続・知名度がすべて

前回の続きをもう少し。
国内の小規模の良心的なピアノメーカーが、適切な評価も与えら得ぬまま消滅してしまったことは、残念というような言葉では足りません。
その無念さの中には、日本のピアノをとりまく無理解への恨みも滲んでいるかもしれません。

ピアノビジネスにかつてのような隆盛が二度と来ないであろうことは、もちろんわかっています。
しかし、一部の伝統工芸が辛うじて生きながらえている程度に、その命脈はかすかに保たれるべきではなかったかと思うのです。

いかなる分野でも、小規模でも良い物が生み出されて、一定の支持者のもとに届けられるということさえ立ちいかなくなるのは、市場にも大きな責任があります。大手の製品でなければ二束三文、場合によっては処分料を求めるなど、こういう扱いを受けてはマイナーメーカーの生きる道はないでしょう。
市場原理に沿った結果というのは容易いけれど、認めるべき立場の人達の大半が、大手の側についたということも見逃せません。

司馬遼太郎の小説などにたまに出てくる、「間口は狭いが、堅実な商いをやっている老舗」というような描写がありますが、こういう小規模でもしっかりしたものが立行かない世の中というのは、個人的に好まないし、強大な大国的なものしか生き残れないという息苦しさを感じます。

有名メーカーの表面だけ滑稽なほどピカピカした、音の出る家具か電気製品みたいなものがほしい人はそれでいいけれど、そういうものを好まない価値観を持った人達へのささやかな門戸さえ次々に閉ざされ、選択の余地さえないというのは、これこそ文化的貧しさの証ではないかと思います。

すでに何度も言ってきたことですが、ピアノの特殊性は、他の楽器に例を見ないほど重厚長大で、ゆえに持ち運びができないという決定的な宿命を背負っていることで、このことがまず弾く人と楽器の関係を引き離し、関心をも奪った要因ではないかと思います。
いつも自分の愛器と一緒にいいられる弦や管の人達の、楽器によせる愛着やこだわりに比べると、ピアノを弾く人にとってのピアノとは、それはもう無残なものです。

「もしもピアノが弾けたなら」ではないけれど「もしもピアノが持ち運べたら」、やはりピアノを弾く人も楽器へのこだわりは必然的に高まることは日を見るよりも明らかです。

数ある器楽奏者の中で、ピアニストだけがいつも身体一つで移動して、行き先にあるピアノを是非もなく使ってベストを尽くさなければいけないのは、考えてみれば異様なことですよね。
まずこれが、自分のピアノにこだわってみても無意味と考えるようになる、はじめの第一歩だろうと思います。

さらに、ピアノは楽器の中でも、機械としての要素、工業製品としての側面が大きいから、ここがまた大手の作るものに信頼が集まりやすく、そういう要素のことごとくが大手にとって幸運だった気がします。
ピアノにかぎらず、人間の身体よりも大きいモノというのは、えてしてそういう傾向があるのかもしれません。
これは、どこか車にも似ており、大手メーカーの生産なら安心だけど、もし名も知らぬ小さな町工場が気の利いた車を作ったとしても、それが認められ支持されることは甚だ難しいと思いますが、それとどこか似ているように思います。

それでも、普通なら優れたものは、時間がかかったとしてもやがて少しずつでも認められ、価値が出てくるのが普通ですが、ピアノに関してはまるでそういう空気がなく、これほどまで徹底して日本における手作りピアノが衰退(というか消滅ですね)するというのは、日本人の西洋音楽に対する、本質的なところの限界をも感じます。
できるのは、せいぜいスポーツの覇者になるように鍛錬し、海外コンクールで上位入賞を果たすところまでで、音楽を自分の実生活に溶け込ませ共存させることは、おそらくこの先もできない。
すなわち西洋のクラシック音楽を自然な楽しみとして受け入れることが、どうしてもできない。

少量手作りというのは、日本人にとってはどこの馬の骨ともしれない、下手をすれば失敗や後悔の可能性が高いものとしてしか捉えられないのでしょうし、なにしろ人と同じマークのついた定評のあるものを好む民族ですから、流れに反してでも自分だけの価値を見出すなんてことは最も体質に合わないことなのかもしれません。
文化芸術の一番の栄養は、「これは素晴らしいという気づき」にあると思うのですが、それは時として大勢に逆らうことでもあり、川の流れに背を向けることは、審美眼と信念と気骨が要りますからね

