電池交換

腕時計の電池交換のおはなし。

個人的にはお高い腕時計などはあまり関心がなく、早い話、デザインさえ気に入ればスウォッチでも十分で、とくに金属製のものはデザインも常識的で重宝しています。
とくに電池交換が自分で簡単にできるのはありがたいところ。

自動巻きは毎日連続して使う人にはいいのでしょうが、放っておくと数日で止まってしまい、出かける際にねじ巻き&時刻合わせが必要となり、時計好きの方にはそれも味わいなのでしょうが、私にはただ面倒くさいだけ。
その点クォーツは便利だけれど、数年に一度は電池切れで止まるので、その交換となるといささか厄介です。

さほど御大層なものでなくても、ものによってはデパートなどにいけば、たかだか電池交換でもメーカーもしくは輸入元送りとなり、そのための費用・時間・手間などバカバカしいと言ったらありません。

近年はホームセンターの一角でも、合鍵を作ったり、靴底を張り替えたりするコーナーで時計の電池交換もできることになっていますが、ちょっと規格から外れたものになると特に高級品ではなくても、応じてもらえません。
技術的な問題なのか、あるいは事後のクレームを避けているのかわかりませんが、とにかく「これは買われたところか、時計専門店でないとできません」と断られ、ごく最近もやはり同様でした。

これまで自宅から車で5分ぐらいのところにある街の小さな時計店がすぐに交換してくれていたので、長いことここでお世話になっていました。
費用もほかのものと変わらず安価なのがありがたく、高齢の寡黙な時計職人さんがひとりで黙々とやっている小さな店でしたが、最近久々に行ってみたところ、その時計店が忽然と姿を消しており、何度見ても影も形もありませんでした。
頼りにしていた店がなくなるというのは、心にぽっかり穴があくようです。
年齢的なこともあったのか、事情はわからないけれど、とにかく廃業されたようです。

さあ困った…ということになり、ネットで調べた結果、それらしき店が数店みつかり、その中の最短距離にある店で無事に交換することができました。
ここも客が2人も入れば狭苦しいほどのごく小さな店で、やはりベテラン風の職人さんが一人で切り盛りされており、駅前ということもあってかぽつりぽつりとお客さんが絶えません。
そのため、電池交換だけで40分ほどかかりましたが、出来上がった時には丁寧に磨かれ、キチンと時刻合わせもされており、これで1100円とはちょっと申し訳ないような感じでした。

…余談ですが、このとき持っていったのはずいぶん昔に中国旅行したとき、ものすごい規模の市場(カバンや装身具の類)で勢いに呑まれて購入してしまったブランド物のコピー品でした。
何百店もが軒を連ねた独特な商店群で、通路を歩いていると、あちこちの店からワイワイ声をかけられ、袖を引っ張られ、それはもう猛烈なエネルギーで商品をすすめてきます。
安いし、旅のノリでつい買ってしまったものですが、それが望外によくできていて、気に入ってときどき使っています。
きっと、私に時計への思い入れや愛着がないからできることで、本当の時計好きだったらプライドが許さないことでしょう。
このブランドは本物でも電池式だからそうなっていて、巻き上げ式のモデルはちゃんとそのように作られているなど、そのあたりの技術は見くびれないものがあるようで、しかもその値段を考えると信じがたいものがあります。

そんないわくのある時計の電池交換だったのですが、差し出すと「☓☓ですね」とブランド名をいわれたので、「実はコピーなんです」と正直にいうと「ほう、そうですか」と至って静かな受け答えでしたが、真横にいた先客のオバサマが、いきなり「アハハハハ」と遠慮なく笑ってくださいました。
コピー品という負い目はあるけれど、アカの他人のモノに対して横から割り込んで笑うとはさすがに無礼では?と思い、ゆっくりその顔を見てやると、さすがにちょっと気まずそうな表情になりました。

40分後取りに行ったとき、しみじみと「しかし、これは良くできてますねぇ、私も本物だと思いましたよ」と真顔で言われました。
素直に喜ぶわけにもいかないような話ですが、手触りから何から本当によく出来ているので、それがまた却って電池交換時の小さな憂鬱になるのです。
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肩すかし

昨日の『題名のない音楽会』は「ファイナリストが選ぶ世界最高峰のピアノ“Shigeru Kawai”の工場を訪ねる休日」というものでした。
この長寿番組は、毎回、基本的にトークと演奏によって成り立ち、場所はホールもしくはスタジオで、番組メンバーが外に出ていく、まして特定の楽器メーカーを訪ねるというのは、非常に珍しい事のように思います。

