シフに感謝

近年、自分でも不思議なくらい新しいピアノにそれほど興味が持てなくなってきているマロニエ君ですが、CDの世界では、意図的に古いピアノ使った新録音が発売されているのも事実で、これはとても素晴らしいことだと思います。
もちろん全体からすれば、まだまだごく少数ではありますが、こういうCDがひょっこり手に入ることはとても嬉しいことです。

最近で云うと、プレイエルを使ったバッハのインベンションに大興奮したところでしたが、メジャーピアニストの中では、アンドラーシュ・シフはわりに楽器に拘るほうです。彼はスタインウェイとベーゼンドルファーを使い分けながらベートーヴェンのピアノソナタ全集を作り上げたようですが、最近は全集と重複する最後のソナタop.111、さらにはディアベリ変奏曲とバガテルなどを、古い2台のピアノを使って録音しています。

そのひとつが1921年製のベヒシュタインで、このピアノはなんとバックハウスが使っていたE(コンサートグランド)で、こういうことをやってくれるピアニストが少ない中、シフのピアノに対する感性とチャレンジ精神にはただただ感謝するばかりです。

バックハウスによる1969年のベルリンライブで聴く、豪放なワルトシュタインのあの感動の陰には、この時使われたベヒシュタインEの存在もかなり大きいとマロニエ君は思っていますが、それと同じ個体かどうかはわからないものの(たぶん同じだろうと勝手に思い込み)、そのピアノの音を再び現代の録音で聴くことができると思うと、これまたワクワクでした。

もちろんピアニストが違うので、いくらベートーヴェンとはいえ同じテイストには聞こえませんが、しかしやはりベヒシュタインで聴くベートーヴェンには、格別な意味と相性があるようにも思います。
スタインウェイでは音が甘く華麗で、それが大抵の場合は良い方に作用すると思えるものの、ベートーヴェンにはもう少し辛口の実直さみたいなものが欲しくなり、かといってベーゼンドルファーではちょっと雅に過ぎて、その点でもベヒシュタインはもってこいなのです。

ツンと澄んだ旋律、男性的な低音域、アタック音の強さと互いの音がにじみ合うように広がる枯れた響きの中に、ベートーヴェンの苦悩と理想、歓喜とロマンがいかにもドイツ語で語られるように自然に聞こえてくるのは、物事が収まるべきところに収まったという心地よさを感じます。

ただしマロニエ君の耳には、全般的に古いベヒシュタインには、なんとなく板っぽい響きを感じてしまうことがしばしばですし、全体的にも期待するほどのパワーはないという印象があります。これは経年によって力が落ちてきているのか、あるいはもともとそういうピアノなのか…そのあたりのことはわかりませんが、もうすこし肉付きがあればと思います。

そういえば近藤嘉宏氏が進めているベートーヴェンのソナタ全曲録音には現代のベヒシュタインが使われているようですし、先ごろ発売されたアブデル・ラーマン・エル=バシャによる二度目のベートーヴェン・ソナタ全集にもベヒシュタインDが使われているとのことで、まだ購入には至っていませんが、これも期待がかかります。

さらに今年は、なんとミケランジェリがベヒシュタインを弾いた唯一のディスクという、ベートーヴェン、シューベルト、ドビュッシー、ショパンの2枚組が発売されたようです。ジャケットを見るとずいぶん古そうなベヒシュタインで、ミケランジェリの冷たいのか温かいのかわからないあの正確かつ濃密なタッチに、このドイツのピアノがどう反応しているのか興味津々ではあります。