最近のBechstein

腰の加減がまだ思わしくなく、すっかり更新ができていません。

はなはだ不確かながら、ここ最近では、ベヒシュタインの新しいグランドの音がかなり変わってきたように思っていますが、いつ頃からはさらに曖昧で、この一二年のことではないかと思っています。

その対象となるのは、少なくとも戦後からこちら今に続くグランドについてで、とりわけ入念に確認したのは公式動画サイトに相当数アップされている、コンサートグランドであることをまずお断りしておきます。

戦前のベヒシュタインにくらべると、戦後のグランドは(私の乏しい経験によれば)やや武骨な、ドイツ的体臭の強いピアノというイメージがあり、同様の印象をお持ちの方も少なくないだろうと思われます。

もちろんそこが魅力的でもあるわけですが、時代に沿った洗練という面ではやや取り残された観がありました。
戦前の同社グランドの気品ある透明な音色に比べると、いささか朴訥で、ワイマール時代の華麗なベルリンというより、ジゼルに出てくる森の男のような印象がありました。

ベヒシュタインといえば、一つ覚えのようにドビュッシーの有名な言葉が語られ、折々にこの人の作品が演奏されることも少なくありませんが、率直なところ赤ひげのドイツ人がフランス語を話しているような印象が、私にはありました。

低音域など独特な板床を叩くような響きがあるし、全体にも頭が大きく減衰のはかない音(これを「立ち上がりが良い」と表現される)こそがベヒシュタインの特徴とされていたこともあって、そういうものだろう…と思い込んでいました。

ところが、あるとき、はじめてベヒシュタイン・アップライトの最高峰である「コンサート8」に触れたとき「世の中にはこんなにも素晴らしいアップライトがあるのか!」という強い衝撃を受けることとなり、それは今も忘れられません。
品格、繊細さ、深み等々…どれをとっても極上で、さらにはカシミアのようなまろやかなタッチなど、およそケチのつけようのないものでした。

それがきっかけで、ベヒシュタインではむしろアップライトに興味をもつに至ったのですが、どのモデルもコンサート8の流れを汲む端正な音色をもっていて、グランドに感じていたドイツの野暮ったさは皆無でした。
同時に同じメーカーであるのに、グランドとアップライトでこうも音の性質が違うものかと、ますます疑問が募り、ついにはアップライトで実現されているような、清純で色彩的な、澄んだ音のグランドを作ったらいいのに…というようなことを空想するようになりました。

まさかその一念が通じたわけもありませんが、ここ最近のベヒシュタインのグランドは、どうも以前とは様子が違うらしい気がしてきているのです。
といっても、YouTube動画による印象でしかないのは実証性にとぼしく甚だ心もとないところですが、それでもどうやら「変わった」ようで、少なくともこのブログに文章として書いてみようという気になるぐらいの違いを感じるに至りました。
ベヒシュタインらしさを残しつつ、時代が求める要素の見直し作業が行われたのか、以前のような強すぎるドイツ訛りがかなりなくなっています。

これなら、ショパンやドビュッシーでも、違和感なく聴ける気がします。
わかりやすい識別点でいうと、ここ数年で、ベヒシュタインに使われるフェルトの色は、伝統的なモスグリーンから、鮮やかな紺色に変更されいるのが一目瞭然で、新しいグランドに至っては、ついに腕木の伝統的な形状もわずかながら変化しているようです。

今のところ、変化の代償なのか熟成が足りないのか、すこしカジュアルに聴こえる気がしないでもないけれど、これにやがて深みが加わってくるようなら、相当に魅力的な選択肢のひとつになるような気がします。

ご興味のある方は、YouTubeで[C.Bechstein]と検索すると、同名のチャンネルが出てきます。

本場の宝探し

ヨーロッパにお住まいの方から、面白い情報を寄せていただきました。

今どきはどこの国にも売買サイトがあるのは当たり前でしょうが、そこに出品されているピアノはというと、日本とはまるで異なるものが次から次へと出てきて、面白いといったらありません。

その中に、ドイツの伝統ある有名メーカーのグランドで、「ピンも弦も交換されているのに数ヶ月経っても売れない」のがあるらしいとのことで、私もさっそく直に見せていただきました。

お値段は日本円で80万円くらいと、望外の価格でもあるため、あまり細かいことを言い立てるのもどうかとは思いつつ、率直にいうと、一枚目の写真から早くも怪しい気配が漂っているようでした。
ロゴやフレーム、ピン板、譜面台、外装にいたるものまで、多くの部分は違和感にあふれ、本当にそのメーカーのピアノかどうかも疑わしい感じを受けたのです。

