ファブリーニの本−2

前回書ききれなかったことなど。
個人的に意外な印象があとに残ったことがありました。

ピアノといえば一にも二にも音こそが最重要だと思っていましたが、弾き手にとって直に演奏を左右する主役は実は思っていた以上にタッチかもしれないということ(決して音が二の次という意味ではないけれど)。

音は極論すれば楽器生来のもの、すなわち固有のもので、それを最良最大に活かすことが限界であり、それ以上その個体が持っているものを望むことはできないし、どうしても容認できない場合はピアノ本体を取り替えるしかない。
それに比べればタッチは入力の変換装置であり物理領域であるから、精緻な技術をもつ技術者しだいでは極上を目指すことも不可能ではない可能性を感じます。

自分のピアノへのこだわりが強く、常になにかしらの不満や悩みがつきない場合、大抵は音色/響き/タッチなど複数の要素がないまぜになっていることが解決への明確性を阻んでいるのかもしれません。
とりあえず音色や響きのことは横に置いて、徹底的な整調、つまり鍵盤からアクションまわりの可動部分の質的向上に注力して、ここを極限まで高めてみるのは意味のあることではないか?
そのためには高度な技術はもちろん、消耗品などもためらわず交換して、誤解を恐れずにいうならメーカーが求める以上の厳しい基準に高めることで、鍵盤からアクションに至る動きを繊細かつ徹底して滑らかなものにすることができるかもしれません。

そして、もしやそれをやっているのがファブリーニ氏だろうか?という考えも頭をよぎりました。

タッチがこの上ないものとなれば、音や響きに対して格段に寛大になれるような気もします。
逆にいえば、いい音がしていてもタッチが足を引っ張り邪魔をして、いい音として正しく認識できない場合もあるかもしれません。
この極上タッチを実現するためには、その重要性を理解し、実行してくれる技術者さんの存在が問題となりますが、これがなかなかの難関かもしれません。
技術者というのは自信やプライドがあるもので、自分の流儀が出来上がっているとそれを崩すのは容易ではない。
こちらがいくら要求しても「音はタッチに左右され、タッチは音に左右される」「それぞれが関連し影響し合ってのタッチであり音であるので、切り離して考えることはできない」などと意味深長ことをいわれたあげく、中にはタッチの問題を整音や調律で解決しようとする、甚だありがたくない独善的な方も現実にいらっしゃいます。

それを断固否定すれば決裂にもなりかねないので、「少し良くなった気がします…」などと心にもないことを言ってお引き取り願い、技術者さんは解決できたと勘違いされるのがオチ。
この手合にかかると、延々とお茶を濁されるだけで、いつまでも問題は解決しません。

メカニカルな領域は四の五の言わずに、物理的なものとして潔く割りきって作業にあたっていただきたいものです。
真の美音は、このような音以前の手間暇のかかった基盤の上に支えられているべきものかも…という気がしたのは事実です。

プロがここぞという勝負の演奏をするときなどはともかく、普段のピアノライフを真に豊かなものとして充実させるためには、自分の思い描いた通りになるタッチというものは、これまで考えてい以上に大切だということをそっと教えられた気がしています。
そういう意識が芽生えただけでも、この本を読んだ価値があったような気がします。
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ファブリーニの本

このブログで知り合った方で、折にふれ興味深い情報を寄せてくださるご親切な方がいらっしゃいます。
今回はファブリーニの本が出ているというもので、すぐにAmazonから購入して読みました。

ファブリーニについては、ピアノ/ピアニスト好きの方なら今更説明するまでもない、イタリアを拠点に世界のステージをピアノ付きで飛び回る有名ピアノ技術者。
その顧客はまさに一流ピアニストが名を連ねるもので、多くのコンサートや録音にファブリーニのピアノが使われているのはご存じの方も少なくないでしょう。
とりわけミケランジェリのように楽器に対するこだわりが尋常でなく、そのためコンサートのキャンセルすら厭わなかった鬼才のピアノを担当していたことや、やはり楽器に対する要求の強いポリーニの御用達でもあるなど、ピアノ技術界の有名人でしょう。

ポリーニやシフの演奏動画を見ると、側面のSTEINWAY&SONSの文字の下には「Fabbrini」のロゴが映り、ありきたりなスタインウェイではないことを主張しています。

いつだったか、まだ若い頃のジャン=マルク・ルイサダが来日時のインタビューの中で、「自分は先日ファブリーニのピアノを弾く幸運に恵まれた」「ヨーロッパでは彼のピアノを弾けるということは、ピアニストにとってステイタスなんだ」というようなことを言っていたような覚えがあります。

