車中の音楽配信

世の中はEV車、さらには自動運転へのシフトが進んでいるというのに、まことにズレまくりのアナログチックな話ですが…。

最近の車は車内で音楽を流そうにも、もはやCDプレーヤーもなく、クルマとスマホと繋いで、膨大なデータの中から好みの音楽を選んで聴くシステムで、当然ながら自分の手許にない音源をも楽しめるように(理屈の上では)なっています。

そういうわけで、とりあえず音源の確保として Amazon music に入会して車で曲を流しているわけですが、よほど便利なものかと思ったけれど、2年以上使ってみても未だに慣れないし、操作もよくわからないまま。
クルマに乗るたび、まず曲選びだ何だという準備作業が待っておりウザくて仕方ありません。

スマホだから前もって家で準備しておけばいいのでしょうが、クルマ用には格安端末を使っているため車内に置きっぱなしで、それをわざわざ家の中に持ってきて小さな画面と格闘するのは面倒だし、たかだか車中で流す音楽にそこまで熱心に取り組みたくもない。
そのため、いつも車に乗ってから起動/接続/検索だという作業が待っていて、パッと乗ってパッと動き出したいのに、毎回もどかしいといったらありません。

問題は数多くあって、そのひとつ。
きっと私の検索の仕方が悪いのでしょうけど、例えばモーツァルトの魔笛が聴きたいと思って検索しても、こんな超メジャーな作品にもかかわらず、アルバムの種類は数えるほどしかないし、いざ聴いてみれば抜粋版であったり、しばらくすると他の曲に変わってしまったりと、意に沿わない動きばかりして「わ、なんで!」となってしまいます。

そもそもこの手合は、何でもかんでも1曲とみなすような作りであるためか、クラシックのようにひとまとまりで一つの作品といった音楽には向かないのでしょうか?
まず序曲かと思いきや、いきなり夜の女王のアリアが鳴り出したり、次は全然別の曲に飛んだりするのは毎度のことで、そんなことでイラついて、ひいては安全運転にも支障が出ないともかぎりません。
大もとの音源にある通りに、序曲から順序よく聞き進むという、ただそれだけのことがよほど苦手らしい。

オペラはもちろん、普通のソナタやシンフォニーや組曲でも、ひとつのトラックが1曲として扱われるためか、ひどい場合では変奏曲の中の1分にも満たないヴァリエーションが突然鳴り出したかと思ったら、次にはそれとは縁もゆかりもない曲になるなど、脈絡もへったくれもないあまりに突飛な選曲ではBGMにさえなりません。

謳い文句のような膨大なレパートリーなんぞ要らないから、いまさらですがCDを押しこめばその音が出てくるという従来の使い方が、むしょうに懐かしくて仕方ありません。

検索をやり直そうにも、信号停車中ぐらいでカタのつく問題ではないし、まして車が動き出せばスマホを持っただけでも道交法違反になるし、かといってそのつどコンビニの駐車場に入るなど、バカバカしくてできません。
かといって音声認識でやってみても、ほぼコントのような的外れの認識しかされず、とにかく疲れます。

家のネットで調べると、USBに繋ぐ外付けCD/DVDプレーヤーみたいなものもなくはないようで、それを取り付けるのも一計かと思いつつ、センターコンソール付近では置き場の問題もあるし、せっかく買ったところで万一車が認識してくれないなど、想定外の理由で使えない場合もあったりすると捨て金になるわけで、悩みはつきません。

…と、ここまで書いたところで私より詳しい知人とこの件で話したところ、前もってマイリストのようなものが設定できるはずなので、そこにアルバムごとにまとめておけば、希望する音楽が順序良く聴けるのではないか?という話で、再度挑戦みてみるかどうか…。

これがあと10年かそこら先ならシステムもより使いやすく洗練されるのかもしれませんが、現状では過渡期のようにも思えるし、そもそも当方はもはや使う側として人間が旧式すぎ、世代がわりをしなくてはいけないのかもしれませんね。
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三人の111

パソコンの前であれ、食事であれ、とにかく「座る」ということがまったくできない地獄のような生活が2ヶ月以上続き、8月上旬まではほとんど「寝たきり」「ひきこもり」同然の状況になっていました。
このような状態では、すべてのエネルギーが失われ、好きな音楽もまともに聴くこともできず、ひたすら痛みとの戦いに明け暮れる毎日でした。

