今ごろ象牙

これまでマロニエ君は、折あるごとに象牙鍵盤の機能面に疑問を訴えてきました。

とりわけ多くの人から入れ替わり弾かれる環境にあるピアノの場合、想像以上に酷使され、腕自慢が力の限りを鍵盤にぶつけるような使われ方をするのでしょう。
そのエネルギーをもろに受け、象牙の表面は擦れて艶を失い、同時におそろしいまでに滑りやすい状態になるようです。ほとんどテフロン加工のフライパンの新品みたいで、指先がどこに滑っていくか予想もつきません。

当然、無用無数のミスタッチが発生し、それを防ごうと身体中あちこち突っ張ることで支えてしまいます。まったく脂汗がでるようで、もはやピアノを弾く楽しみどころではありません。

こういうピアノに何台か触れて恐怖体験をしてしまうと、普通のプラスティック鍵盤は、たしかに見た目こそ芸能人の付け歯みたいな真っ白で、味も素っ気もないけれど、差し当たりどれだけ安心かと思ったのも事実でした。

ところが、昨年から使っているディアパソン210Eは象牙鍵盤であるにもかかわらず、幸いなるかな上記のような弾き手を困らせる要素はまったくありません。思い起こせば納品してしばらくは少し滑りやすさを感じていたものの、その後はすっかり我が手に馴染み、1年が経過して、今では仄かな愛着さえ感じながらこのやや黄ばんだ鍵盤に触れる日々といった状況です。

その挙げ句には「やっぱり象牙鍵盤はいいなぁ…」などと思ってしまうのですから、なんと人間は勝手なものかと我ながら呆れてしまいます。
というわけで今は象牙鍵盤の風合いを楽しむまでになり、ついにホームページの表紙に写真まで出してしまいました。

考えてみると長年使ったヤマハも、一時的に使ったディアパソン170Eも象牙鍵盤だったものの、そんな恐怖体験はありませんでした。ということは、酷使の問題もさることながら、品質もあるのでは…と思わなくもありません。
そうはいってもディアパソンのようなブランドが特上品を使うとも思えないので、これは時代によって、使用できた象牙の品質に差があったのではないかと思います。

1970年代ぐらいまでは、とくに意識せずとも普通にいいものが手に入った佳き時代だったと思います。この時代の日本メーカーはアップライトでさえ上級モデルには象牙鍵盤を使っていたほどですから、いかに今とは事情が違っていたかが忍ばれます。

不可解なのは白鍵が象牙でも、黒鍵は普通のフェノール(プラスチックのようなもの)だったりします。マロニエ君のディアパソンも同様でしたが、このあまりの中途半端さはいったいどういう判断なのかと思います。

1年前までは鍵盤の材質にそれほどこだわりはなかったものの、象牙の白鍵には黒檀の黒鍵が当然のように組み合わされるものという認識でしたから、オーバーホールのついでに黒檀に交換してもらいました。
純粋に手触りという点では、白鍵が象牙であることより、黒鍵が黒檀であることのほうが、プラスチックが木材になるわけですから、その感触の差は大きいという気がします。

木の感触はいいのですが、最近のピアノに多く使われる「黒檀調天然木」というのは、これがまた不可解です。見るからにテカテカしてまがい物っぽく、あれは一体なんなのかと思います。だいたい「何々調」というのは、すでに本物ではないということです。

話を象牙に戻すと、あれだけ「象牙は無意味」みたいなことを書き連ねたあげくに、馴染めばやっぱり見た目もフィールも悪くないと思いはじめた自分が、節操なく自説に背くようで恥ずかしいです。
それでも「鍵盤は象牙に限る」というまでの思い込みはありませんが、象牙は象牙の良さがあるとは思えるようになりました。
でももし、あの「つるつるのすってんころりん象牙」ならプラスチックのほうがいいと今でも思います。