イタリアのBECHSTEIN

インターネットのおかげで、こんなブログを海外で読んでくださる奇特な方がおられて、ときどきメールのやり取りがあったりします。

今回はイタリアにお住まいのTさんのお話。
ひと月ほど前に他所からローマへ引っ越しされたそうで、以前からエラールやプレイエルについてもいろいろな現地情報を聞かせていただいていました。
Tさんは、メールから受ける印象では良い音/本物の音のわかる方で、いまやコスパNo.1として世界中に行き渡っている日本製の大量生産ピアノにはご興味がなく、熟練の職人が相応しい材料を使って作り上げた、佳き時代の奥深いものをもったピアノに惹かれておられるようです。

ただ、ピアノは引っ越しの際の足枷となるので、これまではレンタルピアノなどを利用しておられたようですが、このたびいよいよ購入を検討されるとのことで、今回、そのご相談も兼ねてメールをいただきました。

当たりをつけておられたのは古いベヒシュタインのグランドで、正確な製造年はまだはっきりとはわからないようですが、20世紀初頭に作られたもののようで、写真を見た感じはどうやらCのようで、奥行きは220cm(あるいはそれ以上)ぐらいではないかと思われます。

さて、数枚送ってくださった写真を見る限り、ほどよく使い込まれた感じを残した好ましいもので、第一印象として素晴らしい!と思いました。
私見ですが、いくら佳き時代のものといっても、あまりにボロボロで汚いものはさすがに気が滅入って嫌ですが、かといって古いピアノにこれでもかというリニューアルが施され、隅々まで新品のようにビカビカに仕上げられたものはきれいではあるけれども、なんとなく胡散臭さみたいなものが漂い、ある種の下品さを感じてしまいますが、価格はべらぼうに高いし、いずれにしろ好みではありません。

その点、このベヒシュタインはまことにちょうどいい感じに見えました。現物はイタリアのとある地方にあるのだそうで、近いうちに見に行かれるご予定とのこと。
フレームの穴の周りには大仏様の頭のようにイボイボがあって風格満点、響板も状態は良好とのことだそうです。
所有者とやりとりされているということなので、個人売買なのかもしれませんが、そのお値段はなんと、4500€だそうで、現在のレート換算しても約65万円ぐらい。
何かの間違いでは?!と思うほどで、もし日本ならゼロがひとつ違っても不思議じゃないと思われ、ともかくも驚きました。

もちろん、現物を見て、触って、音を聴いてみなくてはわからないけれど、いずれにしろ信じられないようなお値段であることに間違いないでしょう。
このピアノが特別なのか、ヨーロッパの古いピアノの相場とはそんなものなのか、そのあたりはわかりませんが、日本の中古ピアノ(とくにグランドや輸入物)というのは、なぜあんなに高いのかと思います。

つい先日、夜7時のNHKニュースの後の番組でやっていましたが、現在日本国内の不動産価格は世界から見ると驚くばかりに安いのだそうで、「まるでバーゲンセールのように海外から買われている」と少し警告的な調子で言っていましたが、ピアノは逆のようで、なにがどうなっているのか…まるでわかりません。

そもそも価値ある古いピアノの適正価格がどれぐらいのものかわからないけれど、このベヒシュタインが約65万円というのは、Tさんも「信じられない値段」と言われており、これがヴァイオリンぐらいのサイズならなんとか金策して、買って送っていただきたいぐらいです。

現物の写真です。上手い具合にTさんのお手許にやってくるよう祈っています。

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いいじゃないですか

マロニエ君の好まない言葉のひとつに、突如会話の中に振り下ろされてくるあれ…「まあ、いいじゃないですか」というのがあります。
これほど無粋で、会話意欲を喪失させ、座の雰囲気を一瞬でシラケさせる言葉も珍しく、この言葉には広義の破壊力があります。