いちおう毎週録画する設定になっているので、いずれは目にしたと思いますが、今回は知人の方から事前に教えていただきましたので、心待ちにしてさっそく見てみることに。
今回はゲスト出演としてピアニストの務川慧悟さんが同行しておられました。

タイトルからして、シゲルカワイの特徴や秘密などにある程度迫る内容であろうことを期待していましたが、あれよあれよといううちに終わってしまい、正直肩すかしをくったようでした。
番組では何度も「世界最高峰」という言葉が使われましたが、それがどう最高峰なのか、どのような目標や注意を払って製造されているのかをわずかでも垣間見たかったのですが、紹介されたのは響板を人の手で削っているところぐらいで、他にはカーボン製のアクションが環境や音域に左右されずに均等なタッチを実現しているとのことでしたが、それはカワイの全モデルがそうであるし、その中でシゲルカワイというシリーズがどのように特別なのかという点は、せっかく工場まで行ったのにほとんど伝えられないままでした。

ピアノの響板にオルゴールを当てるとパッと音が大きくなるという実験は、響板がいかに音を増幅させることに貢献しているかを知る手段ではありますが、それはどのピアノでも同じこと。

ショパンコンクールでシゲルカワイを弾いて第二位になった、アレクサンダー・ガジェブ氏がVTR出演していましたが、氏によれば「音のぬくもりが、ショパンの愛したプレイエルに似ている」というようなコメントでしたが、カワイがプレイエルに似ているとは思ってもみなかったことで、少し面食らった感じでもありました。

作業着姿で工場内を案内された方々も、シゲルカワイに特化した説明はほとんどなく、EXの時代からカタログでもしばしば目にする無響室という、まったく響きのない空間で楽器の素の音をチェックしていることなどに時間を費やします。

そんな中、言葉は少なめでも最もシゲルカワイの特徴を語ったのは務川慧悟さんで、浜松駅構内のカワイブースでフランス組曲を少し弾いたあと「温かい木の響きがする」「やわらかい暖色系の音」「ただ、やわらかいだけではホールではぼやけてしまう事があるが、パスタのアルデンテのように柔らかさの中に芯がある」さらに「タッチが均一で素晴らしい」などと、彼だけが弾く立場からわずかに言及したに留まった印象。

やはり感じたのはTVの世界は、さまざまな利害や制約が絡んで、がんじがらめなのだろうと思わざるをえないこと。
とりわけ日本のメディアはなによりもクレームや責任問題を恐れて、やたら忖度しまくる体質もあるのでしょう。
カワイにしても、本来なら言いたいことは山のようにあるはずですが、そこに言及するとライバルとの兼ね合いやらなにやら、多くの事情から沈黙するのだろうし、局側も同様で、用心づくしの中をかいくぐるようにして番組制作すと、結果はこういうものになるのだろうと見る側も「忖度」しました。
現にカワイショップに行くと、シゲルカワイがいかに優れていて特別か、ゆえに世界中で支持されているかをガンガン語られ、それをいつまでも聞かされるハメになった経験もありますから。

そもそも30分番組の中で、まずCM、視聴者向けのトークの時間、ピアニストによる演奏時間を差し引くと、楽器そのものに割り当てることのできる時間は大幅に少なくなり、肝心のところが伝わらないのはやむを得ないでしょう。

個人的なイメージではシゲルカワイの主な特徴は、量産型をベースにしながら、楽器としての価値を左右するいくつかのポイントを丁寧な手作業に負っているとか、素材の品質、とりわけ響板の自然乾燥などが効いているのでは?と思いますが、それを番組内で言うとまた様々な不都合もあるからなのか、核心はあえてスルーしていく?などと想像をたくましくするばかりです。
とくに『題名のない音楽会』は民放ということもあるでしょう。

ことほどさように今の世の中とは、複雑に気を遣ってリスクを避けるなど、かなり息苦しいものだと思うしかありませんが、だからTVの情報などだけに頼っていたら、真実からどんどん遠ざかってしまうという、一種の警告みたいなものが後味に残りました。

ちなみに、無響室に置かれていたのは、マホガニーのような杢目の美しいピアノ(SK-7?)で、特注品なのか非売品なのかわかりませんが、通常なかなかお目にかかれない感じのピアノで、ついそちらに目が行ってしまいました。
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本家の修復