気力もないまま、申し訳程度にテレビの前に横たわり、漫然と録画の再生ボタンを押すのがせいぜい。
そんな中でのTVでいうと、NHK-BSの早朝番組、クラシック倶楽部ではごく近い時期に3人のピアニストによるベートーヴェンの最後のピアノソナタ c-moll op.111が放映されました(たまたまでしょうけれど)。

集中力もなく、ただ漫然と流し、ぼんやり眺めていただけですが、最近すこしずつ座る練習もはじめたので、そのときの雑駁な感想など。

(1)ロシア出身、幼少期にドイツに移住した、今ヨーロッパで一定の評価を得ているらしいピアニスト。
この人、数年前でしたがゴルトベルク変奏曲とディアベリ変奏曲ともうひとつ忘れたけれど、たしか現代物の3曲をセットでCDリリースするなど相当に野心的で、実際とても上手い人だとは思うけれど、なぜか私の耳にはあまり魅力的に響いてこないので、その後はずっとご無沙汰だった人。
そのご無沙汰の間に、なんとザルツブルク音楽祭に招かれるまでご出世のようで、そのライブ映像だったのですが、この人の演奏の中心にあるのはメカニックであり、それに沿ったピアニズムが中心を成しており、後から解釈を埋め込んでいるような気がします。
全体に演奏都合上の切れ味のようなものが目立ち、テンポは速く、いささかナルシスト的な印象。
数年前にCDから受けた記憶が再び呼び戻されたようで、人は変わらないことを感じました。

(2)日本人でドイツにおいて研鑽を積んだ、実力派と目されるひとり。
大雑把にいうと、国籍や出生国に関係なくドイツで育ったピアニストというのは、あまり自分の好みのタイプではないようで、とくに近年は痛切にそれを感じているところ。かつてはバックハウスやケンプのような人がいたため、その認識が遅れてしまったのかもしれません。
ドイツ流は歌や情よりまず説明的で、縦の構造ばかりが耳について、どうも自分とはそりが合わない気がします。
この人は日本人だけれども、ドイツ育ちの体臭みたいなものがあって、しっかり弾かれてはいるけれど、喜びをもって音楽を奏でているというより、熟練職人の仕事に立ち会っているようで、そのあたりがどうにも気にかかります。
ベートーヴェンならドイツ仕込こそ本流だと言えそうですが、ポーランド人のショパンが必ずしも正解とは思えないものがあるのと、どこか通じるような気がします。

(3)やはり日本人のピアニストで、ドイツ圏に留学経験もあるようだけれど、すこぶる日本的親しみやすさを身上としているような方。
若いころはシューマンのスペシャリストということになっていて、当時CDを数枚購入してみたこともあったけれど、シューマンの心の内奥に迫っているとは思えぬ未消化なもので、ブラームスの協奏曲に至っては目を白黒させた覚えさえあります。
指導者として社会的地位も築かれているようで、ピアニスト=誰もが最高の芸術を目指すわけではないから、こういう人もアリだとは思います(ヘンな意味ではなく)。
解釈もごくありきたりで、創造的なものは潔いほどに感じません。

いずれも満足には達しなかったものの、強いて選ぶなら、変な個性やクセを差し挟むことなく、あくまで平凡に弾いていた(3)が結局はまともに聞こえたという、自分でも甚だ不思議な結果に終わりました。

使用ピアノについて。
(1)はスタインウェイですが、近年ヨーロッパで流行りなのか、大屋根を本来の角度より大きく開いたスタイル。その効果は音にエッジが出るというか、インパクト性が増すということのような気もしますが、それと引き換えに、荒削りで生々しい印象があり、個人的には好きになれません。そういう意味ではオリジナルの角度というのは、そのあたりも熟慮されているんだろう…と思ったり。

(2)ベーゼンドルファーの現代型コンサートグランドである280。昔の275のようにピアノフォルテを思わせる古典的な美しさではなく、現代の要求を盛り込んで作られたモデルであるだけに、モダンピアノらしい要素とパワーを持ちつつ、音色にはベーゼンドルファーらしさも受け継がれている印象。
ただ、ヤマハが親会社という先入観があるからかもしれないけれど、とくに低音などはかすかにヤマハ臭のようなものが聞こえた気もしましたが、私の思い過ごしでかもしれません。

(3)1990年代ぐらいのスタインウェイでとくに感じるところはありませんでした。
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3つの病院