そんなファブリーニ氏が書いた本というわけで、いやが上にも期待は高まりワクワクしながら読み始めたのですが、意外なことにピアノという楽器に関する氏の考えや技術的な言及は少なめで、もっぱら自分と名だたるピアニストたちの交流録のような内容でした。
素人ながら氏の専門分野における極意や美意識などを少しでも知りたかったので、予想とはやや方向性が違っていましたが、もちろん面白かったのも事実です。

驚いたことに、ファブリーニ氏はこれまでにスタインウェイのD(コンサートグランド)だけで約200台!を購入したのだそうで、スタインウェイ社は2008年にファブリーニ氏の名前入り記念デカールが響板に貼り込まれた記念モデルまで製作したというのですから、その猛烈な数に仰天させられました。
200台というのは過去数十年間での総数で、平常何台ほどのDが待機しているのかは知らないけれど、それから15年が経過していることを考えると、その数はさらに更新されているんでしょうね。
名だたるピアニストとの関係が増えれば、その要望を満たすピアノを提供するためにそこまでしなくてはいけないものなのか…私などにはおよそ想像もつきません。
しばしばピアノの入れ替えも行われているようですし、さらにはステージで使ったピアノを、ピアニストやコンサートを聴いた人が購入希望してくることもあるようで、そうなると同業者との軋轢などが発生するのは万国共通で、敵が多いというようなことも少し触れられています。
ファブリーニ氏の店はスタインウェイの代理店も兼ねているようで、同業者にしてみればこんなやり手が近くにいたらたまったものではないでしょうね。

エピソードのひとつで、ハンブルクのスタインウェイにB型を4台買うつもりで行ったところ、使われた木材のロットでつながりがあることがわかり、試しているうち全部を持ち帰りたくなり、交渉の結果(といったって、お互いビジネスだから一台でもたくさん売りたいわけでしょうが)10台買うことになったといういきさつなどが書かれていたりで、この辺になってくるとやや意味がわかりませんでした。
B型はいわゆる家庭や小規模スペース用のピアノだから、本格的なコンサート用の貸出にはならないことを考えると、主には販売目的の仕入れと思われますが、スタインウェイというそもそもの銘器に、さらにファブリーニというブランドがコラボされれば、10台仕入れても売れる算段があるということでしょう。

とはいえ、本のタイトルは『ピアノ調律師の工具カバン』となっており、そのタイトルに対して内容はいささか「ビジネスの成功本」的な後味は残りました。
ピアニストたちのかかわりにしても、フランツ・モアの『ピアノの巨匠たちとともに』のほうが味わい深く面白かったように思います。

とはいえ、一読しただけで片付けてしまうのもどこか納得の行かないところもあり、念のため始めからもう一度読み返してみましたが、
ピアノに対することがまったく書かれていないわけではなく、そこから見えてきたものは、ファブリーニピアノの主な特徴はタッチにあるらしいことが少しわかった気がしました。
もちろん調律や整音にもさまざまな工夫をこらしているようですが、それ以上にタッチ重視のようで、アクションの存在を忘れさせるような、なるなめらかで意のままになるタッチに仕上げることがファブリーニピアノの一丁目一番地であるような印象が残りました。

これは単にキーが軽いとか重いとかではなく、弾き手の指先(あるいはイメージ?)が弦と直結しているかのように正確に反映されること、つまり奏者と楽器が一体化するような感覚を目指しているのかもしれません。
終演後のニキタ・マガロフから「今日はアクション無しで弾けたよ、と言われたのが私にとっての最高の賛辞だった」とあるのも、そこが最大のポイントだということでしょう。
考えてみれば、キーが多少重かろうが軽かろうが、徹底してなめらかでコントロールしやすいピアノには有無を言わさぬ上質感と親密性があり、喜びと興奮と演奏のイマジネーションが広がるものだから、それは当然ステージ演奏を本業とするピアニストにとって、これに優る心強さと安心感はないのだろうと思います。

上記のルイサダが、その後ヤマハを使うようになったのは、もしやファブリーニのピアノがもつアクションの心地よさがきっかけでは?などと勝手な想像をしたりしています。
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とうとう

ピアノ関連のある本のことを書いていたのですが、体調面のことがあって続けられずに遅くなっています。

それなのに、こんなことを書いたものかどうか迷いましたが、敢えて書いてみることに。
実はこの時期になって、ついに新型コロナに感染(たぶん)してしまったようなのです。

最近はマスク無しの人もチラホラ見るようになってきたし、なんとなく収束方向というイメージもあって油断していたこともあり、土曜にちょっとした集まりがあって長時間会食したりしていたのですが、それからキッチリ二日後の月曜の夜になって、体にわずかな倦怠感を感じるようになったのがはじまりでした。