よって日本には楽器としてのピアノ文化は育たないと思うのですが、その一方で、ショパン・コンクールのステージには4社あるピアノメーカーのうちの2つが日本製というのは、このトリックはなんなのかと思います。
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知名度がすべて

先日、日本の某手作りをピアノを愛用されている知人の方から、いろいろと情報満載のメールをいただきました。

固有名詞や具体的なことは避けますが、ついに日本国内で、良質の材料を使った手作りピアノはほぼ絶滅したということが書かれており、いまさらですがフッとため息です。いつかは購買層の世代も変わり、価値あるものが一定程度見直され、わずかでも立ち上がる時が来ればと思っていましたが、ピアノというのはとりわけ評価や再発見が難しいものかもしれません。
一部の専門家や好事家は別として、一般的には…。

なぜこんなことになったのか、専門家に言わせればいろいろな要因を並べ立てるのかもしれませんが、マロニエ君が個人的に感じるのは、日本人の右へ倣えの民族性と、日本のピアノ音楽教育の常識が大元になっているのではないかということ。

日本は当たり前ですが、西洋音楽の伝統がないまま、文化の模倣として始めた国。
それも明治からと云いたいところですが、本格始動したのは戦後の復興期からでしょう。
大戦前からピアノを触っていたような人は、一握りの特別な人達であって、多くは戦後の高度経済成長とともに、子供にもピアノという文化を身につけさせようという機運の高まりによって、日本独特のピアノ文化が花開きます。
そこで注目すべきは、ベルトコンベアにのせた大量生産方式で作られた国産ピアノが、そのブームの中心であり標準機として使われたこと。

その波にあやかるべく、日本には信じられないほど夥しい数の大小ピアノメーカーがあったようですが、無論それらのすべてが良質ピアノだったとは到底いえません。
中には時流に乗って一儲けしてやろうという動機から、音楽もろくにわからない人達の手によって製造されたピアノもたくさんあったでしょうし、当然劣悪な品質のものもあったはずです。

そんな中、未知の階段を駆け上がるように、初めてピアノを買うとなれば品質や音色の判断力などあるはずもなく、多くの場合はピアノという夢を買うことだけで一大事だったと思います。
当時、ピアノが大量生産品か、クラフトマンシップによって生み出される名品かなど、考えた人は一般にほとんどいなかったと思われますが、ではそれが過去の話かといえばそうでもなく、現代においても、半世紀前と大差ない状況のように思います。

これといった根拠もないまま、大手の有名メーカーだけが信頼できるもので、その他多くは二級三級扱いという構図が知らず知らずの間に出来上がります。いや、そういう認識が意図的に作られたのかもしれません。
くわえて、大手は力にものいわせて全国津々浦々まで販売店を配置、さらには音楽教室まで展開し、その先生たちも師弟関係を装った準営業マンみたいなものだから、これらが覇権を握り、中小は品質如何にかかわらず淘汰されるのは必然だったでしょう。

つまり、日本では、ピアノといえば欧米では考えられなかった大量生産品が標準であり、ピアノの優劣に対する感性がほとんど育たなかったという背景があると思うのです。
これは楽器の優劣を考えることさえ、情報が遮断されていたも同然かもしれません。

いいものとは大手の作る大衆品で、音や響きの優劣を探ろうとも考えようともせず、ほとんど思考停止状態で、ひたすらブランド名だけがものをいう世界。
これでは、小規模生産の良品など出る幕がありません。

どんなに誠実な良品であろうとも、まるで見向きもされないという不条理。
これでは、志ある製作者たちもやってられないという絶望感に打ちひしがれたことと思います。

どんなに良心的な商売をやろうにも、巨大ショッピングモールには敵わないという、あの感じですね。
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泣けました

YouTubeをあれこれやっていると、アレクセイ・ゴルラッチがベヒシュタインでショパンを弾いている動画がいくつかありました。

スケルツォの2番、ベルスーズ、いくつかのマズルカなどでしたが、これがすばらしかった。
隅々までこまやかな神経が行きわたった品位のある美しい演奏であることに、嬉しい驚きをもって、思わず聴き惚れてしまいました。
ショパン演奏として趣味がよく、磨きぬかれた適切なタッチ、丁寧な語り、しかも、準備された台本通りという感じもなく、表情や語りかけなど今そこで紡ぎ出される音楽の息遣いがあって、久々に好ましいものを聴いたように思いました。

