共犯

例の作曲家のゴーストライター事件では、発覚からひと月を経て、ついに佐氏本人が姿をあらわし、ものものしい「記者会見」に及びました。

恥ずかしながらマロニエ君は、この手のスキャンダルというか週刊誌ネタ的なものの中には、非常に興味をそそるものがあり、この事件も発覚いらいなんとなく注目していました。とりわけ本人が出てくる会見はぜひ見たい!と思っていたので、ここぞとばかりにワイドショーのたぐいを録画しておきました。

いまさら言うまでもないことですが、くだらない話題も大好きなマロニエ君です。
とくにこの本人登場の記者会見はワクワクさせられました。

会場に詰めかけたマスコミの数はハンパなものではなく、壇上におかれたテーブルには、近ごろではついぞ見たこともない数のマイクが蛇の群のように置かれ、いやが上にも関心の高さが伺われます。

カメラのフラッシュの中にあらわれたご当人は、あっと驚くばかりの変身ぶりで、特徴的な長髪はバッサリと短く切られ、サングラスを外し、深々とお辞儀をする姿はまるで別人でした。これを一目見ただけでも、いかに彼は巧みに「芸術家」に化けていたかが一目瞭然でした。

内容はお詫びを連発しつつも、この人の体の芯にまで染みついたウソと攻撃性が随所に見て取れるもので、いち野次馬としては、これはもう滅多にないおもしろさでした。
むろん発言が真実などとは到底思えませんし、すでにそういう人物という認識の上なので、はじめの変身ぶり以外は別に驚きもしませんでした。

驚いたのは、むしろ翌日のワイドショーで繰り広げられる論調でした。
どうせ前日の会見の分析が翌日の番組のネタになると踏んでいたので、二日続けて録画していたのです。

今どきの特徴ですが、司会者やコメンテーターは普段の発言は鬱陶しいほど慎重で、これでもかとばかりに偽善的な発言に終始します。ところが、いったん相手に悪者というレッテルが貼られると、状況は一変。批判は解禁とばかりに、誰も彼もが寄ってたかって問題の人物を吊し上げます。それも自分は極めて良識ある誠実で温厚な人物ですよというわざとらしいニュアンスを込めながら。

それでも、この楽譜も読めないエセ作曲家が非難されるのは当然としても、ちょっと違和感を感じたのは、その相方であったゴーストライターのほうが、あまり悪く言われない点でした。
そればかりか、この相方の作曲者がまるで正直者で、ときに被害者であるかのようなニュアンスまで含んでくるのはあんまりで、これには強い抵抗感を覚えました。

もちろん役どころとしては、気の弱そうな作曲者が佐氏にいいようにコントロールされたという構図のほうが収まりはいいのかもしれませんが、それはちょっと違うと思います。

この人が突如として「告白会見」をしたときから見れば、単純に「正直」で「善良」で「良心の呵責に耐えられなくなった」人物であるかのようなイメージになるのかもしれませんが、それはいささか認識が甘いのでは?とマロニエ君は思います。

一度や二度ならともかく、実に18年間という長きにわたって、この秘密の共同作業を続けていたという2人です。さらにそれなりの高額な報酬の授受もあったということは、これはまぎれもなく本人の承諾と意志によるものだと考えるのが自然です。となれば、ご当人がいわれるようにまさに立派な「共犯者」であることは忘れるべきではない。本人によほどの熱意と積極性がなければ、あれだけの大曲を書き上げるだけのモチベーションも上がる筈はないでしょう。

この2人のいずれが主導的であったかはともかく、結局はお似合いのいいコンビであったのだろうと思います。
そして、なによりそれを裏付けているのが、18年間にわたりその秘密の関係が維持されていたということだと思います。