椎間板ヘルニアになって二月半、結果的に3つの病院に行きました。

はじめは、整形の専門病院として定評のある、かなり大きな病院でした。
簡単な問診のあとレントゲンを撮られ、それを見た医師の診察によると骨に異常は見当たらず、腰回りをあちこち押したり、足の反応を見るなどして、これ以上のことはMRIを撮らないとわからないとのこと。
ただし、MRIは予約制で最短でも一週間後のことになるらしい。

この時点で少し軽く考えてしまい、様子を見ることにしてMRIの予約はしませんでした。
しかし処方された薬の効果もなく、それから一週間もしないうちに症状は確実に悪化、MRIの予約をしなかったことを悔いました。
いまさら予約しても、そこからまた一週間以上先の話になるので、とても痛みに耐え切れず、とりあえず別のペインクリニックに行くことに。

ここでもまたレントゲンを撮られたものの、やはり骨には異常はない由、ヘルニアの可能性が大とのことで、その痛みの様子からとりあえずブロック注射を打つことに。
ヘルニアは手術もしくは自然治癒以外には治療方法がないようで、ブロック注射は麻酔で痛みを和らげることを目的とした対症療法です。
打ったあとは、横になったまま安静を命じられ、1時間ほどで看護師さんに促されて立ち上がりますが、はじめは自力では靴も履けず、介添えされてようやく待合室まで移動するほど足腰が立たなくなっていることに、麻酔の威力(と怖さ)を思い知りました。
安静時も15分毎に血圧をチェックしにくるなど、ずいぶん慎重な様子でした。

これを二回続けるも改善の兆しはなく、やがて診察中も椅子に座ることができず立ったままの体勢となり、待ち時間もベッドを借りて横になるなど、あまりの痛がりように医師も口をへの字にして、ついにMRI画像が必要との判断に至りました。

クリニックにはMRIの設備がないため、大きな病院に委託する形になり、外科としては地元では有名な専門病院と連携しているようで、後日そちらへ赴くことになりました。
その病院のほうが自宅から近いこともあり、こんなことなら始めからこっちに行っておけばよかったとやや後悔。

そういうわけで、私は生まれて初めてMRIというものを3つ目の病院で体験することになります。
前開きの着物のようなものに着替えて、長い廊下を指示される部屋に案内されると、中には真っ白の大きな機械が鎮座し、中央には人ひとりが通るような穴があって、細い寝台のようなものが繋がっています。

看護師さんや撮影技師の方が「狭いところは大丈夫ですか?」「閉所恐怖症などと言われたことはありませんか?」「気持ち悪くなったらいつでも言ってください」「具合が悪いときは、このボタンをおしてください!」「では、ごめんなさいねぇ、がんばりましょう!」などとあまりにも繰り返し言われるものだから、そんなに念を押すほど恐ろしいことが始まるのか?と、却って恐怖心を掻き立てられるようでした。
身体が前後左右に厳格に位置決めされ、撮影中動かないように幅広のマジックテープのようなもので左右からがんじがらめに固定され、頭にはヘッドホンが取り付けられて、リラクゼーション音楽のようなものが虚しく響く中、穴の奥へと押し込められて行きます。

撮影開始後、なにより驚いたのはその不快な音の恐怖。
ピコピコどんどんカンカンといった、なんとも不気味な音が盛大に襲いかかり、この音に耐えられずに断念する人もいるとかで、それも納得というほどのイヤな音に攻撃され続けます。
文字通り機械に縛り付けられた体勢で、こんな非日常の音を容赦なく浴びせられながらの30分は、さすがに疲れました。

二日後クリニックに行くと、やはりヘルニアが確認できるとのことで、とくに手術を希望しないのであればブロック注射などをしながら保存療法で行こうということになりました。
ただ、この時点では、そう遠いわけでもないクリニックに通うのさえ痛みでクルマに乗ることさえ難儀していたので、MRIを撮った病院が最寄りでもあることから、紹介状を書いていただいて、こちらに行くことになりました。

診察初日、またしてもレントゲンを撮るというのにはうんざりでしたが、病院としてはこれナシでの診療行為は不可能であろうから、そこで抵抗してもはじまらないしのでしぶしぶ応じましたが、診察室でMRI画像とレントゲンを見ながら医師の口から出た言葉は「典型的なヘルニアだと思います」というのに加えて「骨格はしっかりしておられますね」というお褒めの言葉で、これまで自分の骨格がしっかりしているなどとは考えたこともなかったので、相も変わらぬ痛みの中、ちょっとだけうれしい気持ちになりました。

