拘束カード

ひとつ前に書いた「複数の技術者とのお付き合い」を阻む要因はいくつかありそうです。
これは以前にも触れたことがあるので、重複する内容になるかもしれませんが、その点はご容赦願います。

世の中には、ただの習慣に過ぎないことを変えられない人というのが意外に多く、現在の技術者さんにむやみに義理立てして、多少の不満があってもその人と添い遂げんばかりにお付き合いを続けられ、別の技術者さんに依頼することをまるで人道にもとる裏切りのごとく思っておられる人がいらっしゃいます。
えっ?…最良の関係を作って添い遂げるべきは、弾き手とピアノのほうであって、技術者さんはそれを補佐する役目では。

それも驚くのは、これぞという技術を見込んでのことではなく、たまたまピアノを買った時に楽器店から来られていらいの付き合いであるとか、だれそれさんの紹介であるとかで、それを変えるのは失礼に当たる!からからできない、みたいな感覚らしいのです。

じゃあ、あなたはどんなヤブ医者でも「失礼だから」という理由で、他の病院に行くことを拒み、本来の健康を後回しにしてもいいのですか?と聞きたくなります。
自分の身体は自分で守らなくてはいけないように、自分のピアノのコンディションもまったく同様の筈です。

それができない縛りのひとつに、あの忌まわしい「調律カード」があるのでは?
あれがあるばかりに、技術者さんもピアノの蓋を開けるなり、それを真っ先に確認する人も少なくなく、もちろんいつ頃、だれが整備したかということを知る手がかりになることは否定しませんが、ピアノのコンディションを中心に考えた場合、本当に有効な手がかりになっているとは思えません。

プロたるものそんなものを見なくても、目の前にあるピアノの現状を把握し、何をすべきか適確な判断を下し、より良い状態にするのが仕事なのですから、仕事内容としてはほとんど関係ないと思います。

むしろ技術者さんが自分はこれだけ継続してやったんだという記録であり、別の技術車さんにとっては前にどんな人が来ていたのかという好奇心を満たすための記録であり、べつに細かい作業内容が記されているわけでもないのだから、技術的にそれが役に立つことはまずないとしか思えず、マロニエ君はあんなものはまやかしだと思っています。

もし役に立っているとすれば、定期調律に行っている技術者さんにとって、あのカードがあることで自分以外の技術者が入ってくる危険を阻止する効果があり、そこに別の人の名前が入れば、お客さんの「裏切り」を知ることになってしまう。
そんな気まずいことは避けたいから、技術者さんは変えられない、変える以上は現在の方とは完全に縁を切る覚悟でなくてはならないような深刻な問題になり、そうなると優しい日本人は「これまでお世話になったんだから…」というような気になって、よほどのことがない限り、ほぼ半永久的なお付き合いが決まってしまいます。

せいぜいが、ピアノをあまり弾かなくなって、それを理由に調律から遠のくことが唯一の別離のチャンスとなるぐらい。
こんな精神的な縛りがあるなんて、なんだか、バカバカしいと思いませんか?

そんなものをなくすためには、あの「調律カード」を引き抜いて、代わりに自分でノートなどに記録し、もしカードは?と聞かれたら「あれは要りません」とアッサリいえばいいのでは?
まれに同サイズで自分の「調律カード」を作って持っている人もいますが、それもお店のポイントカードを断るように、サラッと「要りません」といえばそれで済む話です。
もう少し勇気があれば「他の方に頼むことがあるかもしれないので、無いほうがいいんです」といえば、きっと技術者さんは内心少し驚いて、これは手を抜いたら自分も切られるかもしれないと、頑張ってくださるかもしれませんよ。

前も書いたと思いますが、あんなものがあるのは国産ピアノだけで、輸入ピアノにはありません。
表向きピアノのための記録ということになっているようですが、秘められた真の理由は、記入により定期調律を怠らせないようにするためと、他の技術車に乗り換えさせないための、どちらにしろ拘束カードだと思います。
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技術者の差

技術者さんの腕の差というのは、純粋な技術の巧拙のことはもちろんですが、それをどう用い、どう活かす人であるかによって結果は大いに違ってくるもの。ピアノは音だけでなくこまごましたことまで一人の方にお願いしなくてはならないこともあり、単純に判断するのは難しいところがあると思います。