この言葉が出るタイミングは、大抵は無邪気に人物評などをやっている時ですが、そもそも話しについていけない人、もしくは興味のない人が、さも自分が寛大で広い心の持ち主であるかのようにアピールする、ちょうどいいチャンスとでも思うのでしょうか。
人間の問題や出来事に関心を持つというのは大切なことで、それは雑談の体裁をとりながら分析的要素も含んでおり、頭脳や感性をトータルに働かす訓練になるばかりか、己への戒めや正しい認識を確認する大事な機会でもあります。
その内側には、非常に微妙な学習要素を含んでおり、いうなれば、雑談しながら自分の良識と感性を正しく調律するようなもの。

これをいう人は、まずたいてい神経のキメが荒く、自分は正しいつもりでご満悦の様子です。
あたかも慈悲に満ちた神父のお説教のような響きが充溢して、その場違いな言葉はあたりにお寒く響き渡ります。

最近は「上から目線」という言葉がよく使われますが、この「まあ、いいじゃないですか」もその代表格で、相手に対して恥をかかせる言葉でもあるため、私自身は絶対にこれは口にしてはいけない言葉だと思っています。

そもそもこれをいう人が出発からボタンを掛け違えているのは、細かいことに目くじらを立て、欠席裁判でもやっているかのように勘違いしていることです。
そしてディスカッションの習慣もなければ、そこに価値を見出さない人。

仮にある人が、非常に馬鹿げた高額な買い物を、店員やその他の口車に乗ってしてしまったとします。
いうまでもなく、自分のお金の使い途は勝手であるし、突き詰めれば自分の判断であるし、人に迷惑をかけない限り自由なことぐらい先刻承知も大前提で、そんなことはわかりきった上での話をしているわけです。

しかし、その自由の中に、各人の思想や価値観や心理など、考察してみるに値する要素が凝縮されて詰まっており、そこを考える材料とし、論じることは興味深く、またへんな啓発本など読むより、よほど実践的で勉強にもなることですが、そういうときに、こういう会話の真髄が汲み取れず、安易にくだらぬことと決めつける御仁は、今とばかりに高所から「まあ、いいじゃないですか」という伝家の宝刀を抜くわけです。

それを押し切ってまで話を続ける気もありませんが、同時にその発言者がこのときほど愚鈍(かつ失礼)に見えることもありません。
しかも本人は、その場を上手にリセットし、自身は寛容な人格と良識の持ち主であることをアピールできたとしてご満悦。

実は、これは長年感じてきたことですが、たまたま読んでいる小説にも類似のことが書かれており、思わず我が意を得たりという気分になって、その部分に栞を挟んで繰り返し読みました。

それは、夏目漱石の『野分』という小説に書かれており、神経衰弱で有名だった漱石も、幾度となくそういう不快な瞬間を体験してストレスを感じたのだろうと思われました。
「人にわが不平を訴へんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把な慰謝を与えらるるのは快くないものだ。我が不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞に気の毒がるのか分からない。──略──相手はなぜかう感情が粗大だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先へ持って来て、ざああと水を懸けるのが中野君の例である。」

さすがは漱石先生、「ざああと水を懸ける」とはまさにその通りだと感服しました。
しかも、その「ざああと水を懸ける」人は、だいたいいつも同じ人なんですよね。
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3人のベテラン

最近聴いたピアニストの中で、その名声にかかわらずあまり感心できなかったお三人の印象。
近頃はできるだけマイナスなことを書くのはよそうと心がけていますが、これだけはどうしても書いておきたいと思って、敢えてキーボードに向かってみることにしました。

▲マレイ・ペライアのショパン(CD5枚組)
以前買って、聴いて、好みじゃないから、ずっと棚の隅にしまっていたのを何気なく引っ張りだしてみたもの。
内容はざっというと、2つの協奏曲、2番/3番のソナタ、バラード全曲、op.10/25のエチュード全曲、4つの即興曲、舟歌、幻想曲、その他ワルツやマズルカなど。
これほど迷いなく観光用絵ハガキみたいに弾かれたショパンという点で首尾一貫しており、ちょっと他では聴けない。
まるでお値段だけやけに張る、内容よりパッケージに凝ったお菓子の詰め合わせのようで、デパートの贈答品売り場の空虚な世界に連れ込まれたよう。
ショパン独特の美意識も、憂いも、陰影も、洗練も、詩情も、気高さも、なにひとつ受け取ることのないまま、ひたすらに、つやつやしたきれいな音粒の羅列が終始続くのみ。
まるで電子ピアノの自動演奏機能のスイッチを入れたようなショパン。

