以前にも書いた覚えがありますが、当節、満車の駐車場などでは、人が車に戻り、乗り込んでエンジンもかかり、今にも動き出しそうな車があるからといって近くで待っていても、そんな車はなかなか出て行ってはくれません。
待ちわびて、じりじりするこちらの心情を弄ぶかのように、車内ではガサゴソとなにかをやっている気配をみせたり、あるいはことさら泰然として、遮二無二時間をかけたりして、とにかく出発を「1秒でも」渋っている様子が見て取れます。
こう書くと「それはアナタがそんな風に見ているだけでは?」と言われるかもしれませんが、人間は長いこと人間業をやっていれば、それが本当に自然なものか、邪心から出ていることなのかの判別ぐらいはつくようになるものです。
世代的にはさまざまですが、とりわけ若者から中年になりかけぐらいの場合が多く、さらにいうなら女性のほうがよりその傾向が強いように感じます。マロニエ君も最近ではいい加減このパターンがのみ込めているので、こういう人の視界に入る場所でおめおめと待っているようなことはしなくなりました。
あえて待機する場所を変えたり、場内を一周したりと、空くことを「期待していない」素振りに出ると、逆にすんなり出発するのがわかっているからです。
ちなみに年配の方は、こちらが待っていることがわかると、急いで車を出してくださったりする場合が多く、ありがたいだけでなく、どこかホッとして「あぁ昔の人はいいなぁ…」と思ってしまいます。
こういう傾向からも、昔にくらべると世の中の人は精神的に決して幸福ではないことがひしひしと感じられます。生活のほとんどすべてが否応なく競争原理にさらされている現役世代にとって、いま自分が手にしている権利は、他者も欲しがっているものであればあるだけ、ささいなことでも手放したくないという悲しい我欲が本能的に表出するようです。
その証拠に、逆もあるのです。
料金精算所が混んでいたりすると、必然的に出庫する車はその列に並ぶことになり、土日の夕刻などはたいていこのパターンです。
車に乗り込んでエンジンを始動、シートベルトをして、ギアを入れて動き出すという一連の操作の中、時を同じくして近くで車に乗り込んだ人は、今度は我先に早く動き出そうと、変にこっちを意識して緊迫しているのが伝わってきます。
しかも真剣そのもので、そのむき出しの競争心には、こちらもつい刺激されてしまいます。
するとどうでしょう。
大変な早業で車はそそくさと動き出し、本当にコンマ1秒という差で列の先へと並ぶわけで、これを見ればわかるように、満車状態で他車が待っているのに車を出さないのは、やはり弄ぶターゲットがいるからこその故意であることが明瞭です。
社会がきれいなものじゃないことは先刻承知ですが、しかしこんなくだらない場面で、これだけ赤裸々に他人の悪意に触れるというのは、やはりいい気持ちはしないものです。
巷ではやたら「オトナ」「オトナの対応」などという分別くさい言葉が濫用されていますが、実際は強欲なオコチャマだらけです。