家族の一員

少し前のこと、民放TVで都市部から遥か遠い、隔絶した山中などで生活する人たちを訪ねて、その生活に密着するという番組があり、あまりのすごさにびっくりして、つい最後まで見てしまいました。
ほかに『ポツンと…』という番組もあるようですが、それとは違う3時間ほどの特集番組でした。

いずれも、自然の中の隔絶された自然の中で暮らす人たちで、中には、山深い集落もない文字通りの一軒家で、小さな子供が何人もいつ一家であったり、高齢でも一人暮らしをする人まで、その逞しさときたら想像を絶するものばかりです。
中には代々の家を守るためという方もおられたけれど、都会生活を投げうって、あえてそんな場所での暮らしを意義あるものとし、自ら選択した人たちの何組か紹介されました。

共通しているのは、どの方もやせ我慢や演技でなく活き活きして、日々の生活のために体を動かし汗をかきながら充実した暮らしを送っておられるように見えました。
電気や水(山の湧き水であったり)はあるけれど、食べ物(とくに野菜)は基本的に大半が自給自足で、みなさん土を耕し、種を蒔き、多種多様な野菜を育てておられ、鶏や牛や山羊などもいれば、同時に子育てまでこなすという忙しさ。

朝から絶え間なく体を動かし、薪をおこして食事を作り、風呂を沸かし、日が落ちれば眠りにつくというもので、とうてい真似のできるものではないけれど、生きるということの本源のようなものに触れた気がしたことも事実でした。
それに、なんとはなしに心地よかったのが、ここではスマホもネットもSNSもなく、俗世の瑣末なことや競争社会のストレスなどの要素がまったくないので、それだけでも不思議な安堵みたいなものを感じてしまいました。

私は自他ともに認める「田舎の生活は無理派」で、運動嫌いで、夜行性で、虫が嫌いで、エアコン依存症で、そういう要素満載なのですが、それでも田舎の生活の魅力というものも、できる人にとっては一理あるんだな…と思わせられました。
なにかにつけて、現代人が当たり前だと思っている便利とは真逆の世界だけれども、旬の野菜だのなんだのと、身近にあるものはどれも新鮮で、大量で、ある種贅沢で、勝手な部分だけはやけに羨ましく感じました。

みなさんいずれも心が広く、自然な笑顔が耐えず、こせこせしたところがなく、わざとらしさのない普通の優しみや安心感があって、考えさせられるところが非常に多かったことは、まったく意外なことでした。

最後に紹介されたのは関東から大分県南部の山の中へやってきたという一家。
山の中腹に佇むまさに一軒家で、その家を自力で修繕しながら生活を始めてようやく一ヶ月というところでした。

家の中は作業のための廃材やらなにやらでごった返していましたが、なんとその片隅の床の上には茶色の杢目のグランドピアノが、後ろ向きに置かれていて、まさかピアノがあるなんて思いもしなかったこともあり、「おお!」っと目を奪われたのはいうまでもありません。

これから床をどうする、お味噌を仕込む、畑に行くなど、あれこれの説明のところどころに、チラチラとそのピアノの一部が写り込むのですが、どういうピアノかはまったくわからずにじりじりしました。
ただ、そこにはどことなく日本のピアノではない気配を感じ、ますます気になって仕方がありません。

ピアノのフォルムが全体にとても細身というか華奢で、枯れた感じさえあり、どちらかというとメタボ体型の日本のピアノではない気もするから、輸入物か、あるいは過去のメーカーのピアノか、もう番組そっちのけでピアノにばかり意識が向きました。

後半、ついに!ピアノが紹介される場面となり、それによれば、ご主人の趣味のためここまで運んできたものだそうで、ついに蓋が開いて演奏が始まりました。
自作の曲で、2歳に満たない一人娘のために作ったという曲を弾かれましたが、ついに最後まで鍵盤蓋のロゴは一切わかりませんでした。

もしやブリュートナー?とも思っていたけれど、腕木の形状が違うし、あれこれの記憶の断片をつなぎあわせた末、おそらくあれはザウターではないか?というのが私の結論でした。確証はありませんが、たぶん。

都会での生活はすべて捨て去ったとのことですが、ピアノは捨てられなかったようで、そーだろうねーと思いました。

…だからなに?といわれたら二の句が告げられませんが、ただそれだけです、ハイ。