これほど「きれい」にすればするだけ「真の美しさ」からは後退していくという見本のようで、がんばって5枚聴き通したけれど、もうこの先聴くことはないだろう。バッハでさえ同様の印象だったことを思い出す。
彼の最も好ましい演奏は、若い頃に残した、イギリス室内管弦楽団とのモーツァルトのピアノ協奏曲全集だけで、あれ以外のCDはいつ消えても構わない。

▲バリー・ダグラス(NHK-BS 2022年5月東京)
シューベルトの即興曲D899からc-moll/チャイコフスキーの四季より6月と10月、ムソルグスキー「展覧会の絵」。
ずいぶん昔チャイコフスキー・コンクールに優勝した人で、音楽家にはないタイプのハンサムなんだろうけれど、肝心の演奏にコンサート・ピアニストとしての華がない人。
冒頭インタビューで思ったほど老けてはいなかったこととは意外だったけれど、第一曲のシューベルトからして、やはりこの人らしいというか、あれこれの言葉を探すのが面倒なので一言で終わらせてしまうなら、にぶく垢抜けない演奏。
その点では、チャイコフスキーのほうがさほどこれを感じずに済むが、それは作品の性格のせいと思われる。
後半は「展覧会の絵で、まったく個人的な趣味だけれど、演奏会のメインプログラムにこの曲をデンと据えるようなピアニストがそもそも好みではなく、なにもかもがセンスが合わない。
それにこの人は、チャイコフスキー・コンクール優勝後に演奏開始したころから、この曲や四季を弾いていたようで、あれから40年近く経つとういうのに、新しい境地は開けなかったのか?かと思ったり。
実は、この大曲を聴くのは苦手なので、今回もこれは視聴を遠慮した。

▲マウリツィオ・ポリーニ ベートーヴェン最後の3つのソナタ(2019年ヘラクレスザール)
ポリーニを初来日時から熱狂とともに聞いてきた世代からすると、虚しいばかりの演奏だった。
彼が演奏を本格始動させた1970年代、ペトルーシュカやショパンのエチュードのレコードで世界のピアノ界は激震が走った。なにしろその驚愕の技巧とギリシャ彫刻のような演奏は「完璧」の名のもと、有無を言わさず聴くものをなぎ倒した。とくに実際のコンサートで接する演奏は、レコード以上に燃焼感の加わった圧倒的なもので、大ホールに鳴り渡るピアノ一台とは思えぬ充実した音響の洪水、それを成し遂げたあとの汗みずくの様子など、ピアニストなのか剣闘士なのかわからない、ヒーローそのものだった。
そんなポリーニがわずかな衰えを見せ始めたのは、アバドとベートーヴェンの協奏曲全曲を録音した頃だったと記憶する。
もちろん人はだれでも歳を取るのだから、それ自体は自然なことだが、彼の場合、歳をとり技巧は衰える対価として、より深まった味わいとか芳醇さといったものが出てくることがなく、その解釈はあくまでも若いエネルギーを前提とした70〜80年代そのままで、ただ身体と技巧の衰えばかりが目立ってしまうのがやるせない。いつまでも若いころと同じファッションを身に纏うと、より老いが際だってしまうように。
せっかく後期のソナタを弾いても、これらの作品が内包する精神性の世界へ引き込まれることがなく、ただがむしゃらに、ピアニスティックに、そして若い頃よりももっと咳込んだように前へ前へと、強引に(ときに粗雑に)突き進むばかりで、まるで中期のソナタのように聴こえた。
この人は、この歳になって、いま何を見ているのだろう?