ネットというのは不気味なもので、レガシーピアノのことをあれこれ見たせいか、自動的に類似の動画などを手繰り寄せてくれるのですが、その中に興味深いものがありました。

山形県の県立長井高校という歴史ある学校にあるスタインウェイのおはなし。
1923年(大正12年7月11日)にハンブルクから日本へ向けて出荷したという記録があり、同校の1926年の卒業アルバムには、すでにそのスタインウェイが写っていることから、おそらくこの学校のために新品がはるばるドイツから取り寄せられたと考えられ、昔はこのような篤志家がおられたんだなぁと感心させられます。
戦前はピアノといえば必然的に高級輸入品の時代だから、主だった学校には世界の銘器がわりにあったようで、国内メーカーのピアノが学校現場にも台頭してくるのは戦後になってからでしょう。
このスタインウェイは県立長井高校で大正・昭和・平成・令和にかけて、途中、大戦をもくぐり抜けて100年生きてきたピアノだと思うと唸ってしまいます。

ところが、2002年、そのスタインウェイについに廃棄処分の話が出たとか。
しかし当時の音楽の先生が廃棄は忍びなかったようで、スタインウェイジャパンに連絡したところ、無料で引き取ることになり、住み馴れた学校を離れることになったものの、これにより廃棄処分されることは免れたようでした。

それから一年、「修復できました」との連絡が学校にもたらされたというのです。
スタインウェイジャパンによって完全修復されたとあらば商品価値も高く、市場に出せば引く手あまただったはずですが、「もし学校が引き取られるのであれば、(修復に)かかった費用だけでお譲りすることもできます」という提案だったようで、その先生は「なんとか取り戻したい」という思いから、多くの人達を巻き込んで長井高校の同窓会を中心に費用を集め、ピアノは美しく蘇った姿でめでたく長井高校に戻ってきたそうです。

響板も張り替えられ、全塗装、弦やハンマーはじめアクションその他の消耗パーツはもちろん、見た感じでは鍵盤まで新しいものになっているようで、まさに国内最高レベルの修復だったのでしょう。
スタインウェイ社のメニューに沿った作業だったと思われますが、これにかかった費用というのが450万円だそうで、むろん大金ではありますが、このところその4倍の金額を繰り返し聞いていたので、ずいぶんリーズナブルなものに思えてしまいました。
ただし、この修復が行われたのは2004年ごろで、今ならまた違ってくるとは思いますが、何倍にもなるとは考えられません。

個人的には、スタインウェイジャパンだからといってすべてが絶対だとは思っているわけではありませんが、非正規の修理を事あるごとに非難し注意喚起している発信源でもあり、いちおう信頼できる作業だっただろうとは思います。
そういう意味では、価格も定められた基準から算出されたものと考えれば、これが業界における当時の最高額と考えてよいだろうと思われます。

ちなみに長井高校のピアノは中型のB-211で数字は奥行きを表しており、コンサートグランドはD-274なので奥行きがちがいますが、修復にかかる手間というのは、大きく変わるものではありません。
違うのは弦の長さや、響板の広さなどですが、それらが多少加算される程度で、基本は大差ないのです。

ひとつだけ決定的な違いを挙げるなら、レガシーピアノは修復を機にダブルキャスター化されていたので、これは部品代だけで結構なお値段がするでしょうから、その違いはあるとしても。

その後、このスタインウェイは長井高校の歴史ある大切なピアノとして、3年に一度、ホールに運んで著名ピアニストによるコンサートを行っているようで、生徒さんたちも文化面での新しい注目点ができたことでしょう。
これほど見事に修復されたオールドスタインウェイが自分の学校にあり、在学中その音がピアニストの演奏でホールで聴けるなんて、長井高校の皆さんはなんと幸せだろうと思います。

ピアノは弦楽器とちがって所詮は消耗品!などとさも訳のわかったような顔で断じてしまう方がいらっしゃいますが、修復ピアノをみていると、良いピアノなら100年でも150年でも使い続けられるということが証明されているわけで、いっぽう長持ちするはずの弦楽器の場合、いいものは定期的に技術者に託されて非常に高度なメンテを必要とするなど、多大な手間暇やコストがかかることも見落とすべきではないと思います。
それに比べればピアノは長いこと厳しい環境に晒され、ガンガン使われ、それでも数十年に一度、本格的なオーバーホールを受ければ見事に蘇るわけで、もし弦楽器にピアノ同様の扱いをしたならたちまち崩壊してしまうにちがいありません。

