ヘルニア騒ぎから半年を待たずして、再び安静を要する事態となりましたが、肺炎はだいぶ落ち着きつつあるようです。
療養がてら、またも動画配信のお世話になる時間も増えてしまっています。
映画もむろん楽しめますが、気軽さという点ではドラマのほうに分があるのはどうしてだろう…と思うところ。
映画のほうが作品として圧縮されているためか、観る側にも集中が求められるのかもしれません。
個人的にはアクション系は好きではないし、刑事物・医療物もできるだけ避けたいというのがありますが、知人がすすめるのでBOSCHという刑事ドラマに手をかけてしまいました。
舞台はロス市警、主人公は離婚歴のあるベテラン刑事で、お定まりのちょっとアウトローだけれど、小柄な体躯の中にグリーンベレー出身のタフさと気骨があり、刑事としては一流という設定です。
ロサンゼルスというのはそもそもアメリカのエンタメ文化の聖地でもあり、この地が舞台というのは数しれず、警察物ではもはや古典ともいえるコロンボ警部もロス市警でした。
切れ者の刑事というのは大抵小柄で、見た目は決して派手なタイプではないのも、ある種お約束のように思います。
凶悪犯罪に挑んで犯人を追い詰め、悪に斬り込んでいくには、長身のイケメンやマッチョより、小柄で型にはまらないタイプのほうが味があり、収まりもよく、見る側も楽しめるのだろうと思います。
相撲で、小兵力士が横綱に土をつけるときなどに相撲の醍醐味があるのと似たようなものかもしれません。
さて、このボッシュ刑事ですが、顔を見るたび誰かにいていると気になって仕方がなかったのですが、シーズン3に至ってようやくわかったのは、なんと帝王カラヤンでした。
ヘアースタイルがまるで違うのと、時代もジャンルもあまりに別世界なので、なかなか結びつきませんでした。
そういえばカラヤンも小柄で、小柄というのは、逆にある種の凄みや存在感があることがありますね。
たしかナポレオンもそうだと読んだ覚えがあるし、現ロシア大統領大統領もそうですね。
話は飛んで、昨年の秋ごろ、もう一つの趣味であるクルマで、カーグラという月刊誌があるのですが、その定期購読をついにやめたことは、もしかしたら書いたかもしれません。
免許取得前から40数年にわたり、一冊も欠かさず愛読してきた月刊誌でしたが、カリスマ性のある小林彰太郎という創刊者の死後、その内容は目に見えてつまらなくなり、さらには時代の変化もクルマには逆風だったのか、ついには(私にとっては)立ち読みする価値もないまでになり、とうとうふんぎりをつけたのですが、意外に予想したよりはるかにサッパリしました。
クルマの知人が「カーグラは昔のものを読むべき」としきりにいうので、そうかと思い50年前のものをパラパラやっていたら、そこにはまさに小林彰太郎全盛期の文章がふんだんに並んでおり、引き寄せられるように読みふけってしまいました。
小林氏は日本の自動車ジャーナリズムの草分にして圧倒的な存在でしたが、東大卒の大変な教養人で、実はクラシック音楽の大ファンでもあり、中でもとくにピアノ音楽を好まれていたことは驚くべき偶然でした。
一度きりでしたがお目にかかったことがあり、クルマの話もそこそこに話題は一気にピアノになりコルトーについて会話した特別な思い出があります。
さて、1974年の号(これはバックナンバーで入手したもの)にはロンドンのクリスティーズオークションを見学した時のレポートがあり、その中の一台は元のオーナーがカラヤンだそうで、ごく簡潔に「元ヘルベルト・カラヤン所有」と書かれてところに、さすがは小林氏と唸ってしまいました。
というのも、カラヤンは、世界的に、そして終生、ヘルベルト・フォン・カラヤンの名で認知されていましたが、ものの本によると、ドイツでフォンを名乗るのは貴族だけで、彼はオーストリア出身かつ自分の出自が貴族でないにもかかわらず、その強烈なる虚栄心から、フォンを勝手に使っているとありました。
小林氏は文章上の言葉や名称にはとくに正確を期する厳格なスタンスを貫いた人で、だからこの表記はおそらくそのことを知っての上だったと思われます。
すなわち、「フォン」を書き忘れたのではなく、意図的に「外した」のだと想像すると思わずニンマリしました。
それにしても自分でフォンをつけて定着させるとは、やはりタダモノではありません。
日本人なら、自分でミナモトノオザワセイジなんていったらびっくりしますよね。
ちなみにルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンやフィンセント・ファン・ゴッホもどこか似ていますが、こちらは貴族由来ではないようです。
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