ヘルニアは早い場合で一ヶ月、おおむね2〜3ヶ月で治るというのが一般的だそうで、私の場合すでに70日ほどを経過しましたが、ここにきてようやくピーク時に比べれば多少は楽になってきて、ともかくも一息ついた感じです。
まだ痛み止めなどの薬は欠かせませんが、このまま少しずつでもいいから、おさまってくれたらいいのですが…。
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古き佳き

NHKのEテレで放送されているクラシックTVでは、ピアニストの清塚信也氏がMCをつとめられ、会話を交えながら必要に応じてピアノも弾くというスタイル。

この番組は、とくに熱心に見ているわけではないけれど、らららクラシックのころからの録画設定がそのままになっており、自然にたまっているのをたまに視ることがあります。

スタジオの中央奥のやや右手にスタインウェイDが置かれ、清塚氏の定位置はそのピアノの前なので、クルッと方向を変えるだけでピアノが弾けるようになっています。
以前はここで使われるピアノは入れ替わりがあり、艶出しの新しめの楽器と、つや消し仕様の椀木の形状から、おそらく1980年代以前のものと思われる楽器があります。

始めの頃はしばしば入れ替わっていたので、使えるピアノの都合なのか、もしくは曲目等に応じて入れ替えられているのか…ぐらいに思っていましたが、ここ最近は(間違いでなければ)ずっと古いほうのつや消しのほうだけになったように見受けられます。

ということは、やはり清塚氏の好みの問題で、こちらに定着してしまったように感じますが、むろん真相はわかりません。
艶出しのピアノは最新ではないけれど、サイドロゴの大きな我々が最も聴き慣れたタイプのスタインウェイの音で、キラキラしたブリリアントな音のするタイプ。
それに対して、古いほうは、きれいにオーバーホールされ、再塗装もされているのか傷などもなくきれいで、経年でくたびれている感じも一切ないし、足はダブルキャスター用の短いタイプに換装されているなど、製造年が古いというだけで、とても大切に手を入れられたピアノという印象です。

このピアノのほうが出番が多くなったのが、もし清塚氏の意向なんだったらその理由がなへんにあるのか想像するしかありませんが、少なくとも聞いている限りにおいては、こちらのピアノのほうがふくよかで、音そのものの太さがあると思います。
ふくよかというと、キレの良さより柔らかい音とイメージしがちですが、そうではなく、きちんとした輪郭もあるところがさすがという気がします。
はじめからブリリアントを狙っている音ではなく、基音が力強く骨太で、深さがあり、ソフトにも華麗にも、繊細にもパワフルにも、如何ようにも弾き手次第という感じがあって、だれが弾いても輝く音がすぐ出てしまう新しめのピアノとは決定的に違うような印象です。

どちらがいいかは簡単には決められないことでしょう。
昔ながらの良さを好む人達にはこちらが本来の姿で、使っている材料も素晴らしいなどと言い分はたくさんあるでしょうし、むろん私もそちらに近いのですが、その後の、多少キラキラ系の華麗さを前に出したスタインウェイも、やはりこれはこれで抗しがたい魅力があります。
他のメーカーがこれを表面だけを真似たものは、ケバケバしく、耳にうるさいだけというものもありますが、スタインウェイの場合はやはりなんといっても圧倒的な美しさがある点が決定的に違うところでしょう。

ただ、数は少ないけれど本当に弾ける、芸術的な演奏をするピアニストの場合、自在な表現、楽器を思いのままにコントロールできる音色の幅や懐の大きさのある、少し前の楽器のほうが向いているようにも思います。

新しい世代のスタインウェイは、誰が弾いてもそこそこ美しく仕上がるという点で、それも大したものだと思いますし、それを時代が求めたということであれば、そのように変化したというのもわからないでもありませんが…。

むかし関西のスタインウェイ技術者として有名な方が、自分が過去にNHKで聞いた最も良いと思ったスタインウェイは、長いこと体操番組で使われているアレや!とおっしゃって、大いに膝を打ったことを思い出します。
重厚かつ明晰、ピアノからこんな音が出るのか!といいたくなるような美しいその音は、体操の伴奏には不釣り合いなほど冴えわたっており、これぞ他を寄せ付けぬスタインウェイ!というオーラがあったことを私も子供の頃の記憶としてしっかり覚えています。

