マイ・バッハ

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』という2017年ブラジル製作の映画を見ました。
以前からお気に入りに入れてはいたものの、「マイバッハ」というのが車の名前みたいであまりそそられず、ずっとそのままにしていたもの。
ようやく見てみたところ、思ったよりも見応えのある作品でした。

個人的に見るのに時間がかかったのは専らタイトルのせいで、原題を調べるとぜんぜん違うようでした。この映画に限ったことではないけれど、どうしてこんな邦題になるのか?と首をひねることが少なくありません。

以前もアルゲリッチのドキュメント映画で『私こそ音楽!』という、なんとも幼稚で知恵のかけらもない邦題に驚いたものです。
映画にとって、タイトルは非常に重要なものであることはいうまでもなく、邦題をつけるにあたりもう少しセンスのある人はいないのか?と思います。
…いや、センス以前というか、映画の内容を理解しているのか?そもそも映画を見たのか?とさえ勘ぐりたくようなものが少なくありません。

さて『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』はブラジルのジョアン・カルロス・マルティンス(1940年生)というピアニストの半生を描いた作品でしたが、あろうことか私はこの人のことをほとんどなにも知りませんでした。

才能あふれるピアニストとして頭角をあらわし、ニューヨークに移り住んで、さあこれから世界に打って出ようとしていた矢先、たまたま目にした有名なサッカーチームの練習に吸い寄せられるように近づき、そこで走り回っているうちに手に大怪我を負ってしまいピアニストの活躍にとんでもない急ブレーキが掛かります。
それでもなんとかリハビリを重ね、徐々に演奏活動も軌道に乗り、名声も復活したかに見えますが、45歳のときに暴漢に襲われ鉄パイプで殴られ、再び大怪我を負うという不運に見舞われ、そんな境涯を果敢に生き続ける姿が描かれています。

映画として面白いかどう以前に、才能あふれるピアニストの身にそのような不幸が襲いかかるという現実は、あまりに残酷で見ちゃいられないものでした。

それにしても、1940年代の南米といえば、アルゲリッチ、バレンボイム、ゲルバー、フレイレなど、とてつもないピアニストが続々と登場してきたのはどういうわけだろうと思います。
さらに世代の枠を外せば、アラウやボレット、フリッター、モンテーロ、作曲家でもヴィラ=ロボスやナザレーなど、挙げていたらキリがないほどで、ひょっとすると北米より音楽の大物は多いのかもしれません。

映画に戻ると、使われるピアノもよく時代考証されており、ずいぶんたくさんの古いピアノが出てきたのは、楽器を楽しむ側面からいっても見どころの多い映画でした。
戦前のベヒシュタインや、いかにもマルティンスが若いころのニューヨーク・スタインウェイなど、ピアノのチョイスもほとんど違和感なく楽しめるものだったことは見事だったと思います。
ほかにもフッペルや名前のわからないピアノがあれこれ出てきて、これだけ多くの珍しいピアノが出てくるという点においても貴重な映画だろうと思います。

「ほとんど」と書いたのは、一度だけ、時代もモデルもおかしなタイミングでヤマハが出てきたのは、ほかが見事だっただけに残念でした。
それにしても「マイ・バッハ」ってどういう意図のタイトルなんだか、いまだにわかりません。

おもいで

このところまた腰が痛みだし、パソコンの前に座る時間がを減らさざるを得ず、書き込みが少なくなりました。

安静にしようと、ある随筆を読んでいると、半ば詩のようにやわらかに語られる言葉の中から、昔の情景が自然と目の前に広がってくることが何度かあり、そのたびに遠い昔に連れ戻されるようでした。
幼いころの光景がふわふわとよみがえるのは、なつかしさもあるけれど、どこかもの悲しいのはなぜでしょう…。

生まれてはじめてピアノの先生のところに行った頃のこと。
いわゆる街の先生で、親がなぜその先生につけたのかなど幼稚園の私にはまったくわかりませんでしたが、とくにピアノをさせようというような意思があったとは思えないし、子供の足でも歩いて10分ほどのところにあるというぐらいの、ごく単純な理由だったに違いありません。

先生宅は古い木造の2階建てで、ギィギィときしむ階段を登ると、グランドピアノが二階の板敷きの二間をまたいで前後の足をかけるように置かれていて、後ろ足のほうの床は階段部分にかぶっており、子供心にも不安を覚えたものです。

