最近は、以前に比べるとCD購入ペースもがっくり落ちましたが、最近少し買ってみたものから。
ペトロネル・マランという南アフリカ出身のピアニストが弾く、チャイコフスキーの歌曲集(ピアノ編曲版)で、レーベルはドイツのヘンスラーで、さすがというべきか録音が良く、クリアなのにパワーと迫力を兼ね備えて聴きやすい!というのが印象的でした。
クラシックの録音には、様々な専門的理由があるらしく、やけに音が小さめで陰気な音しかしない、聴いていてぜんぜん楽しくもないものがときどきあります。
この手は、どんなにボリュームを上げてもダメで、まるで覇気がなく、その音楽や演奏を楽しむ気分まですっかり削がれてしまいます。
その点で、このCDは演奏が目の前でリアルに広がってくるようで、まずこれだけで「いいCDだなぁ」という印象。
ペトロネル・マランという人は、これまで私にとって顔も名前も知らないピアニストでしたが、ネットで調べてみるとすでにヘンスラーから何枚ものディスクが出ているあたり、それなりの実力者なのだろうと思います。
南アフリカでも幼少の頃からオーケストラ共演するなど才能があった人のようで、現在はアメリカを主な活躍の場としている人の由。
表紙の写真を見ると、お顔に対して驚くばかりの大きな手で(羨ましい!)、ピアニストになることを運命づけられてきた人なのかもしれません。
さて、演奏内容は大半が馴染みのないもので、曲想にチャイコフスキーらしい特徴はときどき感じるものの、全体を通じてとくに魅力的とは思いませんでした。というのも、特別な場合を除けば、歌曲をピアノ曲にするのは(1〜2曲なら面白いけれど)、CD全曲となるとやはり冗長で、どうあがいても歌にはかないっこないというのが出てしまいます。
歌曲は歌を前提にできているのだから、当然といえばそれまでですが。
人の声とその身体から湧き上がる呼吸、詩の意味などが相まって作品となっており、それをピアノで演奏して録音まですることに、どういう意味があるのか私にはよくわかりませんでしたし、聴けば聴くほど、歌手の歌う同曲がきいてみたいというフラストレーションが募るばかり。
この方のディスコグラフィーを見ると、ほかにもモーツァルトやベートーヴェン、ブラームスの歌曲をピアノ曲として演奏されているようで、よほど歌曲をピアノ曲として演奏することがお好きなのか、どの作曲家にも弾きおおせないばかりの素晴らしいピアノ曲があるのに、なぜわざわざこんなことをされるのか…。
自分自身も好きじゃない想像ですが、商業的な理由で、とびきり有名でもないピアニストが、ありふれた曲を入れても見向きもされないので、少しでも注目されるためには「ちょっと違うこと」をする必要があるという判断なのか…などと勘ぐってしまいます。
もし純粋にピアニストが「自分は歌曲のピアノ編曲が好きだからそれを録音したい」と言っても、レーベルもビジネスだから、昔だったらなかなか承諾は得られないと思いますが、時代も変わり、販売戦略上の逆転の発想なのか…。
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さて、このCDにはもうひとつ注目すべき点があって、封を切ってケースを開くと、ライナーノートの裏側にブリュートナーのロゴが描かれており、その下の小さな文字をよくみるとブリュートナーのコンサートグランド(Model 1)によって演奏されているようでした。
なるほど、耳慣れたスタインウェイとはまったく別物であるし、ときどきCDでも耳にするヤマハ、ファツィオリ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、カワイのいずれとも違うものでした。
この中で一番近いといえばベヒシュタインかなぁ…とも思いますが、それともやや違い、美しい田園地帯に住む骨格のしっかりしたドイツ人という感じでしょうか。
いかにもドイツっぽいのは、スッとまっすぐ立ち上がる太い音であること、ドイツ語的滑舌なのか、発音がボンとはっきりしていて音のひとつひとつがわかりやすく、太字の万年筆の文字のようです。
また低音は木の音というべきか、どちらかというと板を感じる木の音で、まぎれもなくドイツピアノの質実な魅力があふれているように感じます。
歯切れよく、音が立つのではじめはちょっとうるさいように感じる時もありましたが、不思議に少しすると耳慣れてきます。
この「慣れてくる」というのは本物である証と思われ、そうでないものは耳が疲れてストップしたくなるものですが、そういうことは決してないのがさすがです。
そして、いかにもピアノという楽器の構造を感じさせる素朴で野太い音に魅力があることに気がつき、多くのピアノが洗練に向かいたがる中で、ブリュートナーは実直で、むしろほのかな野趣さえ含まれているところが、このピアノの魅力だろうと思いました。
昔のイメージでは、ベヒシュタインは男性的、ブリュートナーは女性的という感じがありましたが、最近の両社のピアノは、もしかしたら逆転しているかもしれないとも思ってしまいました。
聴いていると、これはこれでいいなぁと思ってしまい、いかにもピアノらしいピアノを聴いているという手応えがあって、しばらくこれに慣れてしまうと、他のピアノがどこか物足りなくなるかもしれない…そんな気がしてきます。
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