ブーニンの健康がよくない…というかすかな噂は耳にしていましたが、これほどとは思いませんでした。
この番組によれば身体の故障からピアノを弾くことが困難になるというピアニストとしてこれ以上ない不運に見まわれ、さらには遺伝的な糖尿病で左足の切断の必要まで迫られたのだそうで、大変おどろき深く胸が痛みました。
だれしも足の切断なんて耐え難い衝撃以外のなにものでもなく、ましてピアニストにとって、足はペダル操作には欠かせないもの。
夫人のすさまじい努力によって、ついにドイツでこの病の権威に行き当たり、切断せず足の骨を一部切除し、そこをつなげるという大術が行われ、からくも足の切断という最悪の事態を免れたとのこと。
かつての、まるで子供が喜々として遊ぶがごとくピアノを自在に操っていたあのブーニンが、知らぬ間にこのような悲劇に直面していたとは、ただもう驚くほかありませんでした。
番組は、そんな彼が最後のステージから9年ぶりに人前での演奏に挑むというもので、そこにいたる日々を追ったものでした。
曲目は子供の頃に弾いたという、シューマンの「色とりどりの作品」op.99。
ご本人も「左手が昔のように動かない」と仰っていたけれど、ピアノに向かっても、顔や雰囲気はまぎれもないブーニンであるのに、その演奏は信じられないばかりに心許なく、「色とりどりの作品」のシューマンらしい夢見るような第一曲だけでも正直ハラハラさせられました。
9年ぶりのコンサートは小さな会場である八ヶ岳高原音楽堂で行われ、その様子が一部流れましたが、見ているこちらまで言いようのない緊迫感が迫りました。
ブーニンの人生に欠くべからざる存在は長年彼を支える夫人で、ジャーナリストとしての自身の仕事を抱えながらというけれど、多くはブーニンを支えることがメインでしょうし、身のまわりのお世話から、味や盛り付けの美しさにまでこだわるブーニン好みの食事の準備まで、それはもう常人の域を超えた献身ぶりで、ただただ頭が下がりました。
ブーニンは見るところ、夫人を心から愛すエレガントでやさしい人のようですが、それでもやはり取り扱いの難しい天才肌であることも確かなようです。
古い日本の言葉でいうなら、これぞまさに「賢夫人」というべきでしょう。
そんな夫人をもってしても、八ヶ岳高原音楽堂での久々の演奏にあたっては、袖で見守りつつも目には涙がにじんで、寿命の縮まるような思いだったようで、それも当然だろうと思いました。
どうにかコンサートも終了し、これで終わりと思ったら、なんとその後、東京の昭和女子大人見記念講堂(昔はよくコンサートがあり、ホロヴィッツの2度めの来日公演もたしかここでは?)でコンサートが行われたようで、さらに来年は全国ツアー!?というのですから、これにはいささか耳を疑いました。
様々な苦難を乗り越えて、再びステージへ立つというのは立派なことだと思います。
しかし昨今のピアニストはますますテクニカルな面でレベルアップされており、そんな中どういう演奏をするというのか…。
そもそもブーニンというピアニスト自体が、音楽を通じて深く語りかけるというよりは、キレのいいテクニックや多少傲慢でも類まれな推進力で聴かせるタイプのピアニストだったので、よくわからなくなりました。
その一方で、今どきの日本の聴衆はコンサートに行って音楽や演奏がもたらす純粋な感銘を求める人はごく少数派で、大半は人気や経歴、話題性などに大きく左右され、さらに義経の判官贔屓ではないけれど、その背後にハンディや感動物語がくっついていることが大好きということに、近年とあるピアニストの登場いらい気付かされました。
全国ツアーが組まれる以上、今のブーニン氏ひとりの思いつきでできることではなく、きっとそれを支える背後の算段あってのことなんでしょう。
現代人の悪い癖で、疑い始めると、先日の番組もその前宣伝の意味合いもあったのでは?、すべては計算されたものだったのでは?という疑念が広がってしまい、ブーニン氏には申し訳ないことですが、それもあるような気がして完全否定ができません。
率直に言って、来年の全国ツアーにチケットを買っていく人たちが、もし健康に歳を重ねてきたブーニンだったら果たして行くのか?
この疑問はどうしても払拭できません。
むろんコンサートをやろうという人がいて、それに喜んでチケットを買って行く人が大勢いて、結果として収益が上がり興行が成り立つのなら、まわりがとやかくいうことではないかもしれませんが、どうしても悪趣味にしか思えないのです。
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