コンクール至上主義の時代に生まれ育った世代は、どんな曲でもクリアに弾きこなす能力があるようで、それ自体は結構なことだと思うけれど、音楽の命ともいうべき「情」が通っていない印象が、どれだけ聴いてみてもやはり払拭できません。
音楽に対する自分の心情や感性を表そうとせず、誰からも嫌われない標準語のような方向で平均化されたものになるのは、この時代やむを得ないと言ってしまえばそれまでですが、そもそも生の音楽でそんな平均化をすることが正義とは思えず、今はそういう環境なのだからしばらくはどうにもならないでしょう。
環境といえば、全体の技術レベルが押し上げられた要因も、環境によるものの効果が大きいと思われます。
まわりがどんどん弾けるようになり、しかも若年化してくると、それは有無をいわさず出来て当たり前の基準になるからで、これは昔の人が書いた字を見ても、ルネッサンスの絵画を見ても、ある程度の環境が醸成されると嫌でも向上するのは世の常でしょう。
低下も同様で、現代人の書く文字の下手さかげんは驚愕すべきものがあり、テレビなどでフリップに字を書くというシーンがありますが、いい世代の人達でも(それが大臣クラスの政治家であれ、なにかの識者であれ)恐ろしいばかりの悪筆で、昔は字が上手い人はそれだけで尊敬され、下手なのは恥だったけれど、今はまったく問題にされないようで、これも環境のなせるわざだと思います。
話を戻します。
技術も音楽作りも、いまは情報がすべてを凌ぐ時代だから、当然の帰結として演奏家が作品から感じるセンシティブなものとか本音なんてものは余計なものとして排除しながら訓練され、規格品みたいな演奏をする人が育てられ、そのスタイルが大手を振っています。
もしかすると、社会もそれ以上のものを求めていないのかもしれませんね。
文化の低下には歯止めがかからず、音楽上の目利きとしての鑑識眼も失われ、興味もこだわりもないから、権威あるコンクールで選ばれた結論だけが情報として送られてくれば、それが人気や集客の根拠となりコンサートの企画をばらまいてビジネスにする…という図式。
ただでさえあらゆるストレスにまみれるこの時代に、ピアノ演奏ひとつを聴くにも、芸術的なそれは望み得ず、世俗的な競争に勝ち抜いたエリートのショーにお付き合いさせられるだけで、普通に音楽や演奏を聴いて心の楽しみとすることもかなり難しくなっているのかも。
ピアニストも生き抜くためには演奏能力だけでなく、時代を常にキャッチし先取りする能力を求められ、企画力や発信力を備えることで大衆を惹きつけるプロデュース能力など、そんな世俗に長けた総合力をもった人だけが生き残れるようです。
誰とは言いませんが、最近ではYouTubeの画面を開いても、数人の同じような顔ばかりがズラリと候補に上がってくるのには正直ウンザリしてしまいますが、ウンザリするほどアピールできているということでもあるでしょうし、この流れは当分終わらないのでしょう。
その仕掛けをするのは、本人なのか、傍にいる人か、企画会社なのかはしらないけれど、TVなどにも頻繁に顔を出せるように手を尽くし、かつ番組の意向に沿ったTV用のふるまいをしっかり心得て、さらには新企画にも果敢に挑戦して常に話題をアップデートする…といった、大衆のニーズに敏感で常に先手を打つように発信していかなくちゃいけないような印象です。
その表れかと思うのは、ライバルでもある同業者同士とのミョー?な仲良しぶり。
あれを単純にほほえましいと見る向きもあるのでしょうが、マロニエ君は見ていてとても不自然で、本当に仲良しならそれは結構なことですが、自分の活動枠を広げるために誰からも足を引っ張られないようあまねく友好的にふるまっているような、したたかな戦略のように見えてしまいます。
これも今風の知恵なのかもしれないけれど、どうも打算的なシナリオがあるようにしか見えず、なにもかもが裏がありそうで甚だ気持ち悪いわけです。
ほんらい同業者というのは(良し悪しの問題ではなく)どちらかろいえば不仲なもので、ライバルであるのに、あまりにもみんながニコニコ仲良しです!仲間です!みたいな感じにされると、そこだけ真に受けるほどこちらもウブでもないので逆にシラケます。
だいたい、真の芸術を追い求める者同士というのは宿命的に妥協しがたいものがあるはずですが、ビジネスの同業者であれば利害のために仲良しの演技ぐらい容易いことなのかも。
そんな大手広告会社の敏腕社員みたいなスタンスの人の演奏なんて、それだけで聴きたいとは思いませんが、こういうことをグチグチ言うこと自体がもう古いんだと一刀両断されるのかもしれません。
先日もあるピアニストが大コンクールで好成績を勝ち取ったばかりだというのに、その余韻も冷めやらぬうちから「次は指揮の勉強を開始する」のだそうで、すでにこの人の知名度でオーケストラまで作って社長に就任しているというのにはのけぞりました。
どこぞのIT企業のCEOばりの、けたたましいテンポと多角経営ぶりを「すばらしい能力と向上心」とみるのか、自分の能力を札びらを切るように乱用する「いやらしさ」と見るかは人それぞれだろうと思います。
要は音楽も、芸術文化のジャンルから芸能ビジネスの世界にシフトしているのは間違いないと思います。
でも、マロニエ君はやっぱり俗世間に疎いような天才が、ひとたび演奏行為になるととてつもないものを持っていて尋常ならざるものを発揮する、あるいはそんな天才級の人じゃなくても、演奏に最善を尽くし音楽にひたすら奉仕するような、そんな人の演奏が聴きたいのです。
これはきっと死ぬまで変わらないと思います。
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