ショパンコンクールで聴くいろいろな演奏は見事だけれども、どうにも素直に気持ちが乗っていけないものが常に払拭できずにいましたが、マロニエ君はこういうショパンが好きだということを、あらためて確認できました。
よく準備されているけれども、このピアニストの持ったもの、感じたことが素直に投映されたものであり、本音を排して決められた計画通りに演奏されるショパンとは、根本的に意味の違う本物の語りが聴かれました。

ひとつひとつの音形が必然的に響き合い、ごく自然に現れては、さまよい、逡巡し、解決され、また次の山を迎えるいくさま、そのどれもにかすかな吐息のような感情の息遣いが常に息づいており、それが聴く者の心を深いところで慰め、現れ、悲しみを共感するようです。
さらに大切な点は、演奏者が細部のちょっとした間合いや緩急などに、奏者がそのように感じ、非常に大事に取り扱っている点などが、聴いているこちらが伝わり、なにかを受け取ったように気持ちになれるところが音楽を聴く上でのキモではないかと思います。

これは、少しでも踏み外すと崩壊しそうなところが、ギリギリで掬い取られてそうならずに保たれて、危うい緊張感の中から細い穴を通り抜けてくるように伝わってくるところなどで、いやはや感心しました。

また、ベヒシュタインによるショパンというのもさほどピンとくるものはなかったのですが、あらためて聴いてみると、なかなか悪くないと思いました。低音がやや素朴すぎるように感じない時もありましたが、概ね好ましく思いました。
特に次高音あたりの美しい音色と一音一音が可憐に語りかけるような特性が、ショパンに意外に相性がいいことにも気づきました。
それで思い出しましたが、いつだったかドビュッシーの本に書かれていましたで、ベヒシュタインとプレイエルは、アーキテクチャーが繋がっている、意外な血縁関係にもあるということで、ああ、なるほど、そういうことかと思いました。

むろんなによりもゴルラッチの演奏が素晴らしいわけですが、それがこのベヒシュタインが下から支え、どちらかというとベートーヴェン的な演奏の多いスケルツォ2番が、これほど繊細で物悲しく、深い憂いをもって耳に入ってくるのは、たぶん初めて聴いたような気がしました。
こんな表現は他のピアノでは出せないものかもしれないし、ずっと聴いていると耳も馴染んできて、気がついたときにはベヒシュタインが軽やかに歌うフランスピアノのように聴こえてくるのですから、人間の耳とは不思議なものです。

この人は、あまり聴いたことはなかっただけに、こんなにも素晴らしい面を持った人だったのかと思いつつ、たしかむかし浜松コンクールで優勝した人だったと思ってウィキベディアを見てみると、なんと…彼もウクライナのキーウ出身とあり、先にウクライナ出身の音楽家のことを書いたばかりだったので、なにかに打たれたような気分でした。

いまや、ポーランドでさえコンクール仕様のニュアンスを失った正確一本のショパンが横行する中、こんな好ましいショパンを効かせてくれるピアニストがいて、もしやあの戦火の中のウクライナに今もいるのかと思うと、いやが上にもショパン自身の運命とも重なるようで、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
ウクライナの男性は子どもと高齢者を除くと、国外にも出られないようだし、出られてもウクライナに生を受けた人間の多くは祖国を離れるようなことはないのだろうから、彼はどうしているんだろうと無性に思います。

この演奏は2017年にベルリンで行われたようですが、その繊細な美しさと悲しみ、ときに慟哭に満ち、あたかも今のウクライナを予見した静かな叫びとそのものように聴こえてきて、思わず涙を誘いました。
さらには、このような繊細な感受性に満ちた磨きぬかれたタッチによる演奏なら、ショパンが聴いても満足するのではないか?という気がします。泣けました
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響板の掃除

グランドピアノの響板の掃除はどのようにやっておられますか?
…というか、そもそもあんなややこしい部分を掃除しようと思われる方じたい、ほとんどおられないかもしれませんが。

