浜松のアクトシティで3月7日に行われたばかりのシプリアン・カツァリスのピアノリサイタルの様子がクラシック倶楽部で放送されました。
カツァリスはマロニエ君が昔から苦手とするピアニストで、その名声がどこからくるものなのか、彼の真価はなんなのか、何度聴いてもわかりません。
若い頃からテクニシャンで鳴らした人のようですが、マロニエ君にはこの人が本当の意味でそうだとは思えませんし、音楽的にも好感をもって聴けるところがほとんどありません。好感でなくても、この人なりの音楽に対する心はこうなんだろうというものが見えてこないわけです。
以前、カーネギーホールで行われたショパンの生誕200年かなにかのリサイタルなどは、まるで記念碑的な名演のように書かれた文章も目にしたことがあり、だったらもう一度、虚心に聴いてみようとライブCDを買ったこともありました。
しかし、聞こえてくる演奏は、まるで身体が受けつけないものを無理に食べさせられるようで、最後まで聴くこともないままディスクを取り出し、その後はこのCDを見かけることもないので、よほどどこかへ放擲してしまったらしく、自分でも確たる記憶がありません。
そんなカツァリスなので、かえって恐いもの見たさで再生ボタンを押してしまいました。
あらたなアイデアなのか、近年はコンサートのはじめに「即興演奏」をするということで、日本の「さくらさくら」を皮切りに、オリンピック等で使われた世界の有名なクラシックの旋律をメドレーで流すという、まるで観光地の土産品みたいなものが弾かれました。
こういうものが「即興演奏」というのもちょっと不思議でした。
続いてシューベルトの3つのピアノ曲から第2番、そのあとはカツァリス編曲によるリストのピアノ協奏曲第2番というもので、リストが一番良かったようにも感じつつ、やっぱり今回も最後まで自分がもちませんでした。
クラシックの作品を対象にしてはいるものの、印象としてはクラシックのピアニストというより、ピアノ芸というイメージです。音数の多い作品をサラサラとさも手慣れた感じに弾き進みますが、その手慣れた感じを見せることがステージの目的のようにも感じてしまいます。
タッチは全般に非常に浅めで、すべての曲はせいぜいフォルテからピアノぐらいの狭いレンジで処理されてしまうようで、まるで自動演奏のような平坦さを感じてしまいます。少なくとも真剣に耳を澄ます音楽ではないと(マロニエ君は)思いますし、とりわけこの特徴的な浅いタッチは、超絶技巧とやらを売りにする裏で、手に疲労をため込まないための秘策なんでしょうか。
どの曲を弾いても同じ調子の、意味のないおしゃべりみたいな音楽であるためか、シューベルトなどは品位のない、ひどく俗っぽい感じを受けてしまいました。
ただ、ピアノファンとして面白いのは、この人はスタインウェイがあまり好きではないようで、日本ではヤマハを弾くし、以前も書いた記憶がありますが、ショパンのピアノ協奏曲第2番をスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ヤマハ、シュタイングレーバーという4種類のピアノを使って録音し、そのCDも発売されています。
これほど面白いことをやってくれるピアニストはまずいないので、その試みは大いに歓迎なのですが、肝心の演奏が表面的で俗っぽいため、そちらが気になってピアノを楽しむことはついにできません。
今回のコンサートでは、場所も浜松であるためか、当然のようにヤマハCFXが使われていました。
上記のようにカツァリスは決して多様なタッチは用いず、常に一定の軽い弾き方に徹しているので、ある意味でCFXの美しい部分だけが出せたコンサートだったと言えるのかもしれません。