パッセージはろれつが回らず、音は分離が悪く、ペダルは混濁し、気が急くのか必要な間もとらずあちらこちらで暴走気味。
正確無比というポリーニのイメージにはあるまじき、非常に粗雑で荒れた演奏になってしまっているのは、聴いている側の気が滅入ってくるようだ。
それでも時折、ポリーニ独特の重厚にしてクリアな響きが蘇って往時を偲ばせる瞬間もあるにはあったことは付け加えておきたい。

会場は彼の録音の大半が行われてきた、お気に入りのヘラクレスザール、ピアノはファブリーニ、…なんだけど、そんなに無理して若ぶらなくてもというような、バイデン大統領にも感じるけれど老いを隠そうとすると、よけいに老いが目立つものだと思った。
そんなポリーニを視覚で象徴するもの、それは昔は椅子の脚を切り落とすほど着座位置が低かったのに、今はお気に入りらしい赤ラインの入ったランザーニの椅子を、ずいぶん高く上げて演奏しており、これもどうにもしっくりこない。
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ニセモノ

みなさんもよくご存じと思いますが、最近のネットは過去の検索履歴などから、相手の興味の対象と判断された情報や商品が、勝手にどんどん送りつけられてきます。
ヤフオクなども同様で、検索したジャンルはただちに足跡として残るようで、類似の情報などがメールで続々と届きます。

マロニエ君の場合、当然のようにピアノがあり、それらを集めたおしらせメールが届くもののろくに見ませんが、たまたまタイトルにドイツの知る人ぞ知る老舗メーカー名が目に止まり、そのアップライトピアノが、ちょっと信じ難いような低価格で出品されていました。
具体的な名前や金額は避けたほうがいいと思われるので書きませんが、市場価格のおそらく5〜6分の1だろうという強烈な安値で、ちょっとした電子ピアノ並みのお値段です。
さっそく、ピアノマニアのAさんにLINEしたら、「そのピアノはついこの前まで、現在より4倍近い値段で出品されていた」という返信が。

写真によると木目仕上げで、それも日本のピアノではまず目にしないような大振りな柄の木目で、いかにも外国産の外皮という感じであったし、さらに驚いたことには出品地は隣県という偶然も重なり、俄に心がざわつきはじめました。
しかもその価格は「即決」となっているので、誰かがポチッとやればそれで終了というもの。

価格的にはどうにもならない金額ではないけれど、マロニエ君の自宅はグランドなら無理をすればなんとかなるものの、アップライトピアノというのはそのぶんの「壁スペース」がどうしても必要となり、それらはすでにびっしりと本棚やCDの棚で埋め尽くされているため、その点がどうにもならないのです。
スペースさえあれば部屋の中ほどに置けばなんとかなるグランドと違い、アップライトというのはどうしても壁に寄せる必要があり、逆に置き場に困るという一面をもっています。

Aさんに「買いませんか?」とは言ってみるものの、すでにご実家を含めてマニアックなピアノ3台持ちなので、さすがにこれ以上というわけにもいかないだろうし、互いに気になるといったやり取りをしつつ、その日は終わりになりました。

一夜明け、まずは写真をPCに落とし、拡大してにらめっこが続きました。
その結果、疑問に思える点がいくつか挙がりました。
まずはフレーム。弦が交差する三角州のところにあるエンブレムには、その老舗メーカーのロゴが入ってはいるものの、いかにも取って付けたような感じであることと、そのエンブレムの形状や文字などのデザイン/作りが見るからに雑で、こんなものをこの老舗メーカーが作るだろうか?ということ。
また高音側にもそのメーカー名の立体文字があるにはあるけれど、ネットで見るそのメーカーのフレームには、より小型のアップライトでさえ、もっと長い正式名称が恭しく並んでいますが、ヤフオクの方はやけにシンプルに社名のみ。

さらに、オークションの商品説明では、製造年が書かれておらず、どれぐらい経過したピアノであるかもまったくわからない。
なにより不信感を抱いたのは、鍵盤蓋にあるロゴマークが、新旧問わずこれまで見たこともないフォントで風格がまるでない。
ネットで見る同社のピアノは、小型のものでもさすがはドイツ製という凛としたクオリティが感じられるのに対し、このピアノはどことなくユルッとした感じも気になりました。

