▼務川慧悟
他日の再放送、「岡本誠司バイオリンリサイタル」では、ピアノを務川慧悟さんが務めていました。
ベートーヴェンのVnソナタ第10番、シューベルトの幻想曲D934という奥深い二曲が並んで、たいへん見事な演奏だったと思います。
ここに聴く務川さんのピアノは、ソロ以上に感服するところがあり、丁寧な仕上げの縫製品のようなピアノパートがヴァイオリンに寄り添うようで、質の高い音楽が紡がれました。
ピアノとヴァイオリンがユニゾンで同じ音型をなぞるときなど、ヴァイオリンのわずかな息遣いにさえ吸いつくごとく合わさって、はじめのベートーヴェンの第一楽章を聴いただけでも、いいものに触れているという満足を覚えました。
こういう演奏はそうざらにあるものではなく、ごく自然に耳が傾いてしまいます。
務川さんのピアノは、今どきの完璧を目指すもどこか空疎な演奏とは少し趣が違っており、演奏の源泉は自らの感性に依ってきたることが伝わってくるもの。
礼儀正しい人に接すると気持ちがいいように、音楽のマナーや様式美がしっかりしていて、演奏の立ち居振る舞いがよく、それでいてさりげない奥深さがあります。
タッチはクリアで明快だけれど、そこに情感と陰影が途切れることなく活動しているから、今どきのドライなピアニストとは一線を画するものがあり、気品ある演奏として仕上がっているように感じます。
そしてそれは、このようなデュオのときにより顕著となるのか…とも思ったり。
ピアノのソロは、正真正銘自分ひとりがすべてを請け負い、全責任を背負う過酷なパフォーマンスだから、その集中力たるや尋常なものではないはずで、そのためには莫大なエネルギーを消費するはず。
それがデュオになることで、全責任の縛りからわずかに開放され、そのわずかのところで呼吸を整え、折々にリフレッシュできるという効果があるのかもしれません。
テンポもむやみに急がず落ち着いているし、細部には切れ目なくデリカシーがかよって、しかも息苦しくないという、なかなか大したものだと思います。
そして良い演奏を聴いた後というのは、それが終わっても耳の内側に記憶とも余韻ともつかないものが残り、そういうときに音楽の不思議な力が生きづいていること思わずにはいられません。
務川さんのことばかりになりましたが、岡本誠司さんもとても音楽的礼節のある演奏で、これほど質の高いデュオはそうそうないものと思います。
残念だったのは、このソナタの中でも美しい第2楽章がカットされ、いきなり第4楽章になってしまったのには、おもわず天を見上げてしまいました。
会場は浜離宮朝日ホール、ピアノはベーゼンドルファー。
てっきり新しい280VCだろうと思っていたのが、このメーカーの伝統のトーンが思いの外よく表れているから、なんだかんだといいながら血は争えないものだなぁ…と思っていら、よくよく細部をみると旧い275で、どうりでと納得でした。
ベーゼンドルファーは、ピアニストのタッチ感を際立たせる粒立ちがあり、古楽器的なニュアンスも併せ持つためか、弦楽器と合わせるとき素朴な鍵盤楽器らしさがあり、これはこれで見識ある選択だと思いました。
ベーゼンドルファーの魅力というと木の音の温もり云々…とする意見が大勢で、それも頷けるけれど、誤解を恐れず言うと個人的には良い意味での「どぎつさ」にあるとも思います。
京都とかウィーンのような古都には、そういう説明のできない何物かが棲んでいるのかも…。
演奏以外でちょっと目についたのは、拍手に応える二人の様子。
それぞれに相手を立てて譲り合い、何度も互いに拍手を送り合う姿は、もちろんそれは奥ゆかしくて素敵なことではあるけれど、何度も何度も「あなたが、あなたが」の譲り合いのゼスチャーを繰り返れると、さすがにくどい感じを受けました。
デュオなんだから、もっと普通に、二人並んで素直に答礼してもらったほうが、拍手する側も嬉しいのではないか?と私は思います。