難しい掃除の中でも、グランドピアノの響板はかなり高難度なもののひとつじゃないかと思います。
掃除といっても、ホコリ取りがせいぜいですが、そのせいぜい程度でもなかなかできません。
なにしろ響板の上には、巷間いわれるごとく230本もの弦がびっしり張られ、しかも一部は交差までしているから、一見しただけでも、その下を掃除するなどほとんど不可能に思えます。

そのせいか、ホコリや汚れがたまるに任せて、いっさい手付かずとなり、極端な場合はそれが何十年にもおよんで響板が灰色のじゅうたんのようになっているような状態のピアノもあれば、音量の問題からか、カバーを被せて大屋根を一切開けない、したがって汚れることもあまりないというような方もおいでのようです。
マロニエ君としてはそのいずれも好まずで、ほどほどに開けるときは開けたいし、響板の掃除も簡単に出来るならしたいというのが正直なところですが、その方法となるとこれぞという方法がなかなかありません。

そのためのアイデア商品のたぐいも、まったくないこともないようで、知人が購入されたというのがT字型の専用器具で、これを弦の間から差し込み、それを動かす(おそらく引いたり回したり)ことでホコリをとっていくというものらしい。
調律師さんにもこれと似たようなものをお持ちの方がおられて、少しやっていただいたこともあり、そのうちこういうのを入手して時間をかけてやるしかないか…と思っていました。

ところが、人それぞれで、別の調律師さんはまったく違った器具をお持ちでした。
ビョンビョンとたわむ弾力のある薄い金属の細い棒で、先端に布を巻き付け「私はこういうのでやりますけど…」といわれて、見るなりこれだと!と思い、さっそく注文していただくことになりました。

すぐに手配してくださり、持ってきていただいたので、まずは使ってみることに。
先のほうに細長い穴があいており、おそらくここにやわらかい布などを通して使うのだろうと思われます。
はじめはホコリも多いだろうからと、フローリング用のドライシートを使ってみることにし、そのシートを穴にくぐらせますが、それが万一まずい場所で外れることを恐れてホッチキスでとめてから、作業をはじめました。
グランドの場合、後部の低音側は、比較的響板と弦の隙間の大きい部分があるので、ここらから差し込んで作業を進めますが、これはかなり効果的なようで、適当に前後左右に動かしてみると、シートには思った以上のゴミやホコリを付着させて戻ってきます。

しかし問題もあり、このクニャクニャ棒は幅が1cm強、長さが61cmほどで、後部から差し込んでも長さが足りず、とくに高音側ではどうしても到達できないエリアがあるのです。
とはいえ問題は長さだけなので、これはなんとか長さを継ぎ足すなどして工夫が出来るかもしれません。

本来は乾いた化学雑巾のたぐいを使うのが良さそうなので、長さ問題が解決したら、より本格的にやってみたいと思案中です。

調律師さんの中には100円ショップの掃除具のいろいろを自分なりに組み合わせて、独自の響板ホコリ取りにするなど、要するにアイデア次第なんだなと思います。

あとは考えただけでも疲れそうなのが、チューニングピンまわりの掃除。
ピンがあり、弦が巻かれ、それらがびっしり並んでいるので、ハタキや掃除機をかけたところでうわべのホコリが取れるだけで細かいところは綺麗にならず、あそこは綿棒かなにかで根気よくやるしかないのかもしれません。

尤もこんなことを考えるのは、きっと日本人だけかもしれません。
海外のピアノのお掃除事情がどうなのかまったく知りませんが、カメラの入る大物ピアニストの演奏会であっても、ステージのピアノは信じられないほど手垢だらけだったりで、目立つところだけでも少しぐらい拭けばよさそうなものを…と思うことがありますが、このあたりは国民性なのか、日本人のほうがおかしいのか。

その日本は、すでにじゅうぶんピカピカのピアノを、開演直前には技術者らしき人が最後の最後までネルの布のようなもので磨き上げるなど、これはこれで却ってやり過ぎでどうかと思います。
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ウクライナの音楽家

ロシアによるウクライナ侵攻から3ヶ月を過ぎました。

当初はわずか数日で首都キーウを楽々と制圧し、ゼレンスキー政権を倒すつもりだったようですが、蓋を開けてみればウクライナ軍の抵抗は凄まじく、先進諸外国のサポートも予想外のもので、プ大統領も、こんなことになるなんて夢にも思っていなかったようです。
あの物事をすべて恐怖と武力で片付けようというロシアなんぞ、まともな話し合いが通じる相手ではなく、武力は武力を持って押し返されることが一番こたえるでしょうが、現場で意に沿わない戦闘行為をさせられるロシア兵も気の毒です。