女の先生で、使われた教本のタイトルは思い出せないけれど、子供の目にもやたらと子供向けの、1ページに音符が一つか二つ大きく書いてあり、ページが進むごとに音符の数が少しずつ増えていくようなもので、これがもう救いようがないほどおもしろくなくて、おそらく1〜2ヶ月通ったあたりで我慢の限界。

私がいやがると、ことさら自由な感性で生きていた父は「いやならやめればいい」と言い出し、母もすんなり「そうね」と同調し、あっけなく止めてしまいました。
それでも誰から強制されるでもなく危なっかしい手つきでレコードを回してはよく聞いていたし、自己流で鍵盤に触れることはやっていたのはピアノは嫌いじゃなかったからだと思います。
自己流で少しずつあれこれ弾くマネごとのようなことをしながら、めちゃくちゃな指使いでエリーゼのためにぐらいを弾けるようになったことは我ながら笑ってしまいます。

コンサートにもよく連れられていったこともあってか、ついに自分から「ピアノを習いたい」と志願したのです。
しかし、それはすでに小学校5年生ぐらいのことで、これがいかにも遅すぎました。

ならばと連れて行かれたのが、泣く子も黙る、超スパルタ音楽院でした。
といっても、あえて厳しいところに入れようというような教育熱からではなく、院長先生と我が家とはちょっとした御縁があったし、ほかにあてもなかったからで、なにごともそんな程度の理由で物事が片付いていく時代でした。

当時、日本のピアノ教育会は井口基成氏がいわば天下人で、他には安川、永井等々いろいろとあったようですが、なにしろ井口先生にはカリスマ性があり、夫人や妹さんまでピアノ教育者として名を馳せた一族で、さらには桐朋の音楽科設立にも寄与した事もあって、当時は他を寄せ付けぬ威光がありました。

…でもそれは東京の話でしょ?と思いがちですが、福岡の院長は基成氏の直弟子たる猛女(先生)で、ご主人が実業家であったこともありそのための音楽院まで作って、飛行機が高名な先生たちをどんどん輸送しました。
まるでドラえもんのどこでもドアのように、そこはまさに井口系のピアノ道場だったのです。

というわけで、そんな環境は私に向いているわけがありません。
それでろくに練習もせず、あれこれと策を弄して逃げまわる数年間を送ったことは過去にも書いたことですが、身近に接する芸大/芸高/桐朋などを受験する生徒の腕前は大したものだったし、発表会ではなんと九州交響楽団が共演することもあり、いま思えば貴重な経験になったとは思っています。

ピアノ受難

パリ・オリンピックが閉幕しました。

パリ大会の開会式・閉会式では、ピアノが様々に登場したようですが、その使われ方には疑問の残るものが多かったように思います。

開会式での激しい雨にさらされてびしょ濡れのピアノが複数あったことはすでに書きましたが、閉会式では、今度はピアノとピアニストが宙吊りにされ、垂直のまま演奏するという驚きの光景を見せられることに。
以前も、フランスでは空中でピアノを弾くという奇想天外なパフォーマンスを動画を見た覚えがありましたが、もともとフランスという国はそういうイカれたことが好きなのか?!?

さらに驚いたことには、今回のオリンピックではピアノを燃やしてしまうパフォーマンスもあったのだそうで、もうそこに至っては見たくもないので動画を探してもいません。
中には「カッコいい」という意見もあるようですが、非難の声も相当あがっているようです。

「開会式では雨に濡れ燃やされたピアノ、閉会式では吊り下げられたり、ピアノの使い方がおかしい」
「ピアノに対して恨みでもあるんか?」
「ひどい」「ピアノがかわいそう」といった意見もネット上にちらほら出ていました。

ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の場面を揶揄したり、マリー・アントワネットの首が出たりと、かなり過激な試みも恐れることなく挑戦するという意欲は買うとしても、いささかやり過ぎでは?と思う面が多すぎたののかもしれません。

そもそも、芸術の都として名高いパリで、ピアノという楽器に対してあのような非文化的な扱いをすること自体が、個人的にはその見識のほどを疑ってしまうものがありました。
これが、文化の何たるかもまるで解さないような、成金の野蛮国の所業ならともかく、なにしろパリですからね。
パリにはピアノに関する歴史でもプレイエルがあり、ショパンやドビュッシーが住み暮らし、ロンやコルトーやフランソワがいた街であったことを考えると、やはり今回の振る舞いは納得がいきません。