高い技術を持っている人でも、自身の判断であれこれ省略してしまう方から、やれるだけのことは精一杯やるという誠実タイプまで、いろいろいらっしゃいます。
また技術はそこそこでも、アイデア精神が旺盛で、しっかり考えて解決に導く方、自分のやり方に固執する割には大した結果の上がらない方、常識的な時間内で目覚ましいばかりに仕上げる方など、本当に十人十色だと思います。

マロニエ君が思うに、もちろん高い技術は必要なことは当然としても、それだけでは充分ともいえず、あとは応用力や問題解決のための方策の引き出しをたくさん持っている方、それらを一言で言うなら、やはり誠実で柔らかい考えの持ち主であることとセンスの問題、これに尽きると思うのです。

例えば、ある人はペダルからの異音に悩まれ、それが何度技術者さんに訴えても原因の特定が難しく、芳しい結果が上がらぬまま、ほぼお手上げというところで終わり、ながらくそのまま我慢しながら使わざるを得なかったとか。
整調調律整音にかけてはとても上手い人で、かなりの自信家でしたが…。
しかし、そのピアノだけを弾くしかない持ち主にしてみれば、弾くたびにベダルの雑音が気に障って仕方がない。

そこで、別の技術車さんを呼ばれることになりました。
というのも、何度やっても解決できない人は、発想や方法に限界があるから、これまでの繰り返しで解決は見込めないと思ったからです。
で、別の技術者さんを紹介しました。

こちらはとにかく真面目一筋な仕事をされ、性格的にも非常におだやかなお人柄。
結果はというと、なんとこの方は初回訪問で見事にそのペダルの異音を直してしまわれたのです。その原因は具体的になるので書きませんが、固定観念にとらわれない静かな原因究明の成果だろうと思います。

音に関しては先の技術者さんにはやや敵わないようですが、ピアノ技術というのは総合的なものでもあるので、こういうケースを見ると技術者さんのチョイスというのも決して簡単ではないことがわかります。

また、あるグランドピアノは子供が触る環境にあるため、時に鍵をかけておく必要もあるのですが、鍵をまわしても、なぜかフックの先があらぬところに微妙に干渉して、どうしてもカギをかけることが出来ません。
これも技術者さんに幾度かお願いしたものの、ピアノのカギ部分はボデイに完璧に面一で埋め込まれているために調整する幅がありません。よって解決は「無理ですね」という宣告を受けて終わりました。

しかしどうしても鍵をする必要に迫られ、別のボディの修復などをやっておられる技術者さんに相談して来ていただくと、前屋根の鍵穴が付いている木の棒をネジを緩めて外し、再び組み付けますが、これをやると完璧には前と同じ位置にはならないのだとか、
しかし前框にあるパーツの方は完全固定で動かしようがないので、どうなるのかと思ったら、今度は前屋根と大屋根をつなぐロングヒンジを凝視し始め、そこでわかったことは経年変化により、その長い棒状の金属部分と屋根の位置が微妙にズレてきていることを発見。

それらを外して、ほんの僅かではあるけれどきれいに調整して組み付けると、これら2つの作業により、鍵は見事に使えるようになりめでたく解決の運びとなったのです。
1980年代のピアノであるために、微妙な経年変化でこういうことはままあるのだそうで、こういうことは適確な原因究明と処置なくして解決はあり得ず、やはりそれぞれの得意分野というか、これは経験や性格などを含む奥の深い問題だとも思いました。

もちろんピアノ技術者さんは、第一には音でありタッチであり、そのピアノの最大限の良さを引き出して弾く人の喜びを満たし、楽器の健康を保つことが最大使命ではありますが、でも、それだけでも困ることも実際はあるというわけです。
ピアノに限りませんが、できない人は経験に乏しく、やわらかい発想力がない、そのためにピントのズレたことでいじりまわして、時間はかかって物は痛み、芳しからざる結果にしか至りません。

マロニエ君としては、技術車さんは、お一人に義理立てしいても何もいいことはないということで、何人かの技術者さんと同時並行的に上手にお付き合いされることをオススメします。
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軽薄の代償

マロニエ君が福岡市在住であることは折りに触れ書いてきました。

国内の住みたい街ランキングみたいなものでは、いつもそこそこ上位に選ばれ、人口増加率に至っては全国1位だそうで、暮らすには良い街だと思いますが、マロニエ君にとっての不満は、小さくてもいいから深いもののあるピアノ専門店が知る限りないこと。
そういう店がないというのは、そういう文化的風土がないということでもあります。