とりあえず熱を計ってみると、36度台の後半になっていて、通常は36度未満というのが当たり前なので「あれ?」と思いましたが、深夜には37度を軽々と越えてしまいました。

(たぶん)と書いたのは、症状の動きの激しいインフルエンザとはあきらかに違う気がしたし、コロナであればどうせ薬はないだろうというわけで病院にも行っていないから、医療関係から正式にコロナという診断結論を得たわけではないためです。
それから5日間経過してようやく治まってきた感じがあり、素人判断ではありますが、自分ではほぼ確信をもって新型コロナだろうと判断してます。

幸いにして、熱は聞いていたほど高熱には至らず、激烈な苦しみなどもなかったけれど、ただ、長年生きてきて、これまでに体験したどんな風邪やインフルエンザとも明らかに違うものが我が身を侵食しているというイヤな感覚があり、それが「新型」という未知の感じを裏付けているようでした。
発熱は最高で37.7度でしたが、はじめの4日間ほどの大半はほぼ37.1〜37.5度をキープしており、上下というのかほとんど波がなく、解熱剤を服用するとしばらくは36度台にまで下がるものの、効能が切れるとサッと元に戻る変な安定感にも独特な怖さがありました。

もちろん倦怠感や頭痛、鼻水、咳などがありましたが、どうも文字ではその不気味な感覚が伝えきれません。

かなり前、ワクチンも都合3回打ったし、個人的になんとかこの世界的なパンデミックをやり過ごしたかなぁと思っていたところへ、コロナウイルスはしっかりと我が身にも忍び寄ってきていたわけで、油断の間隙をつかれたというわけです。
知人によれば「ワクチンを打った人のほうが、却って感染しやすい」のだそうで、ワクチン効果に助けられただけで何の抵抗力もついていないから、そんな人がワクチン効果が切れた状態になると、もともと未接種の人よりも感染リスクが高まるのだと事もなげに言われ、変に納得してしまいました。

思い出せば、最近はインフルエンザと新型コロナの両方が流行っているとか、市内の学校でいまだにクラスター発生などニュースとしては聞いていましたが、なにしろすっかり緊張の糸は切れ、そんな情報は耳を素通りし、以前ほど深刻に受け止めなくなっていた矢先の出来事でした。

報道によれば、中国では今また経済活動を揺るがすほどの新たな波が押し寄せているのだそうで、どうやらこの夏も終わりじゃないようです。
皆様もどうかくれぐれもご注意ください。

【追記】熱や咳や倦怠感ばかりに気を取られていましたが、気が付いたら嗅覚がかなり失われていました。ここ最近は食べ物の味もイマイチで、塩分ばかりを感じ、それは体調のせいだろうぐらいに思っていたのですが、熱もどうにか収まったあたりで冷静さを取り戻すと、なんと一様にものの匂いがしないことに気づいたというしだい。
蚊取り線香のような強烈な匂いのもので、やっとかすかにわかる程度で、これは相当なものです。ネットによれば「コロナの後遺症」だそうで、回復には2週間から長い場合は半年ということもあるそうです。
コロナに感染したことは自己判断であることは書いていましたが、この嗅覚の件をもって確定していいと思います。
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ユニクロの憂鬱

私は特定のものにはこだわりが強いほうかもしれないけれど、そうではないところにはまったく無頓着で、衣服などがそれにあたります。
むろん色やデザインは人並みには吟味しているつもりですが、いわゆる高級品だのどこそこのブランドだのなんだのということにはまるで興味がないし、自分が気に入ったものなら安物で一向に構いません。
自分のセンスといえば大げさですが好みに適ったもので、いちおうの身だしなみを満たすものなら、それで充分というわけです。

普段着るものならユニクロなどで充分なのですが、残念なことにあそこの商品はサイズがまったくダメで、こればかりはどうにもなりません。
パンツ類や防寒着のたぐいはまだいいとして、普通の襟のあるシャツ類になるとまるで体型に合わないし、とくに長袖になると絶望的です。

S、M、L、XLといった区別はあるけれど、それに合わせて首回りや袖の長さが固定化されており、世の中にはさまざまな体型の方がいらっしゃるはずなのに、よくこれで商売になるもんだと思います。
胴体を適当に合わせれば、あとは安物なんだからガマンしろ、それが嫌なら買わなくて結構といわれているようです。

ずいぶん前ですが、まだ世界的に物価が安かった頃、アメリカからの通販などに依存した時期がありましたが、あちらのシャツ類は基本のサイズに加えて、首回り/袖丈などを自分の体型に合わせて選べるようになっており、おかげで望む通りのものが楽に手に入っていました。