車で行けない距離ではないので、もし落札されなかったらとりあえず見に行ってみることも考えていましたが、細かい点検をしているうちに少しずつ興奮が冷めていくのがはっきり自覚できました。

ついに終了時間が過ぎましたが、結果的に入札はありませんでした。
商品説明の欄に問い合わせ用の電話番号が書いてあったのも珍しく、ものは試しで電話してみると、対応に出た方は素朴な感じで、現物確認には快く応じてくれましたが、先方は田舎のリサイクルショップだそうで、それですべての合点が行きました。
当然ながらピアノの知識は気持ちいいくらいゼロで、見知らぬメーカーのピアノを抱え込んで持て余しているといった様子でした。

「ヤマハの調律師さんを呼んだことがありますが、よくわからないと言われました」などと、この商品に対して、ぜひ売ろうと言う意気込みが薄いというか、どうせ売れないだろうという諦め気分が話し方に出ていました。
もしこちらが本気で買うとなれば、値引き交渉などもずいぶん可能性のありそうな感じでしたが、いかんせん、ピアノそのものへの疑念が出てしまったために、この話そのものがお流れとなりました。

半分残念、半分ホッとしたといったところで、もしこれが名前通りのピアノであったなら、これまたややこしいことになるわけで、幸いそうならずに済んだわけですが、こんな老舗メーカーの名を語る偽物があるとしたら、これはこれで由々しき問題だと思います。
骨董の鑑定家なども言われることですが、細部の点検も大事だけれども、まずは全体から受ける雰囲気に違和感や疑問を感じたときはやめたほうがいいのだそうで、そこにあれこれ理由をつけて自分を納得させても、結局は失敗に終わるのだそうです。

とはいえ、ちょっと面白い体験でしたし、勉強にもなりました。
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YouTubeサマサマ-2

「飛行機事故は連続する」といったジンクスがあようで、そんな大げさなものじゃないけれど、物事って往々にしてそういうきらいがあるようです。

CDの復活から、わずか2日後のこと。
いつも使っている乾燥機から、ギュルギュルという聞き慣れない、あきらかに普通ではない音が出はじめるや、安全装置があるのか、ほどなくストンと自動停止してしまいました。
洗濯物の入れ過ぎかと思い半分ほどの量に減らしてもダメ、最後はカラにしても症状はまったく変わらず、すぐに自動停止してしまいます。
何事か?と、いろいろ見ていると乾燥機の下部に貼られた注意書きに「火災の恐れが…」という文言が目に入り、ビビってそれ以上動かすのをやめました。

乾燥機はただでさえ高温になるので、万一を考えて、留守中など人がいないときは回さないようにしています。
それにしても、乾燥機が使えないとなると、我が家では洗濯物を外に干す習慣がないので「これは困ったことになったな…」と思いました。

YouTubeのおかげでCD修理が自分でできたことに喜んでいたタイミングでもあり、同様に乾燥機の型番を入れて検索すると、やはり該当の修理動画というのがあり、ありがたいことだと思いました。
背面パネルというのがあって、それを外すと中のファンがむきだしになるようで、その中央にあるプラスチックワッシャーの破断と、ファンを駆動する5mm径丸ベルトの交換が主な修理箇所というのがわかり、Amazonとヤフオクでさっそく注文。
さらには「必ず必要になります」というアドバイスに従いホームセンターで機械用グリスというのを買って来ました。

パーツの到着までに数日かかりましたが、その間、洗濯機にある「乾燥機能」で乗り切るしかないようですが、実はこれまで一度も使ったことがなくて初めて使いましたが、これがもう最悪のシロモノでした。
乾くことは乾くけど時間はかかるし、乾燥機のようにクルクル回さないのか、シワくちゃのままで靴下やタオル等ならまだしも、それ以外のものでは使えたものじゃなく、乾燥機のふっくら仕上げとは雲泥の差です。
だいたい、多機能というのはろくなことはないし、洗濯と乾燥というの「濡らす」と「乾かす」はまるで逆で、これを一台で済ませようというのがどだい無理だと思いますし、機械通に言わせると、機能はできるだけシンプルにしたほうが性能もよく故障も少なく、万一の場合も修理がしやすい。多機能タイプはひとつひとつの機能は中途半端で妥協的、おまけに機能の一つでも壊れると修理や買い替えの対象となって、一見便利なようで実はいいことはないと言います。