それは、いま始まったことではなく、昔からピアノ店に関しては不毛の地というか、慢性的に恵まれない街でしたし、今後も好転することは…ないでしょうね。
以前は駅前にヤマハの立派なビルがあって、地下にはホールや練習室があり1階ショールームにはヤマハの全機種が揃うなど、それなりの活況を呈していたのですが、数年前に姿を消してしまいました。
さらに市内一番の繁華街にも、マロニエ君が子供の頃からなじみのあったヤマハの中核店舗がありましたが、こちらもビルそのものの建て替えとなり、福岡シンフォニーホールのあるビルの地下に移転してしまい、いらいすっかり足が遠のきました。

カワイは、市内中心部から車で30分ほどのところに郊外型の店舗があり、今もいちおう大半の機種の展示と併設サロンがありますが、わざわざ車を飛ばしてまで行く理由もなく、要するにそういうものだけなのです。
あとは一応スタインウェイの正規代理店というのもあるにはあり、近年は島村楽器のクラシック店というピアノ専門店舗がヤフオクドーム近くのマークイズ内にオープンしていましたが、コロナの影響か、気がついたときには別の楽器の展示場に変わってしまっていました。

ベヒシュタインなどの旧ユーロピアノ系列のピアノを扱う店も以前はあったのですが、気がつけば郊外へ引っ越し、しだいに内容も変質、これ以外にもピアノ専門店というのが点在はしているけれど、いずれも共通しているのは売れ筋である国産量産品に絞った商品構成で、その中古ピアノを主力商品とする店がいくつかある程度。
店主が職人気質で、音や調整にこだわり、マニア心を満たすようなディープな店はおよそ見当たりません。

つまり、ここでマロニエ君がイメージしているピアノ店というのは、技術中心で職人さんがいつも調整や仕上げを黙々とやっているような、できればちょっとした工房も併設されたような、派手ではないけど技術で勝負をかけているようなピアノ店のこと。

以下は妄想。
マロニエ君のイメージするピアノ店というのは、繁華街の真っ只中ではなく、街の中心からわずかに外れた場所に静かに佇んでいて、表に車が数台止められて、まずもって落ち着いた大人の雰囲気。
そして、ピアノ教室の影などがチラチラしないこと。
店主もしくは店の技術者さんは、信念と謙虚さをもってピアノを修理や調整をやっていて、そこにあるピアノは美しく磨き上げられ、キチンと手が入れられており、輸入ピアノとか普段目にしない珍しいメーカーのピアノなどが、技術者の愛情と管理のもとで整備され、新しいオーナーを静かに焦らず待っている。
店内には静謐な空気が流れ、木と膠の混ざったような臭いがたちこめて、技術者もしくは店番のような方が、静かに近づいてくる。
はじめは控えめだが、しだいに緊張がほぐれ、徐々にではあるけれどもその技術者もしくは店のスタンスやこだわりのポイントなどが伝わってくる。

半ば無理解を承知でやっているようなストイシズムがその店の質と良心をいよいよ際立たせている。
…と、こんな店がひとつでもあればいいのですが、どう探してもないものはない。

福岡というのは明るいけれど軽さが好きで、真面目に努力や忍耐を重ねて一つの道を極めるといったことに重きをおく空気が悲しいまでに希薄です。
それが持ち味でもあり、歴史はとてつもなく古いけれど、古すぎてそれを証拠立てる重厚な歴史遺産や観光名所のたぐいもほとんどありません。
唯一の世界遺産は、沖ノ島という余人が近づくことさえできないの遠く離れた島ぐらいで、県民でも自分の目で見たことのある人はほとんどいないでしょう。

楽しく飲み食いして、おしゃべりをして、陽気にほどほどの暮らしをするというDNAがあり、そのせいか芸能関係者などは多数輩出しているけれど、芸術家やひとかどの政治家、学者など真っ当な大物となると、答えに窮するほどいなくなります。
元総理にして財務大臣もあの方ですからね…。
ホールもしかり。それなりものもは数えればいくつもあるし、大相撲や博多座の歌舞伎や演劇などもあるといえばあるけれど、どれも風格に乏しく、落ち着いた文化の香りに身を浸せるようなところは…あるとは言い難いのです。

なので普段暮らすにはいいけれど、いざ本物を求めたい場合は期待できません。
そのかわり、空港は近いというか市内にあって、例えば東京便は下手なバスより便数が多いぐらいだから飛行機に飛び乗るほうが手っ取り早い。
これはピアノ店にかぎらず、真摯で深いものの根付かない福岡という土地柄ゆえの問題とも思うので、その点では他の地区が羨ましいことも少なくなく、遠くへ出掛けた折にはできるだけその地域のピアノ店を覗いてみたくなるという体質ができてしまったように思います。
とはいえ、このコロナ禍ではそれもできなくなって久しいですけれど。
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悪魔

