前回書ききれなかったことなど。
個人的に意外な印象があとに残ったことがありました。
ピアノといえば一にも二にも音こそが最重要だと思っていましたが、弾き手にとって直に演奏を左右する主役は実は思っていた以上にタッチかもしれないということ(決して音が二の次という意味ではないけれど)。
音は極論すれば楽器生来のもの、すなわち固有のもので、それを最良最大に活かすことが限界であり、それ以上その個体が持っているものを望むことはできないし、どうしても容認できない場合はピアノ本体を取り替えるしかない。
それに比べればタッチは入力の変換装置であり物理領域であるから、精緻な技術をもつ技術者しだいでは極上を目指すことも不可能ではない可能性を感じます。
自分のピアノへのこだわりが強く、常になにかしらの不満や悩みがつきない場合、大抵は音色/響き/タッチなど複数の要素がないまぜになっていることが解決への明確性を阻んでいるのかもしれません。
とりあえず音色や響きのことは横に置いて、徹底的な整調、つまり鍵盤からアクションまわりの可動部分の質的向上に注力して、ここを極限まで高めてみるのは意味のあることではないか?
そのためには高度な技術はもちろん、消耗品などもためらわず交換して、誤解を恐れずにいうならメーカーが求める以上の厳しい基準に高めることで、鍵盤からアクションに至る動きを繊細かつ徹底して滑らかなものにすることができるかもしれません。
そして、もしやそれをやっているのがファブリーニ氏だろうか?という考えも頭をよぎりました。
タッチがこの上ないものとなれば、音や響きに対して格段に寛大になれるような気もします。
逆にいえば、いい音がしていてもタッチが足を引っ張り邪魔をして、いい音として正しく認識できない場合もあるかもしれません。
この極上タッチを実現するためには、その重要性を理解し、実行してくれる技術者さんの存在が問題となりますが、これがなかなかの難関かもしれません。
技術者というのは自信やプライドがあるもので、自分の流儀が出来上がっているとそれを崩すのは容易ではない。
こちらがいくら要求しても「音はタッチに左右され、タッチは音に左右される」「それぞれが関連し影響し合ってのタッチであり音であるので、切り離して考えることはできない」などと意味深長ことをいわれたあげく、中にはタッチの問題を整音や調律で解決しようとする、甚だありがたくない独善的な方も現実にいらっしゃいます。
それを断固否定すれば決裂にもなりかねないので、「少し良くなった気がします…」などと心にもないことを言ってお引き取り願い、技術者さんは解決できたと勘違いされるのがオチ。
この手合にかかると、延々とお茶を濁されるだけで、いつまでも問題は解決しません。
メカニカルな領域は四の五の言わずに、物理的なものとして潔く割りきって作業にあたっていただきたいものです。
真の美音は、このような音以前の手間暇のかかった基盤の上に支えられているべきものかも…という気がしたのは事実です。
プロがここぞという勝負の演奏をするときなどはともかく、普段のピアノライフを真に豊かなものとして充実させるためには、自分の思い描いた通りになるタッチというものは、これまで考えてい以上に大切だということをそっと教えられた気がしています。
そういう意識が芽生えただけでも、この本を読んだ価値があったような気がします。
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