またコストコなどでも、シャツの大半は同様で、同じMやLでも首回り/袖丈が(インチ表示で)書かれており、その中から自分に合うサイズを選べるようになっています。

しかるにユニクロはそれが全く無く、私は全体としてはLなんですが、それにすると首回りが大きくて不格好な隙間ができてしまいます。
襟付きシャツの場合、首回りのサイズが大きすぎると、いかにも貧相でみっともない感じになり、極端なことをいえば一番上のボタンを外すようなシャツなら、一番上のボタンはきつくて留められないぐらいがバランスがいいのです。
ところがユニクロは全く逆で、一番上を留めても喉元にはまだ三角形の隙間ができてしまいます。
かといってMにすると、今度は身幅がタイトになるのはまだガマンできるとしても、袖が子供用のように短くなってしまってまともに着れたものじゃありません。

ユニクロが徹底した合理化やコスト削減によって現在の地位にまで登りつめた企業だとしても、いまや世界有数の衣類メーカーだというのに、サイズに対してはひどく鈍感というか杜撰というか、洋装に関する最低限の見識を持ち合わせていないようで、このあたりはやはり服飾文化をもたない、しょせんは東洋のブランドという気がします。

その点でいうと、H&M(スウェーデン)なども細かいサイズは選べないけれど、ユニクロのように「首回りが大きくて袖丈は短い」というようなことはないので、さすがは北欧だと思っていましたが、あまりにも雑で生地がペロンペロンだったりします。

そんな折、無印良品でセールをやっていたのでダメモトでちょっと試着してみたら、意外なことにかなりマシというか妥協の範囲であることを発見、さっそくセール品を二枚ほど買い求めました。
無印良品はご承知のように西武系の日本発祥のブランドにもかかわらず、基準になっている寸法はユニクロよりはるかに好ましく、こんなに違いがあるとは思っていませんでした。

そこで、論より証拠というわけで、「ユニクロのL」と「無印良品のM」のごく普通の長袖シャツを重ね合わせてみると、なんたることか着丈も袖丈もほぼ同じで、無印良品のほうはMにもかかわらずわずかに肩幅/身幅が広く、逆に首回りはメジャーで計ったところでは約3cmほど細い作りになっていました。
つまりユニクロのメンズのLサイズのシャツは、無印良品のMサイズ相当で、そこに首回りだけを広げてLサイズと称しているようで、これまでのモヤモヤが一気に解明されました。
どうりでユニクロのMを試着したら、首周りはいいけれどそれ以外はえらくちんちくりんになる筈で、確認こそしていませんが、おそらく無印でいうSサイズだろうと思われ、できればLサイズの袖丈の欲しい私にとって、どうあがいてもムリなことがよくわかりました。

最近は新しい商業施設やショッピングモールができると、ユニクロは抜け目ないほど必ず出店しているあたり、この分野で並ぶもののない大手であることは誰もが知るところですが、そんなに圧倒的な大手なんだったら、すこしは着る側のことを考えてせめてシャツのサイズに関しては若干のバリエーションを追加して欲しいものです。
サイズが増えればムダも出て、そのぶん少しお高くなったとしても、サイズがきちんと合えば私は買いますが、これはシロウトの甘い考えというものでしょうか?
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強制買い替え

早いもので今年も除湿機が必要な季節になりました。
冬の暖房時には加湿器、梅雨以降は除湿機と、水を「注ぎ足すか」「捨てるか」の作業を一年の大半において日課としてやらされるのは日本のような気候に住み暮らす者にとって、湿度管理する上では避けられない宿命みたいなもの。

高級な機器をお使いの方もいらっしゃることでしょうから、そのへんのことはわかりませんが、私はできるだけ安価で必要な機能さえ得られればそれでいいという派なので、我が家にあるものの大半は単純機能のものです。

加湿器は故障も少なく、なによりお安いので気楽ですが、除湿機の故障にはこれまでどれだけ悩まされてきたかと思います。
前シーズンまで何の問題もなく使えていたものが、次の季節、物置から引っぱりだしてスイッチをONしたはいいけれど何時間たってもタンクに全く水が貯まらないということは一度や二度ではありません。

昔は主にコロナ(メーカー)を使っていましたが、何度も同様のことが起き、懲りて別メーカーのものにすべく、ひとつはダイキン、もう一つはシャープに買い換えたのが数年前でした。