このところ、コロナが吹っ飛ぶほどのニュースといえば、いうまでもなくロシア軍によるウクライナ侵攻ですね。
現在進行形のこのニュースは、私達の常識をはるかに飛び越えるもので、まさに悪魔の所業としかいいようがありません。

どれだけの人々が地獄の苦しみを味わおうが、歴史ある街を破壊しようがお構いなしで、一切譲歩しないその姿勢は、人間とはここまで残虐になれるものかという究極のケースを見せられる思いです。
同時代に生きる者として目を背けてはいけないのでしょうけれど、ニュースを見るのも体力が要り、しんどくて、ときどき消してしまいます。

適切な言葉はみつからないけれど、シンプルに言っても胸が悪くなり、猛烈に気分が悪い。

もちろん、現地の人達は気分が悪いどころではなく、自分達の国が大国の泥靴で踏み荒らされ、街は武力で破壊され、命の危険にさらされているわけですが。

武力で攻め込んだ上に、これでもかこれでもかと過酷な要求を突き付けながら、インフラを破壊し、市井の人々を容赦なく苦しめ殺害も厭わぬやり方は、凶悪犯罪どころではない異次元の歴史的な非道行為。
プの言い分は、ウクライナ政府がナチでありロシア人を迫害から救済しているのだそうで笑止千万、もう自分が何を言って何をやっているかもわかっていないのか。

ロシアでも反戦デモなどが頻発しているようですが、少しでも批判や反戦を声にしようものなら、容赦なく拘束される。
マスコミも規制の前では報道をやめざるを得ない。
外国企業はなだれを打ってロシアでの業務を取りやめているし、株は暴落ですでに紙切れ同然、通貨も下落し銀行も破綻、国際的な信用どころではないというのに、なにをもってそこまで残虐非道なことをするのか、これは後々必ず知りたいこと。

そんな中で唯一輝くのは、戦力や物量では圧倒的に劣るウクライナ側の勇猛果敢な戦いっぷりで、あのロシア軍を相手に予想に反して望外の抵抗を示せていること。
欧米は武器や物資の援助のみならず、グリーンベレーなどの旧軍人エリートによる戦略家などを派遣してるようで、ウクライナ軍の善戦ぶりにプもかなりイラついているらしいのはせめてもの救い。
それはまったく結構なことだけれど、そのぶん現場では若いロシア兵士が落命していることも事実。
さらに、その焦り故にまさかの核兵器使用につながらないよう祈るのみ。

いすれにしろ、ウクライナは言うに及ばず、ロシアの国民も大変な被害者であることは間違いありません。
ウクライナが片付けば、プはバルト三国にまで手を広げるという見立てもあり、まずは世界の知恵と勇気を総動員して、なんとかこの狂気を食い止めてほしいものです。
そうでなくては、この惨禍は地球規模に波及して、あんな人間ひとりのために、この先世界はどうなるのか…。

ここでけじめをつけないと、ハイ、次は中国による台湾および東シナ海侵攻なんてことになったら…。

そんな中、YouTubeで驚愕しました。
なんと、ロシア出身の天才ピアニスト、キーシンがこの蛮行を痛烈に非難。
最後は「血に飢えた犯罪者」と結んでいます。

https://www.youtube.com/watch?v=gZx8nLr51JA
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ハンマーの重さ

いつだったか、あるピアノ好きの方との話の中で、ハンマーや弦の交換についての話題で盛り上がりました。
とはいえ互いに技術者ではないため、拙い体験談等を述べ合ったにすぎませんが、自分でも話をしながら、苦い体験の記憶が断片的に蘇りました。

実はそれよりももっと前、ある修復専門家の方と話をしていたら、ハンマーの交換で最も注意すべきは、一にも二にも「重量」であると力説されたことがあります。
もちろんハンマーのメーカーや品質、取り付けるピアノの個性に合ったものをチョイスすることも大切だけれど、まずもってハンマーの重さがオリジナルと揃っていないことには始まらないのだそうで、ここが最も基本中の基本とのことでした。

そこさえ外さなければあとはどうにでも…とまでは言われなかったけれど、主意としては、概ねそう取れなくはないニュアンスでした。
逆に、そこを見誤ってオリジナルよりも重いハンマーを付けてしまったら、タッチはたちまち重く沈み、楽器としてのバランスを損なう深刻な事態を招く由。

