを知悉される方です。

現在も優秀なピアノ技術者さんは多くおられますが、時代とともに世代交代が進み、かつて日本にも数多く存在したいろいろなピアノもあまりご存じない方がかなり増えてしまっているのは事実のようで、昔はよく見かけたアポロやアトラスやベルトーンはもちろん、シュベスターやクロイツェルでも触ったことがないとか、イースタインに至っては主に東日本を中心に販売されていたためか、名前さえ知らないという方もおられるのが実情のようです。
なにぶん実物がないのだから、これも致し方のないことなんでしょうが、かくいうマロニエ君も、ピアノマニアを自認しながら、この広島製ワグナーについては何も知らなかった一人でした。

というわけで、この極めて希少なワグナーのグランドW600(奥行き190cm)が、ついに関門海峡を超えて先月九州にやってきました。
しばらく運送会社の倉庫に置かれたのち、先週いよいよ開梱され調整が始まったというので、その2日目に見学に行かせてもらいました。

実物と対面した第一印象は、60年前のピアノにしては存外状態がよく、フレーム、響板、アクションなどの肝心のところは見たところ少しも荒れていないようで、むしろ外装のほうがやや傷や塗装のヒビなどが見受けられました。
その佇まいには、現代のピアノには望み得ない、えもいわれぬ風格があり、その立ち姿もほっそりスマートな印象。
輸入物のヴィンテージピアノなども大抵そうですが、現代のピアノを見慣れた目には意外に華奢で、線の細い印象を受けることがときどきありますが、今回もまさにそれでした。

カシュー塗装独特の柔らかな黒が、いかにも上品な艶を放っているのは、ほどよく使い込まれた漆器のようで、現代のピアノのあの厚いプラスチックの膜に覆われたような無機質なピカピカとはまるで違います。
スマートな細い足、ボディ側板には下部に装飾的なラインの一段がつけられて一周していたり、譜面台はプレイエルのように細い直線の板が組み合わされたものであったりと、どこを見ても手の込んだものだし、少数手作りの「楽器」であることがいやが上にも滲み出ているあたり、音を聞く前からその雰囲気に引込まれてしまうようでした。

現代のピアノがやたらめったらピカピカなのは、まるで都合の悪い真実をすべて覆い隠しているように見えてしまうマロニエ君ですが、目の前にあるピアノはすべてが真逆で、どれほどのコストや手間をかけてでも良いものを作ろうとした佳き時代の、作り手の純粋な理念と熱意がそのままこのピアノとなって伝わってくるようです。

亀甲型の穴の空いたフレームはブリュートナーを手本にしたものと思われますが、その状態はどうやらオリジナルのようで、ただ年月相応の風合いがそこにあるだけで傷みらしきものがないことは、このピアノが一度も過酷な環境で過ごすことなく今日まで生きてこられたことを静かに物語っているようでした。

そうそう、マロニエ君はこのピアノで初めて見ましたが、3本弦の張り方に特筆すべき特徴がありました。
高音セクションは一本張りで、その次にくる2つのセクションでは、すべて一音あたり3本の弦のうち、2本はヒッチピンでターンして張られ、残りは一本張りという2+1の張り方になっており、要は一つの弦を隣の音と共有させない作りになっています。
さらに次高音以上では独立型のデュープレックス・スケールの駒があるなど、とにかく凝りに凝った作りになっていて、それだけでも見飽きるということがありませんでした。

…つい長くなり、音の印象などは次回へ。
続きを読む