ハオチェン・チャン

クラシック音楽館の4月2日の放送は、今年3年ぶりに来日したというトゥガン・ソフィエフの指揮で、ブラームスのピアノ協奏曲第2番/ベートーヴェンの交響曲第4番が放送されました。
ソリストは2009年のクライバーンコンクールで辻井伸行と同時優勝した、中国のハオチェン・チャン。

全体として、細部までしっかり弾き込まれたクリアな演奏で、全体として見事なものだったという印象。
とくにブラームスの協奏曲はシンフォニックな要素が求められ、若書きの第1番と同様、ピアノ付き交響曲と言ってもいいような作風でで、演奏時間も50分前後と数あるピアノ協奏曲の中でも最も演奏時間の長い部類であることは有名です。

その長さも納得のきわめて素晴らしい作品であえるにもかかわらず、コンクールでブラームスを選択すると入賞できないなどというジンクスもまことしやかに囁かれており、コンクールという審査員も聴衆も次々に演奏を聴かなければならない疲労感の中で、この長大な協奏曲に付き合わされるのがウンザリなのだそうで、笑うに笑えない話です。

それは余談として、ほんとうに素晴らしい作品であるのは誰もが知るところです。
ハオチェン・チャンは従来のこの第2番のいぶし銀のようなイメージ(第1番よりは明るい曲調だとしても)ではなく、華やかさを絶やさないピアノコンチェルトとしてのアプローチなのか、ときにチャイコフスキーあたりを髣髴とさせる瞬間もあったほどピアノの存在と輪郭ががはっきりしていたように思いました。

そういう意味では、いわゆるブラームス臭がプンプンするような演奏とは感じなかったけれど、古いものに新しい照明をあてて、これまで見ることのなかった新鮮な景色があったように感じ、これはこれで一つのやり方だろうという気はしました。
これまでブラームスといえば、佳き時代の都会のシックで陰鬱な夜みたいな、どこかあやふやで仄暗い大人のトーンが聞きどころだったけれども、どちらかと言うと古典の要素を踏まえつつもリメイクされたアップデート版という感じでしょうか。
どうしても不足しているように感じたのは、光と影のコントラストの交差なのか、特にブラームスでは影の表現は大事だと思うだけに、その点が少し平坦過ぎたようにも思えたり…。
とはいえ、いかなる場所も隅々まで危なげなく弾き込まれ疾走感があり、いかにも一流のクオリティをもって演奏されているあたりはN響にも通じるようで、そういう意味でもこの両者は相性が良いような気がしました。

ちなみに、中国人ピアニストを視聴するたび共通して感じるのは、よく鍛え込まれたテクニックとメンタルの強さが見事に合体している点が強みなのかどの人も自信たっぷりで、ときに快楽的なほどの自我表出を堂々とやってのけるあたりに毎回独特な印象を受けてしまいます。
演奏じたいもしっかりしたものではあるけれど、それは欧米風でもなければ東洋的な繊細さというのでもなく、表情の付け方などもためらいとか痛みなどのデリカシーの妙よりは、中国という風土と訓練によって身についた演技的なものを感じるときがあります。

演奏中は、顔の表情も百面相のように変化めまぐるしく、笑ったり怒ったり、陶酔や喜びに浸っているかと思えば、一瞬にして予期せぬ恐怖に身構えて目をむくような表情になったり、ついそちらに目が行ったり。
どうかすると目は怒っているのに口元は笑っていたり、あるいは難しいパッセージでもまったく手元を見ることなく、空を見つめながら忘我の境地のようになるなど、幼少期からの指導法がまるで違うのかもしれません。
その代表格がラン・ランでしょう。

ハオチェン・チャンの場合はラン・ランよりはよほど抑制的ではあるけれど、見ていればそれらの要素はやはり随所にあって、そこは中国人ピアニストに共通して流れるDNAなのかと思います。ただし、音だけを聴いているとさほど違和感はなく、素直に立派な演奏といって差し支えないと思ったことも事実です。

冒頭インタビューによれば、ハオチェン・チャンはこのところブラームスに傾倒しているのだそうで、アンコールにはop117-1が弾かれましたが、長大なコンチェルトを聴き終えたあとに涼しいデザートを振る舞われたようで、「ああ、なんという美しい曲か!」と素直に思いました。
こういう気持ちにさせるというのは、やっぱり演奏が素晴らしかったという証でもあるでしょう。

この印象もあってか、またもコンチェルトから聴いてみた(3回目)のですが、いささかこちらの耳が少し固定観念に囚われていたのか、明晰でメリハリのあるいい演奏だと思えてくるようになりました。
よってハオチェン・チャンは、現代のピアニストとしてはかなり好ましい一人だというのが、個人的にはやや回り道をした気もしますが、その挙句に到達した結論となりました。
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