その方はレストアにかけては屈指のスペシャリストなので、古今東西のあらゆるピアノを数えきれないほど手がけてこられているだけに、非常に重みのある言葉でしたが、同時に、聞きながら背中にじんわりと寒いものが走りました。

これにはマロニエ君も苦い経験があって、大昔ではないけれど、過去にあるピアノの弦とハンマーその他の交換を懇意にしていた技術者さんに依頼したことがありました。
その際、マロニエ君は整音に関する本を読んだことから、一般にあまり知られていない某社のハンマーを付けて欲しいと希望しました。
このハンマーは、強い熱を加えずプレスされる柔らかめのハンマーで、羊毛もいいものを使っているというので、今どきのカチカチのハンマーが叩き出すキツい音が嫌なので、すでに日本での取扱店も調べてあったし、ぜひこれを取り付けたい旨をお願いしました。

ところがその技術者さんは断じてNo!で、「自分が一度も使ったことのない未知のハンマーをいきなりお客さんのピアノにつけることはできません!」と一蹴され、その意志はたいそう固く、とりつく島もないという感じでした。
技術者としての良心と責任意識から、そんな冒険はできないというのが主な言い分でした。

冒険も何も、ピアノの持主が自分の意志でこのハンマーにして欲しいと言っているのだから、もし失敗であってもそれはこちらの責任であるのだから、シンプルにそうしてくれればいいのにと思うのですが、技術者というのは妙なところで面倒くさいもの。

頑として拒絶の考えである以上、無理強いするわけにもいかず、結局こちらも折れてよくあるドイツのハンマーを使うことになりましたが、注文はいうまでもなく技術者さんがされ、それを取り付けられました。
ところが、タッチがやけに重くなり、それは何をどうしても調整では解決せず、やがて重すぎるハンマーに起因した症状というのが浮かび上がってきたのには、さすがに深い落胆を覚えました。
自分の希望を諦め、ドイツ製ハンマーに応じたのは、ある種の安全策のためだったのに…。

技術者さんもハンマーの重さに原因があることは認識されていたようなので、「どうしてこのハンマーにされたんですか?」と聞いたら、「これしかなかったから!」と事も無げに言われた時の驚きといったらありませんでした。
上記の「未知のハンマーをいきなりお客さんのピアノにつけることはできない!」という技術者としての強い責任意識のアピールと、このいささか杜撰なハンマーのチョイスの仕方は、どうしても噛み合わないものでした。

解決のために出来ることといえば、鍵盤に鉛を追加するか、新しいハンマーを軽くなるまで削るか、より軽いハンマーへ再交換するか、というようなところまで追い込まれました。
普通は鉛調整をするのかもしれませんが、そのピアノはシングルスプリングのアクションだったので、それでなくても俊敏性がやや劣るところへ、さらに鉛を追加すればますます鈍くなる懸念があり、かといってせっかくの新品ハンマーを削って小さくしてしまうというのも抵抗があり、まして再び別の新品ハンマーに交換というのは費用的にも気持的にもできないから、悩んだ末に採った手段は、ウイペンをダブルスプリング式に全交換するというものでした。

…。
それでも、結果は期待するレベルには至らず、ついには別の高名な技術者さんに見て頂くまでに発展しましたが、問題は他にもあったらしく(具体的なことは控えますが)そういう部分は素人にはわかりません。
おかげでかなり挽回はできたけれど、それでも根本的なものは尚残り、ついに完全解決には至りませんでした。
まさに「ボタンの掛け違え」の言葉のとおり、はじめの一歩を誤ってしまうと、あとからどんなに小細工を重ねてもダメだという、いい教訓になりました。

そのピアノは別の理由で手放すことになりましたが、思い返せば冒頭の修復専門家の方がおっしゃる言葉そのままの経験をしていたというわけです。

もう過ぎた話で、いい経験と勉強をさせてもらったと思っています。
ハンマー交換は重さに対する注意が最重要であること、これは決して忘れません。

追記;ここ最近、ときどきネットで目にしますが、古いNYスタインウェイでオーバーホール済みのものの中に、マロニエ君がはじめに希望していた某社のハンマーが付けられているものが何台かありました。
商品説明にもそのことが触れられており、とても良質なハンマーであると記されています。それを見るにつけ、もしあのときこれを付けていたら、どんなものになっていただろうかと今でも思ったりします。
もちろん、適正な重さを踏まえての話ですが。
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