ドイツのスタインウェイ本拠地であるハンブルクでは、100年も前のスタインウェイを修復し、世界的ピアニストのコンサートにもたびたび提供されていたりと、ピアノの寿命というのは手を入れればとてつもなく長いものであることは間違いないようです。
それを最も認めたがらないのは、新品を一台でも多く販売して利益に繋げたいメーカー自身かもしれません。
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ピアニスト今昔

いま読んでいる本は、ひとりの巨人を軸とした20世紀の日本のピアノ史を縦断する一冊で、ページを開くたび頭の中が昔に引き戻されていくようで、その時代の日本人ピアニストの演奏を少し聞いてみたくなりました。

日本のピアノ教育は戦後の経済成長期を背景にひとつのピークを迎え、その時期に育った戦後世代の実力派が現れます。
その中でも、テクニシャンとして注目され、海外留学/有名コンクールにも上位入賞を果たした男性がおられ、帰国後のリサイタルが行われたときには、子供だった私も親に連れられて行きました。

当時の日本では、ピアノといえばまだまだ女性が多く、ドレスに身を包んだ華奢な女性が大きなピアノに向かって、決然と挑みかかるような姿にはどこか悲壮なものがあって、純粋に演奏を楽しむというのとは少し趣がちがっていたかもしれません。
そんな中、強靭な技巧をひっさげて登場したこのピアニストは、男性ならではの演奏骨格と安定感で鮮烈で、それが子供心にとても印象に残っている覚えがあります。

その後も着実な演奏活動と教育者としても輝かしい足跡も残された、日本のピアノ界の一角を築き上げたおひとりです。
残念ながらCDは持っていないので、こういう時こそネットの出番とばかりに探してみると、いくつかの音源や映像に行き当たりました。

以前、園田高弘さんの演奏で思いがけない感激があったので、単純に同様の期待をしていたところ、今回はややあてが外れてしまいました。
この方のイメージである「逞しいテクニック」には、そこにはなにか人を寄せ付けない冷たい雰囲気があり、なるほど正確に弾かれてはいるけれど、まだ日本人とピアノが完全に融け合ってはいない時代の暗さみたいなものが漂っているようでした。

これは、上に述べた女性の悲壮感と本質のところでは大差ないものかもしれず、音楽的にも知的に完成されたようでありながら、その演奏は硬直して聞こえ、自然な歌心やほほ笑みはなく、どうにも重苦しい印象が拭えません。
ピアノ版巨人の星ではないけれど、当時の過酷なレッスンの情景までもが繋がって見えてくるようで、いわば日本人ピアニストの過渡期の演奏だったと思いました。

やはり当時の本音は、まず正確にバリバリ弾けることが正義だった時代で、その寵児も時代に縛られていた面もあったことでしょう。
音楽や演奏を楽しむというより、追いつけ追い越せで初めて200km/hを超えたクルマみたいな感じで、むしろ前世代の園田氏のほうがはるかに自由があって、音楽がその人の人間性に乗って、どこかおおらかに聴こえてくる演奏だったのは意外でした。
それが戦後世代になると、受験競争にも通じる要素を帯びてくるように感じるのは私だけでしょうか?

なにやら疲れてしまって、試しに現代の日本人ピアニスト(例えば務川慧悟さんや藤田真央さんなど数名)を聴いてみると、あっと驚くばかりに無理なく楽に弾いていて、洗練されていて、ゆとりがあって、とにかくすべてが違っているのに愕然とさせられました。
これまで、さんざん現代のピアニストの問題点ばかりをあげつらってきた自分が恥ずかしくなるほど、なんと無駄なく自然にピアノに向えているのかと感激してしまい、今昔の感に堪えないものがありました。
音色の出し方ひとつでも、気負ったものがないから澄んだ美しい音が出ており、およそ「バリバリ弾く」などという気配もありません。
そもそもバリバリ弾く価値とは、技術的に未発達な環境だから成立するもので、現代は弾けるのは当たり前だから、そんな価値観自体がもはや自然消滅したのでしょう。

例外はあるにせよ、昔の日本人ピアニストの多くは、どこかしらピアノと格闘し自分と格闘しているようで、楽器が悲鳴を上げるぐらいやれれば勝利者のようで、実際そうだったのだろうとも思います。
先達が切り拓いたそういう時代を経て、ついには今日のような国際基準のピアニストが───名前を覚えるひまもないほど、次から次へと輩出される時代になったのかと思うと、旧世代はその前線で苦戦を強いられた勇敢な兵士だったような気がしました。
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