最後の吊り上げ演奏では、単純な疑問も残ります。グランドピアノの構造は水平であってはじめて機能するもの。
これを縦に吊るした(しかも鍵盤が下)というのは、少しでもグランドのアクションの構造を知る人なら、演奏するのは常識では不可能なはず。

ということは、音源は別にあって、空中で弾いているマネだけしていることも大いにありそうで、これを口パクというのかアテレコというのか適確な言葉はわからないけれど、あまりに意表をつくハデな演出ばかりでは虚しいです。

フランスに限ったことではないけれど、とにかくハデなことをやって注目を集めさえすれば、それが正義という価値観があまりに中心になりすぎていて、まさに炎上商法ですね。
そんなことをしなくても、パリの輝きは世界中が知っていると思いますけどね。

競技や審判に関することでも非難される事柄がずいぶんと多かったようで、今どきのスポーツが純粋公正でさわやかなものとはもとより思っていないけれど、それにしえもマイナス面も数多かったように感じました。

ちなみに宙吊りにされたピアノはヤマハでしたね。

まさか!

偶然をもうひとつ。
録画設定しているTV番組は、視る機会のほうがはるかに少ないから溜まっていく一方で、HDの容量確保のためときどき整理が必要で、タイトルだけ見て消したり、ときに少し見てみたり。

『新・美の巨人』6月22日放送分は、建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」をとった山本理顕氏が手がけた横浜市立子安小学校が採り上げられていました。

建築のことはよくわからないけれど、見るのはとても面白い。
ここは全校生徒が1000人を超える大きな学校で、それを前提とした機能的な建築のようでした。
体育館に集合というと、全校生徒はわずか10分ほどで体育館に集まる事ができる由、これはL字型をした校舎に抱かれるように体育館があり、二方向から最短距離で体育館と繋がれているためだとか。

学校の体育館といえばステージがあり、ステージにはピアノがあるのがごく当たり前。
この時も舞台の下手のほうにカバーのかかったグランドピアノらしきものがあって、それは小さく画面の端に数秒しか映らないのに、悲しい習性でついチェックをしてしまいます。

一般的に日本の公立の小学校ならばヤマハかカワイ以外はあり得ないという先入観があり、ほとんど関心は寄せていなかったところ、足の形状に「ん?」と目が行きました。
足の下部には金色の薄い受け皿のようなものが嵌めこまれており、そのすぐ下がキャスター。

これはヤマハでもカワイでもないし、強いて言うならベヒシュタインとベーゼンドルファーですが、足の形状はあきらかにベーゼンとは違うし、ベヒシュタインならペダルから斜めに伸びるペダルの突かい棒が太い木製ですが、それは細い金属製のようで、そこからこれしかないと考えられたのは「ディアパソン」でした。

全体のサイズはほぼ210cmクラスで、おそらくDR500だろうと思いました。
このサイズの大橋デザインモデルが廃盤になったあとに出た、カワイのRX-6ベースに一本張りにされたモデルで、高音側の外板のカーブが始まる位置がかなり後方であることからも、そのように推察できました。

実はこれ、個人的にものすごく好きなピアノで、根っからのファンにしてみれば「カワイを流用したもので、真のディアパソンではない!」ということになるかもしれません。
ところが、大橋モデルとは違った包容力とまろやかで美しい音色、大人っぽい落ち着きを兼ね備えた、きわめて魅力的なピアノで、もしかしたら個人的には一番好きなディアパソンかもしれません。
しかしこのサイズともなると、そうそう売れるものではなかったのか、早い時期にカタログから落とされた経緯のある、かなりレアなピアノだと思います。

何年も前、ディアパソンをイチオシ!するショップで、「実は一台だけ本社に残っている未使用のDR500があって、ご希望なら販売可能です。」といわれて、かなり心がざわついたことがありますが、さすがに衝動買いするわけにもいかず諦めるしかありませんでした。
ピアノが手に持てるほどのサイズで、お値段も一桁違えば買っていたでしょうけど…。

そんなレアなピアノが、まさか公立の小学校にある!というのも、かなりレアケースだと思いました。
番組で紹介された建築も大変なものだったけれど、思いがけなくピアノのほうに気持ちが向いてしまい、どういう経緯でそういうことになったのか、あれこれ考えを巡らせてしまいました。
勝手にディアパソンのDR500だと決めてかかって書いていますが、もし間違っていたらとんだ赤っ恥ですが!