おそらくピアノ自体は第一線を退いて演奏収録などにはより新しい楽器が使われて、体操番組などで使われる2軍選手として下げ渡されたものかもしれませんが、そちらのほうが素晴らしかったというのも皮肉な話です。

もしピアノが運搬のハンディのない楽器だったら、きっと大半のピアニストは自分の愛器にこだわり抜くだろうし、新しいピアノがいまのように大手を振ることは絶対にないだろうと思います。
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藤田真央

ヘルニアは少しずつ改善に向かっている(と思いたい)ので、毎日数行ずつ書いています。

少し前のプレミアムシアターから、ルツェルン音楽祭2022で藤田真央さんがソリストを務めた、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番を視聴しました。指揮はリッカルド・シャイー/ルツェルン祝祭管弦楽団。

小柄な体格ゆえかドシッとした安定感は感じないけれど、リスのような俊敏さがあり、この曲の演奏に期待してしまう大技や重厚なロマンティシズムの代わりに、正確で目の細かい音楽として楽しむことができました。

とくに藤田さんの特徴として感じるのは、どんな音楽も決して大上段に構えるのではなく、もったいぶらず、断定せず、自分の感性に従ったものを臆することなく表現していくところは、なるほど新しい演奏の在り方なのかと思いました。

協奏曲ではオーケストラのトゥッティからピアノが引き継いでいく箇所などは、普通ならソリストとしてのインパクトを示したいようなところでしょうが、藤田さんは川が合流するように流麗にピアノが流れ込み、縫い目のない布のように扱われるし、テンポにおいてもアーティキュレーションにおいても、自己主張より連続性を優先させるあたりは、もっと自己顕示的をしようと思えばいくらでもできるのに、それをしないのは注目に値する点かもしれません。

よほどの自信なのか、そこが彼の個性なのかよくはわからないけれど、これはなかなか勇気のいることでしょう。
風貌も話し方も少年のようでありながら、健康的な大きな手をしていて、それが自在かつ正確に鍵盤上を喜々として駆け回るさまは見事という他ありません。

彼の演奏には、泥臭さ汗臭さが微塵もなく、かといって中身のない無機質な演奏でもなく、キレの良さや繊細芸で聴かせるタイプ。
しかも繊細芸で聴かせるタイプは、聴くものに静寂と集中を強要する場合があるけれど、藤田さんの場合はそれもなく、自由に好きな様に聞いてくれという空気を作り出しているところが、とても珍しいように思います。

尤も、全面的に肯定しているわけでもなく、上記のような特徴のためか、深く歌い込んで欲しいところや、メリハリとなるような明確なポイントとなる強い音が欲しいときなど、もうひとつ物足りない面もあって、個人的には何度も繰り返し聴きたくなる感じではなく、いちど聴けば充分です。

とはいえ、何もかも兼ね備えるというわけにはいかないので、その人にしかない良いところを感じられたらそれでいいのかとも思います。
詳しくは知らないけれど、噂によれば、藤田さんの真骨頂はモーツァルトにあるのだそうで、すでにソナタ全集なども出ているようですが、いつか機会があれば聴いてみたいものです。

いくつか動画で見たことはありますが、なるほどと思う時と、首を傾げる時の両方があって、個人的な評価はまだ定まりませんが、大変才能豊かなピアニストであることは間違いないようです。
ただ彼に好感が持てる点は、そつのない解釈やウケ狙いではなく、彼独自のスタンスで演奏しているように見受けられるところでしょうか?
とくに、今どきの若手の中にはことさら無意味な間をとってみせたり、必要もないのにもってまわったような情感表現をする人もすくなくない中、藤田さんはそういうことには目もくれず、我が道を行っているよう見受けられるのは好感が得られました。

これは今どきの情報過多で、過当競争が激しい時代にあっては、なかなかできることではないと思います。
強いて言うなら、モーツァルトで確かな立ち位置を築きながら、片やラフマニノフの3番のような重量級の演奏もこなしているのは、軽量ピアニストに見られないためのバランス取りというか、防衛策なのかもしれませんが。

何かで見たけれど、ヨーロッパにある彼のアパートでは、ベヒシュタインの中型アップライトを使っておいでのようで「おお!」と思いました。
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