ようやく部品が揃い、スタンドから乾燥機本体を二人がかりで床におろして作業を始めますが、数年分のホコリ等を除去すべく、ハンディクリーナーを横にスタンバイさせての作業です。
ずいぶんな数のネジを片っ端から緩めてようやく背面パネルを本体から取り外し、その5mm径丸ベルトをプーリーから外すと、新品にくらべてずいぶん伸びており、これがトラブルの原因だったようです。
プラスチックワッシャーは対策されたのか、金属製に変わっており問題ないようでした。

また、このベルトが回転中、他に干渉しないよう当たる分厚いフェルトも、ピアノの弦溝のように擦り減って凹んでおり、当たる場所を変えて付け直すなどして、いよいよ電源を入れて試運転してみると、問題なく動き出しました。
仕上げに掃除&グリスアップなどを可能な限りやって、背面パネルを取り付けて再度試運転したら、問題のギュルギュル音は消え去って、まったく正常に動き出しました。

こちらは、ベルトやグリスなど合計でも2000円未満。
この歳まで機械ものの修理などやったことがなかったので、立て続けに2つの修理を終えたことは自分としては感無量で、おもわず「為せば成る為さねばならぬ何事も…」という言葉が何度も去来しました。

このふたつを、普通に買い替えていたら、どう安く見積もっても10万円を軽くオーバーする出費となっていたのは間違いなく、修理依頼したとしても、煩わしい上に、買い替えと悩むぐらいの修理代となったでしょうから、どの角度から見てもえらく得をした気分でした。
のみならず、これまで壊れたということでしぶしぶ買い換えていた家電類は、今回のように、ほとんどの部分はまだ充分使える状態であるにもかかわらず、ほんの微々たる一部の不具合によって丸ごと打ち捨てられていたのかと思うと、いかに現代が経済中心の社会とはいえ、無駄にもほどがあるということを身をもって感じました。

これを書きながら、ハッともう一つ修理していたことを思い出しました。
2年ほど前、テレビのBDレコーダーが使えなくなり新品に買い換えたものの、症状は、背後にある小さな扇風機みたいなものからジージーと異音がしはじめて、やがて録画も再生もできなくなったので、これが原因か?とネットで見てみたら、その小さな「扇風機」らしきものが補修用としてヤフオクにズラリと並んでおり、平均して2000円ほどでした。
新しいBDレコーダーは買ったことでもあり、ダメモトでこのパーツを買って、やはり分解してこれを付け替えたところウソのように元通りになり、レコーダーが丸々一台浮いた形になったので、こちらは自室で使うようになりました。
故障によって録り溜めしていた多くの番組が、一気に失われて悲痛な気分になっていましたが、これもすべて蘇りました。
けっきょく一台増えたことになり、今も元気に動いてくれています。

こういうことを経験してみると、資源を無駄にしてでもモノが売れてほしいのか、叫ばれる地球環境が大事なのか、もうわけがわかりません。
みなさんも家電が故障したら、まずはYouTubeで修理方法を見てみることをおすすめします。
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YouTubeサマサマ

ピアノネタではないのですが、メカがまるでダメのマロニエ君にとっては極めて異例なことながら、CDプレーヤーの修理のようなことをやってみたので、ちょっとそのお話。

某所で使っているヤマハのアンプ内蔵式CDコンポ。
購入して15年以上になるもので、このところCDの読み込みが不安定になり、ついには「動かなくなりました」ということ。
試してみると、何度やってもウンウン言いながらディスクを認識せず、あきらかに故障でした。