とはいえ、ウクライナが各都市で破壊されたむごたらしい傷跡は正視するのもしんどいほどで、日々届けられる瓦礫の山と地獄絵図は目を覆うばかり。わかっているはずの戦争の恐ろしさを、改めて生々しく目に焼き付けられます。

さて、これまで、ただ一括りにロシアだと思っていたものが、実はウクライナの人や物だということがいろいろわかり、この悲惨な状況の中で、新たに覚えたことも少なくないように思います。
ソ連時代から有名な飛行機のアントノフも、中国に転売された空母「遼寧」も、有名なロシア料理とされていたボルシチもウクライナだったり。

ここはピアノと音楽に関するブログなので、音楽家に限っていうと、漠然と(しかし疑いもなく)ロシア人だと思っていた人がそうでないことも次々にわかり、とりわけウクライナには音楽史に残る大巨匠が綺羅星のごとく多いことに、驚愕させられます。

▶ウラディーミル・ホロヴィッツ、▶ダヴィッド・オイストラフ、▶スヴャトスラフ・リヒテル、▶エミール・ギレリスなど、いずれも並大抵の存在ではない超大物がウクライナの生まれであることは、いまこの状況の中で知ると本当に驚かされます。

そういえば、ホロヴィッツがウクライナ生まれというのは文字で見た覚えがありましたが、オイストラフ、リヒテル、ギレリスと続くともはや唖然とするしかなく、「ウソでしょ!」の世界になってしまいます。
そういえばリヒテルの有名なライブ録音に「オデッサリサイタル」というのがありますが、ああそれも祖国での演奏会だったのか…と今ごろ思ったり。
…で、ちょっと調べてみると、
古いところでは、伝説のピアニスト▶パハマンもウクライナ出身。
また日本でのピアノ教育に多大な貢献をした▶レオ・シロタ、ピアノ教育といえばロシアピニズムの祖のひとりである▶ゲンリヒ・ネイガウス(ブーニンのおじいさん)、古い世代は演奏会にも行ったと聞くヴァイオリンの▶エルマン、レコードも多い▶ナタン・ミルシテイン、おなじみの▶アイザック・スターン、オイストラフ以来の大物と称された▶レオニード・コーガン。

ピアニストに戻ると、テクニシャンで有名な▶シモン・バレル、また101才と長寿で、東京のカザルスホールの柿落しでカザルスゆかりのピアニストとして90歳目前で来日し、その素晴らしさで衝撃を与えた▶ミエチスラフ・ホルショフスキーもウクライナの出身。

また、現代でも人気の作曲家兼ピアニストだった▶ニコライ・カプースチン、作曲家といえば、ロマン派の音楽にスラヴ的な暗い情熱を流しこんだような▶セルゲイ・ボルトエヴィツキもウクライナ・ハリコフの人でした。

日本での録音も多数ある、しっかりした打鍵で揺るぎない演奏を聴かせる▶セルゲイ・エデルマン、またモスクワのグネーシン音楽院(キーシンやアブデーエワを輩出した名門校)の卒業演奏でバッハのゴルトベルク変奏曲を弾いて注目を集め、その後CDも発売された▶コンスタンチン・リフシッツは、現在も来日を繰り返しているピアニスト。

ざっと簡単に調べただけでもこれだけザラザラと出てきて、しかも、そのどれもが世界級の大物ばかりで、その次点レベルの人を含めると、途方もない数に及ぶはずで、人口が日本の1/3ぐらいなのに、これだけの傑物が出るとはただただ驚くのみ。

ロシアという大国は音楽やバレエでも凄みを見せつけてきましたが、その内情を知れば、いかにウクライナなどの周辺国の力もあったんだなぁという気がします(むかしキエフ・バレエというのにも行ったことがあります)。
聞くところでは、かつての共産主義陣営は、西側に対してそのイデオロギーの優位性を示す手段のひとつとして、芸術面においても猛烈に注力して結果はご存知の通りですが、これだけ濃密な関係にあった同じ民族同士が、21世紀の今、むごたらしい破壊と殺戮を繰り広げているとは、その現実の前になかなか認識が追いつきません。
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