どんだけぇ?

最近、あるピアニストに関する本を読了しました。
著者はピアニストと文筆家という、いわば二足のわらじを履く有名な方で、マロニエ君はこれまでにその方のCD・著作いずれにもずいぶん触れてきたつもりです。

ずいぶん触れたということは、両分野に於いてもそれだけの実力を認識し、一定の共感や価値を感じているからにほかなりませんが、ひとつにはこの人の着眼点に面白さを感じているのかもしれません。

ただ、以前から感じていたこの方の書かれる文章に対する違和感もないでもなく、それが今回の本ではより決定的になりました。公に活動している方ではあるし、CDも本も、すべてマロニエ君が自費で購入している物ばかりなので、別に名前を伏せる必要もないとは思いますが、すぐにわかることですし、まあここではやめておこうと思います。

本のタイトルを書くのも躊躇われましたが、そうそうなにもかも黒く塗りつぶすような記述ではお読みいただく方にも失礼なので、せめてそれは白状します。
タイトルは『グレン・グールド』で、これはもう説明するまでもない、音楽歴史上に大書されるべき20世紀後半に活躍した異色の大ピアニストです。

ピアニスト関連の書籍では、グールド研究に関する本は突出して数が多く、いわばグールド本はこのジャンルの激戦区といえそうです。そこへ敢えて名乗りを挙げたからには、よほど新しい内容や独自の切り口があるのだろうという期待を込めてページをめくりました。

ある程度、その期待を満足させるものはあったし、よく調査と準備がなされていると感心もしましたから、大きくは購読して得るものはありました。

ただ、この著者自身がピアニストということと、文筆業との折り合いがついていないのか、あるいはこの人そのものの持ち味なのか、読んでいてうっすらとした違和感を覚える(マロニエ君だけだと思いますが)ことが多いのは気にかかります。
これまでにも他のピアニストを題材とした著作をいろいろ出されており、そこには書き手が現役ピアニストでもあることが、他の音楽評論家などとは決定的に異なる個性であり強味にもなっています。いわば現場経験を持つ者としての専門性が駆使され「同業者(この表現が多い)」にしかわからない視点から、専門的具体的な分析や考察が作品の随所に散りばめられています。

しかし、マロニエ君にいわせると相手は天才どころか宇宙人ではないかと思えるほどの桁違いなピアニストで、そんなグールドを語るのに、折々に自分というピアニストの体験などが随所に出てくるのは、「同業者」という言葉とともに、なかなかの度胸だなぁと思ってしまいます。

もちろんそれが悪いと言っているのではありませんが、もし自分なら絶対にできない(しない)ことだけに、読みながら小骨があちこちにひっかかるような抵抗感を感じてしまうのです。

ピアニスト&文筆家という二足のわらじが成り立っていることは、それに見合った才能あればこそで、この点は素直に敬服しています。ただ、グールドと自分をピアニストというだけで同業者として(さりげなく、あるいは分析する上で必要だからということで)語ってしまう部分が散見できるのは、いかにそれが正当な論理展開だとしても、感覚の問題としてそのまま素直に読み進む気持ちにはなれませんでした。

とくに後半はだんだん筆が迷走してくるようで、グールドの身体条件や奏法を自分の修行経験などを交えながら執拗なまでに分解分析を繰り返すのは、くどさを感じさせ、まるでこの天才の弱点や欠陥を暴き出すことに熱中しているようで、いささか食傷気味にもなりました。

他のピアニストに関する著作にも同様の印象があり、現役ピアニストを名乗りながら、文筆家としてペンを持ち、同業者斬りをしているような印象が前に出てしまうのは、才能のある方だけに甚だ残念なことだと思います。