谷昴登さん

9月終わりのEテレ・クラシック音楽館では、鹿児島県で45年間続く霧島国際音楽祭のオーケストラによる東京公演の様子が放送されました。
プログラムは、ワーグナー:トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、リスト:ピアノ協奏曲第1番、ストラヴィンスキー:春の祭典。

ピアノは谷昴登(たに あきと)さんという、初めて聴く若手でした。
どういう人なのかネットを見ても、近ごろは年齢や出身地があまり書かれないことが多く、これも時代の傾向なのかと思いますが、どうやら北九州市の出身らしいことがかすかにわかりました。
とはいえ、私が経歴で見たいのは、主に年齢と出身地と修行歴ぐらいなもので、問題は演奏であることは云うまでもありません。

リストの協奏曲第1番のピアノの出だしは、有名な両手オクターブの跳躍ですが、今どきにしてはどこか普通とはちがった趣があり、ここからまず「おや?」と思いました。
聴き進むにしたがって、いわゆる通俗的なリスト臭というか、リスト的演歌調ではない、全体に品位を感じる演奏で、今どきの若い人にしては、自分の感じたことを丁寧に表現していく感じが新鮮でした。
少なくとも、ありきたりな演奏情報のコピーで小賢しくまとめ上げたものではなくて、自分の感性の命じるものが前面に出て、その感性に忠実に演奏へと移されている印象を受けたのは好感が持てました。

ときに左右が微妙にずれてでも、バスを強調したりメロディーを際だたせたりするやり方は、最近では珍しいことで、広く跋扈するトレンドに乗らず、こういう人も出てくるようになったのかと思うと、少し救われる気がしました。

どこかまだ、コンチェルトなどの場数が少ない感じは否めなかったけれど、それは初々しさと受け取っておこうと思います。

最近はコンチェルトが終わっても、ソリストは必ずアンコールをすることが常態化しているようで、それもどうかと思う面があるけれど、とはいえ義務は果たしたとばかりにつんと引っ込んでしまうよりは、後にひとつ何か披露されることは楽しみでもあるのも正直なところで、まあ演奏家もサービス業の一面はあるのだから、それも仕方がないと思います。

この時の谷さんもご多分に漏れず、アンコールとしてピアノの前に座りましたが、弾きだしたのはなんと、ペトルーシュカからの3楽章から冒頭の第1楽章で、これはいささか違和感を感じざるを得ませんでした。
説得力のある、上手い説明はできないけれど、個人的なイメージではあれはアンコールに弾くものではないという感覚があって、直前のリストが好感をもって聴き終えたところへ、いきなり腕自慢の調子が混ざってきたのは甚だ残念な流れでした。

好意的に解釈すれば、この後に予定されるオーケストラの曲目が「春の祭典」だったから、ストラヴィンスキー繋がりにしたんだということかもしれませんが、アンコールはあくまで本編の後に付け加えるもので、先駆けるものではないと思うのです。

まあそんなところもあったけれど、リストはいい演奏だったと思ったし、ピアノもサントリーホールなら新しい楽器もあったでしょうに、少し弾き込まれた感じの、やや派手な音のするピアノでした。

最近は、以前より華やかでメタリックな感じのピアノがやや陰をひそめ、新しめの楽器のいかにも粒の揃った、柔らかさのあるピアノが使われるのはいいけれど、どこか精巧なマシンで生産された感じの、電子ピアノ的にあまりに整ったピアノが多く、そこへ今どきの無機質な演奏が加わってくるのは、毒も味もなく、ちっともおもしろくありませんが、久々に楽しめた印象ではありました。