『グランドピアノ 狙われた黒鍵』という奇妙な映画を見ました。
いや、正直にいうなら、早送り多用でおよそ見たといえるような見方ではありませんでしたが。
2013年スペイン製作の映画のようですが、主人公のピアニストは恩師と自分しか弾けないという難曲をかつて失敗し、それから5年ぶりにステージに復帰して再挑戦するというものですが、演奏開始後、楽譜をめくるとそこには赤の太字で脅迫の様々な指示が書かれていたり、曲の途中でピアニストがなんども中座して舞台裏に行ったり、一音でも間違えたら殺すと脅迫されたり、どの場面ひとつとっても実際にあり得いないようなアニメ顔負けのシーンの連続。
実際の演奏会では絶対にあり得ないことで、いかに映画だからといって、許容範囲というのはあるはず。
映画は映画であり、娯楽でファンタジーとはいえ、あまりにも現実離れした連続となると、そのせいで映画としての面白さや魅力も失い、映画として割り切って楽しむ気力さえもなくなります。
これがコメディかなにかならまだしも、一応はおふざけではないサスペンス映画という立て付けになっているわけで、製作者は映画として真面目に作ったのかさえも疑いました。
映画の面白さというのは、きちんとしたリアルな土台の上に、映画ならではの筋書きなどのあれこれが織り込まれ展開されるものでなくては成立しないはずです。
使われたピアノは師の遺品という、ベーゼンドルファーのインペリアルでこれは本物でしたが、演奏至難という曲も、オーケストラ付きの奇妙な曲だし、ステージはすり鉢状にオーケストラが着座し、その奥の一番上の高いところにピアノが置かれているという、とにかくすべてがいかに音楽やコンサートというものを知らない人達が好き勝手に作ったものであるかがわかります。
最近は、海外ドラマでもそのあたりの考証はかなり正確になっており、装置から小物ひとつまでこだわって高いクオリティで作られるご時世に、こんなものもあるのか…と驚きました。
大詰めはまだオーケストラも観客もいるというのに、ピアニストは天井裏でスナイパー?との格闘となり、そのあげく落ちてきた人間がピアノを直撃、哀れ破壊されて床に埋もれてしまいます。
ただし、そのシーンはインペリアルではなく、大屋根の形が明らかに異なる、別のピアノもしくは模型か何か?に置き換えられていましたが。
最後は演奏不能なまでに傷ついたとするベーゼンドルファーの鍵盤が映し出されて、主人公が弾いてみようとするシーンがありますが、このときはなんとアップライトになっており、これほど雑な作りの映画がいまどきあるのか?という点で首をひねったり苦笑いの連続でした。
冒頭に書いた通り、あまりのバカバカしさに倍速で流しただけで、実はストーリーもろくにわからずじまいでしたが、正直わかりたいとも思いません。
ひとつだけ注目すべき事があるとしたら、(ここだけはネットで名前を調べましたが)ピアニスト役で主人公のイライジャ・ウッドという俳優ですが、この人はよくあるピアノを弾いているフリではなく、結構ピアノが弾ける人のように見受けられました。
演奏姿勢から指の動きまで、弾ける人とそうでない人は、根本的にまったく違いますから。
もし本当に弾けるのなら、タイロン・パワーの『愛情物語』ではないけれど、もう少しそれを活かした見応えのあるものに出てほしいものです。
たしかあれは、実際の演奏はカーメン・キャバレロだったと思いますが、やはり弾ける人の姿は違いますから。
『マチネの終わりに』でも、もし福山雅治がギターを弾けない人だったら、いかにモテ男でもずいぶん違ったものになっていたでしょう。
とはいえ、この映画はおもしろかったわけでもなく、不愉快というのとも違い、やはり「ヘンな映画だった」というしかない、不思議な後味しか残りませんでした。
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