100年以上経過しているとはいえ、メジャーブランドのグランドがこんな値段で売られていること自体、どこかおかしいような気もしましたが、その方も興味本位とのことで、とくに購入を検討されているわけではないらしく、あまり真剣に観察する必要もないため却って面白いくらいでした。
ついでにほかも見渡してみると、さすがは本場だけあって多種多様の珍しいピアノがひしめき、音楽文化の歴史と裾野の広さとが如実に窺えました。

これを時間をかけ丁寧にウォッチすれば、中には掘り出し物といえるものもありそうですが、玉石混交であることも否めず、購入となればかなりの眼力が必要だろうと思います。
とくに古いピアノの場合、素人判断で安易に購入してしまうのはかなりの危険を伴うと思っておいたほうがよさそうですが、同時にヒリヒリするようなスリルもありそうで、つい引き寄せられていくのも正直なところ。
もし私みたいな人間がそんな地にいたらどんな目に遭うやら、考えただけでも恐ろしくなります。

日本の中古ピアノ市場といえば、大半がヤマハとカワイで一向におもしろ味がないのに対し、当たり前ですがヨーロッパの土台が違うというか、見ているだけでもわくわくで、それこそため息の出るような美しいピアノから粗大ごみのようなものまで、まさに宝探し気分です。

なんといっても楽しいのは、日本では絶対にあり得ないようなブランドのピアノがかなり意外なお値段ででていたりしますが、同時にかなり危なそうな雰囲気のものもあったりで、免疫のないマニアにとってはかなりの危険地帯でもあると思います。
日本と違って、騙されるときも思いっきりスッパリやられそうです。

腰の加減で、もっかほんの短時間しか椅子に座れないこともあり、ブログの更新もおぼつきませんが、快復したときじっくり見るのが楽しみです。

現代は疲れる

現代のネット社会は多くのことを劇的に便利にしていることは認めるにしても、まったく逆に超不便になったこともあります。

その代表例が電話を使わせない社会となったこと。
電話対応のための人手の確保やそのための人件費の問題などがあるのだろうし、いろいろやむを得ない面もあるだろうことは理解しても、その代償はあまりに大きい気がします。

むかしなら、わからないことがあれば、しかるべきところに電話して言葉で質問すれば簡単かつ短時間で済んでいたことが、まったくそうはいかなくなりました。
そもそも企業でもなんでも、電話番号を秘密情報のごとく隠されているも同然だから、まずこれを探り当てるだけでひと仕事。

ようやくわかっても、高い通話料金のかかる番号だったり、あの手この手で電話そのものを諦めさせようという障壁が設けられているのが見え見えです。

どこかに隠れるようにしてフリーダイヤルの番号があったとしても、こちらが望む担当者と話ができるようになるためには、まったくバカバカしいガイダンスを繰り返し聞かされるし、該当するものが無かったりと、その道はサービスとは程遠いばかりに険しいことは多くの方が経験されていることだと思います。

細分化された目的のところまで辿り着いたかと思うと、こんどは「ただいま電話が込み合っており、このままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直し…」となって、これだけ苦労して、エネルギーを費やして、ストレスと闘いながらここまできたのに、かけ直すとなると、またガイダンスからやり直しで、まったく弄ばれている気になります。

電話以外では、なにかのアカウントを取ったり、通販を利用したり、予約をしたり、クーポンを使うなど、入力する場面にしばしば出会いますが、そのたびに入力フォームなるものがあり、この多くが会社都合で不親切だと言わざるを得ません。

例えば、モノを送るのに宅配便の申し込みをして、希望する日に取りに来てもらう必要が生じたとき。
以前なら、どこか適当な営業所に電話すればパパッと済んだことが、今はネット上からの申し込みが主流となっており、これだけなら時代の趨勢として仕方がないかと思いますが、現実にはそう簡単なことではありません。

まず送るものの種類や大きさなどから、どの便を使うべきかを自分で判断し選択しなくてはいけないし、それが間違っていると、予約サイト上の進行や料金など、なにもかもが違ってきます。
したがって、どれが最適で目的に合致しているのか、サイトの説明を読んだり、調べたり、寸法を計ったり、ほとんど宅配便会社の社員の仕事ようなことをさせられるわけで、この手のことは初見で最適なものへ到達することはきわめて難しい。

さらに、ようやくこれだということになって、入力フォームに打ち込みを開始しますが、終わったと思って決定ボタンを押しても、何かが不備だったり、間違っていたり、なんらかのシステム上の要件を満たさないものがあると、あっけなく拒絶されてしまいます。
ここでいいたいことは、何がダメなのかわからないため、そこで延々と時間をとられるのは何なのか?と思います。

いつも思うことですが、慣れない一般人を相手にしているのだから、せめてどこがダメなのか、なぜハネられているのか、これぐらいは利用者に知らせるべきではないかと思います。
今の若い方はそういう苦労もなく、すんなり順応できるのかもしれないけれど、こういうものは老若男女がもっと使いやすいものであるべきだと思いませんか?