決して高級品ではないけれど、中ぐらいのものだったので、同等品に買い換えるにはそれなりの出費となるし(すでにヤマハはもうこの手は作っていないらしい)、個人的に使うものならあれこれの代替案もあるものの、これを使っている場所はそうもいかないので、どうしてもこのような普通のものでないと困ります。

まずはメーカーに修理依頼することを考えましたが、サービス受付の電話番号をしらべたり、修理依頼にも直ぐにじは人と話ができない疲れる電話システムや都合のすり合わせなど、要するに手間と時間のかか手順が待っているし、おまけに結果如何にかかわらず出張費用などが発生したり、物を送らないといけなかったり、それらを考えただけでもウンザリ。
しかも年代物となるとさんざん待たされたあげく「パーツがなく修理できません」とか、もしくは新品に買い換えたほうがいいような高額な修理見積もりとなる可能性もあり、それを思うと気が進みませんでした。

ならばメーカーではなく、オーディオ専門店に修理依頼してはどうかと思いネットで調べてみると、いくつか受け付けてくれそうなショップはあるにはあるものの、これがメーカー以上に怪しげな雰囲気。
とりわけ目についたのは、専門店ということで、やたら高そうな機器の写真ばかりがズラリだったり。

ダメモトで一件だけ電話してみると、いかにも専門家ぶったズケズケした話し方で、たたみかけるように「まず、型番を教えてください」と言った具合で、しかも修理代金は1万円からのスタートで、故障内容によってだいたい数万になることもあります!と、やや圧迫的な響きがあって、予めそれぐらいかかる覚悟をしておくように…といわんばかりの態度でした。
その話し方だけでも御免被りたいし、最低料金で済むことはまずないだろうと思われ、それでも修理依頼する気にはなれませんでした。

その上、「これってクリーナー用のディスクは試されましたぁ?」「いいえ」「まず、それやってくだい!それで治ることもありますから、まずそれやってからですね」と、やることをやなさい。それでダメだった時に修理のことを考えるのが順序だよと言わんばかりで、まったく先方のペースで…ここはボツ。

そこでアッと思いついたのがYouTubeで、機器の型番を入れて「CDを読み込まない」という文言で検索すると、さまざまな修理の様子がアップされており、しかもわかったことは、多くの場合、CD情報を読み込むピックアップレンズというのを、ただ磨くだけで回復するというケースが多数ありました。
それでダメな場合には、レンズそのものを交換するなど、次の手段になるようでした。

というわけで、何度か動画を見て、慣れないドライバーを引っ張りだして、おそるおそる分解してみることに。
カバーが外れると、中は思ったより空洞で、底にある基盤はホコリだらけ。
問題のピックアップレンズには上部のカバーなどがじゃまで、なかなかそこへ到達できないし、それ以上分解したら元に戻す自信がないので、カバーの横から綿棒を突っ込んでちょこちょこ動かしていたら、何度かやっているうち薄茶色のホコリの塊のようなものが先端に引っかかってきてびっくり。
さらにレンズのあたりを繰り返し綿棒で動かしていると、やがて綿棒に汚れがつかないようになり、そこで試しに電源を入れてCDを挿入してみると、これまでの不調はウソみたいにスムーズになり、やすらかにディスクを認識、何事もなかったように再生するようになりました。

これだけで修理完了とはさすがに思いませんが、さしあたり自分でできるのはこれぐらいと思って、バラしたパーツを注意深く元に戻してスピーカーにつなぐと、問題なくディスクは再生され、左右のスピーカーから当たり前に音が出て「ヤッター!」となりました。
最低料金1万円どころか、使ったのはドライバーと綿棒の4〜5本だけ。

これまでなら、なんとなく寿命だろうと考えて買い替えになったところですが、故障の原因は、さしあたり長年の使用でたまったレンズの汚れだけで、それさえ取り除けばまだしばらくは使えそうでした。
こんな微々たることで危うく新しいセットを購入するなど冗談じゃないし、こんな些細な事から世の中の裏側を見てしまったようです。
まさにYouTubeサマサマでした。
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