家族の一員

少し前のこと、民放TVで都市部から遥か遠い、隔絶した山中などで生活する人たちを訪ねて、その生活に密着するという番組があり、あまりのすごさにびっくりして、つい最後まで見てしまいました。
ほかに『ポツンと…』という番組もあるようですが、それとは違う3時間ほどの特集番組でした。

いずれも、自然の中の隔絶された自然の中で暮らす人たちで、中には、山深い集落もない文字通りの一軒家で、小さな子供が何人もいつ一家であったり、高齢でも一人暮らしをする人まで、その逞しさときたら想像を絶するものばかりです。
中には代々の家を守るためという方もおられたけれど、都会生活を投げうって、あえてそんな場所での暮らしを意義あるものとし、自ら選択した人たちの何組か紹介されました。

共通しているのは、どの方もやせ我慢や演技でなく活き活きして、日々の生活のために体を動かし汗をかきながら充実した暮らしを送っておられるように見えました。
電気や水(山の湧き水であったり)はあるけれど、食べ物(とくに野菜)は基本的に大半が自給自足で、みなさん土を耕し、種を蒔き、多種多様な野菜を育てておられ、鶏や牛や山羊などもいれば、同時に子育てまでこなすという忙しさ。

朝から絶え間なく体を動かし、薪をおこして食事を作り、風呂を沸かし、日が落ちれば眠りにつくというもので、とうてい真似のできるものではないけれど、生きるということの本源のようなものに触れた気がしたことも事実でした。
それに、なんとはなしに心地よかったのが、ここではスマホもネットもSNSもなく、俗世の瑣末なことや競争社会のストレスなどの要素がまったくないので、それだけでも不思議な安堵みたいなものを感じてしまいました。

私は自他ともに認める「田舎の生活は無理派」で、運動嫌いで、夜行性で、虫が嫌いで、エアコン依存症で、そういう要素満載なのですが、それでも田舎の生活の魅力というものも、できる人にとっては一理あるんだな…と思わせられました。
なにかにつけて、現代人が当たり前だと思っている便利とは真逆の世界だけれども、旬の野菜だのなんだのと、身近にあるものはどれも新鮮で、大量で、ある種贅沢で、勝手な部分だけはやけに羨ましく感じました。

みなさんいずれも心が広く、自然な笑顔が耐えず、こせこせしたところがなく、わざとらしさのない普通の優しみや安心感があって、考えさせられるところが非常に多かったことは、まったく意外なことでした。

最後に紹介されたのは関東から大分県南部の山の中へやってきたという一家。
山の中腹に佇むまさに一軒家で、その家を自力で修繕しながら生活を始めてようやく一ヶ月というところでした。

家の中は作業のための廃材やらなにやらでごった返していましたが、なんとその片隅の床の上には茶色の杢目のグランドピアノが、後ろ向きに置かれていて、まさかピアノがあるなんて思いもしなかったこともあり、「おお!」っと目を奪われたのはいうまでもありません。

これから床をどうする、お味噌を仕込む、畑に行くなど、あれこれの説明のところどころに、チラチラとそのピアノの一部が写り込むのですが、どういうピアノかはまったくわからずにじりじりしました。
ただ、そこにはどことなく日本のピアノではない気配を感じ、ますます気になって仕方がありません。

ピアノのフォルムが全体にとても細身というか華奢で、枯れた感じさえあり、どちらかというとメタボ体型の日本のピアノではない気もするから、輸入物か、あるいは過去のメーカーのピアノか、もう番組そっちのけでピアノにばかり意識が向きました。

後半、ついに!ピアノが紹介される場面となり、それによれば、ご主人の趣味のためここまで運んできたものだそうで、ついに蓋が開いて演奏が始まりました。
自作の曲で、2歳に満たない一人娘のために作ったという曲を弾かれましたが、ついに最後まで鍵盤蓋のロゴは一切わかりませんでした。

もしやブリュートナー?とも思っていたけれど、腕木の形状が違うし、あれこれの記憶の断片をつなぎあわせた末、おそらくあれはザウターではないか?というのが私の結論でした。確証はありませんが、たぶん。

都会での生活はすべて捨て去ったとのことですが、ピアノは捨てられなかったようで、そーだろうねーと思いました。

…だからなに?といわれたら二の句が告げられませんが、ただそれだけです、ハイ。