ところがそのいずれにも同様のことが起ったのは驚きでした。
ダイキンは私にしては訳あって高級機だったにもかかわらずで、驚きつつ修理依頼をすると、すぐに宅急便で回収されて連絡待ちということになりましたが、数日後にかかってきた電話によれば「異常が確認でき、今回は新型に交換させていただきます」という事になりました。
保証期間の1年は過ぎていましたが無償対応となり、さすがは名の通ったブランドということも併せて感じさせるものがありました。

ただ、その点はコロナも同様で、これまでに修理に出した結果、新品交換という対処をされたことが何度かありました。
しかるに今回自室で使っていたものはシャープの最も売れ筋のモデルだったのですが、何の問題もなく4年ほど使っていたのに、今季使用開始したところ、機械は動いて風は出ているのに、肝心の除湿機能が働かずタンク内は何時間たってもカラカラのままで、一滴の水も落ちてきません。

いろいろと操作を変えたり、説明書を見返したり、コンセントを抜き差しするなど、数日間というもの自分でできる範囲のことは考えられる限りやったにもかかわらず、タンクの中は無情にも乾ききっており情けないと言ったらありません。

しかたなくカスタマーセンターに電話したら、応対に出てきた女性からひと通りのことを聞かれ「それでは見せて頂く以外にありません」ということで、その際「修理にだいたい10000円〜15000円程度、引取に5500円、熱交換器などの故障になりますと5万円以上になることもありますが、よろしいでしょうか?」と、演技でも困っているユーザーに寄り添うような気配はゼロ、至って事務的でサバサバ感が目立つ言い方で他の二社とはずいぶん違うものでした。
そんな金額、よろしいわけがない!

この除湿機自体が、もともと2万円ちょっとぐらいのものなのに、その修理費用のあらましを聞かされただけでバカバカしく、まして5万円以上になることもあるという脅しのような念押しをしてくるあたり、ユーザーに対する礼節のかけらもないもの。
「ということは、現実的には修理せずに新品に買い換えなさい、ということですね」と皮肉をいうと、あっさり「そうですねぇ…」とスパッと言われたのは不快のダメ押しでした。
当然ながら、このメーカーに対するイメージが一気に低下しました。

それにしても、除湿機の故障というのはいつも同じで、必要な季節になって半年ぶりぐらいに使い始めた時、なぜか機能を失っている(故障状態になっている)というパターンなので、使わない時間が長いと機械的になにか問題が起こるのか?と思い、そのあたりも質問してみましたが「いえ、とくにありません」というAIみたいな言葉が返ってくるばかりでした。

除湿機ナシでは快適性の面でも、ピアノの健康管理のためにも済まされないので、結局は新たに購入する以外になく、安さで定評のホームセンターに行ったところ、SKジャパンという名のピアノや基礎化粧品を連想するようなメーカーで強力&大容量を謳った製品があり、しかも価格は除湿力半分の他社製品並、急ぎネットで調べたところ、日本のメーカー(?)で生産国は中国、口コミなども少ないけれど好意的なものがあり、思い切ってそれを購入しました。
品質やアフターの心配が頭をよぎったけれど、いざとなったら今回のように高額な修理代を告げられて買い替えさせられるのだから、有名メーカーの安心感なんぞなんの役にも立たないし、急いで欲しいこともあってそれを購入しました。

強力&大容量というだけあってやや大型ですが、これまで取り切れていなかった湿度がスイスイと下がり、とりあえず一安心ということろです。
それと思いがけず気に入った点は、デザインが望外に好ましい点です。
大半の日本メーカーの家電というのは、各社申し合わせたように似たり寄ったりのデザインで悪い意味で日本的、それもいまだに昭和を引きずったようなダサくてカッコ悪いものばかりで、やたら意味のない丸みをつけたり沈鬱な色使いなど、そのビジュアルが少しも良くならないのは不思議というほかありません。
唯一の例外は、もはやデザインの余地のなくなった液晶テレビぐらいなもので、他の製品はどんなにモダンなインテリアだろうが、それひとつ置いた瞬間に昭和のお茶の間のようになってしまう独特な存在感のものばかりで、家電は日本のデザインの中でもっとも洗練から遮断された分野ではないかと思います。
その点、SKジャパンの除湿機は無駄がなくキッパリしているぶん機能美さえ感じられ、それだけでセンスのいい外国製品のような雰囲気も大いに気に入りました。

外国製といえば、このSKジャパンというメーカー、ネットで簡単には調べたぐらいではその素性はよくわかりません。
製造は中国のようで、どこぞの海外メーカーの日本法人なのか、純粋に日本の新興メーカーなのかもわかりませんが、もうそんなことはどうでもよく、これまでの経験を踏まえれば3〜4年使えればと願うばかりです。
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